2008年9月6日 鹿島神宮と港町銚子

(2008年9月6日) 一番電車からの旅行

 の日は、珍しく午前4時10分前に目が覚めた。今日は土曜日で休日。何時もなら、冷蔵庫に冷やしてある麦茶を軽く呷って、又布団に潜り込むのだが、折角の休日だ。出掛けるとするか。すると、10年前から何度も訪れた銚子が浮かんできた。去年は、鬱やら資金難やらで行けなかったので、今回行くとするか。丁度、旅行資金が10000円程度ながらあるし、この原油高で大打撃を被っている漁港の街に陣中見舞いをする為に。
 洗面所で濃いめの髭を剃り、3ヶ月弱伸ばしていた髪に、ハードジェルを染み込ませ、身なりを整えて、唱題(題目を唱える事)を済ませて、夜明けの八王子を発った。何度も訪れている故、ガイドブックなしでも銚子を歩けるから、意外に鞄は軽かった。しかし、帰路になると、日帰りながら思い出が一杯詰まってくるから何とも面白い。
 時35分。幾度となくダイヤ改正されたが、相変わらず八王子駅での中央本線上り電車の一番電車がこの時刻。皮肉にも、隣の豊田では4時28分が一番電車の時刻。この電車に乗りたいのだが、如何せん手段が徒歩だけ。仮に行くとしても、30分は掛かるので非効率だ。
 一番電車は立ちんぼは居なかったが、座席は2割程埋まっていた。流石は東京だ。新宿は不夜城と言われているが、八王子もその範疇なのか?
 まず、私は寝る事に専念した。幼少時から早起きが得意な事は続いているが、流石に僅少な睡眠時間を摂って、夜明けの街を眺める程の体力は、三十路になったら聊か(いささか)きつい。実際に気分を悪くした事もあったから、此処は大事を取って、東京到着迄睡眠を摂るとするか。各駅停車だから、所要時間は日中運行している快速よりもある。4時35分の一番電車が東京に到着するのは5時45分で、1時間10分もある。良い睡眠時間だ。寝るか……。
 東京から総武快速線で千葉に向かった。6時41分到着。普段なら、朝餉を摂っている時間だ。此処で調達するか。しかし、余り猶予は無い。実は、成田線経由銚子行きの列車が6時45分に出るのだ。41分到着で45分出発という、何とも時間に追われる行程だ。私の旅では絶対に避けたい行為なのだが、これにはキチッとした理由がある。そんなに急く事はない。まだ4分もあるではないか。しかも、今日は休日だよ。下り列車が平日みたいに混雑する訳はない。座れる自信はある。
 東京に向かう途中にふと思った。このまま銚子に向かうのは、9時前後で早過ぎる。何処か寄り道が出来ないかと思っていたら、JR鹿島線が浮かんできた。4月28日の旅行で、エアポート常磐に乗車して、我孫子〜成田を走破した時、千葉県内で残りの路線を調べたら、JR鹿島線の香取〜十二橋に気付いた。丁度、終点が常陸一宮の鹿島神宮だったので、行ける時機を窺っていたのだ。そうだ。先に鹿島神宮に参詣するか。という事で、JR鹿島線の発着地点の佐原に向かう6時45分の列車に乗る事にしたのだ。こんな時に巡ってくるとはね。
 て、朝餉を調達するかと、階段を下りて連絡通路を歩くと、いきなり駅弁屋に出会した。オッ、良いタイミングだ。駅弁を選べる時間が僅かながら出来た。此処で、卵と肉がそぼろ状になって、ご飯の上に互いに散らして、その境目に串に刺された浅蜊の佃煮が載っている「菜の花ちらし」を頂くのだが、今回はちょっと嗜好を変えようか。と、別の駅弁を調べる。すると、「焼肉弁当」に目が止まった。焼肉の量も手頃だし、これにするか。580円也。序でに温かい緑茶を買う。寒い訳ではないが、何時も朝餉に紅茶を飲んでいるから、身体を労る意味合いがある。三十路になると、無茶苦茶に飲食すると、結構身体に響くので、此処から体調に気を遣いたい。
 店員のおばさんの「行ってらっしゃい」の温かい見送りを受けて、早速成田線ホームに向かうと、唖然とした。特等席であるセミクロスシートが何処にも無い、ロングシートだけの新型車両だった。一気に疲労が溜まった。東京と同じロングシートでは、旅情が殆ど湧かない。湧いてくるのは通勤風景だけ。嫌だなぁ。折角駅弁を買ったのに。セミクロスシートに座って、駅弁を抓むのが、旅行に出掛ける時の金科玉条だとしていたのに。でも、これに乗らなければ、鹿島神宮と銚子の旅行がおじゃんになるので、嫌々乗車した。着席できたのは幸いだが。
 何処で、駅弁を抓めばいいの?



