2012年8月19日 北総の港町と小江戸の街並み

(2012年8月19日) 夏の銚子へ……


 の或る日、ふと銚子へ出掛けたくなってきた。
 東京駅でおにぎり2つとヒレカツサンド、温かい緑茶を買って、総武快速線のグリーン車に乗った。行程上千葉迄しか乗れないが、約50分の間ゆっくりするとしよう。
 早速、買ったおにぎりを抓みながら、温かい緑茶を一啜り。暑い日が続いていて、冷たい飲み物が欲しい所だが、齢34になると、若気の至りの見境が付き始めて、下手して冷たい飲み物にすると、腹を毀してしまうと判るようになる。久し振りの旅となると尚更だ。
 国駅近くで地上に出ると、目立っていた予備校の文字が見えなかった。確か、両国は予備校の町でも有名だった筈だが。緑茶を啜る手が止まった。
 糸町でスカイツリーが見えてきた。思わずシャッターを切った。日付は正しいのを事前に確認して。銀座でも見たし東京タワーでも見た。でも、行きたいとは思わない。私は闇雲に新しい物を追い掛ける浅ましい人種ではないのだ。ウン、緑茶が旨い!
 緑茶を飲んだ所で一首。
 錦糸町車窓に映るスカイツリー温きお茶飲む夏の朝かな

 時13分千葉着。そして15分の総武本線経由(成東を通る)銚子行きに乗った。その時間僅か2分だが無事に乗れた。でも、忙しそうに走って乗ったのではないので、あしからず。
 千葉のJRは最近新型車両を投入し、内房線、外房線、総武本線、成田線を走っているが、一番嫌なのはロングシートしかない編成の列車に当たること。つまり、通勤型車両。ボックスシートなら、首を余り捻らずに景色が見えるが、ロングシートは余計首を捻るし、隣席の人が不快な思いをするといけない。又、相席の人達と会話をすることも出来るが、ロングシートだとドライになる。人との繋がりが希薄になり、「絆」を大切にしようとする風潮が高まっている昨今、ボックスシートの権利を尊重してもいいと思う。
 さて、この列車はどうか? ロングシートだけの車両だった。味気ないことするね、JRは。
 内は日曜日だが、結構乗車している。試合に出掛ける中高生で賑やかだ。そう言えば、私もこんな時もあったんだなぁ。もう、何年前だったかなぁ。文化部で試合云々は無かったが、合宿では電車で文豪ゆかりの場所を訪れたことがあった。傍目から見れば、物見遊山に見えたが、実際はその文豪とその地のゆかりを取材して、文化祭で発表しなければいけなかったのだ。しかも、詩や小説等の文芸作品を発表しなければいけなかった。それらの作品を一冊の本に仕立て、一般に公表される感動は試合に勝てた嬉しさに匹敵するだろう。
 でも、この中高生は何処迄行くのだろう。予想するか。見事当たったら、銚子か後で行く佐原で奮発するか。乗り継ぎ駅の佐倉か、特急が停まる八街か成東に定めた。
 井駅に着いた。すると、例の中高生は此処で降りた。外れた。でも、試合は外さないでくれ。君達の人生の糧になるか否かは、そこで決まるのだ。全力を尽くして臨み給え!
 東駅に着いた。此処で9分程停車する。車内でジッとしているのも何なので、ホームに出た。
 成東駅の西側は田園地帯で、近くの田圃は青々としているが、よく見てみると黄金色に染まり掛けている所があった。立秋を過ぎているから、秋の気配がゆっくりだが入り込んでいる。でも、朝から続くこの暑さは秋とは言えない。空を見てよ。モクモクと入道雲が出ているではないか。これで暑さに弱い私は、冷房の利いた列車に逃げてしまう。
 涼みながら一句。
 夏空に秋の蜻蛉稲穂かな

 だ時間があるから、成東に関する話でもするか。
 この成東は、いちご園が多く点在していることで有名だ。時季になると、時間制限の食べ放題を謳っているいちご園が、看板を立てている。そのいちご園に出掛けたのが此処成東だった。ビニールハウスの中に設けられたいちご畑をくまなく探して、赤い実を見付け、練乳を付けながら頂いたことは、もう12年前(2000年)だった。甘いいちごに当たって、その甘さに癒されたり、酸っぱいいちごに当たって、顔を顰めたり色々あった。
 想い出に浸って一気に三首。
 摘み立ての苺の味はキスの味甘い昔の思ひ出浮かぶ
 成熟の赤いイチゴの接吻し酸いか甘いか素の姿問う
 成東の春の便りは菜の花と甘く色付くハウスのイチゴ

