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夏の盛り、久し振りに房総へ出掛けた。近頃房総はご無沙汰だから。最後に房総を旅したのは何時だったのか……。旅行の記録を繙いて(ひもといて)いくと、2005年12月に勝浦でブラブラしたのがその時に綴った詩で判ったのだが、もう少し掘り下げていくと、2007年の冬に鬱に罹り、それを静める為に曇天の房総をあてもなく彷徨い、佐貫町で僅かに雪が降ったことや安房鴨川駅に近い横渚海岸で弁当を抓んだこと、安房鴨川から高速バスで千葉駅へ向かって、千葉みなとの行き付けの印度料理店で、景気付けにスパイシーなカレーを頂いたことは憶えているが、もう何年も旅していないな。房総は外房の長生に親戚の家があったことや、鴨川に親戚の墓があったことが縁で身近な場所になった。まぁ、私の旅好きの原点は房総にあると言ってもいいだろうが、何年も旅していないとなると、相当不謹慎に感じられる。その不謹慎さを省みる為、房総に出掛けたのだ。
東京駅で思わず話題の本を2冊買い、昼餉として牛タン弁当1300円、そして贔屓(ひいき)にしているヒレカツサンド650円と朝餉代わりのクリームパフ2つを買って、8時54分発の内房線直通総武快速線君津行きに乗った。此処は成田エクスプレスも発着するので、外国人が目立つのも特徴。英語表記が至る所にあるが、アナウンスはキッパリと日本語なのが何とも滑稽に聞こえる。でも成田空港の「成田」位は判るだろう。
最初の目的地木更津迄、約1時間20分。迷わず、グリーン車に乗り2階へ上がり、進行方向右側の席に座った。これは、内房線で海側の景色が良いからである。こういう遠出の場合は少し奮発して贅沢な空間で移動したいのと、快適に過ごして疲れを軽減させたい。リクライニングシートなので、特急列車同様の雰囲気がある。況してや、眺望の良さが期待できる2階だと気分は上々。そんな上々気分で朝餉代わりのクリームパフを抓んだが、甘さが少しくどく、烏龍茶で流していたのにも拘わらず、乗り物酔いを催しそうなので少し残してしまった。
千葉駅は総武本線、京成千葉線、千葉都市モノレールと路線が豊富で、房総の大都会に相応しく多くの客が右往左往しているが、2つ先の蘇我駅になると、内房線、外房線、京葉線と路線が豊富な割には、客はパラパラで乗り換えもノンビリ歩いているだけだ。此処からだと、時間は秒針は要らなくなる房総時間になるようだな、コリャ。暫く腕時計を外して、車窓からの景色を眺めるとしようか。
内房線。昨今の時刻表を見ると、特急列車が朝晩だけの運転で、寂しさが付き纏う。それを補う為に、総武快速線直通電車が入っている。その元凶は、東京湾アクアラインの存在である。京葉線沿線を迂回していたのが、東京湾を横切るように高速道路が出来、時間が短縮できたからだ。マイカー時代の今日、マイカーで房総をドライブする人が多くなり、特急列車に乗ることは余りなくなってしまったのだ。闇雲に便利至極な物ばかり選んでいるようで、何とも寂しい話だ。
蘇我を発って浜野へ向かっても、暫く住宅街を走る。浜野は千葉市の南に位置するが、場所は中央区と出ている。「中央区」と聞いたら、その都市の機能が集中していて、賑やかな場所だと思っていたのだが。首を傾げながら、烏龍茶を一啜り。
八幡宿の光景で一句。
朝顔や政党ポスター飾り隠す
五井で偶然、ホームに停車中の小湊鐵道を撮した。橙と赤のツートンで1両編成。方向幕は車体にある差し込みで表示する。これだけでローカル色が強くなる。また、階段の所で見掛ける錆びている箇所が殆どない琺瑯看板もいい味だ。ただ、掲載されている会社が、現存しているかは判らないが。