(2008年9月6日) 新型車両の成田線

 内は通学途中の高校生達が多かった。今日は半休日なのか。そうだとしたら、放課後は千葉市内や幕張にでも繰り出すのかな。私の時代には当たり前のようにあった土曜日の半休日が、今になっては希少価値の高い日になってしまった。平日では物足りない時間が、土曜日になると、有り余って大いに遊べるのだ。小学生でも中学生でも、そして高校生でも、充実したプライベートが送れるのは、やはり午後なのだ。有意義に過ごし給え。
 車両基地を過ぎてまもなく、東千葉に到着する。東千葉は千葉市市街の外れにある。民家や商家が並んでいるが、場末特有のうら寂しさが目立つ駅。
 都賀は東千葉と較べるとマンションもあり、モノレールもあってかなり拓けていて、東京と千葉市のベッドタウンだが、その間は雑木林や小さなモーテル、更には小さな畑がある民家がある田園地帯が広がっていて、変化に富んでいる。そう言えば、外房線の鎌取付近もそうだな。都会と田舎が混在する政令指定都市は、関東では千葉市位だろう。
 賀を抜けると、いよいよ千葉市を出て、四街道市に入る。この辺になると田畑が多くなり、実を付けた稲穂が青い田圃の中に黄金色を放っている。房総の大都会千葉駅から7.7キロ走っただけで、こんなに違うとは。今年は、酷暑に大雨と踏んだり蹴ったりだったが、無事に収穫できそうだ。食糧自給率アップに必死に取り組んでいる最中だ。無事に我等の口に入るように祈るとするか。
 四街道付近で、とうとう駅弁を抓み始めた。良い具合に空腹になったのと、通学途中の高校生達が、静かに朝餉のパンやおにぎりを頬張っているから。此処で駅弁を抓んでも、冷視される事はないだろう。
 「焼肉弁当」はその名の通り、ご飯の上に焼き肉が載っている単純明快な駅弁だ。その合間に人参とタケノコの煮物を抓んで。ひょっとすると、この具材も千葉県産なのかな。
 此処で二首。
 四街道通学学生犇めいて垂れし稲穂にここに秋知る
 新学期列車を騒がす学生等黄金の稲穂に話弾ます

 田に着いた。この駅で車内の半数が下車した。勿論、通学途中の高校生達も全員下車した。成田高校の学生なのかな?
 此処で時間調整の為に10分以上停車するので、下車した。お手洗いを済ませてから、ホリデーパスを改札に通した後、鹿島神宮迄の切符を買って、通した。成田はホリデーパスの有効範囲内の端で、成田以遠に向かう時は、新たに目的地までの切符が必要になる。鹿島神宮駅でも精算は出来るのだが、鹿島神宮駅での精算時間や成田での10分以上の停車時間を考慮すると、時間の有効利用になる。実際、成田で降りても、新勝寺に向かうには時間が少ないし、鹿島神宮での時間を確保したいのだ。
 して、先程乗った電車に戻ると、先頭の席が空いていた。2人掛けの席だが、此処に私が座って鞄を載せると、良い具合に収まるのだ。よかった。セミクロスシートのようには行かないが、これで漸く旅行の雰囲気が出てきたぞ。
 その雰囲気は車窓にも出てきた。田畑が民家よりも多くなってきて、至る所でコンバインで稲刈りをする農家もチラホラ見られて、夏は既に過ぎ去ったと告げている。稲刈りがまだの四街道はまだ夏の範疇にあるのかな? 時折鳴る警笛も、騒音ではなくなってくる。もう、ここら辺になると、お出掛けは東京というよりも千葉市内になってしまいそうだ。
 河に到着した。列車の行き違いで、数分停車する。
 小綺麗な白い壁と門がありながら、中は雑草に被われている邸宅の隣に、開店前の商家があって、近所の野良猫が5匹程車座になって集まっていた。一体、何をしているのだろうか。今年の夏の思い出話をしているのかな。そんな光景を写真に収めようとすると、ドアが閉まる音がして、ドアに駆け込んだ。その時は閉まっていて「しまった」と口を噤んだが、すぐに開いて、事無きを得た。先頭車両の一番前に陣取っていて、運転手の目が一番届き易かったのが救いだった。
 此処で一首。
 駅前で野良猫達の集会は去りし今夏の思ひ出話



(2008年9月6日) JR鹿島線

 原で、JR成田線からJR鹿島線に乗り換えた。乗り場は行き止まりになっている0番ホーム。方向幕は「鹿島神宮」と出ている。これだ。
 乗車すると、座席が埋まっていたJR成田線に乗った後もあり、1両に2〜3人しかいないJR鹿島線が、取り残されたローカル線のようで異様に見えた。佐原発着のJR鹿島線が、行き止まりのホームに停車しているのも、変に頷ける。
 車体は(藍色とベージュのツートン)スカ色の113系で、セミクロスシートがある。漸く、セミクロスシートに座れたよ。その安堵が勝って、靴を脱いで向こう側の座席に足を伸ばした。時間にすると、1時間20分も要した。もう朝餉の駅弁も抓んだ後だし、此処はCDでも聴くか……。
 車まで少しあるので、景色を見ていたら、駅と隣接している美容院の電光看板に目が行った。そこには、美容院の営業時間や定休日がズラズラと出ていたが、最初に、「おはようございます。行ってらっしゃい」と出てきたのが、何とも嬉しい。無造作に店舗の内容が流れる広告とは違って、佐原駅を利用する人達に、「今日も頑張って」と声援を送っているように見える。よぉし、始めて参詣する鹿島神宮と、2年振りの銚子だ。有意義に過ごそうではないか。
 無言の励ましを得て、佐原を発った。
 取駅は、その名の通り下総一宮の香取神宮が鎮座している場所だが、どうも交通手段は隣の佐原駅から発着するバスが良いと出ている。しかし、香取駅の沿線案内には、キチンと香取神宮の案内が出ているが、此処から2キロと出ていた。そう言えば、周りを見回しても、神宮らしい建物は見当たらず、香取市の田園地帯にポツンとある小さな駅だった。香取駅は両線の分岐駅であるのだが、その機能は全て佐原駅に取って代わられている。まぁ、平成の大合併で名前が消えてしまった佐原市を取り上げると、折半という気がするけど。ただ、駅舎が香取神宮ということもあって、朱色が眩しい寺社風の建物だったのはご愛嬌だ。これも、機会があれば参詣するか。
 R鹿島線は、此処から大きく北へカーブし、利根川を渡る。私は暫く、東に進むJR成田線を見送った。その線路は、所々に青い雑草が生えていて、都会の整理整頓が行き届いている線路を見慣れている私には、苦笑してしまいそうだ。それだけ栄養価が高い土の上に敷かれているのだろう。
 立派な鉄橋で利根川を渡った。久し振りだな。小学校での遠足で利根川に行ったきりだったな。埼玉と群馬の境を為す利根川が、千葉の野田辺りで江戸川と岐れて、千葉と茨城の境を為して、最後に千葉の銚子と茨城の神栖(かみす)の境を為して、太平洋に流れ出るのだ。遠足での利根川の雄大さは、すっかり朧気になっているが、何時の間にか、こんな大河に容貌を変えていたとは。此処で、小学校時代の平和な時を回想するのは、聊か(いささか)所か本当に無理だ。どうも、三十路になっても、平和な一時を回想する癖は直らないな、コリャ。それ程、当時は平和だったのだ、嗚呼。
 二橋に着いた。ホームの待合室がそのまま駅になっている。地方によくある駅だ。しかし、水郷の観光地として名高い潮来(いたこ)の影響もあって、待合室は家屋風で、明朝体で「JR十二橋駅」と書かれている都会の闇雲に機能を集中させた煩雑極まりない駅舎とは違って、ちょっと凝った造りになっていて面白かった。JR鹿島線で千葉県最後の駅だ。そう。さっきの利根川は、此処では県境を為していないのだ。それじゃ、何処が県境なのだ。少々お冠になりそうだが、少々時間を頂けば、その県境が判るよ。鹿島神宮に参詣するんだよ。些細な事で苛立つなよぅ。
 十二橋を過ぎると、又大きい川を渡る。霞ヶ浦を源流にしている北利根川(常陸利根川)だ。対岸が潮来だ。実は、この川が県境なのだ。十二橋だけが、利根川流域の中で北にはみ出ているのだ。
 ると、十二橋界隈では見掛けない大きなホテルが林立していて、駅前は大きなタクシープールが見えて、水郷の観光地潮来だと素人目でもよく判る。潮来といえば、菖蒲(あやめ)が有名だが(特急の愛称にもある)、今は9月で閑散期だから、ホテルは暇を持て余しているのだろう。先程のホテルもカーテンが締めっぱなしで、人の気配が感じられなかったし、駅前も往来が無かった。そして、何よりもこの列車のガラガラの様がそれを物語っている。
 延方(のぶかた)を過ぎると、いよいよ鹿島神宮に到着する。8時37分。4時間2分鈍行に揺られての到着だ。これを東海道新幹線に充てると、東京〜新大阪に相当……、いや速度と時間に翻弄される現代人の思考は、此処では巡らせたくない。



