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来宮神社から熱海梅園に向かう途中の坂に、柑橘類が生っていたので詠んだ。良い香りがして、良い頃合いに熟しているかと、その場に立ち止まったが、他人様の土地故、勝手にもぐことは出来ず、ただ眺めるだけの悔しさを詰めた。
参考文章 いざ、梅園へ! |
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熱海梅園での一句。
梅園を歩いていると、にわか雨に当たった。紅白に色付いている梅に降る雨。冷たい色ではなく、梅と同じ紅白に色付いて見える。
参考文章 熱海梅園 |
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熱海海岸での一首。
東京より一足早い春を迎えた熱海。熱海海岸では多くの観光客が訪れている一角では、子供達が砂遊びをしている。山やら隧道やら造っている様は、三十路に突入する私から見れば、何とも無邪気だ。そんな子供達でも、何時かは大人の世界に入る。理不尽が罷り通っている世界を知らない内は、一番幸せなのかも知れない。
参考文章 花見の〆の熱海海岸 |
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四街道通学学生犇めいて垂れし稲穂にここに秋知る
新学期列車を騒がす学生等黄金の稲穂に話弾ます |
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総武本線四街道付近での二首。
通学途中の高校生が犇めいて(ひしめいて)いる車内から、外を眺めると、水田の稲穂が実を付けて垂れている。此処四街道に秋が来たことを、個人個人の感覚で感じるのだ。
因みに上の短歌の「ここ」は、「各々の 個々」と「この場所 此処」を掛け合わせた。
下の短歌は、新学期が始まってすぐの、列車を賑わせる学生達。黄金色の稲穂をチラチラ見ながら、あれこれ話を弾ませる。
参考文章 新型車両の成田線 |
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成田線滑河駅での一首。
近くの商店の前に、何処からか野良猫達がやってきて、車座になって座っていた。もしかしたら、今夏の思い出話をしているのだろう。
参考文章 新型車両の成田線 |
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鹿島神宮での一首。
要石を巡っていると、蝉の声に混じって虫の声が聞こえてきた。成田線沿線で見掛けた収穫を知っている私には、ふと秋の涼しさを感じるのだ。
参考文章 鹿島神宮(後) |
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鹿島神宮御手洗池での一首。
汲み入れた御手洗池の水が零れて、手に掛かった。この池の特徴は夏は冷たく、冬は温かい。一瞬の冷たさで、この時期はまだ夏の範疇にあるのかと思わせてくれる9月の旅である。
参考文章 鹿島神宮(後) |
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絵葉書もテレカも無かりし鹿島にて詣りし跡無しメール打つ気無し |
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鹿島神宮門前の土産物屋での一首。
参詣記念に絵葉書とテレカを買おうとしたが、需要がないと言うことで無かった。今はケイタイで済ませてしまう何処か薄情な時代。鹿島神宮参詣の証拠も無く、「参詣した」というメールも打つ気も無い。
参考文章 目指すは、国のとっぱずれ銚子へ |
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ノンビリと事に勤しむこのゆとり駅も車内も秒針を知らず |
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銚子電鉄の一首。
此処観音駅では、駅員も乗客も全く忙しく動いてなく、ただ田舎の駅の長閑(のどか)さが流れている。それは、車内も同じ事。いちいち時計とにらめっこしたり、そわそわしている人なんか何処にもいない。まるで、此処の時計には秒針が無いかのようだ。
参考文章 銚子電鉄観音駅 |
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秒入らぬ駅で休みし秋風に絶えず吹かれるたこ焼きの湯気
たい焼きの湯気を熱がる秋の晴れ |
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銚子電鉄観音駅での一句と一首。
此処銚子電鉄では、秒針が要らない程長閑(のどか)な雰囲気が漂っている。
上の短歌は、そんな観音駅で一休みした時に頂いたたこ焼きの温かい湯気が秋風に吹かれている。
下の句は、観音駅の名物たい焼きを頂いた時、モワッと溢れる湯気を熱がっている秋晴れの旅の空を詠んだ。
参考文章 銚子電鉄観音駅 |
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