五井を過ぎると、車窓の景色が変化する。遠くに工業地帯が見えてくるのだ。何処に? 遠くに赤と白のツートン煙突が見えるだろう。それが見付かれば、次々と煙突が目立ってくるだろう。これが京葉工業地域だ。その近くには、稲穂が頭を垂れ始めている田圃が見えるという農業、工業、商業が混在する摩訶不思議な光景があるのだ。この辺に国道16号線と貨物線の京葉臨海鉄道が走っている。私事になるが、鴨川の親戚の墓参りに行った時、夜明け前にこの辺を通り、列車が走らない踏切に、不思議な印象を持ったことがある。あれが、京葉臨海鉄道なのか? 時間があれば、見てみるか。
姉ヶ崎付近になると、工業地域が近くに迫り、土砂が堆積して底が浅くなった水路がある。それに沿って夾竹桃の濃い桃色の花を咲かせている。水路の中に転覆したボートがあり、海に近いことを証しているが、このボートは相当前からあったのか、船底に夥しい(おびただしい)フジツボが付着していた。
そんなシュールな光景を見ている内に、姉ヶ崎に到着した。駅からは24時間営業の弁当屋とラーメン屋とビジネスホテルが駅前にあり(工業地域で働く人達の御用達なのか?)、その奥には大型風力発電の風車がデンと控えていたのもシュールな光景だ。
先程の光景で一句。
夾竹桃水路のボート盛夏の絵
長浦になると工業地域は遠離り(とおざかり)、また田圃が入り交じっている住宅街を走る。袖ヶ浦付近は田圃ばかり。そこに集合住宅建設と複合商業施設の計画があると出ていて、駅も改装中だそうだが、周りの田圃もその犠牲になってしまうのか。少なくとも、無味乾燥で都会のシステムを移しただけの継ぎ接ぎニュータウンは真っ平御免だよ!
内房線で唯一、快速が通過する小さな駅巌根(いわね)を通過すると、木更津に到着する。10時19分。ホームに降り立つと、外気の熱気に暫くは安堵を覚えたが、それもほんの1分もしない内に鬱陶しい暑さに変貌した。残り少ない烏龍茶をゆっくり啜り、僅かに残った冷気に浸った。
視点を変えれば、こんなに面白い光景に出会えるのにね。
上は浜野付近。
中は五井駅で見た小湊鐵道と遠くに聳える京葉工業地帯。
下は用水路で転覆しているボート。 |
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「木更津」と言われると真っ先に連想するのが、童謡ならば『証城寺の狸ばやし』、演歌なら春日八郎の『お富さん』、そして、ドラマなら『木更津キャッツアイ』と色々な分野で出てくる町。
この木更津もかつては八王子同様、駅の西口に大手百貨店があり、房総の方々から多くの買い物客で賑わい、上総の都会を担っていたのだが、撤退してから幾星霜、上総の都会のイメージは薄れ、どことなく伸び悩んでいる箇所は否めなく、潮干狩りシーズンが過ぎると、単に交通の要衝としてでしか機能しなくなってしまった。おまけに、郊外に新しいアウトレットモールが出来たことで、一気に地盤沈下に拍車が掛かりそうだ。
その西口に降り立つと、改装中のバスターミナルの後ろに、例の百貨店がまだ建物だけ残されていて別の店舗が入居しているが、撤去したロゴマークの跡がまだ残っていて、それが周辺の寂しさを赤裸々にしているかのようだった。その入口で露店の準備をしている光景を見た。かき氷にコールドドリンク等、露店には欠かせない飲食物を準備していた。潮干狩りシーズンはまだ続いているのか?