(2008年9月6日) 鹿島神宮駅から




 鹿島神宮。関東近辺でも有名な神社だ。それもその筈、そのまま駅名になっているから。
 さて、そんな経緯だから、駅周辺もそれなりの街並みになっているのかと思いきや、何処にも神宮らしい厳かな雰囲気は無く、マンションや大型パチンコ店や量販店が並びながら、まだあちこちに空き地が目立つ鹿嶋市の中心部にある高架駅だった。それならば、駅舎は先程の香取駅同様寺社を模しているのかと思いきや、駅の造りも無骨なコンクリートが剥き出しになっていて、しかも屋根の塗料が色褪せして、清潔感が薄い相当年季が入っている駅舎だった。昭和45年に開通した路線だから、当時のままなのかも知れない。当時はモダンな駅舎でも、40年近く経つと古さが矢鱈目立つようになってくる。しかも、ホームはおろか駅構内にも売店は無く、これが鹿島神宮の玄関口なのかと、呆れてしまう。JR東海道本線の三島駅(三嶋大社)やJR山陰本線の出雲市駅(出雲大社)でも、見習うべきだろうね。
 その向かい側には鹿島臨海鉄道が停まっていて、これが大洗を経由して水戸に向かうのだ。その途中に(臨時駅になるが)鹿島サッカースタジアム駅を通過するのだ。実は、JR鹿島線の本当の営業路線は香取〜鹿島神宮ではないのだ。鹿島サッカースタジアム駅もJR鹿島線の駅なのだ。しかし、試合開催日のみの営業なので、この駅に降り立つのは、鹿島アントラーズのスケジュールを見なければいけない。
 から鹿島神宮へは、親切に案内板が出ていた。観光案内所を併設しているバスターミナルを過ぎ、宇宙船をあしらった閉店したパチンコ屋を後目にすると、煉瓦の花壇が続く上り坂に入る。水が流れる場所もあるが、生憎水は無かった。上り坂を登り、一休みする為のベンチが置かれている此処が入口だ。厳かな雰囲気は無い。所々に畑があるベッドタウンのような親しみがある。時折、蝉の鳴き声が聞こえるが、半袖のシャツを着ても蒸し暑さは殆どないし、畑の方では収穫を迎えている所もあり、夏が終わる時期を知らせていた。夏の終わりを、この目で確かめられた。昨夏も今夏も余り娯しめなかったが、良い仕事に有り付けたから、来夏はきっと充分に娯しめるように頑張るか! 此処では、景気付けに参詣するとするか。
 り坂を暫く歩くと、銅像が見えてくる。鹿島出身の剣豪塚原卜伝だ(つかはらぼくでん)。塚原卜伝は戦国時代の剣豪で、伊勢を治めていた北畠具教(きたばたけとものり)や、室町幕府13代将軍足利義輝(あしかがよしてる)にも剣の手解きを伝授したと言われる。そう言えば、時代劇の剣術道場によく「鹿島大神宮」や「香取大神宮」と書かれた幕を見掛けるけど、これは恐らく塚原卜伝の偉功にあやかろうとしているのだな。私も少しだけあやかりたいと、銅像に一礼した。それじゃ、もう片方の「香取大神宮」は一体誰にゆかりがあるのだろう?
 く歩くと、民家の中に入るが、鹿島神宮に通ずる十字路に出ると、一気に様相が変わる。飲食店と土産物屋がズラズラ並んでいる。此処で漸く鹿島神宮らしい光景が見えてきた。が、時間が早過ぎたのか、店はまだ閉まったままで、賑やかな往来は無かった。時計を見ると、まだ9時にもなっていない。精々、朝の散歩に参詣している程度。景気付けにしては寂しい気がするが、先程の塚原卜伝で寂しさを断ち切ったから、足取りは軽かった。しかも、こんな広い道を堂々と歩けるのだから、気分も良くなってくる。行進曲が掛かれば、最高潮を迎えそうだ。

