2015年9月21日 湯煙漂ふ敬老の日

(2015年9月21日) シルバーウィークと彼岸花

 2015年の連休、俗に言う「シルバーウィーク」(春の「ゴールデンウィーク」に倣って名付けられた感が否めない)。今年は5連休で、次の5連休は数年後になるというので、一般大衆は財布の紐を緩めて、何処かに出掛けようとしているのではないだろうか。
 久し振りに時刻表を買って、シルバーウィークに何処かに行こうかと思案していたが、思い立つ場所があったので、4時45分の始発の八高線に乗って高崎へ向かった。今年の2月と同じだ。
 藤色と薄いピンクの日の出を迎え、部活動に出掛ける高校生を横目に、車窓からの景色を眺めていたら、至る所に彼岸花が咲いていた。丁度彼岸なので、良い具合に咲いているのだが、これは綺麗な花とは裏腹に毒を蓄えている花なのだ。彼岸花はまた「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」とも言い、如何にも神秘的な名前なのだが、前述の毒と照らし合わせると、俗人には受け入れ難い神秘さが秘められているようにも感じる。多摩界隈で彼岸花と言えば、日高巾着田が有名だが、此処では曼珠沙華で紹介されている。
 彼岸花で二句。
 彼岸花清流さざめく青き栗
 毒秘めし朝に艶めく曼珠沙華

 内は立ちんぼがいないのだが、部活動に出掛ける高校生達はあれこれお喋りしたり、参考書を広げたりして、私の時代と相違ない登校風景を描いているが、良い高校生活が送れるかは自分次第だ。こうした青春時代を謳歌して、社会へと羽ばたくのだ。
 川、神流(かんな)川、倉賀野駅に停車してる石油輸送タンク、そして、高崎操車場に停車している電気機関車を経て、絹で鳴らした高崎に到着した。此処高崎も八王子同様、方々に繋がる路線があるので、7時前からでも賑やかだ。電光掲示板の行き先案内も多彩だが、(東海道本線に直通する)上野東京ラインの熱海行きは、単にスペースを埋めるだけにしか見えない。此処から熱海に向かうとすれば、新幹線を利用するのが一般的だろうし、わざわざ鈍行に約4時間も揺られて向かう人は、精々私程の鉄道ファンか好事家だろう。約4時間もリクライニングシートがあるグリーン車で過ごすなんて、着く途中で疲れてしまうだろう。そうなったら、真っ先に日帰り温泉に直行だ。
 さて、腹拵えでもするか。7時前なので、空いている場所はコンビニと駅弁屋だけ。此処でチャーシュー弁当を買った。これも2月と同じ。



(2015年9月21日) 吾妻線モンタージュ(渋川〜川原湯温泉)


