2017年9月15日 「復興の年」のビヤガーデン

(2017年9月15日) 霍乱を抱きて赴く旅路かな……

 霍乱に短さ悟る痩せ身かな
 い時は殆ど何ともなかった夏の暑さが、年齢を重ねるに連れ、痩身に響くようになってきた。今年もそうだった。早々に夏バテを引き起こしてしまい、8月中は静養しながらの勤務だった。折角「復興の年」と銘打っていたのに、此処に来て大きな凹みにはまってしまったようだ。凹みにはまってしまったら、時間を掛けてでも回復を図るのが一番だから。
 そして、9月中旬に何とかその凹みから脱出できる見込みが立った。しかも、新しい職場も決まるというおまけ付き。此処は無理しないで奮起して「復興の年」に弾みを付けたい。
 景気付けに何処かへ行こうか。
 そうだ。ビヤガーデンがいい。それも、私の好きな中京の大都会名古屋のビヤガーデンだ。もう、3年もご無沙汰だ。
 しかし、いきなり行く訳にはいかないので、何処か寄り道して、名古屋に向かおう。
 さて、何処がいい? 過去2回に行ったビヤガーデンを回想する。1回目の2012年は馬籠宿で、2回目の2014年は湯の山温泉だった。名古屋の東、西ときたから、今回は名古屋の東にするか。
 と、飛び乗ったのが早朝の中央本線。高尾山の天狗の見送りを受けて。朝は大抵体調がぐずつくが、こういう旅の時になると、自棄に活々になる。現金な体調だこと。
 の中央本線(中央東線。東京〜塩尻〜名古屋が中央本線になっているが、JRの管轄の境になる塩尻駅から、中央東線と中央西線と岐れる。此処では、東線・西線と区別する)が面白くなるのは高尾以西で、東京のつまらぬ雑踏を脳裏に刻んでいると、いきなり迫り来る山地や数えられる民家には驚くだろう。こんなに変わってしまうのだ。更に、相模湖の鄙びた観光地、藤野駅から見える山に置かれている大きなラブレター、梁川駅からの併走する甲州街道に点在する旅籠(はたご)、見えつ隠れつの桂川が、早朝からの旅に華を添えている。特に桂川は時期になると、周辺の山々が紅葉して、如何にも錦秋という眺望が見られるのだ。こうなったら、車窓からその眺望を瞬時に娯しむなんて勿体ない。東京人よ、この眺望に陶酔し給え!
 この光景を盛り込んだ二首。
 桂川朝釣り浮かべて梨囓る紅葉の頃の錦秋恋しき
 鈍行で思ひ巡らす旅籠かな鄙びし街道鄙びし梁川

 れの予報が出ていながら、延々と薄曇りが続いていて、青空が出て欲しいとひたすら願い続けた。折角の旅なのだから、晴天に恵まれたい。とは言っても、河口湖の玄関口大月を出ても、傾斜が激しい初狩駅に停車しても、勝沼の繁茂した葡萄畑を越えても、薄曇りは延々と続き、次第に私の旅心も曇り始めた。不味いな。早く青空が出て欲しいな。曇り空の果ては何処かと、焦る気持ちを抑えて、デジタルカメラのシャッターを押し続けた。
 内は次第に、通勤通学の乗客で一杯になった。スマートフォンを見たり、参考書を読んだり、経済新聞を読んだりして、各々の過ごし方をしているが、此処でデジタルカメラを構えて、車窓からの景色を撮る乗客はどんな風に感じるのだろう。一つ言えるのは、明らかにこの人は余所者だということだ。
 若さ溢れる制服姿の高校生を遠くで見て。
 通学の学生姿に頬染める遠き昔のこととは思わず



(2017年9月15日) 非日常の鈍行列車


 府の1つ手前の酒折(さかおり)で、多くの高校生が降り、甲府駅で殆どの乗客が降りた。
 その光景を眺めての一首。
 旅の脚通勤通学様変わる呉越同舟鈍行列車

 内は立ちんぼがいない状態になった。此処で列車は、日常の断片が殆ど排除され、非日常の行程を持つ人達を輸送する手段になった。
 て、一旦ホームに降りるか。約1時間30分も鈍行に揺られて、少し身体を動かしたい。ホームで人目も憚らずに、堂々とラジオ体操を施しても、節々からポキポキ音が鳴っている。身体がまだ眠っているのか、自分が歳を取った証なのか? 私として嬉しいのは前者の方だが。四十路目前だが、こうやって健全な趣味を持っている以上は、若者の範疇にいられるのだ。「中年男性」ではなく、年齢を重ねた「若者」なのだ。今日こそが、残りの人生の中で一番若い日なのだから。悔いの無いように過ごし給え、旅人よ!
 これから向かう木曽福島へはまだ時間が掛かるが、こういう旅路では朝早く動いても、身体は殆ど何ともないので苦笑する。
 此処で、栄養ドリンクを取り出した。丁度、青空も見え始めた。コリャ、いいぞ。
 青空が見えつつある空に向かって、栄養ドリンクを傾けた。新横浜6時始発の新幹線で、名古屋に向かっても、この時間帯で栄養ドリンクを傾けたな。久し振りの栄養ドリンクの弱い酸味がある味覚に、一気に痩身が覚醒し、これからの行程を是非成功させたい意気込みが頂点に達した。
 出発まで2分を切ったので、列車に戻った。
 府を発ち竜王に向かった。中央東線上、甲府以遠は滅多に行かないので、いい景色があったら撮ろう。早速、栄養ドリンクの効力が発揮された。
 竜王は貨物取り扱いがある駅ということもあって、コンテナやタンク車が並んでいた。
 暫く行くと、遠くの雲が尾根に入り込んでいるいい景色を見付けた。こういう雲が尾根に入り込んでいる景色は、大声で唸る程ではないが、色が補色(2つの色がよく見えること)同士なので、美的な魅力がある。雲海が尾根に入り込んでいる山岳の眺望は魅力的だからね。滅多に行かないので、余計魅力的だ。何時もなら、速過ぎる新幹線の車窓から、撮れるか否かの博打をしながら、景色を撮っているのだから。
 崎に到着した。此処も初狩、笹子同様スイッチバック(方向転換したり、別の場所に線路を敷いて、高度を稼いだりする)だったから、傾斜が激しい。
 ホームからは茅ヶ岳が見えているが、反対側の席に座っているので、なかなかピントが合わせられない。と、ホームと反対の方を向くと、何と観音立像があったのだ。コリャ、縁起がいいね。久し振りの旅に華を添えてくれそうだ! おまけに、青空が広がってきたし、絶対いい旅になりそうだ。気合いを入れていくか!

 上は甲府駅ホームから見た電気機関車と時の鐘。
 下は韮崎駅ホームから見えた観音立像。



(2017年9月15日) 鈍行列車で即席探偵


 崎でいい見送りを受けて、窓框(まどかまち)に頬杖をして、景色を眺めた。しかし、私の視線は時折、反対側にある茅ヶ岳に向いた。次第に茅ヶ岳は遠離り(とおざかり)、新たに八ヶ岳が見えてきた。
 途中の新府や穴山は、季節の移ろいが明確に残されていた。
 向日葵や新府の里は夏の余韻穴山駅は芒の漣

 い一枚撮るか……。
 私は席を立って、反対側のドアに張り付いた。そして、巧くピントを合わせて、八ヶ岳を狙った。丁度、黄色く実った田圃があり、美的に納得できそうなので撮ったが、架線の電柱がいい邪魔をしてくれたよ。全く、惜しい一枚になったよ。良く斬れる刀があったら、電柱を斬り倒したい気分だ。此処で、変に空振り三振する訳にはいかない。私は、暫く此処で八ヶ岳を見張ることにした。此処で、私は旅人から探偵になった。これよりも素晴らしい一枚が撮れるかも知れないから。
 うしている内に、小淵沢へ到着した。此処から清里、野辺山と高原リゾートへ向かう小海線があるが、降りた中央東線ホームはその雰囲気は微塵も無く、都市近郊にありがちな鉄柱で屋根を支えている無骨なホームだった。
 小淵沢を発って数十秒後、また八ヶ岳が見えてきた。しかも、架線が無いベストコンディションではないか。粘った甲斐があった。すかさず、一枚撮った。青空の下の八ヶ岳は何とも清々しかった。下は実り豊かな田圃とは行かなかったが、綺麗に撮れたとなると及第点だ。さっきの失敗作と較べると、こっちの方が点数が高い。クリーンヒットだ。
 そんないい気分に浸っていると、ソーラーパネルが目に飛び込んできた。今は何処彼処も無炭素発電を謳って、ソーラーパネルが設置されているが、何だか、突拍子な印象が強く、景観を損ねている。綺麗な地形を描いている八ヶ岳には不要だ。もっと、景観を損なわないスマートな発電方法は無いのかな。
 濃境を越えて富士見に向かっても、まだ八ヶ岳は見えている。韮崎の観音立像に続いて、いい見送りを受けている気がする。何としてでも、成功させなくては!
 もう八ヶ岳が終わりそうな矢先、偶然古びた鉄橋を見付けた。前回、此処を通った時に見掛けたのだが(写真には撮りそびれた)、今回は見事写真に撮った。実はこの鉄橋は、かつての中央東線が通っていて、1980年に現在の場所に移設されたのだ。しかしまぁ、廃止になって悠に30年以上は経つけど、朽ち果てた様子は無く、此処に特急列車を疾走させたら、いい写真が何枚でも撮れそうだぞ。
 鉄橋にも見送られた私は、ますますこの旅を成功させようと意気込んで、自分の席に戻った。此処で、探偵から旅人に戻った。