 上2枚は鹿島神宮駅のホームと駅舎。
 中は塚原卜伝の像。
 下は鹿島神宮門前。



(2008年9月6日) 鹿島神宮(前)



 鳥居の前で、ボランティアで鹿島神宮の案内をする人と、掃除しているおばさんに朝の挨拶を交わして、大鳥居を潜った。久し振りの旅行ということもあって、挨拶が自然に出てくるし、交わされるのも気持ちが良い。天気は曇りだが、グッドタイミングで参詣できたな、コリャ。
 御手洗場で浄めて真っ直ぐ歩くと、鬱蒼(うっそう)とした森が続いていた。本殿は何処? 目を凝らしても、神殿らしい建物は無い。それでも、土が剥き出しながら道が続いているではないか。此処も鹿島神宮なのかと、周りを調べても、後ろに神殿があるだけ。まさか、此処が本殿なのか?
 近くの案内を頼ると、やはりそうだった。鹿島神宮の本殿は、大鳥居を潜って僅か1分で到着するのだ。コリャ、良い散歩道になるわ。私はてっきり、あの先程の道の奥に鎮座しているのかと思っていた。歴史が深い伊勢神宮や三嶋大社は(勿論、鹿島神宮も)、一番奥に鎮座しているのだが、どうしてなのかな。住宅地が近くにあるから? 駅から近いから? どうも、現代的な事情が盛り込まれているとは思えないな。それでも、江戸幕府2代将軍徳川秀忠や先程の塚原卜伝(つかはらぼくでん)にゆかりのある由緒ある寺社なので、くれぐれも軽々しく参詣しないように。その証拠に、NHK大河ドラマ誘致のキャンペーンを社務所で行っているのだ。モデルは勿論、塚原卜伝だ。もし実現できれば、一体、どんなドラマが出来るのだろう。必ず、鹿島神宮を入れておかないと、無礼に成り兼ねない。
 それにしても、あの奥には何があるのだ。お神籖の結果はさておき、私は引き寄せられるまま、先程の鬱蒼とした森の中に入っていった。
 今の門前は至って静かだが、此処はそれ以上に静かだった。そんな空間に、一体何があるのだ?
 鹿島神宮に関係が深いのは、徳川秀忠や塚原卜伝だけではない。或る動物にもゆかりがあるのだ。その動物とは、何と鹿なのだ。そう、動物の鹿だ。寺社に動物とゆかりがあるのは、珍しい話だ。よく知っているのは、奈良東大寺の鹿だが、わざわざ奈良を訪れなくても、鹿島神宮に行けば鹿に出会えるのだ。その証拠に先程の門前には、鹿の像が置かれているのだ。宜しければ、記念写真に一枚どうぞ。
 の途中にある鹿園だ。奈良と違うのは、放し飼いにはされず、キチンとした檻に囲んで飼育していること。それでも、広場や小屋は相当広く、ふれあいを持たせる為に、檻には餌やりの為のスペースが空けられている。しかし、9時近くの時点では、まだ鹿は一頭も出ていなかったし、近くの茶店はシャッターが閉められていた。景気付けにも拘わらず、8時37分到着は何処か損した気がする。帰りにもう一度立ち寄るか。
 て、その帰り。鹿も歩き始めているし、近くの茶店も開店準備をしていた。
 写真を撮ろうと、柵にレンズを置いたが、何とカメラのレンズに物凄い興味を持っているのか、鹿達が続々とやってきたのだ。いい絵になるショットが決まる前にね。おいおい、そんなにやってきたって、何にも餌は無いし、良いショットなんか出やしないよ。此処で、レンズを仕舞うと、パッと散る鹿達。もう一回レンズを向けると、又やってくる。これには大笑い。残念ながら、良いショットは見付からず終い。次回は、良いショットを撮らせてね!

 上は鹿島神宮の鳥居。
 中は鹿島神宮本殿。
 下は門前にある鹿の像。



(2008年9月6日) 鹿島神宮(後)




 に奥へ進むと、奥の院にぶつかる。その脇にも茶店があるが、シャッターは閉められたまま。周りは入口同様鬱蒼(うっそう)とした森が続いていて、明るい曇り空であるが、日光が遮られた分涼しく、そして暗澹(あんたん)とした空間が周りに広がっていた。聴き慣れたケイタイの呼び出し音が、此処ではとんだ騒音になってしまいそうだ。
 (かなめいし)。伝説によると、地震にゆかりがあるあのナマズの頭を、押さえていると言われている。しかも、素通りした香取神宮にも同じ要石があり、こちらはナマズの尾を押さえているそうだ。この2つの石は地中で繋がっていると言われている。距離にしても、悠に15キロはあるし、途轍もない巨石がこの地中にあるということなのか。地学に詳しい人ならば、胸が躍ってしまいそうなミステリーだ。大地震発生確率70%を超える首都圏を、救って下さるのかは「?」だが。まぁ、色々な欲望の塊の東京をタダで救って下さるとは、まず思えない。となると、大正12年の関東大震災は、鹿島神宮と香取神宮からの祟りなのかな?
 その要石のある場所は、奥の院から岐れている道を案内通りに進めば難無く着く。しかし、周りには茶店は無く、朝の散歩に参詣に来た人の物と思われる自転車が置かれているだけだった。しかも要石は鳥居と柵に囲まれて、此処も鹿島神宮の一部だと言わんばかりに丁重にされていた。奥の院にも茶店があったから、茶店の無い所を見ると、此処は本殿に次ぐ格式の高い場所なのか。周りの静けさも、それを助長しているかのようだ。
 覗いてみると、僅かばかり石が剥き出しになっていただけだが、これが約15キロ先に鎮座する香取神宮に通じているとは……。地学に疎い私だが、此処を参詣する為に利用したJR鹿島線に沿っているかと思うと、祟りだけではなく、昭和45年にJR鹿島線が開通した事も、潮来(いたこ)が水郷の観光地として発展した事も、何処かしら鹿島神宮の恩恵を受けているように思える。
 此処で一首。
 鹿島にて夏の蝉の音聴きながら収穫で知る秋の涼しさ

