2017年4月14日 桜と貨物列車と京葉線

(2017年4月14日) 桜舞う築地の中華そば


 年の桜の開花は遅かった気がする。昨年は4月上旬に咲いて、日本人の心を癒してくれる。4月上旬に開花宣言をしたものの、春の薫りは薄く、コートを脱いで出勤するには肌寒いし、開花宣言をしてもなかなか満開にはならず、気が付けば中旬になっている。開花時期や天気を見ると、花見をするのはこれが最後のチャンスかと思い、旅路に赴いた。
 ずは、景気付けに築地へ向かった。新橋駅で降り、そこから築地中央市場行きのバスに乗った。四季の薫りが薄い新橋・銀座を通過して、築地市場に入った。
 豊洲移転問題を抱え、大きく揺れている築地。それでも、内外の観光客の足は鈍らない。行き交うトラックを巧く避けながら、築地に集まった美味しい物を頂くことに余念が無い。見給え。細い路地の両脇に小さな店が犇めいていて、市場関係者の胃袋を満たしている。味は市場故、安くて旨くなければ立つ瀬が無いので、保証付きだ。しかし、豊洲に移転したら、この店も移転するのかな。責めて、汚染地下水対策を片付けた後にして貰いたい。汚染した水で調理した料理を頂くのは、誰でも真平御免だからね。
 その近くに、小さな店が建ち並ぶもんぜき通りがあって、味は負けず劣らず絶品だ。中華そばにホルモン丼、いくら丼に鉄火丼。いきなり、大阪顔負けの食い道楽が味わえるのだ。しかも、時間帯は朝。朝からいくらにマグロなんて、食い道楽を越えて贅沢になっている。その贅沢が築地で真顔で呈されているので、驚きも一入だ。築地に来た折は、此処で食事を頂いて発つのが通過儀礼となっている。
 この通りは観光客でごった返していて、幾ら店先に旨そうな物が並んでも、立ち止まって思案することは難しい。所が、今日はそんなに混んでなくて、私の歩調はストレートに歩けた。珍しいな。今日は平日だからだろうか?
 の間にも、途中の店で朝餉を頂いている人たちをチラチラ見て、歩調を早くした。ホルモン丼と肉豆腐が名物の店では、朝からビールを無造作に啜っている人がいて、平日の贅沢極まりない一時を過ごしていた。私も、此処へ景気付けとして来ているから、負けないようにするか! 去年は職場がコロコロ変わったり、鬱を再発したりして、余りにも酷すぎた年だったから、尚更だ。今年は「復興の年」と位置づけて、前進あるのみ!
 その場外市場に、有名な中華そば屋があるのだ。此処が私の行き付け(?)の店だ。その店の周りを見渡すと、旨そうに中華そばを啜っている人が多いこと。朝から中華そばも、何処か贅沢だ。よぉし、頂くとするか! 喜多方ラーメンの「朝ラー(朝に頂くラーメン)」よろしく、築地の中華そばで「朝ラー」と洒落込むか! と、並んだ。
 但し、頂く前には行列ができていて、10分以上の待ち時間は必至だ。それを我慢できる以上に、この中華そばは美味しいのだ。
 ……あれ。意外と行列は短い。私の前には2〜3人しか居ない。もしかしたら、早く頂けるのか!? 拍子抜けしたが、待たない分、お花見の時間に回せるから、コリャ、いいわ。
 カウンターを挟んでの厨房には、ラーメン丼が10個程置かれていて、手際よくスープダレや調味料を入れていた。この辺は目分量なので、長年の勘が物をいう。更に、麺を人数分入れるが、此処では1人分に分けて茹でるのではなく、まとめて茹で上げる。此処にも長年の勘が物をいう。言うなれば、長年の勘が凝縮した中華そばが頂けるのだ。その職人的技術に惹かれて、シャッターが押されるが、主人は一切咎めず、黙々と中華そばを作り続けている。「此処まで来るには、長い年期が必要なんだぞ」と言わんばかりに。そして、貝割れ大根をまぶした上に出汁を注ぎ、程良く茹で上がった縮れ麺を入れ、メンマとチャーシューを入れれば完成。
 その10杯のラーメンは、私より先に来た客に捌かれた。そして、次のラーメン丼が置かれ、再び中華そばを作り始める。
 して、私の分が捌かれた。700円也。あれ、650円だったような気がするが。値上がりは極めて忌々しいが、チャーシューが4枚載っている中華そばが700円とは、東京界隈だととても良心的な値段だろう。普通だと、1000円前後する。
 その中華そばを受け取って、隣のテーブルで啜り始めた。時代に闇雲に迎合しないあっさり醤油味。何処かホッとする味だ。最近は色々なカテゴリーのラーメンがあるが、好き嫌いが極端になり掛けている箇所が多々ある。日本の国民食に進化した中華そばだが、結局辿り着くのは、このあっさり醤油味だろうな。何処かのウィスキーみたいだが、変に飾らない、変に奇を衒(てら)わない。それだから、頂く手が止まらないのだ。
 中華そばを啜って、ふと考えた。あの時は、確か高校野球の中継が流れていたな。対戦校は何処か忘れたけど、一球投げた打ったという中継は聞いた。今回は何が流れるのかな。中華そばを啜りながら、聞き耳を立てた。
 ラジオから、暖かい春の便りの知らせが流れた。かなり春の到来を待ち侘びていたので、思わず笑みが出た。漸く桜が満開になったから、この辺で纏ったコートを脱いで歩いてもいい頃合いだ。これから向かう場所に春の雰囲気がありますように。〆のスープをゆっくり啜って祈った。
 食後の三首。
 春飾り芽吹きし築地の中華そば春便り流すラジオ嬉しき
 上着脱げて素直に愛でし中華そば丼の縁に桜入りたり
 碧空の朝餉に旨し中華そば桜吹雪に頂く手止む

 上は築地場外市場(もんぜき通り)。豊洲移転でも、此処に残ることが決定している。
 下は築地で頂いた中華そば(一例)。



(2017年4月14日) かちどき橋と都鳥

 間があるので、晴海通りを歩き、かちどき橋に向かった。江戸っ子なら判るが、この橋はかつて隅田川を走る船の運航を妨げないように、開閉式になっていた曰く付き。それ故、造りは重厚で、支えている多くのボルトが何とも美しい模様を描いている。国の重要文化財になっているのも頷ける。あの橋を越えれば、豊洲は目の前。果たして、市場移転問題はどうなるのか。汚染された地下水の問題が解決しなければ、多くの都税をドブに捨てるようなものなので気を付けろ、都知事殿!
 10年程前、この橋の袂に都鳥(ゆりかもめ)が居たので、今回もいるのかとシャッターを構えたが、1羽も居なかった。時期だと思うが、もう10年前だ。周囲の環境が変わっても不思議ではないな。私の年代ならば、結婚して子供をもうけるに充分な年月だ。この都鳥もそうなのかな。家庭があるから、此処に来なくなったようにも感じられる。
 東海林太郎と島倉千代子の曲の『むらさき小唄』に、「都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ」と言う歌詞があるので、結婚していない私にしてみれば、何とも寂しい光景だった。でも、仕事も幾分か順調だし、何時までも独身貴族を謳歌できるものではないので、此処は去った都鳥に倣って奮起しよう。そうすると、吹く風を温かいし、日差しも温かい!
 去った都鳥を詠む。
 勝どきの姿を見せぬ都鳥家庭の許かと驚く年月

 写真はかちどき橋。多くのボルトが美しい景観美を為している。



(2017年4月14日) 劇場跡とあんパン

 ちどき橋を見た後、地下鉄新富町駅に向かった。途中、路地に築地小劇場を見付けた。時間があるので、撮った。懐かしいなぁ。
 あの日は、新富町駅から歩いて、築地小劇場跡を探しながら築地に行った。何度も憧憬を募らせたガイドブックを広げ、折り畳み傘を指しながらの窮屈な歩き。なかなかその場所が見付からず、出口が多くある築地駅や築地本願寺を見ながら右往左往。それだけでも10分位掛かった。やっと小劇場跡を見付けた嬉しさは、言葉にならなかった。謂わば、築地小劇場跡を見付けたことこそが、私の人生を好転させた(失望し掛けた高校生活の中で、旅に開眼した)原点といってもいいだろう。
 その築地小劇場は、小山内薫(おさないかおる)等が脚本を手掛け、築地に斬新な劇を披露した場所であるが、昭和20年の東京大空襲で灰燼に帰した。今あったら、お笑いライブや地下アイドルのミニライブに用いられるだろう。まぁ、それも芸術観点から見れば、劇に近い感じがするけど。
 その場所は立体駐車場の脇にあって、説明文や当時の写真、建物が彫られた石碑があるだけ。あれ、当時は石碑だけだった気がする。だけど、観光客の往来が多い築地でも、此処にまで関心を寄せる観光客はそういないだろう。縦長の立体駐車場の利用客は、無関心で駐車しているだけだし、脇道にあるからね。でも、再建してグルメとライブのコラボレーションもいいと思うけどね。
 し歩くと、また私の足が止まった。パン屋があったのだ。それも、あんパンの元祖の店の暖簾(のれん)分けの店だったのだ(店名は、実際に確かめて)。
 店内はあんパンの他にカレーパン等の総菜パンが並んでいるが、パンを焼く窯が間近にあって雰囲気がある。例のあんパンは、ケシの実が振り掛けられている一品で、試食もできるという嬉しい特典付き!
 早速、試食に与った。市販のあんパンよりも程良い甘さで、甘い物が好きではない私でも、ペロッと1個は難無く平らげそうだ。疲れを吹き飛ばしてくれる一品だ。暖簾分けは伊達ではない。このあんパンと、牛すじとタマネギをトロッとするまで煮込んだカレーパンを買った。さて、これを何処で頂こうかな?

