2014年9月13日 9月の送別会はビヤガーデンで

(2014年9月13日) 今夏の思い出を求める「送別会」

 (2014年)夏は、今までの夏と比較したら、とんでもなくつまらなかった。昨年12月中旬から続いていた療養から立ち直り、何とか仕事に有り付けたが、ずっと療養していたので余り金銭に余裕が無かった。会社側の盆休みの設定は自由だったが、先述の通り金銭に余裕が無く出掛けられなかったのと、もし取ったとしても、何処彼処も混雑しているので、疲れに行くだけだったので控えたのだ。
 そして、待望の給料が出て、日帰り旅行ができる目処が何とか立った。どうせなら、遠くに出掛けたい。もう5箇月も旅していない。何処に行こうかと昼休み中ずっと思案していた。序でに、名古屋のビヤガーデン「マイアミ」にでも行くか。大名古屋ビルヂングが改築工事が始まってから、栄のデパートで営業しているのを(2013年)昨年10月偶然知ったので、「再会」と言うことで行くことに決めた。そうとすると、名古屋から近い所が良いね。
 所が、その待望の日帰り旅行に、水を差す出来事があった。生産縮小で今勤めている場所が9月下旬の22日で終了することになった。また、求職するのかと鬱ぎ掛けたが、何と新しい場所がスンナリ決まったのだ。運気が好転している前兆なのかな? しかし、契約期間が当初の22日から9月17日に繰り上がった。できれば、22日にキッカリ終わって、23日の休日に旅したいと思っていた。そうすれば、その旅が巧く「送別会」と位置付けられ、成功させようと意気込めるからだ。でも、新しい場所が決まったから良いとして。13日の土曜日にその「送別会」と位置付けた日帰り旅行が始まった。「送別会」だから、印象に残る旅にしよう!
 浜線の一番電車に乗って新横浜へ向かった。これだと新横浜始発のひかり538号の自由席に難無く座れるが、どうも、この行程はワンパターンになってきたな。大事を取って一眠りするのも全く同じ。今度からは、別の行程を探すとするか。
 朝の売店を覗くと、6時前なのに賑わっていた。朝から元気が良いね。秋の三連休の始めだから、何処かへ出掛けられる嬉しさで、元気が出ているのだろうね。こっちも久し振りの旅で、成功させようと意気込んでいるから。ただ、「送別会」と位置付けた旅だけどね。
 売店を見ると、朝餉に充てているシュウマイが無い。発車時刻の6時まで後数分に迫っているので、悠長に待っていられない。仕方なく3切れ1セットのカツサンドを買って、車内でパクついた。しかし、三十路に入って体調考慮を最優先しているが、朝から揚げ物を頂くとは、随分軽挙妄動だな。久し振りの旅とは言え、心情に委せた行為は控えたい。
 そのカツサンドを熱海通過時から頂いたが、僅か3口で止まってしまい、頻りに温かい緑茶を喉に流し続けた。それなのに、一向に食欲が戻らない。途中で、車内販売の珈琲を頼んだが、カツサンドには手が伸びなかった。何だろう。胃もたれを起こしたのか? 齢36の若造が何を言う! 何とか緑茶と珈琲で脂を溶かしながら、カツサンドを抓み始めた。それでも、全部頂き切れなかった。
 の間に、この「送別会」の一部始終をデジタルカメラに収めようと、シャッターを押したが、新幹線の速度に付いて行けないのと、意外に障害物が多かったので、タイミングが悪く、根府川駅近くの鉄橋や工業地帯の奥に控える田子の浦を逃したり、天竜川や浜名湖がいい絵にならなかったりして踏んだり蹴ったり。やはり、こういう時は(先述の件)朝餉は控えたり、時間を我慢して鈍行に乗ったりした方が良いかもね。撮り損ねた屈辱とカツサンドを買った後悔を、珈琲で紛らわす他ない。屈辱と後悔が珈琲を苦くさせた。……どうも、珈琲もハズレっぽいな。微かな酸味を口中で求めても、何処にも無かった。チェーン店のカフェの珈琲と何ら変わりない。「送別会」は最初からハズレくじを引かされた。



(2014年9月13日) 久し振りの名古屋で、エナジー全開!


 5箇月振りの名古屋。東京人にとって、心安らぐ大都会の一つだ。その理由は、東京には殆ど無く、名古屋に一杯ある、口で説明できない何かがあるのだ。だから、訪れたくなるのだ。
 左手にナゴヤ球場が見えたら、通勤前である時間帯なのに、痩身に秘められていたエナジーが一気に全開した。仕事では決して使われず、旅する時だけに使われるエナジーだ。それは、この「送別会」を是非成功させたい強い意気込みだ。新幹線でカツサンドと写真撮影と珈琲で失敗しているからな。連敗を止めたい所だ。
 時26分、名古屋到着。此処で、八王子で買った栄養ドリンクを取り出した。この行動もワンパターンになりつつある。でも、これはこの栄養ドリンクのCMに採用されている或る俳優の矍鑠(かくしゃく)としている姿にあやかろうとする物で、変更はしたくない。そして、京都に向かう新幹線に向けて、栄養ドリンクを傾けるのだ。味は変わらないが、何処かが違う。この旅の定義だろうか、自分が置かれている立場なのだろうか。3月は先行き不透明感を打破する為の「景気付け」だったが、今回は(2箇月ながら)契約期間の勤務を全うできたご褒美としての「送別会」。やはり違う。
 飲み干したと同時に、新幹線は発った。新幹線を見送って、ホームを降りた。
 いやぁ、久し振りの名古屋だし、待望の(?)給料も出たことだし。そんな訳でエナジー全開だ。今日は夜遅くまで娯しむとするか! 丁度、カツサンドで引き起こした胃もたれが大分和らいだし、仕切り直しの朝餉と行くか。と、頂いたのはモーニング。これで良かった。変にあれこれ注文して残したくないもの。
 時16分の鈍行で、桑名へ向かった。空席が幾つかあったが、名古屋〜桑名は大した距離ではないので、立つことにした。
 普段は快速「みえ」で通る路線だが、こうやって鈍行で通るなんて本当に久し振りだ。特に時間を気にすることはないし、無情に通過する各駅の光景がよく見られる。快速の類いに乗る時は、単に通過したり停車したりする駅周辺の光景をチラチラ眺め、良い景色があれば瞬時に撮る勝負に出つつ、目的地に対する憧憬を募らせていくだけでいいが、鈍行だとそれらに加えて、各駅に停車するので、その光景から色々な空想が思い描け易いのだ。その空想が膨らませられるから、デジタルカメラのシャッターが何度も押せるのだ。蟹江駅近くにある昭和の薫りが売り物の居酒屋、ノンビリ釣り糸を垂らしている釣り堀、有人駅ながら屋根が付いてないホームがある永和駅、名鉄の野暮な赤い電車が停車している、日本一低い位置にある弥富駅(−0.93メートル)、そして雄大な流れを湛えている木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の狭間に位置する長島駅、それらを見ながら桑名へ向かう。何度も通っているが、こんなに変化に富んでいる都会の路線はそう無いだろう。