その店舗で、久留里線内で頂くノンアルコールビールを買い、駅に戻った。
11時6分発の久留里線上総亀山行き。この久留里線に乗車するのは2000年11月以来、13年振りだ(細かく言うと12年9ヶ月)。到着したのは最新のディーゼル車両の1両編成。もしボックスシートがあれば、そこに座ってノンアルコールビールを啜りながら、東京駅で買った牛タン弁当でも抓むとするか。そして、合間にいい景色をデジタルカメラに収める。如何にも旅情を掻き立ててくれそうだが、乗ってみたら、何とロングシートしかなかった。しかも、座席は殆ど埋まっていて、これではデジタルカメラしか出番が無い。2012年に鉄道設備を一新したと出ていたが、こんなに旅情を掻き消す物とは知らなかった。此処で、ノンアルコールビールを自棄飲み……、駄目だ。子供連れが目の前にいるのに、ノンアルコールとは言え、麦酒を自棄飲みするのはみっともない光景だから。三十路男らしい態度を取るとしよう。
久留里線は暫く内房線と併走するが、右に逸れて祗園に向かう。「ブォーン」とディーゼル音を噴かしながら走る。幾ら列車が一新したとは言え、この旅情を醸す音は健在だ。お慰みの無糖紅茶を啜った。木更津で買ったから、冷たさが一気に身体を走った。
外は暑さ厳しい盛夏。蝉時雨が時折聞こえ、線路脇の雑草も伸び放題で、時折車体に当たってパサパサ音がする。私の知人がこれに対し、愚痴を漏らしていた。「いい景色があっても、線路の草が伸び放題だと、それが邪魔して台無しになってしまう」と。納得できる。デジタルカメラなら、邪魔が入ってもすぐに消せるからいいが、本当にいい景色があったら、何とももどかしい。
その音を聞きながら一句。
パサパサと夏草を刈るローカル線
祗園か……。字は少し異なるが、「祇園」は一発で京都の祇園を連想してしまう。しかし、久留里線の祗園は華やかな場所ではなく、木更津の市街地にある片側1面のホームがあるだけの簡素な駅。しかも、ICカードが使えない路線だから、乗客は上にある液晶の運賃表で運賃を支払い、運転手がいる一番前のドアから下車する。車内では精算の為の車掌が切符を拝見していた。ICカードが使えない路線だから、いちいち乗客の切符を拝見しなくてはならず、ローカル線のゆったりとした空間に反して大忙しだ。
次の上総清川になると次第に田畑が目立ち、ローカル線の風情が漂い始める。黄金色に染まり掛けている稲穂を眺めながら、無糖紅茶を啜る。此処でディーゼル音がグッと利く。おぉ、丁度ブォーンとディーゼル音が響いた。こんな場所にロングシートのディーゼル車両とはね。ミスマッチだが、ディーゼル音が聴けただけでも、良いとしなくては。無糖紅茶の渋みも利いた。
横田に着いた。木更津市を抜けて袖ヶ浦市に入った。周りの景色は田圃が殆ど占めている。家は一軒家が殆どで、アパートらしい建物は見掛けなかった。此処では、片側1面ホームが左右にあり、列車の行き違いが出来る。その為、駅舎も祗園、上総清川、東清川と違ってしっかりとした造りで、駅前にも商店があった。
降りた客はホームの階段を下って、線路上に設けられている通路を通って、駅舎が向こう側のホームに向かう。歩道橋を付けたら景観が損なわれるのか、いや、歩道橋を付ける程、都会の如く忙しくないのか、何ともシュールだ。降りた客を見ると、走っている人なんか一人もいなかったからだ。
丁度、木更津行きの待ち合わせをしていたので、1枚撮った。「木更津」の表示も電光掲示板で、旅情が台無しになり掛けそうだが、走り去る光景はノンビリしていて、まるで上総の都会木更津の繁忙振りを無視しているかのように、秒針を用いることのない久留里線の常識を固守しているかのように。シュールな光景なので、此処でも1枚撮った。
上は木更津駅西口。
下は新しくなった久留里線。 |
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(2013年8月14日) 真夏の昼下がりの上総亀山駅 |
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久留里。「くるり」と読む面白い駅だ。先述の通り、2000年11月に立ち寄った場所だ。此処で雨城楊枝という伝統工芸品の制作販売元を訪れた。確か、雨城楊枝(うじょうようじ)制作者の一人、森光慶氏夫人からお茶を御馳走された記憶がある。「『雨城楊枝』とは何だ?」という意見があるが、これは後で説明するので、涼しい車内で休んで頂戴。
しかし、13年振りに訪れてビックリした。2000年11月に訪れた時は、昔の駅名標があったり、(沿線広告の)派手な色の幟(のぼり)が無かったりと、ローカル色が強かった。今訪れてみたらどうだろう。ローカル線の駅なのだが、余りそのような雰囲気は感じられなかった。今乗車している列車が真新しい所為もあるだろうが、新しいステンレスの柵が設けられたことで、ローカル色が薄らいでしまった。何だ、コリャ。久留里線の車体も味気なくなり、久留里駅も味気なくなっていたとは。呆れて物が言えず、腹癒せに無糖紅茶を啜った。渋みが不味さに感じられた。
