2013年10月21日 秋の嵐山とトロッコ列車

(2013年10月21日) 京都嵐山の復旧を見届けて


 都は四季問わず多くの観光客が訪れる上、名所が多くあるので、どのルートが一番なのかは断言できない所が、何よりの魅力だ。
 2011年に18年振りに京都に来て、二条城、清水寺、京都御所を訪れたから、今回は嵐山へ向かうとしよう。9月の台風で甚大な被害に遭い、秋の行楽シーズンに向け急ピッチで復旧作業に取り組んでいる住民達をねぎらう為に。幾らかお金を落とせば、復旧が進む筈だ。
 バスで嵐山に向かった。所が、これが思わぬチョンボだった。京都駅から嵐山迄は思った以上に掛かったのだ。どの位掛かったって。デジタルカメラで調べたら、約1時間も掛かった。おまけに眠気を催すし、昨夜は夜11時近くまで贔屓(ひいき)の小江戸川越の地麦酒を飲んでいたので、何か胃の調子が良くないのだ。すぐに床に就いたのが悪かったのか、飲んだ量が多かったのか。とにかく、この胃をいたわるようにするか。
 松尾大社近くになると、眼前に山が聳えて緑が多くなっていく。周辺の景色も木造の民家が多くなり、チェーン店は見掛けなくなった。その上、道も細くなり、市街地でのスムースな走りは出来なくなってきた。何か、京都らしい寂の雰囲気が出てきたな。二条城も清水寺も市街地にあって観光客が一杯いたから、此処嵐山は本当の京都の姿が見られそうだ。約1時間も掛けて市バスで向かった甲斐がありそうだぞ。
 山。京都観光の一大スポットだが、先述の9月の台風で桂川の氾濫で、甚大な被害を受けた場所だ。ゴムボートで宿泊客を避難させる消防隊員、予想外の被害に戸惑いのコメントをする宿泊客、必死に泥水を掻き続けるを行う旅館の従業員達、濡れた畳を交換する畳屋、そして、いち早く復旧し営業を始める土産物屋……。
 あれから1ヶ月近く。果たして嵐山はどうなっているのか……。
 嵐山公園というバス停で降りた。近くには氾濫した桂川があって、あの報道とは全く違う穏やかな流れを見せていたが、桂川の近くに寄ると、立入禁止の衝立があったりと、まだ爪痕は残されているようだ。時折外国人観光客が通り過ぎていくが、9月の台風で此処が氾濫したことは知っているのだろうか。ただ、渡月橋で写真を撮ったとか、嵐山全体が綺麗な街並みだとか、嵐山でいい土産を買ったとか牧歌的な感想は暫く控えて欲しい。ほんの1ヶ月で殆ど復旧したのだ。その工程を大いに褒めて欲しい。
 暫く嵐山公園を歩いた。桂川河畔を公園にしていて、茶店も2〜3軒ある。しかし、此処が氾濫していたとは思えない程綺麗で、地元住民の手厚い復旧作業が見て取れる。やはり、京都観光の一大スポットだ。地元住民にそのプライドがある証拠である。本当に褒めて讃えたい! 用を済まして茶店の前をさり気なく通ったら、品書きに京都名物のにしんそばがあった。焼いたにしんの身を載せたそばで、修学旅行の時、これを頂いた同級生がいた。
 山。京都観光の一大スポットだが、先述の9月の台風で桂川の氾濫で、甚大な被害を受けた場所だ。ゴムボートで宿泊客を避難させる消防隊員、予想外の被害に戸惑いのコメントをする宿泊客、必死に泥水を掻き続ける旅館の従業員達、濡れた畳を交換する畳屋、そして、いち早く復旧し営業を始める土産物屋……。
 あれから1ヶ月近く。果たして嵐山はどうなっているのか……。
 嵐山公園というバス停で降りた。近くには氾濫した桂川があって、あの報道とは全く違う穏やかな流れを見せていたが、桂川の近くに寄ると、立入禁止の衝立があったりと、まだ爪痕は残されているようだ。時折外国人観光客が通り過ぎていくが、9月の台風で此処が氾濫したことは知っているのだろうか。ただ、渡月橋で写真を撮ったとか、嵐山全体が綺麗な街並みだとか、嵐山でいい土産を買ったとかの、牧歌的な感想は暫く控えて欲しい。ほんの1ヶ月で殆ど復旧したのだ。その工程を大いに褒めて欲しい。
 暫く嵐山公園を歩いた。桂川河畔を公園にしていて、茶店も2〜3軒ある。しかし、此処が氾濫していたとは思えない程綺麗で、地元住民の手厚い復旧作業が見て取れる。やはり、京都観光の一大スポットだ。地元住民にそのプライドがある証拠である。本当に褒めて讃えたい! 用を済まして茶店の前をさり気なく通ったら、品書きに京都名物のにしんそばがあった。焼いたにしんの身を載せたそばで、修学旅行の時、これを頂いた同級生がいたな。

