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唐突だが、何かある時は小声で唱題する(題目を唱えること)。そう、「南無妙法蓮華経」のことだ。母方の故郷に帰省した時、朝と夕の2回勤行があった。それも、小一時間掛けてじっくりと。最後にその題目をひたすら唱えるのが印象的だった。
さて、その題目を唱えるのは法華経だが、開祖は日蓮大聖人。そして、その生まれ故郷が安房小湊だ。そう、鴨川シーワールドがある安房鴨川の2つ手前の所だ。行き方は簡単。千葉から外房線に乗れば一発で行けるし、東京から特急「わかしお」に乗っても行ける。しかし、私は時間に追われるのが殊の外嫌いなので、別に特急に乗らなくても充分に旅程が組めるという事で、鈍行で向かった。
所が、千葉駅に到着した時点で、天気がどうも思わしくない。雨が降る気配は無いが、ドンヨリしている。折角の旅なのに、責めてスカッと晴れて欲しい物だな。ベンチに座って、ぼやいていた。おまけに、昨日で契約満了退職したから、新しい仕事を見付けるに当たっての景気付けという事もある。思い出が一杯詰まっている房総半島で、前途洋々になるようにと、お願いしに行くのだが……。晴れてくれなければ、洋々ではなく多難になる。そんな事は真っ平御免だ。何せ、前の職場は余り人間関係が良くなかったから。それ故、心地良くなかった。何だか、この曇天は前の職場の心境によく似ているので、変に苦笑した。昨年の11月に出掛けた紀伊半島一周旅行の時は、1週間も単独行動が出来て嬉しかったな。途中でホームシックになってしまったのが残念だったけど、もし今、この旅行に出掛けてもホームシックにはならないだろう。寧ろ、心地良くない職場から抜け出せた嬉しさが勝って、金銭に余裕があれば、1週間以上も旅してしまうだろう……。
此処で一首。
曇り空何処が果てかと空を見る晴れ間を望む遠き旅路か
それでも、天気になる事を信じて、外房線に乗る。これが、新しい職場に対する大きな期待でもある。良い所に入れればいいな。思わず、此処で唱題してしまう。南無妙法蓮華経。
此処で一首。
幕の内頬張る朝の心地良さ今日も頑張る意気込み強し
今日は3月1日。暦の上では、今昔も春の範疇に入る。とはいえ、まだ1日だ。冬の気配が強い。蘇我から東進し、大都市の田園地帯を抜け、九十九里に出ても、枯れ草が休閑中の田畑を占め、華やかな彩りは何処にも見られない。東浪見(とらみ)を過ぎると、いよいよ海が見えてくるのだが、どうも、冷たい海にしか映らない。景気付けにしては、本当に寂しい光景だ。菜の花でも咲いていれば、寒さが和らぐのだが、春の訪れは此処には来ていない。もっと南下しないといけないな。責めて、目に見える春の訪れに出会いたい物だな……。啜ったレモンティーも冷たさが際立っていた。
此処で一首。
晴れ薄く遠くの海と春便り春かと疑い眼鏡を矯す |
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安房小湊。房総でも有数の観光地。それ故、立派なホテルが林立している。となると、駅舎もかなり立派な物かと思いきや、田舎の鄙びた(ひなびた)駅舎だった。妙なアンバランスに吹き出した。
空は幾分か晴れてきて、コートを羽織っている身に、仄かに温かさが染み込んできた。次第に、私の表情も少し笑みが出た。嗚呼、春の訪れか……。人間関係が悪かった職場に長くいた事もあって、その温かさが有難かった。先程の冷たさがましいレモンティーも此処で飲んだら、冷たさも快感に変わっていただろう。とはいっても、安房小湊到着迄干してしまったな。
安房小湊。前述の通り、日蓮大聖人の故郷が此処安房小湊だが、大本山の誕生寺が此処にある。ちゃんと案内もあるので、有名な寺だと判る。それにしても、ホテルの案内に混じっているとは、何とも複雑な心境だ。誕生寺は観光スポットなのか?
