2014年3月31日〜4月2日 桜吹雪の伊勢と京阪

(2014年3月31日) 旅路に春を求めて

 を見ると、桜前線北上中。桜でも見に遠出するか。3月に熱海と河津へ向かったが、熱海は散り頃に当たり不発。河津は葉が生えて始めていたが、良い具合だった。しかし、どうも盛り上がりに欠けていて、気分が上向くことはなかった。
 浜線の一番電車で、新横浜に向かった。6時丁度発のひかり538号の座席に荷物を下ろして、ホームに出た。丁度、朝日が入り込んでいたので爽快感がある。昨年10月に大須大道町人祭に出掛けた際は、待望の有給休暇を使えた嬉しさやこの祭を楽しみにしていたこともあって、ルンルン気分でホームを歩いていたが、今はその有給休暇や職場を失った。4月中旬までの契約で、給料は保証されてはいるが、そのことに胡座を掻き、死に金になりそうな気がしてならない。此処で頂き慣れているシュウマイを買った。
 幹線の座席に痩身を沈めて、景色を眺めていたら、綺麗な富士山が見えてきた。頂は冠雪していて、見事な眺望だ。デジタルカメラのシャッターを何回も押した。更に、浜名湖も撮った。特に「これ」と言った眺望ではないが、あの日から約1箇月経って、鬱を再発させた会社から漸く解かれた開放感が、そうさせているのかも知れないな。また、新しい職場を探さなくてはいけないが、折角の旅だ。前向きに行こう。先述の給料も見方を変えると、退職金や慰労金の他に、職場から旅立つ餞別にも捉えられる。
 気分が良くなってきたので二首を認める。
 朝風の冷たさ変えし桜咲く
 桜咲き楽に越せたり春便り越すに越されぬかの大井川

 時26分、名古屋到着。多くの客が名古屋駅に降り立った。見た所、名古屋の会社に向かうサラリーマンが目立っていた。私のような旅姿は無さそうだ。今日は平日の月曜日。駅構内を見渡しても、通勤通学客で賑わっていた。そんな他愛もない光景を、デジタルカメラに収めた。撮った日時が判るデジタルカメラだ。この旅の一部始終を細かく収めたいのだ。私自身が入ったら、この旅の信憑性が高くなったり、この世に私がいたという証拠になったりするが、通勤通学客にこんな頼み事をしたら、斜視されることは間違いないだろう。此処では、一般大衆とは異なる暦や時間を用いて、行動していた。こんな時でも、失わないでいる私の旅心に感心する。
 行き付けのカフェで、モーニングを抓み、8時35分発の快速「みえ」1号で、伊勢市に向かった。座席は進行方向と逆の席に当たってしまった。当日に指定券を取ったので、文句は叩けないが。

 写真は新幹線から撮った富士山。



(2014年3月31日) 桜咲く伊勢神宮




 勢鉄道の車窓から、青々とした麦畑が見え、長く感じた冬が漸く終わる嬉しさに遇ったが、松阪の1つ手前の六軒辺りでは、まだ田起こしをしていない田圃が見え、一気に冬に逆戻りしてしまった。それなのに、視線をそらさずにいられたのは、この旅が景気付けとして位置づけられていたのだろう。1月の青函旅行はリハビリがてらの旅だったので、「鬱」という荷物が軽くならなければいけなかったが、今回は充分に娯しめれば良いので、気が楽なのだ。向かう先にきっと逃げない春が待っているに違いない。
 都市化を感じさせない澄んだ宮川を渡り、山田上口まで来ると、その逃げない春に出会えた。淡い桃色の桜が、まるで参詣者を歓迎するかの如く咲いていたのだ。桜の時期に伊勢神宮に参詣したことがなかったので、単に桜が咲いていた光景だけでも嬉しかった。(運転手の交代や単線区間で列車の行き違いを行うこと)運転停車で山田上口に停車しても、桜が見えた。思わず溜息が漏れた。一体どうしてなのだろう……。伊勢という土地柄なのか、来た時期が良かったのか、待ち焦がれた春からの手土産なのか。
 勢市で降りて、伊勢神宮外宮を参詣して、猿田彦神社で途中下車したが、伊勢神宮内宮の駐車場でも、また咲き誇る桜に出会った。しかも、この時期に初めて来るから、此処に桜があることを知らなかったので、余計感動した。春近し……、素直に感じられるな。
 おかげ通りを歩いて、伊勢神宮内宮に向かう。
 その途中、御師(おんし 江戸時代、全国からの参詣者を宿泊させた伊勢神宮の神官)の門で咲き誇る桜があった。踵(きびす)を止めて、桜を眺めた。こんな所にも桜があったのか……。しかも、青空が広がっているいい天気の上、葉が生えていないので、桜の咲き栄えが良く映えて見える。思わず、溜息を漏らした。今冬は(1月の青函旅行以外に)大した外出もしていなかったので、余計春の訪れに感動した。伊勢はもう春になっていたのか……。3月になっても勝手に冬の暦を下げていたが、この辺で暦を変えるとしよう。きっと、いいことがあるさ。
 何度も巡り会う咲き誇る桜に陶酔しながら、五十鈴川へ繋がる路地を振り向くと、おぉ、また桜を見付けた。導かれるように進んでいくと、五十鈴川沿いに桜並木が続いていて、清冽な流れを湛えている五十鈴川が春の陽気を受けていた。五十鈴川の流れを眺めながら、ゆっくり深呼吸。少し冷たい空気が入ってきたが、冬の冷たさは薄く、自然に春近き時を思わせてくれた。春の暦に変えられることを許されたのだ。
 春の暦を受け取った私は、再びおかげ通りを歩き始めた。
 詣後、また春近き光景に出会った。
 昼餉を摂る為、牛鍋屋に向かっていた所、春の青空にピューッと燕が飛んできた。嗚呼、もう巣作りの時期になったのか……。もう、本格的な春は間近に迫ってきている。
 今回の参詣は、この春を愛でる為にある気がする。参詣前に咲き誇る桜に出会って、参詣後は巣作り中の燕に出会えるとは。咲き誇る桜を見ながら、巣作りに勤しんでいる燕か……。此処伊勢はもう春なのだ。私もその春の陽気をお裾分けして貰って、新たな職場探しに勤しむとするか!
 春の訪れに感動してこれを認める。
 巣作りと花見供する親燕
 気に入りし桜眺める旅人の同じく視線親燕かな
 春祝う鼻歌桜親燕