 れから12年経ったのか……。列車は成東を発ったが、私だけは成東の想い出を巡らせていた。12年か……。色々な人に出会えたし、色々な場所を旅したりしたし、色々な出来事が私の許を駆け抜けていった。そして、此処に齢34の旅人がいるのだ。相変わらず、集団行動は苦手で、一人旅が大好き。こんな男になるとは、あの時の私には想像できたのだろうか……。よく冷えた飲み物がキーンと来た。

 上は錦糸町駅からのスカイツリー。
 下は成東付近の田園地帯。



(2012年8月19日) 新しい銚子電鉄とアナログオンリーのバス

 武本線は成東から九十九里浜に沿って走る。もしや、九十九里浜が見えるのかと思いきや、残念! 九十九里浜は全く見えないのだ。その代わり田畑に囲まれた民家や地平線辺りに防砂林があって、長閑(のどか)な田園地帯が眺められる。
 此処で一首。
 未だ知らぬ向こうは何かと水平線ぼやけて見えぬ小も知りたし

 っ、面白くない? じゃ、反対側を見ようか。広い道路の両脇に大型商店が建ち並んでいる。東京でもよく見掛けるチェーン店もチラホラと見える。これで零細商店は閑古鳥が啼いてると嘆いている様は頷けるが、よく見てよ。閉店した店が平然と「まだ営業中ですよ」と言わんばかり、店の形を保っているのがある。手入れしていない駐車場や、屋上には雑草が生えているからよく判る。これで零細商店は、腹の奥底で漸く嘲笑が出来る。線路を挟んで様相が違う光景だ。
 子に到着。ホームの奥には銚子電鉄のホームがある。先に銚子電鉄の1日乗車券「弧廻(こまわり)手形」を買った。620円也。これにはこれから向かう銚子ポートタワーの割引券が付いているのでお得なので、見逃さないように。
 しかし、電車を見た途端、声を失った。京王電鉄から伊予鉄道に譲渡し、そして銚子電鉄に譲渡した車体らしいが、馴染み深い赤と茶色の塗装はしてなく、一体何を連想するつもりなのか、エメラルド色に塗られていた。「海」となれば、完全にお門違いだし、名産品の「キャベツ」となると、ちょっと色が濃い。他に銚子でエメラルド色に関係する物と言えば……、出てこない。とにかく、雰囲気をぶち毀すような色は止めて欲しい物だ。塗り直し給え。
 スでポートタワーに向かった。バスは小型で首都圏で見掛けるスイカや磁気カード(殆ど撤去しているが)が使えない二昔の造り。小銭が必要だ。デジタルの世に安住している人達にとって、アナログオンリーのバスはカルチャーショックだろう。素朴な街並みが広がっていて、率直に時代に迎合しない銚子にはピッタリだ。残して欲しいバスだ。
 バスは片側1車線の道を走っているが、殆ど乗降客がいないだけではなく、両脇にある商店が馬鹿に閑散しているのには驚いた。シャッターを下ろしている店が目立っていた。2年前より増えたのかどうか判らないが、大震災の風評被害を受けて、観光客が減ってしまったのか、銚子経済の空洞化が加速しているのか。もしかしたら、ポートタワーもウォッセ21もその煽りを受けてしまっているのか。酷く閑散していたら、どうすることも出来ない。どうか、2年前と変わりない賑やかさがありますように。手に握っていた運賃の280円が温かくなった。

