![]() ![]() 私が高校1年の時でした。第1志望校に落ち、やむなく第2志望校に入学し、最初の時は割合いい生活をして きましたが、2学期の後半から、友人関係が怪しくなってきて、その上、女性と気楽に話せない自分を見いだし てしまい、苦悩の日々を送っていました。その追い打ちを掛ける如く、小さい時から面倒を見て貰ってきた父方 の祖母の容体が思わしくなく、全快を祈りながら、生活をしていました。段々、高校生活が詰まらなくなってき て、何気なく、東京ベイエリアのガイドブックを読みながら、過ごしていました。 そんな私の願いが通じたのか、暮れに祖母は退院し、これでやっと気が安らぐ時が来たと思いました。 しかし、そんな日も長くは続きませんでした。 高齢の為、経過が良くなかったので、2月頃に再入院し、私はその経過を見守るしかありませんでした。 そんな2月20日のこと、何時も椅子に掛けていたコートが、何の前触れもなく落ちたのです。それも、何度も 掛け直しても、すぐに落ちてしまい、私の脳裏に嫌な予感が過ぎりました(虫の知らせとでも、言いましょう か)。放課後に掃除をしていた所、担任が来て、 「家から電話が来たぞ。電話しな。」と言われたのです。まさか……。私は微かな希望を棄てずに、家に電話す ると母の声が飛び込んできました。祖母が亡くなった訃報でした。もう、私の心身はズタズタになり、葬式が終 わっても、集団行動には少しも馴染めず、一人寂しい高校生活を送っていました。 ずっと、東京ベイエリアのガイドブックを読んでいる内に、段々「旅に出たい」気持ちが膨らんできて、3月 28日、貯め込んだ3万円を握り締めて、東京ベイエリアを旅行しました(千葉寄りでした)。築地で朝食を食べ た時は、その時の心身通り、曇り空で小雨が降っていましたが、稲毛海岸で降りて、稲毛海浜公園に向かう途中 に、段々晴れてきて、雲一つ無い晴天になりました。本当に嬉しくなってきて、私の心身もその雲一つ無い晴天 になりました。その後に、千葉みなとのポートタワーや観光船、千葉城、南船橋のららぽーとを訪れて、夜の8 時に帰りました。長く歩いたので、脚は疲れましたが、心身は今までになく爽やかな気分でした。 後になって、亡くなった祖母は、旅行が大好きでだったことが判り、その性が私に乗り移ったのではないか と、自分から思うようになりました。「仮にこの世からいなくなっても、私の見えない所で見守ってくれ る」、そんなことも思うようになったのもこの時です。 それ以来、私は機会があると、旅行に出掛けるようになりました。今になって私にとって『旅』とは心の支え でもあり、自分を変える絶好の機会でもあるのです。 父方の祖母の十三回忌を迎えた2007年から、私の旅が変わった気がします。今まではただ旅行自体を(時間 や金銭を忘れて)娯しむ「旅道楽」を謳っていましたが、これからは旅行自体を娯しむと同時に、祖母の代 わりに旅行する「任務」を持つようになりました。「任務」と言っても、堅苦しい気分では、旅の面白さが削 いでしまいますので、いろはの「あさきゆめみし ゑひもせす」と言う理を実践しながら、旅をしております。 長い前書きを最後までご覧下さいまして、有り難う御座います。 それでは、本編をお娯しみ下さい。 下の「タイトル(旅行年月日)」をクリックしますと、本文に入ります。旅日記は読みやすい程度に区切って おります。また、俳句や短歌がある所も御座いますので、併せてお娯しみ下さい。尚、写真が掲載されていない 所は、適切な写真が無い箇所ですので、ご了承下さい。 私が最も強調したい箇所は、フォント(字)が太くなっています。出来れば、その箇所を読み取って、旅 日記をご覧になれば、一層面白みが増すと思います。
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