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私が夜明け前の住宅街の中、カートを転がして駅に向かうと、駅のシャッターは閉まっていて、数人の客がシャッターが開くのを待っていた。普段はなかなか見られない光景なので、早速一枚撮った。
そして、シャッターが開き、中央快速線(東京〜高尾)の八王子では珍しい各駅停車で、東京へ向かった。
車内で、ゆっくり一眠り。そして、これから行く北海道の情景を脳裏に過ぎらせた。
初めての北海道は何と冬。雪降る中の旅だった。それも、青函跨いでの旅だった。青森での時間は余り割けなかったが、函館では雪国北海道らしい姿が見られて得をしたし、長年忌避していた雪に対するアレルギーも薄らいだ。極めて有意義な旅だった。
一眠りしている間に、東京に到着した。まだ、時間があるので、軽くぶらつくとするか。
そんな中、丸の内側に出て、夜明け前の東京駅を眺めた。周囲のオフィス街が照明を落としているので、東京駅から点る明かりが、何処か手招きをしているかの如く温かかった。この時だけは、東京駅の檜舞台だ。レトロな駅舎から漏れる温かい照明が、夜明け前の寒い空間を包んでくれるからだ。その温かい照明に心を綻ばせて、一枚撮った。
山手線で上野に向かって、新幹線ホームに降り立った。実は、此処に来たのは或る事情があるのだ。これから、新青森へ向かう訳だが、上野から乗車すると、東京乗車時よりも200円安く済むのだ。端金だが、侮ってはいけない、この200円が、これからの旅に役立つかも知れないからだ。
そんな裏テクを知られずに披露しながら、乗車位置に立った。すると、E7系の金沢行きが到着した。昨年(2015年)開通した北陸新幹線だ。
私の脳裏に、過去の思ひ出が浮かんできた。その寸前に廃止になる「北越」、「はくたか」の特急、特急「あさま」で使用された車両で運行されていた「妙高」に乗車したが、直江津駅で鉄道ファンにとって垂涎の的「トワイライトエクスプレス」が到着した時は、凄く感動したな。新幹線と在来線の電圧の仕様が異なる為に廃止になったが、機会があれば、運行して貰いたい。
そして、秋田新幹線「こまち」と連結した「はやぶさ」が入線してきた。赤の「こまち」に対して緑の「はやぶさ」は、色彩的にも合わない。連結する部分を撮ったが、形としてはいいが色彩的には合わなかった。
私の指定席はD席で通路側だった。できれば、車窓から景色を眺めながら、写真を撮りたかったのだが、10日前に切符を取った時、通路側しか取れなかったので、文句は言えない。しかし、冬の東北は東京人を鷲掴みにする程、魅力的なのかな? 上野では9割程の埋まりよう。
―そういえば、2年前(2014年)の北海道の旅も上野から乗車したな。あの時は、JR江差線の木古内〜江差が廃線になるから、今のうちに乗車しておきたかったのと、上下線の特急2本しか停車しない津軽今別駅と知内駅に行く目的があった(津軽今別駅は2015年8月から、北海道新幹線建設の為に利用できなくなった。知内駅は2014年3月、信号所に変更された)。津軽二股駅と隣接していながら、管轄が異なる為に違う駅名になっていたのと、本州で唯一のJR北海道の駅は摩訶不思議だった。
新幹線は大宮に停車し、一気に仙台へ向かった。窓からは頂が冠雪した山が連なっていて、どうしてもシャッターを切りたかったが、窓側に座っている人から誤解されるのは嫌なので、ジッとしている他無かった。
写真は夜明け前の東京駅。 |
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ゆっくり席に座って、指定券を矯めつ眇めつ眺めた。
新青森か……。本当の東北新幹線の営業区間だ。1982年に大宮から盛岡まで開通し、それから20年経った2002年に八戸まで延伸し、そして、2010年に本来の発着地新青森まで延伸したのだ。結構時間が掛かったねぇ。もうちょっと短縮できなかったのかな。八戸〜新青森の8年間はまだいいとして、盛岡〜八戸なんか20年間要しているもの。用地買収や路線決定等スムースに行かなかったのかね。そこの点が中国と違う所だ。
そして、今年(2016年)には青函トンネルを越えて、渡島大野だった新函館北斗まで、北海道新幹線が開通するのだ。路線は限りなく延びていくけど、何処か伸びきった蔓のようにみっともなさも付き纏う。大体、寝台特急で優雅に向かっていた北海道を、時間だけが得する新幹線で向かう人っているのかしら。ロシアみたいな広大な土地を持っている訳でもないし。日本人って本当に偏見的思考がましいね。だから、国連の常任理事国になれないんだよ。
そんな持論を脳裏で浮かばせながら、席でジッとしていた。でも、やはり落ち着かないな。景色は見たいけど、窓側に座っている人が女性なので、極力誤解されるのは控えたい。
どうしても、一枚位は撮りたいな。と、私は席を立って、ドアに凭れて、車窓からの景色を眺めた。そして、デジタルカメラのシャッターが次々と切られた。
小山と那須塩原の通過駅での情景。
朝霜を驚く東京(みやこ)の薄き四季
通過駅冬の暁鐘はやぶさ号
仙台のシンボルの一つ広瀬川を渡り、仙台に到着した。
東北の大都会仙台だ。降りる人は多いのかと思っていたら、降りた客は10人前後で、乗った客も10人前後。殆ど変わりない。
私は上野から乗ったのだが、指定席は既に9割程の埋まりようで、新幹線で東北へ行ける威力をまざまざと見せ付けられた。東北に会社の支社があるのはよく判るが、東北には我ら東京人の心を鷲掴みにする最高の魅力が秘められているに違いない。私がこうやって、新幹線で素通りするのは或る意味無礼なのだろう。
盛岡で、併走していた「こまち」を切り離した。ホイッスルが鳴ると、「こまち」は秋田に吹いてくる北風に誘われたかの如く、スッと去って行った。
冬の秋田か……。どんな魅力があるのだろう。真っ先に思いつくのは、雪の山を掘って作ったかまくらかな。
八戸を発つと、周囲は次第に雪に覆われた。雪に包まれた雑木林の中を疾走し始め、面白味が無くなってくる。 |
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(2016年1月9日) 2年振りに出逢った青森の雪女 |
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そして、車窓の遠くに三角形の青森ベイブリッジが見え始めた時、私は降りる準備を始めた。
そして、2度目の新青森へ降り立った。3時間近くも暖かい車内に揺られていたので、青森の雪女からの寒さは何とも涼しく快感だったが、少しでも首許のマフラーを緩めれば、その涼しさは寒さに豹変する。青森の冬を知らない都会人を嘲笑っているかの如く。折角、朝早く八王子から発ったというのに、素直に歓迎してくれないのかよ。2度目なのに。
皆は一様にホームを降りて、奥羽本線ホームに向かっていたのだが、私はホームの先頭に向かい、北海道新幹線の路線を眺めた。2年前も此処に立ち、遂に北海道に新幹線が走るのだなと感心していたのだが、遂に2箇月まで迫ったのか……。あの線路を辿ると、奥津軽いまべつ、青函トンネルを潜って、木古内、新函館北斗に向かうのか。
線路は絶えずスプリンクラーで融雪していて、何とも温かそうに見えた。その路線を撮していたら、意地悪そうに北風が吹き付けてきて、東京からの来訪者の身を翻させ、雪に慣れていない都会人を嘲笑った。
この北海道新幹線は、先述の通り津軽今別から改称する奥津軽いまべつ、江差・松前への玄関口木古内、そして、渡島大野から改称する新函館北斗に向かうのだが、果たしてどんな物語が綴られるのだろうか。少なくとも、東京に人口や経済力を搾取されるだけの東京中心物語はチョンボでタブーだ。しかし、新幹線の駅から離れている蚊帳の外の函館市はどうなるのか、話題は尽きない。
階段を降りると、2年前同様「歓迎 よぐ来たねし 青森」と東北弁での歓迎の看板が下げられていた。滅多に青森に来ない私には、何とも嬉しい歓迎だが、北海道新幹線が営業開始したら、その歓迎を薄れさせるのではないかと心配である。東京から一気に新函館北斗まで行けるのだから、途中駅になる新青森に降り立つ客は一気に少なくなるに違いない。その時、この歓迎の看板はホームからの北風に吹かれて、心身共々寒い思いをするのかな……。
真新しそうなコンコースに降りて、真っ先に向かったのは、青森土産が所狭しに置かれている売店だった。2年前でも、乗り換えの特急列車の発車時間がまだあったので、立ち寄って青森土産を買い込んだな。思えば、まさに正解だった。青森では、市内散策を目論んでいたが、新幹線の時刻との折り合いが付かなかった。しかも、かなりの雪の量で、気軽に散策することは叶わなかった。結局、青森駅近くの青函連絡船八甲田丸の見学時間しか確保できず、土産を買う時間がほんの僅かしかなかったからだ。
店内には青森林檎を用いたスウィーツや、浅虫温泉名物くじら餅、厳しい寒さが育んだ清冽な味が冴える青森清酒等、青森土産に事欠かない。2年前は此処で絵はがきを買ったな。と、何度も2年前のことを思い出しながら、売店を歩いた。前回見なかったくじら餅と北海道新幹線のクリアファイルを籠に入れた。東北新幹線と殆ど同じ外見で、何処が違うかというと、横に引かれている線が東北本線では桃色だが、北海道新幹線は紫なのだ。何でも、北海道のラベンダーを意識しているのだとか。ハスカップも紫だったようだが、採用されなかったのか?