 上は六軒付近の田起こししていない田圃。
 中2枚は伊勢の桜(山田上口駅とおかげ通りの御師の門)。
 下は巣作りの途中の一服。



(2014年4月1日) 卯月の京都に誘われて

 はまた、近鉄京都駅に降り立った。2011年10月に、約18年振りに訪れて以来、年に1回程は京都を訪れている。そりゃ、一回切りでは京都市内の寺社や見所は回れないが、昨今パワースポット云々の場所へ訪れる気は全く無い上、有名寺社を努めて向かう気も無い。ただ、時間の赦す限り、風の向くまま気のままに京都を歩いている。今回は何処を訪れようか。
 昨日は伊勢志摩で思い掛けず、咲き誇る桜に出会って、久し振りに気分が躍った。その夜に、ビーフジャーキーを抓んでカクテルを傾けながら、『男はつらいよ』のDVDを見ていた合間に、京都市街地図を広げて考えていたが、二条城、清水寺、京都御所、嵐山、トロッコ列車……。色々あるが、昨夜には決まらず、近鉄特急でジックリ考えた末、舞妓で有名な先斗町(ぽんとちょう)と新京極に決めた。しかも、先斗町と新京極は比較的近いので、効率良く旅できそうだ。
 と言うものの、年に1回程の京都散策では、複雑な京都市営バスを効率良く利用できないので、京都観光案内所に迷わず入った。入るなり、パンフレットを手にして、京都散策を練っている観光客が多いこと。無論、外国人観光客も多かった。東京とは全く違う京都の魅力に、パンフレットを視る目も興味津々。見慣れない舞妓に、古くからある木造建築物、そして、目にも鮮やかな京料理の数々。どのように京都散策するか真剣だ。
 国語が飛び交う中、先斗町と新京極への道を尋ねた。最寄りのバス停は四条河原町。
 バス停には長蛇の列。平日なのだが、丁度春休みの期間と重なっているから、混雑する道理は飲み込める。でも、平日に旅する贅沢となれば、ちょっと薄い。どの位いるのか? ざっと数えても40人位だ。座れる可能性は極めて低いな。
 市バス205系統が入ってきた。バスに乗車したのは、十数人だけ。あの長蛇の列は、何処に行くつもりなのだろう。



(2014年4月1日) 四条の桜と先斗町の舞妓




 条河原町で降りた。有名百貨店が大きな建物を構え、多くの車が往来している、大都会の京都の街並みだ。東京と大阪の相違点を述べると、営業しているタクシーやバス、出店している百貨店が違うだけと言ったら、間違いなく怒られそうだ。
 交差点を渡り少し歩くと、四条大橋が架かる鴨川に着くが、その前に春の装いに出会えた。満開の桜に出会えたのだ。コリャ、綺麗だ。病み上がりに近い私にとっては、純粋に春が来たという事が判る咲き具合だった。空は青空程ではなかったが、桜の咲き具合だけでも、充分に春の到来を告げている。私の視線は鴨川から、満開の桜に向きを変えて、京都の春の到来を愛で始めた。東京でも桜が満開と出ていたから、(東京から)西南西に位置する京都は大丈夫なのかと思っていたが、此処も満開だったので良かった。
 条大橋の真ん中で止まって、鴨川を眺めたら、両岸の桜が満開だった。見慣れない赤紫色の花もあったので、全てが桜とは断言できないが、澱みなく流れている鴨川のせせらぎがクラクションを押し退けて、私の耳に聞こえてきた。四条大橋から向こうには南座があって、デジタルカメラのズームでもっと奥まで眺めたら、八坂神社の鳥居が見えてきた。この辺が祇園で、京都散策の〆として訪れる清水坂は近い。清水坂も桜満開だろうが、今回の〆は清水坂ではなくて、別の所が良い。
 満開の桜を仰いで一首。
 満開の四条の桜に見取れれば舞妓(きみ)に妬かれる先斗町かな

 斗町(ぽんとちょう)。舞妓達が活躍する繁華街として有名だが、年配の方なら「富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も……」と続く『お座敷小唄』でも有名な場所だ。
 賑やかな四条通から始まる細い路地。此処が先斗町になる。左右は木造建築と格子戸、しっとりとした暗色が上品さを引き立てる飲食店が続く。店の看板も極彩色ではなく、暗色が良い具合に入っている色合いや少々色褪せている所も上品だ。時折擦れ違う若い娘は、もしかしたら舞妓なのかと素直に思わせてくれる。
 細い路地が延々と続く先斗町だが、人の往来は驚く程少ない。先斗町は夜に営業する店が多いことは私でも知っているが、こうやって静かな先斗町を歩くのも乙な物だ。舞妓達が歩いているこの路地を昼間は旅人の私が歩いて、大都会京都の喧噪さを無視した余り派手に飾らずしっとりした雰囲気に浸る。有名寺社を訪れなくても、京都本来の雰囲気がある。その雰囲気に浸るだけでも、京都観光の点数は稼げるのだ。
 しかし、往来が多い四条から一歩入ったら、こんな静かな場所があるとは。立ち止まって、ゆっくり空を仰いで、静かな先斗町の空間に浸った。
 左側にまた細い路地が伸びていて、そこにも飲食店があった。此処にも、舞妓達が働いているのかな。その路地をチラッと覗いてみたら、やはり先斗町同様のしっとりした雰囲気が詰まっていた。京阪で働く人達の隠れ家みたいなバーがありそうだな。思わずネクタイを締めて、値の張る酒を注文して、時間を気にせず酒精の酔いとゆったりとした空間に身を委せる。そして、お座敷から聞こえる三味線の音色を酔い醒ましにして、家路に就く。東京人の私には、何とも上品に感じる。『お座敷小唄』でも口ずさんだら、京都の粋の真骨頂だな。1番は歌えそうなので、歌うか。