 上は嵐山の桂川。
 下は桂川に架かる渡月橋。



(2013年10月21日) 嵐山で見た夢幻

 て、嵐山と言えば桂川に架かる渡月橋。その渡月橋を渡る。梁も欄干も木造だが、此処に普通のアスファルトの道路があるのが、どうも気に食わなかった。人力車も見掛けたが、小江戸川越でも見慣れているので、大して驚かない。いきなり、空振りを食らわされたかと思いきや、顔を白粉で装った舞妓が通り過ぎていった。私は暫く見取れてしまい、写真には収められなかった。あれ、舞妓って祇園が有名じゃないのか。何で祇園から西の嵐山に舞妓がいるのだ。しかも、舞妓一人ではなく、男性の付き添いみたいのと一緒だった。これから一緒に仕事場に向かうとなれば、相当不純に見えるし、本当の舞妓であるかは「?」と言った所だ(帰路の列車で、京都駅の観光案内所で貰った嵐山観光のパンフレットを広げたら、その疑問は晴れた。近くに舞妓の格好をさせてくれる観光施設があったからだ。此処で舞妓の格好をさせて、嵐山を歩いているカップルなのだろう)。昨日までは名古屋大須で、大須大道町人祭のイベントの一つ、花魁(おいらん)道中に何度も会ったので、ふと昨日のことを思い出してしまった。花魁に会って、舞妓に会うとは、一人旅に華を添えてくれた気がする。
 花魁と舞妓に彩られて一首。
 花魁に見取れて後に京舞妓項に舞ひ降る一葉の紅葉

 月橋を渡ると、土産物屋が犇めき(ひしめき)合い、バスの往来もあって、一気に様相が観光地嵐山に変わる。向こう側は奥に民家と茶店程度の土産物屋がある程度の物静かな山間の郷の嵐山に感じる。すると、先程渡った渡月橋の存在が変わってきた。ただ木造だけではなく、2つの様相の嵐山を橋渡ししているシンボルのような物なのだ。果たして、20年前の修学旅行で、この橋を渡って2つの嵐山を実感した同級生はいたのだろうか。まだ15歳だ。よしんば向こうに渡っても、店が殆ど無くつまらないので、すぐに引き返したのかも知れないな。向こう側でゆっくり散歩できるには、京都独特の侘び寂を理解し、その為には、もうちょっと年を取らなくては行けないのかな、コリャ。
 見給え。此処には多くの土産物屋に感動し、目の色を変えて土産を見定めている修学旅行生が多いこと。東京にも大阪にも無い土産があるから、小遣いの許す限り買っていくのだ。そして、嵐山の娯しさを思い出に刻んで、此処を発つのだ。
 先述の通り、嵐山に立ち寄った班が他のクラスにいた気がしたな。早々。嵐山に詳しい方はご存じの通り、嵐山にはタレントショップが一杯あったのだ。当時の資料を見ても、錚々(そうそう)たる芸能人の店が一杯ある。そのタレントショップは何処にあるのだ? と、嵐山で土産を買ってあちこちぶらついてもそれらしい店は無かった。何処を見渡しても極普通の土産物屋ばかり。あれ、変だなぁ。当時の文集を開いても、嵐山にキチンとタレントショップに立ち寄ったことが綴られている箇所があるが、何処を見渡しても無いのだ。妙な気分になり、そのまま歩いて行くと、今年(2013年)5月の閉館した美空ひばり座があった。昭和歌謡界の第一人者として名高かった美空ひばりの功績が展示されていたのだが、中では撤去作業が彼女の功績を嘲笑するかの如く行われていた。何だか、嵐山にタレントショップが無くなったのも頷ける気がする。