やはり、青森らしく林檎を用いたスウィーツや菓子、袋に入れられた規定外の青森林檎の存在が大きかった。此処に立っているだけで、青森に来たと実感できる。これで漸く「歓迎 よぐ来たねし 青森」と、青森の雪女から2回目の歓迎されているみたいだ。
その歓迎に痩身を暖めて、売店を出た。しかし、流石に津軽の冬の寒さは、東京と比較にならないな。すぐ油断すると、青森の雪女の冷たさに触れてしまうからだ。しかも、今回はその寒さが一層強く感じる。今回は、青森に立ち寄る計画は無いからだ。拗ねているのか? 青函連絡船八甲田丸の見学だけではない。雪と青空に出会った蟹田、管轄が異なっている故、駅名が異なるユニークな駅津軽二股・津軽今別。そして、津軽今別駅で遇った地吹雪を受けながら、撮影した貨物列車。雪に余り縁がない私にとっては、十分に娯しめたつもりだが。
そこで2年前と同様、立ち食いそば屋でかけそばを啜った。暖を取り易いように、七味唐辛子を多めに掛けて啜った。何だか、2年前の行程を再現しているかのようだ。今は西暦何年だ? そんなツッコミを入れながら、かけそばを完食した。
写真は北海道新幹線に繋がる新青森駅の先端。 |
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(2016年1月9日) 去り行く特急「スーパー白鳥」 |
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私は奥羽本線連絡改札を抜けた。すると、貨物列車通過のアナウンスが来た。貨物列車が好きな私は走る速度を速め、いち早くホームに降り立った。
特急「スーパー白鳥」1号が停車するホームに降りた。まだ、貨物列車は来ていない。しかし、ホームは凍結された雪が至る所にあって、無神経に歩いたら、間違いなく転ぶだろう。青森の雪女の他愛ない悪戯だ。雪はしんしんと降り続いていて、反射材を付けた警備員が、乗客が転倒しないかどうか見張っていた。転倒しなくても、時折吹く北風が余所者には殊の外きつく、折角摂った暖が、一瞬で費やされてしまいそうだ。
その悪戯をものともせず、貨物列車は赤い電気機関車に牽引されて、汽笛を上げて颯爽と通過した。ガタン、ガタンガタン、ガタンガタン……。線路の繋ぎ目を通過する音を聞きながら、私はデジタルカメラで撮した。この貨物列車は青函トンネルを通過して、函館の北部に位置する五稜郭へ向かうと聞いたことがある。
そして、貨物列車が通過した。私は静かに降り積もる青森の雪を眺めた。
ほんの3時間程で、こんなに気候が異なる場所へ行けるのか。しかも、周辺は多少拓けているが、道路以外は足跡がよく判る処女雪が続いていた。しかし、凍結しているホームは歩き難く、誰かが足を取られて転びそうになっていた。青森の雪女の悪戯だ。しかし、そんな悪戯を2年前の旅で十二分に知っている私は、雪一色に染まっている新青森駅前を眺めながら、軽く体操を施していた。最初の目的地まで、相当掛かるからね。
時間を見ると、10時11分。予定の特急列車発車まで7分しかない。こんな短い時間で乗客が巧く捌けるのか。乗客が集まり始めているホームを眺めて、短い時間での乗車時間を疑った。
そして、特急「スーパー白鳥」1号の到着のアナウンスがやってきた。来たか……。私は雪が降っている新青森の空を眺めて、これからの行程に期待を膨らませた。
特急「スーパー白鳥」に乗車した。2年前は右側の席に座ったので、今回は左側の席に座るとするか。車内では自由席にも拘わらず、数人の乗客が即座に降りた。私も荷物を上の棚に置くや否や、ホームに戻った。
ホームでは、一様に特急「スーパー白鳥」の車体やロゴマークを撮っていた。そう、北海道新幹線開業に伴う特急「白鳥(スーパーも)」の廃止だ。少ない時間での撮影タイムだ。撮れるチャンスはまだあるが、青森に赴いて撮れるチャンスは東京ではなかなか無いので、今此処で撮るのだ。私は雪を被りながら、特急「スーパー白鳥」を撮り続けていた。序でに新青森駅の駅舎を含めた一枚を撮った。場所も特定出来、なかなか良い一枚だな、コリャ。
特急「スーパー白鳥」は、青函を往復する特急だが、中はJR北海道色一色になっていた。席に戻った私は、座席のラックに差し込まれていた情報誌を広げた。
数の子をいくらと糸昆布、ホタテ等の海産物と一緒に出汁に漬け込んだ松前漬、北海道で水揚げされた朱色に輝いているズワイガニに深紅の花咲ガニ、ハスカップにジンギスカン、夕張メロンに乳製品等、北海道色一色だ。北海道に滅多に行く機会がない私には、気分が弾む感触だった。近隣県からの名産品を掻き寄せている東京よりも遥かに魅力的で、金銭に余裕があれば、夕張メロンやジンギスカンを頼みたい。折角北海道を旅するのだから、北海道だという実感があるものを頂きたいな。差し詰め、札幌ラーメンかジンギスカンか。
その上には、青函トンネルの構造や通過時刻が書かれていた。本州側のトンネル通過時刻と北海道側のトンネル通過時刻が書かれていたが、前回あった竜飛海底駅通過時刻は無く、この青函トンネルも単なる海底トンネルに過ぎなくなっていた。
かつてこのトンネルには、竜飛海底と吉岡海底という観光用駅があり、吉岡海底は数年前(2016年から換算して)から臨時駅に格下げされたのだが、北海道新幹線の建設上、支障が出るという事で、2014年3月で廃止になった。北海道新幹線開業後は、火災時の避難場所「竜飛定点」・「吉岡定点」として第二の人生を歩むことになるそうだ。
実は2年前に、津軽今別と知内を訪れたのは、この2つの海底駅が絡んでいる。駅名標にその海底駅が書かれているかを確かめたかったからだ。案の定、書かれていたが、一番面白かったのは、津軽今別の駅名標に、特急のみの停車にも拘わらず、特急は通過する中小国の表示があったり、知内の駅名標に既に臨時駅扱いの吉岡海底の表示がそのままあったりしたことだった。でも、新函館北斗まで何往復の新幹線が通るかは判らないが、新幹線が通っても、従来通り海底駅を観光に利用してもいいと思う。
写真は廃止される特急「スーパー白鳥」が入った新青森駅。 |
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(2016年1月9日) 特急列車から見る津軽の冬景色 |
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10時18分、定刻で新青森を発った。特急列車は後ろ向きで青森へ向かった。すると、眼前には北海道新幹線の高架線がよく見えた。今度はあれが北海道への道になるのか……。
青森ベイブリッジと青函連絡船八甲田丸が出迎えている青森に停車して、特急列車は正しい向きで発った。ステンレス製の青い森鉄道と途中まで一緒で、進路は浅虫温泉方面に向かっていった。車窓には除雪作業たけなわのラッセル車や、寝台急行「はまなす」で用いられているのびのびカーペット車が、夜の出番を待ちながら休んでいた。
次第に街の様相が薄くなり、処女雪が広がる平原が続いた。こんな場所に新幹線が走るなんて、地元の人はそう思っていなかっただろう。特に、青函連絡船を知る人達にとって、約54キロもある海底トンネルが、日本の技術で出来るとは思ってもみなかっただろう。だけど、こんな静かな営みが下手にぶち毀される夢の無い話は止めて貰いたい。差し詰め、東京の台場みたいには。
しかし、人影が全く見当たらない。都会の青森から、ほんの十数分でこんな田舎になってしまうとは……。処女雪はおろか、雑木林に斜めに設置されている防雪柵に積もっている雪が、これぞとばかり津軽の冬景色を思う存分に描いている。そんな寒さが先走る場所に、雲の切れ間から晴れ間が覗き、僅かに仏頂面の私の頬が緩んだ。車内は暖房が幾分か利いているが、私の手はホットレモンティーに伸びてばかりだった。
地吹雪らしい物が見えたので一句。
奥津軽地吹雪舞踊水墨画 |
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(2016年1月9日) 青空が見える蟹田に風が吹く |
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途中の蓬田(よもぎた)から陸奥湾が開かれているので、座席越しに如何にも寒そうな鈍い灰色の海を眺めていた。此処は手付かずの処女雪が続いていて、私が見た津軽の冬景色とは全く違う様相だ。柔らかい雰囲気の雪景色だった。
「まもなく、蟹田です。」男声のアナウンスが蟹田到着を報せた。車内は特に降りる雰囲気は無く、北海道のパンフレットや情報誌を開いて、あれこれ北海道観光を練っていた。恐らく終点の函館で、特急「スーパー北斗」7号に乗り換えて、札幌方面に向かうのだろう。仮に私と同様、朝から新幹線に乗っているとなると、札幌に到着するのはもう夕方辺りだ。ご苦労なこった。
