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名古屋駅桜通口を出て、交差点の向こう側にある大名古屋ビルヂング。実を言うと、このビルを利用したことは何度もある。とは言っても、このビルに入っていた銀行や1階のお手洗い程度だが。毎年開催される屋上にあるビヤガーデンは今回が初めてで、同時に34年生きて初めてビヤガーデンに行くのだ。そう言えば、初めてのメイドカフェも名古屋だったな。
大名古屋ビルヂング屋上のビヤガーデン「マイアミ」。名古屋人ならば、誰でも知っているビヤガーデンだ。過去にも看板を見て、立ち寄ろうとしたが、予算の都合で行けなかった。今年は節目の50年だが、同時に今年はビルの老朽化で、立て替えが必要なので、此処での開催は最後だそうだ。だから、行きたかったのだ。節目の年に最後という巡り合わせは、何かを感じずにはいられない。どういうことだろう。行けば、絶対に忘れられない名古屋の想い出があるというのかな。
エレベーターで屋上へ向かうと、受付を待っている人が結構いた。同時に、会場から沸き立つ煙と共に届く娯しそうな声の晴れ晴れしいこと! おまけに、受付の真ん前はステージがあって、今ライブが開かれているので、弾みの良い曲に乗って、盛り上がっている人が多いこと! 相当娯しんでいるようだな。一気に興奮が高まったが、待機している人の多さに、特に予約を入れていない私には、待たされることを覚悟し始めた(事前予約は全て埋まっていた)。今日は土曜日だし、このビヤガーデンも後2日だから、名残惜しむ人が多いのだろう。会場から沸き立つ煙を嗅いで夕陽を眺めながら、ビヤガーデンで過ごす娯しい一時を思い描いている表情が、何処か憎たらしかった。大方予約を入れた人だろう。そんな連中に予約無しの苦労が判るかい! (まぁ、余所者だから、きつく言えないが)と、受付に向かった。1人と答えると、今度は会計に案内された。大人一人3800円也。此処で整理番号が書かれた紙を渡されて、待つのだろうと思っていたら、会場からスタッフが出てきて、私を案内し始めた。何と、待ち時間は0分! 思わぬ実入りだな、コリャ。背後から感じるスンナリ入れる羨ましい視線を受けて中に入った。それじゃ、お先にビヤガーデンを娯しませて頂きますよ!
私が案内されたのは、一番北側の席で、沈む夕陽が見える場所だった。結構良い場所だなぁ。沈む夕陽に向かってジョッキを傾ける乙なことが出来るし、ビヤガーデンの雰囲気に浸れ易い。テーブルの中央には背の低い七輪が置かれていて、席に着くや否や、おしぼりと小皿を渡された。スタッフの話だと、料理はスモーガスボード形式で(バイキング)2時間30分まで食べ放題飲み放題。時間が過ぎたら15分単位で計算し、その都度超過料金を頂く。そして、小皿にはテーブルに置かれているタレを入れて、焼肉やホルモンを付けて頂く、と言うことだ。その割には小皿が直径5センチ程で自棄に小さかった。焼肉を入れたら、溢れてしまいそうだ。
2時間30分か……。会計で貰ったチケットを見ると、17時21分と打たれていた。となると、19時51分まで娯しめるという訳か。そうだな、3800円払ったからには、存分に娯しまなくてはいけないな。周りを見ると、やれ、七輪で肉を焼いて、旨そうに抓んだり、ジョッキ並々に注がれたビールを自分達の席まで運んで、仲間達と旨そうに傾けて、存分に娯しんだりしているではないか。こうして、他人の娯しそうな行動を見ているだけで、制限時間は削られていく。たった一人ながら、絶対に負けたくない! 1分1秒も無駄には出来ないぞ。さぁ、試合開始だっ! 後2時間28分。
写真は賑やかなビヤガーデンの1枚。 |
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(2012年9月15日) ビヤガーデンの戦闘開始は焼肉で |
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ビヤガーデンはお酒が飲めない人や下戸には何ら縁が無い場所だと思いがちだが、子供料金が設定されている点を見給え。設定されていると言うことは、ソフトドリンクがあるということになる。この私も酒精にはさほど強くないが、私なりにビヤガーデンを娯しもうではないか。ご参考になれば、嬉しい限りだ。
早速、飲み物でも頂くか。ジョッキは何処にあるのだ。探したら、生ビールをドンドン注いでいるコーナーを見付け、そこに空のジョッキが置かれていた。近くにはソフトドリンクコーナーがある。よし。大きな氷をジョッキの半分位に入れて、そこへウーロン茶を9分程注ぎ、席に着いた。
まずは、沈み行く夕陽に傾けるとするか。今日は始発の新幹線に乗ったり、坂ばかりの馬籠宿を散策したり、大須観音に立ち寄ったりしたりと充実した一日だった。それでは、乾杯!