(2013年10月21日) 嵐山の思わぬ寄り道



 山をブラブラ歩いて、嵐電嵐山駅に着いた。駅構内にはちょっとした足湯があって、建物も京都らしく和風。此処では嵐山観光のパンフレットを広げている観光客が多いこと。此処から歩いてもほんの5分程度で着くのだから。と言うことは、私のように市バスで嵐山に向かう人は、そんなにいないという事になるな。
 さて、どうするかな。嵐山公園で調べたバスの時間まで、後20分程あるな。すると、「JR嵯峨嵐山駅」の文字が入った。嵯峨嵐山か……。トロッコ列車の発着地だな。まぁ、時間もあるし、チラッと見るだけ立ち寄るとするか。
 嵯峨嵐山駅へは路地へは行って向かうのだが、一歩入った途端に、一気に様相が変わってしまう。土産物屋があるのはほんの50メートル程度で、そこからは一般民家が並んでいた。今日は平日だ。嵐山の日常をチラチラ見ながら歩くとしよう。旅先での贅沢の一つだ。こうなったら、時間は大らかに行こう。バスに乗り遅れたら次便に乗ればいいことだし、先程の嵐電嵐山で四条大宮に戻ればいいのだから。時間は正午近く。昼餉の準備をしている時間だ。どぅって事ないことだが、観光客からみれば、こういう地元の日常の断片が見られること自体、何処か心がホッとする。それが、観光地から近ければ尚更だ。観光地で張り詰めた心がゆっくり解れる。
 峨嵐山駅に着いた。JRでは嵐山の最寄り駅だが、かなり離れているので、観光客の数はさほど多くないし、近くの飲食店も暇を持て余し気味に見える。しかし、隣接しているトロッコ嵯峨駅に入ると、そんな暇そうな空気は一瞬にして消える。観光客が多かったのだ。あれ、今日は月曜日だったよね。いずれにしても、平日に旅行するのは何とも贅沢だ。
 まぁ、私はトロッコ列車に乗る予定は無いので、普通に絵葉書とテレカを買ってお暇しようと売店へ入った。そこで何と稀少価値の高い(?)テレカを手に入れたのだ。しかも、漆塗りで嵯峨野の季節が写っている風流な一品だ。
 さて、また嵐山へ戻ろうとした時、トロッコ列車の時刻表に目が行った。見ると、トロッコ7号の指定券が発売中と出ている。また、傍にある案内を見た。保津川沿いに沿ってトロッコが走るとあり、運が良ければ保津川下りや傍を走る山陰本線に出会えるとある。コリャ、良いね。私は暫く立ち止まって、今日の予定を考え始めた。嵐山への見舞いの為の京都散策だ。嵐山の他は全くの白紙だ。何処へ行っても私の自由だ。
 と、窓口に向かった。窓口には数人並んでいたが、私の指定券はスンナリ買えた。その際、保津川沿いの席を頼んだ。その席は、最初は私の方には出ないが、途中から私の方に出て、終点まで続くという美味しい席だ。電光掲示板で表示されている様は、何処か大手鉄道会社を思わせてくれる。
 そう、このトロッコ列車は元々はJRの路線で、山陰本線の旧線を使った観光鉄道なのだ。何でも、眺望がとても良かったので、何とか残しておけないかと、地元の運動で観光鉄道として第二の人生を歩んでいるのだ。市民の一人一人の力が結束し、物事に臨めば、JRのような大手企業も動かせるのだ。
 そして、出発時間が迫り、改札が始まった。自動改札を使わず、一人一人検札していた。非日常的な一時が過ごせるようにとの配慮だ。観光鉄道らしいね。
 面式のホームに立つと、向こう側には島式のJR嵯峨嵐山駅のホームがあって、待ち時間の間に数回電車が往来していた。太陽と電車の進行方向の関係で、電光表示の行き先は見え難いが、中の様子は薄々見られた。丹波の会社へ向かうスーツ姿、京都からの買い物の帰り、学校が退けた普段着の若者。今日は平日だから、京都界隈の日常姿が見られる。観光都市の観光地では決して見られない、観光都市京都の日常がある。況してや、観光鉄道のホームから眺めているのだから、些細な光景でも珍しく見えるのだ。そして、電車の中から観光鉄道のホームを見ている人達は、どんな心境なのだろう。平日に旅が出来る優越感を羨んでいるのだろうか。
 そんなことを考えていると、ホームは整列乗車している人達で混雑していた。外国人もかなりいる。観光都市京都だから、外国人の存在は珍しくないが、このような生活の匂いもある京都に触れようとしている意気込みは素晴らしい。ただ単に名所巡りするだけが観光ではないからね。
 乗車可能のアナウンスが入り、順序良く入っていった。席に着くや否や、写真を撮り始めている光景が私の前後にあった。トロッコ列車に乗車できた嬉しさなのか、平日に旅が出来た優越感なのか。そんな2つのプラス思考を巡らせながら、緑茶を一啜り。
 啜って一首。
 嵐山過ぎ行く人の外国人互ひに娯しまん京の秋模様