薄い雲から陽差しが差し込んでいる津軽の下、「蟹田〜三厩(みんまや)」の行き先サボが差し込まれている白の車体に赤の線が入っているキハ40系が見え、速度を落として蟹田に停車した。
駅の売店が無い蟹田だが、この近辺のJR路線上、重要な駅だ。全ての特急は停車するのだが、JR管轄境界駅である中小国には1本も停車しないのが、どうも判らない。しかも、JR津軽線の乗り換え案内は蟹田だけ。
蟹田で青空が見えたので一句。
青空に春を待つ雪蟹田かな
さて、北海道新幹線開業後はどうなるのだろうか? 北海道新幹線は青函トンネルを利用する都合上、在来線と新幹線との電圧が異なると言うことで、在来線特急は走れないと言うことで、この特急は廃止されるのだ。廃止後は新幹線と電圧変更が可能な貨物列車しか通過出来なくなる。在来線は青函連絡船時代同様、寸断されるのだ。同様の問題は函館市でも論議されていて、その答えは新函館北斗〜函館を「はこだてライナー」という新幹線へ乗り換えに便利な列車が設定されたからいいのだが、蟹田はどうなのだろう。ホームに設置してある太宰治氏の代表作『津軽』の「風の町」の如く、北海道新幹線から送られてくる突風しか吹かないとなれば、笑えない話だ。
写真は蟹田駅間近に停車しているキハ40系。青空が見えている。 |
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(2016年1月9日) 奥津軽いまべつ駅と青函トンネル |
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ホームが短く、JR管轄境界駅にしては余りにも寂し過ぎる中小国を風の如く通過し、新中小国信号所を通過して、JR津軽海峡線の始まりを意識しながら、左に逸れるJR津軽線と岐れた。すると、左側から雪原には何とも無神経なコンクリートの高架線の北海道新幹線がやってきた。その高架線と特急列車が接続し始めて、遂に、3線軌道(在来線と新幹線の線路が共有している場所)に乗った。
数分後、左から先程岐れたJR津軽線がやってきた。すると、背の低い防音壁が続いた。津軽今別はこの辺だ。JR津軽線の津軽二股駅と隣接していて、JR管轄が異なるから、駅名が違うのが鉄道ファンに知られていた。北海道新幹線工事で2015年8月から、駅としての営業は終わり、開業後は「奥津軽いまべつ」として出発し、在来線ホームは避難場所として第二の人生を歩むのだ。しかし、在来線ホームは駅名標やホーム自体が撤去され、新幹線ホームは大きなシェルターに包まれていた。2年前はホームすら出来上がっていなかったが、最後の工事を雪まみれになって行っていた。さて、隣接している津軽二股はどうなるのだろうか。JR上、別の駅として扱われているが、ローカル線しか走らない津軽二股と、新幹線が走る奥津軽いまべつが同位置にあるとは、物凄いギャップで面白味がある。いっそのこと、連絡駅として認定すればいいのではないか。序でに駅名も「津軽二股今別」と改称してしまえ。今度盛り上がるのは蟹田から津軽二股になるのか……。無情に啜るホットレモンティー。
電光掲示板に、ズラズラと通過するトンネル名が出てくる。そして、「いよいよ青函トンネル」の表示が出た。2年前は初めての青函トンネルに心躍らせていたが、肝心の表示が撮れなかった。良い証拠になるというのに。北海道新幹線は、果たして表示してくれるのだろうか? ドライにニュースだけ流すのは、青函トンネルを造った先人に申し訳立たないぞ。
これで、北海道に入るのだが、やはり、どうも拍子抜けだ。四面四海の北海道に向かうには、北海道に入ったという実感が欲しい。思うと、あの青函連絡船は大変浪漫溢れる乗り物だったな。私のイチオシの映画『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』では、青函連絡船で函館へ向かったシーンがあったが、何か青函トンネルはただ長いだけの海底トンネルにしか感じられなくなった。長い海底トンネルに日本技術の高水準に感心したり、出口はまだかと何も無いトンネルをひたすら眺めたりしているのもいいが、何処か浪漫というものが理解していない証拠にも見える。つまらなさそうにトンネルを眺め、ホットレモンティーを呷った。ぬるさだけが口中を走り、かつての竜飛海底駅だった竜飛定点を無造作に通過した。
吉岡定点を通過し、青函トンネルを出た。周りは雪景色で、青森と何ら変わりなかった。本当に北海道に入ったのか。SNSの現在位置検索なら判るが、こんな薄っぺらいデジタルで北海道に入ったと感動するなら、滅多に指さない現在位置に感動しているだけで、長旅をする資格は無い。とっとと木古内で降りて、本州へ引き返してくれ。
写真は建設途中の奥津軽いまべつ付近。連絡橋らしいものができている。 |
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(2016年1月9日) 湯の里知内信号所と木古内駅 |
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一体、青森と知内は何処が違うのだろう……。残り少ないレモンティーを啜りながら、相違点を探し始めた。
暫くすると、背の低い柵が続いていて、色々な物が置かれていたり、黄色いヘルメットを被り、防寒着を着た警備員が特急列車を見送っていたりしていた。そして、何処かで見たような山の景色。ふと、2年前のフィルムが動き出した。
知内駅だ。もとい、知内駅跡だ。此処は北海道新幹線の開業後、湯の里知内信号所と名を変えて、信号所として第二の人生を歩むそうだ。「湯の里」も「(渡島)知内」も廃線になったJR松前線の駅名だが、その駅名が信号所となって復活するなんて、何処か笑えない。
それにしても、知内駅跡は綺麗サッパリに無くなっていた。駅の造りもホームの造りも仮設のように粗末で、利用客がいるのかどうかが疑問だった。ただ、嬉しかったのは、北島三郎氏の故郷に程近く、近くの道の駅では氏のポスターが飾られていた。ただ、新幹線の信号所となってしまっては、その価値はどうなるか目に見えて、哀しげに視線を反らせた。
暫く、処女雪が続いている田畑を眺めていた。春になると、一体何が植えられるのだろう、と思いつつ空になったレモンティーのペットボトルを回していた。
こんな所に、知内駅が置かれていたなんて。特急2往復が停車するだけで、利用客はいたのだろうか。青森にある青函連絡船八甲田丸で見た快速「海峡」の切符には、知内と出ていたから、旧JR松前線を利用していた人で、湯の里駅と重内(おもない)駅と中間地点にあったいうことで、利用客が少しはいたのかも知れない。しかし、快速「海峡」が廃止になってしまってからは、救済措置ということで、知内停車の特急列車を走らせたのだろう。昔は旧JR松前線が通っていた場所に、知内駅を置いて、北海道新幹線の開通で信号所として格下げされて、また廃止同様になってしまった。とんでもない皮肉だな。
ずっと処女雪が続く原野を眺めていたら、防音壁に囲まれた高架線が現れた。凄い景観を損なったなと舌打ちをしたが、これが北海道新幹線なのだ。今年(2016年)3月に開通するのだが、本州との玄関口の座は、完全に函館から奪い取った感じだな。
そして、スノーシェルターに包まれた駅舎が出迎えると、木古内に到着するのだ。
2年前、JR江差線の木古内〜江差が廃止になるというので、この駅に降り立った時、ストーブが焚いてある待合室には、多くの鉄道ファンが記念切符を買っていた。私もその記念切符を買ったのだが、序でに知内駅の入場券も販売されていたので買ったな。
その時、北海道新幹線の建物は一部分だけが出来上がっていたのだが、2年前と較べたら、殆ど出来上がっていて、此処に新幹線が走るという現実味を帯びてきた感じがする。
ホームには江差線の函館行きの鈍行が停車しているが、北海道新幹線が開通すると残っているJR江差線は「道南いさりび鉄道」として、第三セクター方式の鉄道になるのだ。新規の新幹線が開通した部分にある在来線は、JRから分離されて第三セクターの鉄道に転換されるのが法律にあるのだが、結局は赤字部分を地元自治体に押し付け、新幹線の特急料金で旧国鉄の莫大な赤字を支払おうという卑しい法律だ。
デジタルカメラで1枚撮ったが、北海道新幹線の建物と第三セクターに移管される江差線が同時に撮れたので、或る意味貴重な1枚だ。