久留里を過ぎると山間を走り、それを縫うかのように流れている川が涼を誘う。また見晴らしの良い場所もあり、これもまた涼を誘う。この辺になると、何々郡何々町かと思うが、実は君津市に位置している。君津市の駅は内房線の君津駅が思いがちだが、先程の久留里駅も君津市の駅なのだ。種も仕掛けもない手品だな、コリャ。
3〜4回隧道を抜け、カーブの多い箇所を抜けると、上総亀山に到着する。降りた客は片手で数えられる程。片側1面の簡素なホームに、駅舎があるだけの終着駅。30メートル奥には車止めが置かれている。
この久留里線は木更津〜上総亀山の営業だが、計画では此処上総亀山から安房鴨川まで開通させる路線だった。もし開通していたら、どうなっているだろう? 山に囲まれた上総亀山から、海に程近い安房鴨川が上手く連想できるだろうか。
券売機が無く、ローカル線に多くある乗車駅証明書を発行している機械、ベンチとゴミ入れだけがある簡素な駅舎を出た。
駅を出るとT字路があるが、商店が見当たらず、おまけに人が歩いている姿も無かった。夏の昼時。蝉時雨だけが響いているだけ。山間を走るローカル線の駅前の様相だが、私にはちょっと違った印象だった。2000年11月に、JR主催の紅葉狩りウォーキングが此処で開催されるのを、駅で貰ったパンフレットで知り、出掛けたのだ。しかし、時間制限が設けられているパックツアーに似ていたので、このウォーキングには参加しなかったが、このウォーキングに紛れ込んで、紅葉狩りを娯しんだのだ。その時に乗車した久留里線が、ウォーキング参加者で滅茶苦茶混雑していて、私は何とか座れたが、途中で睡魔に襲われ、気付いた時は上総亀山の一つ前の上総松丘を発った時だった。しかも、木更津へ戻る時も、ウォーキング参加者で滅茶苦茶混雑していた上に、座れなかった。だから、その時の久留里線の光景は、リュックを背負った参加者で混雑していたことだけしか覚えていない。東大演習林の中にある折木沢の黒滝がゴールだった気がするが、途中で何度も橋を渡ったことや、途中の露店で搗き立ての餅を買って、頬張りながら歩いていたらお地蔵に会って、買った餅をお供えして、この旅の成功を祈ったことは憶えているが、目を見張る程の素晴らしい紅葉ではなかったことが悔しかった。それでも、紅葉狩りウォーキングに巧く紛れ込んでいる状態が、何とも面白かった。その時は上総亀山駅は撮り鉄(鉄道を撮るのを趣味としている人)で大いに賑わっていたが、今こうして立っていると、山間のノンビリとしたローカル線の駅だけしか無く、あの時の混雑振りは何だったのか。
私はもう一度乗車した列車に戻り、東京駅で買ったヒレカツサンドを抓んだ。無糖紅茶ばかり飲んでいたので、空腹で堪らなかったのだ。おまけに外に出て10分も経たない内に汗が噴き出し、ハンカチでいちいち拭きながら抓んだ。この時の烏龍茶の冷たさと来たら! 冷たさが身体中を駆け巡り、汗が瞬時に引いた。
上は久留里を発ち、上総亀山に向かう時の眺望。
中はJR上総亀山駅。
下はJR上総亀山駅構内。 |
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久留里へ戻った。上総亀山から約20分涼を摂った列車から降りた。片側1面のホームが2つある駅で、横田駅同様ホームの階段を下って、線路上に設けられている通路を通って、駅舎が向こう側のホームに向かうのだが、先程はその事に気付かず、味気なさを貶していたが、連絡用の歩道橋が設けられていないだけ、ローカル色が残っていると言えよう。
丁度、久留里止まりの下りが停まっていたので、シャッターを切った。電光掲示板に「ワンマン」と出ている時があるので、キチンと「木更津」と「久留里」が出ている瞬間を狙って。
さて、東京駅で買った牛タン弁当を此処で頂くか。序でに、木更津で買ったノンアルコールビールも。自動券売機、みどりの窓口、そして簡素な待合室がある広さ6畳程の駅舎で頂いた。この牛タン弁当は紐を引っ張り、熱で温めて頂く構造になっている。箱からモワモワと沸き立つ湯気を確かめながら、待つこと5〜6分。箱を開けると、厚く切った牛タンが7〜8枚麦飯の上に敷かれていて、付け出しは人参と漬け物だけという牛タンに拘った弁当だ。これで1500円とはなかなか良い値段だ。木更津で買ったノンアルコールビールを空けて早速昼餉だ。改札脇のベンチで熱心に本を読んでいる人を後目に。意外に丼飯が少なかったので、牛タンが余計に抓める(そこに発熱用の生石灰が入った袋がある関係で、嵩張っている)。良い買い物をしたな。