 上は小淵沢〜信濃境で撮った八ヶ岳。
 下は1980年まで使用されていた鉄橋。



(2017年9月15日) 鈍行列車で眺める諏訪湖

 諏訪に到着。上諏訪温泉、高島城、諏訪湖と観光要素が一杯。過去に3度も訪れている。最近訪れたのは2009年4月で、あの時は高島城と諏訪湖を訪れた。諏訪湖ではスワンボートのレースの佳境が見られたし、駅にある足湯で一服して松本に向かったのだ。時間的にもいいので、此処で途中下車したいのだが、木曽福島へ向かう行程は変えられないので、車窓から諏訪湖が見えるかどうか期待することにした。上手く見えたら、何処かで奮発するか。名古屋のビヤガーデンでも。
 諏訪を発つと、見えてきたのは諏訪湖湖畔に沿って林立しているホテルだった。きっと、諏訪湖の方に向いている客室があって、此処だけ値段が跳ね上がるのだろうな。オーシャンサイドやレイクサイドは遮る物が何も無いから、開放感や爽快感等が勝っていて、余所者を惹き付ける魅力があるからね。
 暫く行くと、味噌醸造場が見えてきた。会社名は有名会社だ。ヒントは森光子さんだ。これでピンときたら、40代以上かな。彼女が鬼籍に入られて10年は経っていないが、今でも強力なオーラを保っている。『放浪記』の主演、そして、ザ・ドリフターズとのコント……。
 えっ、肝心の諏訪湖はどうしたって。
 その諏訪湖が出てきたのは、下諏訪に向かう途中。豪快にバッとは見えなかったが、いい一枚は撮れた。自画自賛のようだが、なかなか湖畔の雰囲気があるいい一枚だ。機会があったら寄るか。丁度、新しい仕事が始まるし、無理をしなければ、機会が訪れるだろう。
 気分がいいので一首。
 車窓から寄りても寄れぬ僅かなる諏訪湖を望みて塩尻へ去る

 写真は車窓から撮った諏訪湖。
 ホテル群や味噌醸造場は、諏訪湖側にある。



(2017年9月15日) トンネルを越えると塩尻

 谷。中央東線上、重要な駅だ。此処で、塩嶺(えんれい)トンネルを越えるみどり湖方面と、南西に下る辰野方面に岐れる。元々の路線は辰野経由だが、塩嶺トンネルができて以来、メインは塩嶺トンネル経由に譲り、辰野は飯田線直通列車を捌く駅になった。
 此処で、一つ思い出した。
 岡谷でうなぎ弁当を買ったのだ。確か2008年10月で、名古屋大須で開催される大須大道町人祭に出掛けた時に買ったのだ。駅舎と隣接しているホームにある売店で買ったのだが、チラッと見たら相当改装されて、売店は改札外に移設されていた。間違いなく、うなぎ弁当は終わったのだ。私は哀しげに舌打ちをした。全く、駅構内にうなぎの町の幟(のぼり)があって喧伝しているのだから、あってもいいだろうに。こういうのを空宣伝といって、見せびらかし同様醜い行為だ。
 長い塩嶺トンネルを越えて、みどり湖へ到着した。といっても、肝心のみどり湖は何処なのか。ホームから見ても、湖は無い。地図で調べると、そのみどり湖は駅から東南東にある小さな湖なのだ。しかも、辰野経由の路線と程近く、かつてその経由にあった東塩尻駅の代替駅として設置されたのだ。辰野経由で進めば、その駅の跡があるので、これも機会があれば撮りたい。
 尻へ向かう途中、その辰野経由の架線が見えた。私の脳裏に一つの列車が浮かんできた。
 ミニエコーという列車だ。1両編成の赤と白のツートンで、荷物車を改造して造られた列車だ。僅か1両しかない稀少列車で、岡谷〜辰野〜塩尻をピストン運行している。時刻表で調べたら、良い具合に辰野経由の列車が到着するので、ミニエコーが運行されている確率は高い。韮崎の観音立像、小淵沢の八ヶ岳、信濃境〜富士見の旧線の鉄橋、上諏訪の諏訪湖と続いて、5度目の幸運が訪れるか?
 期待を膨らませて塩尻へ向かっていたが、途中の中央西線への分岐箇所で、辰野経由らしい列車を見付けた。何と、水色とエメラルドグリーンのラインが入った新型ステンレス車両だった。私は気怠い溜息を漏らした。こんな田舎に色調的に突拍子なステンレス車両なんて必要か? 景観的にも、旧国鉄色の朱色とクリームのツートンや朱色一色がよく似合うが、全く景観を無視して利便性や効率性を偏重し、美術的感性を忌憚なく斬り捨てる、日本の企業意識に忌々しさを感じる。

 写真は岡谷駅で見掛けた「うなぎのまち 岡谷」の幟。



(2017年9月15日) 葡萄とそばの塩尻駅


 尻到着。由来は塩を輸送する時の終着地(尻)だったことから。今は、ワインと日本酒で有名な場所。駅の広告も、殆どがワインと日本酒で占められていて、呑兵衛にはKOパンチだ。そして、東京からの中央東線と名古屋からの中央西線がぶつかる駅だ。此処からの中央本線の全て上りになるので、区別する為に東線・西線と案内している。
 時刻は9時18分。高尾から乗ったのは6時14分だったから、かれこれ3時間も鈍行に揺られたことになる。しかし、私の中ではもう10時か11時になったのかと思っていたら、まだ9時台ということに驚きを隠せなかった。朝早く行動していることに認識を持っていないのか。私の時計の秒針は、妙に早くなっているのか。そうだとしたら、急いで直さなければ。
 内を出ると、改札前に物騒な知らせが出ていた。
 北朝鮮のミサイル発射で、列車が遅れている旨だった。罪無き日本人を拉致した分際で、よくもまぁミサイル発射ができるものだな。我が道を行くにしても、周囲からのご意見を無視した時点で、信頼が失われるというのに。口は悪いが、日本も時にはキレろ! 首相殿、責めてヤクザ映画を見て、キレ方を勉強しろ! 願わくば、第3次世界大戦に発展しないことを切に望む。
 さて、少し腹拵えでもするか。丁度、信州信濃だから、そばでも啜るか。諏訪湖が見えた勝ちは、此処で奮発するか。
 尻駅の立ち食いそばは、改札内外に跨がっているので、フラッと駅に立ち寄っても頂ける。その中で、鴨肉が入ったそばを頂いた。山地に囲まれた信州だから、鴨が獲れると思ったからだが、山菜があればもっと信州らしかった気がする。やはり、信州信濃のそばだ。立ち食いそばでもしっかりしている。そばは色が濃かったし、噛み応えがあった。そば粉の比率が高い証拠だ。これで460円とは、塩尻価格だ。東京だと、そば粉の比率からすると、550円はするだろう。立ち食いそばでいい所に当たると嬉しいね。その気分に乗って、旨そうに啜った。
 この塩尻駅には、もう一つ見所がある。ヒントは先述の箇所だ。考えてみ給え。
 そうワインだ。ワインといえば葡萄が真っ先に思い浮かぶだろう。
 実は、塩尻駅のホームには葡萄棚があって、観光客の目を娯しませている。丁度時期だから、濃い紫に実った葡萄が方々に生っている。しかも、ベンチも置かれていて、列車を待つ間、此処に腰を掛けて繁茂した葡萄棚を眺められるのだ。流石にこの行為は、東京では絶対できない贅沢だ。更に、此処で葡萄ジュースやワインを傾け、干し葡萄やぶどうパンを抓むとなると、旅路の贅沢としてはKOパンチだ。
 私はそのベンチに座り、繁茂した葡萄棚を眺めた。各々の葡萄は何とも美味しそうな濃い紫色で、見た目からすると、ワイン醸造用の品種に見えるが、そのまま頂いても美味しそうに感じる。一粒抓んだら、葡萄の甘酸っぱさが濃厚で、すぐに陶酔してしまいそうだ。
 3時間も鈍行に揺られたのだから、此処でゆっくり痩身を休めるとするか。
 10時3分発の特急「ワイドビューしなの」6号に乗車して、木曽福島へ向かった。此処から僅か30分程度なので、自由席に座ろうかと思ったら、着席率は驚きの約90%。しかも、窓側は塞がれていた。始発駅の長野は都会だし、途中の松本から乗車する人が多いのだ。「地方の特急は概して空いている」という、東京至極思考は見事嘲笑された。
 仕方がないから、運転席の後ろの通路で立っていることにした。ワイドビューと出ているから、運転席から前方がよく見えるので、あたかも、自分が運転士になった気分になれるのだ。鉄道ファンにとっては、此処が特等席なのだ。

