(2015年4月24日) 「日常」と「非日常」の狭間に揺られて |
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程良い微睡み(まどろみ)から巧く目覚めたら、時刻は午前4時を指していた。何時も朝早く目覚めてしまい、下手に微睡む毎日だが、今日だけは違う。待望の泊まり掛けの旅行ができる日だからだ。写真整理していたら、もう半年振り。相当長かったな、コリャ。半年毎に泊まり掛けの旅行ができるとは、三十路の若者(?)にとっては何とも贅沢なお話だが、その半年は何ともつらかった。何とか仕事に有り付けたものの、反りの合わない人に当たってしまい、度々怒られたり脅されたりしたことがあった。それが鬱再発に繋がってしまい、心療内科の世話になってしまった。此処10年はもはや鬱との闘いになってしまった。「不治の病」は医学が進歩した昨今でも多々あれど、「鬱」程厄介で気分に翻弄される「不治の病」は無いだろう。
そう思うと、昨日のことが鮮明に回想できる。
「心療内科の病院に行く」という名目で早退を願い出たら、了承が下った。急いで帰り支度を整え、平静を装って、軽い足取りで職場を去った。職場が見えなくなるのを知られぬように振り向いて確認し、漸く見えなくなった所を見計らって、近くの交差点を右折し、行方を眩ませた。
もう牢獄から出られたのだ。今まで封印してきた気力が一気に蘇ってきた。時刻は12時12分。この時点で、旅が始まる。旅人よ、この一瞬刹那を存分に尊び給え!
職場の最寄り駅北八王子駅の駅前には、八重桜と濃淡のピンクの躑躅(つつじ)が咲き乱れていて、外を見る機会が殆ど無い職場にいる私には、ふと春本番だと知ることができた。熱海、川越と桜を見てきた私だが、ふと立ち止まりデジタルカメラで撮った。
此処で一句。
八重桜散りて春継ぐ躑躅かな
その時間を使って、殆ど立ちんぼがいない列車で、ぷらっと川越へ出掛けた。何時もの通勤の八高線ではなく、長閑(のどか)な田園地帯を走る八高線になっていた。旅が始まったばかりだから気分が和む。買ったコーラをゆっくり喉に流していた。牢獄で飲むコーラには虚無に近い味しかしないが、爽やかな炭酸が痩身を貫通した。
「どうして、川越に向かった」って。土休日には観光客で大いに賑わう小江戸川越の日常でも見ておこうかなと思ったまでだ。川越到着までまだあるし、コーラもまだ残っている。ゆっくり味わうとしようか。
13時21分、川越到着。この時間は仕事の時間だが、この心情で良い仕事ができる訳が無い。いっそ、今のように早退して羽を伸ばす方が効率が良い。休日は混雑している川越駅から延びている商店街クレアモールがスイスイ歩けた。それでも入りは良い方だ。
時折通る学生を見て一首。
我(それがし)の果たせぬ夢を果たし給えクレアモールの高校生達
丸広百貨店の屋上で、休憩中の若い親子連れを後目に、昼餉を摂った。何時ものように時計を見たり、昼寝の時間を稼ごうと急いで頂いたりすることは、無論しなかった。既に早退した時点から、旅が始まっているからだ。「時間に追われがちな日常」と「時間に奔放な非日常」の狭間での揺れ具合が、本当に心地良い。14時を回って間もない上、上手く早退でき、こんなに早く仕事帰りで日常姿が垣間見られる興奮は、今回程心地良いことは無い。余程、今の職場が肌に合わなかった証拠だ。昼休みに無造作に飲んでいた温かい紅茶が、いい渋みを漂わせていた。
一休みしながら二首。
仕事退き訪ねし川越昼下がり日常と否の狭間戸惑う
春涼し今日は平日昼下がり日常姿の劇場娯しや
酒蔵を再利用したアンテナショップ「小江戸蔵里」で、メイドカフェのメイド達に送る川越いもを使った川越土産を買い込んでいたら、ワイン酵母を使った日本酒の記事が出ていた。ワインと日本酒のハーフなのか? 生産者は川越に唯一ある酒蔵だ。一度廃業したが、市民達の熱意で復活。昔よりも高品質で味わい深い日本酒を醸造しているのだ。ワインのような日本酒か……。コリャ、珍しがられるだろうと、箱を持ち出したら、メイドカフェのことを思い出した。幾ら土産を差し上げることはできても、酒精類を土産に充てることは問題だろう。仮に未成年者がいたら、いい顔をされないだろう。そんなことで、菓子類の川越土産にすることにした。喜んでくれればいいけど。
本川越駅近くの銀行で、面白いものを見付けた。両替の欄に殆ど流通していない2000円札がある両替機だ。2000年の沖縄サミットの折に発行されたものの、自動販売機では使えないことがネックになり、殆ど流通していないのだ。世論調査でも70%近くが「不要」と答えていたので、血税の無駄遣いと鼻で嘲笑され、且つ旗揚げ役の小渕恵三元首相の死去により、一気に存在価値が下がってしまった。更に、2003年から発行されてなく、10年以上も新札が流通されていないと知ったから、今両替しておけば、かなりプレミアが付くのでは、と思い、10000円札2枚を2000円札10枚に両替した。出てきたのは、何とピン札! 大都会東京でもお目に掛かれる機会は皆無に等しいので、縁起が良いなと小躍りした。聞けば、日本銀行の金庫で死蔵され掛けているそうなので、折を見て両替するとしようか。
