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SL「やまぐち」号での一句。
山口線の鍋倉付近は、西国では珍しいリンゴの産地。車窓から見た所、鮮やかな臙脂(えんじ)色の実を付けていた。成程、鍋倉の紅い紅葉は、リンゴの実なのか。
参考文章 SL「やまぐち」号の歓喜絵巻 |
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此処は皆子供になりしSLの手を振る人も無邪気な子供 |
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SL「やまぐち」号での一首。
SLは今となっては珍しい乗り物。乗る方も見る方も嬉しさで一杯だ。車窓からは、SLに笑顔で手を振る人達が一杯いて、車内からも元気一杯に手を振る乗客も一杯いた。年齢は関係ない。此処にいる人達は、無邪気な子供になっているのだ。
参考文章 SL「やまぐち」号の歓喜絵巻 |
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津和野殿町通りでの一首。
此処には、堀があって、鯉が気持ちよさそうに泳いでいる。そういえば、3月の旅行でも、此処を訪れて、この鯉を眺めたな。もし、3月に来た私を知っているならば、私が与えた餌を飲み込む姿が、人一倍愛おしく見えてくるのだ。
参考文章 津和野今昔館(前) |
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東海道本線保土ヶ谷付近での一句。
この付近は横浜市とは思えない程、閑静な住宅街が広がっている。至る所に清流や深い森がある。残暑が残っている時期、何とも涼が育める場所だろう。
参考文章 三島まで(前) |
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東海道本線での相模川通過時の一首。
残暑が残っている9月の初旬でも、夏の風物詩の一つ、水上スキーを嗜んでいる姿を見掛けた。9月に入っても、自分なりに夏を追い求めている姿は格好いい。8月が終わっただけで、「夏が終わった」と解釈出来ない。そんな気持ちで、水上スキーの軌跡を目で追っているのだ。
参考文章 三島まで(後) |
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グリーン車で優雅に涼めば蝉の声斃れるときまで栄華極めん |
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早川駅停車時での一首。
開いているドアから蝉の鳴き声が漏れてきた。この時期になると、蝉の生涯が終わりを告げる。数年も幼虫のまま地中に潜んでいて、いざ成虫となって、大いに鳴ける時はほんの僅か。その運命でも、蝉は斃れるその時まで、栄光を極めたい気持ちが鳴き声で伝わってくる。
因みにこの短歌の「とき」は、「今の季節 秋」と「斃れる 時」を掛け合わせた。
参考文章 三島まで(後) |
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楽寿園での一句。
園内は蝉時雨が響いているが、蝉の亡骸も一杯転がっていた。ふと足元を見ると、数匹の黒蟻が、蝉の翅(はね)をせっせと運んでいた。もう、夏の暑さは終わりだ。涼しい秋がやってくる。
参考文章 楽寿園・三島郷土資料館 |
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三嶋大社での一句。
その句の通り、残暑厳しい日に三嶋大社に参詣した帰りに、総門の近くの売店でかき氷を頂いた。炎天下で参詣したお陰だろうか、かき氷が余計に旨い。
参考文章 三嶋大社 |
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熱海海岸での一首。
夏の盛りが終わり、これから涼しくなり始める9月の熱海海岸に、数人の若者がビーチバレーを娯しんでいた。外は徐々に黄昏れ始める5時過ぎだが、歓喜を挙げて、娯しんでいる姿が何とも明るかった……。
参考文章 黄昏の熱海海岸 |
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