クゥ〜ッ! 冷たいウーロン茶が身体に利いたわ。「最初の一口が一番旨い」と言うが、ウーロン茶も同じだな。特有の渋みがよく利いている。それなら、もう一杯。クゥ〜ッ! 待たされることなくビヤガーデンに入れた嬉しさが加わって、一層旨く感じるわい。
半分位頂いた所で、何か頂くか。と、ステージを過ぎた所に、食べ物がある。さて、何があるかな? 結構あるな。牛バラ肉や味付けホルモン、砂肝等の焼肉に、殻ごと頂ける海老やホタテ等の魚介類、フライドチキン・ポテトや枝豆等のつまみ系、ピラフにカレー等の食事、更にデザートとして果物にゼリーもあるし、ミニケーキやムース等のスウィーツがあるのには驚いたな。コリャ、凄いな。ビヤガーデンはこんなに食べ物の種類が豊富なのか! 3800円の元が難無く取れそうだわ。こんなに一杯だと、目移りしそうだな。ちょっと待って。いきなり大量に取ってしまうと、食べ切れずに残してしまい、貧乏人精神を赤裸々にしてしまうこともあるし、かといって少量ずつあれこれと欲張ったりすると、何往復しなければならず、時間の無駄になってしまい、元が取れないこともあるな。と言って、ジックリ見定めると時間が削られてしまう。……試合みたいだな。此処は、自分の好きな物を頂くとするか。それも、(時間節約の為に)直感で選ぶとするか。「自分が食べたい物が、一番の御馳走」と言うからね。
まず最初は、焼肉でも娯しむとするか。牛バラ肉、砂肝を皿に盛った。砂肝は欲しい分だけ取れたが、牛バラ肉は一気に5枚も取れた。コリャ、凄いわ。いきなり「贅沢を娯しめ」というのか。でも、野菜を取らなければと思い、フライドポテトと枝豆を別の皿に盛った。
それでは、焼くとするか。牛バラ肉と砂肝を鉄板に放り投げた。いよいよ、ビヤガーデンのメインに入るのだ。トングでひっくり返して焼くのだが、牛バラ肉がバラバラになってしまった。おまけに火力が強いので、すぐ焼けるのだ。箸でボロボロになった牛バラ肉を掻き集めて、タレが入った小皿に付けた。ウン、イケるな。タレは辛口だ。と味を確かめている内に、次の牛バラ肉が焼けてきた。おっと、これも頂かないと焦げるぞ。またバラバラになった。急いで小皿に移して、口に放り込む。トングで砂肝をひっくり返す。その合間に、鉄板に放り投げたボロボロになった牛バラ肉を掻き集めて、タレに付けて頂く。全然落ち着いて、ビヤガーデンが娯しめない! 時間に追われることはないが、七輪の火力に付いて行けないのだ。気分を落ち着かせる為に、ジョッキのウーロン茶を一啜り。
バラバラになる牛バラ肉と格闘したから、ちょっと休もう。砂肝が焼けるには、時間を要するから。じゃ、フライドポテトと枝豆でも抓むか。何れもビヤガーデンの定番食品だからね。2つを抓みながら、ウーロン茶を傾ける。オッ、無くなったか。それじゃ、2杯目でも飲むか。
2杯目のウーロン茶を傾けながら、外の景色でも眺めるとするか。17時45分だ。段々黄昏れてきて、ビルの灯りが煌めき始める時間だ。夕陽が沈み行く方向を見渡しても、空を妨げる高い建物が余り見えないな。精々名古屋駅ビルのセントラルタワー(蛇足だが、高さが245メートルあり、駅ビルとしては世界一の高さを誇る)だが、距離が近いので威圧感が凄い。丁度私の所に、土岐プレミアム・アウトレットの看板がデンと控えているので、幾分か威圧感が薄まるが、この看板も間近で見ると威圧感が凄いな。紛らわす為にウーロン茶を飲み干した。旨さより冷たさが身体を貫通した。
ビヤガーデンは初めてだが、この位の高さが良いと思う。高いビルに囲まれたりしていたら、爽快感や開放感が無いし、かといって、滅茶苦茶高いビルでは、高所恐怖症の故、恐怖感が強く食が鈍る。
此処で一首。
七輪の煙が躍るビヤガーデン暮れ行く名古屋に杯傾ける |
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(2012年9月15日) ビヤガーデンの想い出のステージ |
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時計を見たら、18時近くを指していた。そろそろ、ステージが始まるな。七輪で焼いた砂肝も干したし、気分転換に見に行くか。後1時間51分。まだまだ娯しめるな。
どの席も盛り上がってるね。仕事帰りで、ジョッキで格好良く乾杯する席もあれば、馬鹿話に花が咲く席もある。家族連れで来て、家族団欒の一時を過ごしている席もあれば、私のようなわざわざ東京から来て、一人で慎ましくやっている席は……、無さそうだな。何処か余所者だと判り易いな、私って。
入口付近のステージは開演前だが、相当盛り上がってる。それを警備するガードマンも一苦労だな。でも、大酒呷って絡んでくる客は一人もいないのが救いだが。このガードマンも客と顔見知りなのか。あれこれ話し合っている。一体何を話し合っているのか? 初めてで余所者の私には判る訳がない。「一体何があるんですか。」と問い掛ける程、野暮ではないので、此処は地元の人を装うことにしよう。時間限定の名古屋人だ。