珍しくなった2000円札で一首。
流通せぬ弐千円札握り締め想ひは違ひに喜悦と回想
思わぬ掘り出し物がある切手店で、いい切手を買い、蓮馨寺で一服した。此処で焼き団子3本と瓶入りコーラを頂いた。コーラと言っても、缶入りと瓶入りでは何処か旨さが違う気がする。それに、「時間に追われがちな日常」と「時間に奔放な非日常」との狭間で揺れている最中となると、コーラの炭酸も何処か違う。
それから、立川へ立ち寄った。此処にも行き付けの切手店があるが、入居しているデパートが全館改装し、その折に撤退するというので、お別れを兼ねて立ち寄った。此処でもいい品物を買ってきたが、金貨の類いには届かなかった。地金の高騰でこの際1枚でも買っておこうかと思ったが、予算が付かなかった。明治43年の新20円金貨が、極美品(ごくびひん。使用されているが、未使用に近い輝きを持っているランク)で28万円の値を付けていた。取り置きができないから、悔しさは人一倍だ。
そんな昼下がりの出来事を回想しつつ、新横浜6時始発の新幹線に乗った。何時もは海側のA席に座るのだが、今回は山側のE席に座った。
上は北八王子駅で咲いていた八重桜と2色の躑躅。
下は蓮馨寺の焼き団子と瓶入りコーラ。 |
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時刻は6時45分近くになり、新横浜駅で買ったシュウマイを抓み始めた。豚肉のボリュームが本当に見事だ。何時もは微睡んで(まどろんで)いるが、此処でも「時間に奔放な非日常」の体調に入れ替わっているといい。険悪な人間関係で牢獄に近い職場では全く用いられない、元来の丈夫な身体が蘇ってきそうだ。
そして、名古屋に着くと、京都へ発つ新幹線に向かって、栄養ドリンクを一気飲みし、新幹線改札口に程近い地下街エスカに入った。此処で名古屋名物の小倉トーストを抓んだ。普通のトーストに小倉あんを塗った名古屋グルメの一つで、トーストと小倉あんの上辺の不格好さやバターと小倉あんの甘さに少々引きがちだが、一口頂くとこれが実に旨いのだ! 温かいトーストと小倉あんは意外と合うのだ。いやぁ、名古屋人の「食」に対する意欲には感服する。
小倉トーストを抓みながら一首。
躍る旅朝の名古屋は日本晴れ小倉トースト抓む東京人(よそもの)
初めて抓んだ小倉トーストの旨さに感心していると、ツアーの旗がチラチラ見えてきて、その後に催眠術に掛かっているのか、多くのツアー客がゾロゾロと歩いてきた。定刻をしっかり守る遠足は私の性に全く合わず、嫌な神経性頭痛を引き起こしそうなので、敢えて視線を反らして、小倉トーストを抓むことに神経を集中させた。何と旨い小倉トーストだこと!
此処で一首。
ゾロゾロと連れるツアーは遠足か縛られる勿れ愛でし晴天
時間を見ると、快速「みえ」1号の発車時刻8時35分まで20分程あるので、その後に何と、名古屋駅在来線ホームにあるきしめんスタンドで、えび天きしめんを啜った。これで3食目だ。シュウマイ、小倉トースト、えび天きしめん、自分でもこの食欲には驚く。7時を過ぎて起きるのだが、妙な胸の痞えや腹部のごろつきがあって、朝餉は殆ど抓めないが、今日ばかりは違う。3食頂いても身体は何ともなっていないからだ。これで「時間に奔放な非日常」の体調の入れ替わりに成功した証だ。こんな朝は本当に久し振りだ。
快速「みえ」1号で、伊勢市に向かった。所が、来たのは4両編成ではなく2両編成だった。土曜日なので、伊勢神宮参詣客が多い筈なのに、2両編成で賄えるのか? 2両編成の時は1両目の前半分が指定席だが、後ろの自由席を見たら立ちんぼがかなりいた。どうも、見方が甘いね。此処にかつての親方日の丸が繰り広げた、殿様商売の悪い癖が出ているようにも見える。
目的地の伊勢市迄約1時間30分。私は朝から心身共々絶好調な時の旅を細大漏らさず記録しようと、デジタルカメラに手が伸びた。年に2~3回、多くて4回(?)旅した伊勢志摩だが、昨年(2014年)は何と桜咲く3月末の1回だけ。それだけ、伊勢志摩に対する憧憬が高まっていた。何ともない光景を次々と撮す姿は、「私は余所者だ」と赤裸々にしている。しかし、私はその赤裸々にされた性を気にせず、次々と撮し続けている。どんなにつまらない光景でも、余所者にとっては気を惹く物なのだから。時間を忘れてノンビリ釣り糸を垂らしている蟹江の釣り堀、木曽川を越えたら田植えが終わっている長島の田園地帯、代掻きされている田圃と工業地帯の煙突のアンバランスが面白い四日市、田植えを行っている鈴鹿の田園地帯、遠くに見える鈴鹿サーキットの観覧車、綺麗な水を湛えている櫛田川と宮川、紀勢本線と参宮線の分岐駅ながら、静かな空間に癒やされた多気駅。一番ガッカリしたのは、阿漕(あこぎ)駅だった。木造駅舎を撮そうとしたが、取り壊されて、素寒貧な待合室だけがある駅舎になってしまった。見慣れている景色が何時無くなるかは判らないので、余計ガッカリだった。
