2016年1月10日 旅脚は冬の北海道に赴く(2)

(2016年1月10日) 朝の大通公園


 時40分。浅い眠りから覚めた。八王子~札幌の大移動の疲労が脱け切れていないのか、身体は鉛の如く重かった。
 私はまた、ポットで湯を沸かして、ダージリンを淹れた。砂糖も入れずにそのまま啜った。紅茶独特の渋みが口中を走った。しかし、時計を見ると、まだ6時前。普段はこんなに早く目が覚めず、こうして紅茶を啜ることなんて無かったな。
 時20分。札幌は珍しい冬の晴天だった。
 今日の行程は、JR留萌本線に乗る。その理由は、JR留萌本線の途中の留萌~増毛が廃線の沙汰がありそうなので、今の内に行っておきたいと思ったからだ。2年前のJR江差線と同じ思考だ。察するに、発着地の深川駅はまた鉄道ファンで賑わうだろう。
 狸小路から札幌駅へは、大通りをまっすぐ歩くと着く。カートはホテルに置いたので、昨日よりは幾分か身軽だが、路面が至る所で凍結していて、雪に慣れていない東京人の私の脚を、「歩けるもんなら歩いてみろ」と言わんばかり、嘲笑っているかのようだった。雪が無い所は殆どなく、人の脚で圧縮された氷が何とも厄介だ。滑らないようにと、足跡が多い雪を踏みしめるが、底が濡れているので滑り易い。朝からいい運動をさせられるわ。
 ばずに何とか歩いて、大通公園に出た。
 信号は赤だった。その間に大通公園を眺めた。右に札幌テレビ塔、左には2月に開催されるさっぽろ雪まつりの準備があった。エメラルドグリーンの重機が、堆(うずたか)く積もっている雪の上に置かれていた。
 その光景に驚いた。いちいちスコップで造っているのかと思ったら、重機を用いているとは。北海道はスケールが違うわ。
 見た所、何を造るのだろうか? シンデレラ城かな? これだと平凡過ぎる。誰かの像となると、見当が付かない。下手して政治家の像となると、権力濫用として国会で叩かれる。……だとすると、北海道新幹線かな? 長万部駅でも見たし、十分にあり得そうだ。だけど、札幌延伸は2030年の予定だ。斜陽化が止まらない北海道経済が持つかどうかが問題だ。今の所は札幌界隈が安泰だが、2030年頃はどうなっているか。道東の根室や北見、網走、道北の稚内が拙そうな気がする。釧路も帯広も旭川も、そして本州の入口の函館も他人事ではないぞ。
 話を戻して。
 処なのか。『寅次郎相合い傘』で札幌に来た寅さんが、路銀稼ぎの為に万年筆を売ることにした場所が此処だ。しかも、道連れになった名優船越英二氏演じる兵頭謙次郎というサラリーマンが、火事で倒産した万年筆工場の工員を演じ、退職金代わりとして万年筆を売っているという設定で、寅さんの友達のキャバレー歌手のリリーと一緒にサクラを演じて商売した場所である。これが何と、馬もビックリの大当たりで、路銀はザックザック稼げた流れだった。
 それにしても、何とも面白い映画だったな。一人で含み笑いしていると、信号は青になっていた。横断歩道を渡ったが、まだ札幌駅が見えてこない。確実にまっすぐに歩いているけど。
 ホテルで貰った地図を広げてみると、大した分かれ道は無いし、そのまままっすぐ行けば札幌駅に着く筈だが。
 時計台……。その3文字が映った。時計台って、あの時計台だよな。札幌市街を放送する時、必ず出てくるあの白亜の時計台だよな。時計台は札幌のシンボルだし、クラーク博士ゆかりの場所としても有名だ。調べてみると、通りを右に行って左側に見えるとある。
こんなに近いのか。
 急遽、予定変更。時計台に向かうことにした。仮に、開館していなくても、写真に収められればいいのだから。

 写真は札幌大通りからの光景。右にはテレビ塔、左には雪まつりで展示される像が造られている。



(2016年1月10日) 時計台で会った青い目の人形


 幌のオフィス街にポツンとある札幌時計台。札幌到着の夜行バスが一杯此処を往来しているので、此処が札幌だと言うことは少しは判るだろう。
 そして、時計台を遠い視線で眺めた。
 これが札幌のシンボル、時計台か……。やはり、実物を見た方が感動が強いわ。札幌に来たと実感できるから。周辺はオフィス街で、此処だけ別次元を保っているから、その存在は異様に感じる。
 中を覗くと、時計台の開館時間が8時45分からだと判り、後10分、札幌の吹き曝しの中で待つ他無かった。しかし、周りを見ると、観光客らしい人が10人程度、開館を待っていた。札幌の観光時間はこんなに早いのか。寒さをもろともしない姿は何とも逞しい。
 時計を見たら、後2分。
 私は時計台の傍のクラーク博士の写真が飾られている場所を見付けた。立派な口髭を生やしているクラーク博士は、今でも語り継がれている名句を残している。「Boys,be ambitious.」だ。北海道人なら、忘れてはいけない名句だ。「ボーイズ、ビー、アンビシャス」で、「少年よ、大志を抱け」ということだ。斜陽化している北海道経済を立て直す起爆剤になって欲しいな。
 実は、この後に続きがあるのだ。
 「like this oldman.」という台詞だ。「like」は「好き・好んでいる」という役だが、「be like ~」となると「~のように」となる。つまり、これは、「この老人のように」という直訳になるのだが、此処に来るまでクラーク博士は、様々な経験や労苦を重ねてきたので、「様々な経験を積んだ、この私のように」と訳するのが映えるだろう。
 ょっとしたトリビアを披露したら、開館時間の8時45分になった。入場券を買ったら、丁度札幌テレビ塔共通入場券があったので、それにした。JR留萌本線乗車後の行程が自ずと決まったな。
 時計台には、友好の為にアメリカから贈られてきた青い目の人形がある。昭和2年に贈られた人形だが、人形本体に傷みは殆ど無く、朝早くからの来訪者を迎えていた。約12000体贈られてきた青い目の人形で、その珍しさに大切に保存された。当時の童謡にも採用されていたが、太平洋戦争勃発と同時に、人形の運命は180度暗転した。敵国の人形は言語道断とばかり、次々に破壊された。中には首だけ破壊された人形もあり、子供達が実らせていた平和の証は、空しくも大人のエゴに因って破壊されたのだ。しかし中には、奉安殿(戦前、教育勅語や天皇皇后両陛下の御尊影が安置されていた建物)や神社の庫裏に隠して、難を逃れた人形もある。この人形もその災難を潜り抜けて、平成の世に残っているのだ。