呆れた気持ちを怺えて、案内通りに歩いた。見えるのは、海産物を売る店に民家、そして、海岸線沿いにはホテルが並んでいた。どうも大本山がある荘厳な雰囲気は薄い。おまけに砂浜があるので、余計観光地としての地位が高くなる。果たして、此処に法華経の大本山誕生寺があることを知っている観光客は何人いるのか? 名高いホテルの名前が言えるだけでは、明らかに侮辱だ。
左手に山門が見えてきた。傍の石柱には「大本山誕生寺」と彫られてあった。此処だ。しかも、道路を挟んで右は、これも小湊の名所鯛ノ浦の入口だ。鯛ノ浦に就いては後で話すとして、先に誕生寺を参拝したい。何しろ、唱題している身なので。
山門を潜ると、題目が聞こえてきたという訳ではなく、右側に土産物屋が並んでいた。特に、イチオシなのは柑橘類だ。蜜柑か? いや、蜜柑にしては大き過ぎるな。オレンジか? 和風の誕生寺に洋風のオレンジは不釣り合いだ。素通りしようかと思ったが、途中で踵(きびす)を止めて、店の人に知られないように、その柑橘を眺めた。
見た所バレーボールを2回り小さくした柑橘だ。名前は忘れたが、温暖な気候の房総だ。美味しい柑橘類が存分に作れるだろう。しかも、土産物屋は右に3〜4件あったが、どれも例の柑橘類が売られていた。東京でも見られない果物だ。これは、よく言う「地産地消」の果物かも知れない。1つ頂くだけで充分に腹は満たされる大きさだ。
上は安房小湊の光景。
下は誕生寺山門。 |
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仁王門を潜り、灯籠が立っている道を歩くと、左に銅像が見えた。一見すると、上品な顔立ちに、衣も狩衣。京の公家の若様だ。ひょっとしたら、公家ゆかりかと思ってしまいそうだが、此処は法華経の大本山だ。見当違いを為さぬように……。
日蓮大聖人のご幼少時代の像である。それにしても、小湊みたいな漁村にこんな上品な人がいたのか? 暫く、銅像の前に立って、じっくり鑑賞した。
その上品さを助長する奇跡が、誕生時に3つ起きたそうである。一つは、小湊の海に華麗な蓮の花が一杯咲いた事である。道理で「南無妙法蓮華経」の中に、「蓮」が入っている。もう一つは、同じ小湊の海に鯛の群が押し寄せた事だ。これを見た漁民達は驚きを隠せず、我先にと鯛を捕った。何しろ、子供でも手掴みで捕れる程だったそうだ。そういえば、この近くに鯛ノ浦があるから、何か因縁めいている。最後は、水気の無い岩場から、水が湧き出た事である。この水が日蓮大聖人の産湯として使われた曰く付きだ。今でも湧いているそうだが、残念ながらその場所には行けなかった。飲める水ならば、一杯ご相伴に与りたい。しかし、観光気分の安易な気持ちでは頂けない。その奇跡を畏れながら、拝んで頂かないと。
本堂に入ると、いきなり呼吸が詰まりそうな錯覚に襲われた。読経は行われていなかったが、南無妙法蓮華経の流れる書体に絡まれ、私だけに聞こえる題目の大合唱が聞こえてきた。出家得度を受けていない私が唱える題目なんか、俗っぽいといわんばかりに。母方の故郷では、キチンと仏壇もあって、格式があった所為もあるのだが、どうも、俗世と隔離されていて、私自身が歓迎されていないように感じる。観光気分で訪れてしまった気が、何処かにこびり付いていたのか、出家得度を受けていない輩に対して、俗人禁制と謳っているのか。次々に題目の槍が、俗人の私の身体を貫通する。血は噴き出ないが、精神を刺激するので、余計苦痛だ。聴覚・視覚・触覚(味覚と嗅覚は関係が無い)か五臓六腑に異常を来したのか、私の身体の機能が停まりそうだ。一体、どうしたのか。私は念仏ではなく題目を唱えているのだ。変な呪いを掛けるのは止め給え! 代わりに去年の8月から今年の2月までに積もりに積もった鬱を、今この場で晴らし給え! 南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。
……どの位経ったのか。俗人の私が、無我夢中で唱題したこともあってか、不気味な錯覚は消え去り、身体が僅かながら軽くなった。嗚呼、鬱が消え去ったのだろう……。
本堂を出て、気分回復を図って、ミントの飴を口中に放り込んだ。引いたお神籖の結果に目を通しながら。