 写真は駐車場脇にある築地小劇場跡の石碑。



(2017年4月14日) 桜咲く新木場


 下鉄で新木場に向かった。ふと、一つの公園が脳裏を過ぎった。
 新木場公園だ。遊具も無ければ、気の利いた噴水も無い。ただ緑地があるだけの公園。しかし、目の前は海に近い水路で、視線を遮る建物が無いので、夕陽を眺めるには絶好の場所なのだ。夕陽を観る為に最後まで取っておきたいが、そうでなくとも眺めはいいので、立ち寄ることにした。此処で静かに夕陽を眺めながら、築地で買ったあんパンでも抓むとするか。花見には団子だが、団子の代わりにあんパンでも割と風流だな、コリャ。
 に出ると、タクシープールに桜が咲いていた。散り始めだが、観られる方だ。
 新木場はその名の通り、貯木場がある江東区木場が手狭になったので、湾岸地域に造られた新しい木場のこと。材木工場が一杯あるが、真新しい材木のいい匂いは全く感じられない。しかし、こうやって桜が咲いているだけで、充分に帳消しできよう。
 木場に架けられている千石橋を渡ると、すぐに右手に新木場公園がある。さて、此処であんパンを抓もうかと思ったら、入口が封鎖されていた。改装工事中だった。いきなり、肩透かしを食らった。何だよ。折角、公園内の桜は咲いているというのに、中に入れないなんて。
 道路脇に立って、あんパン抓みながら花見するのは味気ないので、千石橋から眺望を撮って終わりにした。でも、此処からの眺望もなかなかの物だぞ。新木場にお越しの際は、是非此処で夕陽をご覧あれ!

 上は改装工事中の新木場公園。桜が咲いている。
 下は近くの千石橋から見た都心。遮る物が無くて清々しい。



(2017年4月14日) 春の夢の島公園





 の新木場公園とは正反対にある公園が、夢の島公園だ。江戸っ子ならば、此処はかつてごみの埋立地として悪名高かった場所と連想できる。ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸が、被爆の事実を忘れさせたいかの如く放置されていた場所も此処なのだ。今現在は、ごみの島から緑の島へ生まれ変わった。
 まだ、時間があるから、散歩に行くか。
 首都高速湾岸線の高架を潜り抜けると、夢の島公園の入口に着く。この時点で、周辺とは異なる雰囲気に気付けば宜しい。此処は、都心では数少ない緑地が広がる公園なのだから。
 一気に首都高速からの喧しさは、緑に囲まれているから、長閑(のどか)な楽音に変わる。その楽音を聞きながら、夢の島公園を散策するか。
 の島公園を訪れるのは、もう何年振りになるのかな。20年位振りかな。よく憶えているのは、高校2年の9月だ。高校の授業の生物の宿題を忘れてしまって、そのネタを探しに此処に来たな。薄っぺらい紙に印刷されたパンフレットと第五福竜丸展示館、そして、夢の島熱帯植物館だけでネタ探しを満たしたな。それらを組み合わせてのレポート作成だったので或る意味手抜きだったが、私にしてみれば「ごみの埋立地」が「都心の数少ない緑地」に生まれ変わった奇跡が素晴らしかったのだ。ごみの埋立地の当時は、湾岸の埋立地だったので、民家や工場が無かった。そのお陰で、微生物のごみの分解がスムースに行き、その結果、豊かな土壌が形成されたと案内されている。皮肉だが、ごみが良い堆肥になったと言えばいいだろう。
 そんな自然の偉大さを散策を通じて感じていると、階段に沿ってチューリップが咲き誇っていた。これも桜同様、春を感じる一コマなので、写真に収めた。やはり、赤のチューリップが映えるな。その他にも、黄色やすみれ色、濃いピンク色の花弁の形が異なる種類のチューリップもあって、なかなか娯しめる。その中に、黒に近い紫のチューリップもあったが、これは余り好きではない。何だか、地下の毒素を融和して、それが色に影響が出たみたいで……。様々な事情に翻弄されるアイドルみたいだ。
 ん、夢の島公園は何処も彼処も緑地だ。新宿や渋谷界隈はビルに囲まれて、人工的に作られた空間みたいで極めて味気ない。上京者は此処に憧れていると言うが、川越在住時東京を何往復したりした私にとって、そんな都市に魅力を感じてはいない。何処か狭苦しいし、金や時間に卑しいし、四季問わず何ら街並みに変化は無いし、ただ物が腐るほどに積まれているつまらない街しか見えない。責めて此処も東京だという認識を持って貰いたい物だ。寧ろ、ビルの森から離れて、見聞を広めて欲しい物だ。「論より証拠」、「百聞は一見に如かず」を肝に銘じておき給え。
 を戻して。
 とにかく、夢の島公園は「看板に偽りなし」の夢の島だ。大都会に位置しながら、広い緑地を有しているからだ。その中を歩いている旅人一人。私は高校2年の9月に訪れた時の情景を、必死に思い出しながら歩いていた。手許に、その時の写真を持っていればいいのだが、あるのは第五福竜丸展示館と熱帯植物館の写真がメインで、このような緑地が写っている写真は見当たらない。この緑地を素直に感動できる余裕はまだ持っていなかったのか、生物の宿題のネタ集めに夢中になり過ぎていたのか。
 ……駄目だ。この2つ以外何も出てこない。見る緑地は何もかも新鮮で、過去のフィルムに写っていない物ばかり。じゃ、今この歩道を歩いているのは、これが最初なのかも知れない。私は静かに落胆を吐き出しながら、散策を続けた。
 側が開けていたので、視線をやると、桜の木があった。それも枝垂れ桜。真逆、夢の島公園に桜なんか無いだろうと思っていたら、あるんだよね、これが。良い意味で裏切られたので、思わず見取れてしまった。
 私の踵は自然に枝垂れ桜に向けられた。まぁ、お花見スポットではないので、その数は少ないが、見事な咲き振りだ。このような緑地に囲まれて、お花見するのもいいだろうね。大混雑している上野公園よりは落ち着くだろう。まして、此処がかつて「ごみの島」と悪名高き場所だったと知ったら、とんでもない変貌に唖然呆然するだろう。
 夢の島の桜で和歌を詠む。
 朝餉後の桜吹雪の夢の島幻惑に酔ふ今は現か
 桜散る温む春風碧い空

 の枝垂れ桜を通り過ぎ、左に曲がると、3つのガラスドームが控えている。熱帯植物館だ。これも高校2年の9月に訪れている。第五福竜丸展示館で、全く嘘ではない水爆の被害の様を見せられて、心身共々凍り付いている状態での入館だった。中は南国色一杯で、心身共々ほぐれたのを憶えている。今思うのは、この熱帯植物館の燃費は、どうしているのかという点だ。社会人になると、どうしても金銭問題が先走ってしまい、夢を毀し兼ねないから。単独での営業は大都会東京でも難しいから、近くにごみ焼却施設等があるのでは。京葉線から見える高い煙突がある建物がそれかも。此処で出た熱源をこの熱帯植物館に利用しているとすれば、潰れずに営業できる。おまけに、値段も安くできるから大助かりだ。
 の熱帯植物館を左に曲がって、暫くすると、今度は第五福竜丸展示館の案内がある。その案内に沿うと、細い道を通って、半分緑地に囲まれた三角形の建物が見えているのがそれだ。館内には、米国のビキニ環礁での水爆実験で被爆した第五福竜丸が展示されていて、周辺には被害の実態が展示されている。映画やニュースで水爆や核兵器が取り上げられているが、その現実の被害が此処に詰まっているのだ。先程、立ち寄った築地にも因縁があって、ビキニ環礁周辺で捕れたマグロが、放射能汚染されていて、地中深く埋められたことがある(詳細は、大江戸線築地市場駅周辺の案内板にあると思う)。近くには、被爆した第五福竜丸のエンジンや被爆死した船長の久保山愛吉氏の「原水爆の被害は私を最後にして欲しい」と彫られた遺言の碑があり、来訪者の心にズキッと突き刺さるだろう。
 夢の島公園の散策を終え、新木場駅に戻った。

 写真は夢の島公園内での一枚。
 上から色取り取りのチューリップ、緑豊かな園内、見付けた桜、熱帯植物館、第五福竜丸展示館。



(2017年4月14日) 青空に映ゆる桜


 ームで軽く運動を施して、向かったのは稲毛海岸。
 時刻は11時23分。海岸と言っても、駅から徒歩15分も掛かり、周囲は商業施設やマンション、新しさが残っている住宅街が広がっている。しかし、此処がかつて海とは信じられないだろう。
 の駅前をグルッと見渡して、私の足は稲毛海浜公園に向かった。
 バス停で時刻を調べると、まだ時間がある。しかも、歩いて向かっても同じ時刻になりそうなので、金銭節約と運動の為に歩いて向かうことにした。
 稲毛海浜公園に青松は一杯あるけど、桜は無さそうな気がするな。それでなくても、あの碧い空と再会したい……。
 あの日からもう20年以上経つが、家の造りやマンションの余り汚れていない所を見ると、この周辺はまだ新しさが色褪せていない住宅地だ。しかも、目立つ電線が少なく道路に沿って木が植わっているので、清々しさがある。派手な所が無いので、本当にお洒落な町といってもいいだろう。
 こういうお洒落な空間に桜があったら、相当映えるなと思っていたら、此処でも会えましたよ!
 浜ショップという商店街みたいなショッピングセンターの向かい側の交差点の団地に咲いていたのだ。新木場よりも散っていないな。よし、1枚撮るか。
 更に、その団地には桜並木や噴水等があって、何とも明るい団地だった。遊具しかない小さな公園と程良い空き地がある薄汚れた団地に長く住んでいた所為か、羨ましい空間に見える。
 新木場、夢の島に続いて、3度目の花見ができた。ござを敷いて酒盛りはできないが、桜が咲いている所を梯子する贅沢な旅だ。しかも、開花を待ち侘びていたなら、尚更その満開の様が眩しく感じるのだ。
 交差点を渡り公園入口に立つと、私の足は立ち止まった。
 の碧い空と再会できたのだ。あの碧さはあの日と全く変わらず、私を出迎えてくれたのだ。まるで、今日、私が来るのを予想したかの如く。
 私はゆっくり空を仰いだ。そして、軽く深呼吸をした。祖母の死と高校生活に対する失望が重なり、何度も計画を立てて旅した17歳の時と、鬱を再発し長期療養していた35歳の時が交互に蘇った。
 17歳の時に来た時は曇り空で、雨が少しぱらついていたが、徐々に天気は回復し、あの碧い空に出会ったときの感動は、一気に高校生活で溜め込んだストレスを一瞬で晴らしてくれた。
 35歳の時に鬱を再発し、会社との話し合いで、長期療養に入った。気分転換で旅した時、「また、あの碧い空と再会したいな」と、心の何処かでそう願っていた。そして、あの碧い空と再会できた時は、17歳当時のことを回想し、この地で気分が回復したことを懐かしんだ。
 今回も同じだ。今回はこの碧い空と再会できればいいので、幾分か重荷は軽くなっている。それ故、何度も写真を撮ったり、深呼吸をしたりする余裕があるのだ。
 稲毛の碧い空を仰いで二首。
 また碧き稲毛の空は迎えたりあの日の感動粧ひ変わらず
 また碧き稲毛の空に酔ひしれて旅に赴く得しに微笑む