 奥の院に戻って、御手洗池に向かう。途中で急な坂を下っていくが、その坂が終わると、目の前に御手洗池が現れる。
 や深そうな池に鳥居が建ち、隣の岩の凹みからは、滾々と水が湧き出ている近隣の住民達は、この水を汲んで炊事に使っているそうだ。という事は、毎日毎日鹿島神宮の恩恵を受けている事になるな。先程の自転車も、「そうだな」と頷ける。
 勿論、遠方からの参詣者もその恩恵に与れるのだが、肝心な入れ物が無い。ペットボトルがあればいいのだが、捨てた後だからどうしようもない。と、振り向いたら、何と2軒の茶店があった。しかも、開店しているではないか、コリャ。渡りに舟だと思い、早速300円のポリタンクを買った。300円とはいえ、胴体はやや軟質ながら、悠に2〜3リットルは入れるサイズだ。なお、御手洗池の湧き水は煮沸してから使う事になる。
 早速、水を汲もうとしたら、参詣者が口を漱いだり、水を汲んだりしていた。此処は暫く待つか。不思議にも苛立ちは感じられない。秒針に翻弄される大都会東京の呪いが、此処では通じないようである。流石は鹿島神宮だ。
 私の番になり、まずは口を漱いだら、キーンとした冷たさが口中を走った。冷たさに吐き出しそうになったが、怺えて何とか漱いだ。良いお浄めだな。そして、漏斗を使って、水をポリタンクの中に入れた。漏斗から溢れた水が両手を濡らし、冷たさが来た。因みに夏は冷たく、冬は温かいそうだが、蝉の亡骸が転がり、虫の声が鳴り始めている今は夏の範疇なのかな。
 此処で一首。
 汲み入れし御手洗池の冷たさを手に触れ喜ぶ長月の旅

 の後、茶店でお通しの古代米と味噌おでんで一服。すると、先程買ったポリタンクよりも一杯入って丈夫なポリタンクが店頭に出された。10リットルは入れそうで、1200円也。いきなり白けた。まぁ、こんな世知辛すぎる世の中だ。各々の寺社の恩恵に大いに与りたいと息巻いたり、自分の所業を棚に上げて、荘厳な場所になると、一気に平身低頭になる卑しい連中用なのだろう。まぁ、欲張り過ぎて、途中でポリタンクがぶっ壊れて、祟りを食らうがいい。

 上は奥の院に繋がる参道。
 中は鹿島神宮奥の院。
 下2枚は要石と御手洗池。



(2008年9月6日) 目指すは、国のとっぱずれ銚子へ


 詣後、鹿島神宮近くの土産物屋に入った。店番のおじさんが呑気そうに新聞を読んでいた。土産の定番テレカと絵葉書を買おうとしたが、既に品切れ。店番のおじさん曰く。
「もう、テレカも出番が無いしね。絵葉書ももう10年前から売り切れなんだよ。需要が無いからね。」と少々諦めた口調で答えた。テレカはケイタイに、絵葉書はメールに駆逐され、既に骨董品になってしまったのだ。しかし、何処でも掛けられ、湯水同様軽く扱われているケイタイや、表面だけを美辞麗句で巧く飾るメールが、旅情を掻き立てる物とはどうも思えない。ただ、「此処に来た」だけの感想しか持たない。しかも、何でもかんでもケイタイで済ませてしまう習慣が根付いてしまった挙げ句、送られてくるメールも、掛かってくる電話も鬱陶しさを感じてしまう。侘びしい以上にも、虚しいだけだ。テレカや絵葉書は、その場所だけのオリジナル作品なので、訪れた確かな証拠として残るし、メールよりも受け取る方が嬉しく思う。
 そんな虚無感満載の現代事情に憤って店内を見渡すと、それに代わる土産があった。メロン羊羹やメロンムース等のメロン商品だ。おじさん曰く。
「産地が近くにあるから、結構品数も豊富だよ。」地産地消だな。此処でメロン羊羹2本を買う。1本400円也。
 とすると、これから向かう銚子に、買いそびれたメロンワインがあるかも知れないな。私は、微かな期待を持って、鹿島神宮駅に向かった。国のとっぱずれへ行ってきます!
 此処で一首。
 絵葉書もテレカも無かりし鹿島にて詣りし跡無しメール打つ気無