 上は札幌のシンボルの一つ、札幌時計台。
 下はアメリカから贈られた青い目の人形。



(2016年1月10日) 時計台に詰め込まれている秘宝

 史の証人である青い目の人形に挨拶した後は、奥にある札幌農学校時代のコーナーにいた。この時計台は札幌農学校の校舎や武術の練習場として利用されていた。
 クラーク博士が赴任した当時は、問題児ばかり抱えていて、お先真っ暗の状態であった。食い扶持が殆ど無かった士族の二男坊、三男坊が主な生徒であり、まだ門閥の垣根が残っていた。特に、戊辰戦争で敵対していた藩が一緒になると言うことは屈辱に等しく、喧嘩が全く絶えなかった。それを封じる為、事細かな校則を設けていた所に、クラーク博士が赴任してきたのだ。その博士が用いた策は何とも型破りだった。酒ばかり呷っている生徒に対し、愛飲のワインを眼前で叩き割ったり、事細かに定めていた校則要項を生徒の前で平然と破り捨て、唖然呆然としていた生徒達に、「Be gentleman.(紳士たれ)」とたった1つの校則を作ったりして、農学校の教育に腐心した。そして、出世の糸口が無かった生徒達を次々に立ち直らせ、そして、涙の別れの時に件の名句を言って別れたのだ。
 その中で、私は「イエスを信じる者の誓約」に興味を惹かれた。誓約書に署名した生徒の中に新渡戸稲造や内村鑑三の名がある。実は、彼が在学中に宣教師のハリスが来日し、洗礼を受けてクリスチャンになったのだ。しかし、それが彼らの人生を大きく左右することになる。内村は教師をしていた時に、教育勅語の読み上げの際に行われる最敬礼を軽くお辞儀したことで、不敬罪として扱われ教育界を追われた。新渡戸は渡米中に出会ったプロテスタントの一派のクエーカー派の親友を通して、最高の伴侶と出逢い結婚した。新渡戸は最高の結果として、内村は教育界を追放されても信仰を捨てることなく、一生クリスチャンとして一生涯を貫いた。
 その隣にあるのは、教師が頂いた白鳥と鹿のローストや鹿のブラウンシチュー風の食事のサンプルだ。最近、至る所で獣害が頻繁に起きているから、鹿のローストやブラウンシチューは、北海道の名産品の一つにしたらいいかも。ひょっとしたら、北海道経済に立て直しに一役買うかも知れないぞ。余所者のご意見だが、ご参考に。
 た、此処札幌を舞台にした歌謡曲のジャケットも展示されていた。私が真っ先に思い付くのは、『ブランデーグラス』、『嵐を呼ぶ男』で有名な石原裕次郎の『恋の街札幌』だ。あるかなと、目で追っていたら、あったよ。しかも、ちゃっかり時計台をバックにしていて、ポーズも見事決まっていた。彼が亡くなって幾星霜、根強いファンが多く、日本各地に彼を讃えるバーがある。此処札幌にもあるのかな。生まれ故郷の小樽には、彼の資料館があるから(2017年8月に閉館)、小樽にもある確率は高い。
 他のを見ても、時計台が写っているジャケットは結構ある。それ程、札幌のシンボルなのだなぁ。
 た此処には、著名な卒業者コーナーがあり、多くの著名人の札幌農学校時代の足跡が印されていた。先述の新渡戸稲造や内村鑑三もいたが、その中に『生まれ出づる悩み』、『カインの末裔』の作者有島武郎を見付けた。彼も、此処の卒業生なのか? 作品名や生涯は概ね知っているが、札幌農学校出身とは初耳だった。
 実際彼は、高級官僚から実業家に転身し、財を成した父親を持った二代目で、札幌農学校に入学したのは、父親が北海道に広大な牧場を持っていたのか、この牧場を譲られたのかは知らないが、とにかく、彼は此処の卒業生だった。
 卒業後は、作家との二足草鞋を履いていたが、自分の恵まれた生い立ちと小作農の極貧生活の格差、そして、作家としての力量不足に悩み続けた。そこで彼は大胆な行動に出てしまう。広大な牧場を何と、小作農に開放してしまったのだ。そして、人妻と禁断の恋に走ってしまい、切羽詰まって軽井沢で情死を遂げた。私には、情死に対する思いもやりきれない気持ちがある。財を持っている二代目が、自らの財を放出し、そして、愛する女性と情死を遂げる。「少年よ、大志を抱け」とは掛け離れているが、その生き方は何処か情熱的だ。

 写真は時計台の2階部分。武術の練習場として使われた。



(2016年1月10日) 札幌駅で感じたワンダーランド


 計台を出た私は、再び大通りに出て、赤れんが庁舎を撮って、新しくも風格抜群の建物に囲まれたJR札幌駅に向かった。札幌駅には堂々と「3月26日、北海道新幹線開業」と出ていた。開業と言っても、札幌から南西に位置する北斗市の新函館北斗(渡島大野から改称)という何処か取って付けた名前の駅まで開業するのだ。当の札幌開業は2030年とあるので、後14年だ。
 私が乗る特急列車は、9時30分発の「スーパーカムイ」9号。「カムイ」はアイヌ語で、漢字で書くと「神居」と「神威」となり、前者は「神が住む」という意味で、後者は「神の力」という意味で、何処か尊い(蛇足だが、旭川近くに函館本線の旧線にあった「神居古潭(かむいこたん)」もその流れ)。
 今思い出したが、朝餉はまだだったな。と、駅弁売り場に向かった。流石、北海道だ。色々な駅弁が犇(ひし)めいている。海の幸山の幸満載だ。さて、どれにしようかな。見付けたのは、北海道名物発熱式のジンギスカン弁当だった。これにするか。これを頂きながら、留萌本線に乗るとするか。丁度、クロスシートかボックスシートがあれば、車窓からの景色も同時に堪能できる。冬景色を眺めながら熱々のジンギスカン弁当を抓む、冬の北海道でしかできない贅沢だ。
 番線の特急乗り場に入った。既に行列ができていて、特急到着を白い呼吸を吐き、列車内の温かさを期待しながら寒そうに待っていた。その間にも、特急「すずらん」・「オホーツク」が到着し、新宿駅顔負けの殷賑を余所者の私に見せていた。一番面白かったのは、非電化路線を走るディーゼル気動車の先頭車両で、半分程がディーゼル機器に占領されているのだ。特急「オホーツク」はその名の通り、雪が厳しいオホーツク海沿岸の都市、北見や網走を走るので、この位ディーゼル機器が無いと、北海道の雪原を疾走できないのだろう。これを知ると、東京人にとって北海道はワンダーランドに感じられる。

 写真は札幌駅に到着した特急列車。上から特急「すずらん」、「オホーツク」。



(2016年1月10日) 処女雪と樅の木の岩見沢


 時30分、定刻で出発した特急「スーパーカムイ」9号は、青空の札幌を発った。豊平(とよひら)川、月寒(つきさむ)川、そして表面が凍った夕張川を渡り、最初の停車駅岩見沢へ向かった。
 特急は市街地から離れ、広大な処女雪が広がる大地を疾走した。青空と処女雪という色彩的にも見映えが素晴らしい大地を、次々に撮り続けた。
 流石、北海道だな。東京界隈じゃまず見られないな。そう思うと、此処はワンダーランドだな。こんな所で雪合戦をしたら、凄く盛り上がりそうだな。
 すると、樅の木林に入った。樅の木も北海道のイメージが強いし、1997年に倒産した「たくぎん」こと北海道拓殖銀行のマークも樅の木だった。それはさておき、背の高い樅の木は防雪作用があるが、細い枝に無造作に積もっている雪が何とも重そうだ。ボキッと折れてしまわないか。
 野幌付近の樅の木林で一首。
 端くれの熊笹輝く朝の雪残雪重しか樅の木林

