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京成上野で何気なくICカードを改札に通したら、気になる物を見付けた。これから向かう柴又、金町方面の直通電車は無く、途中の高砂駅で乗り換えという知らせだった。初めて来た時は直通電車はあったけどね。
普通うすい行きに乗った。しかし、表示は地名の(佐倉市)「臼井」ではなく、平仮名の「うすい」だったのだ。「薄い」に繋がりそうで、何か癪に障りそうな表示だ。
次は日暮里に着くが、暫く走ると鉄道ファンにとっては有名な駅がある。その有名な駅を撮りたいべく、私はデジタルカメラを用意した。地下駅なので上手く撮れるかが心配だ。見ると、照明が強過ぎて車内が写り込んでしまっている。やむなく諦めた。
その駅は博物館動物園という、上野にある国立「博物館」と上野「動物園」を合わせたかのような駅だ。恐らくこの2つの施設の利用客の為に造られた駅かと思うのだが、各駅停車しか停車せず、最上級のスカイライナーが停車する上野と日暮里の狭間にある冴えない駅だった。平成9年から休止扱いになって、平成16年に正式に廃止されているが、駅構内は当時のままなので、何としてでも撮りたいと思っていた。
暫くすると、電灯が全く付かず、広いホームが広がっているが、これが博物館動物園駅なのだ。対向式ホームなので、進行方向左側に座ると見える。駅名標は撤去されているが、時刻表がそのまま残されている。鉄道ファン以外の人達は、摩訶不思議な存在だろう。
JRの路線を横切るように京成線は高架で左折し日暮里駅に到着するが、JR線の線路の多さに驚く。山手線、京浜東北線、常磐線、高崎線、東北本線、そして上越・東北・長野新幹線(3路線も同じ線路を併用している)。数えると10本も並んでいる。そして、日暮里駅の番線配置も特殊な構造になっている。今、私が乗っている京成線のホームは2番線。向こう側の1番線はスカイライナー乗車専門ホームになっていて、混雑を避けるように配慮されている。番号は連動していて、3・4番線は常磐線ホームになっているが、4本の線路を隔てて設置されている京浜東北線・山手線外回りホームは9・10番線、そして、一番向こうが11・12番線となっている。つまり、5〜8番線が欠番となっているのだ。その欠番には高崎線と東北本線が充てられている。常磐線は快速でも停車するというのに、この2路線が停車しないとは何か合点が行かない。
高層ビルが我が物顔で林立している東京。しかし、此処ではそんな様相で箔を建てる陰険極まりない建物は無く、同じ高さの住宅地が密集している。こういう所では、「隣三軒両隣」という人情熱い場所なのだろうね。
荒川を渡ると、1週間前の旧江戸川で見た屋形舟が止まっていたので1枚撮った。お花茶屋ではとても面白い名のラーメン屋を見付けた。ホームから良く見えるので、機会があれば見て頂戴。そして中川(だったかな)を越えてすぐに新金貨物線が見えて(越中島から新小岩を経由して、金町を結ぶ南北を縦断する貨物路線)、高砂に到着する。
高砂。縁起がいい名前だが、柴又へ向かうには、此処から改札を出なくては行けないのだ。普通にホームで乗り換えかと思ったら、改札を出なくては行けないとは。しかも、30分以内に改札を通らないと、料金を上野〜高砂、高砂〜柴又と余計に徴収されてしまうのだ。今回はスッと向かったので、余計に徴収されなかったが、着いたホームを見たら、呆れてしまった。京成本線と分離してホームが設けられていたのだ。しかも、高架ホームで車止めが設置されているとは、全く別物として扱われていると言ってもいいだろう。一体、何様のつもりなのだろう。乗り換えにはわざわざ改札を抜ける面倒さ、上野への直通便は全く無い分離形態、それなのに、柴又帝釈天初詣のポスターは上野でも日暮里でも貼られている厚顔無恥。
まぁ、折角柴又へ向かおうとしているのだから、要らぬ怒りを抑えて行こうではないか。その怒りを静めるかのように金町行きはゆっくり降りていき、細々とした民家を縫うように走り、2分程度で柴又に着いた。 |
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(2013年12月28日) 柴又駅で迎えてくれた寅さん |