 上は車窓から見えたノンビリした釣り堀。
 下は「日本一低い位置の駅」をアピールしている弥富駅。



(2014年9月13日) 秋の3連休と三八の市


 処桑名は、桑名藩のお膝元だったこともあり、市内には海蔵寺、六華苑等の観光名所や、ナガシマスパーランドの東京でも名を馳せているレジャーランドがあるが、桑名界隈の住民が知る人ぞ知る名所があるのだ。それが、これから向かう寺町の「三八の市」である。「三八」の通り、3と8が付く日に(3、8、13、18、23、28日)開催される朝市である。近隣で収穫された青果類や鮮魚、生活雑貨や飲食物、更には仏具までもが、お手軽価格で買える何ともお得感が多いのも魅力。今まで何度も足を運び、色々な店を冷やかしながら、旅先で抓む飲食物や実家へ送る青果類を買った。今回も「送別会」と称した旅だから立ち寄ったのだ。何かあるだろう。
 日は秋の3連休の始めなので、相当混雑しているのかと中に入ったら、意外なことに思ったより混雑してなく、スイスイ歩ける。昨今の社会問題と化している地方都市の空洞化と眉を顰めそうになったが、品揃えの多さや品質の良さは、初めて立ち寄ったあの日から変わっていない。寧ろ、この三八の市を盛り立てる意気込みの強さが感じられる。近隣の会社が製造している商品を展示販売しているスペースが設けられていて、そこでも地元企業を応援し桑名を盛り立てようとする姿勢が読み取れる。これが巧く空洞化に歯止めが掛かれば、安倍内閣の成長戦略の一つ「地方再生」の実現の大きな一歩になるだろう。景気回復の主人公は、こういう一般市民なのかも知れないな。
 て、何を買おうかな。できるなら、宅配できる所がいいな。まずは、隅まで歩いて品定めするか。と、やってきたのは入口の青果売りだった。確か、此処は宅配できた筈だ。店の人に訊いてみると、勿論宅配可能。そうなれば、存分に買おうではないか。と、果物を見定めた。結構あるな。梨、桃、メロン、グレープフルーツ、葡萄(ぶどう)……、選び放題だ。すると、林檎(りんご)に目が行った。林檎か……。店の人からだと、初物だという。もう、林檎の時期か……。9月13日で秋の様相になるとは。高級青果店に入ると、夏でも林檎が置いているが、どうも季節がぼやけてしまって面白くないし、値が張る。やはり果物は旬の物が一番だ。
 そこに、店の人から初物の林檎の試食を勧められた。コリャ、有難いな。一口頂くか。サクッ。歯切れの良い音の後に、甘い味覚が口中に広がった。嗚呼、美味いわ。素直に林檎の甘い味覚に感動できるとは。ご褒美としての「送別会」だから、一層そう感じるのだ。だから、此処に立ち寄って正解なのだ。
 最初は、初物の林檎を選んだ。次は何にしようかなと、グレープフルーツを選んだ。2品だと少々寂しいな。彩りが欲しい。おぉ、函館産のメロンがあるではないか。函館は今年1月にリハビリと銘打って旅した場所だ。何かの因縁に違いない。入れるとするか。まだ、箱に余裕があるから、入れるか。葡萄と桃があった。嗚呼、時期が終わりだから、今年の頂き納めとして入れるか。葡萄と桃か、関東界隈だと山梨が有名だけど、此処では何処が有名なのかな。産地をちらっと見ると葡萄は何と名古屋近郊の大府市。桃は何と青森産。青森産の桃は初耳だし、何も桑名から遠い青森から仕入れてくることはないのに。今年の大雪で、山梨の果物農家は大打撃を受けて、品薄状態なのは判っているけどね。その5品を入れると、巧い具合に箱に収まった。値段は送料込みで3750円。しかも、消費税8%加算の折に出た10円未満の端数はサービス。端金だが馬鹿にはできない。
 最後に、試食した林檎をもう一切れ貰って、桑名駅へ向かった。気分がホッとした。
 林檎を頂いて一句。
 空清か初物林檎彼岸花

 上は桑名寺町通りで開催されている三八の市。
 下は宅配して貰った果物。



(2014年9月13日) 目指すは、湯の山温泉

 名から四日市へ向かった。事前に決めていた湯の山温泉に向かう為だ。JRではなく近鉄を利用したのだ。
 さて、近鉄四日市駅だが、JR四日市駅の工業地帯独特の無骨さに対し、周辺は高いビルが林立していたり、大道が伸びていたりと都市の様相がある。近鉄湯の山線、近鉄内部(うつべ)線、近鉄八王子線と乗り換えが多くあり(この内の内部線、八王子線は2015年4月から分離されて、「四日市あすなろう鉄道」となる)、駅ビルを兼ねた近鉄百貨店があるので、多くの人が往来している。現に、地元の人は「四日市駅」というと、近鉄四日市駅を指すそうである。じゃ、JR四日市駅の場合は何というのだろう。単に「JR四日市駅」というのかな。侘しい……。
 乗り換え時間があるので、構内を歩いていると、面白い冊子があったので1冊頂いた。「三重美少女図鑑」といって、モデルも地元出身者で、撮影場所も地元という地元を盛り上げる為に造られたミニ写真集である。何とこれが(2014年7月31日発行時点)10巻目なのだ。へぇ、地方の力は凄いね。安倍内閣の成長戦略の一つ「地方再生」の実現の大きな一歩でもあるな(そう言えば「方言彼女」もそうだったな)。でも、松阪や伊勢では見掛けなかった気がするけど、気付かなかっただけなのか。結構人気があり品切れになり易いと言うことから、「幻のフリーペーパー」と評されているが、こうやって入手できたのは、運気好転の前兆なのか?
 鉄四日市駅の高架線を通り、鈴鹿山脈の裾野に広がる田園地帯を走って、湯の山温泉に向かった。ワンマン運転で、停車駅の案内は無造作に流れるだけのアナウンス。乗客はおしゃべりを交わしたり、スマートフォンやタブレットを操作して、到着を待ったりしているが、私だけは顔の向きを外に向けて、珍しそうに四日市近郊の田園地帯を眺めていた。誰が余所者なのかは一目瞭然だ。迫り来る鈴鹿山脈を写真に収めていた。
 車窓はすっかり秋の様相になっていた。紅葉は時期的にはまだだが、広がる田圃では既に稲刈りが終わっている箇所があったり、蜻蛉が電車の速度を気にせず、ツーと飛んでいたり、停車中に虫の声が聞こえたりしている。もう夏は終わったのだ。今夏は殆ど娯しめなかったな。責めて、この旅だけでも夏に返り咲いて欲しいな。この陽気だけではなく、蝉の鳴き声もあればいいな。
 途中の駅では、数人が乗ったり降りたりしているだけ。あのスマートフォンを操作している人は、湯の山温泉に向かうのか。となると、湯の山温泉はあの熱海温泉同様、殷賑があるのだろう。『男はつらいよ』の第3作「フーテンの寅」の舞台となった湯の山温泉の光景があるに違いない。映画では多くの人で賑わった温泉郷が映し出されているが、果たして、平成の世でも続いているのかな。確か、寅さんが温泉旅館の女将さんに一目惚れし、宿賃代わりに働いていたが、その女将さんに大学教授との結婚の約束があったのを知らないで、結局周囲の嘲笑を買ってしまって、旅に出たという三枚目ストーリーだった。行きたい気持ちがあったものの、機会に恵まれず、「送別会」の旅で湯の山温泉に向かうことができるとは。
 片面ホームの大羽根園を発つと、湯の山温泉はすぐである。