 て、留萌本線のことを考えるか。私は鞄から、時刻表を取り出して、留萌本線のページを開いて、時刻を照らし合わせながら思案していた。北海道は、東京のように1~2分での一発勝負の乗り換えが殆ど無いからいいけど、時間が結構融通が利かない所があるから、難しいのだ。11時8分の深川発の列車に乗ると、終点増毛到着は12時47分とある。しかし、滞在時間は僅か10分。この10分間で、増毛駅の美味しい所を撮らなければいけないのだ。それを逃したら、3時間後だ。増毛駅撮影時間には、余りにも時間がありすぎる。だから、難しいのだ。札幌観光もしてみたいし、増毛駅での10分にしておくか。
 刻表を閉じて、私は処女雪が延々と続く石狩平野を眺めていた。しかし、冬の北海道は雪ばかり降っているのかと思っていたが、こんな青空が見えることもあるんだ。色彩的魅力もあるが、冬の北海道で見事な晴れ間に出会えるとは、思ってもみなかった。余計もう一つの北国の顔が覗けるとばかり、景色を見ることに貪欲になるのだ。
 延々と処女雪と青空が続いているが、突如現れた鋼鉄製の防雪柵は、白と黒と対照的な色でどうも不格好に見えた。
 岩見沢付近の樅の木林で一句。
 腕垂らし春待つ痩身冬の樅

 急は岩見沢に到着した。すると、構内に黄色いラッセル(除雪)車が停車していたので、席を立った。東京では、全然見られないから、感動して1枚撮った。
 すると、余所者の私へのサービスなのか、そのラッセル車が動き出して、雪を掻き出し始めた。しかも、進行方向に向かって、除雪していた。
 岩見沢を出ると、処女雪が延々と続いていて、何処か道路なのか畑なのか、区別が全く付かなかった。何センチ積もっているのだ。下手に踏んだら、膝まで埋まってしまいそうだ。時折、民家が見えるが、どんな営みを送っているのだろう。まず、東京人が此処に移住するのは無理だろう……。僅か10センチの積雪でパニックを食っている限り。それだけで「災害に弱い東京人だ」と嘲笑の的になるからだ。
 本当に珍しい処女雪の大地を撮していると、青空は次第に小さくなり、薄灰色した雪雲が覆い始めた。地平線の色彩差が小さくなっていき、冬の北海道の原形が見えてきた。寒さが車窓を飛び越してきた。
 処女雪を眺めて一句。
 処女雪の足跡温もる空知かな

 上は処女雪が延々と続く石狩平野。
 下は岩見沢駅で偶然見付けたラッセル車。



(2016年1月10日) 美唄と砂川で見た驚きの処女雪


 くに見えるポプラ並木を眺めていると、美唄(びばい)に到着した。昔、此処から南美唄まで支線があったが、1973年に廃止になっている。
 屋根が無い部分の美唄駅ホームは、駅名標の脚まで堆(うずたか)く積雪していた。私は桁外れの積雪に絶句し、思わず1枚撮った。
 平原に綺麗に積もっていて、感動の溜息が出る処女雪もあれば、闇雲に堆く積もっていて、雪国の積雪量に絶句する処女雪もあるのだ。美唄駅での処女雪は、驚きしかもたらさない。こんな雪だ。吹き曝しの場所で乗ったり降りたりする人はいない証拠になる。更に、軒下の細長い氷柱にも絶句した。先端が鋭く尖った氷柱は、まさに北国特有の凶器でもある。
 そんな私の目に飛び込んできたのは、美唄駅前にある「ローヤルホテル」の看板が出ているタイル張りのビルだった。ローヤル(高級)の和訳を知っている私は、そのビルを見るなり苦笑した。ビルには壁時計が設置されているが、よく見ると既に時針や分針が外されていた。しかも、そのビルの名前は、見事な看板倒れで苦笑に拍車を掛けた。建てた時は「看板に偽りなし」だったが、数十年を経たら下手な洒落になっていることはよくある。
 た雪景色を眺めて、砂川に到着した。この砂川も美唄同様、上砂川に向かう函館本線支線と歌志内に向かうJR歌志内線があったが、上砂川は1992年に、歌志内線は1988年に廃止になっている。何れも北海道経済の斜陽化の犠牲になった路線だ。
 砂川到着時には、駅名標の半分まで積雪していて、美唄以上の桁外れの積雪に絶句した。此処でも、デジタルカメラの出番が来たが、周囲の乗客は特に動じる気配は無かった。これを見れば、誰が地元の人か余所者か一目瞭然だ。
 川に到着しても、堆く積雪している状況は相変わらずだが、私の表情が曇り始めた。これから向かう留萌・増毛方面はもっと酷くなっている可能性は否定できない。また、こんな積雪で深川に到着するや否や運休になったり、留萌辺りで立ち往生したりしたら、計画変更を取らざるを得ないし、札幌観光ができなくなる可能性だってあるな。果たして、深川到着時には如何なることになっているのか。要らぬ博打を打つことになった。
 その憂いごとも、徐々に広がっていく青空で掻き消され、深川到着時には何とか青空に恵まれた。

 写真は雪に埋もれた美唄と砂川。



(2016年1月10日) 深川駅の留萌本線

 10時35分、特急「スーパーカムイ」9号は、静まるディーゼル音を轟かせながら、3番線に滑り込んできた。数人が吐き出された中に、痩身の旅人がいた。
 すると、向かいの4番線にステンレス製の車体に赤い線が入っている1両編成の列車が停車していて、既に行列ができていた。一様にリュックサックに高性能カメラを携えている。どう見ても、鉄道ファンの姿だ。恐らく、増毛まで乗車するのだろう。留萌~増毛の廃線が取り沙汰されている以上、このような行列は大方そうだろう。この1両編成に多くの鉄道ファンと一般利用客を併せて賄えるのだろうか。しかし、発車30分前なのに、並んでいるとは。数えてみたら5~6人だが、いい席が取れるかどうかだな。留萌本線が運行する博打には勝ったが、いい席が取れるかどうかの博打を打つことになった。
 は行列の最後尾に並んだ。しかし、周囲の視線が異常に感じる。周囲はリュックサックに高性能カメラを携えた人がいるが、私は肩掛けの鞄だけだから軽装に見える。「私は、あなた方と同じく、増毛まで乗車して車窓からの景色を撮りに来たのだ。」と言いたいけど、持っているカメラがコンパクトなデジタルカメラで、迫力負けしているようなので、悪足掻きにしか感じないだろう。
 そう思い込んだら、右側からもう1両増結された。もし、2両編成で運転されるなら、着席確率は格段に上がるが、しかし、ドアが開いたのは元々停車した列車だけ。後ろの1両は何なのだ?
 5~6人の後ならば、席は選り取り見取りかと思いきや、クロスシートはすぐに埋まってしまい、座れたのは何とドアの前後にあるロングシートだった。これでは、車窓からの景色を見るには、いちいち首を捻らなければいけない。車内は立ちんぼがいない程度だ。この博打は負けたな……。人数の多さとか関係ないから、余計悔しい。
 うだ。札幌で買ったジンギスカン弁当でも頂くとするか。
 ジンギスカンは鉄兜形のプレートに、緑黄色野菜とラム肉を焼いて、タレを付けて頂く北海道の郷土料理だ。2年前の函館観光の折に頂いた。丁度ワンコインでジンギスカン丼があったので単品で注文したら、味噌汁と小鉢が付いた定食に変更してくれた嬉しい思い出がある。ラム肉は癖があるので好き嫌いは各々だが、私は難無く頂ける。留萌本線の雪景色を眺めながら、ジンギスカンを頂くなんて、流石北海道でしか堪能できない贅沢だ。早速、発熱の紐を引いて約8分待った。
 所が、その8分の間に乗車する人が多くなり、さて頂こうとした時には立ちんぼが一杯いて、食事云々は難しい状況になっていた。私はバツ悪そうに、その弁当を仕舞って、出発を待った。