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『男はつらいよ』の舞台として、名高い葛飾柴又。寅さんを演じた渥美清氏の死で、シリーズに終止符が打たれたのは、私が高校3年生で、文芸部の合宿で鎌倉に向かった前日の8月4日だった。あれから17年、柴又の様相も変わったと聞く。『男はつらいよ』を知らない世代が増えた為で、観光客の減少で、閉店した門前の店もあると聞くが……。
30年近く続いた映画の舞台を守ろうとする姿勢が、いきなり駅のホームで見掛けた。『男はつらいよ』全48作一挙放送のポスターがあり、そこには何時ものダボシャツと腹巻き姿の寅さんが、「労働者諸君! 今週もお仕事ご苦労様でした。」と寅さんらしい台詞が出ていた。これには笑った。そして、改札近くには立ち寄った「とらや」の看板が出ていた。良かった。今でも営業しているのか。久し振りに笑みが零れた。『男はつらいよ』のとらやはモデルは「木屋老舗」が有名だが、映画で見た「とらや」が実在しているとなると、感動は一入だ。
此処で一首。
柴又で寅さん客人出迎えり発ちか帰りか心の旅路
駅前には寅さんの銅像があるが、そこでは記念写真を撮る若者が多かった。中には、10歳にも満たない子供が、銅像に珍しそうに触り、記念写真を撮って貰う光景があるのには驚いた。昔は、テレビの特別放送云々でしか、『男はつらいよ』を見る機会が無かったが、今はDVDで見られるから、素直に寅さんに思いを馳せられる。しかも、そこには失われた昭和の様相が籠められている。携帯やスマートフォンではなく赤電話で電話したり、リモコンで番組を変えられる液晶テレビではなく、つまみを左右にガチャガチャに動かして番組を変えるブラウン管のテレビだったり、今では殆ど見られない道具の数々、今は亡き名優の名演技が見られたり等々、子供達にとってはゲーム機では絶対に判らないワンダーランドなのだろう。
少し歩くと、観光案内所と飲食店があるが、此処は確か果物屋だった気がする。第17作『寅次郎夕焼け小焼け』で、柴又駅前でオモチャを売っている啖呵売のシーンだ。その後ろには「フルーツ」と言う文字があった。となると、閉店してしまったのか。初めて来た時はあった気がするが。
写真は柴又駅前にある寅さんの銅像。 |
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(2013年12月28日) 平成25年の『男はつらいよ』の世界 |
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少し歩くと、もう『男はつらいよ』の世界に入ってしまう。車が入ってこられないので、存分に歩ける。観光客はガヤガヤではないが、多少入っている。映画は終わったのに、どうして訪れる人が多いのか。それは左右に広がる店を見ればよく判る。『男はつらいよ』で撮影された店その物が平成25年になっても、健在なのだから。そう、昭和世代の様相が此処にギュッと濃縮されているのだ。徐々に失われつつある景色が残されていることで、郷愁感を帯び、それに感動し観光客が訪れるのだ。今まであった物が突然無くなるなんて、こんな悲しい事は無いからね。見給え。何処彼処も周囲から浮いた建物は無いし、店先で売られている物も統一感があるし、舗装も味気ないアスファルトではなく石畳なのがニクイね。此処で歩調が止まってしまい、DVDで見た昭和の柴又の情景に酔いしれた。デジタルカメラの出番がひっきりなしだ。平成時代の産物デジタルカメラで昭和の様相の断片を撮るとは……。寅さんが見たら、どんな顔をするのだろう。
昭和の様相を娯しんだ後は、題経寺に着く。そう、『男はつらいよ』で笠智衆(りゅうちしゅう)氏演じる御前様の寺で、佐藤蛾次郎氏演じる源公が掃除をしたり、近くの子供達と遊んだりしていた場所だ。周辺にはこの寺に寄進した人達が彫られているが、よく見ると、『男はつらいよ』に出演していた渥美清氏の名や、日本球界の名選手の一人、王貞治氏の名があるので、興味のある方はどうぞ。
二天門という山門を潜ると、本堂はもう初詣の準備を済ませていた。時を見ると12月28日。だけど、直通電車が無いのが欠点だ。高砂駅は相当混むだろうな。成田山新勝寺に向かう初詣客との静かな小競り合いが起きそうだ。
京成線車内での一首。
初詣成田か柴又泣き別れ京成線内呉越同舟