上2枚は名古屋名物の小倉トーストときしめん(両者ともイメージ)。
中は田圃と工業地域のギャップが面白い四日市界隈。
下は清らかな水が流れている宮川。 |
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10時15分、伊勢市到着。此処で多くの客が吐き出された。何度もこの駅に降り立っているが、「赤福」の看板を掲げ、茶色のペンキで塗られたベンチがあるだけの素っ気ないホームだ。変わったと言えば、仕切られた待合室ができた位だ。
しかし、JRのホームと隣接している駅構内は結構変わった。一昨年(2013年)の式年遷宮を意識してか、遷宮の数年前から改装が加えられ、かなり洗練された駅構内になった。駅前も参詣者相手の新しい旅館が開業したり、土産物屋ができたりして賑やかになった。これで、近鉄宇治山田駅と互角の戦いができそうだな。ただ、デパートがあった所が月並みな駐車場になっていた点は、何とも不愉快だ。
昔の風合いが決まっている店が並んでいる道を歩くと、外宮に着くが、そのバス乗り場の広場では飲食物を出すブースが出ていて、それを取り囲むかの如く、バスが停まっていた。ふと、私の直感が閃いた。内宮に続く道や内宮は混雑しているのだろう。
鳥居を潜れば、黄緑色の若葉が至る所で私を出迎えてくれた。此処での桜の時期は雨で流れたが、その時期でなくても目に鮮やかな若葉があった。その場所に止まっては、またデジタルカメラに手が伸び、その若葉を撮る。
撮り終えて、バスガイドの旗が目に留まった。定刻を守るバスツアーは、私の性に合わない上、折角の旅を娯しむ上で、「定刻を守る」と言う日常でも難無くできる行為を持ち込むことは、極めて遺憾だ。この時が「日常」か「非日常」か、言われなくても判るだろう。
そして正殿に到着したが、僅か2年で新しい木材の風合いは消え掛かっていて、旧正殿は白石が敷き詰められた状態になっていた。去年の3月末にはまだあったが、この1年の間に取り外されたのだろう。私の初めての伊勢神宮参詣を見守って下さったので、あの時に別れを告げたのでよかった。そして、18年後の式年遷宮までじっと待つのだ。そして、別宮の土宮、風宮は遷宮を終えて、新しい木材の薄いベージュが眩しかった。最後に向かった多賀宮は、まだ新しい木材の風合いは残っていた上、途中の100段近くもある石段に木漏れ日が漏れていて、周りの若葉と相俟って、春の暖かさを素直に認めた。
勾玉池と隣接しているせんぐう館で一服して、内宮へ向かった。5月に近づいてきたのでそろそろ菖蒲が咲いている頃だと思ったが、1株も咲いていなかった。
菖蒲の時期が待ち遠しい。
目に青葉躍れ咲く刻花菖蒲
外宮バス停では臨時バスが停まっていて、係員が回数券を売り捌いていた。ICカードが使えないのは東京人の私にとっては窮屈に感じるが、伊勢神宮参詣に余計なオートメーション化を入れる必要は無いのだ。
上は若葉萌える外宮。
中は遷宮2年を経た外宮正殿。
下はかつての正殿があった場所。18年後の式年遷宮までこの状態である。 |
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臨時バスは小さなバス停を飛ばして、一路内宮に向かっている。しかし、ただ内宮に向かっている訳ではない。途中の猿田彦神社にも停車する。この猿田彦神社は、天照大神がこの地に鎮座した時、道案内役を買って出た地元の神様であるので、等閑(なおざり)にはできない。参詣者も猿田彦神社に立ち寄ることがあるので、その価値を認めている。
去年は建替の為に、白い防音壁が立てられていたので、伊勢市駅に併設されている観光案内所で、建替完了の旨を訊ねた。返答は、本殿は完了したというので、此処で降りた。
降りてみると、建替が終わった本殿が出迎えてくれた。幾ら白でも、神社に一杯使ってしまったら、何とも派手に見えてしまい、神聖さが弱くなってしまう。こうしてみると、日本の美意識が「崇高」という形で表現されている点に、感動を覚える。神仏を敬い、四季の差違が明確で自然の摂理に則った(のっとった)生活を送ってきた日本人。今、「和食」や「(相手に敬意を払って迎える)おもてなし」が注目されているが、こういう所にも注目して欲しいな。
此処で大吉のお神籖を引いた。内容もなかなか良いが、願い事の欄には「改めかえてすれば、望み事叶い喜び多し」と出ていた。思い当たる節はあるな。「今の職場を変えて、心機一転臨めよ」と言うことなのか。でも、「驕り高ぶる勿れ」と出ていたので、自らの分を弁え(わきまえ)よう。
さて、1年振りの伊勢志摩だから、今まで気に留めなかった所に目が行った。
本殿近くにある「たから石」。箱舟の形をした大きな石で、姿形が宝船を連想させ、幸運の印でもある蛇が乗っているように見えるので、縁起が良いそうだ。まぁ、確かによく見てみると、蛇らしい隆起があるが。初めて(かも?)気に留めた私に、宝船は何を持ってくるのだろうか?