 上は塩尻駅で頂いた鴨肉そば(イメージ)。
 下は塩尻駅ホームにある、美味しそうになっている葡萄棚。



(2017年9月15日) 山の中の福島宿




 転士気分を味わいながら、贄川宿や奈良井宿を通過して、木曽福島へ到着。時刻は10時30分。
 曽福島は山間の駅だ。そう言えば、島崎藤村の『夜明け前』の一節に、「木曽路は全て山の中」と謳われているが、全くその通りだ。東西南北見渡しても、山、山、山のオンパレード。
 此処木曽福島も中山道の宿場町として繁栄していたのだが、何処に宿場町があるのか判らない。とにかく、駅前の観光案内所に入り、パンフレットを貰って散策。目的の宿場町は駅から歩くようだが、途中にも何らかあるだろう。
 静かな駅前を過ぎて、橋を渡ると、鉄道の鉄橋が見えてきた。汽笛を鳴らして疾走する列車があるといいなと思ったが、そんな都合良く列車がくる訳がないだろう。
 橋を渡ると、木造家屋が並んでいて、宿場町の薫りがしてきた。長年の風雨に曝され、黒ずんでいる柱や簾が、長年闇雲に時代に迎合していないことを証している。特に簾は色調的にも景観的にも見事な存在だ。此処に都会のようにゴーヤやヘチマの苗を植えたら、色調的にも浮いてしまうからだ。
 坂道になっている入口の宿場町を撮っていたら、後ろから汽笛が響いた。振り向くと、例の鉄橋に特急列車が通過していた。デジタルカメラのズームを瞬時に整えて、鉄橋を通過する特急列車を撮った。先頭部分は撮れなかったが、通過途中と最後部車両は撮れた。このような静かな場所の特急列車は、周囲の静寂を破る存在で、ふと都会の喧噪を運んでくる厄介者と見えるのだが、別に解釈すると、此処まで運んできてくれた列車の存在の有り難さが感じられる。いいスパイスだな。
 道を上がると、中山道福島宿が見えてくる。木造家屋が連々と続いて、景観を損ねる電柱や電線は地中に埋められているので、空の広さが素直に愛でられる。おまけに、雲は多少ありながらも青空が広がっていて、爽快感が一層高まってくる。「復興の年」に相応しい空模様だ。此処で木曽路の美味しい空気を、存分に吸っておくとするか。雑味が無く、ちょっと葉の香りが感じられた。
 今日は平日の金曜日。観光客は数える程。そして、そこには日常の福島宿があり、私はその断片を拾いながら、此処での日常を噛み締めるのだ。一体、あの家ではどんな日常生活を送っているのか。通り過ぎる私はどんな風に見えるのかな。そして、ひょっとしたことで、此処の住人が私と関係を持つことになり、お互いの人生に花が咲くのだろうか、なんて、遠いことまで考えられるのだ。
 と立ち止まっていると、チョロチョロ……。水の流れる音が聞こえた。
 右には僅かな量だが、水が湧いていた。「上の段用水」と言って、下の瓶には澄んだ水が目一杯湛えていて、溢れた水が排水溝に流れていた。排水溝では、水琴窟に似ている鋭い高音が短いリズムで響いていた。ただ流しているようでは、勿体ない光景だ。その湧き水をチラッと見たら、飲用できるそうだ。そう言えば、奈良井もそうだったな。「木曽路は全て山の中」というので、木曽山脈と飛騨山脈の雪解け水が、山で何十年にも亘って濾過して流れ出ているのだ。「健康を保つには、水に気を遣え」と言われているが、こんな自然豊かな場所の湧き水だ。都会の消毒と濾過の繰り返しの水よりも旨いに違いないし、一口飲むだけで寿命が少し延びるのでは? そう思って、チョロチョロ出ている湧き水を手で掬い、ゆっくり啜って溜息をホォッと一つ。円やかな喉越しで、ちょっと土の味がした。湧き水がある宿場町に来られたことは滅多に無いので、持ち帰ろうとしたが、容器の持ち合わせが無いので断念。
 ョロチョロ出ている湧き水から少し歩くと、もう一つ湧き水があった。それも、ドバドバ出ているではないか。こんな贅沢な宿場町はあるのだろうか?
 目を輝かせてその湧き水を見たら、これは木曽川の水を引いたもので、湧き水ではなかった。でもまぁ、綺麗な水だこと。見ているだけでも、爽快感があるよ。都下でもこんな光景は無理だね。
 の近くに、大通寺という寺があり、武田信玄公の三女真理(万里・真里とも言われる)姫の供養塔がある。地元の武将木曽義昌に嫁いだ彼女だが、後に彼は織田信長公に寝返ってしまった。離縁したかどうかは判らないが、慶長5年に木曽家が改易されると、木曽谷に隠棲して、98歳の大往生を遂げたと伝わっている。しかも、改易された木曽家は、武田家から疎遠され、4月に甲府で開催されている信玄公祭りでも除外されているし、信長公ゆかりの名古屋まつりでも彼の名は無い。裏切った応報なのだろうか?
 を変えて。
 先程の清冽な水と木造家屋が並ぶ福島宿。そして、東西南北山に囲まれた木曽路。おまけに、今日は平日で観光客の往来も少ない。思い切り痩身を動かして、福島宿を堪能しようではないか。
 宿場町を進んでいくと、右に高札場が、左に細い路地が続いている道に岐れた。高札場がある道は宿場町らしいが、左の路地も捨て難いな。チラッと奥を覗いたら、道が続いているようだな。パンフレットを見たら、木曽川と足湯があるみたいなので、この道でも進むか。
 民家に挟まれた細い道を通り、階段を下ると、道路を挟んだ所に木曽川に架かる橋と足湯を見付けた。
 湯に入る前に、木曽川を眺めた。綺麗な水が流れ、せせらぎの音が絶え間なく聞こえる。9月中旬でもまだ暑さが残っているので、自然に暑さを癒してくれる。音だけではなく、緑色の綺麗な水も暑さを癒してくれる。どう表現したらいいのだろうか。透明な緑色の和菓子を連想させる。それも、羊羹のような固形物だ。一口抓んだら、とても美味そうな和菓子といった所だろうか……。そう木曽川の綺麗な流れを眺めて、せせらぎの音を聞いたりしながら、足湯で一服した。
 一服後、高札場がある道へ戻ったが、宿場町へ入る途中、ほんの一瞬日常生活の断片をドンと突き付けられた衝撃を受けた。他人様の玄関が隣接している細い道を通った後に、すぐ観光地が控えている。観光地に日常生活が融け込んでいる観光地は結構見てきたが、このようにクッキリとした境がある場所はそう無い。常生活と(非日常的な)観光地という甚だしい差がが何とも愉快だった。
 高札場で、難無く読めない行書のお触れを読んだ後、道を進んでいくと、片側1車線の鄙びた商店街に入った。この辺は宿場町の名残はないな。奈良井千軒の奈良井宿を旅した私にとっては、意外と小さく感じてしまう。

 上2枚は福島宿の街並み。
 中2枚は上の段用水と木曽川の水を引いた水場。
 下は橋が架かっている木曽川。



(2017年9月15日) 木曽の代官の意外な生活


 店街を歩いていると、意外な人物のポスターが目立った。関脇御嶽海関のポスターだった。木曽節の一節に「木曽の御嶽山は、ナンジャラホイ」とあるけど、しこ名はこれから頂いたのか。彼は此処福島町の出身かと思ったが、隣の上松町の出身で、80余年振りの関脇ということもあって、その熱の入れようが感じられる。何しろ、星取り表が掲示されている位だから。今場所は、3横綱が欠場しているから、彼が優勝する可能性がある(結果的には、横綱日馬富士が優勝した)。チラッと見た飲酒運転撲滅のポスターに、「心のまわしを締めてくれ」のメッセージに気が引き締まる。名古屋のビヤガーデンに行く旅だが、この旅を成功させないと。
 さて、宿場町の次は、何処に行くか。福島関所の途中に、代官屋敷があるから行くか。
 の代官屋敷は、「木一本 首一本」といわれている木曽の山々を治めていた山村家の住居で、此処で実際に使われた(貝の裏に描かれた絵と同じ絵を探す遊び。判り易く言うと、トランプの神経衰弱と同じ遊び)貝合わせや百人一首、掛け軸や家系図が掲示されている。一番驚いたのは、「木一本 首一本」といわれた木は木曽檜だけではなく、他4種の木も該当していたのだ。となると、近隣の農民は貧困に喘いでいたことが判るし、福島宿ということもあって、生活の糧を農業ではなく旅人相手の旅籠や商店に求めていていたことが判る気がする。
 木曽一体を治めていた山村家は、先述の風雅な文化に嗜んでいただけではなく、文学にも造詣があり、9代良由(たかよし)は何とあの上杉鷹山公と交流があり、江戸とは違う木曽の漢文学の黄金期を築いた人物である。その影響は、木曽一帯の宿場町の町人達にも及び、和歌や俳諧を嗜む粋な町人を輩出したそうである。山へ生活の糧が求められなかった人にとって、いい気晴らしになっていたに違いない。この山村家は、テレビで見る悪代官ではないと見た。「こういう文化があるのだが、身分を越えて一緒に娯しもうではないか。」と、独り占めせずに一緒に分かち合う、そんな良き代官だったのだ。
 園が見える大きな座敷に入った。庭園の左側には小学校が見え、時折ホイッスルの音が規律良く聞こえた。組み体操の練習かな? 実は、あの小学校は元々此処山村代官屋敷の一部で、上屋敷だったそうだ。
 こうしてみると、山村代官屋敷は結構広いな。広いだけではなく、代官という幕府の要職の中では決して高くない身分でありながら、石高7500石持ちで、江戸や名古屋に屋敷を構えていたそうである。大名のように参勤交代という大出費も無かったから、豊かな暮らしが送れたのだ。先程の貝合わせや百人一首はその表れだ。
 庭園に降りて、少し歩くと、またホイッスルの音が聞こえた。チラッと見るとそうだった。この私も、組み体操の練習に明け暮れていたことがある。小学5年生が初めてだったかな。最初は慣れない裸足で何度も躓いてばかりだったが、徐々にコツを覚えて、本番の運動会では見事な組み体操ができて、周囲から褒められた記憶がある。中学時代も経験があったが、かなり複雑になっていた。中学1年の時は地獄のように思えた組み体操だったが、中学2年になると殆ど地獄とは思えなかった。同じ組み体操をしていたから、おさらい気分で慣れてしまっていたのかな……。もう30年近く前だが、記憶は鮮明に残っていて、ほんの数年前の出来事かと勘違いしてしまう。そんな回想をしていると、またホイッスルが響いた。
 暫く、ホイッスルを聞いて、一首を捻った。
 小学校組み体操のホイッスル倣ひて舞ひし蜻蛉の群

 処の一角に、山村家の日記から再現された山海のご馳走が展示されている。朱色の漆器に盛られている料理は、何とも豪華に見える。隣の上松町にある臨川寺(りんせんじ)には、吉良流礼法が記した巻物が収められているので、恐らく吉良流だろう。
 代官家はこのような贅沢な食事を摂っていたかと思われがちだが、これは要人を迎える為に饗された食事で、通常の食事は案外質素だったと出ていた。サンプルは出ていなかったが、木曽の土地柄を見ると、山菜の漬け物や煮染め、焼いた川魚や煮物だったのだろう。木曽川が近いから、当主がわざわざ魚を釣って、夕餉に饗されていたこともありうる。