 写真はJR留萌本線。



(2016年1月10日) 雪に覆われたローカル鉄道

 11時8分、増毛行きが発った。ロングシートに座っている私は、首を捻りジンギスカン弁当が冷めてしまわないか心配しながら、雪の北一已(きたいちやん)に向かった。
 そして、数分もしない内に、青空は雪雲に覆われてしまい、車窓は一気に曇り始めた。私は逐一、ハンカチで車窓を拭いて視界を確保し、景色を撮ろうとしているが、単なる雪原が延々と続いていて、決定打に欠けていた。しかも、車内は暖房が入っているのにも拘わらず、外気の寒さが伝染してしまい、札幌で買った温かい緑茶に手が伸びた。多少温くなっているが、僅かな暖を期待したい。そうしている間に、車窓は曇り始め、またハンカチで拭う手間ができた。
 一已、秩父別(ちっぷべつ)、北秩父別(この便は通過)と過ぎ、石狩沼田に到着した。此処でも、砂川同様の景色が待っていた。駅名標が半分程雪で埋まっていたのだ。慌てて拭いた車窓から撮ったが、見たことのない積雪に絶句した。
 ふと過ぎる不安。留萌や増毛は大丈夫かな……。この程度の雪では、運休にはならないと思うけど、景色は思ったより平凡で、デジタルカメラの準備は調っているが、出番は無かった。しかも、降車する人は殆どいなかったので、混雑振りは相変わらずだった。こんな状況で、景色を撮る為にいちいち首を捻ったり、座席を移動したりするのは、聊か迷惑を掛けてしまう。
 狩沼田を発った列車はまた、力強いディーゼル音を轟かせながら、雪中を疾走した。相変わらず後ろの1両は開かずの間だった。車窓からの景色は殆ど面白味が無かったので、暫く黙っていた。
 見た所、リュックサックを抱えている人が多い。恐らく、この人達も廃線の沙汰を聞いて、乗車しに来た人達だろう。
 北海道経済の斜陽化の犠牲となるローカル線だが、今度は何処が廃線になるのだ? 廃線になったら、バス転換されるのが常套手段だが、こんな雪道を列車のようにスピーディに移動できるとは到底思えない。近視眼で浅知恵がましい手段だが、沿線人口の減少をどう食い止めるかが問題なので、難しい所だ。
 車は留萌に向かっていた。しかし、車内の混雑は相変わらず。私は逐一曇った窓を拭きながら、景色を期待していたが、白と灰色に彩られた無味乾燥な雪景色しか見られなかった。
 このまま増毛に向かっても、車窓からの景色は期待できない上、列車の撮影も終点増毛まで乗車している多くの鉄道ファンに遮られて、いい一枚は撮れないと判断した私は、留萌で引き返す結論を出した。
 当初の希望だった増毛までの乗車は断念。この博打は放棄した。

 写真は雪に埋もれた石狩沼田。



(2016年1月10日) 寂れ掛けた中継駅



 車は漸く、沿線の中継駅である留萌に到着した。
 かつては日本海側の港町羽幌を経由して、稚内方面に延びていた国鉄羽幌線や留萌港で捕れた魚を捌いていた専用線等があって殷賑を誇っていた留萌だが、今は深川からの列車と増毛からの列車でのスタフ交換(単線区間で、通票と呼ばれるものを持っている(判り易く言えば、通行手形)列車だけが、一定区間運行できる)を担うだけになってしまった。
 萌で本格的な降車があった。降車した人の行動は殆ど一様だ。列車やラッセル車を撮ったり、廃止沙汰されている増毛方面を撮ったり、殆ど空き地になってしまった留萌駅構内のかつての殷賑を偲びながら撮ったり、改札を出て留萌駅・増毛駅の入場券を買ったりしていた。成程、廃止の噂が立つと、ガッと詰め掛けて、その路線の花道を飾ったりして、売り上げアップに貢献しているのだ。その時、一般客はかつての殷賑を偲んだりしているのかな。
 萌駅・増毛駅の入場券を買いに、私は改札を出た。此処でも、数人が行列を作っていた。しかし、捌くのは1人だけ。途中、改札を抜ける人がいたら、すぐさま対応しなければいけないので、その間、切符売りは中断される。しかも、改札を抜けた人は切符を買いに、行列の後ろに立つので、時間との勝負になる。此処での時間は僅か10分なので、1秒でも惜しいのだ。全く、留萌くんだりで東京同様の時間に追われる愚かな行為に走ってしまうなんて。放棄していた博打が復活した。こんな時に限って、10分はなんて短く感じられるのだ!
 とか、件の入場券が買えた私は、もう一度改札を通って、ホームに入った。すると、連結されていた増毛行きの後ろ1両が分離されて、深川行きとなっていた。留萌始発だったのだ。
 その列車のドアが開き、がら空きのクロスシートに荷物を置いた。そして、もう一回ホームに出た。
 私は彼らに負けじとばかり、瞬く間に列車や駅構内を撮る一人の鉄道ファンに変身した。その一枚に、跨線橋の出入口が透明シートで塞がれ、列車の到着が無い2・3番線ホームや、かつて羽幌線ホームがあった空き地等があるが、雪一色の原野しか写らず、これで留萌駅の殷賑を語るには難しい。かといって、夏場は草ボーボーのみっともない荒れ地が延々と続いているかと思えば、こっちの方がましだ。
 手袋を脱いで、そのままシャッターを切るのは震えた。針のような鋭い寒さが、手全体を覆い、温かい血液が寒さで凝固するのかと感じた。北海道の冬は温々育っている東京人に、北の大地の掟を叩き込ませているかのようだ。

 上は留萌の駅名標。
 中は増毛まで行けなかった悔しさを胸に、増毛を思い一枚撮った。
 下はかつての殷賑を語る留萌駅構内。あの奥に、かつての羽幌線のホームがあった。



(2016年1月10日) 雪降る留萌本線



 12時15分、深川行きが発った。あんなに混雑していた増毛行きの列車とはうって違って、乗客は私だけのようだった。そんな中、先程の留萌駅で買った増毛駅の入場券を眺めた。これも、機会があれば行きたいな。列車で行くことは叶わなかったが、札幌からバスが運行しているらしいので、それで行くとするか。問題は駅構内が廃線後にどうなっているかだ。出雲にある旧大社駅のように建物や線路が残っていたらいいけど。何とか駅舎は、旧広尾線の広尾駅のようにバスの待合室とか再利用して貰いたい。
 は深川で温めてそれっきりのジンギスカン弁当を取り出して、昼餉を摂った。ラム肉に人参、カボチャ、ピーマンの緑黄色野菜が載っている、ボリュームたっぷりの弁当だ。流石に東京では売っていないだろうね。
 雪に包まれた留萌川を撮った後に、ラム肉を抓んだ。独特の癖があり好き嫌いが分かれるが、私は何ともない。噛み応えがある厚目のラム肉が食欲を倍加させた。冷め掛けているが、何とか頂ける。
 ジンギスカン弁当を頂いて、札幌で買った無糖紅茶を軽く啜った。そして、何の面白味のない雪景色を眺めていた。でも、デジタルカメラの準備は調っている。こんな路線でも、いいショットが1つは2つはある筈だから。
 幌糠も峠下も、ホームや駅名標が雪に埋もれてしまっている。利用客がいない証拠だ。しかも、藤山と幌糠の間に桜庭駅が、そして幌糠と峠下の間に東幌糠駅があったが、2006年に廃止された。まだ跡らしい箇所はあるかなと、雪景色の中を捜していたが、幌糠駅の駅名標の右が新しく「とうげした」と貼られていた。これで、東幌糠駅があったことを立証するにはやや弱い気がする。
 幌糠駅で一句。
 地吹雪に埋もれ客待つ停留所