 ームの立ち食いそば屋で軽く一杯啜り、飛び乗ったのは吾妻線直通の万座・鹿沢口行き。座席の殆どが埋まった状態で出発した。温泉に入りに行くのかな、ハイキングに行くのかな? 相席になった70代のおじいさんが、徐に吾妻線沿線の地図を広げて、あれこれ思案していた。
 吾妻線の営業区間は渋川〜大前だが、渋川発着の便が無く、高崎迄直通している。これならば、新幹線に乗るにしても不便は無い。東京都心に集中している官公庁移設には、もってこいだ。
 2階建て以上のマンションが建ち並び、大型スーパーが目立つ高崎のベッドタウンの様相が濃い光景が新前橋迄続いていて、何処彼処でも見られる光景を冗漫に眺めていたら、黄色に色付き始めている田圃を横切ったり、線路の柵辺りに彼岸花が数株毎に咲いていたりして、秋だと言うことが素直に頷ける。自宅と職場の往復だけの生活を送っている人にとっては、季節の移ろいは何とも気が安らぐ光景だ。
 車は伊香保温泉の玄関口渋川に到着し、進路を西に向けて、万座・鹿沢口へ向かう。
 吾妻線沿線は言わずと知れた四万(しま)、沢渡(さわたり)、川原湯、草津、万座の各温泉地が目白押しの路線で、どの温泉に入るか迷ってしまいそうだ。果たして、この列車に乗っている人達は、どの温泉に行くのだろうか。ちょっと賭けてみたくなったな。賞品は向かった温泉で奮発するかな。と言っても、現時点でどの温泉に行くかは、決められないな。何れも関東で有名な温泉地で、時間も7時50分を過ぎて間もないので、2箇所位梯子できそうだ。2箇所も違う温泉が娯しめるから、コリャ贅沢な日帰り旅になりそうだぞ。何処にしようかな。それと並行して流れる吾妻川も色々な表情を見せているので、車窓から目が離せない。
 島の田園地帯に不釣り合いな上越新幹線のコンクリート高架橋を過ぎると、何処か気が安らいだ。速度に因って滞在時間を稼いだり、所要時間を削ったりする時間に翻弄しかねない代物は、温泉に向かう人達にとっては、鬱陶しいものに過ぎないからだ。とにかく、浮き世を忘れてゆっくり温泉に浸かったりするのが良いのだ。
 母島(うばしま)を過ぎると、吾妻川が併行して流れていて、実り始めている田圃が黄金色に色付いていた。今年は変な天候に翻弄されたが、何とか実ったか。そして、晴れている青空に畔道に咲いている彼岸花や民家の庭に咲いている秋桜(コスモス)を入れると、何とも色彩豊かな秋の光景が出来上がる。久し振りの旅なので、こういう季節の移ろいに目を細めてしまう。
 野上では、バラスト(砕石)を積む貨車が隣接していて、その後ろにはバラストが薄い灰色の山を築いていた。
 はダム建設で大きく揺れた川原湯温泉だ。民主党政権で工事云々が物議を醸していたが、建設で一件落着した。しかし、それに因って川原湯温泉街や駅舎、そして全長7メートルという隧道にしては余りにも小さい樽沢トンネルが水没することになった。しかし、温泉街自体は移転し、源泉も確保したが、樽沢トンネルと周辺の美しい吾妻渓谷の美しさはどうにもならなかった。既に新線に切り替えられたが、それでも良い眺望があるだろうと思い、シャッターを構えていたが、岩島からの旧線跡は工事中で、大きな隧道に挟まれた駅は山間のゆったりとした温泉地には全くそぐわないコンクリートで周辺を固めた最悪の駅舎だった。これが周辺に融け込むには、まず永久に浮いたままだろう。ダムが必要なのか云々は別問題として、もう少し雰囲気に合った駅造りはできなかったのだろうか。かつての親方日の丸の悪弊が見え隠れしているようだ。
 周辺を考慮した建物が造れないローレベルな建設精神に苛立ちながら、また吾妻川を撮った。これもまた車窓からの眺望を妨害する分厚いコンクリートアーチ橋だった。安全性を確保したスタイルは判るが、上手く周辺に融け込めるデザインはできないものか。

