2013年12月21日 あの娯しかった日をもう一度

(2013年12月21日) 紅葉と中華そば




 走。どうも気分が晴れない。そんなことで10月に折角貰った18日間の有給休暇を、今年中に使い果たしてしまい、行き付けの病院に出掛け、その結果を会社に報告したら、今年中は療養で休むことになってしまった。此処に来て、運気が暗転しているのか? そう思わずにはいられない。
 そんな或る日、旅行で撮った写真を新しい写真ホルダーに収め直していた所、旅行に開眼した1995年3月28日の旅行の写真があって、そのメモ欄には「暗い気持ちが晴れてよかった!」と書かれてあった。そうだ。この旅行があってこそ、あのつまらない高校生活が乗り切れたのだ。今丁度、鬱いでいた所だ。もう一度、京葉線沿線の旅行に出掛けるとするか。
 橋で降りて、バスで築地へ向かう。師走だというのに、どうも季節の感覚が無い。ただ高層ビルがあって、広い道路があって多くの店が並び、車や人の往来があるだけの場所だ。服装を見れば、季節が多少判るのだが、人工的な物で季節の移ろいが判り、風情が感じられれば苦労はない。だから東京人の多くは、季節の移ろいが判り易い山や海へ出掛けたがるのだろう。
 季節が判り難い市街地を通り、築地市場正門前に着いたら、意外にも、季節を感じさせてくれる物が1つあった。紅葉なのだ。もうシーズンが終わっているのに、東京のど真ん中の築地で紅葉が見られるとは、意外やまた意外だ。それも、深紅に染まっていて青空との対比(コントラスト)が何とも言えない。深紅の紅葉がより映えて見えるのだ。
 此処で一句。
 予想外迎えし紅葉築地かな

 は真っ先に築地場外市場へ向かった。地下鉄有楽町線の新富町駅で降りて、ぱらつく小雨と格闘しながら、築地小劇場跡を探して右往左往し、その途中で「つきぢ田村」を見付け、食の築地という事に大いに頷いた。そして、築地小劇場跡を見付け、築地場外市場で名物の中華そばを頂いたら、何時の間にか雨が止んでいた印象的な場所だ。築地に立ち寄ったら、場外市場で食事を摂るのが通過儀礼になっている。
 お目当ての店は、新橋側から入ると、晴海通り側にあるので遠い。しかも、9時30分を回っているから、人通りが激しくスイスイと前に進めない。年の瀬が近いと言うこともあり、おせち料理の食材がズラズラ並んでいるが、私が歩いているもんぜき通りには飲食店が多く点在しているので、食事をしている人が人の流れを堰き止めていることも多いから、余計歩き難い。
 やっと、お目当ての店に辿り着いたら長蛇の列。この店は和食関係の仕事に就いている人ならば、誰でも知っているという有名店。席はこの店の左隣に設けられている立ち食いスペースだけではなく、道路脇にも設けられている。皆、師走の寒さを吹き飛ばす如く、温かい中華そばを美味そうに啜っている。朝餉は本当に軽く済ましてしまったので、一刻も早く頂きたい! だけど、列を数えてみると、1、2、3、4、5……、軽く見積もっても20人以上はいるな。結構待たされそうだ。しかも、並んでいる人は代表者だけだから、出される中華そばは40杯前後かな……。となると、頂けるのは30分近く待たされることになるのか……。あの時はそんなに待たされなかった気がするけど、時折飛んでくる英語に中国語、韓国語にタイ語等で難無く判った気がする。観光客の増大だ。そりゃ、築地は東京の台所を担っている観光名所だ。観光客にとっては見逃せない場所なのだ。競りの様子を写真に収める外国人も多くなっていると言うことは、此処で食事を摂る外国人も多くいるという事になるな。
 20分位で、先頭近くに立った。此処で店主が中華そばを作る光景が見られるのだ。写真を撮っているのは外国人観光客なのだろう。珍しそうに店主の流暢な手捌きを見つめ、その都度写真に収めていた。長年中華そばを作っていると、調味料やスープダレ、スープを入れる分量でも、目分量が丁度よい加減になってきている。「此処まで来るには、年期が要るんだよ」と言わんばかり、店主は写真に撮られることを断らなかった。貫禄が備わっている。その貫禄がドンと盛られた中華そばが頂けるのは、来た甲斐があるという物だ。そこに程良く茹で上がった縮れ麺を入れて、チャーシュー4枚と輪切り葱と貝割れ大根、そしてメンマを盛りつければ完成だ。650円也。普通のチャーシュー麺の値段から見れば、何とも良心的な値段と言える。
 そうして待つこと30分近く。やっと、中華そばに有り付けた。私の前の客は外国人だったのか、指で杯数を示したので、店主が気軽に「サンキュー」と礼を言ったのが印象的だ。
 隣に設けられている立ち食いスペースで啜った。縮れ麺に醤油ベースのスープが旨く絡んでいる。あの時と変わらない味だ。そう言えば、最初に頂いた時は、中華そばを渡すカウンターで、ラジオから流れる高校野球中継を聞きながら頂いたな。次から次へとやってくる客に対して、食事中でも席を譲っている。例え外国人でも、席を譲る行動を見せれば、親切の気持ちは通じる筈だ。言葉が通じないからって、緊張する必要は無いのだ。
 スープも飲み干して、新富町駅に向かった。あの時の行程を再現し、暗い気持ちを晴らしたいからである。
 食後の一首。
 待つ程に旨し築地の中華そば席を譲りし此処では友達