 『お座敷小唄』の株を借りて一首。
 お座敷の京都先斗町雪降らば咲く日望みし鴨川の桜

 上は桜咲き乱れる四条通。
 中は満開の桜の鴨川。
 下2枚は先斗町の街並み。



(2014年4月1日) 三条大橋での国際交流




 斗町(ぽんとちょう)の路地を抜けると、鴨川沿いの三条に着く。木造の橋が見えてきた。形に見覚えがあった。そう、三条大橋だ。先斗町の近くにあったのか。バス路線図しか見ていなかったので、余計驚いた。
 松阪から特急列車に揺られて、休む間もなく京都散策したので、少し休むか。
 四条大橋から見た桜が三条大橋まで続いていて、特にベンチ等は無いが、立ち止まっているだけでも、充分に休める。すぐ近くに三条京阪駅があり、見ているだけでも、大阪の喧噪が一方的に入ってきて、うっかり時計を見そうなので、視線を逸らせて鴨川の流れを眺めた。
 サラサラと聞こえるせせらぎの音がいいね。住んでいる八王子でも近くに川はあるが、せせらぎは余り聞こえないから、余計新鮮だ。しかも、此処は大都会京都だ。大都会で川のせせらぎが聴けるのは滅多に無い。
 三条と四条を眺めて一首。
 三条と四条名高き橋ありて何処を愛でん尋ねし鴨川

 の近くに位置する三条大橋は、江戸日本橋から続く東海道の始終地。橋の袂には、旅姿の弥次喜多の像があるのだ。『東海道中膝栗毛』の主人公で、宿場町であれこれ騒動を起こしたり、巻き込まれたりする二人だが、仲間割れすることなく、三条大橋に到着した。二人の仲の良さを象徴しているみたいだ。当時は京都に向かうにしても、箱根、新居等の関所を通ったり、長い道程を徒歩で向かったりする現代人にとって想像できない苦労が付き纏っていたが、三条大橋を目の当たりにしたら、今までの苦労が報われて、思わず歓声を上げていたに違いない。今は新幹線を使って2時間少々で行けて、長い道のりを徒歩で向かう苦労は無くなったが、三条大橋を目の当たりにした感動は変わりない。
 三条で長き東海道を偲ぶ一句。
 三条で桜探すや街道(みち)終わる

 の三条大橋を渡ってみた。アスファルトの道路と良い具合に緑青が付いた擬宝珠(ぎぼし)のアンバランスに苦笑するが、三条大橋には歴史が詰まっているのだ。幕末、新撰組の襲来で有名な池田屋事件の折の刀傷があるのだ。刀傷と言っても、結構目立つから判る。写真に収めたが、成程、よく目立つわ。
 橋の中央で、ある観光客に声を掛けられた。中国か台湾か、国の訛りが入っているが割と綺麗な日本語で、写真を撮って欲しいと頼まれた。勿論です。英語で「1、2、3」と号令を掛けて、撮した。英語のお礼が来た。それならば、私も撮って下さいと、頼んだ。縦にして撮って欲しいと、ゼスチャーを送って、英語で「3、2、1、0」と号令を掛けて撮って貰った。お礼に、「Have a nice day.」と述べて、互いに去った。その観光客も、嬉しそうに三条大橋を渡っていった。「袖触れ合うも多生の縁」だ。多くの観光客が訪れる京都は、お互いに助け合って京都観光を成功させる権利がある。人種も性別も全く関係なし! 相手に通じ、そして京都観光の一つの思い出として受け止めてくれればいいのだ。
 条京阪駅側に着くと、此処にも歴史がある。
 座り込んで礼をしている武士の像がある。石碑を見ると「高山彦九郎」とある。彼は上野(こうずけ 現在の群馬県)生まれの武士で、5回程京都を訪れている。その折に京都御所に向かって礼をしたのだ。その姿は勤王派に受け入れられ、明治以降に作られた歌で彼を讃えている。

 上は鴨川に架かっている三条大橋。
 中は弥次喜多の像と刀傷がある三条大橋の擬宝珠。
 下は高山彦九郎の像。



(2014年4月1日) そばで知る繊細な京都

 た、三条大橋を渡って、新京極に向かった。「新京極」の名前は知ってはいたが、場所が見当付かなかった。郊外の西京極の近くかなと地図で探していたが、何と三条の近くにあったのだ。観光案内所に因れば、土産物屋が建ち並んでいるアーケードだと言っていたが、この辺で空腹になった。何しろ、定宿にしているホテルの朝餉は7時からで、ホテルから駅までは10分程掛かり、松阪発7時46発の特急で京都に向かうとなると、30分で頂いてそのまま駅に向かわなくてはいけない。旅先で朝から時間に追われる行為は絶対に避けたいので、自室で飲み慣れた紅茶を啜って発ったのだ。時間を見ると、11時15分を回っていた。特急列車でも何も頂かなかったのを見ると、私の燃料タンクの効率の良さか、旅に夢中になっていたので空腹だというのを忘れていたのか、5箇月程療養していたが、何とも天晴れなことだ!
 ーケードになっている三条通に入って、昼餉を摂ろうと飲食店を探した。途中の土産物屋で絵はがきを買って少し歩くと、格子戸が格好いいそば屋を見付けた。此処にするか。
 落ち着いた店内で、品書きを見た。オッ、京都名物にしんそばがあった。そう言えば、昨秋に嵐山を訪れた時にもあったな。卵が数の子として珍重される鰊(にしん)の身が載っているそばだが、私が頼んだのは無難な天ぷらそばだった。細いそばに揚げ立ての海老天が載っている東京でも見掛ける天ぷらそばだったが、一口頂くと全く違うね。細いそばは殆ど噛まなくても、スッと通る喉越しで、本当にそばを啜ったのか錯覚すら憶えた。京都独特の繊細さがこのそばに凝縮していると言っても、過言ではないだろう。また、東京では余り見掛けないゆず七味を掛けると、風味が良くなる。微かに感じた柚の香味に、関西風の薄口のそばつゆを啜ると、柚の香味が一層増してきて、食欲を刺激する。その食欲に乗って、揚げ立ての海老天に齧り付く。1290円で、本日からの消費税8%付加された値段だが、3%の税分値上げされていても、充分に頂く価値はある。この店は明治元年(1868年)から続いている老舗だが、京都の常識から見ると、200〜300年前から続いていなければ、老舗とは言えないのだ。軽く100年少し続いても老舗に入らないのだから(このそば屋は約150年位続いているので、範疇に入り掛けている)。東京では、100年続いていたら老舗云々と扱われる地。東京の老舗なんか、京都にしてみれば、素人の戯言その物なのだ。此処に、京都の脈絡と続いた歴史を感じさせる。