 写真は新しく塗装された銚子電鉄。 



(2012年8月19日) ウォッセ21とワッフル



 ォッセ21に入ったら、客足はまあまあだ。こうして銚子復興を手助けしている。嬉しい限りだ。店を覗くと何時もは見掛けないハマグリが、ネットに入れられ1000円前後で捌いていたり、幼少時九十九里の長生でよく頂いた巻き貝のナガラミ等が売っていた。ナガラミか……。本当に20年以上ご無沙汰だ。こんな所で出会えるとは。思わぬ邂逅(かいこう)に暫く立ち止まった。買って帰るとするかな。長財布に手が伸びたが、貝類の調理法は味噌汁やバター焼、酒蒸し位しか知らず、味噌汁以外は丁度よい調理法も知らない。又、この後は犬吠埼や佐原に向かう行程を立てていて、コインロッカーを使うことは無いので、今回は控えた。長生か……。私の父方の親戚(父方の祖父の弟)が住んでいるのだが、齢は相当行っている筈だ。達者でいるのかな。
 ウォッセ21は何も魚介類を捌いている店だけではない。ぬいぐるみを扱っている店や、名産品の一つ織物銚子ちぢみ、そしてワッフルの店。ぬいぐるみは海の生き物のぬいぐるみがあるので納得できるが、ワッフルの店はお門違いかと勘繰りたくなる。それでも、「新銘菓ウォッセワッフル」と出ているし、奥の厨房で作られて、次々と出来立てが並べられているので、許せるだろう。それにしても、随分種類があるな。ざっと見ただけだと、マンゴー、メロン、パンプキン、マロン、蜜柑、粒あん……。大きさも良い具合で、値段は1個500円。各々の店は豊富な魚介類を売り出し、客の注目を惹かせるのだが、此処でも同じだ。様々な味のワッフルで注目を惹かせる。又、此処には売っているワッフルを凍らせたアイスワッフルもあるが、その説明書を読んだ途端、吹き出してしまった。「ワッフルの生地が固い為、歯が丈夫ではない人はご遠慮下さい」だってさ。歯が丈夫な私は何て事は無いが、大人の8割が何らかの歯周病に罹っている昨今、このアイスワッフルを買って頂く人はどの位いるのだろう。と、メロンワッフルを入口の休憩所でパクついた。生地が厚く、噛み応えがあるワッフルだ。ホイップも甘過ぎず、メロンクリームもなかなかどうしてイケている。
 ートタワーに登って、銚子市街を眺めた。晴れているからいい眺望なのだが、それにしても、こんなにクッキリとしたポートタワーからの眺望は見たことがあったかな。前は晴れていても、雲の所為でぼやけていたり、光の加減で見えにくくなっていたり、シャッターを切るにしても、納得が行かなかった。今日はそんなことは全く無い、納得できる眺望だった。いいことがある前兆なのかな。夜明け前に買った栄養ドリンクを一気飲みした。

 上は銚子ポートタワー。
 中はポートタワーからの犬吠埼方面。
 下はポートタワーからの銚子市街。



(2012年8月19日) 徒花と犬吠埼



 音駅から銚子電鉄で犬吠へ向かった。しかし、先述の通り、雰囲気を削ぐ塗装の車体が気に食わなかった。しかも、運賃表は昔見掛けた紙に書かれているのではなく、液晶パネル。呆れた。これが倒産寸前の赤字から起死回生を図っている銚子電鉄の姿なのか? こんなに闇雲に都会のシステムを導入して、一体何になるのだ。大手私鉄に施設面でナメられないようにしている強がりなのか、それとも、良い具合に潤っているのか? 銚子電鉄は素朴で時代に迎合しない所が一番の魅力だと思うのだが。人手に因る切符の販売に飾らない飲食店の併設、笠上黒生でのタブレット交換の光景。どれを取っても首都圏では殆どお目に掛かれない懐かしい光景だ。その光景をぶち毀されたのだ。忌々しさが胸に込み上げてきた。
 何とかしたいな、この忌々しさを。車窓を開けて、銚子の風を存分に受けた。涼しい。柔らかい涼しさだ。パサパサパサ……。車体に周りの葉が当たっている。この音も何処か心地好い。この場所に立った人だけに娯しめる音だ。
 此処で一句。
 紫陽花や徒花咲きぬ炎天下