 上は思い掛けず見付けた築地の紅葉。
 中は何時でも賑わう築地場外市場と名物の中華そば。
 下は築地場外市場に掲げられている面白い看板。



(2013年12月21日) スカイツリーと京葉線



 下鉄有楽町線で、新富町駅から新木場駅に向かった。京葉線ホームに登ると、眼前には夢の島公園と首都高速があり、背後には「新木場」の名の通り、材木工場が建ち並んでいた。遠くには最近開通した若洲の東京ゲートブリッジがある。デジタルカメラで調べてみたら、車の往来があるので、あの辺でも商業が成り立っていることになるが、お台場のように一大繁華街のようになってしまうと、新木場もだらしなくなりそうなので、そうならないように祈るとしよう。
 夢の島を望むと、遠くには何とスカイツリーがあるではないか。思わず、シャッターを切ってしまった。高さが634メートルあるので、高層ビルが乱立している東京でも目立って見える。あの辺が業平橋(なりひらばし)界隈か……。
 海浜幕張行きと府中本町行きを見送った後、京葉快速蘇我行きに乗った。
 木場を発つと荒川を渡り、東京湾が見える。砂が多く堆積している箇所が多いので深そうには見えない。すると、葛西臨海公園の西渚が見えてくるが、人影は見当たらなかった。もう10時を過ぎているので開園時間は過ぎている筈だが、臨海水族園のガラスドーム付近を見ても、やはり人影は疎ら。土曜日なので稼ぎ時だが、こんなに空いているとは、赤字転落はもとより閉園の赤信号も点滅し始めてそうに見える。人口の多さだけでは、維持できないのかな。
 西臨海公園の右隣旧江戸川を渡ると、いよいよ舞浜に到着する。渡ってすぐにディズニーワールドの雰囲気が強くなった。堤防沿いに植わっているフェニックスも、駅近くにある動物の形に剪定されている植木も、充分に物語っている。それにしても、ディズニーリゾートは凄いなぁ。絵本や映像でしか見られないお城やアトラクションが、所狭しと詰まっていて、非日常の空間が広がっている。来園者は笑みを浮かべ、ミッキーマウスの冠り物をして、エントランスに向かっていた。どうも私は、こういう遊園地の類は嫌なのだ。心理的な物もあるが、列を作ってゾロゾロ移動するのは嫌いな上、何処を見渡しても生活の断片が無く、非日常の世界に心底陶酔し、帰路には俗世の喧噪(けんそう)にウンザリさせられるからだ。そんな場所で頂く食事は、正直言って頂けない。落ち着いた場所で、周辺の雰囲気に踊らされないように頂きたいのだ。
 浦安を過ぎ、市川塩浜に向かう途中、またあのスカイツリーに出会した。シャッターを切ったがこれで2回目だ。
 周辺は工場が多く、地元住民から「行徳富士」と名付けられた残土の山があるのもこの辺だが、草木が生えているのは滑稽だ。撤去が望めないなら、植樹や芝生の養生を施して、名所にすればいいのではないか。花見をしながら、眼下の京葉道路を眺めるのも乙な物だと思うのだが。
 武蔵野線が左側に分岐し、狭間の二俣新町を通過し、左側から西船橋からの武蔵野線が合流すると、南船橋に到着する。此処にはららぽーとがあり、初めての旅では此処に立ち寄り、ステーキハウスで200グラムのロースステーキを頂いた。昔は、「TOKYO−BAYららぽーと」だったが、今は反対の「ららぽーとTOKYO−BAY」になっている。近くには船橋競馬場やオートレース場もあり、ギャンブル好きには堪らない場所になっているが、此処にはかつて、スキードーム「ザウス」があったのはご存じだろうか。スウェーデン家具を取り扱っている大型家具店がある場所にあったのだ。
 浜幕張周辺は高層ビルが林立しているが、東京とは違って、余り高さはなく、空の広さを保っているのが魅力。そして、幕張メッセ側には次々と商業施設が開店し、駅周辺と同様の賑わいを見せている。しかし、駅からやや遠いのが欠点で、何れは此処に駅でも設置するのかな?
 そして、稲毛海岸に到着した。