それにもう1枚、貴重なショットが撮れた。駅名標だ。これも、今年の3月までしか撮れないのだが、左下を見ると、フォントを無視した「つがるいまべつ」のシールが貼られている。私は苦笑した。津軽今別は昨年(2015年)の8月に、駅としての機能を終わらせて、北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅として第二の人生を歩もうとしている最中なのに。何で、今でも津軽今別の存在を取り上げているのだ。腑に落ちん。
上は跡形もなく無くなった知内駅跡。
中はJR江差線が停車している木古内駅。
下は急拵えで「つがるいまべつ」の駅のシールが貼られている木古内駅の駅名標。 |
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12時22分、特急「スーパー白鳥」1号は函館に到着した。かつて、青函連絡船で賑わったこの駅は、今は青函と道南を繋ぐ中継駅として賑わっている。
8番線に滑り込んだ特急「スーパー白鳥」は、青森からの客を一気に吐き出した。此処で各々の行程は函館観光か、道央までの列車移動となる。函館観光の乗客は長い移動に疲れた表情を見せず、これからの函館観光に精を出そうとしているが、7番線に停車している特急「スーパー北斗」に向かう人は、2つの表情を見せている。「あと一踏ん張りだ」というエナジーを温存している表情と、東北新幹線を使っての移動で、余りの移動時間に疲れた表情だ。私は函館以遠は初見参で、これからの北海道の光景が娯しみなので、気軽にカートを牽きながら、「スーパー北斗」に乗車した。勿論、自由席で。
乗り換え時間は僅か7分。「白鳥」と「北斗」は同じホームに停車するので、スムースに乗り換えが出来る。そんな乗り換えだから、自由席は難無く座れるかと思いきや、その予想は見事外れた。自由席の通路に立ったが、そこにも乗客がいたのだ。乗り換え時間僅か7分では、殆ど通じなかった。ずっと、座ったままで移動したから、立ちんぼでの移動を強いられるので、疲労感が襲い始めた。しかし、此処で疲労感を出してはいけない。まだ、最初の目的地まで行っていないからだ。
自由席の車両は、通路まで混んでいた。何とか場所を拵えて居場所を確保した。私の場所は何と噴火湾側のドアのど真ん中。途中駅で開いてしまったら、どうしようもない。責めて、このドアから乗ってくる客がいないことを祈るしかない。特に、私のようなカートを転がしている人達は、場所を多く取るので、白眼視を受け易い。
私は車窓から函館駅ホームを眺めて、2年前の青函の旅を回想し始めた。
―この駅に降り立ったのは、夜だったな。JR江差線の木古内〜江差に乗車した後、木古内から特急に乗って向かったな。尤も、北海道に降り立った気持ちが強かったのは、この駅に着いてからだった気がする。駅前に広がる函館朝市、赤レンガ倉庫に数々の教会、青函連絡船摩周丸、そして、夜の函館山からの眺望。
2年前ながら、本当に懐かしい思ひ出だ。今回も立ち寄る予定だが、さて、何処に行くかだな。晴れている函館駅を眺めながら、函館での行程を思い描いた。まだ、2日もあるというのに、妙に気が早いな。それ程、函館は魅力的なのだ。 |
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12時27分、定刻で函館を発った。自由席車両は通路まで立ちんぼがいるが、こうした通路に立っていると、座れない惨めさがかなり和らぐ上、走行音が幾分か喧しいので、多少のお喋りが耳障りではなくなるのだ。
私は鞄を開いて、使い慣れている携帯用時刻表を開いた。掲載されている路線を概ね知っている私は、すぐさま函館本線のページを開き、指でスッと今乗車している特急列車を探した。これは「スーパー北斗」7号で、最初の目的地長万部到着は13時45分と出ていた。3〜4桁の数字が羅列している本で、数学が苦手な人には目眩(めまい)を引き起こしそうだが、旅好きな私には難なく読めて、難なく行程が組める特技があるのだ。でも、これが現実になるのは滅多に無いけど。
だけど、約1時間15分も掛かるのか……。大きいスーツケースがあり、通路が狭くなっていて、何をするにも手間が掛かりそうな自由席の通路に、1時間15分も立っていなければいけないなんて。上野〜新青森〜函館とずっと座ってきた私にとって、これは思わぬ落とし穴だな、コリャ。
榎本武揚で有名な五稜郭に到着し、その後、電気機関車が停車している五稜郭機関区を通過して、次の停車駅大沼公園に向かっていた。特急列車は高架橋を渡り、右に逸れていった。確か、仁山と渡島大野を通らないルートだったな。しかし、車内と外気の気温差が激しいのか、ドアのガラスはすぐに曇ってきた。ハンカチで窓を拭いて視界を確保した。次第に民家は少なくなり、延々と平坦な処女雪の原野が広がり、北海道の大自然が眼前に現れた。その大自然に目を細めていたら、また車窓が曇ってきた。またハンカチで拭いて曇りを取った。そして、5分もしない内にまた曇ってきた。またハンカチで拭いての繰り返し……。
そんな曇る車窓と格闘しながら、大沼公園に停車した。外は雪に覆われていたが、青空だった。
すると、私が陣取っていたドアが開いた。不味いな、コリャ。乗降客がいなければいいけど。いたら、私はいい迷惑な存在だ。
しかし、大沼公園では乗車する人はいなかった。勿論、私の所からも。それに安堵したのか、私は上半身を駅のホームに突き出して、空を眺めた。2年前の北海道の旅で気紛れな天気に慣れているので、青空が出ていることには大して感心しなかったが、雪に覆われての旅にはならなそうだぞ、今日は。そうしたら、気分がスッとしたよ。
私は大沼公園駅を撮った。軒が低い土産物屋やレストハウスが駅を取り囲み、周辺は雑木林に覆われていて、如何にも自然公園にピッタリの駅名だ。降りた客は外国人観光客がメインで、時折飛ぶ中国語が小気味よかった。大都会での爆買いに現を抜かすよりは、こういう地方の大自然に囲まれた方が、気分的にも良いではないか。
上は五稜郭機関区に停車しているディーゼル機関車。
下は大沼公園駅ホーム。 |
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大沼公園を発った特急列車は渡島駒ヶ岳の麓を走り、噴火湾に向かっていた。私はデジタルカメラを取り出して、車窓から見えてくる渡島駒ヶ岳が見えてくるのをジッと待っていた。しかし、車窓の水滴が邪魔者で、逐一ハンカチで拭きながら、待っていた。早い所、姿を現してくれ。
焦れる気持ちを抑えて一首。
駒ヶ岳指で拭いし曇る窓凍えし指の撮る技難し
私の急く気持ちが通じたのか、3合目から冠雪している渡島駒ヶ岳が姿を現した。良い一枚を撮るぞ、と意気込んでシャッターを押したが、此処で新たな邪魔者が現れた。葉を落としている木々だ。全く良い一枚が撮れない。デジタルカメラは失敗したら難無く消去出来るのでバシバシ撮れるのだが、こういう邪魔者はどうにも出来ない。『ルパン三世』ではないが、斬鉄剣があったら、スパッと切ってやりたい。木々が無い場所を瞬時に見定めて、素早くシャッターを切る。まぁ、いい一枚は撮れたからいいとして。
そして、噴火湾に出た。私は人に知られぬ様に、ほくそ笑んだ。地理に詳しい私は、噴火湾とこの特急の進行方向を計算して、此処に陣取ったのだ。その結果、噴火湾の美味しい所は全て私が貰うという大勝利を得たのだ。間近まで迫ってくる噴火湾に感動し、シャッターを押す回数が増えた。東京界隈で、こんなに海岸線が迫ってくる路線は殆ど無い。あるとすれば、埋め立てで波が殆ど押し寄せない味気ない場所か、内房線の上総湊を発った後だ。
噴火湾を1枚、2枚と撮っていると、森に到着した。森といえば、いかめしが有名で、駅弁業界が次々と縮小される中、大奮闘しているが、僅か1分の停車時間や混雑している通路で頂くことが、それを許してくれない。有名な駅弁がある駅に停車していながら、それを頂くことができないなんて、酷い話だ。
いかめしを口に出来なかった悔しさを言葉に出さず、森を発った。
上は渡島駒ヶ岳。
下はいかめしで有名な森駅。 |
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(2016年1月9日) 道南で気付いた思わぬチョンボ |
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噴火湾は函館本線にベッタリと付き、次々にシャッターが切られた。車窓からでも判る湾曲している海岸線、石ころが乱雑に転がっている狭い海岸線、小さな漁船が停泊している小さな漁港……。漁港の周辺には小さな民家が点在していて、漸く七飯(ななえ)から途切れた生活の匂いが漂い始めた。地元にとって函館本線は命綱みたいな存在だが、此処に北海道新幹線が加わったら、此処から青森や札幌へ出勤するサラリーマンが現れたりして、生活がかなり一変するだろう。でも、こんな景色の中、時間ばかり稼げる新幹線は必要なのかな?