 吠駅は犬吠埼最寄りの駅でもあるし、構内では売り上げの大半を占めるぬれ煎餅の実演販売もあるので、何時も観光客で賑わっている。此処で弧廻手形を取り出して、ぬれ煎餅1枚と引き換えて、外に出たら、駅舎が綺麗になっていた。前はタイルが至る所で剥げていて、見苦しかったのだが、今度はボードで飾っている。これなら剥がれる心配は無さそうだ。
 犬吠埼の良い所は、観光地ながら少しも観光地化していない所だ。犬吠埼に向かう道は静かな民家に防砂林があるだけで、灯台周辺にも数える程の土産物屋とホタテやサザエの串焼きを売る鄙びた(ひなびた)露店があるだけだ。その光景に納得すると、先程の銚子電鉄の様は苦笑せざるを得ないだろう。
 さて、大震災後はどうなっているのだろう。途中のずっと閉まったままの雑貨屋に、焼き物が置かれている小さな小屋もそのままだ。その小屋を覗いてみても、地震で落ちて割れた焼き物は無さそうだし、小屋自体も何処も傷んでいなかった。余程丈夫なんだろうねぇ。石油の高騰、東日本大震災をくぐり抜けたのだ。見倣わなくては。そして、もう一つある。怒涛巡りだ。見ると人がいたのだ。確か、数年前は柵が壊れている箇所があるので、立入禁止だったのだが、市が予算を組んで直したのだろう。怒涛巡りも犬吠埼名物(?)だから。ただ、本州最東端で鳴らしている犬吠埼灯台だけでは、観光客は寄ってこないだろう。
 して、灯台の入口へ着いた。まず目に付いたのは、ホタテやサザエの串焼きを売る鄙びた露店だ。店構えはそんなに綺麗ではないが、厨房では慣れた手付きでイカやサザエを焼いていた。そして、手前のウィンドーではそんな串焼きが山のように積まれていた。値段はもとより、国産品を使っているのか、首を傾げてしまう。特に、サザエの串焼きが一本の串に4〜5個刺されているのを見ていると。
 それを過ぎ、左にあるのは、此処に立ち寄る際寄っている土産物屋だ。昔は三和土(たたき)剥き出しで、清潔感に欠けていたが、数年前オレンジ色を基調とした店に改装して、客を迎えていた。此処でも、串焼きを売っていた。昼時だ。東京駅で買ったヒレカツサンドと一緒に抓むとするか。
 その土産物屋に向かうと、シャッターが閉まっていた。定休日なのか? と、窓から中を覗いたら、声を失った。もぬけの殻なのだ。改装しても売り上げが伸びなかったのか、大震災の風評被害に勝てなかったのか。もう一つの灯台寄りの土産物屋は元気に営業しているので、中を覗いてみても欲しい品は無かったので、スッと出てお仕舞い。今年は公私共々変化が多い年だが、真逆此処にもあるとは……。もう灯台に行く気が無くなった。海風が頻りに夏の暑さを掻き消してくれるが、通に見えていた光景が甚だしい変化を起こし、私の身体を駆け抜けているようならば、此処でゆっくり「いろは」の理を出して、納得させる他は無い。あさきゆめみし ゑひもせす……。
 さて、昼餉にするか。惰力で鞄から取り出したヒレカツサンドと常温に近いスポーツドリンクを昼餉にした。海風が吹いているから、扇子は必要ないな。それにしても、海でヒレカツサンドだって、不釣り合いな昼餉だな、コリャ。

 上は銚子電鉄犬吠駅。
 中は怒涛巡り。
 下は犬吠埼灯台。



(2012年8月19日) 満願寺

 吠駅に戻っても、まだ時間があったので、犬吠埼とは反対方向にある満願寺へ向かった。此処では四国霊場巡りのミニチュア版(?)が体験できるし、霊験灼かな霊水も手に入れられる。そう言えば、此処で霊水を汲んで、不動明王に拝んだな。
 近隣から評判の良い寺院として有名だが、この真夏の昼下がり、参拝客は誰もいなかった。ひょっとしたら、今だけご利益が倍以上授かれるかも。そんなことを脳裏に過ぎらせて、お神籖を引いたら第1番を引いた。もしかしたらと思い、開けてみたら大吉。「いの一番」と言うからね。お神籖の内容も大吉レベル。それじゃ、これから向かう佐原ではいいことがあるかも。
 の満願寺で目立つのは、寺への寄付が多いこと。それらは全て、参拝客に還元している。だからって、参拝してお金が貰えるというのではない。車椅子の肩でも不自由なく使えるトイレやスロープ、手摺りの設置、参拝者用の休憩所等、殆どが寄付金で賄われている。そこにはキチンと寄付した方の名前や金額が書かれている。こう言うのは金額云々ではなく、信心そのものだと思う。その寺に信仰を持っているから寄付をし、寺の方もそれに応えた還元をしている。その還元のお陰で参拝者が難無く参拝することが出来るのだ。通夜、葬式、春秋彼岸、お盆に信徒から頂けるお布施を期待し、食い扶持に充てる「葬式仏教」と揶揄されている日本仏教と比較しても、どっちが魅力的かはお判りだろう。何の映画かは伏せておくが、「盆は坊主の稼ぎ時でな」と自虐的な発言をし、金銭に異常執着している台詞は苛立つ一言だ!