此処で、日蓮大聖人に就いて話すとしよう。
ご存じの通り、法華経を開祖した人だが、法華経を開祖した時にも、奇跡が起きたのだ。
清澄山頂から朝日を拝み、「南無妙法蓮華経」と唱題したら、海上に題目がクッキリと浮かび上がってきて、周りで泳いでいた鯛が、その題目を食べてしまったのである。誕生時には大群が押し寄せてきて、そして開祖した時には、唱えた題目を食べてしまったとは、やはり、近くの鯛ノ浦は因縁めいている。外す事は出来ないな。
しかし、法華経は鎌倉幕府との戦いだったのだ。当時、主流だった念仏や禅を強烈に非難・否定し、法華経が正当な教えと説いた事が原因であった。鎌倉幕府の役人の殆どが禅宗を信仰していた所為もあり、日蓮大聖人と法華経を否定し続けたのだ。しかも、折悪く天災が立て続けに起こったのは、政治を担う幕府が悪いと非難し、しかも某国から攻めてくると予言をも書き入れた「立正安国論」を発表した。しかし、聞き入られる筈が無く、無実の罪で捕らえられたり、大勢の念仏信仰者から襲撃を受けたりしたりと(その時、弟子の鏡忍坊が討たれた。その供養の寺が鴨川にある)、布教の道はまさに茨の道だったのだ。しかし、川奈の漁師夫妻に助けられたり、日頃崇拝してきた鬼子母神(きしもじん)に助けられたりした。一番驚くのが、日蓮大聖人を斬首しようとしたその時、晴れ渡っていた空が一気に雷雲に覆われ、地響きする雷鳴が轟いたのだ。斬首の刀は真っ二つに折れ、立ち合っていた役人達は恐れおののき、四方八方に逃げ惑ったと言われる。そして、空は一気に晴れ渡っていたというから、やはり何かが違う。
その後、日蓮大聖人は佐渡島に流されたが、此処でも法華経を弘めた。日蓮大聖人に法論を挑んできた念仏僧を、見事に説き伏せたという逸話がある。その後、甲斐身延に赴いたが、病が重くなり、弟子の勧めで東京の池上に移り、此処で入滅されたのだ(そう言えば、池上にも法華経の寺があった気がする)。しかし、ご遺骨は身延山にあるという事だ。身延か……。此処は八王子から東進したので、今度は西進か。方向も正反対ならば、風景も海と山で正反対だな。何時行けるかは判らないが、唱題している以上は訪れたい。
上は誕生寺仁王門。
下は幼少時の日蓮大聖人の像。 |
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今度は鯛ノ浦だ。前述の通り日蓮大聖人が誕生した時、鯛の大群が押し寄せてきたという、法華経に深い関わりがある浦。それ故、小湊界隈では神秘なる場所として崇め(あがめ)られているのだ。仮に鯛が釣れたとしても、口にせずに放しているし、仮に死んでしまっても、供養しているという事だ。鯛自体が日蓮大聖人の生まれ変わりと言ってもいいのかも知れないな。そうしたら、鯛の刺身や焼き魚は頂けないな……。魚介類好きな私には、ちょっと耳の痛い話だ。
誕生寺近くの細い道を通ると、何やら懐かしい文字が入ってきた。「鯛せんべい」と書かれている看板があったのだ。鯛せんべいか、懐かしいな……。鴨川を訪れた時には、必ず買った土産だったな。鯛の形に象られていて、甘さあっさりの煎餅だった。今思うと、鯛せんべいの懐かしさと鴨川シーワールドに立ち寄ってくれなかった悔しさが、鴨川に対する憧れが強くなったのかも知れないな。そして、有り余った憧れが小湊に誘ってくれたのだろう。その憧れを有り余らせて下さったのが、日蓮大聖人だったりして……。嗚呼、何たる因縁か。父方の由縁の鴨川の地に、母方の宗派の法華経の大本山。もう両親は離婚しているので、何とも気持ちが揺らぐ。嗚呼、この揺らぐ気持ちを抑え給え、南無妙法蓮華経……。
何とか、気が安らいだので、もう一度鯛せんべいの看板を見たら、小湊名物と出ていた。それも、毎回買っている会社の物を扱っているので、ショックだった。鴨川で買ってばかりだったので、てっきり鴨川名物かと思ったら、此処が本場だったのか。そりゃ、鯛ノ浦に鯛せんべいだから……。又、土産に買っていくとするか。買う場所は、鴨川ではなく小湊だ。
鯛ノ浦。波穏やかな入り江だが、此処には日蓮大聖人ご誕生の時にゆかりのある魚鯛が群生しているのだ。地元では、神聖なる場所として崇められている。