また、鳥居前の佐瑠女(さるめ)神社も撮った。此処は芸能の神アメノウズメノ命を祀っているので、芸に携わっている人が訪れるが、今の金と欲にまみれがちなポップアイドルを救ってくれるとはまず思えないし、わざわざ伊勢に赴いて参拝することは余り考えられない。
上は猿田彦神社。
中は境内にあるたから石。
下は脇にある佐瑠女神社。 |
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陽気を受けながら、おかげ通りを歩いた。此処も先述の「おもてなし」の美徳が垣間見られる。その「おもてなし」は植わっている木でも言える。桜が咲き乱れたり、黄緑の若葉が目に付いたりする。昨年はその乱れ咲く桜に感動し、その時期に合わせて参詣を計画したが、雨で見事流れてしまった。ITでも敵わない天気を憎みながら今日を迎えたが、若葉の時期でも何と素晴らしい! 黄緑色の若葉と晴れ渡った青空が、本当に温かい春本番を思わせてくれる。殆ど居心地が良くない職場に身を置いている時間が長い分、感動の深さに比例する。
若葉に見取れて、立ち止まって撮し続けた。時折飛んでくる燕の行方を目で追うと、軒下に巣があり、燕が一休みしていた。ピューッと飛ぶ燕だが、こんな若葉が萌える時期だ。一休みがてら愛でているかのようだ。この辺になると、時間云々は大らかになってしまう。それだから、見る物聞く物が印象に残るのだ。嗚呼、この貴重なる時間を大いに貴び給え、旅人よ!
その時間を貴びながら一首。
憧れの時を逃して桜散る後の麗し黄緑と黒
宇治橋を渡り、心地良い風に吹かれる日の丸の旗を撮り、五十鈴川で軽く涼を摂る。手を入れると柔らかい感触の冷たさが得られる。此処でも若葉が何とも言えない、春の陽気を倍加させてくれる。
その若葉を撮りながら、風日祈宮(かざひのみのみや)に向かった。正殿に向かう参詣者が多いので、此処は人通りが少なく、暫く肩の力が抜ける。此処は鎌倉時代末期、元寇襲来の折に神風を吹かせて、日本侵略を食い止めたと言われている。じゃ、これ以上心身を蝕まれる(むしばまれる)のは真っ平御免なので、神風でその原因を吹き飛ばしてくれないか。
若葉をチラチラ見ながら、正殿に向かった。その手前に、旧正殿に続く参詣道があって、1枚撮った。ほんの2年前は此処を通って正殿に向かったのだが、こうしてみると、その事実さえ掻き消される程に静かだ。旧正殿も恐らく取り外されて、敷地になっていると思うが、それが確認できない所も、その参詣道の静かさを助長する。
上はおかげ通りで見た燕。
中は若葉萌える五十鈴川。
下は神風を吹かせた伝説がある風日祈宮(かざひのみのみや)。 |
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(2015年4月25日) 平成の娯しき直会(なおらい)(5) |
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昼餉は長年贔屓(ひいき)にしているステーキ重を出してくれる、黒を基調としたお洒落な店にした。店の風格通り値が多少張るが、牛肉の質に拘る店で、ステーキの他に和牛(または松阪牛)のにぎり寿司を出してくれるという。時間は昼餉時。スンナリとは頂けないだろう。
案の定、先客が3組程いて、15分程待たされた。その合間に品書きを見たが、「伊勢牛」の文字が見られなかった所に眉間に皺が寄った。代わりに「和牛」やら「オーストラリア産牛肉」が出てきた。値段は据え置かれてはいるが、伊勢牛は何処行ったのだ? 飼料の高騰云々は諄い(くどい)程聞かされてはいるが、畜産業に携わっていない私たちにも影響があるとは。第一次産業衰退の思わぬツケだな、コリャ。
出されたステーキ重は、ミディアムに焼いた和牛に焼き海苔が散らされていて、炒めたキノコとタマネギが端に添えられていた。健康志向と片付けられればいいのだが、私のようにステーキがどっかと載っているステーキ重を知っている人にとっては、「ごまかし」やら「飼料の高騰」やら邪な思いしか浮かばない。そんな中で頂いたステーキ重は、味は申し分なかったが、昼餉を頂く所としては撤退せざるを得ない。
食後は五十鈴茶屋で頂いた。おかげ参りの煩雑さから逃れ、ノンビリ一服したい方は、此処に入るがよい。風格ある木造家屋と、風通しがよい間取りが何とも言えない。
手入れされている綺麗な庭園に躑躅(つつじ)が植わっているので、その躑躅を見ながらデザートを頂くのが私の通例となっている。外宮の菖蒲はまだだったが、此処の躑躅はどうかな。と思っていたが、此処も早かったな。でも、時節柄の鯉幟が晴天を泳いでいた。鯉幟の年頃はもう30年前位昔だ。この頃は、川越駅から近かった旭町から、西の住宅街の霞ヶ関に引っ越した。旭町にある大塚小学校に在籍していたのは、4月から11月までの7箇月足らず。小学校の一斉下校の折に、重苦しそうに荷物を抱えて家に帰ったこと、お世話になった隣家に挨拶へ向かおうとしたら留守だったので、書き置きを添えて玄関脇に置いたこと、そして、今まで会っていた友達に会えなくなった寂しさに泣いたことも憶えている。遠い思い出を脳裏で巡らせながらくずきりを啜った。うどんそばの如くズズッと啜るのは雰囲気に合わないので、ゆっくり啜って端の方まで来たら一気にチュルッと啜った。藍色の毛氈(もうせん)がチラチラ視線に入った。