 写真は昼餉を摂った三条通り。



(2014年4月1日) 新京極を歩けば……


 京極は三条通から程近い。そして、土産物屋が点在していた。よく見たら、ケイタイの店やファッション関係の店もあったり、小洒落たカフェもあったり、ゲームセンターに映画館を備えたアミューズメントパークもあったりして、地元の人でも娯しめる商店街だ。おまけにアーケードなので、雨の心配無用。
 歩いてみると往来もあって、流石「(私論だが、殷賑の「京」を「極」めた街)新京極」ということもあって名の通りだが、土産物屋がある割には、修学旅行生の姿は無かった。どういうことなのだ。同じ土産物屋が多く点在している場所は(存じている限り)清水坂と同じだが。と、テレビ朝日系統で大ヒットした刑事番組『相棒』の映画の巨大ポスターが掲示されているアミューズメントパークの前で立ち止まったら、その答えが出たよ。そして、1分もしない内に立ち去った。有名寺社の近くにある土産物屋と街の殷賑が詰まっている土産物屋を比較して、教師達にしてみれば教育上の問題、アミューズメントパークに立ち寄って、問題行動を起こさせたくない気持ちがある。だから、清水坂に行かせるのも頷けそうだ。じゃ、何時新京極に立ち寄ればいいの? 大人になってから? プライベートで京都を旅する時? 真逆、誰にも知られずにコッソリと?
 京極を暫く歩いていると、左側に寺社があった。そばにある案内板には、平安時代の女流歌人和泉式部の墓だった。多くの恋の和歌を残した和泉式部だが、確か、女性では為し得ない極楽往生が、彼女の懇願で女性でも極楽往生を遂げられる逸話が残っている。
 た、新京極を歩く。土産物屋もあれば、ケイタイの店やファッション関係の店もある。地元の人でも娯しめる商店街。しかし、教師視点から見ると、新京極ではなく清水坂に行かせたい訳がもう一つ読めたよ。修学旅行という大イベントだ。その1分1秒が何とも貴い時間になる。その時間の最中に、地元を思い起こさせる店があっては、雰囲気がブチ壊れてしまう恐れがあるから、この時間が特別な時間だと思わせて、思い出深い時間にさせる大人の心理(と言ったら変だが)なのだろう。確かに清水坂では、前述の2店の類は見られないし。一言で「修学旅行」と言っても、難しい所が一杯ある。また、清水坂に向かってしまっていたら、「良い修学旅行を創れ」としか、従来の感想しか出なかったな。新京極へ向かって正解だった。
 る八つ橋の店で、紀和への贈り物の手配を済ませて、四条河原町のバス停に向かった。ゴールデンウィークに帰省していたのだが、今年は心身不安定が続き、どうも出来そうにもない。責めて、京都土産でも送りたいので、そうした。
 娯しき新京極に送る一首。
 痩身に既に用無き悟りても京の桜に醒めし戯言

 上は新京極のアーケード。
 下は平安歌人、和泉式部の墓。



(2014年4月1日) 21年目の京都タワー

 条河原町から京都駅へ向かうのだが、バス停があることはあるが、京都駅行きのバスは見当たらない。往路で降りた河原町通りを中心に探したが、何処にも見当たらない。
 すると、或るバスが「京都駅」の方向幕を出していた。しかも、前のバスが私の後ろのバス停に停車していたので、このバスもこの停留所に止まる可能性は高い。だったら、そうしよう。1日乗車券を買っていないから、どの会社のバスに乗っても問題は無い。
 ベージュと焦げ茶のツートンカラーの京都バスに乗った。しかし、乗車している人はほんの4〜5人程。それも、ガイドブックを携えず、使い慣れたバッグを抱えている観光客らしくない人だ。京都の日常が映し出されているバスだ。
 バスは十分足らずで京都駅に到着。向かった先は、京都タワーだった。京都駅烏丸中央口から見える、白を基調とした観光タワーだが、余り斬新さは無く、色使いも二昔の雰囲気が強い。3年前の10月に18年振りに訪れた時、最初に目に止まったのが京都タワーだし、その印象は21年前の中学の修学旅行に刻み込まれている。確か、展望台の辺りに「京都市街が望める展望レストラン」の文字があって、東京界隈には無さそうな施設に憧れていた。そして3年前、その展望レストランの文字が無くなり、京都タワーは斜陽化しているのではと思い始めた。
 都タワーの入口は、土産物屋が入店している商業施設だが、客の姿は疎らで、来訪者も五十路を越えた人が大半。入口で見掛けたクリアファイルや絵はがきは新調した物だと判るが、このような人達に向けているとは思えない。「何とかしなくちゃ」という焦りが感じられた。
 途中で展望室直行のエレベーターに乗り換えると、京都タワーホテルが3階程入居しているが、その他は全国展開しているチェーン店が入居していた。何と、何も無い階層もあったりと、明らかに斜陽化していることを証していた。京都駅烏丸中央口からすぐ近くにある至便な所にありながら、何故こうなったのか? 展望レストランが無くなっただけの話ではなさそうだ。行き際の五十路のおじさんの一言がそれを物語っている。
「昔と変わったね。面白くなくなってきたよ。」何も無い階層があるから、十分に納得できる。