鯛ノ浦の乗り場はビルになっていた。中には大きな房総半島の地図が貼られていて(房総半島の沢山の観光スポットを紹介したい気持ちだろうね。そう言えば、私の旅行した日帰りの場所も、房総半島に集中しているように思えるな。木更津、富津岬、マザー牧場、成東、九十九里、御宿、安房鴨川、久留里、上総亀山等……)、土産物があるが、此処が観光スポットなのか、法華経の神聖なる場所なのか、よく判らない。まぁ、土産物を見ても、絵葉書やらキーホルダーやら、鯛せんべいやらで小湊観光一色だ。此処に題目が記されている土産があったら、混乱するのも時間の問題だな、コリャ! 幸いな事に、題目は見付からなかった。複雑な心境は消え去ったが、神聖なる場所は観光スポットなのか? どうも、胸の蟠り(わだかまり)は消えないな。
乗船料950円也。やや高めだが、神聖なる鯛が見られるとなれば、値段相応なのかも知れない。いや、端金になるのかな……。題目中心の思考を巡らせて船内を見ると、10人前後が乗っている。此処でも、題目中心の思考が巡ってきた。……唱題している以上、此処鯛ノ浦を訪れる理由はあるのだが、果たして、この中に唱題している人は何人いるのだろうか。大きなホテルが林立している故、観光気分で乗り込んでいる輩がいて、此処を日蓮大聖人ゆかりの地と知らず、念仏を唱えたとしたら、法難と称して舟から突き落としても罰は当たらないだろう。鎌倉幕府から否定され、幾多の困難が伴った日蓮大聖人だ。御納得下され! 南無妙法蓮華経。
舟は小島が点在する浦を走った。さぁて、いよいよ神聖なる鯛とのご対面かと思ったら、最初にこの鯛ノ浦に浮かぶ小島の説明が入ってきた。いきなり肩透かしを食わされたな。こんな小島を眺めても面白くもないし、この辺は平地が少なく岩場が多いので、小島がある事は珍しくもない。仮に、鯛が見られないとなると、950円の乗船料の元は取れないな。
写真は鯛ノ浦で飛んでいた鴎の群れ。 |
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つまらなさそうに小島を眺めていると、鯛ノ浦と日蓮大聖人の経緯のアナウンスが入ってきた。これも又肩透かしだ。誕生寺で充分訊いたというのに。とうとう、舟の縁に頬杖を突いてしまった。何時になったら鯛と対面できるのか、その目途が付かないからだ。それでも、アナウンスは私の耳に入ってきた。耳の痛い話は素通りするが、旅先となると、何でも入れてしまう私の耳だ。馬鹿には出来んな、コリャ。(誕生寺の所と重複するが)日蓮大聖人ご誕生の時に鯛の大群が押し寄せたことや、清澄寺で開祖した時、唱えた題目が海上に現れて、その文字を鯛の大群が食べてしまったこと等、如何に日蓮大聖人と鯛が、如何に密接な関係があった事がよく判る。今後鯛を頂く時は、この小湊を思い出すだろう……。
しかし、浦とはいえ、時折大きな波が来て、岩場にぶつかる様は、流石太平洋に面した外房と頷ける。潮流も少し沖に行けば速そうだし、外房特急の名も「わかしお」と言う大海を仄めかすのも頷ける。そんな中、果たして此処に鯛がいるのかといよいよ首を傾げてしまう。950円をドブに、いや(唱題している人でも)鯛ノ浦に捨てたくない! 鴎が飛来してこの海が綺麗だと証しているものの、千葉港でも見掛けるし、そもそも私の目的は鯛の群なのだから。
そして、舟は留まった。どうやら絶好のポイントということだが、鯛らしい姿は見当たらない。一体、何処に鯛がいるのだ。乗客は一斉に海面を見詰めたが、見えるのは青く澄んだ入り江の海だけ。美味しい所を取られる事は無いが、私も一目散に鯛を探し始めた。いない、いない……。950円も払って乗船したから、何としてでも鯛の姿を写真に収めたい。買ってそんなに年季の入っていないカメラだが、撮る気力はベテランにも劣らないから、是非姿を見せて欲しい。ただ、東京の海とは掛け離れた綺麗な海を撮るだけではつまらないから。しかし、鯛の姿は見られなかった。やだなぁ。それじゃ、950円払った自体馬鹿げた行為になってしまう。950円なんて昼餉を賄うにも、土産の1つを買うにも丁度良い金額だ。