 上は団地近くの交差点で見付けた満開の桜。
 下は稲毛の碧い空。



(2017年4月14日) 稲毛記念館で見た青松の樹海


 毛海浜公園内にある稲毛記念館には、300度の眺望が見られる展望台があり、此処からの東京湾が見事な眺望を呈している。
 その記念館のエレベーターから降りた私は、後ろに回って展望台に向かったが、期待に満ちていた歩調は急に止まった。
 此処からの眺望が変わっていたからだ。東京湾が存分に眺められる展望台は、手前にある青松に殆ど遮られて、背伸びしなければ僅かしか見られなかった。見えるのは左側の京葉工業地域だけになってしまい、展望台としての価値が低くなっていたのだ。4年前の暮れにも訪れているが、この時は多少見えた気がするけど。
 その展望台に立って、青松の樹海を眺めながら、その生長振りに溜息が漏れた。
 松ってこんなに生長するものかな。しかしまぁ、埋立地なのによく育ったなぁ。20年位経つと、立派に生長するものだな、人間も植物も。とにかく、青松に囲まれそうな眺望に変わってしまった。此処から富士山が見えると出ていたが、これじゃ、富士山が見える筈はないな。
 さて、展望台からの眺望だが、前の東京湾は見え難くなっているので、近くにある長椅子に立って撮った。それでも、ズームを伸ばさなければ巧く撮れなかった。前回見えたスカイツリーは、青松が窪んだ箇所の僅かにしか見えなかった。何だか、スカイツリーより優位に立とうと自分のアピールするかの如く。「此処は稲毛だ。スカイツリーに現を抜かす輩よ、埋立地ながら最高の自然が詰まっているこの場所を、存分に娯しむがよい。」そう聞こえるよ。でも、眺望を遮る生長を披露する必要はあるのか?
 イチャモンに近い一首。
 青松の生長麗し春の海あの日の眺望逢えぬ還らぬ

 側の手前の芝生や青松、向こう側の東京湾と京葉工業地域はあの時とほぼ同じだが、もう10年もするとあの青松も、東京湾を隠す程生長するのだろう。となると、この展望台の価値はもう無いだろう。海を眺める為の展望台だから、ただ青松の樹海を見ても、面白くも何ともないだろう。眺望を取り戻すには、青松を剪定するのがいいだろうが、あの青松の中に入り、痛々しい剪定の跡を見付けてしまうのは、何処か興醒めし兼ねない。かといって、新たに稲毛記念館を改築して、階数を増やして、そこに展望台を設置する訳にも行かず、何とも難しい話なんだよね。
 展望台から見える左側の芝生を眺めて一首。
 春晴れの芝生で遊びし家族連れ穏やかな海の芽吹きし青松

 い煙を吐き出している煙突や、複雑に入り込んでいるコンビナートが湾岸沿いに連なっている左側の京葉工業地域を撮っていたら、ふと疑問が湧き上がった。
 「京葉」の範疇は何処までだろう……。東京から内房の蘇我まではJR京葉線が走っているが、沿線沿いに連なっている工業地域をJRの路線だけで寸断して決めるのは、何処か中途半端な気がする。工業地域が続いている浜野や五井、姉ヶ崎もその範疇に入るのではないか。丁度、湾岸沿いに蘇我から伸びている京葉臨海鉄道という貨物鉄道の路線がある。確か、幼少時に親戚と一緒に鴨川へ行った時、夜中に目覚めて、その貨物鉄道の踏切や背後の工業地域を見たことがある。もし、それも私を京葉線沿線の旅に誘ってくれたのなら、その路線がある限りは京葉の範疇になるだろう。そして、工業地域が終わりそうな袖ヶ浦付近で漸く、京葉の範疇が終わるのではないか(余談であるが、京葉臨海鉄道の終着地、京葉久保田は袖ヶ浦市にある)。この京葉線沿線の旅は何度も取り上げているが、路線の枠に囚われて、完全に「京葉の旅」とは銘打てない気がする。振り返ってみたら、千葉みなとと木更津の間にポッカリ穴が開いている。どう埋めようか……。
 そうだ。今回の京葉線沿線の旅は、「京葉線」という枠を取り払って、自分が納得行く「京葉」の範疇迄行くとしよう。とはいっても、これからの予定変更は一部しか利かないので、時間の許す限りは行きたい。差し詰め、内房線の浜野界隈か?

 上は青松の樹海で、海が見えなくなった眺望。
 下は工業地域を遠くに聳え、芝生が広がっている眺望。



(2017年4月14日) 潮騒とあんパン



 毛記念館から出た私は、生長している青松に囲まれた道を歩いた。青松の狭間から砂浜が見え、潮騒が聞こえてくる。その潮騒に聞き惚れれば、砂浜から薫る潮風に純粋に感動する。
 その潮風を胸一杯に吸い混んで、暫く立ち止まった。海好きの私には、何とも心安らぐ薫りだ。あの時と同じ碧い空と一緒に仰ぐと、気分は一層昂ぶる。
 延々と続く松林。もし、場所を隠せば、田舎の海に続く松林でも充分に通じる。だけど、此処は大都会の狭間の砂浜だ。信じられるだろうか?
 して、松林の間を抜けて、いなげの浜に出た。透明度が高い碧い海とはいかないが、綺麗な砂浜と海が出迎えてくれた。時折、打ち上げられた綺麗な貝の欠片を眺めながら。何度も言うが、此処は大都会の狭間の砂浜なのだ。
 絶え間なく聞こえる漣の音が何とも心地よい。最近、(砂浜を含んだ)海を眺めていなかったから、思わず砂浜に立ち止まり、漣の音を聞いていた。時季になると、此処は海水浴客で賑わうそうだ。まさに、大都会の狭間のオアシスといった所だ。
 高度経済成長の犠牲となった東京湾だが、こうして綺麗な砂浜を見ていると、日本の環境保護対策の高さよりも、あのことが一時の悪夢かの如く感じる。人工砂浜だが、なかなかどうしていい雰囲気だ。お台場にも砂浜があるが、近くに高層ビルや商業施設が乱立しているので、気分爽快とは行かないだろう。お台場からほんの30キロ離れている場所でありながら、こんなに雰囲気がガラッと変わるとは、魔法に掛かったかの如く不思議だ。
 漣を聴きながらの余興。
 漣の寄りて抱かれ砂浜の成せる恋路に愛でし青空
 春の浜漣に逝る海月かな

 に、石積みの防波堤に登った。私がいなげの浜で一番好きな場所だ。その理由は、至る所にある落書きにある。その落書きは低俗なものではなく、遠い日の思ひ出が垣間見られるセンチメンタルなもので、本当に面白いのだ。永遠の愛の誓い、別れた彼女への想い、高校卒業の折に書かれた再会の誓い等、このいなげの浜で繰り広げられた喜怒哀楽が詰まっているのだ。そして、此処に再来し、その落書きが見付けられるのはどの位だろうか。遠い約束になるのか、あの日を偲べるフィルムになるのか……。
 潮風に吹かれながら一首。
 様々な思ひ出刻む防波堤あの日を偲べ再来の時

 の防波堤を来た理由は、もう一つ理由がある。鉄パイプで造られた立入禁止の柵から見た防波堤は、同じ場所でありながら最果てに来た雰囲気が色濃いのだ。此処までの防波堤は来られるが、鉄パイプの柵を境に来られない。どうしても、そこに行きたくなる欲望が湧いてくるから面白いのだ。
 処で、中華そばで満たした腹が空き掛けてきた。
 そうだ。築地で買ったあんパンでも抓むか。果たして本家と遜色ない味なのか、お手並み拝見!
 いなげの浜に吹く潮風を吸いながら、築地のあんパンを抓んだ。試食で抓んだのと同様甘さすっきりの餡が、食欲を掻き立ててくれる。丁度、ケシの実を噛んだ感触がいいアクセントを添えてくれる。同じ歯応えの中に、コリッとした感触が入っているからだ。パンの感触もど真ん中で宜しく、及第点だ。いやぁ、流石あんパンの元祖から暖簾(のれん)分けした店だけあるな。次回、築地に行った時も買うとするか。うん、コリャいいわ。