さて、お神籖を引くか。そのお神籖はセルフサービスになっていて、何処か味気ない。平成時代のドライな空間を入れては困る。昭和時代に見掛けた人と人とのコミュニケーションがあってこその柴又ではないか。とイチャモンを吹っ掛けて、お神籖を引いた。出たのは77番。と、取り出したら凶。それも、願望や待ち人、縁談や売買等7つの欄も全く明るい前兆無しというオチ。まるで、私の心境をそっくり写し出した結果とも言える。こうやってリハビリと称して旅をしているが、何時職場復帰できるかは私でも「?」の状態だ。よく「ラッキーセブン」と「7」は縁起が良いと言われているが、私の家系に至ってはこの世間の常識は当てはまらない。「7」は奇数の中でも(割り算の中では)上手く割り切れる数字ではないし、父方の祖母が亡くなった時の病室は「107」と「7」が付いていたのだ。此処に来て嫌な気分になるとは。
もう一度、お神籖でも引くとしようか。と、今度は99番が出た。もう、凶は真っ平御免だよ。すると、今度は大吉を引いた。先程の願望や待ち人、縁談や売買等7つの欄も全て明るい結果だった。「雨のち晴れ」だ。
此処で一首。
御前様源公探す題経寺胸躍らせよおみくじ大吉
上は帝釈天参道。
中の2枚は参道内。
下は帝釈天題経寺。 |
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気分が多少晴れたので、今度は江戸川でも行くか。柴又には『男はつらいよ』の寅さんの名台詞が書かれた道案内があるのだ。その名台詞を読むと、鬱に蝕まれている私でも納得したり、吹き出したりするから不思議である。平成時代でも心に残る台詞が、キチンと通じているのだ。
堤を出ると、碧い空と広い土手が広がっている江戸川に出る。此処に矢切の渡しがあるのだが、あれっ。今、江戸川を横切っている舟はもしかして。逸る気持ちを抑えて、土手に出てデジタルカメラのズームを伸ばすと、やはり渡し舟だ。
対岸の野菊の墓を想い一首。
野菊枯れ漣立たぬ江戸川の冷水掻き行く渡し舟かな
良い具合にズームを伸ばして渡し舟を撮ると、背後の鉄橋からスカイライナーが通過し始めた。すぐさま焦点を定め1枚撮った。向こうは1時間にも満たない速さで成田空港へ向かい、国内の遠い場所や海外へ赴くのだが、こちらは時間等全く気にせず、櫓で進む舟での一時に身を委ねている。どちらかが良いかは、一長一短だ。
スカイライナーと渡し舟を対比して一首。
渡し舟スカイライナー冬晴れの旅路の優劣付けるべからず
その気持ちを抱えて、土手の道案内で見掛けた寅さんの名台詞で一言。
「ほら、見な、あんな雲になりてぇんだよ。」行程を設けず、気侭な旅がしたい気持ちなのだろう。私もそれに倣って、旅がしたいな。誰にも何も束縛されない気侭な旅を……。
そんな一句。
冬雲の如し気侭な我が旅ぞ
写真は矢切の渡し(柴又側)。 |
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(2013年12月28日) 遊園地気分の寅さん記念館 |
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続いて、寅さん記念館。
最初は「とらや」のセットに感動した。途中から「くるま菓子舗」となっているが、私としては第1作から使われてきた「とらや」の方が合っている。映画で見た「とらや」が真逆此処にあるとは、これだけでも興奮するのだが、タコ社長が経営する「朝日印刷所」も裏側に再現されているのには、また笑みが零れた。
まず最初は、「とらや」の茶の間だ。此処では、茶の間で繰り広げられた名シーンが見られる。第5作の『望郷篇』から、タコ社長の印刷工場で働くことになった寅さんの貴重なジーンズ姿。第8作の『寅次郎恋歌』から、りんどうの話から始まり、平凡な人間の営みに感動した寅さんの結婚願望。第21作の『我が道をゆく』から、寅さんの最初は納得できるが、段々調子付いてしまい周囲の反感を買ってしまう「とらや」改造計画。極め付けは、第15作の『相合い傘』でのメロン騒動。寅さんにお世話になった人から高級メロンを頂くことになるが、寅さんの分を抜かしてしまい、その事で寅さんが怒ってしまうという顛末だが、今見ても笑ってしまう。たかがメロン1切れの有る無しで、心の冷たさ云々に行き着いて、大喧嘩になってしまうのだから。でも、4シーンしか収録していないのは残念だったな。まだ、名シーンはある筈だ。私なりの候補を挙げると、第17作の『夕焼け小焼け』の満男の入学式で「寅さんの甥御さん」で爆笑された一面と、寅さんが連れてきたルンペンが日本画壇の第一人者で、彼が残した絵をタコ社長と取り合いになり、ビリッと破いてしまって大喧嘩になった一面、第19作の『寅次郎と殿様』で鯉のぼりと野良犬「トラ」の大騒動、第26作の『かもめ歌』で20000円も入っている引越祝いでの一悶着云々……。詳細はDVDでご覧あれ。