金銭の損得が脳裏で喧嘩し始めた時、ふと誕生寺を思い出した。そうだ、題目だ。神聖なる場所に舟が留まっているのだから、唱題すれば、現してくれるかも知れない。早速、唱題した。南無妙法蓮華経。
しかし、鯛の姿は見られなかった。やはり、俗人の題目じゃ通じないのか。再び舟の縁に肘を突き、溜息を漏らした。すると、暗い灰色の魚が気持ちよさそうに泳いでいた。雑魚か……、と再度ガッカリしそうになった時、瞬時にそれが鯛だと察知した。よく見れば、何匹も舟の周りを泳いでいるではないか。観光客を迎えているのか、唱題している人を迎えているのか、人様々だが、余りの多さの鯛に、シャッターチャンスを逃しそうになったが、これも瞬時に良い所を見計らって、シャッターを押した。よく目を凝らさないと見えないが、暗い部分が鯛である。スーパーで見掛ける鯛は赤だったので、うっかり赤の鯛を想像していたが、全く違っていた。唱題している私を歓迎しているように見えるが、都会の赤い鯛とは違うんだぞと嘲笑されているようにも見えた。勉強になりました。これで、何の躊躇いもなく鯛せんべいが買える……。
此処で一首。
群れを成す真鯛の姿シャッター押す間難し春の海かな
写真は鯛ノ浦の鯛。見づらいが、ちゃんと写っている。 |
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よく「大きな駅の隣の駅は、小さい駅だ」と言うが、房総でもその事が言える。特に、安房鴨川駅とその隣の太海駅は、それをよく物語っている。
太海は、安房鴨川から内房線で1つ目の駅だが、本当に田舎の駅に相応しい駅である。駅舎に切符入れとベンチがあるだけ。しかし、駅前には民家があり、商店が余り見当たらず、周りの景色に見事に調和していて、本当に田舎だなぁと思わせてくれる。観光の玄関口である安房鴨川駅を見慣れている所為もあって、太海駅は一昔も二昔もタイムスリップした錯覚がある。安房鴨川が平成年代としたら、太海は昭和中期と言った所か。それでも、此処は平成年代だから。
さて、此処太海に降り立ったのは、ある所を訪れたいからだ。お手持ちの地図で、房総半島の鴨川近辺を調べると、名勝「仁右衛門島(にえもんじま)」と出ている。そう、此処である。太海のもう一つの名所として、フラワー磯釣りセンターもあるが、今回は仁右衛門島を訪れた。いやぁ、賑やかなシーワールドに行ったから、〆は静かな所にしたいから。此処なら、外房特急の発着地の安房鴨川と違って、鈍行しか走らないローカル線なので、人の足は遠い。それ故、降車は私一人だ。貸切みたいだ。これも、ローカル線の特典だ。
太海駅を出て一句。
田舎駅夕焼け小焼け春の旅
アテにならない近辺地図を頼りに、迷路みたいになっている道を歩き始めた。まぁ、海に近くなればいいからね。道に迷ったら、引き返すか人に訊けばいいのだから。それでも、仁右衛門島への道標があるから、何とも滑稽だ。安房鴨川みたいに団体で訪れる事は余りないが、仁右衛門島という不動の名勝がある事を誇りにする、地元住民の熱いプライドが読み取れる。どうも、観光バスがスムースに走れる道ではないが。
海に出た。数隻の小さな漁船が泊まっている小さな港だった。これも観光系ではなく、生活系の漁港だ。安房鴨川の賑やかな砂浜をシーワールドから眺めた事もあって、その静かさに思わず踵が止まってしまった。チャプチャプと漣が押し寄せる音が、何とも言えない穏やかさだ。
その静かな港の左にある島が、仁右衛門島だ。学校の地図帳に必ず記されている名勝だ。しかも、この島は個人所有だから、来訪者が毎日やってくる嬉しさが人一倍あるのだろうし、鼻が高いだろうね。いやぁ、何とも贅沢だ。東京のセレブ族が見たら、卒倒するだろうね。島全体が個人の邸宅だから、天下を取った気分だ。
この島に渡るには、渡し舟に乗る。ガイドブックには「主が頑として橋を架けない」と出ていたが、私もその意見に賛成だ。此処に景観ぶち壊しの橋を架けたら、穏やかな太海がぶち壊されるに違いない。車社会の昨今、マナーを弁えない輩が押し寄せては、ニュース番組の良いネタになるからね。それに、渡し舟なんか珍しい乗り物になっているから、新鮮な体験が出来る。まさに一石二鳥だな。仁右衛門島の主、万歳!