 上は山村代官屋敷。
 下は庭園。



(2017年9月15日) 旅人を出迎えた珍客

 官屋敷を一回りして、元の玄関に戻った。すると、受付から何やら勧めてきた。
「もし、宜しければ、祀られている狐の木乃伊(ミイラ)をご覧になりますか?」狐の木乃伊? さっき見た祠にあるのか?
「狐の木乃伊ですか。」
「途中で通った祠に祀られているんですけど、そこに安置されているんですよ。」そうだな。木乃伊なんて滅多に見られないし、此処は「復興の年」の縁起を担ぐということで見ていくか。
 先程の祠に入り、係員は合掌して、祠の扉を開けた。祠には地元の清酒や林檎が供えられていた。私も合掌した。
 そして、祠の扉を開けた向こう側にあったのは……。
 を上に向け、歯を見せて咆哮している狐の木乃伊だった。木乃伊だから身体の形はそのままだが、咆哮している姿は何かを語っているかのように神秘的でおぞましかった。更に、しっぽが立っていた状態なのも、それを助長させる。何しろ、亡くなった状態と全く同じなのだから。この狐は何なのだろうか。神仏からの使者なのか?
 係員の説明に因ると、この狐はこの代官屋敷の上屋敷の軒下に棲み着いて、咆哮する声の高低で、吉凶を知らせていたという。そして、その吉凶は全て的中したというから驚き。時代が流れ、上屋敷が払い下げられ、学校を建てる途中に、このミイラ化した狐が見付けられたという。話を聞いた山村家の子孫が、吉凶を知らせてくれたお礼として、この狐を祀る祠を建てたということだ。
 この狐は霊験灼かなのだ。此処に来たのも何かの縁だ。しっかり合掌しておくか。「復興の年」へ弾みが付きますように!



(2017年9月15日) 薄給に耐える福島関所


 島関所。文字通り関所で、通行手形が必要な他、「入り鉄砲出女」といって、女性にとっては殊の外厳しい場所。しかも、通行手形を見せれば、即座に通れる訳ではなく、その人の出立地や碓氷関所に連絡したりして、何時間も待たされたという。特に丸1日も待たされた上に、関所の役人から尊大に「通れ」で漸く通れるとなると、旅人の鬱憤は尋常ではなかったに違いない。通行手形が2分程(1両の半分 1両=4分)掛かり、各関所毎に必要だったので、出費が嵩むことも考えたら、関所は旅人達の大いなる敵だった。更に、一つの間違いがあれば、即拘束だったので、恐怖との紙一重の場所だった。
 此処には、此処福島宿で往来する女性が使った「日帰女手形」があり、家族の事情で帰ったりする為に使用された。その手形もスンナリと発行される訳ではなく、先程立ち寄った代官の山村家にその旨を伝えて、発行されるというので、とにかくこれも時間が掛かったのだ。
 この関所には、昭和50年に様々な史料を基にして再現された建物があり、その中でも上番所は関所の一番上の役人が座って、通行手形を検閲していた場所だ。中山道だから、往来も激しかったので、口笛吹きながらのノンビリした勤務ではなかっただろう。通った旅人達を睥睨しながら、一つのミスも許されない通行手形の検閲は、相当ストレスが溜まっただろう。
 て、そんな役人達の日常生活はどんなものだったのだろうか。隣接している下番所に掲示してあった史料を見ると、意外なことに表情が止まった。もし、私が関所の役人だったら、辞表を突き付けたい。
 そんな役人達の日常生活。食事はさぞかしいい物を頂いていると思っているが、とんでもなく粗末なものだった。食事は殆どが自前で、おかずは僅かに漬け物があるだけという薄給振り。年貢米を徴収しているのに、関所には配給されていなかったのだ。しかも、おかずが漬け物だけというから呆れる。木曽川が近くに流れているのに、川魚を焼いたものや甘露煮等無かったのか。もし、食べたかったら、木曽川へ行って直接捕ってこいというのか。通行手形を検閲している役人が、必死になって木曽川で川魚を捕っている光景は、想像が付かないが、一般庶民から見たら、どんな風に見えたのだろう。史料があったら読みたいな。
 全く、とんだ薄給を掴まされたものだな。少しのミスも許されない関所でありながら、その食事となると「馬鹿」が付く程粗末なものだったとは。激務の合間に白飯を頬張りながら、僅かな漬け物をポリポリ抓む虚しさ。きっと役人達は、粗末な食事を摂りながら、宿場町にある美味なる食べ物を頂く旅人を羨み、溜息ばかり吐いていたに違いない。「関所に勤めていながら、何でこんな粗末な食事を食わなければいけないんだ。偶には、木曽川で捕れた川魚や宿場で出されているそばでも食いたいよぉ。」とぼやきつつ。大名すら参勤交代の莫大な支出で、余り贅沢はできなかった上、妻子を江戸に住まわせた(拉致の方がしっくりくる)中で、徳川将軍家は贅を凝らした生活を送っていたとなると、関所に対する鬱憤は庶民同様だったように感じる。この福島関所は明治2年に廃止になったのだが、その時、「もう粗末な食事を食わなくてもいいんだ。関所廃止、万歳!」と喜んでいたのか、「私の職場が無くなった。これから、どうやって食い扶持を稼げばいいんだ。」と嘆いていたのか。今の勤務事情を考えると、どちらでも行けそうな感じだな、コリャ。

 上は福島関所。
 下は関所内の上番所。



(2017年9月15日) エナジーを滾らせる天ぷらそば


 て、無事に関所は通れたから、粗末な食事を摂っている関所の役人達を横目にして、昼餉でも摂るとするか。実は昼餉を取る場所は決めてある。塩尻同様そばだ。
 静かな宿場町を通り、駅に向かおうとした時、先程の鉄橋に貨物列車が通過した。ゆったりとした時間が流れる山地の宿場町で、こんな貨物列車に出会えるとは。そのアンバランスに苦笑するが、牽引されているタンク車は撮れた。出来映えを確かめるが、静かな宿場町に工業色が強い貨物列車とは、やはりアンバランスだ。行き先は、一体何処だ。関西本線の塩浜か?
 的のそば屋は、木曽福島駅を通過して、500メートル程離れた場所にあった。周辺は商業地が混在していて、もう宿場町の薫りは無かった。
 そして、そのそば屋に入った。奥の座敷ではそばの注文を終え、できあがるのを待っていた。右の厨房では、天ぷらを揚げていたが、顔付きを見ると東南アジア系の人に見える。目の前の椅子席へ痩身を沈めた。
 実はこの店は、「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 松阪〜松本城」で立ち寄った店で、出演者は奥の座敷でそばを頂いたのだ。此処からその座敷が見えるので、ふと出演者の面影が漂う。確か、最終日の4日目の昼だった。結構色々なハプニングがあって、面白い旅だった。
 此処で天ぷらそばを頂いた。1300円也。また厨房から、天ぷらを揚げる音が聞こえた。厨房をチラッと覗いたが、やはり東南アジア系の人なのかな。でも、先程注文した天ぷらを見ると、上手いこと揚げてあるので、安心できよう。どんな人種でも、キチンと調理していれば及第点だし、日本文化を理解できているいい証明になる。
 その揚げたての天ぷらが載ったそばが運ばれた。ピーマンや茄子、斜め切りで大きく見える人参の他、大振りのエビ天が2本載った贅沢品。これで1300円とは凄いね。東京だと1700円はするだろう。れっきとした木曽福島価格である。福島関所の役人さん、美味しいものを頂きますよ。噛み応えのあるそばを啜りながら、揚げたての天ぷらに齧り付く。とは言っても、最初はピーマンだったけど。
 そばを啜りながら、店内を見渡すと、先程見た御嶽海関の記事が載っていた。何でも、約80年振りの関脇ということもあって、地元では大々的に記事にしている。彼の出身地は隣の上松町だが、(木曽福島がある)福島町でも取り上げられている他、番付表や懸賞が入った袋も掲示されているので、彼に対する期待の高さは読み取れよう。後は、優勝のみだ。これさえできれば、完全な「故郷に錦を飾る」ことができ、優勝パレードが地元で行われることは間違いなしだ。期待しております。大振りのエビ天に思い切りかぶりついた。活きのよい噛み応えのあるエビが、痩身にエナジーを滾らせてくれた。
 食後の一首。
 迫り来る台風の前の信州でそばを啜る手尚穏やかな