やがて、ステージではバンドがベースやギター、シンセサイザーのチューニング(調律)を始めた。此処までは、余所者でもステージが始まる予兆だと判るが、入口のスタッフルームから、軽快な音楽と共に、アフロヘアとロイド眼鏡、チョビ髭に仮装した男性がステージに上がってくると、客の盛り上がりは昂ぶってきた。名物なのか? 男性が弾みの良い声で客に語り掛けている。それに応じて客も声を張り上げている。
「さぁ、第2回目のステージが始まります! みなさぁ〜ん、用意はいいですかっ!」
「オォーッ!」結構ノリのいいこと! 酒精特有の興奮作用が利いているな。
「それでは、1、2、3と『3』と叫んだら、手持ちのジョッキを高く掲げて、〜〜と叫びましょう(何の掛け声かは判らなかった)!」此処で一斉にジョッキの準備をする。常連客は当たり前とばかり、ジョッキを自分の席から持ってきているが、私は余所者だ。まぁ、エアジョッキで目を瞑って頂戴。
「1、2、3!」此処でジョッキが高く掲げられる。またもや、ノリのいい雄叫びだ。いよいよステージが始まる。忘れることのない去りゆく夏の名古屋の想い出が得られることを期待して。
スタッフルームから、若い女性が4人出てきた。拍手が沸き起こり、一気に興奮は高まる。汗だくで通路を確保するガードマン。勿論、私も拍手を送った。周りを見たら、私に異様な視線を送る人はいないようだな。上手く装えたな。
歌が始まった。勿論小さいステージなので、大きなアクションは取れないが、手振り身振りで一生懸命に躍りながら、明るい歌を熱唱している。時折、コールが沸き起こった。よく聞くと、「マイちゃん」と「アミちゃん」しか聞こえない。でも、ステージで歌っているのは4人だ。また、よく見てみると、2人1組で同じ衣装を着ている。
このステージは「Team Red」と「Team Yellow」に分かれていて、それぞれマイちゃんとアミちゃんがいる(勿論、設定されている名前だけど)。だから、4人なのだ。どうして、マイちゃんとアミちゃんかというと、このビヤガーデンの名前が「マイアミ」という名だからだ。米国のマイアミを連想しがちだが、実際の所は嘘でも無さそうだ。
歴史を繙けば(ひもとけば)、此処は元進駐軍相手に酒を飲ませていた場所だった。そして、ビヤガーデン開店の折、米国の進駐軍を思い出して付けられたのかも知れない。言わば、名古屋駅近くへの置き土産だったのだ。その置き土産が名古屋人の夏の憩いの場として親しまれたのだ。そして、今年50周年を迎えるが、同時に会場となっている大名古屋ビルヂングの建て替えで、此処での開催は今年で終わりなのだ。その所為なのか、盛り上がりも凄いし、ステージの歌も明るく聞こえた。また色取り取りの照明が、明るく娯しく歌うマイちゃんとアミちゃんに照らされて、幻想的に見える。私より年下で、心身共々溌剌となれば、思わず彼女たちを応援してしまう。どっちがマイちゃんかどっちがアミちゃんかは知らないが、見た目は20代前半だし、これからどんな人生を送るのか、前途洋々の人生を送らせたい。子供を設けていないのに、そんな親心なのだ。去りゆく夏の名古屋の想い出としては、決して忘れられない宝物になりそうだ。
そして、後ろを振り向くと、先程のガードマンがステージを見ながら、警備をしているが、その表情はどうも寂しげに見えた。娯しい空間を職場にされている束縛感では無さそうだ。やはり、寂しいのだ。このビヤガーデンが終わってしまうことを。後2日で終わる寂しさではない。大名古屋ビルヂングに設けられているこのビヤガーデン自体が終わってしまう寂しさだ。昔は客として来たのかな。その時は、今と同じとても娯しいビヤガーデンだったのだろう。このビルは建て替えられるのだが、(此処での)次回のビヤガーデン開催まで生きられる保証は何処にも無いとしたら、この寂しさは他人事ではない。たまたま、今年で最後という事なので立ち寄った私だが、新しくビヤガーデンが開かれたら、どうなるのだろう。値段を見て、ドライに立ち去る事はしたくないな。
ステージを見ながら一首。
仕事中華やかなステージ仕切りつつ華やかに酔ふガードマンかな
ライブが終わり、先程のマイちゃんとアミちゃんがスタッフルームに帰るのだが、その途中の客とのハイタッチがとても熱かった。常連客はステージ近くに陣取って、ハイタッチをしながらあれこれ会話を交わしていた。興奮が冷めやらないのか、いいノリで会話しているではないか。折角ライブを見たのだから、ハイタッチでもしておくか。
ハイ、私もハイタッチをしてきたよ。勿論返ってきた。小さくて柔らかい手だった。鼓動が微かに強くなった。
「どうも、初めまして。」
「初めまして。あれ、初めてなんですか?」妙に驚いた口調だった。
「初めてなんですよ。しかも、東京から来たんですよ。」此処でゆっくり名古屋人の仮面を剥ぎ、素顔の東京人をさらけ出す。
「えっ、東京からですか。」また、妙に驚いた口調だった。
「そうですよ。」でも、気になった。東京人が来てはいけなかったのか?