 本の道路が線路に沿って続いているが、ふと見付けた「雨竜(うりゅう)・碧水(へきすい)」の文字。これも、廃止された駅名だ。詳細は石狩沼田で話すとしよう。
 さて、枯れ木が延々と続く山道を走る列車だが、次第に飽きが来てしまった。そんな時、恵比島に到着した。NHK連続テレビ小説『すずらん』で有名になった明日萌(あしもい)駅のモデルになった駅だ。そのこともあってか、木造駅舎は立派だ。しかし、雪深い時に訪れる人は誰もなく、静かに列車は発った。
 恵比島駅で一首。
 処女雪の踏みし者無し静寂の明日萌(あしもい)駅に雪は降りける

 狩沼田。今は留萌本線の小さな駅だが、かつては新十津川経由で札幌まで繋いでいた札沼線(札幌の「札」と石狩沼田の「沼」で札沼線)が延びていた。昭和47年に新十津川~石狩沼田が廃止されたが、もし現存していたら、札幌のベッドタウンとして、人口流出が抑えられただろう。そして、先述の「雨竜」と「碧水」は札沼線の駅だったのだ。
 秩父別・北一已。正しく読める余所者は、精々鉄道ファン位だろう。秩父別は「ちっぷべつ」、北一已は「きたいちやん」と読む。発音とい漢字とい、何処かアイヌ語らしい風格がある。北海道の都市名の由来は、殆どがアイヌ語から来ていて、自然を崇拝する意味が込められているのだ。また、アイヌの織物ユーカラや(網走で開催される)オロチョンの火祭り等のアイヌ文化を後世に残す運動は続いている。

 上は社内で頂いたジンギスカン弁当(イメージ)。
 中は峠下駅の駅名標。よく見ると、左側が新しく貼られていて、かつて駅があったことを証明させてくれる。
 下はNHK連続テレビ小説『すずらん』で有名になった明日萌(あしもい)駅のモデルになった駅恵比島駅。しっかりと「明日萌駅」と表記されている。



(2016年1月10日) 仕切り直しの札幌観光


 13時10分、深川到着。
 これから札幌へ戻るのだが、13分発の特急「スーパーカムイ」22号がある。僅か3分では小一時間鈍行に揺られた身体を解すには少ないので、次の34分発の特急「オホーツク」4号で戻ることにした。
 私は一旦改札を出て、待合所で軽く体操を施した。大して身体は動かしていないが、往復2時間も列車に揺られると怠さを憶える。節々がポキポキ鳴っていた。外は雪が降っている最中で、僅か24分で駅周辺をぶらつくことはできない。その代わり、増毛行きの表示が出ている電光掲示板を撮った。これで、増毛まで列車が通っていたいい証拠になるからね。だけど、機会があれば、増毛に行ってみたい。駅に備え付けてある分厚い時刻表だと、先述の通り、札幌から増毛までバスが出ているそうだから。
 34分発の特急「オホーツク」4号で、札幌へ戻った。
 雪を蹴飛ばし、ディーゼル音を轟かせて疾走した特急「オホーツク」は、雪の滝川に停車し、雪に包まれた砂川、美唄を通過した。途中の岩見沢から晴れ間が見えてきた。雪が降ったり晴れ間が見えたりして、全く冬の北海道の天気は気紛れだな、コリャ。
 気紛れの天気を見届けて、札幌に向かった。
 砂川の樅の木林で一句。
 積もる雪力自慢だ樅の枝

 幌到着、14時45分。9時30分に札幌を発ったから、約5時間掛けて、留萌本線に乗車しに行ったことになる。
 さて、ジンギスカン弁当で満たした腹が、概ね空いてきたので、駅構内にあるハンバーガーショップに入って、一服するか。
 はチーズバーガーを頂きながら、これからの行程を練り直しを図った。増毛まで行けなかったから、その分の時間は空いている。しかも、今日は今年(2016年)の3月で廃止になる夜行列車を撮る為に、出掛けなくてはいけないから、この間の時間がスッポリ埋められる行程が欲しい。さて、何処がいいかな。
 さて、何処がいい? 札幌の観光地と言えば……。一人旅の経験と得意な国内地理の知識を動員して、候補を出した。定山渓温泉は札幌市の郊外にある温泉街だが、「渓」と出ているから、平地の札幌都心から相当ありそうだ。往復でどの位掛かるのだ? 大通公園は今朝立ち寄ったから必要ないし。でも、今朝の時計台で買ったテレビ塔の共通券を使わないと、勿体ない気がするし。候補は定山渓温泉、札幌テレビ塔に絞られた。
 札を抜けて、観光案内所で定山渓温泉の都合を聞いたが、片道で約1時間20分掛かることが判った。そこで温泉に入ったとしたら、往復約2時間40分も掛かり、下手すると、19時を過ぎてしまい、行動範囲が狭くなってしまう。現在15時10分前後。どうしようかと決断を迫られた。私は定山渓温泉の往復時間と滞在時間を計算した結果、定山渓温泉は断念した。
 観光案内所を出た私は、僅かに残ったテレビ塔だけの札幌観光に愚痴を零した。テレビ塔だけで2~3時間も過ごすのは、到底出来ないからだ。
 そこでもう一回、観光案内所に入り、周辺をくまなく捜した。初めての札幌観光になるので、一発で決めよう。目をジロジロ動かすこと数秒。円山公園内にある北海道神宮を見付けた。
 決め打ちで、北海道神宮に決めた。

 上は深川駅の増毛行きの普通列車を表示する電光掲示板。
 下は深川に到着した特急「オホーツク」。



(2016年1月10日) 円山公園と開拓神社


 海道神宮は地下鉄大通駅から東西線に乗り換えて、円山公園が最寄り駅だ。
 円山公園駅を出ると、東京と見紛う程の大通りや往来がある。雪は降っていないが、泥にまみれた雪が往来を覆っていて、スムースな歩きを滞らせる。
 駅から歩いて5分も経たない内に、森に囲まれた円山公園が見えてくる。皆一様に雪で足場が悪いのにも拘わらず、円山公園に吸い込まれるように入っていく。この円山公園には動物園や野球場もあって、札幌市民の憩いの場となっているが、北海道神宮はこの円山公園に隣接している。
 山公園に入ったら、泥まみれの雪は無くなったが、踏み固められて滑り易くなっている雪が、余所者の私を出迎えた。それも、何処か道やら全く判らない程、雪に覆われている。多分、踏み固められた雪を追えば、北海道神宮に行けるのではと思い、多数の足跡が残る雪道を歩いていた。
 慣れない雪道を歩く途中、雪に埋もれた坂道が現れた。此処で台湾人観光客は滑り易い坂道を余所に、記念写真を撮っていた。滑り易い欠点よりも雪の珍しさが勝っているようだ。かたや、滑り易い欠点が勝っている私は、足下をしっかり踏み締めながら、黙々と雪の坂道を上がった。雪が無くなったら、緩やかな階段になっているだろう。
 道が終わると、左手に北海道開拓者を祀った開拓神社を見付けると、すぐさま1枚撮った。北海道にゆかりがある人物は江戸時代に蝦夷地探索をした松浦武四郎、サハリン島と大陸の間に海峡があり、その人物の名が冠されている間宮林蔵、蝦夷地やサハリン、更に北方四島を探索し、ロシア語やアイヌ語が堪能だった最上徳内等がいるが、肝心のアイヌの英雄シャクシャインの名が無かったのには疑いを持つ。当時の松前藩の過酷な搾取に苦しめられたアイヌを救おうと蜂起したので、日本人が祀る神社に祀るのは罷り通らない日本人の偏狭視野なのか、それとも、最後は松前藩に毒殺された彼を神社に祀るのは、彼に対して失礼ではないかという配慮なのか。アイヌ文化が地名等に色濃く残り、日本神話の匂いが皆無に等しい北海道に、アイヌ文化に関係ない神社があるとは賛否両論があるが、あの伊勢神宮だって、周辺の神も平等に祀っているのだから、寛容な心で接し給え。