 写真は京都タワー。



(2014年4月1日) 平安京の眺望



 望台エレベーター乗り場に着いた。パンフレットを頂いたら、興味深いことが書かれていた。この京都タワーは他のタワーには見られない建築方法で建てられているのだ。骨組みは何処にも無く、厚さが1〜2センチの特殊鋼板で造られた円筒を、繋ぎ合わせたタワーだ。しかも、京都に襲来した台風や阪神大震災にも耐え抜いたという。見た目は他のタワーより細く、何か弱そうだったが、そこには天災を耐え抜いた歴史や、世界に誇る建築方法が秘められているのだ。
 エレベーターを待つ間、係員が来訪者に写真を撮っていた。この光景よくタワー関係の観光施設で見掛けるな。東京タワー、通天閣……。係員が撮った写真は希望者に販売しているのだが、濃い青髭は今朝剃り落として、些か(いささか)若さが垣間見られそうだが、どうも買う気が起きなかった。スカイツリーが開業し、東京観光の目玉になっている事、記念写真を撮るサービス云々は知っているが、スカイツリーと同じサービスをして、一体何の得があるのか。東京から来た私には、どうも東京追従という日本人の最低最悪の癖が、見え隠れしていて不愉快だった。
 望室から京都市街を眺めた。さて、桓武天皇が遷都し多くの日本文化が生まれ、そして、東京奠都(てんと 首都を移すこと)の後、観光都市として花開いた平安京の眺望は如何だろう。
 18年振りに訪れた時、京都駅の屋上から眺めたが、東京と法螺吹いても通じてしまう無味乾燥な都市と解釈したが、こうやってみると、明らかに東京と違う。それは東寺の五重塔がある、梅小路貨物駅があるとは別にだ。近未来的駅舎の京都駅の全体がよく見えたが、それを超える高さの建物は余り無く、素直に空の広さが実感できる街だ。また、街を細かく見ていると、碁盤の目状の街並みを探すのは難しいが、寺社の瓦屋根が見えたり、緑豊かな場所があったり、更には桜が咲いている鴨川があったりして、東京では見られない眺望がある。山がすぐに迫っている所は特に印象的だ。山地ギリギリの所まで京都の町が広がっていて、山間をチラッと見ると、有名寺社が一纏めになっていた。
 さて、よく行く清水寺はどの辺かな。方向と建物の特徴は判っているから、すぐ見付かるかと思ったら、本堂が見付からなかった。一体、何処にあるのだ。デジタルカメラのズームを伸ばして、探すこと1分足らず。見覚えのある赤い門にズームが止まった。本堂は改修中なのか、上から覆いが掛けられていて見られなかった。何か、私に虫の知らせがあった気がした。昨夜松阪でゆっくり時を過ごした時でも、京都に向かう途中でも、先斗町(ぽんとちょう)を歩いていた時でも、どうも清水坂に行きたい気持ちは余り起きなかった。旅先では、思い掛けぬ幸運に恵まれることが多い。責めて、日常でもこういう幸運に恵まれたい物だ!
 京都駅方面を見ると、おぉっ、新幹線が発車していた。ズームを急いで伸ばして新幹線を狙ったが、新幹線が見付からず撮れなかった。その新幹線を目で見送ると、逢坂山が見えてきた。あの山越えると、琵琶湖の辺の都市近江大津だ。
 数秒後、また新幹線が京都を発った。上手くズームを伸ばして、新幹線を見付けて、上手い具合に1枚撮れた。しかも、桜咲く鴨川も撮れているというオマケ付き。新幹線を綺麗に撮るならば、京都タワーが一番なのかな。何も遮る物も無いし、京都駅から近いので、上手く照準を合わせられるし、京都駅は全ての新幹線が停車するから、チャンスが多くある。しかも、ガラガラに近かったので、邪魔が入らずノビノビと撮れる。そんな訳で、京都タワーを見直した。
 置き土産に一首。
 新幹線見付けて撮す京都タワー互いに華やか鴨川の桜

 り際に、先程撮った記念写真が並んでいた。手頃な値段と髭の件はよかったが、表情はちっとも決まってなく、記念写真購入は拝辞した。その代わりに名刺サイズの記念品を貰ったが、記念写真を縮小した京都タワーオリジナルカードだった。何と私の表情は旅の途中でありながら、ちっとも決まってなかった。5箇月程療養していたら、病人みたいになるのか。