久留里。何とも面白い名前だ。駅から少し歩くと、久留里商店街へぶつかる。城郭と城壁を象った看板がユニークだ。そう、久留里は城下町なのだ。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』で有名な里見氏の本拠地だったのだ。久留里城は別名「雨城(うじょう)」と呼ばれ、久留里城築城の際、雨の降る日が矢鱈多かったことから付けられたのだ。その地に広がる商店街なのだが、人通りは殆どなかった。この暑さもあるが、同じ城下町育ち(埼玉県川越市)の私の視点から見ると、どの店を見ても昔からこの城下に店を構えているという味がある古色を出してはいるが、何か草臥れて(くたびれて)いる感じが強いのだ。(景観を損ない兼ねない)有名チェーンのコンビニや人影すら無いのだ。郊外に大型商業施設が出来た影響もあるだろうが、近くのバス停を見たら、東京の浜松町行き、千葉駅行きがあり、久留里に来る際は難無く来られるのだが、これに乗って買い物へ出掛ける人達が多いのも否めない。れっきとした城下町なのだから、キチンとした宣伝や、地域発展策を講じて欲しいものだ。此処も君津市なので、JR君津駅周辺の開発だけしては、君津市全体の商業地盤沈下が起きても、誰も責任は取れないから。川越もかつて、大宮の後塵を拝んでいた劣等感を発憤材料として、観光開発を真剣に行った結果、埼玉県内は疎か関東でも指折りの観光都市に変貌を遂げたのだから。
上は久留里駅停車中の行き違いの列車。
中は牛タン弁当。
下は久留里商店街。 |
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汗をを拭きながら、久留里商店街を歩いたら、湧き水を見付けた。そうだ。此処久留里は湧き水がとても豊富で、久留里商店街でも湧き水があるのだ。しかも、キチンと厳しい水質検査して、合格を頂いたからご安心あれ。そうでもなければ、「生きた水」と称し、久留里の名物になる筈がない。昨今、雨が降らないから湧き水の量も少ないかと思ったら、ドバドバ出ている! しかも、溢れた水はそのまま排水溝へ流されているではないか。節水を講じている昨今の東京圏では何とも勿体ない!
拝んで飲むとするか。早速、湧き口で掬って飲んだ。冷たくまろやかで、微かに土の味がする自然の贈り物に相応しい水だった。看板に偽りは無いな。それにしても、結構出ているな。ポケットウィスキーがあれば、水割りでも娯しめそうだが、持ち合わせが無い。もう一口頂こう。身体の中から、この暑さを瞬時に癒してくれる。ほぅと心地好い溜息を、久留里の空に漏らした。序でに、湧き水を両腕に掛けて、熱気を冷ました。すぐに乾いてしまうが、結構ヒンヤリするのだ。
商店街を少し歩いて久留里駅に戻ると、駅に隣接していた市民センター近くにも湧き水があった。しかも、数箇所から湧き出ていて、溢れ出た水は小さな水辺に注がれ、小さい子供達の遊び場になっていた。そこでは車で来た人達が、大きなタンクで湧き水を入れていた。それも、豪快に2〜3箱も。贅沢な光景に見えるが、まだ浄水場で浄化された水は不味いのか? そう思ってしまいそうな光景だった。さっき飲んだ水が美味かったから、私も少し持って帰るか、と思いペットボトルを探したら、行きの久留里線で何度も啜った無糖紅茶が半分近くもあった。えぇい、干してしまえ。冷たさが無くなった無糖紅茶を適量啜り、残った分でうがいをして、何とか開けた。中を綺麗に洗浄の後、湧き水を入れた。勢いが結構あったので、飲み口までキッチリと入れられない。少しずつ入れて、満タンにして鞄に忍ばせた。ほんの30分程度の久留里散策だったが、「生きた水」が飲めたことだけでも充分に収穫があった気がする。
何だって? 「あの話はどうなった。」って。あぁ、雨城楊枝(うじょうようじ)のことか。ゴメン、ゴメン。昼餉とこの暑さで忘れ掛けていたよ。木更津に戻る約50分間で話すとするか。
雨城楊枝は此処久留里の伝統工芸品で、最近は海外にも輸出されているそうだ。楊枝といっても竹から作られる物で、その形も様々で扇子の形や柳葉の形等あり、視る目を楽しませてくれるのだ。これが出来たのは江戸時代。作った人は農閑期の農民か。久留里城下に住んでいる職人か。いや、これを作っていたのは何と武士なのだ。歴史を繙く(ひもとく)と、士農工商で一番高い身分の武士だが、生活に困窮していた武士が大半で、時代劇でよく見る浪人も結構いたし、身分を売って町人になる武士もいたそうだ。よく「武士は食わねど高楊枝」と言うが、それ程困窮していたのだ。久留里でも例外ではなく、生活に困窮していた下級武士が、食い扶持を稼ぐ為に始めた楊枝削りの内職が始まり。それが平成の世になり伝統工芸品になるとは、下級武士の努力が報われたと言っても良いだろう。とにかく、色々な形があるから、久留里に来た時は是非ご覧あれ!