 上は新木場駅で見付けた若洲のゲートブリッジ。
 中は新木場駅で見付けたスカイツリー。
 下は市川塩浜に向かう途中で見付けたスカイツリー。



(2013年12月21日) 稲毛海浜公園で心の転換



 の稲毛海岸は私にとっては、心の転換を迎えた場所である。小雨の降る中歩き出したら次第に止み、見たことのない碧い空に出会って、心身リフレッシュできた場所なのだ。
 確か、駅前に面白い名のパチンコ屋があった気がする。「京葉線」と言う名のパチンコ屋だが、とにかく印象強かったな。今もあるのかと思いチラッと見たが、大手チェーンのパチンコ屋があっただけ。無くなったのか……。家に戻って、その写真があるかどうか調べるとするか。
 あの時は、海とは正反対にあった巡視船「こじま」が置かれていた海洋公民館に向かっていたのだが、私が訪れた平成7年には既に閉館になっていて(平成5年に閉館した)、平成10年に解体されて、稲毛記念館に置かれている。そう言う訳で、稲毛海浜公園に向かうことになった。あの時は徒歩で向かい途中でバスに乗ったが、バスの時間が近いのでバスで向かうことにした。
 して、降り立ったバス停があの日と同じバス停だったのだ。此処だ。此処で今まで見たことがない碧い空が見られた場所だ。もしかしたら、今日も見られるのだろうか。交差点を渡ると、とても碧い空が私を出迎えてくれた。地平線辺りは白がかっているが、このような碧い空だった。仕事中でも空を見る機会はあっても、素直に碧い空に感動することは無かったが、今回は違う。まるで、今日私が此処を訪れることを知っているかのように、稲毛の碧い空が出迎えてくれたのだ。高校生活では要らないストレスを抱えていて、幼少時から可愛がって貰っていた父方の祖母の死が重なって旅に出た高校1年の私が、この稲毛の碧い空があったお陰で、私の心身は晴れ始めたのだから。思わず涙が溢れそうになった。ジョギングをしている人達を見ながら、稲毛海浜公園に入った。
 稲毛の碧い空を仰いで二首。
 あの頃の稲毛を想ふ碧い空三十路になりても旅はいい物
 嗚呼稲毛我を迎えし碧い空回想娯しき初めての旅

