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命日近くの墓参りでの一首。
前日に揃えた供物を持って、墓参りに出掛けた。昔は親戚揃って行ったのだが、その親戚と別れて、今はゆかりのある私だけが墓参りに出掛けている。墓参りに出掛けることは孝行の一つだが、私一人だけでは、寂しさがある。
参考文章 墓参りの後の梅まつり |
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命日近くの墓参りでの一首。
墓参りに出掛けて、墓前を見ると供花が妙に鮮やかだった。すると、私は別れた父を思い出した。父方の親戚が訪れていたのだ。間接的に知る無事を認めた。
参考文章 墓参りの後の梅まつり |
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上野駅常磐線ホームの立ち食いそば屋での一句。
そばを啜っていても、目は春の便りのイベントの広告に向けられている。そう、(偕楽園の)梅まつりだ。待ち切れない春の到来だ。
参考文章 ちょっと上野で寄り道し、いざ、偕楽園へ出発! |
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常磐線高浜駅停車時での一句。
田畑の畦に細い紅い梅の木が咲いていた。その近くには、枯れた芒(すすき)があった。春の訪れを感じさせる梅を見に行く途中なのに、季節に取り残された気がしていて寒そうだ。
参考文章 常磐線モンタージュ(上野〜土浦) |
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水戸偕楽園での一句。
紅白の梅が咲き誇っている水戸偕楽園。それを愛でながら春の訪れを知るのは、平和の証とも言えよう。
参考文章 偕楽園と平和 |
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水戸偕楽園にある好文亭での一句。
梅が咲いていて、春の訪れを知る事は出来たのだが、この後訪れた好文亭は長蛇の列で、私が一番嫌いなゾロゾロ歩きが待っていた。幾ら、旅好きとは言え、自分の旅が出来ないゾロゾロ歩きは嫌いだ。
この句は、成田出身の女流歌人三橋鷹女の「夏痩せて嫌いなものは嫌いなり」を参考にさせて頂いた。
参考文章 好文亭 |
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鹿島臨海鉄道乗車時での一首。
「臨海鉄道」の名前通り、海が見えるのかと思い、水戸から鹿島臨海鉄道に乗車した。しかし、見えるのは鹿島の田園風景だけで、肝心の鹿島灘は全く見られなかった。あの森の向こうにはきっと鹿島灘がある筈だけど……、そんな事を思い徐々に黄昏れる鹿島の田園風景を眺めながら、帰路に就く。
参考文章 黄昏の鹿島臨海鉄道 |
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鹿島臨海鉄道新鉾田付近での一首。
山の間を貫く一本道を辿ると、近くに街の明かりがチラチラと見えてきた。目で追うと近くに見えるが、いざ歩いてみると、遥かなる道程になってしまう。あの灯りが恋しくなってしまう。
参考文章 黄昏の鹿島臨海鉄道 |
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中央本線藤野駅での一首。
藤野駅には駅名の通り、藤棚が置かれていて、青空の下多少咲いていた。そんな藤の色が、青空の色に似ているように見える。
参考文章 中央東線経由の帰省 |
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中央本線笹子駅での一首。
甲州街道の難所笹子峠。その峠を列車が隧道を使って疾走している。その列車の中で旨そうに菓子の餅(くず餅)を頂いている。峠を越える昔の旅人の苦労が、いまは隧道で楽に行ける。そんな余裕もあって、難無く菓子の餅が頂けるのだ。
参考文章 中央東線経由の帰省 |
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