 写真は車窓から見えた鈴鹿山脈。



(2014年9月13日) 湯の山温泉エレジー



 の山温泉に到着した。櫛形ホームに四日市からの電車が到着し、一斉に乗客が吐き出された。ホームに降り立つと、売店は無く、使われないホームにはすぐそこに雑木林が迫っていた。それでも駅には、駅員が常駐していて、特急券の販売を行っていたり、改札にはICカード読み取り機があったりしたりと、長閑(のどか)な光景に無味乾燥な現代文明が、厚顔無恥に入ってきた何ともアンバランスな駅だ。此処に自動改札機が導入されたら、蹴り壊したくなるだろう。
 そして、駅周辺に出ると、映画で思い描いていた温泉郷とは全く違う光景だったので、唖然呆然。土産物屋は片手で数えられる程しか無く、温泉旅館の歓迎の幟(のぼり)すら無かった。おいおい、夢でも見ているのかな……。何度も目を擦っても、見える光景は同じ。
 スで湯の山温泉に向かった。湯の山温泉郷は駅からバスで向かうのだ。映画と同じだ。もしかしたら、向こうには賑やかな温泉郷があるに違いない。そう期待を膨らませていると、途中から清流が見えてきた。底まで見えて何とも綺麗だ。そう言えば、川の流れなんて、向こうでは何ら気にしていなかったからな。地元では清流と思っているだけだが、東京人にとってはまさに目を奪う自然だ。10分間停車したら、存分に眺めたいのだが、途中から清流は反対側に移ってしまい、シャッターが切れなかった。しかも、バス停では乗降客が無く、無情にスッと通過するだけ。責めて、観光サービスとして、停車してくれよ。でも、バスに乗っている以上、余所者の私も地元客と見做されている。誰が余所者かは、誰も知らない。
 さて、湯の山温泉に到着。到着したのは小さなバス乗り場。えっ、こんなに小さかったのか? 映画では結構広かった気がするけど。確か映画では、此処でおいちゃん夫婦が降りて、「もみじ荘」という旅館からの迎えを探していたのだが、バスガイドが見付けて声を掛けたのだが、やってきたのは70歳近くの番頭で、ノンビリと煙草を吹かしてやってきたのが面白かった。
 ぁ、いいや。降りるとするか。運賃の270円を運賃箱に投げ入れると、また唖然呆然。映画で思い描いていた温泉郷とはうって違うのだ。映画の方が嘘を吐いていたのか、私の目が騙されているのか。瞬きを繰り返しても、全く変わらない。小さなバス乗り場の周りにはさっきのバスで見た清流が続いているが、1軒の鄙びた(ひなびた)土産物屋が寄り添うようにあり、急な坂を眺めると、営業している店は何処にも見当たらず、すっかり色褪せている看板が無気力で掲げられていたり、色褪せているポスターが窓に貼られている土産物屋が、広さと時間を持て余し気味だったりして、すっかり湯の山温泉が斜陽化していることを赤裸々にしていた。上州の水上温泉も閉館したホテルがそのままになっていたりしていたが、此処はそれ以上だな。アベノミクスの恩恵は行き届いて無さそうだな、コリャ。
 あの映画で見た光景は既に幻なのか、そうぼやきながら、急な坂を上り始めた。どの店も活気が無く、ゴーストタウンの中を歩いているかのような気がした。況してや、『男はつらいよ』で賑やかな湯の山温泉郷を見た私にとっては、この閑散振りは信じられないし信じたくない。
 バスを降りた人も一様に坂を上っている。もしかしたら、湯の山温泉駅で見た御在所ロープウェーに乗る人達なのか。でも、この閑散とした温泉街だ。ロープウェーもその煽りを受けている可能性は否定できない。
 営業しているような旅館を見付けたら、その脇の道を通る。すると、清流を跨ぐ橋があり、此処でも1枚撮った。おぉ、蝉が啼いている。去りゆく夏に送るエレジー。

 上は近鉄湯の山温泉駅。
 中は湯の山温泉郷。
 下は都会人には目の保養になる(?)清流。



(2014年9月13日) 高所恐怖症 対 御在所ロープウェー




 を渡って、急な階段を登り切ると、御在所ロープウェー乗り場に到着する。すると、そこには人の往来があって、小綺麗なホテルや広いタクシー乗り場もある。乗り場近くには綺麗な売店やレストハウス等もあり、まあ賑わっている。なんか変だな。温泉街が寂れていて、ロープウェーは賑わっているとは、酷い差だな、コリャ。
 往復で2160円也。結構高いな。その割には改札はQRコード(ケイタイやスマートフォンで読み取るバーコードみたいな物)で読み取りなんて、随分差があるな。責めて、ICカードで往復切符が買えるようにしてよ。2160円か。予算が1万2000円と限られている中で、結構な出費だ。これで、向かう御在所岳がとんでもない所だったら、ドブに捨てる物だ。それだけは避けたいな。
 赤いゴンドラに旅人が一人ポツンと居座って、太いワイヤーに吊されて出発した。グォーン。力強いエンジン音を聞きながら、急勾配を上るロープウェー。まだ、地面とそんなに離れていないから、素直にこれから向かう御在所岳に対しての期待が高まる。
 が、1つ目の支柱を過ぎると、一気に地面が低くなり、心拍数が高くなり始めた。今の所は何とか平常心が保てる。外を見ると、夏の日差しを受けて生長した森が、統一化された緑色で無関心に歓迎していた。直線上には支柱が何本も立っていて、上を見ると所々岩が露出している御在所岳が見えてくる。話に因ると、此処の紅葉は中京圏でも有名だと聞いているが、紅葉の時期ではなくても急勾配のロープウェーは、最初から高所恐怖症の私には利くな。まだ出発したばかりなので、暫く続きそうだ。よく見ると、太いワイヤー1本にぶら下がっているだけで、堂々とこんな重いゴンドラが動かせるな。途中でワイヤーが切れてしまわないか。嫌な予感を過ぎらせ始めた。こんな所でワイヤーなんか切れたら、洒落にもならないぞ。下を撮したら、延々と続いている森に岩が剥き出しになっている箇所が見られた。早く過ぎてくれ!
 支柱を過ぎて、「504メートル」の標識が見えた。海抜504メートルのことだろうが、今朝JR弥富駅で日本一海抜が低い−0.93メートルの標識を見た私には、甚だしい高低差に驚きを隠せなかった。まだまだ御在所岳まであるな。
 まる心拍数を何とか怺えて、御在所岳の反対を見たら、私の手はデジタルカメラに伸びた。心拍数で微かに震える指に活を入れて、シャッターを押す。
 伊勢平野が広がっていた。湯の山温泉郷は何処か判らないが、麓の森林が終わると、住宅地が密集していて、その住宅地の境目を為すかの如く、田園地帯が広がっていた。その向こうは四日市の都会だろう。都会と田舎が混在している地域だ。買い物や仕事に出掛ける時も、静かな所で寛ぐ時も何かとしら便利だ。こりゃ、御在所ロープウェーの良き酒肴(しゅこう)だな。その酒肴を頂く毎に、心拍数がゆっくり下降してきた。
 さて、名古屋はどの辺りになるのだ。地理に詳しい私は、見えた光景から名古屋の方角を察知して、ズームを向けた。細々としていてぼやけて見える場所がそうなのか。名古屋城やテレビ塔は見えないな。しかも、その手前には森が綺麗に点在していて、それを境にして森らしい森は見当たらなかった。千葉ポートタワーで、南東に位置する鎌取方面を眺めた時もそうだったが、本当に境目がクッキリしているわ。そして、遠くに聳えるのは高山本線が走る飛騨山脈だろう。
 四日市港に広がる工業地帯は何処だ? ズームを伸ばして探すと、あったよ。赤と白のツートンカラーの煙突から、集塵装置で浄化された白煙が、四日市の空に吐き出されていた。今日は土曜日と言うこともあって、2箇所だけしか確認できなかった。火力発電所か普通の工場か。もし、後者で休日出勤しているとなれば、「送別会」と銘打って旅している私を許せよ。
 その向こうは伊勢湾で、行き交う数隻のタンカーが見えた。行き先は何処なのだろう……。千葉港と同様、外国から来たタンカーもあるだろう。何処の船籍かな。もしかしたら、18年間も探していたギリシャ船があったりして。向こう側も見えたが、きっと知多半島だろう。だったら、セントレア(中部国際空港)が見える筈だ。左から橋が延びていて、繋がっている島がセントレアなのだろう。こう見たら、伊勢湾って意外に狭いな。でも、海の幸が豊かなのだから判らない。「フーテンの寅」の寅さんも、この眺望を眺めていたのだろうか。映画では丁度紅葉シーズンで、紅葉の中を飛んでいる鳥を、女将の子供と一緒に眺めていたが。
 い掛けず、良き眺望を撮していたら、風が吹き始めてきて、ゴンドラを揺らし始めた。落ち着いてきた心拍数が再び上昇した。風で振り落とされる心配はまず無いが、ほんの僅かな揺れでも高度が加わってしまえば、とんでもないスリルになってしまう。風でこの場に停まってしまったとなれば、スリル程度では済まされない。今度はこのスリルを酒肴にしなければいけないのか。甘い夢は続かない物だな、コリャ。早く、御在所岳に到着しないのか? 揺れは激しくないが、高所恐怖症にはきついな……。下なんか見たくもないわ!
 目の前に白い支柱が立っていた。ロープウェー側からの話では、この白い支柱も見所らしいのだが、何処が見所なのかというと、支柱の高さだそうだ。余計心拍数を上げさせる物が見所だってさ。おまけに風が車体を揺らしているのだから、気分が悪くなるのも時間の問題になってきた。しかも、帰りもこのロープウェーだから、御在所岳到着前で気分が滅入りそうになってきた。2160円払って良き眺望が見えた他に、こんな質の悪いスリルがおまけに付いてくるとは。「送別会」にしては悪戯(いたずら)みたいに感じる。途中、長年の風雨が創り上げた奇岩が出迎えてくれたが、優雅に眺めている余裕は無い。とにかく、早く到着してくれぇっ。

