ビヤガーデン食欲の秋戦なりステージ見るもこれまた戦 |
|
名古屋栄のビヤガーデンでの一首。
食欲の秋、制限時間内で巧く食べ放題飲み放題を娯しむのは戦に相当するが、息抜きとしてライブステージを見ながら、声援を挙げることも戦に相当するのだ。いわば、真剣勝負なのだ。
参考文章 ステージで迎えた今夏の思い出 |
|
|
|
|
JR北八王子での一句。
駅前に咲いている八重桜が散り気味を迎えた時に、躑躅が咲いていた。今度は躑躅が春を演出する役目を担う。それは、八重桜から春のバトンを継いでいるかのようだ。
参考文章 「日常」と「非日常」の狭間に揺られて |
|
|
|
仕事退き訪ねし川越昼下がり日常と否の狭間戸惑う
春涼し今日は平日昼下がり日常姿の劇場娯しや |
|
丸広百貨店での二首。
平日の昼下がり、早退を頂いて遠い場所で休憩していた。この時間は仕事をしている時間だが、今はゆっくり休憩する時間になっている。仕事する「日常」と休憩する「非日常」が交錯していて、滅多に体験できないこの時間に戸惑いを隠せない。
下の短歌は、その貴重な時間で持って見られる光景が、何とも面白い劇場になっている。
参考文章 「日常」と「非日常」の狭間に揺られて |
|
|
|
我(それがし)の果たせぬ夢を果たし給えクレアモールの高校生達 |
|
川越クレアモールでの一首。
平日に歩くと、制服を着た高校生達が続々と擦れ違った。一体、どんな高校生活を送っているのだろうか。願わくば、私が果たせなかった夢を果たして欲しい。
参考文章 「日常」と「非日常」の狭間に揺られて |
|
|
|
|
埼玉りそな銀行本川越支店での一首。
思い掛けず、壱万円札を殆ど流通していない弐千円札5枚に両替できた。嬉しさと同時に、弐千円札が発行された2000年をふと回想する。「喜悦」と「回想」という異なった心情が、弐千円札を通して交錯している。
参考文章 「日常」と「非日常」の狭間に揺られて |
|
|
|
躍る旅朝の名古屋は日本晴れ小倉トースト抓む東京人(よそもの) |
|
名古屋駅エスカでの一首。
久し振りの泊まり掛けの旅と言うこともあって、気分は上々。おまけにその日の朝の名古屋は日本晴れ。その朝に名古屋名物の一つ小倉トーストを抓む東京人がいる。
参考文章 食欲旺盛な余所者 |
|
|
|
ゾロゾロと連れるツアーは遠足か縛られる勿れ愛でし晴天 |
|
名古屋駅エスカでの一首。
小倉トーストを抓んでいたら、ゾロゾロ歩いて行くツアー客に出会した。時間に縛られる遠足ではあるまいし。責めて、この晴天を愛でて欲しいものだ。
参考文章 食欲旺盛な余所者 |
|
|
|
|
伊勢神宮外宮勾玉池での一句。
青葉が目立つこの時期。菖蒲で有名な池には、一株も咲いていなかった。咲く時が本当に待ち遠しい。その心境を「躍れ咲く刻」で表現した。
参考文章 菖蒲恋しい外宮 |
|
|
|
|
五十鈴茶屋での一首。
空に泳ぐ鯉幟を見ながら一服していたら、ピューッと燕が飛んできた。鯉幟はその俊敏さを否定するかのように、ノンビリ泳いでいる。日本人ならば、どちらに好意が持てるのだろうか。勤勉美徳の日本人なら、やはり……。
参考文章 平成の娯しき直会(なおらい)(5) |
|
|
|
|
おかげ通りでの一首。
桜が咲き誇る時期の参詣を試みたが、雨で流れてしまった。その後の参詣は、若葉の黄緑色と燕の黒に彩られて、これもまた見事な季節の絵を創っている。
参考文章 陽気と若葉の内宮 |
|
|