 上は冬の円山公園。時期になるといい絵になりそうだ。
 下は北海道にゆかりがある偉人を祀っている開拓神社。



(2016年1月10日) 旅先での初詣

 道を歩くと、左右に飲食物の露店が出ていた。その光景に足が止まった。何かイベントでもあるのか? でも、1月初旬の時期を見たら、初詣の出店だと判った。普通のたこ焼きやお好み焼き、フランクフルトやらあるが、いも団子という北海道名物を売っている露店もあった。店を覆うシートの造りを見たら、周りの派手な様相とは異なり、黄色いシートに「北海道名物 いもだんご」と書かれていただけ。
 初詣か……。余り縁が無かったなぁ。最近だと、2012年と2013年に行ったきりだし、それ以前となると、川越在住時に親戚と一緒に喜多院に、初詣に出掛けたことが朧気に憶えているけど。真逆、札幌観光の最中で、初詣に出くわすとはねぇ。
 賑やかな露店に挟まれた参道を歩いて、私は本殿に向かった。
 海道神宮は外国人観光客が目立っていて、物珍しげに日本の神社を撮影していた。豪華絢爛が目に余る日光東照宮よりも魅力的なのだろう。一体、何処に惹かれるのだろうか? 日本の神社にしかない特有の美なのか、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)からの日本神話の神聖さなのか。そんなことを考えていると、中国語が時折飛び交う。昨今の中国人観光客の爆買いは物凄いものがあるが、日本独特の文化に触れた話は余り聞かない。
 まぁ、そんなことはさておき、デジタルカメラで神門前を撮った後、本殿で参拝した。
 丁度本殿では、神楽舞の祈祷が行われていて、あたかも私が此処に来たことを歓迎しているかの如く神楽が流れていた。何だか、留萌で引き返したのが正解だったような、そんな気がする。
 私は北海道の旅ができたことを感謝した。その感謝の意の神楽がまだ流れていた。
 その神楽にゆっくり陶酔しながら、お神籖を引いた。
 お神籖は何と大吉を引いた。思わず、ガッツポーズを取った。しかも、旅行は「旅先利得あり」、恋愛は何と「この人なら幸せあり」という最高の結果だ。もしかしたら、私の未来の花嫁はすぐ近くまで来ているのかも知れないな。四十路予備軍に入っていて、いよいよ独身貴族であることに焦りを感じつつある中でのこの結果は、何よりも嬉しかった。

 写真は北海道神宮本殿。



(2016年1月10日) タワーでの記念写真

 下鉄で大通に戻った私は、札幌テレビ塔へ向かった。その途中で、観光案内の係員に藻岩山展望台を勧めてくれた。しかも、割引券も貰った。思わぬ実入りだな、コリャ。流石に東京ではこんな風にサービスしてくれないだろう。
 地下鉄車内で、テレビ塔の後に藻岩山に向かうかどうか考えた。計画に入っていないが、夜景が写っている割引券を見たら、もしかしたら今日は見られるのではと期待を持った。とにかく、藻岩山は保留とするか。
 通駅と札幌テレビ塔は直結していて、外の冷気に触れずに中に入れた。タワーは千葉ポートタワー、名古屋テレビ塔、京都タワー、通天閣、あべのハルカスと様々行ったが、私は或る意味娯しみだった。此処からの眺望次第で「リトル東京」の忌まわしき汚名が返上できるからだ。
 展望台へは、スカイラウンジで別のエレベーターに乗り換えるのだが、此処で記念写真を撮る。大抵タワーの類いは記念として写真を撮らされるのだ。買うのは個人の自由だが、余りにも追従過ぎる。これを日本の米国追従に繋がると言っても過言ではない。よう判るな。
 次々に記念写真を撮られて、展望台へ繋がるエレベーターに向かうのだが、今朝剃った髭の濃さが自棄に気になる。どんなに上手く剃れたとしても、夕方になるとかなり目立つから、頻りに顎を撫でた。生えている感触が弱く、不快な髭ではなさそうだ。まぁ、いいか。
 記念写真を撮り終えたら、丁度エレベーターが行った。何だか、置いてけぼりを食っているかみたいだ。
 展望台へ繋がるエレベーターに乗った。黄昏ゆく札幌に眺望に目を輝かせていたが、私は高所恐怖症なので、ノンビリと眺望を娯しむ訳にはいかなかった。
 よく見ると、タワーの部品の一つ一つが、多くのボルトで固定されている。これでよくあのタワーが支えられていると思うと、グングン上っていくエレベーターが怖くなってくる。もし、此処で閉じ込められたら、パニックを食いそうだ。鼓動を徐々に昂ぶらせながら、展望台へ向かうエレベーター。

 写真はライトアップした札幌テレビ塔。



(2016年1月10日) 黄昏のテレビ塔で眺める札幌市街



 望台へ到着した。先程のエレベーターに乗った来訪者と一緒に札幌市街の夜景を眺めた。丁度黄昏時で、街灯の煌めきが増してくるいいタイミングだ。しかし、高所恐怖症の私は、チラッと見るなり、遠くの景色に目をやった。
 最初に目に飛び込んできたのは、市街を流れる細い川だ。創成(そうせい)川という。その川の両側に遊歩道などが設けられていて、一定間隔沿いに橋が架けられていて、ふと碁盤の目状に市街を成している京都市を彷彿させる。京都市と違う点は、風格ある建物がさほど多くないことだ。東京でも見られる高層ビルが意地悪そうに、札幌の空を蔓延(はびこ)っている。「リトル東京」の汚名は尚強くなった。
 ズームで市街地を撮ると、東京のように延々と市街地が続いているが、よく見ると地平線が森林になっていて、都会と田舎の境界線を為していた。此処は東京と違う点だし、空気がよりよいのでクッキリ見えた。あの森林から見る札幌市街は、如何なるものかな。田舎から一気に都会になるので、心身が付いて行けるか。断念した定山渓も、札幌市街(札幌市南区)に入るので、尚更だ。何だか、都会と田舎が隣り合わせの大都会だ。差し詰め、千葉ポートタワーで見た千葉市街同様だ。
 度は大通公園だ。『寅次郎相合い傘』で、万年筆を売って路銀を稼いだ場所だ。今はさっぽろ雪まつりの準備に大わらわだ。
 此処で私は『寅次郎相合い傘』に想いを馳せていた。長万部で蟹を頂いて、無人駅で宿泊。そして、札幌大通で万年筆を売る流れだ。本当に自由奔放な旅で、旅の娯しみを存分に見せてくれた最高の作品だった。あの時は花が咲き乱れる春真っ盛りで、多くの札幌市民が寛いでいたな。今は、雪まつりの準備でその様相は異なるが、時期を改めて来れば、『寅次郎相合い傘』で繰り広げられた世界が待っているだろう。
 度は私の視線に、スキージャンプ台がある大倉山が映った。スキージャンプ選手として有名な葛西紀明氏が、此処でスキージャンプの大会で優勝を果たしたニュースが途中の大通駅で出ていたな。ほんの目と鼻の先に位置する大倉山で、大会が開催されていたとは。失礼だが、呆然として余り想像できない。見ると、ジャンプ台に灯りが点されている。多くの照明が雪面を照らしているので、強烈な眩しさがタワーに届いた。それでも、墨色に塗られている山地に賑わいをもたらしていることは間違いない。