 上は御在所ロープウェー乗り場。
 中は「504メートル」の標識が見える支柱とロープウェーからの眺望。
 下は見所(?)の一つ、一番高い支柱。



(2014年9月13日) 9月の御在所岳で今夏の娯しみ



 っと、御在所岳に到着した。到着10秒前で何とか平常心を装い、しっかりとした足取りで出口に向かった。いやはや凄いな。甚だしい高低差には心拍数が上がったが、ゴンドラからの眺望は絶景に相応しかったな。
 あれ、涼しいな。そうだ。麓で此処の気温が表示されていたけど、4〜5℃も下がったら、こんなに涼しくなるのか。棘が無く柔らかい、クーラーではできない心地よい涼しさだ。存分に吸っておくか。
 ……今年の夏は本当につまらなかったな。自由設定のお盆休みを返上して、給料を多く貰えるように仕事ばっかりだったな。それ故、除湿機やクーラーで作られた人工的涼風しか娯しめなかった。やっと9月13日になって、今夏の娯しみが貰えたのだ。9月中旬だけど、間に合うかな。これから向かう大須、そして、栄のビヤガーデンに夏の欠片が残っているだろうか。
 涼風に吹かれて一句。
 御在所の癒やす涼風夏去りぬ

 ープウェーから降り、順路に従って歩くと、土産物を備えたレストハウスに入った。此処で私の旅心が働いた。絵はがきとテレカは無いかな。菓子折やらキーホルダーやら何処でもありそうな土産には目もくれず、探すこと約5分。あったよ。まだ、現代文明に淘汰されていないようだ。帰りに買っておくか。
 と、レストハウスを覗くと、そうだ。名古屋でモーニングを頂いただけだったな。さて、どうしようか。時間的にも良い頃だが、さっきのロープウェーを思い出してしまうと、躊躇いを覚えてしまう。気分を悪くしてしまったら、この後の行程がパーになり兼ねない。後で考えるか。胸を擦りながら展望台へ向かったら、心拍数が不健康に高くなりそうな物を見付けた。
 光リフトだ。ちらっと見たら、スキー場のような小高い丘があったから、スキーリフトなのかと思ったが、今度は吹き曝しの状態で高い所へ向かうのだから、高所恐怖症の私にはとてもできない。ロープウェーのように風に吹かれてしまったら、食欲すら無くしてしまうだろう。
 御在所岳展望台(朝陽台広場)には気象レーダーや鳥居があって、ちょっと異様な感じだが、客の入りは良い方だ。少しは、湯の山温泉郷の方に回してくれても、良いじゃないか。眺望はロープウェーからとは少し違うので、二度娯しめそうだ。
 朝陽台広場には、多くの観光客がいて、御在所岳からの四日市や名古屋等の中京の大都会の眺望を娯しんでいた。ロープウェーから見ていた筈だろうが、此処でも眺めるとは何処か二度手間のような気がするが、眺望はロープウェーからとは少し違うので、二度娯しめそうだ。此処ではロープウェーでは見られなかった鈴鹿山脈が見られるのだ。さて、「送別会」と銘打った日帰りの旅に出た旅人には、どう見える? ……緑に覆われた冗漫な山々しか見られなかったが、あの山を越えると、一体何処に着くのだろう。鳥は羽があるからすぐに向かえるのだが、人間は飛べないからこうして想像を膨らませて、向こう側への憧憬を募らせていくのだ。だから、旅に出るのだ。今はほぼ統一化された緑色で占められているが、紅葉の時期になると、「フーテンの寅」で見た良い紅葉になるだろう。確か、寅さんが自分の背広を女将の子供に羽織らせて、景色を眺めていたけど、思わぬ寒さにくしゃみを連発し風邪を引いたな。1970年の作品だが、眺望の良さは45年も経った2014年でも変わらないな、コリャ。この中に2014年の寅さんはいるのかな。えっ、この私がそうだって。言われてみれば、そうだな。或る意味、根無し草みたいな人生を送ったし。