写真は久留里商店街にある湧き水。 |
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木更津に到着した。14時27分。まだ、帰るには早いし、木更津港で夕焼け空を撮りたいので。何処かで時間を潰そうか。
14時37分発の館山行きに乗った。特に用は無いが、時間が潰せればいいのだ。
そんな軽い気持ちで乗車したが、此処でもデジタルカメラが何度も活躍した。
君津へ向かう途中でも京葉工業地域が見えたり、大貫駅では千葉の菜の花をイメージしたラッピング列車とすれ違ったり(木更津に戻る途中でも、この駅でラッピング列車とすれ違った)、そして、上総湊から名前の通り海が見えたりしたのだ。稲が実り始めた黄緑色した広い田圃が小高い丘になっていて、その向こうに海が見え、余計田圃の黄緑色が映えたり、漁を終えた漁船が停泊し、穏やかな海が広がっている小さな漁港が見えたり、道路に沿って海が続いていたり……。木更津駅で買った烏龍茶を啜りながら、印象が各々異なっている海の眺望を撮していた。
そんなこんなで館山に到着した。駅舎の中では、ビーチサンダルを履いて、浮き輪を抱え、帰路に就く家族連れが多い。子供達はまだエナジーが残っているのか、足をブラブラさせながら、母親と会話していた。でも、特急列車では心地好く眠るんだろうな。家族連れで海水浴か……。私も幼少時親戚と一緒に出掛けたな。確か、外房の長生に親戚の家があったからだ。昔は家族がいて賑やかで、浜茹でしたナガラミという貝を頂いたことは憶えているが、子供達が独立し、妻に先立たれて一人で暮らしていたけど、寂しさは余り感じられなかったな。2001年8月に列車で長生を訪れた時、その家を訪ねたら、視線は合ったが声を掛けられることはなかった。相当歳だから、今はどうしているのか……。
私情は此処までにして。
館山駅はオレンジ色の屋根が南国風で、館山が一年中温暖な気候に恵まれていることが判る。植物も南国系だ。館山という事を隠せば、南西班牙(南スペイン)でも通用しそうだ。
館山駅から歩くこと僅か5分。北条海岸に到着する。色取り取りのテントやパラソルがあるが、海岸が広い割には数は少なかった上、海水浴場にある海の家が無かった。海の家が無い海水浴場は、賑やかな館山駅に近く、海岸に沿っている道に自動車が多数往来していても、やはり寂しく感じる。
時計を見たらもう16時近く。館山駅の家族連れの通り、帰路に就く時間帯だ。来る時間が遅かったのか、夜まで泳ぎたいのか、その考えは各々あるが、混雑を避けてこの時間帯に来たのが正解だったのを褒めるべきか、一日中夏の風物詩を堪能したい気持ちを褒めるべきか。何と言えばいいのだろう。この時期、海水浴場は老若男女で賑わっているが、この私には遠い昔の記憶になっている。この北条海岸も若者の姿はあるが、泳ぎが達者でない私にとっては無縁の話だった。女性陣の華やかな水着姿に心をときめかせることは無かったし、精々一人旅で私と違う青春を謳歌しているのを見て、哀しそうに笑うだけだ。
砂浜に座って哀しく笑っていたら、空に何かがツゥッと飛んできた。蜻蛉だった。暫く、空を泳ぐ蜻蛉を眺めて、暦を確かめた。8月14日。盛夏の域にいるが、もう、秋の気配が近付いているのか。夏の終わりの区切りは各々あるが、例え今週末に終わろうとも有意義に過ごしたい。残り少ない烏龍茶をゆっくり啜った。
此処で一句。
館山や蜻蛉も泳ぐ空と海
上はラッピングされた内房線。
中は上総湊付近から見えた東京湾。
下はJR館山駅(東口)と駅から程近い北条海岸。 |
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(2013年8月14日) 高所恐怖症 対 木更津の夕陽 |
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鈍行でまた木更津に戻った。木更津港で夕陽を撮る為だ。