 上はいなげの浜近くの松林。田舎と見紛いそうな雰囲気がいい。
 中はいなげの浜。遠くに工業地域が見える。
 下は石で積まれた防波堤。



(2017年4月14日) 風に吹かれる観光船


 スで稲毛海岸駅に戻り、ホームで待っていると、通過列車のアナウンスが来た。
 此処で私は、デジタルカメラを取り出した。通過列車を撮る為だ。この辺の通過列車は、特急列車と貨物列車の2種類あるが、特に貨物列車は頻繁に通るので、鉄道ファンの間では有名だ。元々、このJR京葉線は貨物路線として造設された路線で、蘇我から始まる京葉臨海鉄道からの貨物列車が来るのだ。
 さて、通過列車はどちらか。時間帯から見て特急列車だろう。賭けでもするか。予想に反して貨物列車が来たら、何処かで奮発するか。その賭けのスリルを一人娯しみながら、通過列車を待った。
 すると、電気機関車に牽引された石油輸送タンクが通過してきた。貨物列車は特に速度を上げることなく、テンポ良く線路の繋ぎ目を通って、稲毛海岸駅を通過した。私のデジタルカメラは、シャッターが立て続けに押された。普通のホームに貨物列車が通過する光景は余り見ていないから、極めて新鮮に感じられたからだ。
 予想は外れたが、滅多に会えないから自然と笑みが出た。じゃ、何処かで奮発するか。
 来映えを確かめて、千葉みなとへ向かった。しかし、私の表情は妙に曇っていた。
 これから向かう千葉みなとには、千葉港観光船があって、千葉観光の目玉となっている。しかし、風が強い日は欠航の虞がある。先程、携帯で調べたら、「強風でプラン変更云々」と出ていたので、予断ならない。もし、欠航するとしたら、相当予定変更を強いられるだろう。
 千葉みなとに到着するや否や、携帯で確かめた。ハッキリとした女声で答えてくれた。出航の予定だそうだ。これで一安心だ。
 観光船の問題は一段落したが、今度はポートタワーが引っ掛かった。観光船の近くにあるポートタワーからの夜景は、日本夜景遺産に登録されていて、集客のネタにしているのだ。私も、その夜景を観ようかなと考えているのだ。しかも、時間は観光船の出航時間の30分前。駅からポートタワーまで最低10分は掛かるし、仮に入館しても、僅か20分足らずでは存分に娯しめない。これは時間制限があるツアーではないので、自分の我が侭を利かせたい。
 駅からポートタワーに向かう道で、千葉みなとでの行程が決まった。最初にポートタワーの入館券を買って、そのまま観光船乗り場へ向かうのだ。そして、時間を見て、千葉みなとに戻って夜景を観るのだ。お花見の次は夜景観賞という贅沢な行程を立てた。稲毛海岸駅の奮発は、これにするか。
 ートタワーの入館券を買って、日没時間を調べて、踵を返して観光船乗り場へ向かった。日没時間は18時15分。後5時間。千葉港観光船を入れても、4時間5分ある。充分に行程が組めるぞ。でも、効率よく行かないと間に合わない。
 歩きながら、千葉みなとの街並みを見た。しかしまぁ、あの日と較べて千葉みなとは賑やかにはなったけど、此処にはマンション、ホテル、大型パチンコ店、美術館、郵便局、工業地域やら入り交じっていて、幕の内弁当の如く一体何がメインかは判らなくなってきている。下手すると、特色無いダサい街並みになるから気を付けろ! 東京みたいにごちゃ混ぜな都市は、東京だけで充分だ。
 の観光船乗り場は、去年から変わったようで、ケーズハーバーという港近くに建てられた商業施設の中に、その観光船乗り場の乗船券売り場があるのだ。去年の夏にも訪れているが、お洒落な売り場や改装された観光船で随分様変わりしたので、驚いたのを憶えている。この辺は数年前は殺風景な港だったが、かなり賑やかになってきたな。やればできるじゃないか。だけど、駅周辺は大型パチンコ店があるので、雰囲気に呑まれて、だらしなくなる可能性があるので、気を付けろ。
 ケーズハーバーに入り、そのお洒落な売り場で乗船券を買った。大人1000円也。先程のポートタワーの入館券提示で、10%割引で900円。17歳当時は720円、35歳当時は980円と燃料代高騰の煽りを赤裸々にしているが、今日まで営業しているとなると、何処か感慨深い。あの時は、黒板に無造作に書かれた出発時刻を見ながら、事務所の小さな窓口で買って、素っ気もない乗り場に向かったな。家族連れやカップル向けではなかったな。下手すると、潰れてしまいそうで、一日でも長く持ってくれと、必死に祈った。今こうしてみると、その祈りが通じたのか、老若男女問わずに観光船が娯しめるようになっている。休日となると、小さな観光船は満員になる。
 千葉港観光船は変わったのだ。
 の観光船「あるめりあ」に乗船した。しかし、観光船は余り観光化されていないので、妙なギャップに苦笑した。乗船料が1000円で、どんな観光船かと期待が膨らむが、船室には綺麗な席が設けられているが、屋外席になると、脚が固定されたベンチが3〜4脚あるだけの素っ気なさ。まぁ、千葉港は周辺が余り観光地化されていない上、変に観光地ズレしていない所がいいのだ。判り易く言えば、その港の素顔が垣間見られる確率が高いってことかな。その港の素顔が垣間見られる観光船は、何とも貴重な乗り物だ。
 やはり、風が少し強いな。停泊している観光船がゆったりとした速度で揺れていた。まぁ、この程度で酔いは来ないが、この風で出港できるなんて、運がいいのかな? 野外席の欄干に肘を突きながら、出港を待った。後2分。
 金曜日で乗客は10人位。少なく感じるが、平日で春休みの時期に重なっていないのに、これ程乗船客がいるとはいい方だな。初めて乗船した時は、片手で数える程だったのに。

 上は稲毛海岸駅を通過する貨物列車。
 下は千葉港観光船「あるめりあ」。



(2017年4月14日) 観光船から見る色々な光景


 て、10人位の客を乗せて、いざ出港!
 私が座った2階の野外席は、何と私だけ。あれ、他の人は後ろの野外席なのか。背伸びして後ろを見ても、人影らしい物は無かった。真逆、室内から千葉港を見ようとしているのか。もし、そうだとしたら、私から見れば邪道だ。潮風を存分に浴びながら、港を眺めることが、観光船の醍醐味ではないだろうか。爽快感があるし、停泊している船舶が間近に見られるし、港の素顔が垣間見られる。いいことだらけなのに……。
 観光船はバックしながら方向転換をして、出港した。丁度、此処に鴎が飛び交って、乗客の歓声が沸き立つ。野外席に座っている乗客は餌をやりながら、飛び交う鴎を写真に収めている。流石、室内からでは味わえないだろうね、ヘッヘッヘッ。今日は、その鴎が飛び交う様を独り占めできるではないか! 悔しかったら、私の所へ来い!
 観光船に飛び交った鴎に二首。
 千葉みなと鴎が追ひし観光船我と出逢ひし女子と思へば
 千葉みなと鴎の主が船ならば相思相愛奮ひし情熱

 かし、飛び交う鴎は意外に少なく、デジタルカメラを用意していた私は、唖然呆然。あれ、今日は飛んでこないのか。休日に乗船した時は結構飛んでいて、歓声が喧しかったけど……。
 振り返ってみたら、野外席には私一人だけ。鴎は乗客の多い少ないを把握しているのだろうか。平日休日を理解し、客が多いのを見計らって飛び交っているのか。そりゃ、多くの乗客から餌が貰える嬉しさは、人間の私でも理解できるが、休日の乗船で多く飛び交っている光景を見た以上は、随分現金な鴎だなぁ。
 金な鴎に適当にあしらわれ、少々不愉快になった私は、別の目的を持ち始めた。
 停泊している船舶である。とにかく、貿易港としても有名な千葉港は、多国籍の船舶が停泊しているが、乗船の度に捜している船舶がある。ギリシャ船籍の船である。そう「α(アルファ)」や「β(ベータ)」が用いられている国だ。初めて乗船した時、製鉄所付近でそのギリシャ船を見付け、思わぬ感動を得たが、その船に見取れてしまい写真に収めることを逃してしまった。それ以降、血眼で探していたのだが、なかなか見付からず、心中では歯軋りをしていた。しかし、4年前(2013年)の暮れに乗船した時、同じ場所でそのギリシャ船を見付けることができ、写真に収められた。もしかしたら、今日もギリシャ船が停泊しているのかと微かな期待を抱えながら、港内を見渡した。
 時も船舶が停泊している波止場に、何やら書かれている。飛び交う鴎が少ないので、文字がよく見える。しかも、結構書かれてあるぞ。どれどれ、何が書かれているのだ?
 目を凝らして調べたら、船舶名だ。此処に停泊した船舶の名前だ。細くて不気味さが漂う文字があれば、印刷の書体で用いられそうな立派な文字もある。長い航海の後の寛ぎの一時、陸地を踏み締める感激を味わいながら、余興として書いたのであろう。流石に国名は判らないが、「自分は、多くの困難を乗り越えて、この港に来たんだぞ!」という、切実なる思いが伝わってくる。船は発っても、此処に来た証拠はこれで証明できるのだ。此処に来るには、船酔いや(一部の)人間関係の確執、天候や波の高さ等と長期間闘う必要がある。そして、それらを克服できた者だけが、停泊地で寛ぎの一時が過ごせるのだ。寛ぎの一時は、どうしているのかな。
 光船は港内を巡り、様々な船舶と出会わせた。そして、ゆっくりUターンして、製油工場に入ろうとしたら、一隻の船を見付けた。
 香港船籍の船だった。香港というと、東京並みの高層ビルが乱立している狭間に昔からある細かい店が犇めいていて、カジノ等ありそうな雰囲気だ。船舶もカジノもある豪華客船が一杯ありそうで、今見ている工業色ある船舶が稼働しているとは考え難い。1枚撮ったが、香港の国旗はポールに巻き付いていたままだった。

 上は船名が書かれている波止場。
 下は香港船籍の船。



(2017年4月14日) 観光船で3つ目の娯しみを見付けて


 光船は進路を変えた。縁から飛沫が豪快に飛び交った。潮風の薫りが野外席全体を覆った。
 おぉ、これが観光船の醍醐味だ。この醍醐味があれば、1000円の乗船料は決して高くはないだろう。真逆、いなげの浜で吸い込んだ潮風が、此処でも味わえるとは。一人野外席に座った私は、その潮風を独占できるので、胸一杯吸い込んだ。何時乗船できるかは判らないので、肺活量の許す限り、存分に吸っておくか。お花見の次は、潮風堪能だ。夜景観賞の良き前座だ。10000円札を浪費しなくても、ちょっと頭を使えば、良い贅沢が娯しめるのだ。よぅ、判るな!
 そんな贅沢を一人で存分に娯しんでいるが、風が強くて、何時もより揺れが激しかった。船底に叩き付けられる波の揺れが、座席にまで伝わってきて、滅多に感じない波の強さが40分の船旅のスパイスとなる。これも観光船の醍醐味だが、下手すると酔いが来そうだ。しかも、飛沫が野外席にも入ってきたので、揺れる観光船と格闘しながら、歩いて濡れない場所を探すのにも一苦労だ。幸い私は船酔いしない性だが、こんなに揺れることは滅多に無いから、曲り切れず転覆したら……。縁起でもないことが脳裏を過ぎり始めた。このスリル一杯のスパイスは頂かなくてもいいわ。
 このスパイスが利いた一首。
 海風に吹かれて揺れる観光船これまた娯しと興奮一入