「名古屋には何度も来ているんですけど、今年が最後だというので、日帰りで来たんですよ。」
「名古屋には何度も来てるんですか。ありがとうございます。」驚いた口調が消えて、感謝一色の口調に変わった。
「それじゃ、時間まで娯しませて頂きますよ!」
「ハイッ、ありがとうございます!」最後は互いに笑顔で見送った。3800円の元が何か取れたような気がする。食事ばかりだと、あれもこれも欲張って残してしまったり、体調を崩したりして醜態を見せてしまうが、こういう息抜きのライブがあると、本当に娯しめるね。ありがとう。去りゆく夏の名古屋のいい想い出が一つ出来たよ。
私は暫く、彼女たちの動向を目で追っていた。やはり客とハイタッチをしていた。見に来てくれた感謝の気持ちもあるが、やはり最後の年と後2日の営業と相俟ってか、一人一人キッチリとハイタッチをしたり、手を振って別れたりしていた。気分は最高潮ではあるが、何処か寂しい光景だった。来年の今頃はこんな光景は見られないし、この大名古屋ビルヂング自体も無い。そして、彼女たちも此処にはいない。何処かで幸せに暮らしていれば、私としては何ら文句は無い。ちょっと感傷的な去りゆく夏の名古屋の想い出が一つ出来た。
すると、脳裏にメロディーが流れてきた。仙台を舞台にした名曲「青葉城恋歌」だ(名古屋だから、「名古屋恋歌」だな)。「青葉城恋歌」の歌詞と今の状況を照らし合わせても、何ら違和感が無いのだ。時季は夏だし、娯しかった過去をふと思い出している点もよく似ている。「青葉城恋歌」の最後はこれで締められている。
あの人はもういない……。
やはり、よく似ているな。言い換えると、こうになるな。
彼女たちはもういない……。
写真は夜の帳に包まれるビヤガーデン。 |
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(2012年9月15日) 大名古屋ビルヂングの秘めたる宝石箱 |
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名古屋の想い出を抱えた私は、再び席に戻った。長月の一夜限りの出会いの感傷に少し浸った後、ジョッキを傾けようとしたら、ウーロン茶は干されたままだった。おまけに七輪で焼いた牛バラ肉と砂肝も頂いた後だったので、もう一回取りに行くか。
今度は砂肝と味付けホルモン、焼き鳥3串を取って戻った。飲み物は気分転換の為に、ジンジャーエールにした。焼き鳥を鉄板に載せるが、色から見ると調理済みみたいで、串も固まった脂で濡れていたが、焼いて頂いた方が衛生的だ。余ったスペースでまた砂肝を焼いた。火力が強いのですぐに焼けるのだが、1回目で火力の強さを勉強したので、落ち着いてトングで焼き鳥や砂肝を返すことが出来た。その合間にジンジャーエールを傾けながら、残っている枝豆とフライドポテトを抓む。今度は落ち着いてビヤガーデンを娯しんでいるな。焼けた砂肝や味付けホルモンをタレに付けて頂きながら、ジンジャーエールを一啜り。
周りはすっかり暮れてしまって、ビルの灯りがキラキラと煌めいている。航空障害灯の赤いランプもルビーに見える。いい夜景だな。周りは高い建物が無いので、各々の灯りがとても煌めいて見えた。時折ネオンも見えるが、小さく見えるので諄く(くどく)見えないし、周りが蛍光灯から為すダイヤモンドなので、色があるネオンから為すルビーやサファイヤ、はたまたエメラルドに見えて、今日の疲れを癒すには丁度良かった。大名古屋ビルヂング屋上のビヤガーデンに秘められている宝石箱をひっくり返して、多々の宝石に心をときめかせた。どうして、今まで寄ろうとしなかったのだろう。何とも損した。こんないい夜景を見ながら、ビヤガーデンが娯しめるなんて知らなかった自分が愚かだった。これが見られるのは今だけだ。目に焼き付けておくか……。夏の一夜限りの出会いだな。その夜景にゆっくりジンジャーエールを傾けて、焼き鳥をトングでひっくり返す。
焼き鳥を相手している内に、砂肝がドンドン焼けていき、辛めのタレに付けて頂いている内に干してしまった。それじゃ、3皿目の砂肝を取りに行きますか。その途中、デザートのゼリーに目が行った。ゼリー好きな私は思わず立ち寄って、ゼリーを手に取った。伊予柑の果肉が贅沢に入ったゼリーだった。土産にピッタリだな。そうだ。折角ビヤガーデンに来たのだから、持って帰るか。と、2つ取って自分の席に着くや否や、すぐさま鞄に忍ばせた。 |
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(2012年9月15日) ビヤガーデンの気休めに…… |
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3皿目の砂肝を焼きながら、充分に焼けた焼き鳥を抓む。合間にジンジャーエールを一啜り。味付けホルモンを抓みながら、残り少なくなった枝豆を抓む。そして、砂肝を抓みながら、新たに取ってきたフライドポテトを抓む。
食べてばかりだから、何か話すとするか。何がいいかな?
そうだ。今日行った馬籠宿でも話すとするか。後1時間位あるから。気休めに聞き給え。
新横浜発6時丁度の新幹線に乗って、名古屋へ向かっている。天気はまあまあ良いな。富士山が良い具合に撮れた。
しかし、浜松通過時に通路上の液晶表示が、気になる知らせが出ていた。
「関西本線 大雨の為、運転見合わせ」だった。本当は15日〜17日の3連休を使って、伊勢周辺をぶらつこうとしたが、天気が余り良くなく、天気が良い15日だけ出掛けようとことになったのだ。これは或る意味幸運だ。名古屋駅桜通口に程近い大名古屋ビルヂング屋上にあるビヤガーデンに行けるからだ。しかも、ビル自体の老朽化で立て直しの為、今年が(そこでの開催は)最後だというので、どうしても行きたかったのだ。
浜名湖を見ながら、珈琲を啜る。今日の予定を練り始めた。まず、関西本線が運転見合わせだったら伊勢志摩は中止だな。10月の大須大道町人祭の序でに行けるし、日帰りで伊勢神宮に参詣するのは、時間に追われているようで味気ない。だったら、名古屋周辺がいいな。どうせなら、下呂温泉や恵那峡、馬籠宿でも行くか。時間はまだあるし、ジックリ考えるとするか。ゆっくり珈琲を啜った。豊橋駅を通過した。
名古屋で定番のモーニングを注文し、尚考える。9月中旬で、下呂温泉も恵那峡も中津川も紅葉はまだ早いが、暑さを癒すには良い頃合いだ。何処にしようか。半切れのトーストに齧り付いた。付いてきたいちごジャムを懐に忍ばせて。後でアイスティーを買えば、ロシアンティーが出来るからね。
話を戻して、何処に行くか考えた。名古屋のビヤガーデンもあるからな。予約を取ろうとしたが、前日埋まっていて取れなかったのを見ると、余程早い内に行かないと相当待たされて、帰りの新幹線に間に合わないことだって考えられる。また、久し振りに大須をぶらつきたいし、その時間を考えると、スンナリ行ける場所が良いな。下呂温泉は消えるな。10月の旅行に持ち越すとするか。恵那峡と中津川、どちらにしようかな? スンナリ行けると来れば、スンナリ名古屋へ戻れる所が良いな。だったら特急に乗れる場所が良い。時刻表を見ると、中津川が全ての特急が停車するのに対し、恵那は殆ど通過する。
よし、馬籠宿にするか。此処から中央本線で1本だ。中津川で降りて、バスで向かう。8時17分に中津川行きがあるから、それに乗っていくか。と、ゆで卵の殻を剥くが、殻に白身が付いたり、白身に薄い膜が付いたままだったりして、上手く剥けなかった。
中央本線で中津川へ向かった。車内は土曜日なので混雑していて、名古屋では座れなかったが、次の金山で難無く座れた。座った場所は奇抜なコスプレ格好の若者が座っていた。何だ。今は(大須で8月に開催される)コスプレサミットの時期ではないが、何かイベントがあるのか? とにかく、若いって良いね。どんな奇抜な格好でも似合ってしまうし、スンナリ着られるもの。齢34で若者の範疇と勝手に謳っていて、街中より馬籠宿に向かう私は変なのか?