 写真は満願寺。



(2012年8月19日) 小江戸佐原



 原。それは川越同様「小江戸」と謳われている街。市内を流れている小野川を中心に古い街並みが残されているので、観光客が訪れる。
 実は2008年9月に此処を訪れたことがある。しかし、時間の都合が付かなかったので駅舎を撮っただけだったが、その駅舎が瓦屋根で木造なので、何とも小江戸の風情にピッタリ! と言うことで向かうことにしたのだ。
 駅舎を撮したが、本当に風情があるねぇ。川越駅なんか、東京のベッドタウンを象徴しているかのような四角くて白い駅舎は嫌だね。近くに政令指定都市さいたま市がある影響なのか(この駅舎が出来た時は大宮市と浦和市だった)、いい加減、川越駅も建て直してみては如何かな。年々観光客が増えているし、注目度が高くなっているから。
 に併設してある観光案内所で地図を貰った。しかし、タダで貰えたのではない。20円払ったのだ。地図を見ても、「値段20円」と書かれていた。川越なんかタダで貰えるのに……。目を瞑ってくれないのかな。
 その目を瞑る行為は、どうも見逃してくれなさそうだ。駅を出ると閑散とした駅前商店街が広がっていた。まぁ、暑いしこの昼下がりだ。外出したくない気持ちは判るが、その気持ちを打ち砕く如く、閉店して10年は経ったと思われるショッピングセンターが建っていた。塗装は剥げているし、相当埃を被っている。夜でも不気味さがあるが、昼でも不気味だった。この不況、新しい店舗が入ることは無いのだろう。建物を見ると5〜6階はあって、川越の丸広百貨店みたいだったが、「小江戸」の仲間入りは出来なかったのか?
 の裏を脱けると、小野川に着く。両岸に柳が植わっていて、柵は木を象った物。風情があるね。小野川沿いには木造家屋がズラッと続いていて、歩調を緩くさせる。そして、小野川には舟下りがこれもまたノンビリとした速度で進んでいるのよ。思わず立ち止まって眺めた。いいねぇ。こうやって、都会時間を止めてゆったりと過ごせる舟下りなんて。この暑さだ。暑さを癒すには気持ちよさそうだ。これは川越には無いな。
 佐原の街並みはやはり川越に似ている。蔵造りがあるのではなく、古い建物がしっかりと平成の世に存在していることと、見事現代の街の一部として溶け込んでいる調和がいいのだ。自然に風が吹いて、柳葉を揺らしても、板塀に止まっている蝉の鳴き声でも、素直に風情と感じられる。そのお陰で時間の流れや歩調が緩やかに感じたり、平成の世に失われつつある何かが、此処には顕在しているのだ。闇雲に東京の利便さを追求するのではなく、「自分達の町は自分達で造る」という理念がしっかりとしている。奇抜で高層の建物は何処にも存在しない。殆どが佐原の空を妨げない程の高さを保っている。
 蝉の鳴き声を聞きながら一句。
 板塀に止まりて啼く蝉佐原かな

 く街中を歩くと、自由に休める休憩所を見付けた。まぁ、急ぐ旅ではないので入るか。
 中に入ると、近隣の農家で採れた梨が袋入りで売られていて、祭で見掛ける山車の写真が一杯展示されていた。それも川越まつりで見られる豪華絢爛の山車ばかり。急に私の鼓動が早くなった。佐原も川越も「小江戸」と名高いので、文化を共有しているのかと感じた。同じ「小江戸」として嬉しい反面、成田や銚子等の観光地に挟まれ注目度が高いので、知名度が川越を超えてしまっているのかと嫉妬も抱える。仮に川越まつりを知らないとなれば、川越出身である私には嫉妬以上に悔しい。訊いてみるか、小江戸繋がりを信じて。
「結構豪華絢爛ですね。」
「そうですよ。これは『佐原まつり』と言いましてね、一番佐原が盛り上がる祭なんですよ。」川越まつりもそうだ。いよいよ切り出すか。
「内は川越出身なんですけどね、川越まつりはご存じですか?」
「ええ。本当に有名な祭ですよね。川越は本当に有名ですからね。古い街並みがしっかり残っているし、何でも、NHKの連続テレビ小説の舞台にもなったしね。此処も、そろそろ舞台になって貰わないとね。」良かった。それ所か、川越を羨んでいるとは。
「特に、夜のひっかわせですか。山車からのお囃子が凄い飛び交って、凄い人集りが出来て……。」
「写真で見ただけですけど、本当に雰囲気が凄いですよね。夜になると、山車の灯りが幻想的でね。」
「とにかく混みますよ。市街の信号機は消えたままで、全部歩行者天国ですよ!」此処で川越出身者であるからこそ判る蘊蓄(うんちく)を適切に語った。しかも、今年(2012年)は川越市制90周年という節目だ。例年以上に混むことは覚悟しておかないと。
 盛り上がったお礼に、先述の袋入りの梨を買った。7個で600円也。