鯉幟を見ながら一首。
燕の俊敏判らぬ空の鯉日本人なら勤勉美徳
写真は鯉幟が泳ぐ五十鈴茶屋の庭園。 |
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(2015年4月25日) お伊勢詣りの次は、港町鳥羽 |
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内宮前からバスで伊勢市駅に戻った。何と、乗合自動車内宮前駅(バスターミナル)に着いた時にバスが着き、急いで窓口で切符を買って飛び乗ったという「時間に追われがちな日常」を彷彿させる行動を取ってしまった。今は「時間に奔放な非日常」を娯しむべき時間なのに、思わぬ日常行動を取り、チョンボを食うこともある。まぁ、今回は座れたからいいとするか。
時刻表を開いたら14時55分の鳥羽行きがある。伊勢市駅に48分頃に到着すれば間に合うな。だけど、外宮で見た臨時バスを見れば、時間が掛かりそうだ。
14時50分、伊勢市駅に到着した。降りたら交差点があって、そこで時間を食うのだが、バスは駅出入口に停車した。バス停の位置が変わっていたのだ。後、5分か……。電光掲示板にも14時55分鳥羽行きが出ているが、敢えて見送った。「時間に追われがちな日常」に戻るのは、暫く控えたい。次の列車は15時12分の快速「みえ」11号があり、先程の列車より到着が10分遅れるだけ。これでいいのだ。
コインロッカーに預けたカートを取り出し、おやつとしてあんこ餅3個入りと、ホットミルクティーを買った。和菓子に西洋のお茶か……。アンバランスな組み合わせだが、合えばいいのだ。列車が発車したのを見計らって抓んだ。あんこ餅のあっさりとした甘さとまろやかなミルクティーは合うね。
二見浦で僅かな客を吐き出して、一路鳥羽へ向かう。松下を通過すると、いよいよ伊勢湾とご対面だ。
穏やかな浦が続く池の浦を眺める。此処に池の浦シーサイドという臨時駅があるが、時刻表を開いても、停車する列車は無い。ゴールデンウィークに停車する列車があったと思ったが、無かった。その代わり、青々とした海苔がくっついていたひびが一杯あった。此処で海苔が作れるのかな。最後のあんこ餅を抓みながら思った。
鳥羽。此処も久し振りだな。予算が限られているので、鳥羽湾めぐりやミキモト真珠島はどうしようか。と、向かったのは近鉄鳥羽駅。此処で割引券を買って、節約するのだ。しかし、単独の割引券は取り扱ってなく、海岸線に沿っている遊歩道を歩いて考えた。時間を見ると、鳥羽湾めぐりの最終便が15時45分に出るが、懐中時計を見たら最終便までの時間が余り無いので、今回は控えた。
上は臨時駅の池の浦シーサイド駅。
下は海苔ひびがある池の浦。 |
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久し振りにミキモト真珠島へ行った。此処でツアーの団体と一緒になった。私は此処に巧く紛れて、真珠の核入れ作業や選別、展示品や海女の作業を見ることができた。ツアーコンダクタが指図しても、従う必要は全くないから、ツアーが嫌いな私にとっては何とも面白いスリルだった。
真珠の養殖もITや技術革新を持っても、真珠の色や養殖成功の可否等、まだ自然に頼る面が多く、なかなか一般大衆には手が届き難い。そんなことがあってか、無常に素通りするツアー客は誰もなく、自然がもたらしてくれた宝石、真珠を驚きの目で見ていた。更に、『夢殿』、『五重塔』、『平和の鐘』等、真珠を用いて創られた芸術品も見逃せない(但し『軍配扇』は数年前から修繕中)。しかし、もうちょっと照明を落として、回りを黒に近付ければ、見栄えがいいのでは無いのだろうか。養殖真珠誕生の地なのだから、もっと自慢してもいいよ。
売店に並んでいるネックレスを覗いたら、値段が6桁のはザラで、鈍い灰色の光沢を放っている黒真珠のネックレスは、そんな旅人に自慢したいのか、6桁の値をさらけ出して、嫌みに自慢していた。さて、昨日立川で見た明治43年の新20円金貨の28万円と比べると、如何な物か。地金の高騰か商品化可能成功率30%前後か。そんな究極の選択を、鳥羽くんだりで旅人に迫ってくるとは。
ミキモト真珠島を出たら、もう17時を回っていた。
帰りに鳥羽駅前商店街に寄った。商店街と言っても、線路沿いに10軒程の小さな店が並んでいるだけだが、何れも伊勢湾の新鮮な海の幸や真珠を売っている。
その一角に、私がよく立ち寄った店がある。店先に生け簀があって、サザエや伊勢エビを焼いて食べさせてくれる店で、テーブル2卓とカウンター4席という小さな店。この店を切り盛りしているのは70代のお婆さんで、何気なく会話を交わした記憶がある。
その店に入ると、海の幸を酒肴(しゅこう)にして麦酒を飲んでいる観光客がいて、店主と会話を交わしていた。あの時と同じだ。
店には50代のお母さんがいたが、そのお婆さんのお嬢さんだろうか? あのお婆さんはどうしているのかな。安否を聞きたかったが、澱みない会話で切り出せず、次回まで取っておくとして、緑茶を啜った。此処でサザエと大アサリを頼んだ。