金山、鶴舞、千種、大曽根、新守山は名古屋市内だが、新守山だけが僅かながら田園地帯の様相を見せている。賑やかな場所が見当たらないこともあるが、細々とした場所も無いし、何処か大らかだ。快速は無情に通過する。
矢田川と庄内川を渡ると、春日井市の勝川に到着する。名古屋のベットタウンだろう、商業地帯が駅周辺を取り囲んでいる。しかし、それはJR勝川駅の話で、名古屋の隣枇杷島駅から伸びている東海交通事業の勝川駅は全くの蚊帳の外の様相。それは、同じ勝川駅でありながら、駅舎が別々に位置していて、隣接していないからである。進行方向左側からその駅舎が見えるが、寒々とした高架駅で、中京の大都会名古屋界隈では摩訶不思議な存在だ。機会があれば、見て欲しい。勝川に到着すると、向こう側のホームが柵が立っているが、計画は此処に東海交通事業が入るそうだが……。
高蔵寺辺りで田畑がチラチラ目立つようになり、漸く田園地帯の風景が入る。やっと、田園地帯か……。此処から愛知環状鉄道(愛称:愛環(あいかん))が発着する。長らく高蔵寺〜岡崎の営業だったが、2005年の愛知万博の開催地が愛知環状鉄道の八草(やくさ)だったのが縁で、名古屋迄乗り入れするようになったので、利便性がグッと向上した。
定光寺(じょうこうじ)に向かうと、一気に様相が土岐川沿いを走る山間になる。土岐川を見ても広い河原は余り無く、大小の石が両岸を埋めていた。民家は余り見当たらず、鬱蒼(うっそう)とした森が周りを覆っていた。名古屋を発ってどの位経ったのか。時計を見たら8時45分近くを指していた。ほんの30分で、大都会がこんな山里になってしまう。
隧道を脱けてすぐに建物を見付けた。赤い文字で「定光寺」と出ていて、マンションとも商業施設とも区別が付かない白い建物だが、建物自体は相当綻びていて、無人になって相当経っているのだろう。階段の柵なんか完全に錆びていてボロボロだった。おぞましい廃墟だった。名古屋から30分近くの場所にこんな廃墟があるなんて……。
古虎渓(ここけい)は、名前はなかなか古風で良いのだが、何処が古虎渓なのかはよく判らなかった。「渓」と出ているから、川沿いなのだろう。土岐川の玉野渓谷の最寄り駅なのだが、風景自体が中国の廬山の虎渓によく似ているそうで、名付けられた。でも、何故「古」が付けられたのかは判らない。機会があれば、定光寺と一緒に訪れてみるか。
多治見。ご存じ美濃焼の名産地として有名。土岐市、瑞浪(みずなみ)と窯場が多く点在する。車窓からでも、窯場の煙突が見られる。此処も機会があれば、訪れてみたいな。自分で轆轤(ろくろ)を回して茶碗を作りたいな。萩と同様。私が目にしたのは、稲刈りをしている農夫の姿だった。随分早いな。まだ9月中旬だよ。……駄目だ。八王子に来てから、すっかり季節の移り変わりに鈍感になってしまった。稲刈りの時期すら朧気になってしまった。
気を取り直して、二句を綴る。
稲刈りと汗拭く農夫土岐の郷
東濃や彩る陶器田の色も |
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中津川。中央西線では、重要なターミナル。名古屋市発の(各駅停車)電車が一番遠くまで行ける場所だ。時刻は9時32分。結構掛かったな。
中山道の中津川宿の最寄り駅だが、大半はバスで馬籠宿へ行く。バスの運賃表は液晶で、東京では余り見られないので、得(?)をした。そして、途中のバス停での乗降客も殆どいなかったので、スムースに馬籠宿に向かえた。
交通量がまあ多い片側2車線の道を暫く走り、段々山奥に入っていくが、でもまぁ、バスの乗り心地はよしとして、馬籠宿に向かう途中上り坂やカーブが結構あった。座席に着いていたが、何度も手摺りに捕まった。下手したら、酔ってしまいそうだ。と言うことは、昔の旅人はこのような坂道を上り下りしながら、中山道を行き来していたことになる。いやぁ、現代文明は何とも有難いことではないか! 此処に来るにも名古屋から約1時間15分で済むもの。
何度も上り坂を登って、馬籠宿の入口に到着した。土産物屋が点在していて、広い駐車場が設けられている、典型的な山間の観光場所だな。10時近くでも結構観光客がいる。それ程有名な宿場町なのだ。坂とカーブが続いている道を越えれば、此処馬籠宿でいいことに出会えそうな気がしているのかな。勿論、この私も日帰り行程ながら、いいことに出会えることに期待している。今夜立ち寄る名古屋駅桜通口近く、大名古屋ビルヂングのビヤガーデンだ。カーブに揺られて少し酔いそうなので、ゆっくり深呼吸して馬籠宿に入るとするか。
天候は雲がやや多めながら晴れ。暑さはさほど感じられない。
さて、この馬籠宿の特徴は、木造家屋が残っていたり、水車があったり、木工品の土産が置かれていたりして色々あるが、一言で言うとすると「坂が延々と続いている」ことだ。バスで坂に遭って、此処でも坂に遭うとは……。酔いがぶり返しそうだ。