目立たない券売所で、渡し賃を払った。渡し賃往復で950円也。これも鯛ノ浦と同じ値段。何か因縁を感じずにはいられない。
渡し舟には私の他に2人しかいなかった。鯛ノ浦で10人前後の観光船を見たから、違和感がある。同じ鴨川市でも、こんなに違うとは(当時は天津小湊町と鴨川市)。路線から見ても、鯛ノ浦は特急停車駅、仁右衛門島は鈍行のみのローカル駅。下手すると、今の年号が狂ってしまいそうだ。今は平成か昭和か……。時計を見ても、日時が判るだけ。同乗者に、「今は、昭和か平成か」と問う程馬鹿ではない。それは、同乗者も同じだろう。都会では無関心で答えられる問い掛けが、此処に来ると他人様にも答え難い問い掛けに変わってしまうから。東京からほんの150キロ離れている場所であるにも拘わらず。
舟は手漕ぎで、仁右衛門島に向かっていた。船頭も年季が入っているのだろう。テンポよく漕いでいるのだから。嗚呼、風情がある演出だこと。船を漕ぐ軋む(きしむ)音が又何とも言えない。キィ〜キィ〜。音で娯しめるな。
上はJR太海駅。
下は仁右衛門島。 |
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5分程度で渡し舟は、仁右衛門島に到着した。何か異様な雰囲気がある。異国の地に着いたとでも言おうか、江戸時代の旅姿に戻ったとでも言おうか、はたまた島流しに遭ったとでも……、縁起でもない。
到着して目に付いたのは、来島記念の撮影スポットだった。いきなり大笑いした。個人の所有物なのにも拘わらず、地図に必ず載る名勝は、やはり何かが違うな。仁右衛門島の価値が高まる。都会のセレブの邸宅にもこういうのは無いね。周りにはアロエが一杯自生していたので、ちょっとした南国ムードがある(その他にも色々植物があったが、認識があったのはアロエだけだった)。少なくとも、島流しの惨めさは無いな。此処で1枚記念写真を撮った。
乗り場は土産物屋と食堂を併設していた。時間帯だから、人の気配は無かった。それでも、仁右衛門島の価値が高まってくる。もしかしたら、主も気分転換として、此処で食事を摂るのかな? メインは魚介類だろう。内房の館山と外房の勝浦とも近いから、選り取り見取りだろう。まさに魚介グルメ一色だ。でも、観光地ズレしていない太海には、日本料理がよく似合うな。刺身に焼き魚、煮付けに活き作り、青魚を薬味と味噌を合わせて包丁で叩いた「なめろう」か、それを焼いた「さんが」か。此処に鯛があったとしたら、ほんの数時間前に鯛ノ浦を訪れた私には、何とも複雑な気持ちだ。
撮影スポットを過ぎて、上には主の住居が見えてくる。しかも、来訪者大歓迎と謳っているのだろう、門戸は開いた状態だった。門には表札が掲げられていて、「平野仁右衛門」と書かれてあった。表札は年季が入っていたので、代々主は「仁右衛門」と名乗っているに違いないな。一体何代続いているのだろう……。徳川家や島津家とは比べ物にならない程だろう。地図帳に必ず載っている個人所有の名勝だ。不動の名誉だ。おまけに、門戸が開いているとは、何とも心のお広いお方だ。直にご挨拶したくなってきた。
私は暫く門戸の前に立って、東京と太海の人間心理の差を探り始めた。何だか、優しさが溢れている気がする。義理も人情も判らぬ東京から、ほんの150キロしか離れていないのに、人間の心の持ち様がこんなに変わってしまうとは。東京となると、不用心と見なされる開いた門戸が、太海では来訪者歓迎になるのだ。仮に閉まっている状態では、仁右衛門島の魅力は格段に下がってしまう。「勝手にあちこち回ってくれ」と見なされては、来訪者はたまった物じゃないね。