戻ると、駅構内は意外と混んでいて、西口は今朝立ち寄った閑散としている駅前とは全く違っていて、人が一杯いた。よく見ると、車道にいる人達はグループ毎に同じシャツを着ていて、あれこれ何かをしている。グループは老若男女が混ざっている。そして、今朝見た露店では大勢の客を捌いていた。見た所、潮干狩りには関係なさそうだな。何のイベントかと近くの人に尋ねたら、「木更津みなと祭」が開催されるそうである。特に行きたい祭ではないのだが、この後忘れられない出来事があるとは、この時は思っていなかった。
時計を見たら、まだ夕陽が見られる時間なので、逸る気持ちを抑えながら、港へ向かった。その途中の露店では忙しそうに客を捌いていた。十何人前の焼きそばを一気に作っている焼きそば屋、慣れた手付きでたこ焼きをひっくり返しているたこ焼き屋に、或る程度作り客を待っている店もある。いか焼きにフランクフルト、フレンチフライ等よく見掛ける露店が多いが、中には地元の店から出店している所もあり、そこではよく冷えた飲み物を売っていた。歩道に座っている人達は、その食べ物を旨そうに頬張りながら、祭の始まりを待っていた。此処でも、車道にはグループ毎に同じシャツを着ている。何かの行列でもやるのか?
港近くまで続いている祭の賑やかさを身に受け、木更津港へ到着した。良い黄昏時で、良い写真が撮れそうだ。海の幸を売る店はとっくに閉店時間を迎えていて、ひっそりとしているが、人の往来はあることはある。私と同じ、黄昏を見に来ているのかな? 真逆、今頃潮干狩りが出来るとは思えないしね。
しかし、途中にある中の島大橋が難関なのだ。橋の高さが異常に高く、2往復して渡らなければ行けないのだ。この高さは高所恐怖症にはきついの一言。手摺りに捕まっても、私の背丈にも満たないフェンスがあっても、時折吹く海風に飛ばされないか冷や汗が出そうだ。行きの際に見付けたフェンスの修理箇所が寒々しく、近付いただけで海風に吹き飛ばされそうで、足が竦む(すくむ)。そんな怖い場所で、黄昏の良いショットが撮れるとしたら、恐怖心を必死に隠して、デジタルカメラを取り出してしまう。空は雰囲気のある黄昏の薄紫色とは違うけど。
まずは木更津埠頭に広がる工場群から。工場群の煙突からは殆ど煙を出してなく、今日は土曜日で休業であると判る。しかも、今日は木更津みなと祭だから、こんな時間まで仕事をしたい人はいないだろうし、いたとしたら貧乏籖を引かされた思いで一杯だろう。煙を吐き出している煙突は形から見れば、火力発電所だろうか? その煙は徐々に淡いオレンジ色とセピア色の黄昏空に融け込み、今日8月14日の日暮れを見送っている。その下には木更津の遠浅の海が広がり、海苔を養殖しているひびの海に涼しい夕風に誘われて、漣が立っている。その夕風に吹かれると何と心地好い。
そして、中の島大橋を渡り終えると、潮干狩りが出来る場所に着く。時期になると、家族連れで大いに賑わう。この私も2回程潮干狩りをしたが、ずっと屈んだ姿勢で、熊手で砂を掘って腰を痛めたり、指の皮がふやけて剥けて、海水が染みて痛い思いをしたり、沢山捕れたものの、殆ど消費されなかったりして色々あった。
その潮干狩りが、「今年は終わり」という貼り紙を見て、暫く歩く。人影は殆どなく、潮干狩りの時の賑やかさが想像できない。ゲートから中を覗くと、潮干狩り客の休憩所や簡易トイレ等が残されているが、聞き慣れている油蝉のジージーとみんみん蝉のミーンミーンだけが耳に入り、賑やかだった潮干狩りの喧噪(けんそう)は、記憶から掘り起こしても全く入らない。自然にハンカチに手が行き、顔を拭いた。ハンカチも日中絶え間なく出番があり、汗で湿っていた。