 上は金島付近にある上越新幹線高架橋。
 下は小野上駅にあるバラストを積む貨車。



(2015年9月21日) 草津温泉の玄関口 長野原草津口

 野原草津口。草津温泉の玄関口だ。吾妻川を渡り、右側に残っている旧線を見ると到着する。
 此処で乗客の6〜7割が降りた。そして、一様に改札口に向かって、草津温泉行きのJRバスに乗車した。やはり、熱海温泉と並ぶ天下の名湯だな。
 結構列車に乗っていたから、身体が鈍り掛けている。軽く運動を施していると、駅名標に目が行った。そこには「Naganoharakusatsuguchi」とローマ字表記していたが、結構ゴチャゴチャに見えて、日本人でも見難い。「Naganohara-Kusatsuguchi」と「長野原」と「草津口」を分離させたら見易いのだが。観光立国を目指すなら、そこから直して頂きたい。
 改札口に向かう途中、興味深い物を見付けた。吾妻線の歴史が詰まっているパネル展示だ。そこには吾妻線の開通や特急列車、そして、此処長野原草津口から伸びていた太子(おおし)駅の写真が展示されていた。昔は先述の小野上駅同様バラスト積載の貨物駅だったが、昭和29年から旅客営業を始めた。写真を見ると、一軒家みたいな駅舎の背後に、(鉄鉱石を積んでいた)ホッパーが聳えている。駅舎を出て緩い坂を登るとホームがあったが、写真を見た以上旅客営業はほんのおまけみたいな粗末な造りで、酷く寂れている。1日に僅か4往復で、昭和45年に休止され、翌年に廃止になった。極最近までJRバスが1日6往復程運転されていたが、これもまた廃止になった。太子迄繋がる路線跡も太子駅にあったホッパーも残されているそうだ。機会があれば調べて訪れたい物だが、上手くレンタサイクルがあるかどうか……。
 札を出て、草津温泉行きのバスを探したが、発車時刻が後1分と迫っていた。できれば、駅周辺を歩きたいのだが、次のバスは1時間以上空いている。チラッと駅前を見たが、吾妻川沿いに建つ僅かに開けた小さな駅だ。温泉地らしい雰囲気は無さそうだ。こうなったら、草津温泉に向かった方が時間を有効に使える。と、バスに乗ったが、椅子は殆ど埋まっていて、通路側に残っている席に座る他無かった。此処ではICカードが使える。さて、西那須野〜塩原温泉のJRバスでも使えるようになったのか?

 写真はJR長野原草津口駅。



(2015年9月21日) 偉人達が憧れた草津温泉


 スは小さなバス停を通過しながら、流れる如く草津温泉へ向かった。途中の草津谷所(やとこ)と言うバス停で1人乗せた以外は、誰も降車ボタンを押す気配は無く、全員草津温泉へ向かうのだろうと察知した。
 津温泉バスターミナルに到着した。此処ではJR連絡切符を売っている上、「草津温泉駅」と銘打っている。かつて草軽電気鉄道が此処まで列車が通っていたが、昭和37年に廃止された。今も営業していたら、(このJRバスの混み様から)結構潤っていただろう。
 次の列車の時間を見ると、草津温泉駅発12時10分のバスに乗ることにし、草津温泉郷へ向かった。
 スターミナルを出て、坂を下ることほんの1分。草津温泉郷に到着する。連休のど真ん中だから、人の波が凄いこと。その中に長蛇の列を成している所があったので、その列の一人に訳を尋ねると、草津温泉名物「湯もみ」を見に来たそうである。「湯もみ」とは細長い板で、温泉をリズム(草津節だったかな)に合わせて湯を掻き回し、温度を下げる独特の民族芸能だが、こんな長蛇の列の最後尾に並んでみたくはないので、湯畑に向かった。時間は結構あるが、余計な時間を食うことはしない。
 畑に向かうと、硫黄の匂いが良い具合に漂い、源泉が熱気の流動を描きながら滾々と湧き出ていた。湯畑の底は淡い黄色い硫黄が堆積していて、見た目からも効能ありそうだ。その効能は人間だけではなく商業でも言えそうだ。この湯畑を囲み、薬効にあやかろうと多くの飲食店や土産物屋、旅館・ホテルが並んでいた。
 その周辺には、草津温泉を訪れた著名人の名が出ているのだ。それにしても、熱海温泉と良い勝負ができる著名人がズラズラ。その主な氏名を上げると、「空手チョップ」の力道山、刑事ドラマ『西部警察』、『嵐を呼ぶ男』、『ブランデーグラス』の名作を残した石原裕次郎、代々続いた公家の末裔で公爵首相の近衛文麿、柔道の創始者嘉納治五郎、何と「フーテンの寅さん」こと渥美清も訪れていたのだ。この時は、俳優の渥美清と出ていたが、温泉に浸かる以上は一人の男性(渥美清の本名)田所康雄とその家族だったのだろう。そうしみじみしていたら、前述の著名人を遥かに超越する人物2名に出会った。鎌倉幕府開府者源頼朝と草薙剣の伝説で有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)だ。年代を見ると1193年だから、「日本一の大天狗」こと後白河法皇が亡くなり、征夷大将軍の地位を得た翌年だから、邪魔者がいなくなったことでノンビリできただろうが、弟義経や親戚の範頼等を死なせた罪の意識は、草津温泉でも治らなかっただろうが、日本武尊の場合は東征の疲れだけ癒やせればよかったから、気が楽だったのかも知れない。
 著名人が乗っている柵に沿って歩くと、湯畑の向こう側は滝のようになっていて、モウモウと湯気を上げる源泉が滝のように流れて、青磁色の滝壷に落ちていく。その滝壷の前で記念撮影をする人が多いが、湯畑では淡い黄色だったのが、何故青磁色に変色してしまったのか不思議だったので、写真を撮りながら脳に蓄積している化学知識を動員しながら考えた。