また1枚撮って、一息入れた。デジタルカメラは本当に便利だ。失敗したら難無く消去できる他、莫大な量の写真が撮影できるのだから。確認したら、約3000枚撮れるのだから。先程撮った大沼公園、渡島駒ヶ岳、そして噴火湾。その中で、渡島駒ヶ岳のコマが出てきた。いい具合に撮れたなぁ。
すると、妙なことに気が付いた。
あれ、今日は何日だったかな? コートのポケットにある携帯電話を取り出して、日時を確認して、もう一度デジタルカメラの日付を照合した。
「!」
私の表情に険が走った。
日付が1日進んでいて、1月10日になっていたのだ。細大漏らさずデジタルカメラに収めたいと意気込んでいたのに、日付が間違っていたとは。
私は慌てて、デジタルカメラの日付を修正した。それにしても、本当の不覚だ。時間を見ると13時15分。それまで全く気付かない私の鈍感振りに呆れたが、この旅に夢中になっていることに微笑した。
八雲を発って、2016年に廃止される鷲の巣駅のホームを撮ると、噴火湾は近付いたり遠離(とおざか)ったりした。
この辺か……。『寅次郎相合い傘』では、ウトウトしている兵頭謙次郎が一緒にいる経緯を、キャバレー歌手のリリーは寅さんに聞いていた。八戸駅で出会って、何処にも行く当てがなかった兵頭は寅さんに付いてきたというのだ。その時の車窓からの景色は、こんなものだったのか。時期が異なるから断言出来ないが、青々とした牧草地が続いていて、時折マンサード(途中から屋根の角度が急になる、豪雪地帯特有の建物)の牛舎がポツンとあった。そして、防雪林のポプラが途切れると、リリーは何か食べようと言い出して、寅さんが長万部の蟹でも頂こうと提案する。しかし、予算ギリギリの状態で、今夜の宿代はどうするかの質問に、寅さんが「銭が無かったら、3人揃って駅のベンチで寝たっていいよ。」と言うお気楽な答えに賛成するという自由奔放な旅だった。
こっちも或る意味自由奔放だな。宿泊地を決めているだけで、何処で食事を摂るか、何処で観光するかは大まかに決めているだけ。
さて、函館以遠で私を出迎える出来事とは……?
上は車窓から見える噴火湾。
下は2016年3月に廃止された鷲の巣駅。 |
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13時45分、長万部到着。10人にも満たない乗客が降りた。その中に私も含まれていた。
八王子出発から約9時間。私は長万部に到着した特急「スーパー北斗」を旅の一部として撮っていた。そして、此処から始まる室蘭本線に走り去った。
此処なのか……。あの映画で、蟹を頂こうとして降り立ったのは。『寅次郎相合い傘』の行程をなぞっているみたいで、嬉しかった。
一人旅に慣れている私は疲れを微塵も見せず、長万部駅のホームを撮った。しかも、晴天だ。気分は一気に上昇した。その優越感に浸りながら、冬の陽差しに目を細めた。
私は軽くアキレス腱を伸ばして、綻びが出ている階段を上って、ホームを出た。体育の成績は今一つだったが、耐久力は人一倍ある自信があるのだ。
跨線橋の通路を渡って、階段を降り始めたが、此処でもカートを持ち上げなければ行けない。慢性的な赤字に苦しんでいるJR北海道では、主要駅でもエレベーターを付ける余裕は無さそうだな。でも、エレベーターが付いていない所が、如何にも地方の駅らしく郷愁感がある。
ストーブが焚かれている駅舎に入るや否や、私が向かったのは併設されている観光案内所だった。睨んだ通り、此処は蟹の宝庫だ。蟹を取り扱っている店が多かった。その中に駅弁を作っている店があった。地図を見ると意外と近くにあって、その近くの道をまっすぐ進めば、海に出られるそうだ。
駅舎を出ると、運良くかにめしの製造元となっている食堂を見付けた。しかも、海岸も近くにあるではないか。食後の散歩に打って付けだ。あの行程が再現出来るのだ。確か、蟹を頂いた後に砂浜でじゃれ合ったシーンがあった。砂浜の場所は此処とは言い切れないが。
私はその食堂に向かった。店内は黒のタイルと座敷が色調的にも良く、食堂と言うよりはお値打ち価格の割烹料理店といった所だ。店内には2〜3人の客がいて、何を頂いているのかと覗いてみたら、何とかにめしだった。
品書きを見たら、メインのかにめしの他に、塩ラーメンもあった。海の近くだから、塩ラーメンがあっても不思議ではないが、私の目的はあくまでも蟹だから、かにめしにしようと決めていた。だから、かにめしを注文した。
北海道でべらぼうに捕れる蟹は、東京人にとってはまさに黄金色の存在だ。15年前に山陰を旅した時も、その存在に陶酔していたが、その陶酔が15年の年月を越えて蘇ってきた。便利至極の東京でも、なかなか手に入らない新鮮な蟹。それが、眼前にあるのだから、陶酔と一緒に気分が昂ぶってきた。瞬時に、長万部に向かった時の疲労が半分以上消えた。単純だけど、東京でも簡単に手に入らない食べ物が眼前にある時は、心躍る物なのだ。
そのかにめしを写真に撮って、昼餉を摂った。そして、蟹に出会えた陶酔なのか、かにめしを頂くことに没頭した。フカフカした蟹の身とシャリシャリ感がある生姜の対比が、食欲を掻き立ててくれる。
長距離移動の疲れが、かにめしで癒やされますように。
長万部の蟹を頂いて一首。
マフラーの乱れを知らず長万部蟹めし頬張る真冬の旅路
食後の散歩に、近くの海岸へ向かった。歩道は水気がある雪で覆われていたので、殆ど雪がない道路の脇を歩きながら海岸へ向かった。
横断歩道を渡り、防波堤を乗り越えると、一つ一つの足跡がクッキリ判る雪に被われた砂浜が広がっていた。波は砂浜に積もった雪を絶えず濡らしていた。更に、遠くにクッキリと聳える嶺に冠雪があり、美しさに華を添えていた。
その光景を見た途端、暫し時が止まった。雪に殆ど縁が無い東京からやってきた人にとって、綺麗な雪が積もっている砂浜は滅多に見られない光景だ。東京では鬱陶しい存在の雪が、此処では長距離移動の疲れを癒やす存在に格上げされていた。いい時に来たな。私は日付を直したデジタルカメラで、何枚もその光景を撮り続けた。
上は長万部に到着した特急「スーパー北斗」。
中は長万部で頂いたかにめし(イメージ)。
下は駅近くにある長万部の海岸。遠くに冠雪した山が連なっている。 |
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海岸で一服した後、長万部駅に戻った。よく見ると、北海道新幹線の大きな模型が駅前に飾られていた。噂では、北海道新幹線が札幌延伸の折には、此処長万部も停車駅になるそうだが、札幌延伸は2030年の予定と聞いているし、今でも斜陽化が止まらない北海道経済が、2030年まで持つかが心配だ。JRに民営化された後に廃線になった路線は結構あるが、廃駅になった駅も結構ある。この北海道新幹線が、その元凶の一つにならないかが心配だ。その前に、東京と北海道の意識改革を施さなくてはならないな。
駅に入り、とても長い氷柱を撮った後、3・4番線ホームに立つと、2両編成の東室蘭行きが停車していた。適当なボックスシートに私の鞄を放り投げると、ホームに出た。
ホットミルクティーを買い、出発時間まで待っていると、貨物列車が多くのコンテナを牽引して、隣の2番線ホームに入線した。
鉄道ファンの私は、通過する前に貨物列車を写真に収めようとした。すぐさま、デジタルカメラを取り出して、またホームに出た。貨物列車は私の気が通じたのか、2番線ホームに停車した。先頭部分は撮れなかったが、こんな長大な貨物列車をディーゼル機関車1台で牽引しているとは、随分馬力があるんだなぁ。