 光船は直進し、揺れは収まった。次第に縁起でもないスリルも収まってきた。
 また私の眼は、例のギリシャ船を捜し始めた。しかし、デジタルカメラのズームを伸ばし、製鉄所付近を眺めても、それらしい船舶は見当たらない。お花見に潮風、2つの娯しみを手にしたので、ギリシャ船との再会を期待したり、その上に夜景観賞したりするのは聊か贅沢なのか? この贅沢は金銭は余り掛けなくてもいいが、(再会等の)偶然は予測できないから尚更だ。
 つ目の娯しみが得られないことに納得が行かない私は、3つ目の娯しみを捜し始めた。できれば、ギリシャ船がいいけど……。
 デジタルカメラのズームを伸ばしたまま、ポートサイドを眺めたら、京葉線の高架橋を見付けた。すると、ズームが止まった。
 貨物列車を見付けたのだ。青と灰色の新しい電気機関車が、緑色と藍色の石油輸送タンクを牽引していた。これも、蘇我から岐れる京葉臨海鉄道から出発した貨物列車だ。稲毛海岸駅に次いで2度目だ。この貨物列車も写真に収めた。今日は当たり日なのか? どうしようかな。これから亥鼻公園に向かっても時間はあるので、京葉臨海鉄道の主要駅、千葉貨物駅の最寄り駅浜野でも行こうかな。稲毛記念館で考えていた行程を、此処で確定させた。3つ目の娯しみはこれにしよう。貨物列車は一般の時刻表に掲載されていないので、出会った時の感動は一入だ(鉄道ファンに限るが)。
 貨物列車という3つ目の娯しみを得た私は、期待を持ちながら、迫り来る製鉄所を眺めてた。上手く行けば、4つ目の娯しみが得られるのだから。そうやって期待を持っていたが、見付けたのは使いこなされている貨物船だけだった。この痩身には余り娯しみを持っては勿体ないのか? 娯しみは貧富や老若男女問わず、多く持っていいという権利があるというのに。
 干に肘を突きながら、溜息を吐いていると、観光船は進路を変えた。また、観光船の縁から飛沫が飛んできた。その飛沫を撮っていたら、何とハートの形に見える飛沫が撮れたのだ。
 これは一昨年から連続で鬱病で押し潰され、長期療養を強いられてきた私にとっては嬉しかったな。今年はいい年になることを暗示しているかの如く。その通り、今年に入って、長期の鬱で休むことは無くなって、かなり安定してきている。これが半年、1年と持ち、運命の女性との出逢いを約束してくれる。そこまで言ったら高望みだが、こういう自然現象は偶然なので、余計嬉しい。
 こうやって、ケーズハーバーに戻ってきた観光船。すると、出港時には飛び交っていなかったあの現金な鴎が出迎えてくれた。餌を上げることはないが、こうやって出迎えてくれるだけでもまた嬉しい。
 先程の飛沫と今までに出会った女性を掛け合わせた。
 目を醒ませ飛沫砕きし回想の逢ひし女の遠き思ひ出

 上は観光船から偶然撮った、京葉線の高架を走る貨物列車。
 下は波飛沫。よく見ると、ハートの形をしている。



(2017年4月14日) 千葉みなと駅のスーパーマジック

 光船から千葉みなと駅に戻った。時刻は14時15分。昼餉の時間は既に過ぎている。頂きそびれた。手許には築地で買ったカレーパンがある。観光船に揺られながら抓んでも良かったが、揺れが何時もより激しかったので、船酔いしたくないので控えた。それを我慢したら、昼食の時間は既に過ぎていた。あんパンで繋いだ燃料タンクの底が見え始めた。
 これから、桜の名所で知られる千葉城がある亥鼻公園に向かう。最寄り駅はモノレール県庁前だ。時間があるので、此処でカレーパンを頂くとするか。
 下がりの人気が少ないモノレールのホームで、カレーパンを抓んだ。合間に、冷たいミルクティーを啜りながら。ホームには県庁前行きのモノレールが停車しているが、発車時刻までまだある。それまで、ゆっくり頂けるぞ。昼餉を頂くので、ちょっと失敬。
 あんパンの元祖の店の暖簾(のれん)分けのカレーパンは、牛すじとタマネギをトロッとなるまで、スパイスが利いたカレーで煮込んでいる。程良い辛さで旨いな。揚げの具合も丁度いいし、脂っこくない。その後のミルクティーの甘さがいい具合に引き立ててくれる。共存共栄の理念を謳っているかの如く。
 それにしても、静かだ。これがポートタワーと観光船、周辺にはホテルやら大型パチンコ店がある賑やかな千葉みなととは思えない。他国籍の船舶を眺め、高く上がった飛沫を浴び、風に翻弄される観光船のスリルを娯しんだのは、はて、ほんの十数分前とは感じられない。本当に観光船に乗船したのかも、「?」が浮かんできた。デジタルカメラを見れば、その軌跡が見えるのだが、私は敢えて、デジタルカメラを取り出さず、この静けさが醸し出す異次元の世界に入り浸った。
 モノレールは房総の大都会千葉市を縫う如く進み、県庁前に向かった。
 県庁前駅は、文字通り近くに県庁があり、人通りは結構ありながら、モノレールの駅は驚く程閑散としている。そして、先端には京成千原線の千葉寺へ向かう準備をしているが、開通するのは何時のことになるのか、そして需要が見込めるか。ホームの先端に立ち、千葉寺へ向かうモノレールの姿を想像した。まっすぐ延びている道路に市街地が続いていた。
 県庁前駅から県庁方面へ歩くと、チラチラと天守閣が見えてくる。それが亥鼻公園にある千葉城だ。



(2017年4月14日) 22年振りの亥鼻公園

 の亥鼻公園を訪れるのは、もう22年振りになる。そう、1995年3月のことだ。あの時は、千葉都市モノレールが無かったので、県庁前駅から西寄りにある本千葉駅を利用した。そして、風格ある料亭の脇を通って、亥鼻公園に向かった。しかし、22年になると、結構変わっている箇所があるな。目印にしていた料亭は閉店していたし、私が辿った道も漠然としていた。去る3月28日に来た時は、その様に溜息が漏れたが、今回も漏れた。時の流れは残酷で、長いようで短いのだ。
 守閣が見えてきたので、麓を目で追うと、長い石段があったので登った。
 長い石段を登り終えると、ふと立ち止まり、ほぉっと溜息が漏れた。
 桜が咲いていたのだ。それも、丁度いい頃合いの桜吹雪だ。コリャ、いいわ。しかも、空は見事な青空で、桜が余計映える。その桜吹雪を撮影する人が多いこと。そして、その桜吹雪の行き先に茶店があって、そこで旨そうに甘酒や団子を頂いている人も多かった。桜吹雪を受けながらの一服は贅沢だ。風流この上ないわ! 新木場、夢の島、稲毛海岸に続いて4度目の花見だ。
 公園内の桜は桜吹雪だった。そのお陰で、来訪者が多かった。私以外にも、桜を待ち侘びていたのだろう。何回も写真を撮ったりした人が目立った。
 3月28日に訪れた時は、全体がまだ蕾で、本格的な春の雰囲気が薄かった。それにも拘わらず、露店が出ていたのには苦笑した。桜の開花を見込んでいたのは判るが、蕾だったので捌けが悪く、気合いの空回りに重苦しい吐息を吐いている光景が何とも痛々しかった。しかし、今日は見事な桜吹雪で撮影者が多い。こういうときに限って、露店が出ていないのだ。本当に分が悪過ぎる。此処で、今川焼きやたこ焼きを抓んだら、本当に風流なんだけどねぇ。開花状況は上手く行かないねぇ。
 天気が崩れそうな空模様と明日は仕事という関係で、前回の3月28日は城内に入らずに、此処でインターミッションを取ったが、今日は天気の崩れは全くないので、漸く解除できる。17日振りだ。

 写真は桜咲いて雰囲気がよい亥鼻公園。



(2017年4月14日) 22年前の面影を求めて

 ンターミッション解除をして、千葉城へ入った。
 千葉城は源頼朝の家臣千葉常胤(つねたね)の居城で、常胤は頼朝の平氏討伐に尽力した地元の武士。城内には彼の木像が安置されている。但し、撮影はご遠慮とのこと。
 この千葉城に入るのも、夢の島公園同様20年振り以上だ。その間に相当変わったな。天守閣脇に銅像は建っていなかったし、袂に風情ある茶店ができたし、入場料は無料になった。確か、22年前は60円という安価な入場料を払ったな。
 ったら、一気に私の記憶にあった千葉城は消えて、全く違う千葉城があった。千葉常胤の木像があるのは当時のままだが、何処かジメジメとしていた城内が、とても明るく改装されていたのだ。展示品は千葉常胤ゆかりの品や甲冑、蒔絵等あるが、こんな綺麗な城内が入場無料とは、凄い大盤振る舞いだな、コリャ。
 そうだ。確か4階にプラネタリウムが、そして5階の展望台に自販機があった筈だ。もしあったら、入場無料の魅力が倍加するぞ。
 私はその期待を胸に、駆け足で上がってみたら、プラネタリウムがあった場所が、千葉市の今昔の品を展示したり、当時の映像を流していたり、当時の暮らしを再現したレプリカがあったりした。私の足は止まってしまった。
 22年前、このプラネタリウムで、昔の中国の話を聞いたことがある。話の内容はよく憶えているので、話すとしよう……。

 −確か、死を司る北斗七星と生を司る南斗六星の話で、自分の息子が19歳しかないと言われた両親は、長老にそのことを相談した。長老は、大木の下で碁を打っている2人の老人に、上等な酒と牛肉をその息子に持たせよと指示した。2人の老人はそれを頂き、干した後に、人の寿命を記した本を開き、「十」と「九」をひっくり返して「九十」にして、その息子は長生きできたという話だったな……。