 上は気象レーダーがある御在所岳。
 中は朝陽台広場からの伊勢湾方面。
 下は朝陽台広場からの鈴鹿山脈。



(2014年9月13日) 思わぬ出会いとタイムカプセル

 わぬ出会いがあるのも旅の醍醐味。いきなり唐突なことだが、そうなのだ。
 賑わう展望台で、4台のシンセサイザーを巧みに演奏している人がいたのだ。その演奏は隅まで澄んでいる音色で、観光客の心身をリラックスさせている。その音色にロープウェーで高まった心拍数が、徐々に下がり始めた。そして、身体を柔らかく包むオーラを自然に感じた。近くに置かれているCDや記事を見ると、各地の名峰の晴れ模様や澄み切った空気、更には此処でしか感じられない雰囲気を、演奏者が自ら感じ取った感覚に変換し、巧みに「演奏」という手段で表現しているそうで、何度もマスコミに登場しているのだ。
 これは一体何だろう。御在所岳にしかない雰囲気や感覚は……。巧く歌え、囓り程度の鉄琴演奏の腕、そして指揮棒を巧く振れるだけの私に判るだろうか。いや、容易く(たやすく)判る由もない。欧州の王立音楽学校を出なければ判らないのか。それでも、判らないだろう。それは、近くに置かれているCDをもう一度見ると、すぐに判った。音楽を嗜む他に多くの名峰を訪れて、感じなければ判らないのだ。やはり、同じ雰囲気を持つ山海は無いのだ。素人が聴いたら、綺麗な音色を用いた巧みな演奏にしか感じないだろう。これでは此処に来た甲斐が無いし、冗漫な人生しか歩めなくなる。何かを感じて、これからの人生を豊かな物にしたい。そこで、その演奏者がリリース(発売)しているCDを2枚買った。
 そうだ。もう一つだけ綴らせてくれ。
 在所岳にはタイムカプセルが埋設されていて、湯の山温泉と御在所ロープウェーの過去30年間の歩みが記されている文書、写真、新聞等が埋設されている。埋設年が1989年、開封年が何と2019年と出ていて、後5年と迫っている。同時に1989年と2014年の時の長さと短さを、脳裏に蘇らせた。数字の羅列だけを見ると、1989年と2014年との25年間の短さがすぐに読み取れるが、実際には気が遠くなりそうな年月だ。1989年と言えば私は11歳だ。まだ、小江戸川越の西の方にいる極普通の小学生だったな。そして、2014年は鬱から漸く立ち直って、普通の生活の軌道に戻りつつある三十路男だ。その間は激動波乱に満ちた中学生、旅に開眼した高校生、ひたすら働いた社会人……。その間、多くの人達が私の所に現れ、そして去って行った。今度はどの人に出会えるのだろう。私の花嫁となる女に出逢えるのか。そして、どの人がこの世を去るのだろう。あの時に戻れなくても、積み重ねた我が糧だ。きっと役に立つだろう。
 25年の重みを感じて一首。
 寿命無しタイムカプセル時待ちぬ生まれて逝りて儚き人間

 写真は開封年をじっと待つタイムカプセル。



(2014年9月13日) 「送別会」で聴いた『旅笠道中』

 在所の涼風で心拍数を沈め、去りゆく夏を認めた私は、もう一度レストハウスに戻った。時刻は12時15分。丁度良い昼餉時だ。此処で昼餉でも摂ろうか……。しかし、またあのロープウェーに乗るとしたら、気分を悪くしてしまうかも知れない。でも、名古屋まで持ちそうにない。一体、どっちにしよう。と、券売機に1000円札を差し込んで、ビーフカレーのボタンを押した。750円也。途中で停まることはないだろう。
 窓から見える御在所岳をチラチラ見ながら頂いた。観光リフトにはチラホラ客がいて、高さもさほどでは無さそうだが、吹き曝しで、突風が吹いたら一溜まりも無さそうだ。駄目だ。先程のロープウェーの恐怖が蘇ってきて、食が鈍りそうだから、深く考えないようにしよう。
 ープウェーで若い家族連れと一緒になり、今度は湯の山温泉郷を撮して、乗り場の土産物屋を覗いて、閑散とした温泉街をまた歩き、バス停にやってきた。まだ時間が8分程あるから、近くの土産物屋に入るとするか。そうだ。此処で紀和に菓子折でも送るとするか。しかし、8分という時間に安堵し過ぎて、発車時刻まで2分になるまでジックリ選んでしまい、何も買わずに発つのは失礼になってしまうので、手頃なくるみゆべしを買って、バスに乗った。くるみゆべしって東北が有名だけど、此処で頂けるとは。
 度は清流側の席に座ったので(行きと同じ座席に着いたと言うこと)、撮りそびれた清流が存分に撮れた。本当に清流だ。
 しかし、その清流が遠離る(とおざかる)と、ロープウェーで一緒だった若い家族連れが気に掛かった。私より年下だろう。赤ん坊を抱えて幸せそうだったな。なのに、私は齢36になっても、まだ伝手が無い。旅の時だけ元気になり、生き甲斐を悟る旅烏だ。身軽だが、誰も私の身を案じる人はいない。合コン云々の手立ては幾分か知ってはいるが、果たして、私を好いてくれるか、結婚まで行き着くか、それが問題だ。しかも、親戚にも新しい家族ができたと言うから、寂しさは一入だ。
 の山温泉駅に着き、近くの土産物屋で頼みそびれた菓子折の宅配を頼んだ。今年は様々な事情が重なって帰省できず、向こうは相当落胆したと聞いた。どうせなら、花嫁を連れて、安心させてやりたいのだ。祖母は昭和1桁生まれだから、余り猶予は無いから尚更だ。余りにも気楽過ぎる旅好きの私の性に溜息が漏れた。
 御在所ロープウェーの往復代金2160円の意味が、何処と無く判った気がする。単に眺望の良さやスリルだけなら、2160円はべらぼうに高く感じる。そこに御在所岳で出会ったミュージシャンの生演奏が加わっても、高く感じてしまう。あの家族連れとの道連れを加えれば、2160円はそんなに高くない金額に感じる。特に会話は交わしていないが、赤ん坊が一緒と言うことは、明らかに私に何かを語っているようにも思える。いよいよ、私も自分の年齢を考える時期になったとでも言えよう。もう齢36だ。家庭を持っても早くない年頃だ。「結婚もせず、今まで何をしてきた」と自戒を求めることもあるが、「結婚し家庭を持つなら、今こそ立ち上がる時だ」と奮起を促しているようにも感じられる。
 「ーテンの寅」では、失恋した寅さんが東海林太郎の代表作『旅笠道中』を唄って、湯の山温泉から発ったのだが、今の私の身上を見ても、多かれ少なかれ寅さんとの身上に似ている気がする。1箇月間女将さんに一目惚れして宿賃代わりに働いた寅さんが、結婚の約束を交わしていた女将さんと断腸の思いで別れるのと(その時、女将さんは婚約者と出掛けていた)、2箇月間頑張って働いた私に、業務縮小の因る契約満了を突き付けられての「送別会」と銘打った日帰りの旅。旅立つ哀しさだ。決して戻らないだろう。でも、そこであった出来事を糧にできるかは本人次第だ。思わず口ずさむ『旅笠道中』。