ディーゼル機関車の馬力の凄さに感心しながら撮り終えると、アナウンスが入った。何と、特急「スーパー北斗」9号が雪の影響で遅延している知らせだった。この普通列車は15時22分が発車時刻だが、時計を見たらその時刻の3分前だった。普通列車が先に出発したら、後続の特急列車が詰まってしまい、到着が更に遅れるので、この列車も遅れるだろう。私がいる長万部に今、雪は降っていないが、函館界隈は降っているのだろう。私が到着した時には、多少の青空が見えていたが、全く、冬の北海道の気紛れ天気には参るな、コリャ。
一番奥の1番線ホームに、件(くだん)の特急列車が停車し、僅か30秒の停車を挟んで、洞爺へ向かった。先頭車両に積雪があり、降雪時に懸命に走行していたことを証していた。「遅れていたのは雪の影響なので、そんなにお冠にならないで下さい」と詫びを述べているようでもあった。
上は長万部駅。よく見ると、北海道新幹線の模型が飾られている。
下は、長万部駅に到着した貨物列車。 |
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15時31分、定刻よりも9分遅れで、東室蘭行きが長万部を発った。すぐさま、噴火湾が寄り添ってきた。私が座っているボックスシートは噴火湾沿いだったので、存分に見られる。途中、2006年まであった旭浜駅跡を写真に撮ったり、長万部の海岸で見た遠くの山脈が近くに迫ってきたりして、飽きの来ない眺望が続いていた。
静狩を発って数分後、トンネルの途中から速度が落ち、トンネルとトンネルの狭間の駅に到着した。鉄道ファンの私はぴょんと座席から飛び出した。
小幌駅だ。鉄道ファンや秘境駅ファンにとっては、まさに聖地そのものだ。トンネルの狭間の狭い場所に造られた駅で、かつては列車の行き違いを行う信号所だった。駅に繋がる道路や駅舎は無く、ホームの階段から繋がる場所は何と、猫の額程の海岸だけ。この海岸だけが小幌駅の見所だ。列車が停車・通過する時は、トンネル内で冷やされた空気が、列車と一緒に濃霧として小幌駅に吹き付ける様は、周囲を山地に囲まれて、人工物の音が殆どしない小幌駅の静寂を打ち破る鐘に匹敵する。
ほんの十数秒程の停車で、私は小幌駅のいい写真が撮れたので、満足げの表情を出した。
小幌で乗車する客はいないだろうと高を括っていたが、親子連れ1組が乗車してきた。この親子は鉄道ファンなのだろう。そうでなければ、こんな駅には見向きもしない。できれば、私も降りたかったなぁ。海岸に降り立って、物思いに耽るのも乙な物だしね。
秘境駅小幌駅に送る一首。
殊な客僅かに乗せて残る雪小幌のホームに夕陽輝く
上は秘境駅として名高い小幌駅ホーム。
下は小幌駅の出入口。此処から海岸へ行けるのだろうか? |
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黄昏ゆく噴火湾を望みながら、列車は走る。
この噴火湾と付き合ったのは、もう何時間になるだろうか。森付近で出会って、小さな漁港と石ころだらけの海岸があって、長万部の砂浜で休憩して、そして、チラチラと眺めた一日が、黄昏を迎えつつある。シャッターが開いたばかりの八王子駅の改札を抜けたのは、もう何時間前になるのだろう。いや、この2つは同じ日のことなのかな。
話を深掘りしながら、列車は礼文、大岸、豊浦と過ぎ、洞爺へ向かっていた。ふと、過ぎった。洞爺って洞爺湖サミットだったな。此処でちょっと降りてみるか。時刻表を開くと、この列車の終点東室蘭まで行っても、札幌に一番早く到着する列車は、洞爺から乗れる特急になることが判った。予定変更して、洞爺で途中下車だ。アドリブを利かせないと、旅は娯しめないからね。
16時13分。定刻の8分遅れで、洞爺に到着した。降りた乗客は私だけ。
駅を出ると、右側に8ヶ国の国旗とEUの旗が掲げられているモニュメントがあった。開催年を見ると、2008年と出ていた。あれからもう8年も経って、今年(2016年)は伊勢志摩でサミットを開催するのだ。
さて、どうするかな。この時間から洞爺湖に行くのは、些か厳しい。それでも、洞爺湖行きのバス停を見付けて、都合のよい便を捜し始めた。16時35分の便があったが、それに乗ってしまうと、次に乗る16時54分の特急「スーパー北斗」11号に間に合わないことが判った。洞爺湖にも行けずに、洞爺で降りるなんて。凄い肩透かしを食わされたな。
このまま駅舎に籠もるのも嫌だし、駅前を散策するか。
すると、土産物を置いている酒屋らしい店があったので、覗いてみた。何かあるのかと見てみたら、丁度洞爺湖と昭和新山の絵はがきセットがあったので、早速購入。洞爺湖へ行けなかった敵討ちは、これでいいか。いや、機会があったら、行ってやる。
駅舎に戻ると、東室蘭側から特急列車が到着した。特急列車から観光客が多数吐き出され、駅の出入口で待機している旅館の幟(のぼり)を持った番頭に引率されて、今宵の宿へ向かった。中には、外国人観光客がいて、番頭が「フォロミー、フォロミー(Follow me)」、「ウェルカム(Welcome)」等と慣れない英語を用いて誘導する光景もあり、洞爺湖サミットの威力を知らされる。今年(2016年)は、先述の通り伊勢志摩で開催されるのだが、ただでさえ観光客が多い伊勢志摩だから、今以上に殷賑をもたらすだろう。地方再生のいい起爆剤になるように祈ろう。
特急列車に乗った観光客が出終わると、改札が閉まった。地方の有人駅では、列車到着間際にならないと、改札が開かないシステムになっていることが多い。特に、冬の北海道は尚更だ。吹き曝しのホームで待たすのは失礼だと思っているのだろうか。売店で買った濃いめの緑茶を啜りながら、改札が開くのをジッと待っていた。
特急「スーパー北斗」11号の案内が出て、改札が開いた。私はホームに入り、自由席乗り場に立ち、特急到着を待っていた。ホームは灯りが点されていて、レールの積雪の冷たさを瞬時に忘れさせてくれる温かみがあった。今頃、旅館の番頭に引率された観光客は、旅館の暖房に一息入れて、温泉に入っているのだろうな。こんな寒い時は、温かい温泉が一番だ。温泉に入って、軽く雪見酒でも嗜みたいな。
上は黄昏ゆく噴火湾。
下は洞爺駅にある洞爺サミットのモニュメント。 |
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特急は定刻の5分遅れで到着し、私は札幌へ向かった。合間に、洞爺駅で買った緑茶を啜って。
外は黄昏が終わり、藍色の夜の帳が覆い始めた。無造作に点る外灯だけが目立つ夜景を眺めながら、また濃いめの緑茶に手が伸びた。それが尽きると、ニセコ山系の水で淹れた緑茶を啜った。今度はほんのりとした甘さが広がった。
そうしている内に、睡魔が襲ってきて、目が覚めたのは新札幌を発って、終点札幌へ向かっている最中だった。近付いてくる札幌の街並みを期待しながら、残り少ない緑茶を啜った。
札幌到着のアナウンスが流れた。札幌の街へ入った。様々な本では札幌を「リトル東京」と扱き下ろしている。その理由は様々な政治経済の中枢が東京のように集中しているからだ。更に、札幌独自の文化が薄く、東京追従の街造りが嗤笑を集めているとあった。東京一極集中が日本の最大の問題であり、東京発展の最大の妨げになっている事実は誠だが、車窓から見た札幌の第一印象は、やはり東京と余り変わりない所だ。東京でも見掛ける量販店があって、成程「リトル東京」の汚名を頂いていることは大いに頷ける。違う所は雪がある所だけかな、現時点では。