 上は創生川が流れている札幌市街。
 中は札幌雪まつりのメイン会場となる大通り。
 下はスキージャンプ台がある大倉山。



(2016年1月10日) 今日の行程の顧みは1杯の紅茶で

 テルに戻った私は、最初に湯を沸かした。ポットから、モウモウと湯気が沸き立った。此処で無難なダージリンを淹れた。
 ノートパソコンのミュージックプレイヤーを起動し、Kalafinaを聴いた。最近になって聴いた曲だが、様々な雰囲気を難無く歌いこなし、歌詞の至る所に励みになる箇所があるので、気に入っている。
 ダージリンの湯気を口で吸いながら、ゆっくり啜った。そして、今日の行程を回想した。
 朝の8時45分から旅が始まったな。特別珍しいことではないが、あの時計台が朝早くから開館するなんて想定外だったし、青空見える冬の札幌も想定外だった。
 そして、札幌で色々な特急列車に出会って、留萌本線の発着駅深川に向かったのだが、岩見沢ではラッセル車に出会ったし、美唄(びばい)と砂川の絶句する程の積雪には驚いたな。此処で1枚撮ったが、駅名標が半分隠れる程の積雪は、北海道ならではだな、コリャ。その光景が目に浮かび、寒さを覚え、ダージリンを慌てて啜った。
 深川に着いて、留萌本線に乗ったが、既に廃止になる増毛まで乗ろうと行列が既にできていたな。廃止になるのは今年(2016年)3月だが、今のうちに乗っておきたい気持ちはわかるが、ちょっと気が早い気がする。でも、その寸前になると東京顔負けの大混雑になるからな。一長一短といった所か。座ったのはロングシートの上、目を奪う程の景色が見られず、結局途中の留萌で切り上げた。
 その空いた時間を利用して、北海道神宮へ行ったり、札幌テレビ塔へ行ったりしたな。北海道神宮では丁度初詣の時期だったから、露店が出ていたけど、責めて北海道名物いも団子位は抓んだ方がよかったかな。札幌味噌ラーメンやジンギスカン弁当と較べたら、非常に質素だけど、これもれっきとした北海道名物なんだよね。



(2016年1月10日) 石原裕次郎の名曲にジンギスカンと鹿肉を添えて


 杯のダージリンで気分が良くなったので、夕餉を摂りに出掛けた。昨夜狸小路7丁目まで行った時、丁度良い焼き肉屋があったから、そこへ向かった。
 店内はカウンター席と座敷があるが、埋まっているのは座敷1卓だけ。
 私はカウンター席に着いた。着くや否や品書きを見た。
 品書きを見ると、北海道らしくジンギスカンの文字が躍っていた。その他のカルビやタン等もあるが、一番北海道らしさを感じたのは、道東の白糠産の鹿肉だった。最近はジビエが注目されているので、これもその類いだろう。
 まずは、口馴染みのあるタンと北海道らしくジンギスカンを注文した。
 っている途中、有線で石原裕次郎の『北の旅人』が流されていた。
 嗚呼、彼は五十路で亡くなって幾星霜、日本各地に彼を讃えるバーがあり、彼が唄った歌が歌い継がれ、そして、出身地の小樽を訪れる観光客が絶えず、その輝きは全く褪せることはない伝説の歌手である。
 それを聴きながら、タンを焼き始めた。
 歌では、此処札幌は唄っていないが、釧路と函館、出身地の小樽が唄われ、「雪が肩に舞う」という風情豊かな歌詞が流れた。雪で風情か……。風情といっても大人の風情だ。さて、何が浮かぶか……。雪に包まれた留萌本線、そして、晴れ間のキラキラした雪面。どれを取っても風情に程遠い。またこの曲は、深い仲の女の面影を追う旅の男を唄っているので、その心境が上手く読めないと、単に北海道内の都市を回る旅の歌になってしまう。曲が終わった時にタンを口に放り込んだ。噛み応え充分のタンが、食欲を増進させ、一気に3枚も網に乗せた。
 にジンギスカンを焼いた。使われるのは羊の肉で(一般的にマトンやラムと言われている。その違いは使われる羊の成長期間にあるという。マトンの方が期間が長い)、特有の癖があって好き嫌いが分かれる。
 それはもとより、本場の北海道でジンギスカンが頂ける嬉しさは、旅に精通した者の嬉しさだろう。昨夜の土産物屋で、ジンギスカンのタレが置かれていたが、東京で頂くジンギスカンは遠き北海道に想いを馳せるものであり、北海道名物が頂ける感動は二の次になってしまう。
 と流れた『夜霧よ今夜も有難う』。これも代表曲だ。バスサックスの前奏や夜霧という風情ある物に、男女の恋愛の難しさが加わった名曲だ。歌詞は幾分か判るので、つい唄ってしまった。
 脳裏を過ぎる、この私の身上が。三十路後半になっても鬱と闘っている故、家庭が持てない。世間の尺度で測ると、私は完全に異常者扱いされていまいそうだ。でも、結婚して家庭を持ちたい夢はある。三十路後半で独身貴族を謳歌している優雅さと惨めさが交錯しているが、惨めさだけを夜霧で上手く隠しておくれ。ふと、女性の純白のウェディングドレス姿が脳裏を過ぎった。果たして、お相手は何方かしら……。
 ふっ、遠い夢に辿り着いてしまったな。今は、旅の最中だ。そのことを忘れて、黙々とタンを口に運んだ。
 バスサックスの音色が小さくなり、曲が終わった。私は焼いたジンギスカンを黙々と口に運んだ。噛み応えのあるラム肉が食欲をそそるが、肉を抓むトングは動かさなかった。聴いた曲の歌詞がズンと重くのし掛かり、過ぎ去ったこの旅の行程を惜しんでしまった。おまけに、本場のジンギスカンが頂けた感動をも忘れてしまった。
 て、この心境を打破したいので、此処で白糠産鹿肉を注文した。700円也。昨今の鹿や猪の獣害が著しいが、こうやれば獣害は減らせるし、金儲けにもなる。そして、その肉を頂く私も獣害減少の協力者になるのだ。脂分が少なく赤身が綺麗な鹿肉は、サッと焼くと味わいがある。帰省の折に松阪牛を頂きたいと、松阪に宿を取った夜に、松阪ホルモン焼肉を頂いて、その旨さや憧憬に陶酔していた私だが、ジンギスカンや鹿肉が頂けて、貴重な夜になった。