 上は長閑な山地を通過する石油輸送の貨物列車。
 下は木曽福島で頂いた天ぷらそば(イメージ)。



(2017年9月15日) 特急列車で果たしたリベンジ



 れから、名古屋に向かって、久し振りの大須観音へ立ち寄って、栄のビヤガーデンに行く行程だ。是非とも、成功させたい!
 空の見送りを受けて、13時30分の特急「ワイドビューしなの」12号で、一路名古屋へ向かった。此処で座ったのは、進行方向の右側の席。血眼で探して、1席だけ空いていた。即座に痩身を沈めた。安堵の溜息を吐き出した。
 実は、此処に拘ったのは理由がある。
 2008年10月に、中央西線経由で名古屋に向かっていたのだが、途中の上松や寝覚ノ床、木曽川の流れが全て反対方向に位置していて、本当に悔しい思いをしたのだ。だから、中央西線に入った機会を得た今日、リベンジを図りたいとこの席へ座ったのだ。中央東線で5度も幸運に巡り会えたのだから、中央西線でもこの幸運は続いてくれるだろう。
 曽福島の隣の上松は宿場町の他、森林鉄道が往来していた木曽檜の名産地。ホームには大きな切り株があるそうだ。ホームは撮れたが、切り株は何処にあるのか判らず、逃してしまった。まぁ、いいか。この後の寝覚ノ床で、いい一枚が撮れればいいのだから。
 上松を通過して、私はデジタルカメラの準備を整えた。何時でも撮れるぞ。
 寝覚ノ床は、諸国を彷徨った浦島太郎が、この地で玉手箱を開け、夢から醒めた伝説がある地で、奇岩が連なっている木曽川の景勝地である。しかし、名古屋へ向かう特急列車から見難いのが痛い。だから、見逃したくないのだ。車窓から見える道路にも、案内が出てきた。いよいよだな……。
 視界を遮った気が途切れ、木曽川が見えてきた。この辺だ。9年前の感が閃いた。瞬時にズームを決めて、木曽川が見えるなり、何度もシャッターを切った。
 さて、出来映えはどうだ。いざ、勝負!
 肝心の寝覚ノ床は、半分しか撮れなかった。悔し紛れの舌打ちが出た。やはり、見難い車窓から撮るのは、腕が良くても悪くても納得が行かないな、コリャ。塩尻方面行きの列車に乗るか、上松駅で降りて、タクシーでその場所へ向かうしか納得できる寝覚ノ床は撮れそうにもないな。この勝負、引き分けだな。
 車窓には木曽川が映っているが、木が邪魔していたり細く見えたりして、なんか絵にならないな。寝覚ノ床で勝ちを得なかったから、何処かで戦備品を整えて、ビヤガーデンに臨みたい。
 、思ったら、木曽川沿いにある水力発電所が撮れた。社章を見ると、関西電力だった。此処は関西なのか? 長野だから、中部電力の方がしっくりくるのだが……。
 水力発電所で何かを思い出したぞ。
 そうだ。2012年に下呂に行った時も、飛騨川沿いに1基あったな。水量が豊富だから、設置できるのだ。その周辺は中山七里といって、飛騨川の景勝地だ。寝覚ノ床は引き分けだったが、中山七里は一杯撮れたので勝った記憶がある。
 もう一つ思い出したぞ。確か、これから向かう名古屋の高岳(たかおか)には、川上貞奴が暮らしていた邸宅があって、夫の川上音次郎(オッペケペー節で有名な)と死別した後に、福沢桃介と再婚したな。その福沢は水力発電所を多く造った電力王だった。特に、木曽川に水力発電所を多く造ったことで有名だ。もしかしたら、今の水力発電所も、彼が造ったのか? 桃山水力発電所と出ていたから、「桃介」と「桃山」で繋がりが濃そうだから、あり得そうだな。
 桑、野尻を通過した。野尻駅で、木曽檜が置かれている貯木場を撮った。木曽檜は先程の木曽福島で、代官の山村氏の直轄で、「木一本 首一本」と大事にされていたのだが、今は林野庁が管轄している。車窓からでも、檜のいい香りが漂ってきそうだ。そうだ。伊勢神宮の大鳥居の材木は、此処から運んできたと聞いたな。色んな所に繋がりがあるものだ。
 そんな繋がりに感心していると、例の木曽川が見えてきた。今度はいい一枚が撮れそうだぞ。ハイ、撮れました。
 十二兼(じゅうにかね)、南木曽(なぎそ)、田立、坂下、落合川と過ぎていき、私はゆっくり舟を漕いだ。
 急列車は中津川に到着した。此処から普通列車の本数は多くなる。中央東線に充てると、大月か高尾になる。
 反対側に見える土岐川の玉野渓谷がある古虎渓、リバーサイドの廃墟が見える定光寺を遠くの車窓から眺めて、もう一眠り。
 して15時1分、名古屋到着。今年の帰省で立ち寄ったので4箇月振りだが、今回は帰省の途中に立ち寄ったという付け出しみたいな歩き方ではなく、仕事が上手く行かずずっと旅路での名古屋を思い続けていた気持ちで歩きたい。

 上は半分しか撮れなかった寝覚ノ床。
 中は木曽川沿いにある関西電力桃山水力発電所。
 下は野尻駅に隣接している木曽檜の集積場。



(2017年9月15日) 大須観音の「大吉」と万松寺の「凶」


 ずは、定番の大須へ向かった。帰省の折は、何となく歩き彷徨っていた感が強かったが、今回は待ち焦がれていたかの如く、何度も立ち止まってデジタルカメラのシャッターを押し続けた。何処か、優しく出迎えてくれる雰囲気があるな、大須って。人にも相性があるが、町にも相性があるのだ。
 大須観音でお神籤を引いたら、何と大吉が出た。新しい仕事が長続きするのだろうか。期待が膨らむ。今年は「復興の年」と銘打っているから、それに相応しい年にしたいのだ。
 須観音から大須観音通りと万松寺通りを通り、出口に近い交差点を左に曲がると、万松寺関係の垂れ幕がある。その所にある万松寺。織田信長公の父親信秀公の墓があり、彼自身にもゆかりがある。今年(2017年)の4月に新しく落慶し、白龍のオブジェが飾られている何とも豪華な寺になった。しかも、此処から織田信長公のからくり人形が見られる場所や、近隣に万松寺ビルがあって、何とも賑やかな場所だ。ほんの40年前までは、寂れた界隈だったのが。
 さて、此処でもう一度お神籤を引くことにした。所が引いたのは凶。仕事が上手く行っていないことや大須観音で大吉を引いた余韻があった所為で、その結果が鉛の如くのし掛かってきた。何故か、此処万松寺ではいいお神籤が引けないな。此処には、身代わり不動明王が安置されていて、身に降りかかる悪事を一刀両断の許に斬り捨ててくれる霊験灼かな場所だが、私には効果が無いのか。今年の帰省の折には、毎月28日に搗かれる縁日餅を美味しく頂いたというのに……。
 凶を引いた余韻を引き摺りながら、結び場所へ向かうと、或る一文が目に止まった。「もし、凶を引いたら、利き腕と反対の手で、そのお神籤を結べば、困難なことに取り組むということで、吉に転じる」。そうか。利き腕と反対の手で結べばいいのか。そうするか。私の利き腕は右なので、左で凶のお神籤を結んだ。上手く転じて、吉になりますように。

 写真は新しく落慶した万松寺。



(2017年9月15日) 珈琲に嗜む内憂外患の独身貴族

 の後は、行き付けのカフェで一服した。このカフェは独自のドリップ方法で美味しい珈琲が淹れられるということで有名だ。思えば、カフェで美味しい珈琲を啜ったことなんか、片手で数えられる程だったな。苦みの他に口中に残る香味や酸味を期待しているので、その余韻を娯しみながら、ノンビリしたいのだ。
 此処で、ストロング系のクラシックブレンドとパンケーキを頂いた。頼んだ珈琲にクリームを目一杯注いだ。格好付けではない(家庭が持てない妬みを含めて)。砂糖を入れると、香味と酸味が壊死するから、壊死させないクリームを入れるのだ。此処までくるには、気楽でありながら現実を厳しく見なければいけない独身貴族を、何年も謳歌しなくてはいけない……、なんてね。これを酒類に例えると、蒸留酒のウォッカかテキーラになるのかな。いや、更に強いといわれている酒精度数70%の緑色をしたアブサンなのかな……。この辺になると、独身貴族しか嗜めない珈琲になりそうだぞ。……変に苦笑した。
 私は変な持論を脳裏に浮かべながら、3つの味が交差する珈琲を口中で回した。大人の飲み物に相応しいな、コリャ。家庭を持ってしまうと、この味はどう感じるのだろうか。家庭が持てた嬉しさと苦労が交差するのだろうか。また、啜りながら苦笑した。
 難しい話は、珈琲で流して。
 須商店街のパンフレットに目を通す。様々な店があるこの商店街はイベントが多く、その都度訪れたら新しい発見があるので、全く飽きないのだ。この中でも、10月中旬の土曜日と日曜日に開催される「大須大道町人祭」は、色々な大道芸が商店街の方々で開催される一押しイベントだ。2008年に偶然が重なって出掛けて以降、このイベントを娯しみにしていたのだが、今年は行けそうにもない(因みに、開催日両日は雨が降った)。予算の都合があるが、此処に来て仕事自体にエナジーを使い果たしてしまい、行く気力が湧かないのだ。娯しみにしていた寄り道すらできなくなっているので。凹みにはまってしまったのもそれが一因だし、抜け切れるまで時間が掛かったのもそれも一因だ。謂わば、内憂外患の状態が尾を引いているのだ。今でも通院している心療内科の医師の話だと、「全力を出し切ることは控えた方がいい。その方が、物事に対する意欲が湧き易くなる。」とあるが、仕事後でもエナジーが残る仕事法は、全くの手探り状態だ。
 仕事が上手く行かず、毎年娯しみにしているイベントにも行けないことに溜息を漏らしていると、毎月28日に縁日が開催されていることに目を付けた。そう言えば、今年の帰省の折に万松寺の縁日餅を頂いたな。しかも、大須観音でも縁日があるし、近くの赤門通りは歩行者天国になって、色々イベントが開催されると来た。しかも、大須演芸場でも何かイベントが開催されるとある。これにするか。大須大道町人祭に行けない瑕疵は、これで充分に埋められる。近い日に行けたら書くとするか。パンケーキの最後の一口を、口に運んだ。