帰りは別の夕陽を撮った。今度は遠浅の海に沈んでゆく夕陽で、海苔ひびが遠くまであり、その向こうには東京湾を行き交う船舶が、ノンビリ走っているという落ち着く光景だった。海面は細長い夕陽を映し出しながら、漣が立っていて、夕陽が丁度当たっている海面はウィスキーみたいな甘い色に染まっていた。漣に揺られてキラキラ輝き、ウィスキーからトパーズが生まれているかのように夕陽がとても綺麗だった。ウィスキー色の夕陽の海を見たから、家に帰ったら久し振りにウィスキーでも飲むとするか。酒精は強くないので、無糖紅茶で10倍程薄めて。
上は中の島大橋がある木更津港。
中は木更津埠頭に広がる工業地帯。
下は遠浅の海に沈む夕陽。 |
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(2013年8月14日) 旅の終わりに「やっさい もっさい」 |
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全ての行程を終え、木更津駅に戻ろうとした。いよいよ祭が開催されるのか、頻りにアナウンスが入り始め、車道で待機していたグループが立ち上がり、あれこれ打ち合わせを取っていた。先程の露店が変わらず客を捌いていた。そうだなぁ。夕飯は露店物で済ませるか。と、何にしようかな。たこ焼き、焼きそば、いか焼き、フレンチフライと色々ある。この炎天下、無事に旅が出来たご褒美だ。遠慮なく選び給え。
と、祭が始まり、何やら音楽が流れてきて、車道にいたグループが両手を振り翳したり、上下左右に動かしたりし、練り歩き始めた。延々と続いているからパレードみたいな物だ。歩道にいた人達は、食べる手を止めてそのパレードを見たり、身振り手振りで踊ったりして、祭を娯しんでいた。そして、露天商の人達はこのようなイベントの中で、自分達だけ仕事をしている悔しさと、このような賑やかな祭を眺めながら、この祭に露店が出せた嬉しさを噛み締めて、浮き草稼業の辛さを慰めているのだ。今度は何処の祭に行くのか、そんな期待をも胸に秘めているのだ。
私はどの露店で夕餉を買うか目で追いながら、そのパレードを見ていたが、ある箇所が大変印象に残っている。「やっさい もっさい」と言う箇所だ。(「さ」にアクセントがある)リズム感が良く素通りしても、そのリズムに会うと、口から「やっさい もっさい」と口ずさんでしまうのだ。そして、その箇所に合わせて車道を見ると、両手を挙げ左右にリズムに合わせて大きく動かしているのだ。この「やっさい もっさい」のリズムは木更津市民にとって、誇りのような物であろう。表情が明るくそして大らかなのだ。着ているシャツの色や柄が違っていても、根本は同じ。東京のような煌びやかさは無いが、東京には無い明るく大らかな木更津の精神が、この「やっさい もっさい」で表現できていると言える。『お富さん』、『証城寺の狸ばやし』、『木更津キャッツアイ』の舞台になっていて、各世代で有名な芸能がある木更津。アウトレットモールが郊外に出来ても、木更津駅周辺を廃れさせる訳にはいかないという「このまま引き下がれない」気持ちも読み取れよう。
木更津駅までつづいている「やっさい もっさい」。駅に着くまで、この「やっさい もっさい」のリズムを憶えてしまったのだ。
さて、夕餉とはいうと、地元の店で出している露店で100円のサザエの串焼き4本を買い、駅に近い露店のたこ焼き8個入り500円を買った。そのたこ焼きはお婆さん2人が切り盛りしていたが、たこ焼きをひっくり返す物がピックではなく、スプーンだったのにはちょっと驚いたな。
これをまた2階建てグリーン車で頂いた。所が、持ち方が悪かったのか、たこ焼きはソースが零れてしまっていて、最初に頂いた。味の方は及第点だったが、サザエの串焼きは物足りなかった。もうちょっと塩味があればよかった気がする。
締め括りに一首。
木更津のやっさいもっさい黄昏に旅人の朝もやっさいもっさい |
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