 内に入ると、一番向こう側にある壁泉が流れていた。水を流すには夏が相応しいのだが、遠くから見ると、サァーと流れる音は気持ちいい。
 まずは稲毛民間航空記念館。此処稲毛は民間の手で飛行訓練が行われた功績を讃えた記念館だ。此処には飛行に成功した(レプリカながら)「鳳(おおとり)」号が置かれている。そう言えば、この「鳳」号を撮ろうとして、全部入り切れずに断念したな。しかし、デジタルカメラがその悔しさを払拭してくれるのだ。全部入り切れた。おまけに宙吊りのグライダーも良い具合に撮れた。
 に稲毛記念館。展望台からの眺望が素晴らしい場所だ。また、日本庭園も併設してあるので、時間がある方はどうぞ。
 中に入ると、例の巡視船「こじま」の設備が、配置場所を再現して置かれている。操舵の真似も出来るが、私にとっては物足りなさを感じる。海洋公民館には入れず(巡視船内には入れないという事)、船内の様子を知ることなく解体されたのだから、もどかしさが拭えない。
 さて、展望台だ。此処から東京湾を走る船が見られるだけではなく、右側には幕張新都心に東京都心、左側には千葉ポートパークに京葉工業地域が見える。五井から工業地域が間近に見られるのだが、あの白い煙を噴かしている煙突は何処なのだろう。デジタルカメラで細部まで撮れても、場所は判らない。さて一体、内房の何処なのだろう。そう思いを巡らせた場所だ。
 と、右側を撮そうとした時、またあのスカイツリーに出会した。今日で何回遇ったのだろう。新木場でも市川塩浜でも、余程巡り合わせが良いのだろう。人との巡り合わせには一喜一憂する私だが、こういう名所の巡り合わせにも一喜一憂だ。そうだな。1枚撮っておくとするか。ズームを使って撮るのだが、少し目を離すと位置が判らなくなる上、良い具合を狙わないと相当ピンボケの写真を撮ってしまうから、この辺は神経を研ぎ澄ませたい。幾ら、失敗した写真がすぐに消去できるとはいえ、真剣勝負だ。そして、撮れましたよ。
 後にいなげの浜だ。東京湾でも数少ない遊泳可能の砂浜だ。勿論、師走なので、遊泳している人はいないが、ウィンドサーフィンを娯しんでいる人がチラホラと。ふと立ち止まった。このように良い趣味を持っている人は、本当に鬱に罹らずに済むから羨ましい限りだ。
 堤防に登り、いなげの浜を撮影した。この堤防には色々な落書きがあって、愛を誓い合った二人の愛のメッセージや、別れた彼女への思い等が綴られている。此処に最後に立ち寄ったのは何時だったか忘れたが、その落書きを読んでいるだけで、このいなげの浜で繰り広げられた人間の喜怒哀楽が垣間見られて面白い。
 商業と工業の狭間にあるいなげの浜だが、遊泳可能とはまさに奇跡と言っても良いだろう。お台場のばっちい海にウンザリしているならば、此処に来て欲しいな。
 稲毛海岸駅に向かう途中、バスを見付けた。しかし、園内から見付けたので、拾う術は無かった。あの日と全く同じだ。悔しい思いをして徒歩で駅に向かったな。行きはバスで帰りは徒歩。18年前の旅を行程までも再現したみたいだ。