私はゆっくり挨拶を交わして、門戸を潜った。とは言っても、厚顔無恥に靴を脱いで入れる訳ではないのだが、雨戸が開かれている箇所があって、そこからは、歴史が詰まっている仁右衛門島の主の暮らし振りが読み取れる。どの部屋も和室で、如何にも歴史がある島に相応しい様相だ。贅沢と言うよりは、旧家の格式高い暮らしだ。此処では、床の間を撮影した。同じ向きに敷かれている畳が何とも、重厚な雰囲気を醸し出している。恐らく、大事な事を話す時に用いるようだ。此処では、正座しなくてはいけないな。前を開けていたコートを慌てて締め付けた。
上は入口の門。
下は床の間。 |
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こうなると、仁右衛門島は個人所有の名勝だとケチを付けたくなるが、歴史的名所2つでそのケチは一気に、驚嘆へと変わる。そうなると、仁右衛門島に訪れた価値がグッと高まるのだ。
その歴史に関するのが鎌倉幕府を開いた源頼朝と、小湊で出会した日蓮大聖人だ。
まずは、源頼朝から話すとしよう。
源頼朝が流された伊豆で、平氏打倒を挙兵したものの、石橋山で敗北を期し(洞穴に隠れた時、平氏側の武将梶山景時に見付かるが、梶山が嘘を吐いた事で難を逃れた)、数人の配下を連れて逃げた場所が何と仁右衛門島にあったのだ。これも同じく洞穴で、中には入れないが、賽銭箱が置かれていて、運良く難を逃れられる御利益と、平氏を倒した大望を見事果たせた立身出世の御利益の両方を与ってくれそうだ。10円の賽銭で、何処まで御利益が与れるか。
次は日蓮大聖人。誕生寺に鯛ノ浦と、今日は日蓮大聖人の足跡を辿る一日だな。
それは大きな岩だ。日蓮大聖人が清澄で唱題し開祖した事は前述したが、太海でも行われていたのだ。日蓮大聖人はこの岩の上に登り、又唱題したのだ。その名も神楽岩という。ウ〜ム、法華経から見れば、他宗派でも通じそうな名前だ。「蓮」か「題目」か付いて貰えば、「あぁ」と頷けるのだが。もしかしたら主も、唱題している人なのかな? そうだとしたら、此処も法華経の聖地になる。主には直接聞けなかったが、機会があればお尋ねしたい。
今度は、何が起こったのかな……。清澄では、海上に題目が現れ、鯛の群が食べ尽くしたのだが。太海の岩場の多い海を見て思案した。清澄同様、題目が海上に現れたのかな……、鯛の群が海から飛び跳ねたのかな……、もしかしたら、源頼朝の武勇伝を何処かで知って、法華経を広める決意を固める為に、此処に立ち寄ったのか。(日蓮大聖人が此処を訪れた年は判らなかったが)もしそうだとしたら、日蓮大聖人はこの時点で前途多難を予測していたのかも知れない。そして、その前途多難は見事的中した。鎌倉幕府に否定されても、幾多の法難に遭っても、決して教えを捨てたりはしなかった。そして今日、念仏や禅が多い中、唯一無二の題目を唱える宗派になったのだ。
昭和テイストの太海に位置する仁右衛門島よ、何時までもその姿を保ってくれ給え……。嗚呼。
此処で一首。
仁右衛門の岩場に立ちて南の浜風強し菜の花匂う
上は源頼朝ゆかりの洞穴。
中は神楽岩。
下は太海の海。 |
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