新鮮な貝を豪快に焜炉に掛け、醤油を垂らすというシンプルな調理法だが、こういう海の幸は変に味付けするより、こういった頂き方が美味しいのだ。しかも、此処鳥羽は伊予の村上水軍同様、戦国時代に活躍した九鬼水軍の長、九鬼嘉隆(くきよしたか)公のゆかりの町なので、水軍らしく豪快に頂くのも乙なもの。
新鮮なサザエを焜炉で直焼きにした壺焼き。味付けは醤油のみで、サザエの味を引き立ててくれる。フォークで身を刺し、くるっと捻って中を出すと、緑色の肝が新鮮さを物語ってくれる(いいコケ類を食しているので、肝が緑色になる)。これを一気に頂く。歯応えがあって旨い。しかも、肝の苦さもいい味だ。2つで600円也。
身が大きくて、ほんのり甘い大アサリがきた。貝柱も太く、先にどちらか頂くか迷う。しかし、迷う暇はない。貝柱は柔らかく、身が大きい大アサリを一口で頂けば、醤油が加わったアサリのエキスに陶酔するだろう。普段は500円玉程の大きさのアサリの味噌汁かバター炒めしか頂けず、こんな4回り大きい大アサリは、流石港町鳥羽といった所だ。
上はミキモト真珠島にある「真珠の島」の碑。
下は鳥羽駅前商店街で頂いた海の幸(写真はイメージ)。焜炉で直焼きとは如何にも港町らしい。 |
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夕暮れを追い駆けながら、今日の宿泊地松阪に向かった。
松阪。言わずと知れた松阪牛の名産地。東京でも知られている「和田金」や「牛銀」は此処にあるが、財布の重さが気になる方は、何とも縁遠い。しかし、ホルモン焼肉ならば、簡単に頂けるだろう。何せ、ホルモン焼肉とはいえ、れっきとした松阪牛なのだから。
松阪の定宿に着き、部屋に入って外景を眺めたが、今回も国道42号線沿いの賑やかな場所に当たった。反対側の住宅街の閑静な夜景を狙って、宝石のように煌めいている街灯を眺めながら黒麦酒を啜りたかったが、そうはいかなかった。
松阪駅東口に広がる京町一区は、ホルモン焼肉店が軒を並べる場所。その一角に10年以上も贔屓(ひいき)にしている焼肉店があるのだ。しかも、契約畜産農家から仕入れているので、品質は安定している上、A4級の肉はおろか、最高ランクA5も取り扱っているという有名店。此処で、松阪牛ホルモン焼肉を頂き、伊勢志摩旅行の疲れを癒やすのだ。
中に入ると、20分程待たされた。しかし、此処での1分1秒が自棄に長く感じられる。何しろ、1年振りの松阪牛ホルモン焼肉なのだから。「松阪牛様々」と崇められて(あがめられて)いる東京人にとって、松阪牛ホルモン焼肉は、まさにご馳走なのだから。
そして、席に着くとすぐに品書きを開き、お目当ての品を探し始めた。牛タンやカルビは序の口になっている私にとって、一番のお目当てはあのシャトーブリアンだ。仏蘭西(フランス)の政治家ルネド=シャトーブリアン氏が最も好んだと言われる部位だが、1頭から取れる量はほんの僅かで、(松阪で)5000円札で支払って、おつりはほんの僅かという貴重品。しかも、かの松阪牛のシャトーブリアンとなると、東京でも銀座や高輪、赤坂や青山でもお目に掛かれるか否かの特級品だ(と思う)。あったとしても、5000円札で支払えるかどうか。
此処で牛タンとヨボ(ハツ)、シャトーブリアンを頼んだ。3皿同時に来たが、まず網に乗せたのは牛タンとヨボだ。
この牛タンは、狂牛病や産地偽装の困難を経た結果、高級ホルモンになってしまった。値段も時価という変動に狂奔されたが、此処に来て1300円前後とかなり落ち着いてきたようだ。5~6ミリの厚さに切られたタンを先に口に放り込んだ。噛み応えのあるタンが食欲を増進させてくれる。普段は情緒不安定で、なかなか食欲が湧いてこないのだが、1年振りの松阪牛ホルモン焼肉だ。1年で何度も来た時は、単に松阪牛ホルモン焼肉が頂けるとしか思っていなかったが、今日は頂きたい思いが高くなっているので、そのありがたさが身に沁みる。5~6ミリの厚さはタンではかなり厚目だろう。スーパーで売られている薄っぺらいタンなんて、単なる子供騙しに思える。
牛タンとヨボを抓んだ後、いよいよシャトーブリアンを網に乗せた。程良い霜降りの厚さ約15ミリ程のシャトーブリアンが、網の上でジューッと焼き音を立てた。しかも、割とすぐに焼ける。程良く焼けた所で、口に放り込む。牛タンやヨボは何度も噛んだが、これは余り噛まなくてもスッと切れる。また、しつこくない肉汁が出てくる所に、上品さを感じる。ステーキにしても充分に行けそうだぞ。東京では「松阪牛様々」と崇められている松阪牛のシャトーブリアンが、楽に頂けることに陶酔した。昼餉で伊勢牛が頂けなかった悔しさが十二分に晴れただけでは無く、三重県にゆかりがある私の生い立ちに感謝した。
そんなこんなで、3皿を完食した。更に、勘定を済ませている最中に、昨年は1回しか来られなかったことを詫びると、店長から伊勢志摩旅行の折によく来店することを憶えているそうで、嬉しかった。余所者なのによく憶えているとは、伊達に17年も伊勢志摩旅行を続けている訳ではないのだ。 |
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(2015年4月26日) 半年振りの名古屋は栄から |