 22年前のフィルムを巻き戻しながら、展示品を見つめた。
 しかし、此処にプラネタリウムがあったとは、想像すら付かないよ。何度も首を傾げても答えは同じ。
 その想像は、次第に昭和40年代当時のダイニングキッチンで薄らいでいった。ブラウン管テレビ、扉が1つしかない冷蔵庫、ガスチューブが剥き出しになっている焜炉、電気釜……。50〜60代には懐かしい光景だが、私のような四十路近くになると、ブラウン管テレビ位しか憶えていないな。それも、つまみをガチャガチャ回してチャンネルを変えるテレビだ。
 その隣には、戦前の暮らしが展示されている。卓袱台に黒いミシン、そして、上部に氷を入れて冷やす冷蔵庫。これで、プラネタリウムが無くなった瑕疵が埋められよう。でも、あのプラネタリウムの投映機を撤去するだけで、相当手間が掛かっただろう。
 して、展望台に上がった。此処も千葉市の歴史等を展示しているコーナーに変わっていた。一息入れた自販機は無くなっていた。此処でも、私の足は止まってしまった。
 此処にある椅子に座って、ゆっくり溜息を漏らした。
 22年振りの千葉城を訪れたら、1995年の残像を追っていた私の愚かさが赤裸々にされた。22年だ。そう、22年だよ。もうオギャーと泣いている赤ん坊が、立派な大人になっている年月だ。それなのに、何の変わりが無いことなんてあり得ない。あの稲毛海浜公園の青松も眺望を隠す程に生長したし、千葉港観光船乗り場もお洒落になったし、あの日と変わっているのだ。
 ……そうだよ。変わるのだ。変わらなければならないことを悟る為に、千葉城に来たのだ。この私も鬱病と闘って幾星霜、様々なことを学んだり悟ったりして、人生の糧にしてきたのだ。一昨年から連続で鬱病で押し潰され、長期療養を強いられてきた私は、今年は「復興の年」にして一歩一歩前進するのみなのだ。私だけができることがあっても、私だけができないことなんて、あり得ないのだ。そうすれば、念願の家庭を持つことだって可能なのだ。
 奮起を得て、展望台を望んだ。此処でも溜息が漏れた。
 千葉城は改装されていたが、一つだけ改装されていない場所があったのだ。
 展望台だ。
 普通の展望台は、いい眺望を呈する為、殆ど柵を設けられていないのだが、此処千葉城は大阪城同様金網が張られていて、その金網の隙間から見た眺望は、近くに見える眺望も遠くて隔てた感じが強い。此処も改装して欲しいよ。監獄ではないのだから。
 一番面白かった眺望は、手前は都会の様相だが、その後ろは大きな森が控えていて、それを境に様相がガラリと変わってしまっている箇所だ。(立ち寄っていないが)千葉ポートタワーで見た都会と郊外の境が間近に見られるのだ。大した森がない東京23区の住人が見たら、緑が間近に感じられるので、思わず溜息が漏れるだろう。金網があることを我慢すれば。
 我慢して二首綴る。
 金網に囲まれ窮屈展望台行きし港も遠き街並み
 見渡せば工業港と市街地の近くの森林安らぐ田園

 写真は展望台で見た、都会と郊外の境を為している大きな森。金網で見難い所はご勘弁!



(2017年4月14日) 桜吹雪の陶酔


 守閣を出て、袂にある茶店で一服した。金網に囲まれた天守閣で一服していたあの日と較べたら、開放感があっていいわ。しかも、近くに桜が咲いているので、桜吹雪が茶店に入り込んでくることも期待できる。もし、そうなったら最高の風流だ。
 品書きを見た。抹茶のお手前や手軽に甘酒を頂きたいが、品切れの札が出ていた。何でも、此処で一服する人が多く、風流を間近に娯しめる抹茶や甘酒はすぐに品切れになってしまうのだ。風流を娯しむのは、楽に行かないね。
 別の物を思案すること10秒足らず。私の眼は良い物を見付けた。
 葛餅を見付けた。これにするか。
 は野点の席に座り、葛餅を待った。
 その間にも、桜吹雪が続いていて、来訪者の目を娯しませている。今年は桜の開花が遅くて、春を感じずに寒い思いをした時期が妙に長かった。漸く、つい先週(4月8日)開花したが、私の懐事情が遠出を許さなかった。目処が付くまで、何とか持って欲しいと願って、その願いが通じて今日を迎えた。本当に待ち遠しかったなぁ。後は、このコートが要らなくなる程温かくなれば、もう文句は無いな。
 そう春の到来に気を安らげている内に、桜吹雪は絶え間なく野点に入ってくる。散り気味なので、余り吹いてしまうと、葛餅を抓みながら桜吹雪を浴びる風流を味わう時間が少なくなってしまう。桜吹雪よ、私の分は残してね。
 そして、葛餅が来た。仄かな灰色の葛餅に黒蜜と黄粉が掛かっている一品。これを抓んで、桜吹雪を浴びて風流を娯しもうではないか。さぁ、桜吹雪よ、存分に吹き給え。
 1切れ目の葛餅を抓んだら、その思いが通じた。
 桜吹雪が野点に入ってきたのだ。しかも、春本番の到来を告げているかの如く、その吹雪は心地よかった。春の到来を恋い焦がれていた私は、ゆっくり目を閉じ、その心地よさに陶酔した。ふと、葛餅を抓む手が止まった。
 上手い具合に、桜吹雪が葛餅に吹いてきて、皿に載った。
 凄い風流だ。一服している最中の桜吹雪もそうだが、茶菓子を抓んでいる皿や食べ物に直接桜吹雪が舞い降りるとは。桜の開花を待ち焦がれていた人にとっては、風流の極みこの上ない。桜吹雪を受けながら、風流に陶酔した。葛餅を抓む手は止まったまま。
 桜吹雪の陶酔が冷めぬ内に、桜の花弁が直に舞い降りてきた風流の陶酔がやってきたのだ。ダブルの陶酔はこの痩身には勿体ないが、「復興の年」と銘打っている私への春の贈り物なのだ。その贈り物を頂きながら、2切れ目の葛餅を抓んだ。ウ〜ン、旨いなぁ。
 まだ風流の陶酔が続いているので、一緒に出された緑茶を啜ったら、何と、緑茶にも桜吹雪が舞い降りてきた。これでトリプルだ。ふとしたことで、トリプルの風流の陶酔を受けるとは……。啜った緑茶に仄かに桜の香りがした。
 インターミッションを取った亥鼻公園で、こんな風流に出くわすとは。私はゆっくり目を伏せて、暫く続く風流の陶酔を娯しんだ。
 桜吹雪の風流に陶酔して二首。
 亥鼻で葛餅頂くお望みの桜吹雪が皿に降りたり
 満開の桜を愛でど散り気味の風流愛でる日本人かな

 写真は桜吹雪が舞った葛餅と緑茶。



(2017年4月14日) 蘇我駅の貨物列車



 鼻公園で桜吹雪の陶酔が醒めやらぬ中、足取り軽く本千葉駅に向かった。
 本千葉駅へは10分足らずで着いた。あれ、22年前に行った時は、15分位掛かって少し遠かった感じがしたけど。私の歩幅が広くなったのか? 桜吹雪の陶酔が距離を短く感じさせたのか?
 千葉駅のホームに立つと、バラエティ豊かな眺望が広がっていた。湾岸沿いに並ぶ工業地域の建物や煙突、その裾野に広がる住宅街、そして、千葉城で見た迫る森林。千葉城展望台より低いので、爽快感は低いが、金網が無い分開放感がある。あの展望台の金網を撤去してくれたら、もっと来訪者数は伸びると思うけどね。
 これから向かうは、浜野だ。稲毛記念館で見た工業地域から、京葉の範疇までは行きたいと思ったからだ。工業地域は袖ヶ浦付近迄続いているが、そこまで行ける時間の余裕は無いので、責めて京葉線を飛び出して、入口の浜野迄行きたい。更に、浜野の近くには、京葉臨海鉄道の千葉貨物駅に近く、稲毛海岸駅や千葉港観光船で見た貨物列車が発着しているのだ。もし、運が良ければ、貨物列車が見られるかも知れないな。亥鼻公園で桜吹雪の陶酔をトリプルで受けた幸運が持続できればいいな。
 房線に乗って、浜野へ向かったが、車内は通学途中の高校生が目立っていた。丁度、帰宅時間とぶつかっているから。
 それにしても、高校生の制服は、どうして心惹かれるのだろうか。人生80年の昨今、高校生活は僅か3年だが、高校生活は学生時代で一番気分が躍る時期なのだろう。様々な場所から来た同級生と交流したり、通学途中で寄り道をしたりして、見聞が広がるからだ。いい高校生活を送れよ。
 そのエール。
 友達と電車通学桜散る常の景色や思ひ出なるらん

 の途中、蘇我で電気機関車を見た。もしかしたら、此処で貨物列車が見られるのかと旅人の勘が働き、即刻途中下車。亥鼻公園での幸運が持続できるか?
 旅客ホームの隣の貨物ヤードに停車している電気機関車を見付け、シャッターを切ろうとしたが、ホームに停車している赤と黄のツートンカラーの特急列車を見付けた。見掛けたことはないな。その特急列車を美術品を鑑賞する如くジックリ眺め、1枚撮った。そして、撮り終えたら、特急列車は静かに蘇我を発った。ギリギリ間に合った。幸運が持続している証拠だな。
 わぬ出会いに頬を綻ばせ、例の電気機関車を撮った。さて、内房線ホームに向かおうとした所、遠くから走行音が聞こえた。また、此処で旅人の勘が働いた。私はその場で立ち止まった。そして、デジタルカメラを貨物ヤードに向けた。
 旅人の勘は、見事当たった。
 貨物列車が入線してきたのだ。牽引しているのは石油輸送タンクだった。稲毛海岸、千葉港観光船に次いで3度目だ。今日は貨物列車の当たり日だな、コリャ。もしかしたら、向かう千葉貨物駅でも、牽引中の貨物列車に出会えるかも。そうすれば、カルテット(四重奏)だ。もし、上手く行けば、クインテット(五重奏)が狙えるぞ。貨物列車から応援されているだけでも、「復興の年」に相応しい。