 上はホテル・旅館に囲まれている草津温泉の湯畑。
 下は湯畑からの橋にある滝壷。



(2015年9月21日) 敬老の日に温泉饅頭を……


 れでは、多くの著名人に愛された名湯草津温泉を回るとするか。未だ長蛇の列を成している湯もみを後目にして。
 草津温泉は路地みたいな細い道に、宿泊施設や飲食店が犇めいていて、うっかり視線を動かしていると、ふと立ち止まってしまい、つい時間を使ったり、財布の紐が緩んでしまったりして、油断ならない場所だ。しかし、羽目を外さなければ、休む暇も無いお楽しみが待っている。その証拠に10時になっていないのに、この人の多さ。4時45分の始発に乗ってもこれだから、草津温泉は良き効能以外に何かがあるのだ。各々の娯しみ方があるが、(初来訪だが)美味しい所は頂いたぞ。
 泉地の土産と言えば、温泉饅頭だ。温泉饅頭を蒸かしている湯気が、観光客の肩を叩いて、無言で店内に誘っている店があるが、初めて来たから何処が一番美味しいか、見定める必要がありそうだぞ。さて、何処が一番かな……。
 すると、後ろから自動車が入ってきた。走り難そうにノロノロ動いていたが、それにしても、こんな路地みたいな細い道に、よくもまぁ厚顔無恥に入ってきたな。忌々しげに端に寄った。
 歩くこと数分、右側に一つの温泉饅頭屋を見付けた。店員が声を張り上げて、出来たての温泉饅頭を道行く人に差し上げたり、緑茶が八分程入った茶碗を10個も盆にのせて、巧みなバランスで片腕に載せて、これも道行く人に差し上げたりして、何か特徴的な店だ。その店で温泉饅頭を頂いて、歩きながら頂いたら、また後ろから自動車がやってきた。余り落ち着かせてくれないな、草津温泉は。泉地はゆっくりとした時間も魅力的なのに……。
 細い道を歩くこと10分、自動車が楽に往来できる道にぶつかり、土産屋は少なくなった。近くには俳優と芸術家の二足草鞋でつとに有名な片岡鶴太郎氏の美術館があるので、興味のある方はどうぞ。
 また来た細い道を歩こうとしたら、三度自動車がやってきた。全く鈍行に揺られて草津くんだりで、高速道路で上手く時間を稼いだ自動車が、大名行列の如く人を押し退けて進んでいるとは、「お医者様でも草津の湯でも」ってものだ。此処を歩行者天国にはできないものかね。熱海のように大道が無いので尚更だ。
 た来た道を歩いていたら、硝子工芸の店に目が行き、入ってみた。硝子だから、肩掛けの鞄に充分気を付けて、店内を歩いていたら、色取り取りの硝子工芸に、暫し時を忘れた。普通の食器にお猪口、箸置きにランプシェード、硝子だから同じ色合いや形の物は二つと無い。まさに、この世界でたった一つの芸術品だ。此処で手軽な取っ手付きのグラスを買った。全体が青緑色と淡い山吹色で、底の方に気泡が一杯溜まっている所が、炭酸の泡を彷彿させてくれる気分がスッとするグラスだ。2000円也。
 は、あの特徴的な温泉饅頭屋に入った。しかし、緑茶が入った茶碗10個も盆に載せてよくもまぁ、落とさずに載せていられるなぁ。簡単なパフォーマンスだが、良い客寄せだ。
 店内に入ると、レジを担っているお婆さんが声を張り上げて、客を寄せていた。
「出来たてホヤホヤを、今提供しますからね。ほら、お兄さんも寄ってらっしゃい!」
「一般旅館で買うよりも、250円もお得ですよ。ほら、お兄さん、お得ですよ!」
 そうね。頂いた温泉饅頭も及第点だったし、此処は買うとするか。
 店内で貰った緑茶で一服していたら、壁にあの長寿姉妹きんさん、ぎんさんの写真が出ていた。彼女達が鬼籍に入られてから幾星霜、今でも強い印象を放っているのだ。
 ……そうだ。紀和の祖母に送るとするか。今日は奇しくも敬老の日。何かの因縁を感じざるを得ない。直ちに配送の手配を頼んだ。
 もう1個、温泉饅頭を抓んで一首。
 草津では温泉饅頭食べ比べ温泉(いでゆ)は後に秋の連休