 上はJR佐原駅駅舎。
 中は小野川を挟んだ佐原の街並み。
 下は木造家屋が建ち並ぶ佐原の街並み。



(2012年8月19日) 小江戸佐原にあって、小江戸川越にない物

 原の街並みの良さは小野川沿いだけではなく、小野川に近い所でも見掛けた。瓦屋根の軒の低い建物や板塀の建物、電柱や電線ですら、街並みの良さを盛り立てている。不思議と暑さは感じられない。どうしてなのかな。見慣れない街並みに見取れて、暑さを忘れてしまったなら、川越でも出来るが、此処は「小江戸」とは言え佐原だ。川越と一緒では駄目なのだ。見ると、川越にある高層(に近い)マンションや、クレアモールのような老若男女で賑わう商店も無い。
 じゃ、どうしてなのか。よく判らないから、腹拵えでもするか。いやぁ、犬吠埼でヒレカツサンドを抓んだだけという中途半端な昼餉だったので、しっかりした昼餉を摂りたいのだ。
 小野川から少し離れた忠敬茶屋という土産物屋も併設している食事処へ入った。忠敬か……。あの日本地図を製作した伊能忠敬だ。彼は此処佐原の出身で、50代半ばで日本中を歩き続けて、今日見掛ける正確な日本地図を製作した地元の偉人だ。
 此処で鰻丼を注文した。1300円也。昨今鰻の稚魚の減少で、鰻の値段もうなぎ登りだそうだが、こんな廉価で元では取れるのか? 殆ど鰻が載っていないのは御免だな。と、出たのは、半尾少々の鰻が載った鰻丼だった。これで1300円は、昨今の相場から見て良い方だな。近隣の農家から収穫した不揃いのキュウリの塩漬けを合間に抓み、鰻丼を頂いた。ただ、吸い物が肝吸いではなく普通の吸い物で、おまけに熱かった。そう言えば、川越も鰻を出す店が多い気がしたな。でも、1300円の廉価ではないだろう。ふと祈る。鰻の完全養殖成功を。不可能を可能にしてきた日本人なら出来よう。
 ……しまった。佐原と川越の違いが判らなくなってきた。まぁ、久し振りの鰻丼だ。栄養補給して、ジックリ考えるとしようか。
 餉を終えて、また小野川沿いを歩く。街並みから外れ、倉庫が建ち並ぶ小道に入った。かなかなが啼いていて、その鳴き声を立ち止まりながら、ジッと聞く。この「リリリ……」と啼くかなかなの鳴き声は、油蝉のジージーとみんみん蝉のミーンミーンと違って、鬱陶しい暑さは殆ど感じられない上、母方の故郷でよく聞いたから、懐かしさがあるからだ。
 すると私は、佐原と川越の違いが判った。街の雰囲気にあったのだ。川越は西武、東武、JRと東京に繋がる路線がある為、ベッドタウンとしての機能を持たざるを得ず、マンションがあちこちに建ったり、東京のファッションが流入してしまい、小江戸の雰囲気をぶち毀すことになってしまう。幸いなことに、川越は古き良き街並みを残す努力を怠っていないが、どうしても、都会の雰囲気が鼻に付くことが多い。しかし佐原は、(人口がさほど多くない)成田や銚子へ繋がるJRしかないので、ベッドタウンとしての機能は余り必要ないし、都会の雰囲気は殆ど入ってこない。それだから、多くのマンションが必要なく、小江戸の雰囲気を色濃く残せるのだ。今更、川越に「佐原のような街並みにしろ」とはもう出来ないが、「小江戸」の称号を持っているだけでも、本当にその都市は雰囲気が残っているという事で、魅力的なのだ。時間を忘れさせてくれる何かがあるから、魅力的なのだ。都会には全く無く、または忘れられている何かがあるから、人は惹き付けられるのだ。

 写真は佐原の街並み。





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