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1年振りの伊勢志摩を娯しんだ翌朝、特急列車で名古屋に向かったのだが、その車中で頂く朝餉を探していたら、此処でも松阪牛に出会った。焼肉程の塊ではないが、錦糸卵の他にしぐれ煮とそぼろが降り掛かった「本居宣長辨當(べんとう)」を手に入れた。980円也。此処松阪では、松阪牛を使った駅弁が多数販売されているが、JR東海管轄の特急は車内販売が廃止されているので、相当売り上げに困っていると思う。名物「牛肉弁当」は今でも販売されているが、特急「南紀」に乗車した時、逐一予約に伺った光景を見ているので、駅弁の立ち売りやそれに見合った停車時間を盛り込んで欲しい。リニア建設に現を抜かしている暇があるならば、これ位のことはできよう。
ガラ空きの指定席で、田植えが終わっている田圃を眺めながら、その駅弁を抓んだ。味はやや濃いめだったが、朝餉にしては贅沢だ。だって、朝から松阪牛が頂けたからだ。
私以外座っていない指定席を牽きながら、特急「南紀」は名古屋に向かっていた。
駅弁を抓んで一句。
牛肉や朝の松阪至福なり
9時41分、名古屋到着。早速コインロッカーを探した。上手く行けばあるだろうと思いながら、早く仕舞って半年振りの名古屋に身を投じたい私は、早歩きしてコインロッカーを探した。まずは、近鉄線乗り場近くに向かったが、全部閉まっていた。そこで普段仕舞っているコインロッカーに向かったら、カートを入れるのに丁度よいロッカーが空いていた。
さて、何処に行くとするか。大須は不動なので、いい所は無いかな……。
向かったのは栄だった。名古屋の繁華街の一つだが、名古屋テレビ塔やオアシス21、セントラルパーク等があって、繁華街にしては空が広く見えるのだ。そして、地下鉄栄駅から延びている地下街も広いのだ。(地下鉄を利用している人は概ね判るが)栄駅は結構出入口が多く、その出入口に向かって地下街が広がっているのだ。色々な店が並ぶ地下街を抜け、テレビ塔へ繋がる出入口から出た。
スラッと伸びているテレビ塔を撮り、オアシス21に向かった。オアシス21は名鉄栄町駅に直結している地下街に繋がっているショッピングセンターやイベント会場、水辺や噴水がある『水の宇宙船』と呼ばれている床が硝子張りの展望デッキがあるのだ。初めてテレビ塔で見た時、「こんな所にプールがあるとは」と一人感心した場所だ。
その水の宇宙船に出ると、この陽気だ。かなりの人が噴水からの飛沫で涼んでいた。この旅で水色の長袖を羽織っていたが、殆ど肘まで捲っていた。いやぁ、噴水があるだけで随分違うなぁ。朝から特急列車に乗って少しばかり疲れたので、ステンレスのベンチに座った。陽気で温められた暑さが腰に走った。
良い天気だ。伊勢の桜の時期を見越して計画していたが、雨でご破算になって約1箇月。思いが余計積もっていたので、この天気の良さを素直に愛でられる。暫くはこの陽気に当たって、明日からの仕事を忘れるとしようか。
ショッピングコーナーへ降りてみたら、NHK関係の店があったので入ってみた。NHKで放送されている番組の関連グッズが置かれていたが、民放もそうだがNHKも変わったな。そりゃ、NHKは国営放送に近いので、こんなにグッズが造られるとは余り思っていなかったが、こう見ると驚きの一言だ。アイドル視されている女子アナの民放と視聴者の要望をさり気なく取り入れているNHK、どっちが良いのか一概には言えない。
上は栄にあるセントラルパークからの名古屋テレビ塔。
中はオアシス21。
下はオアシス21の真上にある「水の宇宙船」。 |
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時間がまだある。暫く栄をぶらつこうかと思っていたが、此処で思わぬ初体験を受けることになった。
名古屋を代表する繁華街の一つ、栄。その一角に煉瓦造りの教会があるのだ。プロテスタントの名古屋中央教会だ。見ると扉が開いていたので、暫く此処で時間が潰せないかと、そんな軽い気持ちで入ったのだが、中からパイプオルガンの高貴な音色と共に、荘厳な讃美歌が聞こえてきた。丁度「主日礼拝」という集会が行われていたのだ。受付で、聖書と讃美歌が載っている辞書みたいな本を受け取って、礼拝堂に向かった。
礼拝堂に入ると、息を呑んだ。先程の讃美歌の荘厳さはもとより、結構人がいたのだ。基督(キリスト)教の信者なのか、興味を持っている人なのか、私のように暇潰しでやってきた人はなさそうだ。それでも、分け隔たりなく迎えてくれる基督教の教会は題目と同じだ。
牧師の説教は聖パウロの話に入った。この私でも聖パウロのことは知っている。元々は基督教を迫害していたが、神のお告げを聞いたりキリストと対話したりして改心し、布教に腐心した人物である。それと並行してアポロの話が出てきたが、そこまでは知らないな。いずれにしても、布教の道は平坦ではないことだ。
説教が終わったら、神への祈祷が始まった。周囲に「アーメン」と重厚な祈りの声が響いた。讃美歌斉唱も、神に祈りを捧げ、心の平安を求める荘厳な雰囲気に圧倒された。そして献金と続いて、11時35分頃に終わった。私は献金しなかったが、こういう献金は、金額云々という卑しいものではなく、神に対する信仰の高さだと思う。詐欺等であくどく儲けた10万円を献金しても、神の祟りが何時か降り掛かるし、逆に汗水垂らして稼いだ中で100円だけでも献金したら、神のお恵みが何時か巡ってくるかも知れない。暇潰しでしたが、とても有意義な時間でした。