(2017年9月15日) いよいよビヤガーデンへ


 ヤガーデンがある栄は、大須から程近く、歩いても精々15分程度だ。大須商店街の南東脇の上前津から大通りを通り、途中味噌かつで有名な本店を過ぎ、名古屋高速の高架橋を潜ったら、右折する。そして、賑やかなデパートが林立している久屋大通を進めば栄だ。名古屋を舞台にした歌でも、栄は結構歌われているし、名古屋テレビ塔、セントラルパーク、オアシス21は此処にある。そして、盲目の主人を身を挺して助けた盲導犬サーブの像も此処にある。何処にあるかは、ご自分で捜してね。
 その一角にある中日ビルは、劇場や(季節限定の)ビヤガーデン等が集まっている総合ビル。そこに入居している切手商で、いい掘り出し物を買い、その後にお目当てのビヤガーデン「マイアミ」に向かった。
 だけど、久屋大通を歩いている時はまだしも、デパートという狭い空間に余所者が入るのは、或る意味勇気が要るな。余所者と察知付かれ、ぞんざいに応対されるのが嫌なのだ。特に東京人となると、東京一極集中の弊害が生じている昨今で、「高みの見物云々」で因縁を付けられたりするから、「郷には郷に従え」を憶えておき給え。そうなれば、私も名古屋人を装う必要がある。何度も名古屋に来ているから、エレベーターで屋上へ上がるまで、装いは出来上がる。準備万端。後は、存分にビヤガーデンを娯しめばいいのだ。
 上へ着いた。しかし、人の往来は余り見られなかった。前2回は土曜日に来たから、休日ということで混んでいたのだ。
 受付に向かうと、2つのコースを差し出された。2時間コースと2時間30分コースだった。前2回は後者の2時間30分のコースだったが、2回来てビヤガーデンでの娯しみ方を習得し、そんなに時間を要する程飲み食いはしないので、2時間コースにした。3200円也。2時間で3200円分の娯しみを見付けられればいいのだ。これも、2回来たから自信はある。
 案内されたのは、前回の名古屋テレビ塔や栄の街並みが見える席ではなく、ステージに程近い席だった。しまった! 時間柄、暮れゆく栄の街並みを見ながら、ゆっくりビヤガーデンを娯しみたかったなぁ。その席をチラッと見たが、殆ど空いていた。適当に席を選んだのか?
 案内された席に座って、周辺を見渡した。改めて、件の席と比較する。ステージとは目と鼻の先の位置だし、スモーガスボード(英訳でバイキング料理のこと)も、前回よりは近い所にある。夜景が観られないことに目を瞑れば、結構美味しい席ではないか。案内した係員に感謝しないと。ライブショーが始まる時間を気にしながら食事を摂らなくてもいいのだ。
 と、時計を見たら後1時間58分。いけねぇ。2時間で目一杯娯しみたいので、スモーガスボードコーナーに向かった。ライブショーが始まるまで、腹拵えと行くか。旅人よ、戦闘態勢に入れっ!

 上は栄の象徴として名高い名古屋テレビ塔。
 下は盲導犬サーブの銅像。何処にあるかは、自力でお探し下さい。



(2017年9月15日) 3年振りのビヤガーデン

 ーナーはビヤガーデンの来客でごった返していた。和洋中と色々なメニューが目白押しの上、飲み物も麦酒やワイン、日本酒にノンアルコール、ソフトドリンクと色々あるので、どのような嗜好でも存分に娯しめる。しかも、果物やスウィーツもあるので、食後も存分に娯しめる。
 でも、「ビヤガーデン」と出ているから飲めない人や私のように下戸な人には縁遠いかと思いがちだが、先程綴ったように、ノンアルコールやソフトドリンクもあるので、誰でも娯しめる場所なのだ。
 あぁ、そんなつまらん持論を述べていたら時間が勿体ないので、まずは烏龍茶を入れるとするか。グラスに9分程烏龍茶を注いで、酒肴を取りに向かった。枝豆とフレンチフライ、砂肝と豚バラ肉をトングで取って、自席へ戻った。
 まずは、烏龍茶を入れたグラスをステージへ向けて、乾杯!
 3年のご無沙汰です。今日は存分に娯しませて頂きますよ!
 ほぉ……。烏龍茶の冷たさと独自の苦さが、痩身を貫通した。仕事が上手く行っていなかったのと3年振りのビヤガーデンということもあってか、極最近で一番美味しい烏龍茶だった。そして、2口目もスッと口中に流した。此処でも、ほぉっと溜息を漏らした。
 れにしても、今日は結構行動的な一日だったな。6時14分から鈍行に揺られて、通勤通学の光景を横目に、甲州や信州の光景を写真に撮って、塩尻へ到着したのは9時18分。そこでそば粉の比率が高い鴨肉そばを啜って、木曽福島に向かった。八王子からの所要時間は約4時間。中山道の宿場町と清冽な流れを湛えている木曽川、裕福な暮らしを送っていた代官屋敷に粗末な食事で厳しい勤務を強いられた福島関所を回り、バスの旅で放送されたそば屋で天ぷらそばを啜った。そして、特急列車で寝覚ノ床や、木曽檜の集積場等を撮り、4箇月振りの名古屋に向かった。行程としては、数時間も鈍行に揺られて、1箇所だけ寄り道をして、車窓から景色を撮り続けて、名古屋のビヤガーデンに向かっただけだが、内容としては濃い方だ。時間制限されているパックツアーよりも娯しくて賢い選択だ。
 ……日の出来事だが、妙に懐かしく感じる。そんな出来上がったばかりの思ひ出を辿りながら、鉄板で砂肝と豚バラ肉を少しずつ焼き始めた。鉄板とは言えかなり火力が強いので、一遍に焼くと頂く方に時間を費やしたり神経を集中したりしてしまい、肝心のステージライブが見られなくなる虞があるからだ。これも、2回来たから判ること。砂肝は焼き鳥で口馴染んでいるが、豚バラ肉といっても、筋に沿って切られた切り身なので、大きさは区々だが、見方を変えればポークステーキになるのだ。名古屋と程近い四日市に「とんてき」という豚肉のステーキがあるが、あれの小さいバージョンだ。ビーフステーキの如く豪華とは行かないが、このように肉の塊がビヤガーデンで頂けるとは。3200円も払った甲斐があるものだ。後は、ステージライブを存分に娯しめれば、充分に元は取れるのだ。
 そうしている間に、鉄板の砂肝と豚バラ肉が良い具合に焼けてきた。たれを入れた浅い皿に載せ替えて、上手く絡めて頂く。歯応えがある砂肝と豚バラ肉の噛み難い筋が食欲を増進させてくれる。その合間に、枝豆とフレンチフライを抓む。鈍行や特急に揺られて、気怠さが蓄積しているが、増進した食欲が一気に吹き飛ばしてくれた。もし、一泊できるならしたいものだが、予算はそんなに無いのでできない。でも、したいものだ。仕事場と自宅の往復ばかりで、何の娯しみもないし、寄り道しようとしても、仕事が終わった時点で気力を使い果たして、出掛ける気は湧かない悪循環に痩身を蝕まれているから。
 砂肝と豚バラ肉を交互に頂き、ゆっくり烏龍茶を干した。そして、次の砂肝と豚バラ肉を鉄板に載せた。シューッと鉄板がいい焼き音を奏で、干す烏龍茶が喉を鳴らした。3年振りのビヤガーデンということがあってか、食欲は次から次へと湧いてくる。旅の時に発揮される、隠れたエナジーといった所だ。
 肝と豚バラ肉を口に運ぶと、1杯目の烏龍茶が空になった。2杯目を注ぎに行こうとしたら、1回目のライブが始まる5分前。
 しまった!
 左のステージでは、シンセサイザーやエレキギターのチューニングを開始しているし、注いでいる最中にライブが始まったら、慌てて戻らなくてはいけない。3年振りのビヤガーデンなのだから、時間に追われる愚行は極力避けたい。しかも、ステージの前列はすぐに混むので、早々にその場所に行かないと、美味しい場所は取れないのだ。参ったなぁ。こんな時に限って、グラスが空になるとは……。私はグラスを傾けて、底に溜まっていた微量の烏龍茶を舌で嘗めた。

 写真は栄えにあるビヤガーデン(イメージ)。



(2017年9月15日) ノリで始まった1回目のライブ

 して、1回目のライブが始まる19時。私の顔はステージに向いた。所が、何時もは酒精で気分良くしている来客達の姿がいなかった。あれ、変だなぁ。今日のライブはマイちゃんとアミちゃんのコンビのステージで、何時もなら時間前に十数人は来て、ライブ開始を今か今かと待っている筈なんだが。今日は平日だからじゃないのか。でも、違うな。解き難い質問を突き付けられたので、グラスを条件反射的に傾けたが、空のままだった。
 空のグラスをテーブルに置くと、ラテン系のノリの良い曲が流れ、ステージ近くの席が自棄に賑やかになってきた。いよいよ、ライブの始まりだ。今日、北朝鮮は厚顔無恥にミサイルを発射したが、此処名古屋から娯しみを満載したミサイルを発射するとするか。死者は出ないし、老若男女が幸せになるミサイルだ。
 テージの奥から、アフロヘアとロイド眼鏡、チョビ髭に仮装した男性が出てきた。何とも明るい雰囲気だが、ステージ前に誰も来ていないのは拍子抜けといった所だ。それでも、周辺の席から歓声が漏れ、興奮は一気に高まった。このビヤガーデン「マイアミ」のお馴染みの人物として、名古屋人に親しまれている。
「さぁ、お待たせしました。本日第1回目のステージが始まります! みなさぁ〜ん、用意はいいですかっ!」景気の良い明るい声。
「オォーッ!」ノリのいい返事が返った。すると、周辺の席では、ジョッキを準備をし始めた。何が起こるのだろうか?
「それでは、1、2、3と『3』と叫んだら、手持ちのジョッキを高く掲げて、『アミーゴ』と叫びましょう!」
「オォーッ!」また、ノリのいい返事が返った。
 ……あれ、3年前は拳だった気がするが。また5年前のジョッキに戻ったのか? ステージ前には観客がいないし、酒精で千鳥足になっている酔客もいないから、安全面を配慮した上でジョッキに変更になったのか? 何れにしても、5年前はエアジョッキで乾杯してしまったから、その瑕疵が埋められよう。でも、飲み物は入っていないのが、お慰みといった所だ。
「1、2、3!」この掛け声が、名古屋人の興奮が急上昇する瞬間だ。空のグラスながら、私もその興奮に与るとしよう。
「アミーゴーッ!」ノリのいい雄叫びが、ビヤガーデン中に響いた。勿論、私も叫んだ。ヘッヘッヘッ、これで私が名古屋人と法螺吹いても、疑われなくなったぞ。
 は言っても、空のグラスでは虚しさが先走るな。ステージ前に観客がいないことを熟視し、急いで2杯目を注ぎに出た。2杯目はジンジャーエールで行くか。注いでいる最中も、視線はステージに向いたまま。まだ埋まってないな。といっている間に、ジンジャーエールは8分程注がれた。
 急いで戻ると、ステージではマイちゃんとアミちゃんのライブが始まっていた。自己紹介が終わって、いよいよ歌が始まる所だ。ステージ前には観客が来ていないが、近い席では、間近に見られる嬉しさを前面に出しながら、顔をステージに向けていた。山の如く盛られたスモーガスボードが、暫く脇役に引き下がる。
 が始まった。最近の歌事情は疎いが、オリジナルソングなのだろう。勿論小さなステージなので、大きなアクションを取って歓喜を湧かせることはできないが、この歌は特に大きなアクションを取らなくても、充分に価値がある歌だった。たかがビヤガーデンのオリジナルソングと侮ってはいけない。その理由は、ライブが終わった後に話す。此処はライブに夢中になろう。
 白いドレスを纏ったマイちゃんとアミちゃんが清々しい声で歌うその歌は、若さを呼び戻す明るい歌だった。二人共、20代前半といった所だろう。という私は、四十路予備軍に入っている。三十路予備軍に入る云々で、旅先で結構言い触らしていたのだが、気付いてみるともう39歳だ。この辺になると、「いい年こいて」と他人を戒める恥ずかしい台詞が飛んでもおかしくないが、若い時の気持ちを失わず、アウトローに身を潜めることなく、今日まで生きてこられたことは、何よりも素晴らしいことではないか。後は、結婚をして家庭を持てれば、もう自身に文句は無い(ただ、結婚して家庭を設けること自体、現状ではステータスのようになっているのが、極めて癪だが)。若い時に得た趣味、娯楽、出会い、そして出来事は、きっとこの後の人生に於いて、大きな糧となるのだから。今日こそが、残りの人生で一番若い日なのだから。