18時43分、札幌到着。いよいよ札幌に到着か。
ホームで、札幌の駅名標を入れた記念写真を撮り、ホームを降りた。
とうとう来たか……。
かつて、此処には上野から発った寝台特急が停車していた。一番乗りたかったのは「北斗星」のロイヤルだ(1人用のシングルデラックスが無いので)。部屋でゆっくり寛ぎながら、車窓からの景色を眺め、食堂車で優雅に夕餉と朝餉を摂って、札幌へ向かいたかったなぁ。今では果たせぬ夢だが、もし実現できる状況になったら、躊躇(ためら)いなく乗車したい。
さて、此処から宿泊するホテルに向かうのだが、最寄り駅は大通。駅員から大通駅の行き方を尋ね、地下鉄ホームに降りた。そして、1区間ながらゴムタイヤで走っている札幌市地下鉄に少し感動し、大通駅に降りた。此処でも、駅員にホテル名を出したが、肝心の住所を書くのを忘れた為、周辺の地図でそのホテルを探す羽目になった。案内地図で場所を捜すこと約5分。狸小路にあると判り、狸小路に向かって、地下街ポールタウンを歩いた。
地下街ポールタウンは、雪が多い札幌を手早く移動できるように造られた長い地下街だが、東京で見掛けるファッションの店やアクセサリーの店が続いている。食べ物の店も幾つかはあったが、東京でも売られているアイスクリームやクレープの店、ファーストフードの店があるだけ。……やはり、東京と何ら変わりないな。「此処が東京だ」と法螺吹いたら、地方出身者は信じてしまいそうだ。酷い話、東京人の私でも、そう思い込んでしまいそうだ。「リトル東京」はまさに蔑称だな。
逆に、名古屋駅の太閤通口にある、地下街エスカは面白いな。名古屋名物の店が一杯あって、素直に「名古屋に来た」という印象が強く働く。味噌カツや味噌煮込みうどん、鰻の蒲焼きを短冊状に刻み、櫃にまぶしたひつまぶしの店が並んでいる様は、まさにKOパンチだろう。
写真は、やっと到着した札幌。 |
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(2016年1月9日) 狸小路で出会った札幌の素顔 |
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そして、狸小路出口に出て僅か1分、目的のホテルに到着した。
見ると、ワインレッドのカーペットが、何とも上品な高級感溢れるシティホテルだ。私は思わず息を呑んだ。此処で2泊するとは……。
私はカートを牽いて、奥のフロントに入った。
中はワインレッドのカーペットが敷かれていて、左側には世界各地から空輸されたワインが置かれているお洒落なレストランがある。此処での夕餉は、札幌の夜に相応しそうだ。
お洒落な内装に、私の視線は全く定まらず、フロントでチェックインをした。すると、周辺の飲食店の位置が記されている地図を見付けた。その1部を取り中を見ると、先程のお洒落なレストランでの夕餉が物足りないような感じがした。札幌と言えば、濃厚な味噌が利いている味噌ラーメンか、ラム肉と緑黄色野菜を鉄兜のようなプレートで焼いたジンギスカンが有名だ。両方共、外せない一品だが、果たして、どちらが良いのか。そう迷いつつ、部屋に向かった。
ベッドに痩身を投げて、先程の地図を広げて思案した。チラチラ見掛ける「スープカレー」の文字。札幌はスープカレーでも有名なのか? でも、長万部でかにずしを頂いただけだから、何かスタミナが付きそうな物がいいな。そうなると、味噌ラーメンかジンギスカンになるな。さて、どれがいいのかな……。
フロントで相談し、私は狸小路を歩いた。
すると、私の良く動く目は、「此処は札幌だ」と言う認識が強く働いた。
意外に土産物屋が多く、夕張メロンやハスカップ、ラベンダーにラーメン、鮭にバター飴と北海道色が強い土産が店内を賑わせていた。こんなの東京では、物産展でしかお目に掛かれないだろう。特に夕張メロンは高級ブランドになっているから、輸入物のメロンを嗜みがちな東京人には、目の色を変えてしまいそうだ。クッキーやゴフレット等の菓子類が置かれている大同小異な観光地とは一線を画している。見た所、繁体字(旧書体の漢字が多い台湾の文字)での歓迎の文字が多かった。亜熱帯地域に住んでいる台湾人にとって、雪が舞う北海道はまさにワンダーランドなのだろう。雪に触れる機会が皆無で、説明しても「細かく砕かれた氷のようなもの」、「綿のような氷」と言っても理解し難いから、現地を旅しているのだ。
ふと、私は名古屋大須を回想した。大須もこんな賑やかな商店街がアーケードになって、延々と上前津まで続いているのだ。1回来ただけで好きになってしまった。此処で色々なイベントが目白押しだが、狸小路もそうなのかな? そんなことで、勝手に「札幌の大須」と命名した。大須と違う点は、土産物屋が目立って多い点かな。とにかく、賑やかな商店街だ。
写真は、賑やかな狸小路。 |
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私は南3西4の交差点を少し歩いた所にあるホテルのイチオシのラーメン屋で、夕餉を摂った。2年前に函館駅の食堂で味噌ラーメンを頂いて、ふと札幌の味噌ラーメンを頂きたいなと思っていたが、真逆2年後にその機会が巡ってくるとは。味噌ラーメンを頂いた願いが通じたのか?
此処で本場の札幌ラーメンを頂いた。品書きを見て即決、味噌チャーシュー麺の麺大盛りを頼んだ。此処でも繁体字があって、台湾からの観光客を出迎えていた。
それでは、本場の札幌味噌ラーメンを頂くとするか。トロッとした濃厚な味噌スープと下ろした生姜が、旅疲れの私の食欲を増進させてくれる。味噌スープに上手く絡んでいる細麺をゆっくり啜った。濃厚な味噌味のスープが、再び、東京人の五臓六腑に沁みる。思わず、溜息が漏れた。
これなら、(野菜、豚骨、鶏ガラ、魚介類で取ったスープの)釧路ラーメンは難しくても、旭川の醤油ラーメンも制覇出来そうだぞ、コリャ。札幌から特急列車に乗れば、旭川は難無く行けるからだ。
私が味噌ラーメンを頂いている時、数人の中国人観光客が来た(もしかしたら、台湾人観光客かな)。何と、ラーメンの元祖中国が、日本の国民食に進化したラーメンを頂くとは(因みに、韓国ではラーメンは日本食と認識しているらしい)。観光客は品書きを指で指して注文したり、片言の日本語で注文したりしていて、爆買い以外の日本観光を堪能していた。果たして、本場のお眼鏡に適うかどうか見所だ。
私は最高の味だった本場の札幌味噌ラーメンを完食した。はぁっと安堵の溜息を漏らした。後は、旭川の醤油ラーメンと釧路ラーメンだ。何時になったら頂けるのかな。今のように札幌で宿を取ったら、旭川は制覇できそうだが、釧路は釧路で宿を取らなければいけない。北海道は広く、主要都市に行くにしても時間が掛かるから、宿泊場所も変えなければいけない。でも、機会に恵まれたら行きたい。遠い約束を交わした。
また、南3西4の交差点に出て、暫く狸小路をブラブラすることにした。
南3西4か……、何処か人工的な街に聞こえるな。碁盤の枡目の如く綺麗に区画整理されている街なのか。此処をまっすぐ北へ向かえば、南2西4という交差点に出るのか? そして、この狸小路を歩いて、交差点にぶつかったら、南3西5という交差点なのか?