 江戸。真っ先に連想するのは、私が住んでいた川越だが、その他にも栃木と、そして、佐原を指すのだ。この佐原も房総の小江戸として、売り出しているのだが、平成の大合併で、香取市になってしまったのは、どうも頂けない。佐原が消えてしまったので、一気にイメージが揺らいでしまわないか心配だからだ。
 鹿島神宮から成田行きの列車に乗って、蜻蛉返りで佐原に戻ってきた。乗客の大半はこのまま成田に向かう。私のように銚子に向かう人は、見た限り私だけのようだ。
 JR鹿島線の連絡駅になっているが、駅全体はさほど大きくない。駅舎とホームが一体化しているし(しかも瓦屋根)、自動改札は設置されていないので、懐かしさがある。そうなると、住んでいた川越駅の無味乾燥さが鼻に付きそうだ。東京から程近い小江戸ということもあり、多くの観光客で賑わっているのにも拘わらず、駅構内は東京でも見掛ける多機能を集結させた白い建物で、面白味に欠ける。本川越駅も同様だ。商業施設が併設されている点は褒めて上げたいが、京と同じ光景で出迎えられると、いきなり興醒めしてしまいそうだ。ベッドタウンの悲劇と言うべきか。小江戸川越だよ。もっと駅舎でアピールすべきだよ。そうなったら、20年前の川越駅の方が余計風情があった気がする。
 札から覗くと、藍染めの暖簾(のれん)で「佐原駅」と書かれていた。風情があるねぇ。此処でシャッターを切ろうとしたら、駅員が尋ねてきた。
「出ますか。」差し詰め、私を観光客と見たのだろう(地元の人なら、シャッターは切らないだろうし)。そう言えば、出たいな。車窓からチラッと見たら、水路に沿った柳が何とも言えない風情があるし、建物も当時のまま。川越の蔵造りは見掛けなかったが、降りてみる価値はありそうだ。しかし、切符は銚子行き。勿論、途中下車は出来ない。
「出たいですけど、銚子行きの切符なんですよ。」と、残念そうに切符を取り出した。すると、意外な反応が出てきた。
「あぁ、良いですよ。」と、通してくれたのだ。川越じゃ出来ないね。しかし、時間が掛かると、事情を知らない駅員が出る可能性があるので、此処は駅舎を撮るだけで済ませた。佐原観光は、又の機会で。

 上は佐原駅の駅舎。
 下は佐原駅構内。



(2008年9月6日) 2年振りの銚子

 子。初めて訪れたのは丁度10年前。私が20歳の時だった。あの時は、念願だった伊勢志摩旅行の次に立ち寄ったのだ。名古屋からムーンライトながらで東京に戻って、そこから成田線経由で銚子に向かったのだ。グリーン車の中で寝て、佐倉で起こされたり、気分が悪くなって、乗車するや否や寝てしまったり、小見川辺りで起きて、体調が良くなったものの、天気が悪く晴天を祈っていたりしたのも憶えている。あの時は天気が悪く、銚子ポートタワーだけで済ませた。しかし、そのリベンジとして、年に1回は銚子に向かう事にした。国のとっぱずれの犬吠埼灯台に、レトロな雰囲気満載の市民の足銚子電鉄、スイス風の駅舎に名物たい焼きがイケる観音駅、犬吠埼の近くにあり、イルカショーの歓声が響く犬吠埼マリンパーク、江戸時代から続く地場産業(?)醤油工場見学、諸国霊場巡りの満願寺、地球の丸さが実感できる展望館。銚子のオススメスポットは一通り訪れた。しかし、去年は資金難や鬱で、訪れられなかった。連続銚子観光は9年目でストップしてしまった。さて、昨今は原油高に物価高と、日本経済を圧迫する出来事が連続するが、10年前のウォッセ21で出会った漁港町の女性の明るさを思い出すと、そう簡単には挫けはしないだろう。陣中見舞いとして、訪れる事にした。
 はり、挫けはしていないようだ。多くの乗客が吐き出されたが、向かう先が銚子電鉄が殆どで、私のように駅を出るのはこれも少数派だ。佐原に次いでの2回目の痛快劇だ。皮肉にも、資金難で廃止寸前にまで追い込まれた銚子電鉄が、前よりも有名になってしまったのだ。赤字ローカル線を助ける意気込みはさることながら、銚子電鉄と銚子市の魅力を、この目で探りたい気持ちが勝っていれば、銚子電鉄としては、前途洋々なのかも知れない。
 駅舎も2年前とガラリと変わってしまった。全体的に小さくなった気がするが、無造作にベンチが置かれ、三和土(たたき)剥き出しで、コインロッカーがある部屋は改装して、気持ちの良い待合室になっていた。隣には、ニューデイズ(JR東日本のコンビニ)が置かれているが、何処か浮いた雰囲気があって苦笑する。改札も有人のままを見ると。
 駅周辺を見渡すと、少しも挫けてはいないようだ。店構えも同じ、車の通りも同じ。10年前の掌(てのひら)サイズの岩牡蛎のフライを頂いたそば屋も、暖簾(のれん)を掲げていた。嗚呼、温かく迎えてくれた。久し振りに感動を覚えた。

 写真は銚子駅構内。



(2008年9月6日) 銚子の活気此処にあり(ウォッセ21)

 ず、最初は銚子ポートタワーだ。此処にはウォッセ21が併設されていて、新鮮な魚介類や土産物が買える事で評判の高い観光スポットだ。しかし、銚子駅からだと歩いて片道30分も掛かるので、バスに乗った方がいい。片道280円也。これも変わっていない。狭くゴチャゴチャした道を走る所も変わっていないし、余り活気が無い所も変わっていない。観光客には縁が無さそうだが、訪れる以上、こういう現状も知るのも、観光客としての義務なのだ。
 そこを抜けると、漁港が見えてくる。いよいよポートタワーらしい雰囲気が出てきたな。至る所に、魚介類を扱う運送屋が目立ってくる。この原油高の折、相当苦しい経営を強いられているが、元々資源貧乏な日本だ。先進国の中でエコロジー意識が高い国の一つに日本があると聞いているし、きっといい案が出せるだろう。漁船の燃料も魚の脂を有効活用できるかも知れないし、ソーラー漁船も良いと思う。
 子ポートタワー。「ポートタワー」の冠が付くタワーは色々ある。私がよく知っている千葉ポートタワーは大都市の湾岸地域に位置し、交通至便、眺望良好、周辺にも観光地があることもあって、すっかり観光地化しているが、銚子ポートタワーはどちらかというと、漁港が近くにあり、地元の商店が集結しているウォッセ21が併設していることもあり、地元の商店街と観光地が合体している商業施設だと思う。
 バス停は、ウォッセ21の入口のど真ん中。しかも入口は、海風を避ける為の屋根とアクリル板が設置されているのがナイス。そう言えば、初めて来た時は物凄い風雨で、逃げるように入ったな。
 果たして、漁港町の明るさは失われていないか……。失っていないよ、きっと。そう祈って中に入った。
 ると、人が多く往来していて、商品も何処彼処も変わっていなかった。新鮮な魚介類を筆頭に、シラス干しに魚の角煮、薩摩揚げ等の練り物に魚肉を餡にした饅頭、平成の世で貴重品の鯨肉が冷凍保存されている冷凍庫、魚介類を出す小綺麗な食堂もそのままだった。しかも、ドラマ「コーチ」で一躍有名になった「サバカレー」も、「人生も2アウトから」と書かれた写真も、少々色褪せているが健在だった。此処でも感動を覚えた。此処で苦笑したのは、漁港とは何ら関係が無いワッフルを売る店があった事。ワンポイント的な商品ならば容赦できるが。
 歩いてみると、東京のスーパーでは高嶺の花と言われている大トロが、約30センチに捌かれて3000円もしない値段で売られていた。そう言えば、最初に買った土産がこれだったな。値段は3300円だったな。今回も買おうと思ったが、大した予算も無いので、今回は拝むだけで終わった。その代わり、「コーチのサバカレー」2缶で容赦してくれ給え。1缶420円で840円也。今度来る時は奮発するから、待ってて頂戴ね! 普通の赤身なら約30センチに捌かれた切り身が、2〜3段積まれていて、これが原油高の世の中なのかと、首を傾げてしまいそうだ。
 昔、銚子近海は難所として恐れられてきたが、原油高という悪魔はこの難所が越えられなかったのかも知れない。みんな必死に知恵を出して、頑張っているんだな。私も奮発できるように、頑張るとするか。