 上は本千葉駅ホームから撮った工業地域。あの辺で京葉線が走っている。
 中は蘇我駅で見た、赤と黄色のツートンの特急列車。
 下は蘇我駅で見た貨物列車。入線の途中だ。



(2017年4月14日) 貨物駅と桜

 た、内房線に乗車して浜野へ向かった。
 浜野は千葉市の南部に位置する郊外で、駅周辺には閑静な住宅街が、湾岸には工業地帯が広がっている。青松と砂浜がある稲毛海岸、工業地域の中に観光地が入り込んでいる千葉みなと、中心部の殷賑が詰まっている本千葉と旅しているので、あたかも、町から町へ旅している錯覚に囚われた。でも、此処も千葉市なのよね。色々な顔がある物だ、千葉市って。
 近くの交番で、千葉貨物駅の位置を調べた。警察官は千葉貨物駅に行きたい人が珍しいのか、あちこち地図を見ながら案内してくれた。まぁ、見た目はコートを羽織った人だ。貨物列車に何ら関係なさそうな人から、千葉貨物駅の位置を聞かれたら戸惑うよ。此処まで来れば好事家(こうずか)だな、私って。
 例の千葉貨物駅は、大手製鉄会社を左折したらあるそうだ。
 私は細い生活道路を歩いた。所々に田畑があり、千葉駅界隈の喧噪をモノレールから眺めた私には、心身安らぐ場所に感じた。直に季節の移ろいが感じられるからだ。住むとなると此処がいいな。
 5分程歩いた所で、片側2車線の国道357号線に出た。此処で一気に、住宅地から漂う生活の匂いは薄くなり、(工業地域が近いから)工業地域特有の無骨さが漂い始めた。見通しが良く信号が少ない国道では、忙しなく車の往来があった。見た所、トラックやダンプが大半で、此処にも生活の匂いは薄かった。沿道には大型商店が並んでいるが、閉店した所は枯れ草が貧弱に伸びていて、長年買い手が見付からないことを赤裸々にしていた。大道はあるが素通りが多いので、利益は余り見込めなそうだな、コリャ。
 その店を後目に、この国道を北上し、大手製鉄会社の建物を左に曲がるとすぐだ。
 ると、私の脳裏には、幼少時の思ひ出が蘇った。
 房総の鴨川へ行った時、真夜中に目覚めて、車窓から大きなコンビナートをバックにして、列車が走る気配がない踏切を見たことがある。また、夜明け空を見ながら、その踏切を見たこともある。その時に通った道なのか? でも、今歩いている所は踏切はおろか線路も無い。でも、確かに通った気があるのだが。場所が違うのか? 記憶のフィルムのピントがなかなか合わない。
 ィルムのピント合わせと格闘している内に、目的の大手製鉄会社の建物が見えてきた。そして、左に曲がると、JRの赤紫色のコンテナが山積みにされている千葉貨物駅を見付けた。無論、件の場所で見た石油輸送タンクもあった。
 葉貨物駅は京葉臨海鉄道のメイン駅で、此処から京葉久保田等の工業地域の貨物駅にコンテナや石油を輸送するので、様々な貨物列車が見られる。稲毛海岸駅と千葉港観光船で見た貨物列車は、此処を経由して蘇我から京葉線に入るのだ。
 私は入口に立って、コンテナの山を撮り始めた。
 そして、此処にも桜が咲いていた。貨物ヤードのど真ん中にだ。今日で5度目だ。京葉線沿線の旅に託けた(かこつけた)花見の旅みたいだ。
 無骨な工業地域に咲く見事な桜は、本当に癒やしを与えてくれる。季節感が薄い分、桜が咲いた感動は人一倍高い。千葉貨物駅でコンテナ輸送作業をしている人は、桜が咲いた感動を噛み締めながら働いているのだろうか。
 八王子駅で見慣れた緑の石油輸送タンクしかないので、他の貨物はないのかと視線を動かしていたら、青と白のツートンカラーのディーゼル機関車が入線してきた。京葉臨海鉄道のディーゼル機関車だ。上手く一枚撮れた。稲毛海岸駅、千葉港観光船、蘇我駅、そして千葉貨物駅で、見事カルテットを成したのだ。花見の旅と同時に、貨物列車撮影の旅を為しているかの如く。
 何枚か撮ったが、もう少し欲しいな。かといって、千葉貨物駅にただ立っているだけでは怪しまれるから、場所を変えるとするか。
 私はもう一度国道357号線に戻って、路線を想定しながら、撮影場所を探した。丁度、右折できる所があったので、曲がってみた。此処なら撮れるのかと思っていたが、線路は見当たらず、某会社の入口が待ち構えていた。左右を見ても、撮影スポットは無かった。
 諦めに近い溜息を漏らしながら、時計を見たら16時40分近くを指していた。ポートタワーで見た日没時間18時15分まで約1時間30分。今行けば、充分に間に合うな。そう思い、私の脚は自然に浜野駅に向かった。

 写真は千葉貨物駅で見た京葉臨海鉄道のディーゼル機関車と桜。



(2017年4月14日) カツ丼抓んで貨物列車観賞



 た、蘇我駅に戻った。時計を見たら、17時5分。貨物ヤードの電気機関車はそのまま。このまま、千葉みなとに向かうにはまだ早いな。蘇我で時間調節するか。
 と、駅構内を回って、立ち食いそば屋を見付けた。そう言えば、昼食らしい食事は摂っていない。カレーパンと葛餅だけでは、食事として成立していない。かといって、夕食を摂るにも時間が早過ぎる。繋ぎに何か頂くか。
 その繋ぎにカツ丼を頂いた。時刻は17時14分。本当に中途半端な時間だな。
 そのカツ丼を黙々と口に運んで、この時間に食事を摂るこの一時を噛み締めた。今日は時間の枠に囚われない非日常な日だ。何をするにも、私の我が侭が利く。勿論、食事の時間も何を頂くかも然り。別に昼餉でも夕餉でも何も無い。自分が頂ける時間が食事時間だ。そして、何を頂くのかも決まっていない。高級ホテルのフレンチにしろ、一流料亭の懐石料理にしろ、街中のファーストフードにしろ、非日常な日の食事に変わりはない。そして、その非日常に身を委ね、食事を摂ること自体贅沢に感じられるのだ。誰彼にも指図されることはない。その優越感に浸って、次のカツ丼を口に運んだ。
 食事中ながら二首。
 蘇我駅で時間調整カツ丼を頬張る一時あな贅沢なり
 非日常の旅の食事は如何なれど極めし贅沢一人微笑む

 17時30分の電車に乗って、何気なく車窓を見たら。入線してくる貨物列車を見付けた。また、此処で旅人の勘が働いた。この電車は見送って、貨物列車を撮ることにした。次の便は17時40分で、このまま行くと丁度良さそうと計算したのだ。
 貨物ヤードでは、千葉貨物駅で見た青と白のツートンカラーのディーゼル機関車が切り離され、開いている貨物ヤードへ入っていった。コンテナの行き先を見たら、東北の八戸貨物と京葉臨海鉄道の京葉久保田だった。凄く長い距離だな。
 色々なコンテナを撮っていたら、ずっと停車していた電気機関車が動き始めた。目で行き先を追うと、コンテナにぶつかった。此処で電気機関車と連結して、八戸に向かうのだ。八王子でも貨物列車を見掛けるが、流石に連結作業は珍しい。いやぁ、浜野へ向かう時にこの電気機関車を見たので、何時出番があるのかと思っていたら、八戸に向かう長旅に赴くのか。向こうはまだ桜は早いが(2017年4月14日現在)、春の到来を告げる使者になって欲しいな。
 稲毛海岸駅、千葉港観光船、蘇我駅、千葉貨物駅、そしてもう一回蘇我駅と5連続で貨物列車が見られた。クインテット(五重奏)達成だ。今日は貨物列車の当たり日だな。向こうに戻ったら、いいことがあるかも。そんな期待を持ちながら、此処で3〜4枚撮った。
 して、17時40分の電車で千葉みなとへ向かった。同じ千葉市で同じ中央区でありながら、僅か2駅で所要時間が結構掛かり、違う路線の上、途中で発着駅が挟んでいるから、10キロも離れていないのに、何処か遠くへ行った錯覚が拭えない。
 千葉みなとで降りた。到着するや否や、後ろのホームでは、貨物列車が颯爽と通過していた。気付いた時は、貨物列車は既にホームを去っていた。畜生! 6連続とは行かなかったか。でもまぁ、5回も貨物列車に出会えたからいいか。あれも、千葉貨物駅に向かうのだろうね。

 上は機関車の入れ替え作業をしているディーゼル機関車。
 中は貨物列車の行き先。「京葉久保田←→八戸貨物」と出ている。
 下は電気機関車の連結作業。



(2017年4月14日) 黄昏の千葉港



 ートタワーへ向かう途中、昼に立ち寄ったケーズハーバーを再び立ち寄った。今日の出港を終えた観光船は、静かな波間に身を委ね、周辺は人通りが少なかった。しかし、空は丁度いい黄昏時で、周辺は静かな割には寂しさは無かった。特別目立つ建物は無いから景観がいいし、綺麗な煉瓦道もあるし、チューリップが咲いている道もあるし、フェニックスも植わっているから雰囲気がある。ブラジルのボサノバが流れれば、雰囲気は抜群だ。いっそのこと、この時間を利用してボサノバ演奏ライブでも開催したら、イケるかも。
 淡い朱色の中に僅かなオレンジ色が混ざり、外側は淡い赤と藤色が混ざり合っていて、どちらかが淡色ではなく、どちらでも通じそうなので色調的に美しい。そして、藤色の空が続いた後は、青がかっている薄紫色の青空の余韻が広がっている。夜の帳と言うには、まだ色調的に明るいな。こういう時間帯は「逢魔時(おうまどき)」とも言うが、「逢」が出ているから、何か出逢いがあることを予感させてくれる。運命の女性との出逢いかな、それとも、ポートタワーで見る見事な夜景との出会いかな?
 私は黄昏時の千葉港を撮り続けた。しかし、黄昏空は見る角度や時間で結構色調が変わるから、「これだ」といえる黄昏空は上手く撮れない。夜の帳に相応しい良い具合の薄い藍色の空が入り始めているポートタワー、赤と紫の見事な黄昏空が映えている製油工場、ポートパークの砂浜から撮った燃料タンクは、さっきの黄昏よりも青みが入って、夜の帳が降りるのが近いことを証している。新木場公園には入れなかった敵討ちが、真逆千葉港で晴らせるとは……。

 写真は千葉港で撮った黄昏。
 上から千葉港観光船乗り場、対岸にある製油工場、ポートタワー近くの砂浜。



(2017年4月14日) ただいま、黄昏鑑賞時間!?