そんな余所者の戯言を呟きながら、一番端の狸小路7丁目に着くと、思わず立ち止まった。今まで綺麗な狸小路を通ってきたが、此処だけは厚手のブリキのアーケードが時代を物語っていた。しかし、札幌人は何の躊躇(ためら)いもなく、このアーケードを潜っていく。造りの差異に驚いて、1枚撮る東京人という余所者。
中に入ると飾り気が無く、塗装が剥がれている箇所が目立ち、雨や雪を避ける必要最小限の役割だけを担っている厚手のブリキのアーケードが続いていた。しかも、店構えも色褪せしている看板や塗装、カラフルではない塗装が施された所や、量の多さで商売している店が多く、一昔の雰囲気を醸し出していた。高度経済成長の真っ只中の昭和40年代の雰囲気が、平成の世に息づいているのだ。どうも、若い女性向けの店は無さそうだ。
そして、アーケードを脱けると、碧いネオンが点っている高層ビルがあった。よく見ると、有名ブランドホテルだった。此処で賑やかな狸小路が終わり、踏み押された雪が延々と続く静かな通りがあった。そして、私の予想した通り、此処に交差点があって、「南3西8」の標識を出していた。
私は躊躇いもなく、踵(きびす)を返した。
上は昭和の雰囲気が漂う狸小路7丁目。
下は狸小路7丁目を出た時の光景。遠くには、有名ホテルが建っている。 |
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ホテルがある狸小路5丁目へ向かった。それにしても、土産物屋が多く、あれこれ品定めしている観光客も多かった。時折通る、北海道土産を買い込んだ台湾人観光客の放談を聞きながら。
果たして、どの土産物屋が良いのか。ホテルで貰った或る土産物屋で使える5%割引券を、懐から取り出した。こんな風に割引券が貰えるのだから、余程品揃えに自信があるとみた。
その途中に、随分綺麗に施された社を見付けた。見ると、本陣狸大明神社と書かれてあって、狸小路ということで狸の石像が置かれていた。なかなか面白いことだなぁ。札幌まで旅できたお礼でも伝えるか。
そして隣には、出走間もない競馬の写真が大きく展示されていた。JRAの場外馬券売り場なのか? 真逆、この狸に願を掛けて、馬券を買いに行くのか? 狸の神通力で、端金が札束に化けるのか? 責めて、斜陽化が止まらない北海道経済を、神通力で立て直して欲しい所だ。
そんなことを考えていたら、件(くだん)の土産物屋の前に立った。チラッと見ると、明るい店内で、道内の土産が堆(うずたか)く積まれている。何だか、当たりっぽいな。
と言う訳で、中に入った。その入口には、北海道日本ハムファイターズの台湾出身陽岱鋼選手(当時)の看板があり、中国語の「頑張れ」と意味の「加油(チャーユ)」のメッセージが書かれていた。北海道は台湾人観光客に人気の場所で、彼はチームの主力選手故、故郷出身の英雄を店先に飾ることは、いい客寄せになる。
ある、ある、ある。北海道土産と台湾人観光客がいきなり店頭を賑わせていた。函館・札幌・旭川ラーメン(単品)とそのセット、チーズやバター等の乳製品、夕張メロンとハスカップのリキュール、ホタテの紐の燻製と鮭とば……。何れも東京人の気を惹く物ばかり。予算を気にせず買いたいな……。
中に入ると、今度はラベンダー製品、ハッカ製品、土産用のまりも、ジンギスカンのタレ、道産乳製品を用いた高級チョコレート、そして、バター飴と夕張メロン製品が奥に控えていた。もう、ワンダーランドだな。東京界隈だと物産展しかお目に掛かれない品々が堆くある。しかも、輸送料が掛かり、値段が割増になっている物産展より、札幌狸小路価格で手に入るから、うっかり財布の紐が緩みそうだぞ。さて、どれにしようかな……。
と、メロン好きの私は、夕張メロン製品コーナーに入った。キャラメルやゼリー、チョコレートはもとより、バームクーヘンやワインもある。しかも、量も存分にあって、1個2個をこぢんまり買っては何とも勿体ない。札幌人にとっては何の不思議もないものが、東京人にとっては長万部の蟹同様黄金色の存在だ。謂わば、「夕張メロン」という大金脈が此処にあるのだ。欲しい分だけ買わないと、来た甲斐が無い。
その中でゼリーを見付けた。なかなか頂けないからなぁ。私はバラ売りしている夕張メロンゼリーを手に取った。1個216円也。ご丁寧に化粧箱に入っている9個入り・12個入りもある。メロン好きな私は思わず笑みが出たが、値段を見るとやや予算オーバー。地元でも高い一品なのか……。かといって、1個2個だけだと、惨めな貧乏旅行に見られてしまうし、さて、どうするかな。
夕張メロンゼリーの前で思案すること約1分。648円の3個入りを見付けた。これ2つならそう予算に響かないだろう。と、籠に3個入りを2つ入れた。
さて、次は何にするかな。入口に戻ると、海産物やリキュール類があった。その中に、ホタテの紐の燻製やイカの口の燻製があって、思わず立ち止まった。両方とも、久し振りだな。これは酒肴にピッタリだからな。そのまま籠に入れた。
メロンゼリーにホタテの紐の燻製やイカの口の燻製の3品だけだと、北海道土産としては貧弱だから、もう一回中に入った。
別の場所に、バームクーヘンとチョコレートがあったので、品定めした。しかし、なかなか決められず、時間が勿体ないので、奥の階段で2階に上がった。絵葉書の類いがあればいいけど。
写真は、狸小路の一角にある本陣狸大明神社。 |
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2階はキタキツネやヒグマのぬいぐるみやキーホルダー、オリジナルTシャツ、ラベンダーが中に含まれている枕等あったが、台湾人観光客は誰一人いなかった。レジのスタッフも何処か暇を持て余し気味だった。
その階に絵葉書があった。ラベンダーが写っている絵葉書や白い雲が浮かんでいる広大な大地が写っている絵葉書は、何とも時間がゆったりしていて、都会人には心安らぐ。迷わず籠に入れた。
次に、ご当地キャラメルを見付けた。メロンやバターは序の口で、ハスカップやラベンダーは北海道の香りを届けてくれるが、みそラーメンキャラメル、ジンギスカンキャラメルは味覚上余り頂きたくない。その中に、普通のメロンキャラメルの2倍の濃度があるメロンキャラメルがあった。値段は通常よりも1.5倍跳ね上がるが、夕張メロンは滅多に頂けない代物。拝んで頂くか。
また1階に戻ると、北海道土産に混じって、日本製の爪切りや髭剃り、腕時計や美顔器等置かれているのを見付けた。勿論、外国人観光客に好評の高品質の国産品だが、台湾人観光客が一心不乱に品定めしている光景が、何処か土産物屋らしくなかった。気軽に買える所が土産物屋の特徴なのだが、こういった製品は家電量販店に置けばいいのを。その中に、日本のスーパーで極普通に売られているカレールーもあって苦笑必至。こんな所に爆買い連中が来て、件の電化製品を爆買いしたら、日本人観光客にとっては、本当に目障りでいい迷惑だ。
そして、もう一回1階を回って、品定めをした。先程の夕張メロンコーナーに入り、ワインやチョコレートがある中で、バームクーヘンを入れた。序でに牧場が多い北海道らしく高級バター飴を1袋。更に、ジンギスカンのタレも土産にした。流石、北海道だ。郷土料理を大事にしている姿勢が見て取れる。東京で郷土料理と言ったら何が思い浮かぶだろう。上京者はおろか東京人に聞いても、首を傾げるだろう。もんじゃ焼きと言ったら月島界隈しか知らないし、刻み玉葱が載っている八王子ラーメンは八王子界隈しか知らないしね。況してや、お洒落なフレンチやイタリアンは郷土料理にはならないし、ラーメン激戦区も郷土料理と言うには何処か迫力不足だ。だから、郷土料理が溢れている北海道に魅力を感じるのだな。
土産代は8000円近くになったが、割引券を使って5%の割引で、7600円也。
ホテルに戻った私は、「これも縁」だと思い、買った缶麦酒を開けて、ナイトキャブを娯しんだ。何でも、「クラシック」と出ているから、北海道で長く売られているのかと、麦酒に疎い私はそう考え、1口目を啜った。爽やかな喉越しとコクのある麦酒が喉を駆け走った。ホォッと溜息が出た。何しろ、八王子から札幌までの長距離移動だから。長距離移動した苦労をねぎらう為に、2口目を啜った。
ノートパソコンにあるロス・インディオスを流して、ゆっくりナイトキャブを娯しんだ。
写真は、そのナイトキャブ。 |
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