 上は18年前と同じの稲毛の碧い空。
 中は稲毛記念館で見えたスカイツリー。
 下はいなげの浜。



(2013年12月21日) 新しき千葉港観光船

 葉みなと。あの日の旅ではメインとも言える場所だ。千葉ポートタワーと千葉港観光船で、良い思い出が出来たのだから。
 降りてみると、千葉みなと駅周辺も変わったな。シティホテルやパチンコチェーン店、高層マンションも出来たし、でも、賑やかさはあの日に少しスパイスが入った程度だ。まだ工事中の箇所がある上、港周辺のコンクリートの岸壁が寒々しい。話に因ると、此処に連絡船乗り場を拵えて、周辺は商業施設を作る計画があるそうだが、此処一体は市と県の話し合いが上手く行かず、工事は難航しているそうだ。千葉ポートパークもその煽りを受けていて、用具の修繕が進んでいないそうで、来場者も減少していると聞いた。全く、こういう時は素早く対策を打てるようにしておかないと、市も県も下手な主張はしないで。どんな宣伝をしても、空宣伝になるから気を付けろ!
 ートタワーに入って、すぐに気になることを確かめに来た。千葉港観光船だ。或る日、チラッと乗り場を京葉線の高架で見たのだが、観光船が停泊している様子や乗船券を売っている建物が無かったので、もしかしたら廃業になったのかと思っていたら、今年8月に外房を旅した時の帰路で観光船を見付けたので、どういうことなのかと確かめたかったのだ。見ると、千葉港観光船の乗り場と時刻が掲示されている看板を見付けた。13時30分発だ。あったのか……。安堵の溜息を漏らしたのも束の間、時間を見たら13時20分近くを指していた。また、あの時と同じだ。でも、ポートタワーの入場券は買っていないので、躊躇いもなく行ける。
 記憶を繋いで出港5分前に、観光船乗り場に着いた。あの建物は健在だった。更地になっていたのは、隣の建物だった。見間違えたのだ。
 中に入ると、待合室だけの空間に、小規模の観光船の乗船券売り場があるだけ。左にあった食料品や雑貨を売っていた売店は、10月に閉店となっていたので、素寒貧な印象が強い。隣の入船予定の黒板は僅か1隻だけで、観光船の時刻表も13時30分だけとこれまた寂しい。値段は980円となっていた。あの時は720円だったが、260円も値上がりしていた。燃料高騰の煽りもあるだろうが、(ポートタワーで見掛けた)日本夜景遺産に登録された千葉港の魅力を紹介する為に、必死になっているに違いない。
 さて、観光船を探したが、何時もの「あすなろ」は何処にも無かった。見付けたのは「あるめりあ」と言う名の観光船だった。「あすなろ」に較べると船体は綺麗で、「あすなろ」では一部だけが2階建てだったのが、「あるめりあ」では全て2階建てだった。あの「あすなろ」は引退してしまったのかな? 相当船体が古くなっていたから。
 客は家族連れやカップル等10人前後で、1階の船内の席は誰もいなくて、2階の吹き抜けの席に全員いるというアンバランスな状態で出港した。そりゃ観光船だ。船内でボンヤリするよりも、海風を存分に受けて千葉港を娯しんだ方が賢明だ。子供達は滅多に見られない港の景色に大はしゃぎで、母親と一緒に停泊中の船を見て、歓声を上げていた。電子ゲームをする馬鹿な行為は一切なかった。弁えているね。再乗船の資格アリだ!
 何年振りだろうか……。千葉港観光船に乗船したのは。停泊中の船を次々に写真に収めても判らない。男声から女声に変わった案内を聞きながら考えるが、初めて聞く女声案内は、判断を鈍らせるだけの副産物に過ぎない。今更、「観光船『あすなろ』を持ってきてくれ」とは言えないから……。
 後ろでは絵本でしか見たことがない大きな船に歓声を上げる子供がいるが、この観光船に乗ると、様々な船に出会えるから面白い。工業地帯に位置し、観光地ズレは殆どしていない所が千葉港の魅力。だからシャッター切る音が暫くは絶えない。近くの2組のカップルは、スマートフォンで船の写真を撮っているではないか。周囲に不快感を与えるようないちゃついている行為は全く無い。このカップルも再乗船の資格アリだ! この私も今年の8月に買ったデジタルカメラで、船をバシバシ撮ろうではないか。いざ、勝負だ!