(2008年9月6日) 銚子電鉄観音駅

 子ポートタワーから又バスに乗り、途中の観音で降りた。これには、ある理由がある。近くにある銚子観音に参詣するのではない。先程綴った観音駅に向かう為だ。
 先程綴った通り、「スイス風の駅舎に名物たい焼きがイケる」と出ている。地元客は勿論、観光客にも口コミで広がって、電話で予約を取れば、到着の列車に届けてくれるサービスもあるのだ。しかし、それ以前にも地方ローカル鉄道特有のこぢんまりとした駅舎や、自動券売機や自動改札も無いので、駅員と乗客の距離がとても近く、アットホームな雰囲気が受けている。
 此処で一首。
 ノンビリと事に勤しむこのゆとり駅も車内も秒針を知らず

 子観音から真っ直ぐ歩いて大通りに出る。長ったらしい赤信号を待って、更に真っ直ぐ進む。小さな商店を過ぎると踏切がある。その右に目的の観音駅がある。初めての方は、駅舎らしくない建物に唖然とするが、中に入ればその気持ちがフッと消えて、空腹が満たされるだろう。
 まず、最初に出迎えてくれるのは、たい焼きを焼いている良い匂いだ。いきなり名物とご対面とは、この駅の価値が余計に高まる。その他にも、たこ焼きやソフトクリーム、銚子電鉄名物ぬれ煎餅のはねだし(商品検査で弾かれた物)、更には飲み物の自販機もあるので(キチンと銚子電鉄の宣伝をしている電光看板があるのがミソ)、軽食が此処で賄えるのだ。ホームと駅舎の行き来が基本的には自由なので、フラッと立ち寄って、ホームで一休みできるのだ。おまけにダイヤも20〜30分間隔なので、時間に追われる事なく休める。
 早速、名物のたい焼きにかぶりつく。1個90円也。生地も厚めで餡も多目、しかもはみ出し部分も良い具合。型通りキチッと出来上がるたい焼きも良いが、手慣れた人でもはみ出してしまうのは、何処か愛嬌がある。しかも、1個頂くだけで、空腹が癒せるのだから、90円はオトクと言える。此処に、単に眼前の利益追求だけではなく、このはみ出し部分のお得感が口コミで広がって、銚子電鉄のリピーターが増えて欲しい願いが読み取れる。長期的戦略を以て赤字を解消させる、現代日本の会社に欠如しているとは言い過ぎだろうか?
 たい焼きを頂きながら、此処で一句と一首。
 秒入らぬ駅で休みし秋風に絶えず吹かれるたこ焼きの湯気
 たい焼きの湯気を熱がる秋の晴れ

 写真は銚子電鉄観音駅。



(2008年9月6日) 銚子電鉄犬吠駅

 子電鉄の駅はシンプルだが、あれこれ変化があって面白い。車庫があって見学できる中ノ町駅、飲食店が併設されている観音駅。また、ホームの土台と駅名標だけの西海鹿島(あしかじま)駅、タブレット交換で賑わう笠上黒生(かさがみくろはえ)駅。そして、木造駅舎がレトロ感を助長させる外川(とがわ)駅。
 その中で、一番観光客で賑わう駅は、銚子と犬吠だろう。
 の犬吠駅も何度も、お世話になった駅だ。駅舎には切符売り場の他に、コインロッカーに綺麗なお手洗い、地元の地酒に飲み物の自動販売機が置かれている。イチオシなのは、銚子電鉄名物ぬれ煎餅の実演販売がある駅なのだ。一時期ネット販売で売れ行きが爆発的に伸びた商品なので、聞いたことはあると思うが、東京のアンテナショップでは手に入らないグルメが此処にある。「百聞は一見に如かず」だ。是非、銚子を訪れ給え。
 銚子電鉄1日乗車券「弧廻(こまわり)手形」を購入すれば、ぬれ煎餅1枚サービスがある。これは、普通の煎餅とは違って、パリッとした感触は無く、フニャッとしているので、歯応えが結構ある。しかも、程良く醤油が染み込んでいるので、癖になる味だ。この私も弧廻手形を持っているので、早速1枚頂いた。一躍有名になったぬれ煎餅だが、少しも味が落ちていないので、此処でも感動した。千葉駅でも売られているが、やはり地元で頂いた方が、美味しく感じるな、コリャ。
 吠駅は、関東の駅100選にも選ばれた駅で、駅舎も風通しが良く、白い壁が眩しい南欧風の建物だが、よく見ると、海が近いからなのか、強い浜風でタイルがボロボロ落ちているみっともない駅舎だった。今度補修する時は、タイルは使わない方がいいかも知れない。
 駅に出ると、道が横切っている。そして、行き先が2つに岐れている。右は満願寺と地球の丸さが実感できる展望館。左は犬吠埼灯台に犬吠埼マリンパークがある。満願寺は人の好みがあるが、残りの3つは犬吠観光には欠かせないスポットだ。果たして、どちらを先にするか。地球の丸さを実感するか、それとも、国のとっぱずれを実感するか。ハハハ、右と左の泣き別れだな。