 上は嵐電嵐山駅。
 中はJR嵯峨嵐山駅。
 下は嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車の気動車。



(2013年10月21日) トロッコ列車と保津峡


 ロッコ列車は、ゆっくり発車した。
 さあ、思い掛けずトロッコ列車に乗車した。この行程が、吉と出るか凶と出るか。
 ゆっくりと進んでいくトロッコ列車。暫くは、JR山陰本線に沿って走るが、今此処に電車が通過したら、どんなに面白いだろう。電車とトロッコ列車、新線と旧線、そして、日常的と非日常的。対照的な事柄が背中合わせなのだから
 林に入った。雑木が無い何とも綺麗な竹林だった。此処でシャッターを切る音が聞こえた。私も美味しい所を狙ってシャッターを切ったが、柱や架線が邪魔で、何だか日常生活がポロッと出た味気ない写真だ。でも、パンフレットを広げたら、トロッコ嵯峨駅からでも歩いて行けるそうだ。
 そして、隧道の手前で新線と旧線が岐れる。私が乗っているトロッコ列車は左へ曲がった。隧道の上には観光客がトロッコ列車を写真に収め、ホームでは到着を待っていた。所が、私が乗車した1号車と2号車は何とホームに入り切れず、隧道の中で停車した。ガガガガガ……。連結部分がぶつかり合う喧しい停車音が車内に響いた。喧しい停車音だが、滅多に乗る機会が無いトロッコ列車に乗車できた嬉しさと珍しさから、鉄道ファンの一人としては鉄道浪漫を掻き立ててくれる音だった。隧道内に停車した車内は照明が点された。此処でも、シャッターを切る音が聞こえた。隧道内に停車した珍しさなのだろうか。ホームに列車が入り切らないことの珍しさなのだろうか。
 道を抜けて暫く走ると、反対側に保津川が見えてきて、停車した。乗客は一斉のシャッターを切り始めた。それなら私もと、使い慣れてきたデジタルカメラを取り出した。見ると、まだ葉の方は紅葉していないが、清冽な流れをしている保津川と取り囲んでいる森の景観が良さそうだ。そこに日光が差し込んでいたから、森の緑が若々しく見えたり、清らかな保津川の中が見えたり、川面がキラキラ輝いていたりして、都会に穢されていない自然の一コマを為し得ている。これも京都観光の一つなのだから、いい景色を見せて貰ったよ。と、シャッターを切るが、どうも前の乗客や、トロッコ列車の柵が邪魔で、いいショットは無かった。パンフレットを見ると、鉄橋を渡ったら私の方に保津川が見えるとあるが、まずは勿体振らせたな。いいショットが撮れた歓声を聞きながら、冷茶を自棄飲みした。ま、いいか。鉄橋を渡れば、美味しい所は私の方で占められるのだから。
 そして、鉄橋を渡ったら、ハイ、保津川が私の方に来たよ。と、保津川を撮っていたら、一艘の舟が見えてきた。保津川下りだ。保津川下りの乗客はトロッコ列車を見るなり、歓声を上げたり、手を振ったりしていた。トロッコ列車の乗客も負けじとばかり、歓声を上げたり、手を振ったりしていた。お互いにエールを交わしているようだ。お互い出会えたのだから、トロッコ列車も保津川下りも成功させたい意気込みが伝わってきた。