 恋も人情も 旅の空……

 いい歌詞だ。寅さんもこの歌詞を噛み締めて、湯の山から発ったのだろう。



(2014年9月13日) 珈琲と手紙

 日市行きの電車に乗ったが、何と四日市到着のほんの10分前に寝込んでしまった。すると、停車と同時に目が覚めたのだ。何ともタイミングが良い私の体内時計だ。巧く、これが出逢いに繋がればと思うのだが、買ったのは無糖紅茶。名古屋に着くまで、渋みと苦みが私の身体を貫通した。
 古屋から地下鉄で、大須に着いた。5箇月振りだな。何か、此処に立ち寄ると元気になるよ。人と町の相性という物だ。大須観音で引いたお神籖もそれを証明してくれよう。大吉が出たからだ。「送別会」としては最高だ。
 大須観音に広がる商店街を歩くと、土曜日なので往来が激しい。でも、此処はかつて町の再開発に取り残されて、閑古鳥が啼いていた場所だったそうだが、こう歩いてみると、そんな雰囲気は何処にも感じられない。
 上前津に近い万松寺でお神籖を引いたら、凶が出た。どうも、万松寺では良いお神籖を引けない。「送別会」なのだから、中吉位引かせてよ! 苦笑を出しながら、お神籖を結び付けた。
 き付けのカフェに入り、世界各国の珈琲がズラズラ並んでいる品書きを流すように見つめて、クラシックブレンドとパンケーキを頼んだ。此処の珈琲は独特の製法で抽出しているから美味いと評判なのだ。実際、カフェに立ち寄って美味い珈琲に出会えたことは片手で数える程。チェーン店の珈琲は飲まなくなったな。
 難しい話はさておき。私は家から持ってきた葉書に、祖母に宛てる手紙を綴った。齢36になっても家庭が持てないつらさや早く家庭を持ちたい気持ちを延々綴った。「景気付け」の4月の旅でも手紙を綴ったが、内容は鬱に蝕まれているつらさや情緒不安定に陥っていることだった。でも、今回は「何とか仕事に有り付けた」等の明るい内容が盛り込まれていたから良いだろう。脇目も振らず、一気にガッと綴った所で、珈琲とパンケーキが届いた。
 何時もの砂糖少なめにクリーム多めで頂いた。余り砂糖を入れ過ぎると、珈琲独特の苦みが掻き消されてしまうからだ。齢36なのだから、大人の珈琲を飲みたい。「ほぉ」と溜息が漏れた。苦みと酸味が醸し出す良い珈琲だからだ。



(2014年9月13日) 2年振りのビヤガーデン

 へ向かった。中京界隈でも有名な繁華街だが、特に毒々しい雰囲気は薄く、多くのデパートやテレビ塔、セントラルパークやオアシス21等がある憩いの場にもなっている。
 実は此処に今から2年前に来たビヤガーデンがあるのだ。名古屋人ならばご存じ「マイアミ」。私の初めてのビヤガーデンを彩ってくれた場所だ。正確に言えば、2年前に開催されていた名古屋駅桜通口から程近い大名古屋ビルヂングが、老朽化で建て直しされているので、此処栄三越に移転したのだ。同じ場所での再会はまだ先になりそうだが、この「マイアミ」が続いているだけでも、充分に来た価値がありそうだ。
 古屋テレビ塔を入れた栄の黄昏を撮って、三越へ入った。
 エレベーターで屋上へ向かう途中、ゆっくり名古屋人の仮面を被りながら、2年前に勉強したことを思い起こした。食事は程良く取って、ステージライブも同時に効率よく娯しむことが第一条件。その為には……、屋上に着いたから食事がてら話すとするか。
 入口にはあの時と同じ、多くの人がいた。空席待ちなのか、約束した人との待ち合わせなのか、受付には誰もいなかった。前回は待ち時間0分という幸運に恵まれ、待ち侘びている人達を後目に、ビヤガーデンを娯しんだな。今回もそうだろうか?
 受付で「1人」と答えたら、すぐに案内された。前回と同じ幸運に巡り会えたのだが、よく考えてみると、あの人達は待ち合わせしている人だろう。時間帯が早かったのか、空席が目立っていた。
 案内されたのは、テレビ塔がよく見える栄の街並に面している席だった。コリャ、良い席だなぁ。一人感心していたが、投棄防止のネットで覆われている点は頂けない。撮ろうとしたら、ネットが邪魔するからだ。巧くズームがネットに挟まってくれれば、良いのだが。
 員の説明を受けて、まず向かったのは飲み物コーナー。此処は150分間食べ放題飲み放題だが、この150分の長さに安堵し過ぎると、あっという間に過ぎてしまう。ステージライブがあるとなると尚更だ。とにかく、すぐに戦闘開始になってしまうのだ。
 此処では冷やされたジョッキに矢継ぎ早に生ビールを注いでいるが、ジョッキでソフトドリンクを飲みたいな。しかし、ソフトドリンクの場合は、傍にあるプラスチックのグラスにして下さいと言うことだった。安っぽさが拭えないプラスチックのグラスで、ビヤガーデンを娯しまなくてはいけないのか。まぁ、9月13日にビヤガーデンに行けたことを見ると、何とか目を瞑れそうだ。氷を5分程入れて、ウーロン茶を9分程注いで席に戻った。
 まずは、2年振りのビヤガーデンに有り付けたことに乾杯! 嗚呼、ウーロン茶の冷たさが痩身を貫き、冷たさから快感が湧き出た。夏はまだ残っていたようだ。
 ウーロン茶を少しずつ啜りながら、周りを見渡すと、各々に娯しんでいた。仲間と談笑しながら頂いたり、黄昏近くの栄を眺めながら言葉少なめに娯しんだり、多めに取った食べ物で七輪を埋め尽くして、脇目も振らず食事に没頭したりしていた。その中に、外国人観光客がいた。外国には無いのかな? 頻りに写真を撮っていた。でも、ビヤガーデンでの食事は思い出になるだろう。
 飲みながら一句と一首。
 去りし夏惜しみて捧ぐこのジョッキビヤガーデンで望みし来夏
 秋入りて余所はまだ夏ビヤガーデン

 ーロン茶を半分程干した時、モニターに或る曲が流れていた。『大名古屋ブルース』と出ていた。聴いたこと無いな。ロス・プリモスの『名古屋ブルース』は知っているが。でも、『大名古屋ブルース』って何だ。すると、このビヤガーデン「マイアミ」で、その謎は解けた。名古屋駅桜通口近くにあった大名古屋ビルヂングから拝借した歌かも知れない。このビルは名古屋人にとっては馴染み深かったから、大名古屋ビルヂングの面影を薄れさせないように、作られた歌なのだろう。その歌詞は何と名古屋市内の地名の読みを使った駄洒落歌。駄洒落の苦笑よりも、地名の読みを巧く歌詞に当てはめている点が何とも凄い。恐らく、東京でも作れないだろう。
 おっと、ノンビリとウーロン茶を傾けている場合じゃないぞ。時計を見たら悠に10分を過ぎていた。後140分。効率よく娯しんで東京へ帰りたい。20時29分のぷらっとこだまの切符を取っているから、19時50分には此処を発たなければいけないから、尚更だ。
 ウーロン茶での暫しの休息を終えて、戦闘再開だ!