 写真は草津温泉に広がる土産物屋。



(2015年9月21日) 草津温泉のもう一つの土産


 畑近くにある足湯で草津温泉を娯しんだ後、高崎駅で買ったチャーシュー弁当を抓んだ。
 その後は此処から程近い、草津山光泉寺に向かったが、此処からの眺望が何とも見事だ。湯畑を中心とした草津温泉街が一望でき、写真にスッポリ収まるからだ。気が付けば、湯もみを見る長蛇の列は無くなっていて、各々草津温泉を娯しむ姿が映し出されていた。この私も湯もみを見る気は無く、温泉に入らず、細い道を歩きながら雰囲気を娯しんだだけだが、美味しい所は充分に摂ったな。
 バスターミナルの帰りに、ちょっと寄り道をした。
 泉街と言えば、レトロな遊び場が1〜2軒はあると聞いたので、その一軒に立ち寄った。射的やスマートボールができる遊技場だ。現代の娯楽事情に迎合せず、そのままの形を保っている所が古くから続く温泉地の魅力と言ってもいいだろう。
 店内はスマートボールや射的、そして頭脳パズルが置かれているレトロな雰囲気が詰まっていて、観光客数人が都会の温泉ランドには決して無い、別空間の娯楽を娯しんでいた。
 その中で私は、スマートボールを体験した。玉15個で500円也。スマートボールとは、玉を弾いて9個の穴に入れるという単純明快でパチンコに似た遊技だが、いざやってみるとこれが難しいのだ。玉を弾く強さや釘の位置で玉は翻弄され、空しく下のガーターに入ってしまう。責めて1列(3玉)は入れたいものだと意気込んでいたが、入った穴はたったの1個。全く笑えない結果だ。スナック菓子1個頂いたが、レトロな雰囲気とスマートボールという殆ど体験できない娯楽が娯しめたのを含めると、まぁ妥当だろう……。