 写真は新しくなった千葉港観光船「あるめりあ」。



(2013年12月21日) 18年ぶりの再会のギリシャ船



 ると、「新洋」と出ている船がある。一見すると日本船籍に思えるが、下には英語で「XIN YANG」と出ている。果たして、何処の国の船だろうか。船尾には「BELIZE(ベリーズ)」とあった。中央アメリカの船だ。ベリーズは大西洋に面しているから、途中パナマ運河を通って、ずっと太平洋を航行し、此処千葉港に到着したのだ。往復は悠に4ヶ月程度掛かるのだろう。この船の船員は到着する毎に、季節の移ろいを目の当たりに出来るという事だ。鴎はその船に対して、向こうの季節事情を尋ねているかのように近くを飛んでいた。鴎か……。そう言えば、「あすなろ」には鴎の餌と称して、スナック菓子が売られていたな。放り投げれば、巧く嘴(くちばし)で受け止めて、歓声が上がっていたな。この「あるめりあ」にはそれらしい物は無いし、乗船券売り場の売店も閉まっていたし、餌をやる術は無い。それでも、乗船客からの餌を待っているのか、観光船の周りをスーイと飛んでいた。
 此処で一首。
 新しき観光船追う冬鴎啼きて求むる客からの餌

 光船は港内を進んでいく。途中、豪華客船のような巨大なタンカーがあったり、「LONG BEACH」と名前はロマンチックだが、穀物を運搬する船の名前で、名前とのギャップが甚だしい船があったりした。また、食用油を貯蔵しているサイロも、成田空港の飛行機の燃料タンクも東日本大震災の天災を乗り越えて、健在だった。95年当時の各々の名称は今でも憶えているが、途中で改称されていると、ふと時間の流れに無常を憶えてしまう。あれから18年も経つのか……。
 さて、観光船は製鉄所に入っていく。此処には鉄鉱石やコークスが山のように積まれている場所だが、何と、停泊中のタンカーがあって、見られなかった。一体、何処の船籍だ。デジタルカメラでその犯人を撮し、念入りに調べると、「FLORENCE K MAJURO(フローレンスK マジュロ)」とあった。一体何処の国だろう……。
 光船は向きを変えて、観光船乗り場に向かっていた。また停泊していた船があったので撮ろうとズームを伸ばしていたら、何処かで見た文字だ。船尾には「AIΓAION ΠEIPAIAΣ」とあった。「Σ(シグマ)」を見た途端、私はピンと来た。ギリシャ船だ。再会できた! しかも、製鉄所から戻る途中にだ。あの日と全く同じだ。あの時、珍しさにただただ感動し写真に収められず、相当後悔した。それから、この観光船に乗る度、ギリシャ船を血眼で探していたが、見付からずに心中では歯軋り(はぎしり)していた。そして、あれから18年後に再会できるとは! 逃してしまったら、何時再会できるか判らない。18年前の後悔が晴れる時が来たのだ。ボケッと見てるな、旅人! 行けっ。我が相棒のデジタルカメラ! 私にとっては大捕物だ。
 観光船はズンズンと戻っていく。巧くズームを合わせて船尾が見えるように、すかさず1枚撮った。更にもう1枚撮った。出来栄えは巧く船尾の文字が入っていたので、大成功だ。18年前の後悔が、真逆同じ場所と状況で晴らせるとは。宮入りした大事件を見事解決したかのような快感が得られた。
 悔しさと嬉しさが混じった二首。
 珍しき港撮せど偶然の撮らず悔しきギリシャ船かな
 ギリシャ船偶然撮れて大歓声十八年前の悔しさ晴れし