 上は京都タワーからの市街地。
 中は京都タワーからの清水方面。
 下は京都駅を発つ新幹線。



(2014年4月1日) 大阪へ向かう電車は疾風の如く

 都タワーを出たら、駅の脇にある京都中央郵便局へ入った。此処の目的は、手紙を出す訳ではない。絵葉書を買う為だ。郵便局が民営化されてから、レターセットや人気キャラの3D絵葉書、その土地の名所の形をしたフォルムカードが売られるようになり、大分変わってきた。その中でも、その土地の景色や名所を撮した絵葉書が目的だ。これは、3月に立ち寄った東京中央郵便局で、ライトアップされた東京駅の絵葉書を偶然買ってから勉強した。大都市の中央郵便局に行けば、この類の絵葉書があるのではと思ったからだ。観光都市の京都だ。何かしらある筈だ。
 郵便局に入って、探してみたらあった。石畳を歩く舞妓の後ろ姿、夜の鴨川の賑わいと色々あるが、満月の前に五重塔のシルエットがある絵葉書は、無駄な物が無く、歴史の息吹が自然と感じられる一品だ。如何に京都の薫りがする。
 海道本線で大阪へ向かった。乗った電車は新快速で、行き先は忠臣蔵で名を馳せた播州赤穂行き。京都〜大阪での停車駅は高槻と新大阪のみ。駅で確かめたが、相当数の駅を通過するな。
 ドアに凭れて、通過する京阪の街並みを見る。それにしても、異様なまでの速度だ。特急列車に乗ったのかと錯覚しかけた。よく使う中央本線特急と比較しても、こっちの方が凄い。上手くカーブを通過できるか心配になる程だ。
 それに目を瞑れば、街並みや空き地に菜の花が咲き乱れている住宅地、桜が咲いている公園があるといった東京界隈と何ら変わりない景色が延々と続く。しかし、どうだろう。思ったより、息苦しさは感じられない。この電車の速度が爽快感を添えてくれているのか、京都〜神戸の複々線(線路が4線あること)のお陰なのか、いや、観光都市と商業都市が連結している京阪という土地柄の所為だろうか。
 王山を抜け、大阪府に入った。確か、この辺で有名酒造メーカーの工場があって、その地がウィスキーの名になっている。明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎もこの辺だ。
 キリシタン大名として有名な高山右近ゆかりの高槻を発つと、新大阪迄通過。途中、吹田機関区に停車していた電車があり、関東では見られない車両が停車していて、好奇心が湧いたが、デジタルカメラを鞄に入れた状態で、ズームを合わせようとしても、スッと通過するから撮らなかった。
 段々、大阪に近付いていく。妙に胸の痞えを憶えた。東京と大阪は相反する箇所が多く、もし私が東京人と判ってしまったら、白眼視されることは疎か、周囲から「東京云々の高見の見物」と身勝手な理由で、喧嘩を売られるかも知れない恐怖に怯えていた。でも、大阪は何も言わず、そんな東京人の私を晴天と旨い食べ物、東京には無いお笑いと商魂が醸し出すノリノリの殷賑で迎えてくれた。何とも温かい街だった。



(2014年4月1日) 懐かしき大阪駅



 川を渡って、大阪に到着した。約1年振りだ。大阪駅は京都駅同様近未来的な建物だったが、改札内の通路から発着する電車が見られるという東京駅では見られない特典がある。
 此処から、大阪環状線に乗り換えて、弁天町へ向かいたいのだが、私の目は周辺案内板に向かった。探していたのは郵便局。そう。先程の絵葉書が目的だ。大阪も見所が多いから、売られている筈だ。もしかしたら、道頓堀の街並みを撮した絵葉書があったら、まさにKOレベルだ。
 案内板を見た上で、人に道を尋ねて大阪中央郵便局に着いた。そこは仮店舗で、その手前に郵便局があったそうだ。改装工事中なのかな。
 さて、絵葉書は……。あったよ。昼とライトアップされた大阪城の他に、梅田にあるスカイパークビル、前回立ち寄った通天閣等があった。で、道頓堀と3月7日に開業したあべのハルカスは無かったが、良い絵葉書があったよ。
 あべのハルカスか……。東京でも「日本一高い商業施設」と話題になっているが、立ち寄る時間は余り工面できない。4月6日に閉館を迎える弁天町の交通科学博物館に立ち寄りたいからだ。
 阪環状線ホームに立った。東京で言えば山手線ホームと同様なのだが、一つ違う点がある。行き先が結構あって、うっかりすると明後日の方向に向かってしまう恐れがある。大阪環状線の他にJR阪和線直通快速関空快速(関西空港行き)と紀州路快速(和歌山行き)、そして、JR関西本線直通大和路快速(奈良行き)が発着するのだ。殆ど環状運転していて、行き先表示に面白味が無い山手線と較べれば、心弾む所がありそう。乗る電車さえ、間違えなければ。
 待ち時間の間に大阪駅を眺めていると、近未来的な駅構内が広がっていたので、未来にタイムスリップしたかのようだ。これで発着する電車も最新ならば、絵になる光景だが、天満回りの大阪環状線を見たら、何と東京の中央快速線で活躍していた朱色の車体の201系と103系。凄いアンバランスに見える。東京では既に引退している車体が、大阪ではバリバリ現役だとは。余程、出来が良いのか。この色は中央快速線を何度も利用した東京人にとって、忘れられない色だ。思わず、シャッターを押してしまった。
 った電車はJR阪和線直通関空快速・紀州路快速。この快速は8両編成で、前4両が関空快速、後ろ4両が紀州路快速になっている。途中の日根野で分割されるのだが、これも使い慣れないとうっかりしてしまう。因みに私が乗った車両は関空快速の前4両目。
 ボックスシートに痩身を沈めて、大阪の街並みを眺めた。
 紀州路快速か……。懐かしいな。2001年の紀伊半島一周旅行を思い出す。和歌山で豚骨醤油の和歌山ラーメンを啜った後、駅近くにある小鯛雀寿司という鯛の握り鮨を買って、車内で抓んで大阪に向かったな。実は、途中の紀伊勝浦でホームシックに罹ってしまい、予定を切り上げて和歌山に向かったのだ。あの時は鬱という厄介な代物を抱えてなかったから、本当に娯しかったな。いっその事、日根野で紀州路快速に乗り換えて、和歌山まで行くか。とは言うものの、心身回復するのを待って、向かった方がいいな。
 西九条を出ると、何やら高いビルが見えてきた。あれか、あべのハルカスは。行けるかどうかは、弁天町の鉄道科学博物館次第と言った所だ。

 上は大阪駅ホーム鳥瞰。
 中は大阪駅の駅ビル。
 下は朱色の車体が東京人には何と懐かしい大阪環状線。



(2014年4月1日) 旅人よ、あべのハルカスへ向かえ!