 写真は銚子電鉄犬吠駅。



(2008年9月6日) 犬吠埼(1)


 れでは、左に曲がるとするか。犬吠埼へは、多くの観光客が向かっているので、初めてでも、無言の案内で難無く着ける。犬吠埼云々と名付けられているホテル群も、例の辺りにある。
 暫く歩くと、2匹の蝶が娯しそうにじゃれ合っていた。この蝶はデートの最中なのかな。所が、低い場所で飛んでいたのが悪かったのか。車に当たって、裏返しになって地に落ちてしまった。片方の蝶は無情にもスッと去ってしまい、残された蝶は必死に飛ぼうと羽を動かしていた。近くを通り掛かった観光客が見守る中、羽を大きく動かして漸く飛ぶことが出来た。そして、去った恋人を探しに、空を彷徨い始めた。見付かるといいね……。
 字路を左折し、Y字路を右折すると、犬吠埼はもうそろそろだ。Y字路の付け根にある鄙びた(ひなびた)商店も、近くの窯で焼かれた陶磁器が展示されている小屋も、イルカショーが娯しめるマリンパークも、高浜虚子の句碑も、変わっていなかった。犬吠埼に到着する前に、感動してしまった。此処から見る眺望は怒涛がよく見えるので、2年振りなので眺めてみた。すると、怒涛巡りに人がいなかった。今日は天気が曇りながら、荒れていないのに、どうしてだ。波に浚われるのが怖いのか、それとも中止されてしまったのか。怒涛巡りは無料なのだが、まさか原油高、物価高のダブルパンチが、無料である怒涛巡りへの足を遠退けてしまったのか。ウォッセ21では効果無かった悪魔が、犬吠埼ではもろに受けているのか?
 怒涛を写真に収めて、犬吠埼に向かった。此処でも、観光客の姿は多かった。近くの駐車場にも車が多かった。しかし、原油高なのに、財布が札で膨らんでいるのか、買い溜めしていたのか、よくもまぁ、おめおめと車で来られたものだな。
 ずは右側に、イカの姿焼きやサザエの串焼き等の海の幸を出す露店が出迎えてくれた。食堂を併設していたり、日帰り温泉がある土産物屋も健在だった。その中でも、私が一番利用している、食堂を併設している土産物屋に入った。最初に訪れた10年前は、前述の通り天気が荒れていて、銚子ポートタワーだけで済ませてしまったが、翌年は天気が最高で、犬吠埼に来ることが出来た。その時に立ち寄ったのが、この土産物屋なのだ。最初は通用口となっている裏から入ったな。団体向けの食堂の入口を抜けて、土産物コーナーに入った記憶がある。その時は、三和土(たたき)剥き出しで、木枠の硝子戸が古ぼけた冴えない土産物屋だったな。しかし、サザエやホタテの串焼きやイカの姿焼きを売っていたのが印象的だった。値段は300〜500円と安くはなかったが、1串に多く刺さっていてお得感があったし、何よりも「気分が良いから、消費税はサービス」と出ていたのも面白かった。それは今では、三和土剥き出しの場所は何処にも無く、硝子戸は撤去され、ドアが設置されている。全体的にオレンジを基調とした壁紙が貼られていて、綺麗に改装されている。ウーム、これで客足が遠退く事は無いが、肝心の串焼きが売られていなかったのが癪だった。材料が手に入らなかったのか、それとも売り切れてしまったのか。いや、入口の露店が出しているからやはり、売り切れてしまったのかな。時間も14時近くを指しているので、そうかも知れないな。それでも、たこ焼きにソフトクリームを売っていたが、どうもピントズレが否めないし、有り触れていて、客足を稼ぐには力不足だ。結局、此処では何も買わずに店を出た。
 犬吠埼灯台は一般公開している灯台なので、必ずと言っていい程、此処に立ち寄って、灯台からの眺望に驚嘆するのだ。この私も何度も眺望を目にして、驚嘆を上げていたのだが、天気も曇りだったので、スカッとした眺望が期待できないので、写真に収めるだけで終わった。2年振りの犬吠埼なのに、2回も空振りに終わってしまった。一体、どうしたのかな。訪れるタイミングが悪かったのかな。時期を改めて、もう一度来ようか……。
 早く来るように、二首を認める。
 この暑さこの潮風で癒されば吹きし口笛怒涛に消されず
 憧れの灯台頂き海眺む暑さ掻き消す大海の風

 回の空振りに少々気が滅入ったので、暫く気晴らしに散歩していると、怒涛巡りの近くに何やら看板が立っていた。実は、先程の怒涛巡りは崩落の恐れありで閉鎖されていたのだ。間近で怒涛が見られるという人間のささやかなスリルは、自然では掟破りだったのかも知れないな。原油高、物価高のダブルパンチで、この怒涛巡りは崩されていなかったからよかった。
 此処で一首。
 海終わり陸が始まるこの土地に幸せ誓う若き旅人

 の帰り道、先程の蝶に出会った。何と、無事に恋人と再会して、今度は車に当たらないようにやや高い所で、じゃれ合っていた。その蝶は帰路に就く私を見送りながら、犬吠埼に飛んでいった。

 上は犬吠埼を望む。
 下は犬吠埼灯台。





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