 上は光泉寺からの草津温泉郷。
 下はスマートボールが遊べる遊技場(一例)。



(2015年9月21日) 温泉の後の一瓶の珈琲牛乳

 12時10分のバスに乗って、長野原草津口駅へ向かった。往路同様、駅迄の途中のバス停で降りた人はたったの一人。
 次は13時5分発の大前行き。それまで時間があるから、駅でも彷徨く(うろつく)か。
 ームの端まで向かうと、旧線と新線があるが(川原湯温泉の八ッ場ダム建設で、吾妻線は路線変更をした)、どうも、八ッ場ダム建設で揺れた川原湯温泉のことで、余り良い気分にはなれない。仮に政権交代があり、また八ッ場ダムのことが槍玉に挙げられると、ただ事では済まされない。既に新線切り替えが終わり、源泉も温泉街用地も確保できたが、7メートルの樽沢トンネルや吾妻渓谷の眺望は、政権というおぞましい武器に因って、壊滅させられただけになってしまう。況してや、あの威圧感が充満したあの新駅となると、象徴として冷たく扱われ、酷い話川原湯温泉のイメージダウンにも繋がり兼ねない。今回は行程外なので、お門違いになりそうだが、川原湯温泉は当時の建物や施設を細大漏らさず再現し、政権で翻弄された八ッ場ダムのことを暈かせば良いのだ。川原湯温泉駅のように、現代に迎合する建物を造っても、周辺から浮いてしまっては客足は減るだけだ。観光というのは、その土地でしか味わえない物は勿論のこと、育まれたレトロをも提供しなければダメなのだ。
 アーチ橋が架かっている新線から大前行きが来たので、つまらぬ意見はこれまで。
 珈琲牛乳を飲んで一首。
 草津にて湯烟温みて駅戻る珈琲牛乳の冷たさ愛しや

 写真は長野原草津口駅ホームで、新線(右)と旧線(左)が相見える箇所。



(2015年9月21日) 静かに過ぎゆく「大前の時間」



 13時23分、大前到着。吾妻線の終点だが、殆どの列車、全ての特急は一つ手前の万座・鹿沢口迄で、此処まで来る列車は1日に5本。それでも、高崎迄繋がっている点は救いだろう。
 片面1線の簡素な駅に降り立った。駅名標の隣には道祖神があり、此処まで来たことを無言で歓迎したり送ったりしているが、線路はそのまま延びている。計画ではしなの鉄道とJR飯山線の中継駅豊野迄繋げる予定だったので、残しているのだ。延伸が叶うことは九分九厘無いと思うが、とにかく山間の静かな駅で少し散策するか。発車は13時50分、後27分だ。
 降りた人は10数人だったが、行動は大同小異だ。駅名標や車止めが置かれている箇所をズームで撮ったり、待合室に設置されている来訪者ノートに書き込んだり、近くを流れている吾妻川を撮ったり、JR路線が網羅されている冊子を広げて、大前迄の区間をチェックしたりして、あからさまに鉄道ファンだと言うことを無言で伝えていた。此処に来る人はこの時間帯や時期を見れば、鉄道ファンの他はいないだろう。JR西日本のICカード「イコカ」が横目に写った。
 前には温泉旅館があって、近くには大前橋という橋が架かっているが、河原に降りた時、その橋の老朽振りに驚いた。土台部分はしっかりしているが、橋の柵の下のコンクリートがボロボロになり掛けていて、剥き出しの鉄骨は(所在地の)嬬恋の風雨に晒され、褐色の錆を帯びていた。今年は茨城県常総市の鬼怒川が氾濫し、甚大な被害をもたらしたが、果たしてこの橋は大丈夫なのか?
 大前橋を通り、大前駅に停車している列車と吾妻川、そして後ろの山地を収めた。薄い雲に覆われた白い空、鈍い水色の吾妻川、緑色系統の山地、黄緑色の草が生えている空き地、そして、緑とオレンジのツートンカラーの列車。この列車の緑とオレンジのツートンカラーの色彩が良いアクセントになっている(このツートンは鉄道ファンの間では、長年東海道本線の列車に使われていたので「湘南カラー」と言われている)。斬新なステンレス車体では絶対に表現できないゆったりとした光景、「山間の駅」のタイトルが似合いそうな一コマだ。
 出発の僅かな時間で一首。
 大前や御用は撮影鉄道ファン僅かな時で情景切り取る