(2017年9月15日) 娯しいライブに痩身を委ねて

 しい話になったから、ライブでも観よう。
 白いドレスを纏ったマイちゃんとアミちゃんは清々しい声で、オリジナルソングを歌っていた。二人共、20代前半といった所だろう。そう思うと、この私が若返ってくるな。どの位若返るかな……。炭酸の利いたジンジャーエールをゆっくり口中に流し、瞬時に閃いた白昼夢を脳裏に巡らせた。
 歌は中盤になってきた。次第にステージ前にも観客が現れた。見た所、仕事帰りのサラリーマンだろう。今日の仕事は早めに切り上げて、ビヤガーデンでも行こうと誘ったのだろう。ビヤガーデンに誘われたことが、余程嬉しかったのだろう。雄叫びを挙げたり、同じ振り付けで踊ったり、テンポ良く手拍子を打ったりして、会社では費やされない新たなエナジーがその身体から迸っていた。
 今日は金曜日だ。もしかして、政府や内閣が推進している「プレミアムフライデー」の一種なのかな? 私の視線から見れば、その通りだな。今日は特別な日として、何かイベントを催すことがプレミアムというのだから。別に、就業時間を早く切り上げて、ショッピング云々することだけではないから。この私もそうなのかな。家に引き籠もってばかりだった近頃、景気付けとして遠出するのもプレミアムの範疇なのだろう。私はジンジャーエールのグラスをステージに向けて、乾杯した。
 ンジャーエールが半分になった所で、ステージの前列へ向かった。美味しい場所は難無く取れたが、土曜日の混雑しているステージ前を見ている私には、何処か物足りなさを感じた。時折、雄叫びを挙げている所があるが、トーチライトが振られていない所を見たら、随分大人しいライブだ。でも、質の悪い酔客がいない分、宜しいとして。
 何とも、明るい曲だ。暫く聴いていると、テンポが判るようになってきて、そのテンポに合わせて、身体を動かし始めた。右隣のサラリーマンは目立ちたいとばかり、雄叫びを挙げながら腕を動かしたりしているから、私も負けずに動かそう。とは言っても、思い切り手足を伸ばして、周囲に迷惑を掛けるパフォーマンスはできないし、少し混んできたのと、私も四十路予備軍だ。羽目を外す行為はもうできなくなってきた自制が働いているから。況してや、ステージで歌っているマイちゃんとアミちゃんに、気付いて貰いたいという疚しい気持ちはない。ただ、腕を組んで仏頂面でライブを見ている人は、印象が悪いかなと思って。
 曲目が終わり、拍手が湧いた。
 そして、2曲目に入った。これもオリジナルソングだろう。聴いたことがない曲だが、ステージ前の盛り上がりはそのまま継がれた。そして、私のテンポに乗ったダンスも継がれた。
 そのライブの最中、ステージ後ろにある液晶に目が行った。色々な演出が凝らした映像が流されているが、その中に、ステージから見た映像が流された。20人前後の観客が来て、ワイワイ騒ぎながらライブを見ているが、その中に私が写っていた。左側のサラリーマンの連中は何とも娯しそうに身体を動かしてライブを見ているのだが、私ときたら、テンポに乗ったダンスなのに、結構貧弱に見えた。華が無いし、動きも弱い。何だか、仕事が上手く行っていなく、寄り道ができる程エナジーが有り余っていない現状を表したかのようだ。でも、華やかなライブを見ている時だけは、その鬱憤を晴らして欲しい。新しい職場は見付かったし、鬱の方もゆっくり沈静化しているし、「復興の年」に相応しいいいことずくめだ。
 私は思いきり腕を上下に動かしたり、両足でタップを取ったりし始めた。でも、歌事情に疎いのか、どうも躓く所があって、それが馬鹿に恥ずかしい。



(2017年9月15日) 最後の曲で、エナジーを貯め込め!

 曲目が終わった。そして、私の即興ダンスも終わった。そして、このライブ最後の曲が告がれた。一気に、「エーッ!」と残念がる声が飛んできた。通過儀礼のように感じるが、1秒たりとも逃さずにライブが見られた嬉しさと、1秒たりとも余所見せずにライブを見てくれた嬉しさが此処でぶつかる。
 最後の曲はラッツ&スターの名曲で締め括った。曲名は判らないが、「め」の発音が特徴的な歌だ。この曲はもう約30年前の曲だが、今でもしっかり歌い継がれている所に驚きを隠せなかった。古さを感じさせないといえばいいのか、テンポが日本人に会っているといえばいいのか……。
 の曲を聴きながら、ふと考えた。最近は握手会に長く参加しようとばかり、音楽という媒体を使って、粗造乱造に近い量産的音楽が造られ、アイドルを神格化させ、批判するならばナチス顔負けの箝口令や買収が蔓延(はびこ)り、マスコミが御用雑誌に零落れて、その弊害が現れて幾星霜、今の音楽でこうやって歌い継がれていくのは、皆無に等しいのだろうな。何処かのプロデューサーが、有名歌手並みに「アッパァ〜、俺は権力持ってるどぉ〜」と偉そうな顔をして、全国合唱コンクールの審査員を務めるとなると、もう音楽ではなく、権力を稼ぐ媒体にしか感じられない。結局の所、アイドルになりたい女の子を搾取して、私腹を肥やす術しか知らないのだろう。忌々しい。私だったら、そんなことはしないし、させたくない。
 話を戻して。
 れにしても、この曲はテンポが良くて、歌詞はよく判らないが、メロディーはよく憶えているので、鼻歌を放ってライブを見た。右隣のサラリーマンも振り付けを真似しているが、その時に生まれていたのかな?
 ライブが終わった。周囲から惜しげ無く拍手が送られた。何だか、今まで溜めていた気鬱が発散されたかのように清々しくなった。これで、新しい仕事に励めそうだぞ。



(2017年9月15日) ビヤガーデンで打った出逢いの博打

 に戻り、残りのジンジャーエールが入っているグラスを挿頭(かざ)して、ゆっくり最後まで啜った。弱くなった炭酸が染み込む如く痩身に行き渡った。
 1回目の取り皿は干したから、少しだけ砂肝と豚バラ肉を抓むか。一抓みの砂肝と豚バラ肉を取った後、3杯目を注ぎに出掛けた。今度は冷茶にするか。
 冷茶を啜り、鉄板で砂肝と豚バラ肉を焼いていたが、なんか焼き加減が甘くなってるな。焜炉を見ると、火が出ていなかった。ガス欠だ。近くのスタッフに声を掛けて、ガスボンベを交換して貰った。勢いある火が焜炉から出た。上手い具合に焼けていくな。また、それをたれに絡めて頂く。まだ、枝豆とフレンチフライがあるから、合間に抓む。
 暫くすると、ステージで歌っていたマイちゃんとアミちゃんが客席に降り立って、方々を歩き回っていて、あれこれ話して娯しそうな雰囲気だった。
 此処でちょっと思い出した。このビヤガーデンでは、先程歌っていたオリジナルソングが入っているCDを発売しているのだ。それも、マイちゃんとアミちゃんの直接販売で。なかなかいい戦略だな。これで、もう一度このビヤガーデンに来たくなる心理作用が生まれるという訳だ。もしかしたら、私の所へもくるかも知れない。そう思い、不敵な笑みをゆっくり浮かべて、冷茶を啜った。その後の豚バラ肉の噛み具合の良さが、気合いを増進させた。
 ラッと横目で見たら、マイちゃんとアミちゃんのマイちゃんの方が近くに来ていた。チャンスだ。声を掛ければ、すぐに来そうな距離だが、会話を交わしていたり写真を撮ったりしている最中だから、少し待とう。他人様の会話を毀す程、野暮ではないから。
 と、待っている間に、トイレに行きたくなってきたな。すぐさま、トイレへ直行! トイレの前では、栄の夜景を観ながら休憩している人がいた。流石にトイレの前でグラスを持って会話する訳にも行かないしね。
 リニアの如く素速く用を済ませて、席へ戻った。肝心のマイちゃんはちょっと遠くの席にいた。客と一緒に写真を撮ったりして、結構盛り上がっているなぁ。あの雰囲気に与れたら、3200円の料金の元は充分に取れそうなんだけどなぁ。だけど、私は名古屋人の仮面を被った東京人。此処に一人座っているだけでも、概ね察知付かれそうだ。しかも、その周辺は席が集中している場所で、スモーガスボードの場所も近くだ。時間が掛かる虞がある。入場券を見ると、20時24分が制限時間で、現在時刻は19時38分。後46分。しかも、(20時の)2回目のライブの時間を考えると、チャンスは10分もあるか無いかだ。しまったなぁ。トイレ我慢すれば良かったかなぁ。と、冷茶を啜ったが、苦さが先走って不味かった。口直しに、砂肝とフレンチフライを抓む。こんな博打を、ビヤガーデンくんだりで打つとは……。
 手前に戻ってくれないかな……。そう願い続けていたら、マイちゃんは手前の席から呼ばれて、CDを売り始めた。しかも、次の席は私の所だ。声を掛けるのは、今しかない。



(2017年9月15日) 私は素顔の東京人? 仮面の名古屋人?

