旅人の和歌帳 8


 春飾り芽吹きし築地の中華そば春便り流すラジオ嬉しき
 上着脱げて素直に愛でし中華そば丼の縁に桜入りたり
 碧空の朝餉に旨し中華そば桜吹雪に頂く手止む
 築地場外市場のでの三首。
 漸く桜が開花し、春本番。その時期の築地で中華そばを啜っていると、春の便りを流すラジオに思わず微笑んでしまう。
 春本番、いよいよ此処でコートが要らなくなるほど暖かくなることが嬉しくなる。「中華そば丼の縁に桜入りたり」を用いることで、春の到来の嬉しさを強調した。
 スッキリとした晴れ空の築地で、中華そばを啜っていたら、桜吹雪の陶酔で頂く手が止まってしまった。

 参考文章 桜舞う築地の中華そば
 勝どきの姿を見せぬ都鳥家庭の許かと驚く年月
 かちどき橋での一首。
 昔、かちどき橋を訪れていたら、都鳥が多く止まっていた光景を目にした。今日も会えるかなと思っていたら、1羽もいなかった。もしかしたら、この間に、家庭を築いてもう此処に来なくなってしまったのかと、寂しさが広がる。

 参考文章 かちどき橋と都鳥
 朝餉後の桜吹雪の夢の島幻惑に酔ふ今は現か
 桜散る温む春風碧い空
 夢の島公園での一句と一首。
 築地での朝餉の後、夢の島公園を散歩した。緑豊かな園内で桜と出会った。真逆、此処で会えるとは思わなかったので、立ち止まってその桜を暫く眺めた。本当に春が来たのだなぁ。
 夢の島公園で見た春本番の光景を、「桜散る」と「温む春風」で表現し、「碧い空」で爽快感を添えた。

 参考文章 春の夢の島公園
 また碧き稲毛の空は迎えたりあの日の感動粧ひ変わらず
 また碧き稲毛の空に酔ひしれて旅に赴く得しに微笑む
 稲毛海浜公園での二首。
 1995年3月の旅で、稲毛海浜公園を訪れた時、今まで見たことのないスッキリとした青空に出会ったことが嬉しく、此処に来る度、その碧い空に再会できたらいいなと思っていた。そして、今回も再会できた。あの日と何一つ変わらない碧い空で。
 その碧い空を仰ぎながら、旅ができたことに微笑むのだ。

 参考文章 青空に映ゆる桜
 青松の生長麗し春の海あの日の眺望逢えぬ還らぬ
 稲毛記念館での一首。
 3階の展望台からは、かつては眼前に広がる東京湾が見えたのだが、今は青松の樹海が広がっている。何時の間にか、此処まで生長できたことは嬉しいが、あの日に見た東京湾の眺望はもう見えない。

 参考文章 稲毛記念館で見た青松の樹海
 春晴れの芝生で遊びし家族連れ穏やかな海の芽吹きし青松
 稲毛記念館での一首。
 3階の展望台から、左に見える芝生で遊ぶ家族連れを見掛けた。そして、荒波立たない穏やかな海を取り囲んでいる青松が芽吹き始めていた。春の光景の一コマを詠んだ。

 参考文章 稲毛記念館で見た青松の樹海
 漣の寄りて抱かれ砂浜の成せる恋路に愛でし青空
 春の浜漣に逝る海月かな
 いなげの浜での一句と一首。
 漣が押し寄せて砂浜に融け込む姿は、男女の抱擁によく似ていて、何処か恋の成就を彷彿させる。それを認めるかの如く青空が広がっている。
 その砂浜に打ち上げられた1匹の海月(くらげ)。そのまま海に戻れずに、此処で逝るのだろうか。

 参考文章 潮騒とあんパン
 様々な思ひ出刻む防波堤あの日を偲べ再来の時
 いなげの浜での一首。
 防波堤には別れを惜しむ文、渾身の愛を綴った文、そして、永遠の愛を誓った文等が多くあり、これらを眺めているだけでも、色々な思ひ出が交錯しているのがよく判る。果たして、此処に再来して、文を綴った日を偲べる時は来るのだろうか。

 参考文章 潮騒とあんパン
 千葉みなと鴎が追ひし観光船我と出逢ひし女子と思へば
 千葉みなと鴎の主が船ならば相思相愛奮ひし情熱
  千葉港観光船での二首。
 この観光船が出発する度に、多くの鴎がやってくる。そして、暫くは観光船の周囲を飛び交う。まるで、観光船を恋人としているかの如く。その様から、今までの人生で出会った女性が鴎となって、観光船に乗っている私の許へ飛び交っているように見えた。自然に、長き年月がふと脳裏を過ぎる。
 暫く、観光船の周囲を飛び交う鴎。相思相愛のようだ。そうとなると、私は新しい出逢いを求めようと、自ずと情熱の炎が滾ってくる。

 参考文章 観光船から見る色々な光景
 海風に吹かれて揺れる観光船これまた娯しと興奮一入
 千葉港観光船での一首。
 風のやや強い日に出航した観光船。海風に吹かれて揺れ始めた。観光船から港内を眺めるのは醍醐味だが、こうして船の揺れも娯しむのも面白いのだ。

 参考文章 観光船で3つ目の娯しみを見付けて


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