 上はトロッコ嵐山に到着する前の場所に広がる竹林。
 下は保津峡下り。



(2013年10月21日) 秘境の保津峡



 ロッコ保津峡。電車が往来しているトロッコ嵯峨、観光客で賑わっていて竹林に囲まれたトロッコ嵐山と較べると、保津川がホームのすぐ真下を流れていて、人里離れている山の中にあり、全く様相が異なる。秘境の駅に相応しい。その様相の故、この駅で降りる客は誰一人いなかった。それなのに、駅舎らしい四阿(あずまや)やホームは綺麗で、ホームには狸の置物が並んでいて、トロッコ列車の乗客を迎えていた。更に、歩道橋やスピーカーがあるのには驚いた。利用客がいるのか。でも、コンパクトな大きさで、豪邸の一角に置けそうだ。
 ホームから伸びている白い橋の向こうには茶店があるが、嵐山を襲った台風で休業になっている。幾ら嵐山が復旧できたとはいえ、こういう所もキチンと復旧しなければ、トロッコ保津峡は単なる保津峡の中にある小さな駅に過ぎなくなる。一日も早い営業再開が臨まれる。この茶店で一服しながら、清冽な保津川の流れと行き交うトロッコを眺めるのは、此処でしかできない風流だ。
 トロッコ保津峡駅を撮っていると、赤紫色のバンダナを顔に巻いた外国人が、此処が終点と間違えて降りてしまったが、同行者のフォローでもう一度乗車した。これも、異国での思い出の一つになる。
 津川は私の方で流れていて、絶え間なくシャッターを切る音が絶えなかった。席を通り越して失敬被らせることは無いし、耳障りではないが、保津川の席と頼まなかったのか。トロッコ嵐山を過ぎて、反対側に保津川があったが、反対側で見られたのはその辺だけで、後は私の方に続いていた。もう、美味しい所を独占している。人に遮られる鬱陶しさは無い。桜や紅葉シーズンは、滅茶苦茶素晴らしい眺望があるそうだが、私が訪れた紅葉シーズン前でも、なかなかどうしていい眺望があるではないか。保津峡の周囲は緑系に占められているが、澱みなく清冽な流れをしている保津川を次々に撮り続けた。上に木や苔が生えていて、周囲に融け込んでいるスノーシェルターが見えたり、新線に切り替えられたJR山陰本線の支柱のカーブが綺麗な鉄橋が見えたり(鉄橋を渡っている電車も撮れた)、トロッコ列車の乗客に向かって手を振っている保津川下りの舟に出会ったりして、京都市街では決して味わえない、自然溢れる京都観光が出来る。
 んな京都観光の奥座敷に浸っていたら、何度もJR山陰本線の鉄橋に出会った。あれ、一体どっちが走り易い路線なんだ。大概の人は列車から景色を眺めている時、景色を見ることに集中し、自分が乗った列車の進行方向を掴むことは少ない。だから、思い掛けない光景に唖然とするのだ。この嵯峨野観光鉄道は、JR山陰本線の旧線をそのまま利用したのだが、地図を見ると、この観光鉄道の路線は保津川に沿っているが、相当カーブがあって、下手に速度は出せないのだ(旧線の多くは高低差が激しい箇所やカーブの多い箇所)。京都市への通勤通学の利便性を図る為に、新線に切り替えられた道理は判る。しかし、その利便性を少し端に置けば、このような見事な眺望が待っているのだ。
 々、その眺望に飽きがきた頃、対の保津川を囲んでいた森が終わり、青空が開けてきた。私は、もうそろそろトロッコ列車の終着駅、トロッコ亀岡に到着するのかと勘付いた。
 そして、森を抜けた。保津川は右側に逸れていき、目の前には刈り取りが終わっている田畑が広がっていた。一斉にシャッターを切る音が消えた。私の勘は当たりそうだ。左側からトロッコ嵐山から岐れたJR山陰本線が迫ってきたら、もう旧線は新線に合流し、トロッコ列車の終着地に到着する。