 上は観光船の近くを飛ぶ鴎。
 中は「FLORENCE K MAJURO(フローレンスK マジュロ)」。
 下はギリシャ船籍「AIΓAION ΠEIPAIAΣ」。



(2013年12月21日) ポートタワーからの様々な眺望


 パイシーなキーマカレーを昼餉にし、大満足した私は、ポートタワーに向かった。入場料は410円。あの日と同額だ。観光船は270円も値上げして、ポートタワーは同額。一体、この差はどこから来たのだ?
 難しい問題は後回しにして、4階の展望台に向かった。すると、普段は閉鎖している屋上が開放されていたのだ。コリャ、良いね。
 い階段を上ると屋上に出た。そこでは来客の表情が展望台とは全く違っていた。会話が弾んでいたり、頻りに写真を撮っていたりしていたからだ。単に高さが違うだけではないな。滅多に上れない屋上に来られた嬉しさと、展望台では見られない光景が見られる嬉しさがあるからだ。
 いやぁ、屋上で眺望が撮れるなんて、思わぬ実入りだな、と方々撮していたが、此処でもバタッと遇ったよ。そう、あのスカイツリーに。今日で何回遇ったのだろうか。新木場、市川塩浜、稲毛海岸、そして千葉みなと。此処まで来たら歓声どころかウンザリしそうだ。何が言いたいのだ。「スカイツリーにおいで」なのか? でも、行こうとは全く思わない。観光客が先を競う如く観光地に来て、ゾロゾロ歩きを強要されるだけではなく、肝心の景色も来客に遮られてしまっては、金をドブに捨てる物だからな。どうしてもと言うなら、そのお膝元業平橋(なりひらばし)の商店街に行くとするか。スカイツリーに経済や来客を搾取されて、それを見返す為に努力している姿を褒め称えたいのだ。それでも、2枚程撮った。
 此処で一首。
 稲毛でも千葉みなとでもスカイツリー対では如何か見えるか京葉

 の中でも印象深い箇所があった。ポートタワーから見て、東南東と南東の方向、地名で行くと(千葉都市モノレールの)千城台か(JR外房線の)鎌取辺りだ。手前は市街地が広がっているが、例の場所になると民家が少なくなり、森に囲まれているのだ。しかも、判り易くクッキリと。都会と田舎が背中合わせの都市は余り見ないが、こんなにクッキリしているとは。都会の喧噪(けんそう)と田舎の長閑さ(のどかさ)が共存していると言えばいいのか?
 階へ戻るエレベーターで沈む夕陽を見付けた。写真を撮ることは出来ないが、此処でふとあの日を思い出した。確か、旅の最後に新木場公園に立ち寄って、沈む夕陽を見たな。その写真は手元にあるが、フィルムの感度不足で綺麗とは言えない代物だ。どうしても、新木場公園で夕陽を臨みたい私は、ポートタワーで見た日の入り時間を叩き込んで、京葉快速で千葉みなとから新木場に戻った。

 上は千葉ポートタワーから見えたスカイツリー。
 下はクッキリと判る都会と田舎の境界線。



(2013年12月21日) 新木場での夕陽


 木場に到着。そこで何と、ホームから夕陽に出会えたのだ。滅茶苦茶綺麗な夕陽だった。何としてでも撮ろうとデジタルカメラを取り出したが、バッテリーが残り少なかった。良い夕陽を撮りたいから持ってくれ。その願いが通じたのか、2枚撮影できた。すぐさまバッテリーを交換し、新木場公園に向かった。
 この新木場も久し振りだな。川越在住時、新木場行きの電車を見て、どんな所なのかと思いを寄せたのが始まりだった。あの日の旅では〆で来たし、(科目の)生物の資料を集めに夢の島公園に来たのも新鮮だ。
 新木場公園は千石橋を渡ってすぐ右側にある。遊具が無く、ただベンチがあるだけの公園だが、此処からの夕陽は素晴らしいとガイドブックにある。
 て、夕陽はどうだ。と欄干に向かったが、肝心の夕陽は雲に隠れてしまっていた。あの雲を追い払う訳には行かないので、この状態で夕陽を見るしかないが、こうやってみると、新木場公園は本当に夕陽を見るには絶好の場所と言える。眼前には視界を妨げる建物は無く、しかも、目の前は海なので、夕陽が沈む色が海面に反射して、海と空両方で夕陽が沈む様が娯しめるからだ。夕陽が近い場所は赤みが強いオレンジ色で、上がるに連れ赤みが薄れ、普通のオレンジ色から山吹色に変わり、そして、夜の帳の青が……。あれ、薄い水色だ。この色はどうも夜の帳に相応しくない色だ。東の空を見ても、夜の帳らしい色になっていなかった。薄紫の黄昏は見付からなかった。
 夕陽は少し外し、夜の帳は薄かった。ちょっと損した気がする。
 新木場公園での光景で一句。
 撮れずとも黄昏愛でし冬の猫