 館日まで後5日に迫っている弁天町にある鉄道科学博物館に立ち寄り、鉄道ファンの目を輝かせた後、私はまた大阪環状線に乗った。時計を見たら、16時17分。ポケットに仕舞っていた近鉄特急の切符を見た。鶴橋発17時53分の特急。このまま乗って行けば、鶴橋には35分前後に到着するが、仮に鶴橋に向かっても、時間を持て余してしまいそうだ。それじゃ、何処かに寄り道しようか。
 そうだ、あべのハルカスへ行くとしようか。確か、天王寺駅周辺が阿倍野区で、あべのハルカスの「あべの」は此処から付けられている。
 16時28分、天王寺到着。後1時間30分程。上手くすれば、最上階にある展望室ハルカス300に入れそうだ。迷っている暇はない。自動改札の前で止まって、覚悟を決めた。
 札を出た。さて、あべのハルカスは何処にある?
 何と、駅の反対側にあった。これなら、ハルカス300に入れる!
 あべのハルカスに入ってすぐの、係員にチケット売り場を尋ねたら、気になる一言が返ってきた。
「ただいま、15分待ちになっております。」1時間30分程の猶予の中で、15分の待ち時間は自棄に大きく感じる。1分でも長く、ハルカス300に入りたいので、早足でチケット売り場に向かったら長蛇の列。しまった。あの一言は本当だったのか。
 周辺は関西弁が忌憚なく飛び交う関西人が多数、いや、全員かも知れない。関西弁での会話だけではなく、話題も関西色になっている。東京人はもしかしたら、私だけなのか。また、胸の痞えを憶えた。此処でスカイツリーや五輪誘致の成功でも話してみろ。関西人から強烈な拳が私の頬に飛んでくることは、間違いない。また、早足で入ってきた所も、時間に追われている愚行を赤裸々にしてしまったので、勘が鋭い人は「東京人か」と疑ってしまいそうだ。「東京人よ、あべのハルカスよりごっつ高いスカイツリーっちゅうもんがあるのに、此処に冷やかしに来んとちゃうか。」と言わんばかり、摘み出されそうな恐怖と闘い、受付を待つ。積極的政府対応の東京誘致と適当政府対応の大阪誘致の事実がある五輪誘致の対応の格差はあっても、ハルカス300に入れる資格は誰にでもある。「東京人が、あべのハルカスに入っては駄目」という決まりも無い。況してや、私は関西と関東のハーフではないか。
 長蛇の列を目で追っていくと、売り場の受付は5箇所あって、1分も満たない時間で客を捌いていた。これならば、15分か否かの時間で入れそうだ。そして、係員が言っていた15分程でチケットが買えた。後は、そのまま向かうだけだ。時間は16時48分。充分鶴橋からの特急に間に合いそうだ。

 上はあべのハルカスの最寄り駅、JR天王寺駅。
 下はハルカス300の入口。



(2014年4月1日) 地上300メートルの天空へ……

 ずは、ハルカスシャトルというエレベーターで16階へ向かうが、このエレベーターは速度が凄いのだ。ガラス越しに天王寺駅が見えるのだが、45秒も満たない内に16階へ付くのだ。天王寺の街をゆっくり眺める時間は無い。そうなると、ハルカス300からの眺望は、轍もなく素晴らしいことにならなければ看板倒れだ。
 ハルカスシャトルをいち早く出て、展望台エレベーターに向かった。この下は近鉄百貨店あべのハルカス近鉄本店があるのだが、東京でも、百貨店の上に展望台がある所は無い。充分に大阪をアピールする材料にはもってこいだ。そんなことを考えていると、展望台エレベーターで足止めを食らった。しかも、エレベーターはほんの5秒前に上ったというので何とも癪だ。1時間30分という時間は長い気がするが、先程のチケット売り場の待ち時間や電車の乗り換え等を含めると、使える時間は意外と少ない。この少ない時間で、ハルカス300を娯しまなくてはいけないのだ。もとい、効率良くハルカス300からの眺望の美味しい所を撮る旅人特有のテクニックが光るのだ。1500円も払ったのだ。美味しい所は頂くよ。
 望台エレベーターに乗った。音も無くスーッと上り始めた。
 周囲は何も見えない。すると、軽快な音楽と共に、後ろから青と白に彩られた光の粒が降ってきた。乗客の視線が一気に光の粒に向かう。暗闇の中に煌びやかな光の粒の幻想に、深い溜息が漏れた。何時の間にか、私も周囲と同じように、その幻想に深い溜息を漏らしていた。ハルカス300が普段は滅多に行けない特別な場所だと思わせてくれる。それが、東京から遥々やってきた私ならば一層だ。スマートフォンで撮影している人もいたから、私もデジタルカメラで撮ったが、見たら光の粒ではなく、青と白の光線が写っていた。現代日本の最高位技術が集結しているデジタルカメラやスマートフォンでも、この幻想は撮れないようだ。顔に付いている「両眼」という記憶装置に取り込めるだけ。
 出入口に姿勢を戻すと、これもまた興味深い物を見付けた。エレベーターが今どの高さにあるのかが、液晶表示で示されているのだ。メートル単位で、1の位は目で追える限界速度だが、小数点以下になると、各々の数字が殆ど判断できない程、目まぐるしく動いていた。後ろの光の粒に注目している中で、(高さにおける)現在位置を目で追っていく人がいた。もしかしたら、注目していたのは私だけだったかも。このスリルが何とも愉快で堪らない!