話を変えよう。つまり、平地が少ない場所で、上手く宿場町を形成でき、人の営みが為せた日本人の智恵に敬服する。千枚田もその通りだ。また、この坂道だ。いい運動になるぞ。観光も出来て運動も出来る。なかなか贅沢な旅ではないか! でも、底が磨り減っている靴で歩いたら、転びそうだ。丁度いいことに、私の靴は新調していて底がしっかりしているので安心だ。しかも、健脚であれば、こんな坂はスンナリ登れる。まだ三十路半ばだ。若者であることを示し給え、旅人よ! でも、此処で林檎やオレンジ等丸い果物を落としてしまうと、大変だな。
坂を登ると、石畳の道に木造家屋が続いている。長年の風雨に晒され黒ずんでいる板塀が、殆ど朽ちることなく、平成の馬籠宿の一角として現存している。地元の人の手入れが行き届いている証しでもあるし、馬籠宿をこよなく愛し、来世にまで伝える意気込みが感じられる。それを見て歴史の重みを感じる観光客がいる。それを、珍しい芸術品を愛でるかの如く、携帯やデジカメで撮影している観光客もいる。そして、私もアナログカメラで撮影している。考えると、古き良き街並みが残されている馬籠宿だから、極端なデジタル機具は余りそぐわない。こちらも古き良きカメラの一員だ。
また、木曽名物の五平餅を売っている店が多かった(五平餅は粗く叩いた餅米を木の棒に巻き付けて焼き、くるみ味噌を塗った郷土料理)。木曽と言えば信濃の南西部を指すが、此処も木曽地方なのか。あっ、そう言えば、馬籠宿から北は木曽路だと出ていたな。しかも、長野県とも近いし、納得できる。
あれ、モーニングで満たした腹が空き掛けてきた。すると、目の敵の如く五平餅を頬張りながら歩く観光客の多いこと! 今年のゴールデンウィークで名古屋城で頂いたのが最後だし、木曽路だから1本抓むかなと思ったら、新横浜駅で買った焼売に目が行った。新幹線の中で頂く予定だったが。折角あるのだから、焼売でも頂くか。一般大衆と同じ事をしても、面白くないからね。ほら、良い具合に郵便局の脇に木造の四阿(あずまや)がある。馬籠宿で焼売か、ピントズレしているけど。
果たして、馬籠宿での焼売のお味は……、やはり変わりません。
お慰みの一首。
五平餅歩いて頬張る馬籠宿焼売抓む姿如何にぞ
写真は馬籠宿。 |
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馬籠宿本陣資料館に入ってみた。そこには江戸時代から昭和に掛けての馬籠宿の暮らしの変遷が展示されている。
江戸時代、馬籠宿は宿場町として賑わっていたが、その反面、尾張藩の木曽の桧を重視していた故、「木一本、首一本」の厳しいお触れで、住民は山に立ち入ることすら許されず、鋸で木を切ることすら許されず、僅かばかりの田畑を耕して生計を立てるという塗炭の苦しみを舐めさせられていた。それで以て、徳川宗春公のあのど派手政権が成り立っていたのか。ケェッ、忌々しい! その後、宗春公は徳川吉宗公から蟄居を命じられたのは、馬籠宿からの痛恨の差し入れと言ってもいいだろう。しかも、明治になっても大財閥の手に掛かり、二束三文で買い叩かれ、暮らしは全く向上せず。また、文明開化の恩恵も殆ど届かず、終戦近くまでランプや囲炉裏を使っていたのだ。その挙げ句の果ては、高度経済成長で若者が次々と馬籠宿を離れ、廃れてしまった民芸品が多かったのだ。まさに、冷雨が身に沁みる時代を経ていたのだ。しかし、残された住民は馬籠宿の文化を決して風化させてはならぬと、修理を繰り返しながら街並みを保存し、「ディスカバリージャパン」と旧国鉄が大宣伝をした折、それに乗じて民芸品を復活させて、四季を問わず観光客が訪れる古き良き宿場町の薫りを強く残す観光地なったのだ。まさに住民の会心の大勝利と評しても遜色ない。それでも、此処でもインターネットやスマートフォンが使えるのは、ちょっと違和感がある。囲炉裏でスマートフォンを使う姿があれば、どんな印象だろう。
しかも、この馬籠宿は木造家屋が多く、囲炉裏には火種という火を熾す元になる大鋸屑(おがくず)を固めた物があったので、火災が多かった(家事を終える時に、火種を囲炉裏の中央に燻らせておき、翌朝にこれに大鋸屑を撒いて、火を熾したそうである。因みに、この火種を隣近所から借りるのは恥だとされていた)。宿場町時代でも4回も大火があり、宿場町の中心部が殆ど燃えてしまったのだ。それ故防災意識が強く、色々な消火器具が使われたのだ。中には水鉄砲によく似た消火器具もあって、思わず吹き掛けたが、火災が多い宿場町で使われたとなると、嗤ってはいけない。
隣には囲炉裏があった。最近は殆ど見掛けないので、焜炉を使っている若者には摩訶不思議なものに見えるだろう。真ん中に鍋があるので、「もしかして、料理や食事の時に座ったのか?」と思ってくれれば、その通りだ。此処に家族が囲んで座って食事をしていたのだが、座る位置が明確に決められていたのだ。玄関から一番遠い位置が家の主家長が座り、その左には家事を仕切る家長の妻が、そして、玄関から一番近い場所が子供や家事を仕切ることをまだ許されていない子供の妻等が座っていたのだ。また、胡座は家長のみで、その他は正座で食事をしていた等、家族の中でもキチンとした身分が仕切られていたのだ。今の核家族から見れば、何とも息苦しい空間に感じるし、高度経済成長の折に、流行が殆ど入らず、伝統的な家族制度に息苦しさや反発を憶えた若者が流行と自由を求めて流出した原因の一つに考えられても納得行く。そして、現在。此処を訪れる観光客に、大都会では忘れ去られていた伝統と風習が、大きな刺激を与えている。そして、その伝統に惹かれ跡を継ぐ若者も増えている。最新の流行ばかり追い求めても、周りがそうしている限りは、新しい発見があっても何ら刺激は無いが、このように伝統を引き継いで、新しき心意気を入れることで、新しい発見があれば刺激が生まれる。先程の囲炉裏だってそう言えるし、封建的な家長制度だって、まぁ男尊女卑が未だ罷り通っている日本では、(失礼ながら)幾分言えそうな気がする。