 上は暫く線路が続いている大前駅ホーム。
 中は駅近くにある吾妻川と大前橋。
 下は山間の駅の風情を収めた。



(2015年9月21日) 万座・鹿沢口で突き付けられた真実


 13時50分の列車で、万座・鹿沢口へ向かった。此処から万座温泉へ向かう予定だ。草津温泉の次は万座温泉か。時間を余り気にせず、温泉地を梯子するなんて、贅沢だなぁ。
 と、着いたが、駅員にバスの時刻を聞いてみると、意外な答えが返ってきた。バスは15時15分までしか無く、これでは15時30分の特急には乗れないことが判った。タクシーでは8000円近く掛かるので、別の温泉地を紹介して貰った。此処から一つ渋川寄りに袋倉(ふくろぐら)があって、半出来(はんでき)という温泉があるそうだ。そこに日帰り入浴できる民宿があって、タクシーで向かって、帰る時間を見計らってタクシーを呼ぶと良いと言われた。
 他に手立ては無いのかと、駅前のバス路線図を見たら、思わぬ事実を知らされた。
 何と、先程立ち寄った草津温泉から、万座温泉に行けたのだ。西武高原バスか草軽交通バスで軽井沢行きに乗っていたら行けたのだ。とんだチョンボを食ったな。でも、これに乗ってしまったら、大前に行けたかどうか判らない。大前の静かな終着駅と万座温泉の湯煙は、両得出来なかったか。
 結局、万座温泉に行く術は見付からず、駅前の土産物屋で絵はがきを買い、周辺に何かあるかを訪ねた。しかし、これと言った物は無かったので、大前同様近くを流れている吾妻川周辺を散策するしか無かった。この散策も僅か10分足らずで終わってしまい、駅舎で時間を潰す他無かった。序盤と中盤は良くて、終盤が冴えなかったな、コリャ。
 万座温泉行きのバスを見送って一句。
 伝手無きて万座の秋を欲す駅

 15時30分の特急「草津」4号で帰路に就いた。今度は往路と反対の席に座った。すると、良い物を見付けたよ。
 長野原草津口到着前に吾妻川の支流白砂川を渡っていたら、赤い鉄橋を見付けた。鉄橋は錆び付いていて、枕木も朽ち掛けていた。方向から見ると、これはあの太子行きの路線に間違いない。今から50年近く前、この橋を渡って太子迄繋がっていたのか。線路は撤去されていたが、鉄橋だけは残っていたので、何とも嬉しい。
 更に、旧線が結構伸びていた。岩島側の旧線は撤去されていたので、これが長年走っていたことの良い証拠になる。出来ることなら、水没する場所近くまでに、良い吾妻渓谷の眺望があるならば、このままダムの底に眠らせておくのは勿体ないので、トロッコ列車を走らせては如何だろう。
 良い景色あらばと、デジタルカメラに収めていた。しかし、車内冷房が利き過ぎている。おまけに、冷たいほうじ茶を啜っているから尚更だ。シャツの一番上のボタンを掛けた。
 更に、渋川ではSL「みなかみ」に出会えた。部活動帰りの女子校生が部活動の疲れなのか、見知らぬ土地へ旅に出られたのが悔しいのか、何処か恨めしそうな目で特急列車を出迎えていた。肝心のSLは車内から撮ったが、乗客達に遮られて、美味しい所は撮れなかった。
 こうして、車内の利き過ぎた冷房と格闘しながら、帰路に就いた。

 上は万座・鹿沢口駅近くの吾妻川。
 下は長野原草津口から続いていた太子までの鉄橋。





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