 上は新木場駅ホームから見えた夕陽。
 下は新木場公演から見た黄昏。



(2013年12月21日) 〆を飾る幕張新都心


 後は海浜幕張だ。今年の8月に外房を旅した時に立ち寄ったので、もう4ヶ月振りだ。昔は仕事帰りに幕張新都心に寄り道するのが、何よりの娯しみだった。此処で夕餉を摂ったり買い物をしたりと特別どうってことはなかったが、とにかく娯しみだった。今はもう片手で数えられる程になってしまった。今年になって、8月が最初だった気がする。他人事のようだが、一体私の身に何があったのだろう? 寄り道したくなくなったのか、嗜好の変化なのか? 会社の方も順調に行っているとはお世辞でも言い難く、出来れば他に遷りたいのだが、そう上手くは行かない。結局そう言う八方塞がりの状態が続き、気分が昂揚するにも時間が掛かり、「どうでもいいや」と折角のチャンスを放棄し、自分の部屋に引き籠もってしまったのだろう。精々あっても、駅のカフェで時間を気にせず過ごす程度だ。何か、今の職場にずっといては、何もかもダメになりそうな気がする。
 今日はその気分を払拭する為に、京葉線沿線の旅をしたのだ。これを機に、もう一度幕張新都心で寄り道する気分を蘇らせられればいいのだ。あの娯しかった日々をもう一度。
 大手ショッピングセンターで軽く買い物を済ませて、駅とは反対側の行き付けのお好み焼き屋で夕餉を済ませた。
 路は特急を利用した。此処海浜幕張は、16時台まで下り特急が、11時台から上り特急が停車する。特急料金は500円で所要時間は30分足らずだが、利用客はそれなりにいる。私は窓側の席に身を沈めて、東京へ向かった。
 此処で一首。
 師走旅特急列車を帰路に充て大いに褒めよ戻りし笑顔

 て、舞浜を通過して旧江戸川を渡った時だった。何と旧江戸川に赤や黄色、ピンク等の派手な色の提灯を提げている屋形舟が浮かんでいた。こんな時期に屋形舟なんて、北風が寒くて娯しめないんじゃないか。と嘲笑をしようかとしたが、何艘も屋形舟が出ていたので、すかさずシャッターを切った。船内では何が催されているのか。時期を見れば忘年会だろう。店でワイワイガヤガヤ騒いで催されている忘年会も良いが、こういう江戸の粋を貴んで、屋形舟での忘年会も洒落ている。しかし、私にはこういう芸当は出来そうにもない。今は人間関係の歪みで休みを頂いている身の上、大勢でワイワイガヤガヤとイベントを催すのは、周囲の歩調に合わせなければ行けないので、余計気を遣って心理的疲労が溜まり易く、私の性に殆ど合わないからだ。精々気の合った仲間4〜5人でこぢんまり催す程度が良いね。
 此処で一首。
 舞浜の百花繚乱冬合戦旧江戸川の屋形舟かな

 急で東京に向かった時も、JR中央線で戻った時も、私はデジタルカメラで撮った写真を参考にしながら、和歌の整理を始めた。今回は余り詠めないだろうなと思っていたら、結構数が出来た。これもあの日とよく似ている。1つの名所の感想を5行ずつ区切って綴ろうとしたら、行数が足りず、空いているスペースに矢印を引っ張り、そこに続きを書いていた。お陰でうたた寝する場所の行程が有効に使えた。
 今日は遠出以外で滅多に無い、とても良い日だった。

 上は夜の幕張新都心の一部。
 下は旧江戸川で見掛けた屋形舟。





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