 っくり様子を窺う。すると、会話が終わり次に向かおうとしている。よしっ、今だ! 私はすかさず、手を挙げて声を出した。
 マイちゃんの明るい答えが返ってきた。成功だ。
「良かったです。気が付いてくれて。」私は安堵の感謝を述べた。
「ありがとうございます。ライブ、見に来てくれて。」いい感謝だね。
「判りましたか?」20人前後なのに、判るのか?
「服装で判りましたよ。なんか、白っぽいような、青っぽいようなシャツ着ていらしてましたから。」これも良かった。貧弱なダンスで判ったことはなかったから。
 此処で少し、話題を変えよう。
「さっき、写真を撮ってましたけど、あれは?」
「あれは、CDを買った時の特典なんですよ。」そうか。CDを買えばいいのか。そう言えば、前回(2014年)もCDを売っていたが、買いそびれてしまったな。此処でも、前回の瑕疵が埋められるのか。
「丁度良かった。そのCDを買いますよ。」1000円也。しかも、マイちゃんのサイン入り。いい土産ができたな。
 サインの最中、マイちゃんが話題を持ち出してきた。
「名古屋の人なんですか?」おやおや、私を名古屋人と見做しているぞ。一人ほくそ笑みながら、此処で私は少し意地悪なクイズを差し出した。
「当ててみて下さい。」私を余所者と見破れるかな。私は名古屋人の仮面を剥がす準備をした。
「エ〜ッ、判らないですよぉ。ヒントを下さいよ。」ヒントねぇ。何を差し出せばいいのやら。今日行った木曽福島やそばを啜りながら葡萄を愛でた塩尻を出す訳にはいかない。下手したら、白けるかも知れない。此処は即興で、地元名古屋を出すか。
「此処に来る途中、大須や栄をぶらついたんですよ。」これならば、地元の人か余所者か、考える価値はありそうだ。マイちゃんはサインをしながら考えて、答えを出した。
「そうですねぇ。地元の人ですか?」その答えに自身があるのだろう。語尾が上がっていた。見破られなかったことに、一人ほくそ笑んだ。
「いいえ。東京から来たんですよぉ。」此処で、名古屋人の仮面を剥がし、素顔の東京人をさらけ出した。
「嘘っ。東京からですか?」マイちゃんは驚きの声を出した。意外だったのか、サインの手が止まっていた。
「そうですよ。此処3回目でしてね。しかも、3年振りですよ。」
「見えないですよぉ。確か、栄と大須を回ったんですよね。」私が素顔の東京人をさらけ出しても、マイちゃんには仮面の名古屋人にしか見えなかった。
「回りましたよ。庭みたいな所ですからね。」
「東京の人なのに、何度も名古屋へ来てるんですか?」東京人が名古屋に何度も来るのが、そんなに不思議なのか? 何でも揃っている東京は多くの若者の憧れだが、その逆の東京には無い雰囲気や魅力に惹かれることも、あり得ることをご存じなのか? 雑踏に囲まれて育った東京人が大自然に感動したり、娯楽施設に囲まれて青春時代を謳歌した東京人が崇高な寺社に感動したりすることもあり得るのだ。
「そうですよ。」私は平然と答えた。すると、マイちゃんは、
「いいですねぇ。東京、行ってみたいですよ。」と、東京に対する羨望を露わにした。
「東京人ですけど、ダサい街ですよ。この私が保証しますよ。」気持ちは判るけど、私は哀しそうに否定した。
 残念ながら、私東京人から見れば、見せびらかしの如く、地方から色々な物を掻き集め、あたかも東京の物と見做し、東京独特の文化を否定し掛けているダサい街にしか感じられない。物事に対し視野が狭過ぎるし(東京湾埋立地の件を、江東区と大田区が争っている醜い様がいい例。だったら、北方領土や竹島、尖閣諸島に視線を向けるべきだ)、時間や金に極めて卑しいし(嫌らしいでもいいけど)、物事に関して玉石混淆なので、一歩間違えればアウトローに身を潜めてしまう虞があるからだ。しかも、想像するのは、新宿や渋谷等の賑やかな雑踏で、奥多摩や陣馬高原等の自然豊かな多摩地域を想像できるのは皆無に等しい。此処も東京都なんだけどねぇ。
 イちゃんは、私の答えに少し失望したが、次の会話に入った。
「そうなんですか。それで、今日はどうして名古屋へ。お仕事でですか。」私は返答の繋ぎに困った。真逆、仕事が上手く行かず、景気付けとして来たとは言えないし。かといって、休暇を貰ってきたとも言えないし……。考えることほんの1〜2秒。
 そうだ。今日は金曜日だ。仕事として名古屋に来たと言えばいいのだ。もし、服装云々で聞かれたら、「ビヤガーデン用に着替えた」と答えればいいのだ。
「そうですよ。名古屋に行って、そこでちょっと大事な商談を纏めて、ホッとしている所なんですよ。」
「大事な商談を纏めたんですか。そりゃ、大変でしたねぇ。」マイちゃんのねぎらいの笑みが零れた。
「本当に大変でしたよ。結構長い期間粘って、やっと纏められて……。」口から出任せだが、結構長い間仕事場と自宅の往復に辟易し、やっと名古屋のビヤガーデンに行く気が纏まったのは事実だから。
「今日、此処に1泊するんですか?」マイちゃんの惜しい一言。
「したいんですけど、予算が無くて。今日の新幹線で戻っちゃいます。」私は事実を伝えて、軽く泣き真似をした。此処で軽く笑いが出た。
「じゃ、シンデレラになっちゃいますよね。帰っちゃうなら。」
「だから、その内に娯しんでおきたいのですよ。」
 そうしている内に、マイちゃんはサインを書き終えて、
「本当におめでとうございます。ハイ、どうぞ。」と、サインが入ったCDを手渡した。
 最後に、一緒の写真を2枚程撮って、マイちゃんと別れた。



(2017年9月15日) 「復興の年」のビヤガーデン

 イちゃんの後ろ姿を見て、ゆっくり冷茶を啜った。微かな冷たさが、痩身を貫通した。そして、砂肝と豚バラ肉を焼いていると、ふと、過去2回のビヤガーデンでの出来事が脳裏を過ぎった。
 1回目の2012年は、名古屋駅近くにある大名古屋ビルヂングにこの「マイアミ」があって、大名古屋ビルヂングの建て替えの為、此処での営業が最後だった。その所為か、周囲は大いに盛り上がっていたのを憶えている。ジョッキでの掛け声ができず、エアジョッキで目を瞑った。此処でマイちゃんとアミちゃんと会話を交わしたが、東京から遥々来たことに、驚きを隠せなかったのも憶えている。
 2回目の2014年は、偶然栄に移転したことを知り、丁度契約満了と言うことで、送別会と称して来たな。その時はライブの時間を調べていなかったから、逐一ステージの様子を見ながら、酒肴を抓んだな。その甲斐もあって、ステージ前に陣取れたが、ハイタッチだけだったな。しかも、CDの販売にも出くわせなかった。
 そして、3回目は前2回で為し得なかったことが為せて、何処か清々しい気分だ。その気分に乗じて、砂肝と豚バラ肉を抓んだ。きっと、新しい仕事は上手く行くに違いない。そう思いたい。「復興の年」に相応しいビヤガーデンだったな。心身や金銭の復興には1年は無謀だが、2〜3年掛ければ充分だろう。適切な気力で仕事に臨めば、徐々に鬱は沈静化するし、復興も容易(たやす)くできるだろう。まずは、必要最低限の資金を確保すること。貯金するのはその後だ。そして、寄り道ができる日ができたら、貯め込んだエナジーを使って、寄り道すればいいのだ。そう言えば、10年前に武蔵境で働いていた時、足取り軽く上野や幕張新都心に寄り道していたな。まぁ、あの時は時間を潰す如くの勤務だったから、エナジーは有り余っていたからね。でも、適切な気力で寄り道できる状態になれば、できるのだ。
 ……そう思い込んだら、枝豆は終わってしまい、フレンチフライも数片、砂肝も豚バラ肉も1回分になってしまった。時刻は既に20時を過ぎて、1と2の狭間に長針が指していた。
 刻を調べたら、何と20時8分。制限時間が20時24分だから、後16分しかない! いや、16分もあるのだ。16分もあれば、このスモーガスボードは楽に頂けるだろう。残りの砂肝と豚バラ肉を鉄板に載せて、焼き始めた。焼き焦げが目立つようになってきたので、新しい場所を拵えて、トングで動かして、じっくり焼く。そして、徐(おもむろ)に頂く。
 そして、3回目のビヤガーデンは終わった。酒肴を平らげ、焜炉のスイッチを切って、半分まで入っている冷茶のグラスを傍らに置いたままにした。
 後9分。2時間コースだったが、充分に娯しませて貰ったよ。後は、次に来る機会は何時になることだろう……。1回目は大名古屋ビルヂングでの最後の年に、2回目は契約満了に伴う送別会に、そして、3回目は気鬱回復と「復興の年」に向けての奮起に。4回目は上向いた「復興」に弾みを付けたい気持ちを持って臨みたいな。
 それでは、そうなりますように! 私は冷茶が入っているグラスを、栄の夜空に挿頭(かざ)し、「復興の年」になるように祈り、冷茶をゆっくり啜った。





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