 よいよポートタワーに入った。日没時間に合わせて、18時15分入館。しかし、閉館時間が19時なので、実質夜景観賞時間は僅か45分。この45分間で、良い夜景に巡り会わなければ、410円の入館料はドブに捨てることになる。いざ、勝負だ!
 早速、展望室へエレベーターで昇って、千葉港を眺めた。さぁ、夜景は如何か!?
 製鉄所に外灯は灯っているが、まだ黄昏の最中なので燦めきは弱いし、夜景といえる眺望ではない。まだ、黄昏観賞時間の最中なのだ。早過ぎたかな……。
 は近くのソファに痩身を沈めて、夜の帳が降りるのを待った。
 私は時計を見た。長針は5を指していた。後35分か……。夜景観賞時間がドンドン削られていく。折角、色々な所でお花見ができて、貨物列車に出会えたのに、こんな所で地団駄を踏むとは。早く、夜景に会いたいよ! 此処は冷静を装って、夜の帳が降りる瞬間を待った。
 外はまだ黄昏が続いていた。チラッと見たら、さっきよりも青がかっていて、いよいよ夜の帳が降りてくる頃だ。とは言っても、まだ夜景が映える空ではない。早く、夜景に会いたいよ。妙な焦れったさに駆られ始めた。無駄に秒針が忙しく動くのを見るしかないのか。黄昏が続いている外を小刻みに眺めながら、どうにもできぬ不満を露わにしていた。
 うやって、夜の帳が降りてくるのを待っていると、人気の無さに驚いた。夜景遺産登録されているので、入館者が多いのかと思っていたが。見た所、片手で数えられる程度しかいない。千葉港の夜景はそんなに魅力が無いのか。いや、四日市の工業地域の夜景は人気があるので、此処も同様に人気があっても良いのだが。少なくとも、高尾山で眺めるゴチャゴチャした東京の夜景よりはましだよ。
 長針は6を指した。閉館時間まで後30分になった。外を見たら、だいぶ夜の帳が降りてきたな。一回りして、良い夜景を撮るか。

 写真は黄昏が続いている、ポートタワーからの眺望。



(2017年4月14日) ポートタワーで観る夜景は?




 ず撮ったのは、千葉駅方面。房総の大都会で、高層ビルが結構建っていて、ネオンの燦めきは凄い物かと思っていたら、予想は外れた。派手なネオンサインや目立った高層ビルは殆ど無く、近くにあるマンションからは山吹色の灯りが漏れていた。そこから漂う生活の断片を微かに読み取りながら、夜景観賞に集中した。まぁ、近くのポートタワーや港があって眺望は良いけど、これが通常の生活に埋もれてしまったら、この夜景は何の価値もなくなってしまう。夜景遺産とは、滅多に見られないからこそ生きるのだ。
 話を戻して。
 奥の千葉駅界隈にも灯りが漏れていたが、高層ビル以外はポツポツとある程度で、割とゴチャゴチャしていない大人しめな夜景だった。まぁ、この夜景は好きだな。夜の黒が良い具合に映えるからだ。ただ、ポートタワーから伸びる一直線の道路には街灯が灯っていたが、取り付けた電球のルクスが異なっているのかバラバラに見えて、みっともなかった。夜景遺産に登録されたなら、この辺も気を配って欲しいよ。
 は、私が密かに気に入っている、都会と田舎の境界線がよく判ると感じている場所だ。方角でいえば、千葉市南東の緑区界隈だ。
 此処でも、夜景で境界線がよく判った。手前の工業地域の外灯やマンションの等間隔の照明は市街地の装いだが、境界線を跨ぐと面白い具合に街灯が少なくなり、田舎が間近にあることが判るのだ。しかしまぁ、こういうハッキリしている境界線は他に余り無いだろう。そうなると、同じ市にありながら、人々の営みも相当異なるだろう。この外灯から垣間見られるかなぁ。暫く、その夜景に釘付けになった。
 よく見ると、森に囲まれた場所にも外灯が灯っているのを見付けた。市街地の外灯よりも温かみがある。夜景では、人気のない郊外にパッと灯る外灯は、此処にも人の営みがあることを知り、愛おしさを感じる。
 くの千葉港を撮って、出来合いを確かめていたら、右にずっと連なる工業地域の外灯が、地平線に近い星のように見えて、何処か遠い存在に感じた。千葉みなとから距離があるか否かではない。外灯だけなので、内房のどの辺なのか判らないし、今日行った浜野はほんの入口なので、足を踏み入れてないだけで「どんな場所だろう」と思いが馳せられるのだ。右の芥子粒の如く続いている場所は、木更津なのかな?
 その思いを馳せて、遠くの工業地域を撮ったが、何だか見た通りに撮れていない。腕がヘボなのか、デジタルカメラの性能が良くないのか、濁り無くクッキリと見える夜景が、何だか黒以外の色が混ざり込んでいて、雑っぽくて納得できなかった。もうちょっと黒が締まっていれば、夜景が余計映えるのに。
 お慰みの一首。
 宝石は夜の帳に守られて触る勿かれと艶めく輝き

 得できない夜景を撮り続けていたら、昼に乗船した千葉港観光船のルートとなっている波止場で止まった。黄昏の赤がほんのり残っている空の下に、ゆっくり進む一隻の船。あの船は、昼に見掛けた船なのか? ズームを伸ばしてその船を見ると、タンカーのような平坦な形の船で見掛けなかった船だった。舳先を見ると、港から出るようだ。これから発つのだ。観光船では見掛けなかったので、誰にも歓声を上げられず。人気がないポートタワーで見掛けたから、誰にも見送られることはない、寂しい旅立ちだ。責めて、写真に収めて、航海の無事を祈らせて頂くよ。

 写真は夜の帳が降りた千葉市街の眺望。
 上から千葉駅方面、都会と田舎の境界線、湾岸沿いに連なる工業地域。
 一番下は、ひっそり発つ船舶。



(2017年4月14日) 様々な千葉市の夜景




 回りする内に、夜の帳が完全に降りてきた。もう一度、一回りするか。
 タンカーを見送った奥に、幕張新都心が見えるのだが、千葉駅界隈とは全く違う。外灯が星の如く鏤められていて、多くの赤い航空障害灯が都会の地を証明していた。すっかり、都会のお株を千葉駅から奪取していた。「幕張新都心」という名の宝石箱があった。
 う一度、都会の田舎の境界線が見える所に来た。
 森と地平線の境界は真っ暗で見えないが、件の境界線はよく見える。人の営み云々は先述の通りだが、やはり外灯の燦めきの度合いが全然違うな。白、山吹色、薄い青、色は異なるが、各々の人の営みが繰り広げられている。その宝石を一つずつ拾いながら、その営みの断片を読み取るのだ。
 その中で見付けた一つの赤い航空障害灯。あんな郊外に高層ビルは無いと思うが、電線を支える鉄柱なのかな。先程の幕張新都心は、航空障害灯が多くあった為、高層ビルが多いことが判るので、大した重みはなかった。しかし、郊外にある電線を支える鉄柱のポツッと灯る一つの航空障害灯は、人の営みを繋いでくれる命綱の如く貴重に感じられる。行き先を見ると、あの電線は都賀の方へ張られているのかな。
 度は製鉄所だ。此処は山吹色の照明が特徴だ。製鉄所は24時間休まず稼働しているから、照明の一つ一つに気に掛けていることは余り無さそうだが、昼と夜では全く受け取り方や雰囲気が違うな。昼は、観光船から鉄鉱石やコークスの山や、停泊している船舶を眺めて、無邪気に「凄いな」とか、「あの船は何処から来たんだろう」という思いを巡らせている。しかし、夜となると、照明の煌びやかさやこの時間で働いている人達の方に気を取られてしまう。見た所、山吹色の照明ばかりで面白味に欠けるし、この時間だと深夜手当が付きそうだが、どんな人が働いているのかな……。
 そんな思いを巡らせて、遠くを見ると、等間隔の外灯を見付けた。見た所、マンションらしいな。住宅街なのかな。でも、その周辺の外灯はポツポツで、明らかに郊外だ。もしかしたら、今日立ち寄った浜野界隈なのかな。あの方角ならば、間違いないな。至る所に田畑があったからね。そう思うと、都会に呑まれていない郊外が愛おしく感じる。先程の夜景と同じだ。上手く、営みの断片が読み取れるかな。駄目だ。製鉄所の照明が強過ぎて、単に千葉市郊外としか読めない。
 を見ると、山吹色、白、レモン色の照明が灯っている製鉄所の後ろの外灯が、浜野界隈より多かった。あの辺は蘇我駅界隈だ。駅周辺は賑やかだが、赤い航空障害灯が少ないので、幕張新都心よりは大人しめだ。今でも、貨物列車が往来しているのかな。
 旅先で色々夜景を眺めたが、各々違うな。3年前の冬の函館で見たあの夜景は、函館市民の生活の断片が垣間見られたし、14年前の関門海峡の夜景は、関門海峡を舞台にして街灯が織り成した下関と門司の2都市共演のミュージカルに陶酔した。そして、今回の千葉港だが、市街地と郊外の境界線が夜景を通じてクッキリしていることや「此処も『京葉』の範疇だ」と言わんばかりの湾岸沿いに連なる工業地域が面白い。「復興の年」と称し、奮起する者への贈り物に相応しい。
 閉館時間10分前に出た。足取り軽く、家路に赴いた。

 写真は夜の千葉ポートタワーからの眺望。
 上から幕張新都心、都会と田舎の境界線、製鉄所(浜野方面)、製鉄所(蘇我方面)。





トップへ
戻る



Produced by Special Mission Officer