本陣資料館を出て、また坂道の宿場町を歩く。天候は雲がやや多めの晴れ。暑さは余り感じない。長引く残暑にウンザリしていたので、備えていた扇子が心地好く扇げる。でも、ソフトクリームやかき氷の幟(のぼり)を見ると、つい入ってしまいそうだ。9月半ばでも、まだまだ夏の余韻があるんだな。
此処で一句。
夏の服纏ひて馬籠秋の風
馬籠宿の長い坂を登り切ると、十字路に出た。向こうには高札が出ていて、当時の御触書が掲示されていた。行書ばかりだったので殆ど読めなかったが、これも宿場町の名残だ。
それを過ぎると、一気に山間に入り、所々に民家や小さい畑がある。よく見掛ける山間部の集落だった。このような場所に帰省しているので、懐かしさがあり、展望台を無視して暫く見入ってしまう。柵から飛び出た可憐な花も、何処か寛容に見える。
右側に展望台と四阿(あずまや)があって、此処が馬籠宿の終点(?)だと思わせてくれる。道を目で辿ったら、アスファルトの味気ない道が続いているだけ。
坂を登ってばかりなので、一服するか。丁度、中津川市街が遠くに見えて、気分がいいから。早速、無糖紅茶でも、無いか……。では、いい。景色でも眺めるか。先程の青空は雲に掻き消されているが、雨が降る気配は無い。
休みながら一首。
馬籠から山奥の郷垣間見る外れた民家の秋の暮らしを
写真は馬籠宿から外れた光景。 |
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時計を見たら、11時30分近くを指していた。いい昼餉時だな。何処かで摂るか。と、脳裏で浮かんだのは、蕎麦だった。「信州信濃の新そば」の時期でも場所柄でもないが、信濃に繋がる木曽路に位置している馬籠宿だ。蕎麦でも頂こう。さっきは売られている五平餅を頬張る観光客を横目にし、ピント外れの横浜名物焼売を頂いてしまったから、キチンとした名物を頂きたい。
と、バス停に戻るがてらに目に付いたそば屋に入り、ざるそばを頂いた。所が、蕎麦の香りが弱いし、そばつゆの味もハッキリしなかったので、7分程しか頂けなかった。珍しくハズレを引いてしまった。
資料館を兼ねているお休み処に入り、ケイタイでビヤガーデンに電話した。今日は予約無しでも入れるかどうか、確かめたいのだ。ビヤガーデンに行ける機会を得たが、肝心の入れるかどうか判らなければ、今日の行程はおじゃんになり兼ねないからだ。しかも、今日は土曜日で事前予約は全日埋まっていたので、時間内に入れるかどうか余計気になる。果たして、結果は? 先程のハズレは御免だ。
すると、ビヤガーデン側から女性のハッキリとした口調で答えてきた。まず、当日席は予約席より多く取ってあるとのこと。また、時間がそんなに遅くならなければ、予約が無くても入れるそうである。しかし、今日は今までの土曜日と同様の客の入りかどうかは、答えられなかった。どっちにしても、時間が早ければ当日席に有り付けることが判った。これで何の気兼ねなく名古屋へ戻れるぞ。
坂を下りて、バス停がある場所へ戻った。まだ、時間があるので土産物屋でも覗いていくとするか。
一番面白かったのは、普通のチェーンのコンビニに地元産の果物が置かれているのだ。東京では見掛けない光景に驚いたが、桃や林檎等が置かれていた。もう林檎が出ているのか。天竜峡では8月中旬でも早稲種の林檎が収穫できるそうだし、これでも季節の移ろいが感じられる。桃はそろそろ終わりだから、今年最後の桃として買っていくとしよう。7センチ程の大きさで280円也。3つで840円。一方、林檎は4個パックで450円也。
次はバス停近くの大きな土産物屋に入った。何と、馬のタンの燻製があった。歯応えのあるタンは私の好みだから、量の大きいパックをジックリ選んだ。1050円也。また、生蕎麦もあった。でも、此処は1食毎に袋に入れられていて、客が欲しい分だけ買えるというセルフオーダー式で販売している珍しい生蕎麦だ。1食分270円也。2食分買って540円。それに、絵葉書と木曽路の宿場町をスケッチした葉書形式の画集を入れれば、馬籠土産としては良いだろう。
またバスで中津川に戻り、中津川から特急「ワイドビューしなの」10号で名古屋に戻った。1時間程で到着するが、千種に向かう途中にウトウト仕掛け、新守山辺りで目覚めた。
名古屋に到着し、馬籠宿で買った土産をコインロッカーに仕舞おうとしたが、殆どのコインロッカーが使用中。土曜日だから仕方がないが、どうしても仕舞わなくてはいけない。大須観音に立ち寄りたいし、当初の目的ビヤガーデンに行きたいから、荷物を抱える訳には行かない。
コインロッカーに人の流れを察知して、粘ること5分。300円のロッカーが1つ開いた。近くにはカートンを転がしたサラリーマンがいたが、カートンが入らない大きさと見て諦めた。そこに荷物を仕舞うことが出来た。