写真は名古屋中央教会。 |
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教会を出ると、噴水がある場所で東北6県のグルメフェスティバルなるイベントが開催されていた。東日本大震災と言う大災難から立ち上がり、新たな東北を造ろうとする意気込みが感じられるが、どうもあの大震災が呼び水になっているかのようで皮肉だ。丁度、昼餉時なので少し頂くか。
此処で気仙沼モツ煮と喜多方ラーメンを頂いた。喜多方は東京から行こうと思えば行けるのだが、真逆、名古屋で喜多方ラーメンとは。台湾ラーメンの発祥地の名古屋故、ちょっと後ろめたさもあるが、空腹には変えられないので頂いた。
食後、中日ビルに立ち寄り、ちょっとした掘り出し物を見付けた後に、上前津に向かった。大須と上前津は近くで、丁度大きな招き猫があるふれあい広場の近くに出るのだ。上前津に面する大きな通りにはパソコンショップが並んでいて、機器にさほど詳しくない私には入り難さがあるが、万松寺通りに入ると、入り難さが一掃され、賑やかな門前商店街が出迎えてくれる。
日曜日で賑やかな大須観音の門前商店街を当てもなく歩き、次々にデジタルカメラに手が伸びた。昨日の伊勢志摩同様、憧憬が募っていた場所故、細大漏らさず撮っておきたいと思ってね。「余所者が来た」と揶揄(やゆ)したかったら、すれば良い。こっちは半年振りの大須を堪能しに来ているし、余所の地へ入ったら、(地元の人以外)誰でも余所者になれるから。
大須観音に辿り着き、お神籖を引いた。何時もは奥まで手を入れて、引っ掻き回しながらお神籖を選んでいたのだが、今回は目に付いたお神籖を引いた。第25番、マイラッキー№「5」を2乗すると出る数字だ。結果は中吉。願い事の欄には「春より秋が良く、思い立つことがあれば、月末が良い」とあった。
また、門前商店街を歩くと、足が止まった。あのOS☆Uのメジャーデビューシングルのポスターだった。確か、2010年の大須大道町人祭で初めて会ったローカルアイドルだな。大須大道町人祭の折りには野外ライブに足を運んでいたが、年を追う毎に人が多くなって、2014年にはNHKのご当地アイドルランキングバトルで優勝を果たし、一気に全国に名が轟いた。そして、メジャーデビュー。何か、幼い子供が何時の間に大人になった錯覚だ。できることなら、此処大須を拠点にして貰いたいのだが。
写真は上前津側からの万松寺通。 |
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(2015年4月26日) 大須を存分に娯しむ東京人 |
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万松寺でもう一回お神籖を引いた。結果は吉で、「慈悲の心を持ち、天の道理を弁え、神仏の心に従えば運勢は良くなる」と書かれていた。「全ての吉凶は、過去の自分の行いで現れる」と出ていた。となると、今の職場の居心地の悪さは、過去の行いの悪さなのだろうか。何処が悪かったのだろうか。思い当たる節は見当たらないが……。
隣接している万松寺ビルで、またポップアイドルを見付けた。チアアイドルで、専用の劇場を持っていて、定期的にライブ公演しているそうだ。此処まで来れば、「猫も杓子も~」と言った所だ。今はまさにポップアイドルバブルにまみれていると言ってもいいだろう。これが弾けて、どのユニットが生き残れるか、それはファンの心理やプロデューサの手腕に掛かっていて、所属しているポップアイドルの腕は二の次となってしまう。昨日訪れた佐瑠目(さるめ)神社にでも、お願いしておくか。
行き付けのカフェで一服した。此処では本格的な珈琲が飲めるので、大須に来た時は必ず立ち寄っているのだ。
此処で、時間限定で提供されるミートグラタンを頂いた。昨日に続き、これで何食目だろう。松阪の本居宣長辨當、先程の気仙沼モツ煮と喜多方ラーメン。3食目でも体調が順調とは、「時間に奔放な非日常」の体調になっている証拠だ。鉄板で出されたグラタンは最後まで熱く、一緒に頼んだクラシックブレンドの温かさと相俟って暑くなってしまった。
大須の〆は、メイドカフェだ。とは言っても、テレビで報道される賑やかな所ではなく、純英国風の落ち着いた所だ。そこで、最後の一服として紅茶を頂いた。帰り際に、川越土産を手渡した。過去にも何度も川越土産を手渡していて、美味しく頂けたかどうかは「?」だが、原宿や渋谷から約40キロ離れた所にある、「小江戸川越」という何処でも真似できないワンダーランドがあることを心の隅に置いて貰えれば良いのだ。
この旅最後の夕餉は、これも名古屋名物の味噌カツを頂いた。しかも、味噌だれと普通のソースの2味が娯しめるわらじかつを頂いた。何とか平らげたが、八王子に戻ってきたら、妙な腹のごろつきに襲われて、何度も夜中に起きてしまった。新幹線に数時間も揺られたので、消化が妨げられてしまったのか判らないが、「時間に追われがちな日常」に戻ってしまう心理的なダメージもあったのかも知れない。とは言うものの、1年振りの伊勢志摩は、何とも新鮮で躍進溢れる旅路だった。 |
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