(2014年9月13日) 夕闇訪れるビヤガーデン

 かったのはスモーガスボード(よく言う「バイキング」の英訳)コーナー。ビヤガーデンは下戸には無縁のイベントかと思いがちだが、先述のウーロン茶に察知すると、決してそうではないのだ。ソフトドリンクを始め、サラダ、焼き野菜、焼肉、揚げ物、焼きそば、うどん、スイーツ等豊富にあるのだ。一杯あるのだが、頂き切れる分だけ取るのが常識。を取るが如く、がめつく取って残してしまう醜態はチョンボだ。コーナーに貼られていた、飢餓救済のポスターを見ると、食べ物等で元を取ろうとする行為は、自粛すべきだろう。できるなら、飢餓に苦しんでいる人達を自腹を切ってでも招待してやりたい。
 そんなことで、頂き切れる分だけ頂こう。何にしようかな。すると、私の大好きなタンがあったのだ。牛タンではなさそうだが、独特の歯応えが何とも言えないから、多めに取った。前回頂いた砂肝、味付けホルモン、枝豆、フレンチフライを取って戦闘開始!
 まずは砂肝とタンを焼いた。七輪は何処か頼りなさそうに見えるが、火力が意外に強くすぐに焼けてしまうのだ。前回はこの火力に付いて行けず、汗だくになり掛けたが、此処でも2年前に勉強した糧が大いに役に立つ。程なく焼けた所で辛味があるたれに浸けて頂いた。味は文句は無いが、味付けしていないタンは何処か物足りないな。備えられているたれのボトルを、タンが盛られている皿に傾けて、たれと絡ませた。事前に味付けするのだ。たれが染み込むまでのその合間にウーロン茶を傾けながら、味付けホルモンと枝豆を抓んだ。
 しかし、私の視線は左後ろにあるステージをチラチラ見てばかりだった。ただ食べ放題飲み放題の食事に現を抜かすだけでは、本当にビヤガーデンを娯しめるとは思えない。こういう息抜きのライブイベントを取り入れることで、ビヤガーデンの醍醐味が娯しめるという物だ。判り易く言えば、「変化を持たせよ」と言うこと。2年前はライブがあることは知っていたが、時間が判らず、会場のアナウンスで向かった。その時は、多くの来場者で一杯で、ステージの美味しい場所が取れなかった。だから、一番前の場所を狙っているのだ。良いショットが撮れるし、ステージの迫力や雰囲気が直接伝わってくるからだ。
 ……まだ始まりそうも無いので、タンでも焼くか。
 たれに浸けたタンを七輪で焼いて、口に放り込んだ。さっきよりは味が幾分か付いていた。しかし、取り皿が浅くて小さかったので、2枚以上一気には行けない。湯の山温泉や御在所岳、5箇月振りの大須に立ち寄れて、タンが頂けたのだから、豪快に行きたい物だが。
 ステージが始まる気配が無いので、暫くは食事に没頭できそうだ。
 18時を過ぎて、次第に栄に夕闇が訪れ始めた。先述の通り、私の席から栄の街並がよく見え、撮りたいならばすぐさま撮れるのだが、投棄防止のネットが良い具合に邪魔しているから、巧くデジタルカメラのズームが、ネットの網に挟まってくれるか。と、デジタルカメラを構えたが、ネットの網が小さくズームが挟めず、ネットが邪魔している余り冴えない絵になってしまった。何だか、閉じ込められた錯覚が強く、距離が遠くに感じてしまう。独房で頂いているみたいだ。

 写真は黄昏時の栄。投棄防止ネットがなければ、いい絵になった筈。



(2014年9月13日) ステージで迎えた今夏の思い出

 ぁ、気分が滅入りそうなので、話を変えよう。
 そうだ。ライブの事でも話そうか。
 19時近くになると、ステージに人が集まり始めた。此処で2年前に勉強した糧が役に立つ。始まるのだ。食事もキリの良い所なので、ステージへ向かうとするか。新たに入れたジンジャーエールをグッと啜って。
 その糧が役に立ち、一番前に陣取れた。ベースやシンセサイザー等チューニング(調律)をしている演奏者を見ていたら、続々とやってきた。
 それにしても、日本人は本当に礼儀正しいね。一番前に陣取れなくても割り込みをしたり、「その場をよこせ」と脅したりしないからだ。それも、少し酒精が入って微酔い(ほろよい)気分できた人でもだ。それでも、きちんとガードマンが警備しているのだから、安心してビヤガーデンが娯しめるのだ。ガードマンは、営業中はビヤガーデンを娯しむ光景を羨ましく見ながら仕事をするという貧乏くじを引かされているように見えるが、ライブが待たなくても難無く見られるという特典が付いている。しかも、制服着用しているので、自然に美味しい所が取れるのだ。
 くしたら、テンポの良いトランペットの音楽が始まり、アフロヘアとロイド眼鏡、チョビ髭に仮装した男性が出てきた。周囲の興奮は一気に高まった。このビヤガーデン「マイアミ」のお馴染みの人物として、名古屋人に親しまれている。名前は判らない。ただ余所者の私が言えるのは、この人のノリはラテン系だと言う事だ。根拠はこれだ。
「さぁ、第2回目のステージが始まります! みなさぁ〜ん、用意はいいですかっ!」
「オォーッ!」ノリのいい返事が返った。
「それでは、1、2、3と『3』と叫んだら、拳を高く掲げて、『アミーゴ』と叫びましょう!」2年前はジョッキだった気がするが、安全面を考慮して拳になったのかな。でも、まぁ、酒精の勢いに委せて醜態を曝すよりはましだろう
「1、2、3!」ほんの3秒程だが、名古屋人の興奮が急上昇する瞬間だ。
「アミーゴーッ!」ノリのいい雄叫びが、ビヤガーデン中に響いた。酒精特有の興奮作用だけではなく、9月13日でも夏の範疇にいる錯覚に陶酔している証だろう。提供されている飲食物も夏のと殆ど変わらず、服装も夏の半袖が大半だから、時期の法螺を吹いても素直に夏と信じるだろうが、私のような今夏の思い出が無く、今になって漸く創れる人はいないみたいだな。まだ、夏を娯しみ切れていないのか?
 ステージ脇の出入口から若い女性が4人出てきた。先程の興奮が醒めやらぬ内に、拍手が沸き起こった。あたかも、人気アイドルユニットライブの声援に似ている。そうだな。この私も「送別会」と銘打っているから、思い切り娯しもうではないか。私も拍手を送った。此処まで来たら、一人の名古屋人に装えたな、コリャ。
 の興奮を材料にして、歌が始まった。勿論小さいステージなので、大きなアクションは取れないが、青と紫のライトに照らされて、手振り身振りで一生懸命に躍りながら明るい歌を熱唱している。聴いた事がない曲だが、とにかく明るい歌だ。興奮がまた高まった。周囲はトーチライトを振ったり、拳を挙げて威勢ある声援を挙げたりして、ビヤガーデンのライブだが、アイドルユニットのライブの熱気さながらの様相を呈していた。その声援は巧く聞き取れなかったが、とにかく興奮が詰まっていて、このライブに華を添えているかのようだった。ライブは殆ど行った経験が無いから、行動の一つ一つが新鮮に感じられる。明るい歌と威勢ある声援で、一気に9月13日に夏が戻ったのだ。私の身に今夏の思い出が、降り立ってきたのだ。
 さて、1曲目が終わり、2曲目に入った。これもオリジナルソングだろう。聴いたことがない曲だが、今夏の思い出にするには相応しい明るい曲だ。
 ステージを見ると、2人1組で赤と黄色の服を着ているし、巧く聞き取れない声援も何とか耳を澄ますと、「マイちゃん」と「アミちゃん」が聞こえる。これは「Jupiter(ジュピター)」と「Venus(ヴィーナス)」の2組に分かれていて、それぞれ「マイちゃん」と「アミちゃん」がいる設定なのだ。あれ、2年前は「Team Red」と「Team Yellow」だったけど。また、どうして、マイちゃんとアミちゃんかというと、このビヤガーデンの名前が「マイアミ」という名だからだ。単純明快だが、設定はきちんとしている上、実際にCDも発売しているのだから、たかがビヤガーデンのライブと侮ってはいけない。
 ライブ中にこっそりと一首。
 ビヤガーデン食欲の秋戦なりステージ見るもこれまた戦