 上はトロッコ保津峡駅。
 中はトロッコから見た山陰本線新線。
 下は長閑な馬堀駅周辺。



(2013年10月21日) 日常の馬堀駅


 ロッコ亀岡。しかし、最寄り駅は馬堀(うまほり)駅。本当の亀岡へは、馬堀から1つ下りの駅にある。
 多くの乗客が吐き出され、駅の売店に立ち止まる人達を後目に、出入口に向かっていた。土産の類はトロッコ嵯峨駅で買ったので、そのまま出入口に向かった。売店等に寄り道する人は少数で、乗客の殆どの進行方向は同じだった。何だか遠足の誘導みたいで、頭痛を引き起こしそうだ。私は私なりの行程を貫きたいのに。所様と同じ行程になった時点で、旅行が遠足になってしまう。
 トロッコ亀岡駅の駐車場に、送迎バスが並んでいて、駅には保津川下りの案内が出ていた。そして、多くの乗客はその送迎バスの方に足を向けていた。保津川下りの行程が無い私は、馬堀駅に向かった。少数派だった。やっと、旅行になったか。
 刈りが終わった田圃を見ながら、馬堀駅に向かった。
 観光鉄道に乗った後の田園地帯に、驚きを隠せなかった。とにかく、物凄い差だ。観光気分で保津峡を眺めた後は、時が穏やかに流れ、ずっと広がっている馬堀の田園地帯。時折漂う土の匂いや、通過する電車の金属音、そして、馬堀駅に向かっている足音が上手く組み合わさり、日常生活の断片として、この旅行自体を一層贅沢な行程にさせてくれる。東京から来た私の姿も、馬堀の穏やかな日常の一コマとして捉えられる。こうなったら、私の存在も地元住民か旅人か、どちらが正解か捉え難くなる。そのスリルが何とも面白いのだ。
 そのスリルに浸って一首。
 嵐山賑やかな地に身委せば長閑に安らぐ馬堀の郷

 堀から京都に向かう途中でも、保津峡を撮った。そして、新線に切り替えられた保津峡駅も撮った。「看板に偽りなし」の保津峡のど真ん中に位置する駅だったが、転落防止の柵が上手い具合に眺望をぶち毀していた。色が悪いのだ。白い柵とは、保津峡の色具合に全く合わないのだ。
 そして、旧線の保津峡駅(トロッコ保津峡駅)を撮った。咄嗟だったので、ズームが合わせられず、小さな絵になった。周りは森に囲まれていて、白い橋が架かっている保津川の傍にポツンとある駅がそうだ。電車と言う現代的な乗り物に乗っている人達へ、ほんの一瞬の安らぎを与えているように感じた。ほんの一瞬だが、大都会京都にもこういう時代に翻弄されず、当時の様相をずっと維持している場所があるだけでも、ギスギスした心がフッと和む気がする。

 上は山陰本線から見た保津川。
 下は山陰本線から見たトロッコ保津峡駅。





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