 写真は頂いた焼肉。上からジンギスカン、白糠産鹿肉(イメージ)。



(2016年1月10日) ライトアップが美しい札幌の夜



 テルで一服しながら時計を見たら、20時30分を差していた。すると、私はまたコートを羽織って、鞄を提げて表に出た。
 アーケードで冷気が遮られている狸小路から、一気に冷気に晒される大通りへ入った。私のコートは一気に締まり、両手には手袋が填められた。こんな寒い状況で、鉄道写真撮影に向かうのか。吐く呼吸の白さが、異様に目立つ。
 中、青くライトアップされている札幌テレビ塔の電光時計の暖かい色に、寒さを瞬時ながら癒やされた。
 そのテレビ塔で一枚撮った時、青と山吹色の補色がよく映えているテレビ塔に思わず、溜息を漏らした。確かに綺麗だ。特に青いイルミネーションは余り見ていない所為なのか、黄昏時に立ち寄ったのにも拘わらず、思わず見入ってしまった。流石川越ではこんなライトアップは、「小江戸」の風情に合わないからやらないだろう。それだから、余計映えて見えるのだ。
 だ時間があるので、今朝立ち寄った時計台に立ち寄って、下からライトアップされている時計台を撮った。しかも、こんな寒い夜にも拘わらず、撮っていく人の多さに驚いた。札幌の夜は宝箱の如く、東京とは全く違う魅力があるのだろうか。
 いて、青いイルミネーションの鮮やかさに目を奪われ、暫くその場に止まって、写真を撮った。此処でモデルさんがポーズを決めれば、いい絵になりそうだ。特に、薄い色のコートのモデルさんが映えそうだ。美的に見事だった。青いイルミネーションに覆われると、彼女が着ているコートの薄い色が上手く青に融け込んでいき、今にもその光に吸い込まれそうな錯覚に囚われる。コートだけではない。モデルさんの身体も何もかも、手の届かない場所に身を委ねているかの如く、青いイルミネーションに吸い込まれそうだ。青の世界に魅入られて、自分の心身をその世界に委ね、誰が呼ぼうとも振り向かず、一心不乱にその世界へ融け込もうとする、純粋無垢になれる魔法が掛かっている大人のメルヘンが詰まっていた。

 上はライトアップした札幌テレビ塔。
 中はライトアップした札幌時計台。
 下は青いイルミネーションが綺麗な場所。



(2016年1月10日) 札幌駅に「はまなす」が咲く夜




 幌駅に入った。人の往来はパラパラで、駅構内の売店は閉店の支度を終え、シャッターを下ろしていた。周囲は大都会の不夜城を装いだが、此処だけは夜の静寂さに包まれているようだ。
 私は改札を抜けて、寝台急行「はまなす」が入線してくる4番線ホームに入った。すると、既に高性能レンズを装着したカメラを持っている人達が、今や遅しと到着を待っていた。間違いなく、狙いは寝台急行「はまなす」だ。北海道新幹線開業で青函トンネル内の電圧の違いで運転できなくなるので、廃止になるという情報を得たのでやってきたのだ。
 それにしても、周囲のホームは静まりかえっていて、絶え間なく隙間風が吹き続けているが、此処4番線ホームだけは、鉄道写真撮影の人達の異様な熱気に包まれている。皆の格好は深川駅同様で、大きなリュックサックを背負い、レンズを入れるケースも別に肩掛けにしている。どうも、写真マニア(カメラ小僧も含むが)は単にアイドルの姿格好や破廉恥なショットを撮るという「変質者」紛いだと思っていたが、此処に来たら一気にその誤解が解けた。その場でしか撮れない貴重な一枚を何としてでも撮りたいという熱意や、その勝負に挑む並大抵ではない意気込みに圧倒される。その意気込みは、その場から離れない所にもある。下手に暖を摂ろうと温かいお茶等飲んでしまい、トイレに行ってしまったら、折角取った場所が取られていたことがあるからだ。この私も、是非とも美味しい一枚を撮りたいと意気込んでいる一人だ。絶対美味しい所は渡さないぞ。遥々八王子から来たのだ。失敗する訳にはいかない。夜の冷気に冷やされた痩身が、俄に暖まり始めた。
 恐らく、このホームに立っている鉄道ファンの中で、今日、留萌本線に乗車して、増毛まで行った人が居るのだろう。そして、混み合う中、僅か10分の間にいい所を狙って、撮影したに違いない。そして、その出来を確かめて、一人悦に入ったのだろう。あの無味乾燥の雪景色を無視して。でも少なくとも、連続テレビ小説の舞台となった恵比島駅を撮った人はいるだろう。増毛駅と寝台急行「はまなす」を、1日で両得できる運のいい人達だ。
 まだ、来ないのか……。「はまなす」の表示が出ている電光掲示板の時計を見たら、21時20分。トイレの心配は無いけど、早く来てくれないかな……。この時の為に、バッテリーをフル充電したのだから。そんなことを余所に、手稲行きが発っていった。
 して21時37分、青と金色のツートンカラーの気動車に牽引されて、「はまなす」が入線してきた。一気に、ホームは熱気付いた。
 私は襟を正して、今やとデジタルカメラを構えて、周囲をキョロキョロし始めた。いよいよ、戦闘開始だ。
 そして、「はまなす」のドアが開いた。
 入ったのは、B寝台がある車両。上下2段で、枕や毛布があるだけの簡素な作り。しかも、対面式の造りなので、4人組が此処を取れば、何とも娯しい夜が過ごせそうだ。列車で一夜を過ごすことなんて、新幹線網が発達し続けている今の鉄道事情から見ると、かなり珍しい存在になっているからだ。
 洗面台やカーペット敷きになっている「のびのびカーペット」を撮り終えて、ホームを出ると、牽引しているディーゼル機関車を撮ったり、ディーゼル機関車に取り付けられている「はまなす」のロゴを撮ったり、補修の跡が目立つ車体を撮ったりして、一種のファッションショーの如く、カメラのフラッシュがあちこちで焚かれていた。そんな私も、美味しい所を狙って、デジタルカメラですかさず一枚。特に、北斗星をアレンジした金色の輝く星があしらわれた青いディーゼル機関車には多くの撮影者がいて、記念撮影のフラッシュが絶えなかった。
 デジタルカメラを見ると、なかなかの撮り具合だ。特に「はまなす」のロゴは、ディーゼル機関車に付けられているロゴと、列車の最後尾に表示されているロゴの2種類を撮らなければ意味がない。列車の最後尾に表示されているロゴを撮るのは難しく、光の加減で巧く撮れていなかったりするので、余計神経を遣う。
 フラッシュの焚き過ぎでバッテリーが切れそうなので、此処で引き揚げるとするか。フル充電したのに、案外持たないな。
 「はまなす」への別れの一首。
 僅かなる残り香味わうはまなすの去り行く列車の残雪哀し

 「まなす」を撮り終えた私は、北海道の名産品が揃っている売店に入った。閉店時間が22時30分なので充分間に合う。此処では、昨夜に立ち寄った土産物屋に無かった品物がある。此処では北海道産の小豆を贅沢に使った羊羹と、北海道を駆け抜けた寝台列車(北斗星・はまなす・トワイライトエクスプレス)のクリアファイルを買った。この3列車は乗車の機会が無かったが、昔を偲ぶには足りるものだ。
 それにしても、北海道の名産品は凄いものだねぇ。土地が広いこともあろうけど、こんなに広いスペースでないと、入り切れないとは。何としてでも、北海道経済を立て直す起爆剤が欲しい所だ。あのたくぎんに頼り切った夢からいい加減覚めているだろう。これからは、この北海道でしか成せないことを為していき、経済を立て直すという、北海道道民の腕の見せ所だ。(余所者の私が言うのは何だが)こういう起爆剤は、身近な所にあるような気がする。

 上ははまなすの絵が描かれているロゴを付けて入線するディーゼル機関車。
 中は今は無きB寝台(イメージ)と、補修の跡が目立つ車体。
 下は北斗星をイメージしたディーゼル機関車。





トップへ
戻る



Produced by Special Mission Officer