(2014年9月13日) ライブで悟った去り行く夏のバラード

 振り構わず声援を挙げて、ライブを盛り上げている姿勢は、ビヤガーデン側にとっては嬉しい事だが、どうも私は周囲同様の声援が挙げられなかった。齢36と言う事もあって、いい年して周囲に迷惑を被る事を知らない声援を挙げるのは大人気無いし、あくまでもこれは契約期間満了と言う事で、今までの苦労をねぎらう為の「送別会」と銘打った日帰り旅行だ。(2箇月ながら)慣れ親しんだ職場を離れる寂しさが勝っていたので、声援が挙げられなかった。もう二度と会う事は無いだろう……。今度はどんな職場に行くのだろう。
 うしんみりしていると、ライブはオリジナルソングが終わり、モーニング娘。の代表作『恋愛レボリューション』を歌い出した。周囲は相変わらず威勢ある声援を挙げているが、私はこの時点から、夏に戻った錯覚から徐々に醒め始めていた。オリジナルソングはその場でしか聴けないが、メジャーな曲に入ると、ライブは後半に入っていった事が何処と無く判る。次第に、周辺は去り行く夏を惜しむかの如く、今夏で使い切れなかったエナジーを、このライブで使い果たそうとしているかに見えた。今夏のエナジーは来夏に持ち越せないから、今の内に使い果たして、今夏の良き思い出にしようとしているのだろう。9月13日で夏の思い出をより多く創ろうとするのは無謀な気がするが、責めて、今夏の最後の思い出は、このライブの如く賑やかで華やかな物にしたい。
 そんな中で流れるモーニング娘。の代表作『恋愛レボリューション』。リリースされてからもう10年近く経っているが、曲の構成や歌詞の雰囲気が色褪せる気配は無いのが不思議だ。「送別会」と銘打った日帰り旅行している私でも、今の身上が一瞬でも忘れられる。今度はどんな職場に行くのだろう。上手く長続きできたらいいな。
 すると、小泉今日子の『学園天国』が始まった。この曲も色褪せず、自然に青春時代を回想できる不思議な曲だ。最近の曲はただ闇雲にファンを略取する量産的歌謡曲が乱発しているが、名曲はそんな事をしなくても、時を超えて歌い継がれるのだ。
 気溢れるアンコールが2回程続いて、ライブが終わった。此処だけは純粋に拍手を送った。マイちゃんとアミちゃんのハイタッチを受けた。言葉は交わせなかったが、滅多に出さない笑顔で彼女たちの努力を讃えた。2年前同様小さくて柔らかい手だった。2年前のマイちゃんとアミちゃんはどうしているのかな……。
 に戻り、残したままのジンジャーエールが入っているグラスを天に挿頭し(かざし)、1枚撮った後に静かに啜った。弱くなった炭酸が、ライブで温められた身体を貫通し、ホゥッと溜息が漏れた。
 これで、今夏の思い出に幕が下りた。
 制限時間の19時50分まで少しあるから、もう一杯ウーロン茶でも飲むか。8分程入れて、席でクッと呷った。再び鋭い冷たさが痩身を貫通した。
 栄の夜景を見ながら、ふと思い出した。
 今夏は昨年12月17日からずっと続いていた鬱病の療養で、鈍り掛けている身体に活を入れる為に、会社の自由設定の盆休みを返上して、仕事に没頭したので何ともつまらなかった。しかし、今思うと、この日が良き潮時だったのかも知れないな。反りが合わぬ人との仕事は胃腸や心理に悪いだけ。鬱を晴らす為に、雪降る青函や桜咲く伊勢や京都を旅した。そして、きちんとした仕事ができたのは7月中旬。少し鬱が再発した時があったが、何とか契約期間満了を遂げられそうだ。きっと御本尊様から下さったご加護なのかも知れないな。
 そして9月13日に、遅蒔きながら今夏の思い出が出来上がった。湯の山温泉と御在所岳、5箇月振りの大須を巡る、「送別会」と銘打った日帰り旅行だけだったが、これで充分だ。これ以上、何も望まない……。
 ウーロン茶を啜りながら、デジタルカメラで撮った写真を調べたが、300枚前後が撮れていた。時間まで記録できるから、細大漏らさず撮ろうと意気込んでいたが、たった一つの2014年の夏の思い出がこうも多く撮れるとは。誰にも真似できない夏の思い出だ。



(2014年9月13日) 「送別会」を終え、渡り鳥は羽ばたく

 19時40分、ビヤガーデン「マイアミ」を出た。夜の栄を撮ったが、やはり映えるな。ネットが無い分開放感があるし、名古屋テレビ塔付近にはどぎついネオンが無いから、上品に見えるし、去り行く夏への餞別にも見える。
 20時29分発、「こだま」684号東京行き最終便に乗った。ぷらっとこだまのこの新幹線のグリーン車を頼んだ。それも、出発前日に。普通車が満席でグリーン車が空いていたから、これにしたのだ。23時16分に東京に到着する。3時間近く、グリーン車に揺られる優雅(?)な一時が過ごせる。ただ、車内販売が無いのが癪だが。
 河安城停車中から、ノートパソコンで『男はつらいよ』のDVDを見た。一番のお気に入りの第15作『寅次郎相合い傘』だ。初めての『男はつらいよ』はこれだからだ。名古屋駅で買ったほうじ茶を啜り、砂肝の燻製を抓みながら見た。
 しかし、そのDVDを見続けていたら、次第に私の表情は無表情になり、抓み続けていた砂肝の燻製が止まった。何度も見ているが、今回だけは本当の事、感情移入してしまった。ストーリーが余りにも今の私の身上に似ていたからだ。特に、最後の方がジンときた。リリーが寅さんと結婚していいという話を寅さんに持ち掛けるが、本気にせず、リリーに問い詰めたら「冗談に決まってるよ」という流れ。その一言や表情は、何処か諦めや失望が込められていた。そして、夕立寸前リリーは去り、さくら達が追うように説得するが、寅さんは2階へ行ってしまう。必死に説得するさくらだが、寅さんは何処か醒めた口調でリリーの心情を話す。そして、寅さんのこの台詞が、私の心情を代弁する。
「あいつは俺と同じ渡り鳥よ。腹空かせてさ、羽怪我してさ。暫く、この家に休んだまでのことだ。いずれまた、パッと羽ばたいて、あの碧い空へ……。」
 反りが合わない人が原因で鬱になり、長い療養生活を送らざるを得なかったこの年。漸く仕事に有り付けた今の職場。此処で通常の生活リズムを取り戻し、復帰への一歩を踏んだ。しかし、生産縮小と契約期間満了が重なり、去らなければいけない。そして、今の職場に人知れず別れを告げ、新しい職場に大きな期待を寄せて、渡り鳥の如くパッと去る。そういうことだ。新しい職場が肌に合うかは私次第。そうなれば、療養していた期間の幸せが難無く掴めるだろう。絶対そうだ。
 往路の新幹線での写真撮影と珈琲は失敗したが、名古屋のモーニングで仕切り直して、桑名の三八の市で初物の林檎を見付け、様々な果物を宅配した。後に湯の山温泉に向かったが、余りにも閑散としている温泉郷に眉を顰めそうになった。しかし、ロープウェーでのスリルで見事元が返せた。御在所岳からの眺望や日本の山岳を訪れて、そこで感じた感覚を音楽に変換できる演奏者に出会った。5箇月振りの大須も充分に娯しめ、1箇月後の再会を約束できた。そして、娯しかったこのビヤガーデン。この「送別会」は長く娯しかった。

 写真は夜の栄。





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