続いて、「朝日印刷所」此処も内部が再現されていて、当時の印刷機械や活字等も展示されていて、印刷体験も出来ると言うから大変興味深い。此処での名シーンが自動的に流れている。
また、「とらや」の家の模型も面白い。店の中は勿論茶の間や仏間の他、2階も再現されている上、2階で寝ている寅さんや、台所にいるおばちゃん、茶の間で書き物をしているおいちゃん、縁台に腰掛けておいちゃんと雑談を交わしているタコ社長までもが再現されていて、大変興味深い。とにかく意外と広く、東京23区内でこんなに広い持ち家がある人は、そうザラにはいないだろう。
それを過ぎると、昭和30年代の下町の光景が再現されている。また、寅さんの鞄の中や、ゆかりの品や背広等展示されているが、イチオシなのは、寅さんの啖呵売で売られた商品がズラズラ並んでいる。易もあれば雑誌もある。おもちゃもあればレコードもある。此処には無いが、前回立ち寄った時、
「1億円が4700円で。ゴッホさんの『ひまわり』」の絵画や、
「『ピッタリコン』でくっつけて、また使いましょう」と宣伝文句が書かれた安易な名前の接着剤もあった。
感動的なのは、ある小惑星が「Torasan」という名が付けられたことだ。芸能人の名が付けられるのは、殆ど無い中で承認されたという事は、この『男はつらいよ』の偉業が如何に大きな物だったのかが判る。天文学には余り興味は持たない私だが、『男はつらいよ』は日本映画界に誇る最高作品であることを再認識したのである。
上は寅さんが看板の取り付け作業をしている寅さん記念館。
中はとらや(途中から「くるまや」になっている)店内。
下は寅さんの啖呵売。此処では易断を掲載した。 |
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(2013年12月28日) 寅さんの如く旅立つ柴又 |
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さて、時刻は13時を過ぎていた。昼餉でも摂るか。と、門前に戻った。とらやで昼餉を摂った。確か、此処で天丼を平らげて、(1998年12月15日に閉館した鎌倉シネマワールドがあった)大船に向かったな。今回も天丼があれば頂きたいのだが。
店内は8割位埋まっている。私は相席で昼餉を摂ることになった。隣は外国人の家族で、両親は使い慣れない箸と格闘しながら、そばを頂いていた。子供達はフォークでそばを頂いていた。まぁ、箸を使わない文化圏ならば許せるよ。大いに日本食を味わい給え。
さて、品書きを見ると……、あれ、天丼が無い。じゃ、何しようか。と、思案すること僅か1分。何と、カレーライスと焼き鳥を注文した。何処にもありそうな品書きだが、無いのだったら仕方がない。その代わり、草団子を土産にしたから許してくれ給え。
昼餉を終え、柴又駅に戻った。高砂行きを待っていた。此処でも、『男はつらいよ』の名場面がある。第22作の『噂の寅次郎』で、博の父親(志村喬)とさくらが別れるシーンだ。「博を宜しく頼む」と言い残す父親に、兄が借りた汽車賃を返そうとするが、丁重に断った所に電車が入ってきた。その時のBGMが切なく聞こえてくる。そして、第18作の『純情詩集』。満男の先生(檀ふみ)の母親(京マチ子)に思いを寄せていた寅さんだったが、その母親は不治の病に冒されていた。寅さんはその事を知らず、その母親と一緒に店を持つ夢を持っていたが、叶わなかった。このホームでさくらと一緒に、その母親の店は何にしようかと考えていたことを懐かしんでいたが、寅さんは最高の答えを出す。その店は花屋で、母親は花束を作り、自分は面倒なことを一切取り持つという夢の店だった。叶えば、渡世人稼業から足を洗って堅気の生活に入りたかった告白に、さくらが涙するシーンだ。
カンカンカンカン……。踏切の警報機が鳴り始めた。高砂行きが来たか……。そうだ。もう一つ名シーンがある。第6作『純情篇』で、寅さんとさくらが柴又駅で別れるシーン。「故郷ってやつはよ……。」と言い掛けるが、ドアが閉まってしまう切ないシーンだが、その続きは私なら、こう言う。
−故郷ってやつはよ、有難い存在だよ。どんな気持ちで戻ってきても、温かく迎えてくれるからな。
此処を発つ折の餞別。
柴又駅寅さん気取りで就く旅路 |
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