その後、大須観音をぶらついて、大名古屋ビルヂングのビヤガーデンに来たのだ。 |
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時計を見たら19時10分近くを指していた。後40分だ。ステージは見に行ったし、好きな物は大方頂いたし、どうしようか……。出来れば、ギリギリまで娯しみたいな。だけど、名古屋に宿を置いていないし、遅くなると新幹線の時間に間に合わなくなる。私はシンデレラか。3杯目になったウーロン茶を傾けた。1杯目程の新鮮さは無く、独特の渋みだけが口中を駆け巡った。
それじゃ、〆に入るか。何がいいかな……。七輪を使わない食べ物がいいな。ご飯物がいい。
カレーを頂いた。それも牛肉がゴロゴロ入っている何とも贅沢なカレーだ。丁度カレーを取っている客はいなかったので、美味しい所を上手く狙えるチャンスだ。夕陽に向かって乾杯できたし、感慨深いステージも見られたし、いい食事も摂れたので、〆も成功したくなる。直径7センチ程のカップに盛る。一口頬張ると、余り辛くないカレーだが、一口毎に歯応えの良い角切りの牛肉が入ってくる。私は辛いカレーが好みだが、これなら後2〜3杯は行けそうだ。と、2杯目に移る。今度も牛肉がゴロゴロしているな。〆でも贅沢が娯しめるとは、やはり行って良かったな。これで3800円は安い方だな、コリャ。スモーガスボード形式だからと言って、一気に大盛りにしてガツガツ頂かなくても、キチンと元は取れますよ。ご参考になりましたか、皆さん?
今日は大雨の影響で関西本線が運転見合わせで、一時はどうなるのかなと思っていたが、上手く機転を利かせて馬籠宿に行ったし、(綴らなかったが)大須をぶらついたら良く口にしていた舶来のウェハースに出会えたし、おまけにビヤガーデンで良き想い出が出来たし、良いことずくめの一日だった。出来ればもう1日猶予を付けて娯しみたい所だが、天気がいう事を聞いてくれないので、今夜の新幹線で東京に帰る。勿体ない話だ。最後の一口のカレーを口に運んで、残りのウーロン茶を傾けた。ホォ〜。心地好い溜息が漏れた。それは、名古屋の去りゆく物語を締め括った証しなのだ。
19時25分頃、ビヤガーデンを出た。見ると、受付では先程より多い待ち人がいた。しかも、視線は中を覗いていた。一刻も早くあの娯しい空間に身を委ねたい気持ちが良く判る。そりゃ、営業が後2日で且つ今年で此処での開催が最後だから、名残惜しむ客が多いのだろう。このビヤガーデンは22時迄開いているが、オーダーストップがフードは21時30分、ドリンクは21時45分になっているので、後2時間しか娯しめない。娯しめなかった分は明日に持ち越しだが、明日は最終日だから悔いの無いよう娯しめるかどうかは、本人の運次第と言った所だろう。偶々待ち時間0分なのは、幸運なのだろう。
外に出ると、ウィンドーに大名古屋ビルヂングへのメッセージが出ていた。名古屋ゆかりの人物や名所からだが、一番面白かったのは、織田信長公の「人間50年、ビルも50年」とマイアミのマイちゃんとアミちゃんの「屋上が、私たちの青春でした」のメッセージだった。他のを見ると、新しいビルになって再会を果たしたいメッセージが多く出ていた。それ程、名古屋人にとって切っても切れぬ存在だったのだ。私のように野暮用で立ち寄った人でも、その思いはよく判る。立て替えするのだから、ビヤガーデンも此処に戻って営業する筈だ。何時になるかは判らないが、もしその時はまたビヤガーデンに行くつもりである。再会の気持ちで。
地下通路に出ると、寂しい光景に出会った。大名古屋ビルヂング閉館のカウントダウンだった。後16日だった。言い換えると9月末までだ。他の所を見ると、殆どが他の場所への移転を済ませていて、シャッターが閉まっていた。大名古屋ビルヂング自体から見れば、単に立て替えだけだと思うが、名古屋駅界隈から見れば、戦後から続いていた灯りがフッと消えてしまう寂しさが強い。新しいビルの落成が待ち遠しい(平成27年10月の予定らしいが)。
そして、大名古屋ビルヂングを撮した。青いネオンで、「大名古屋ビルヂング」と照らされているが、これもまた寂しい。新しいビルになったら、このネオンはどうなるのだろう。そして、大名古屋ビルヂングの名称はどうなるのだろうか。二度と見られないとすれば、撮した価値は大いにある。この瞼に焼き付けておこう。
ありがとう、大名古屋ビルヂングとビヤガーデン「マイアミ」。
そして、また会おう、大名古屋ビルヂングとビヤガーデン「マイアミ」。
その思いは、名古屋20時丁度発のこだま682号に乗って、途中の豊橋でひかり534号に乗り換える為に待っている時でも、何も見えない夜景を眺めている時でも、新横浜から乗り換えで立ちんぼの横浜線車内でも色濃く残っている。
これは今日の出来事を嘘偽りなく綴った気持ちだ。
その証しの一首。
マイアミや今年で終わるビヤガーデン新たに粧ふその日指折る
写真は懐かしい大名古屋ビルヂング。 |
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