 写真は天王寺の空を貫くあべのハルカス。



(2014年4月1日) 浪速の街を抱きしハルカス




 ルカス300の展望台に到着。時刻は16時53分。後1時間だ。鶴橋への所要時間を考慮すると、20分が限度だ。1500円も払って、滞在時間が僅か20分とは割高の印象だが、この20分で如何に美味しい所を見るか勝負所でもある。いざ、勝負!
 ……を呑んだ。地上300メートルからの眺望は、上手く表現できない。敢えて言うなら、大阪の街全体をすっぽり覆って、ハルカスだけの物になっているようだ。天王寺の空に聳える塔の頂には、目を瞠る(みはる)程の秘宝があった。東京でもその噂は聞いているが、本当に来てみると、凄いとしか言えない。それだけではないのだ。展望台独特の狭苦しさは全く無く、来訪者が一杯いるのにも拘わらず、各々の眺望が存分に娯しめるのだ。中央は吹き抜けになっていて、開放感がある。本当にハルカスの名の通り、空の遥かに繋がっている塔その物だ。
 ハルカスからの眺望をいちいち紹介すると、悠に20分を超えてしまうので、目に付いた眺望だけを紹介しよう。
 年4月に訪れた通天閣を見付けた。高さは遥か及ばないが、意外に目立つのだ。周囲は通天閣を見付けて写真を撮っていた。1912年からあった通天閣だ。大阪の発展を目の当たりにした大親友の存在なのだと素直に判る。串カツ等の飲食店が並び、殷賑がある新世界にあるが、今度はハルカス300が「新世界」や「通天閣」になってしまいそうだ(通天閣の名は、「天に通じる楼閣」から付けられたそうだ)。私事になるが、昨年4月に通天閣を訪れて、天王寺方面を撮った時、建設途中の高層ビルが写っていた。まだ、展望台部分は建設中だったが、1年後、此処で通天閣を眺めるとは……。
 天王寺はズームの影響で、模型みたいに見えた。若者達が空から降ってくる護符を取り合う「どやどや」が有名だが、聖徳太子が建立したことでも知られている。聖徳太子の10000円札が脳裏に浮かんだ。
 阪城は通天閣では見られなかったので、ハルカス300なら高さがある分、遠くまで見えるのかと思ったら、大道が判り易く大阪の街を貫通している眺望しかなかった。肝心の大阪城は、ズームを伸ばしても……、見えなかった。ハルカスでも外すとは……。豊臣秀吉公が此処に来たら、ブチ切れそうだ。
 ハルカスの吹き抜け部分を撮る。どや、充分に娯しんでいるか。寄り道がてらに立ち寄ったけど、美味しい所はこの私が貰ったるわ!
 夕陽が沈み掛けている大阪港を撮ったら、江東区若洲にあるゲートブリッジに似た橋を見付けた。名前は何と言うのか判らない。
 白い1枚を撮った。あべのハルカスの高さ300メートルを記した下に、緯度と経度が記されているのだ。北緯34度38分44秒822、東経135度30分48秒398。地球レベルだな、コリャ。
 目標となる物が見当たらなかった生駒山方面を撮って下を見たら、天王寺駅に入線する電車を見付けた。天王寺駅はJR大阪環状線、JR関西本線、JR阪和線が乗り入れているターミナルなので、電車のバラエティが多い。しかし、ハルカス300が高過ぎて、余程ズームを伸ばさないと、良い電車の写真は撮れないようだ。偶然撮影したポイント(線路が二手に分かれる)通過する青の阪和線を撮ったが、電車模型っぽい出来だった。
 りのエレベーターがあるハルカス300の土産コーナーに入り、絵葉書を探した。今日は絵葉書の大当たりだ。京都でも此処大阪でも買った。鉄道科学博物館ではクリアファイルしか買えなかったが、絵葉書のコレクションにまた厚みが増した。あれ、見当たらないな。余り時間が無いので、両眼をグルグルさせて探したら、面白い一品を見付けた。あべのハルカスの建物の形をした絵葉書があったのだ。それも、斜めからの形なので、細長い台形が何とも愉快。キチンと住所氏名を書く場所があったが、本文はそう書けっこない。不透明のカラーペンであべのハルカス側に書く他無いが、これはハルカス300を訪れた証拠のような絵葉書だ。あべのハルカスの朝、昼、夜の姿を撮しているのもイケる。
 その下は吹き抜けになっているカフェがあった。うわっ、何とも気分が大らかになりそうな場所だ。折角来たのだから、紅茶でもと思ったが、時間を見ると17時13分。丁度20分で、制限時間だ。後15分あれば、一服できたのだが。後ろ髪引かれる思いで展望台を後にした。20分程のハルカス300だったが、充分に堪能した気がした。

 上はハルカスからの大阪市街。
 中はハルカスからの通天閣と四天王寺。
 下はハルカスがある経度と緯度。



(2014年4月1日) 鶴橋物語



 王寺から鶴橋は、民家が多く建ち並ぶ下町。弁天町から芦原橋は工業地帯、芦原橋から天王寺は商業地帯を走っている大阪環状線は、色々な顔を持っている。
 17時30分、鶴橋到着。あと20分程なので、駅前散策。
 橋は東京の新大久保同様、韓国料理が多く立ち並んでいることで有名だ。駅を出た途端、何処からともなく焼肉のいい匂いが漂ってきた。交通量が多い大道を挟んで、小さな店が続いていた。中には、ハングルで書かれた品書きを掲示している店もあり、ちょっとした異国情緒が味わえる。日韓問題が冷え込み、韓流ドラマが下火になり、新大久保でも韓流関係の店が少なくなってきた昨今、責めて飲食時は気にせずに、異国料理に舌鼓を打って欲しいね。
 あれ。この光景、何処かで見たことがあるな……。先述の新大久保ではない。もう一度鶴橋駅に戻ったら、細い路地の両脇に多くの飲み屋が続いていた。
 そうだ。上野と御徒町(おかちまち)だ。間違いない! 上野も御徒町も、鶴橋同様細い路地に飲み屋が一杯ある。ふらっと入って、一杯やりたいな。そうすると、私は東京人から大阪人に上手く変身できるのだ。
 面白い謎が解けたら、いい所に立ち食いそば屋があった。此処で関西系のそばうどんが頂けるのだが、松阪での夕餉の先約があるので、次の機会になりそうだ。また、焼き肉屋があった。値段も手頃で、扱っている肉の部位も良い。思わず、「どれどれ」と入店したくなってきた。嗚呼、松阪の焼き肉屋を思い出してしまった。松阪牛の焼肉が待っているのだ。鶴橋の焼き肉屋で夕餉を摂って、ハルカス300で夜景を見るのが、良いデートプランになりそうだ。来たる日に備えておくか。

 写真は鶴橋駅周辺の光景。





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