旅人の和歌帳 2


 曇り空何処が果てかと空を見る晴れ間を望む遠き旅路か
 千葉駅での一首。
 折角の景気付けなのに、天気が余り思わしくない。雨が降る心配はないが、空に蔓延って(はびこって)いる曇り空の果ては、一体何処なのかと空を眺め、スカッと晴れる事を願う。

 参考文章 春の訪れ、此処に無し
 幕の内頬張る朝の心地良さ今日も頑張る意気込み強し
 千葉駅での一首。
 外房線経由の列車を待っていた時、隣に座っていたおじさんが、朝から豪快に幕の内弁当を頂いていた。今日一日を悔いのないように過ごそうと、意気込みの強さが感じられる。

 参考文章 春の訪れ、此処に無し
 晴れ薄く遠くの海と春便り春かと疑い眼鏡を矯す
 外房線乗車時での一首。
 晴れていないので、遠くに見える海とチラホラ見える黄色の菜の花が良く見えない。本当に春なのかと疑って、眼鏡を掛け直す。

 参考文章 春の訪れ、此処に無し
 群れを成す真鯛の姿シャッターを押す間難し春の海かな
 鯛ノ浦での一首。
 舟が留まり、いよいよ鯛とのご対面に胸を躍らすのだが、鯛の姿が何処にも見られない。漸く黒い魚が鯛だと気付き、早速シャッターを押すのだが、どうも絵になるシーンが掴めない。そんな小湊の春の海である。

 参考文章 鯛ノ浦と題目
 田舎駅夕焼け小焼け春の旅
 太海駅での一句。
 太海駅は、偽り無しの田舎の駅の雰囲気がある。丁度、此処に降り立ったのは、夕焼けが近い頃だった。隣の安房鴨川は特急の発着地と言う事もあり、賑やかなのだが、太海は鈍行しか通らない鄙びた(ひなびた)駅のまま。そんな静かな空間で、夕焼けを迎えようとしている。

 参考文章 昭和テイストの太海
 仁右衛門の岩場に立ちて南の浜風強し菜の花匂う
 仁右衛門島での一首。
 仁右衛門島には様々な歴史が秘められている。その中でも神楽岩は日蓮大聖人にゆかりがある。その岩場に立つと、南からの浜風が吹いてきた。嗚呼、いよいよ春が近付いてくるのだな。
 「菜の花匂う」は、春を強調する為に付け加えた。

 参考文章 仁右衛門島(後)
 五月晴れ雅楽に浮かれる旅の脚
 躑躅散る哀れを悼む雅楽かな
 伊勢神宮内宮雅楽殿での二句。
 躑躅(つつじ)が咲いている時期に、内宮に参詣した。その時、聴き慣れない雅楽が流れてきた。優雅な雅楽に、つい聴き入ってしまいそうだ。しかし、枯れている躑躅がある時は、その短さを哀れみ悼む曲に聞こえてしまう。

 参考文章 旅人よ、雅楽に浮かれよ(伊勢神宮 内宮)
 庭園の植木の緑も鮮やかに周りに映ゆる躑躅の紅
 白い石躑躅の紅に葉の緑黒も彩る燕の親か
 五十鈴茶屋での二首。
 この時期は5月の末で、躑躅(つつじ)が咲いていたので、詠んでみた。
 上の短歌は、その通り、植木の緑が鮮やかになっている分、躑躅の紅が一層映えている様子を詠んだ。
 下の短歌は、植木の緑と躑躅の紅の他に、庭の白い小石に、燕の親の黒が加わり、何とも賑やかな装いの5月を謳っている。

 参考文章 躑躅咲く庭園で一服
 池ノ浦辺の小さな臨時駅過ぎ去る列車出番を忘れ
 池の浦シーサイド駅での一首。
 この駅は臨時駅で、営業してしない時は、海の辺の静かな駅になる。その時の列車は、此処に停まる出番すら忘れて、通過している。

 参考文章 池の浦シーサイド
 漣が寄せては返す池ノ浦浦に消えたり夕立の騒々
 池の浦シーサイド駅で作った一首。
 池ノ浦はその名の通り、波が穏やかであることから名付けられた。そんな池ノ浦に漣が立ち、寄せては返している。丁度夕立が来た所だが、そんな雨の音すら掻き消してしまう程、池ノ浦は大変穏やかな所なのである。

 参考文章 池の浦シーサイド


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