2014年10月18日 10年振りの川越まつり

(2014年10月18日) 10年振りの川越まつり

 「江戸川越」。昨今の注目振りは、元川越人の私にとっては、何とも嬉しい限りだ。蔵造りの街、時の鐘、菓子屋横丁、クレアモール、大正浪漫夢通り、蓮馨寺、埼玉りそな銀行川越支店の建物、丸広百貨店屋上遊園地等、メジャーな場所からマニアックな場所まで報道され、不況下でも観光客は年々伸びていて、既に年間600万人を突破している。それでも、鎌倉の2300万人には及ばないが、この小江戸川越の強みは、一つの時代だけの遺構が残っているだけではなく、江戸、明治、大正、昭和と4時代の遺構が、至る所に残されている特色豊かな城下町だ。しかも、時代の流行を闇雲に迎合せず、その遺構を巧く平成時代に融け込ませられる愛着心に溢れている希有な街だ。また、一歩観光地から外れると、何処か心が和む田園地帯が広がっていて、観光で齷齪(あくせく)動く脚がゆっくりになれるのだ。此処にも、小江戸川越の魅力があると言ってもいいだろう。
 て、此処川越が最も盛り上がる日は、やはり「川越まつり」だと私は推す。関東三大祭の一つに数えられ、豪華絢爛な山車がお囃子と共に市中を回り、夜になると、交差点で余所の山車と鉢合わせになり、お囃子が繰り広げられる「ひっかわせ」が最大の見せ場だ。町毎にお囃子や山車の造り、更には山車で披露する舞踊等が異なるから、飽きることはない。10月第3土曜日と日曜日の2日間の開催で、約100万人を動員する。
 元川越人の自慢はこれまでにして。
 この川越まつりだが、私が川越在住時にはよく友人と一緒に行った物だが、ここ10年程はご無沙汰になってしまった。実はこの時期は、名古屋大須で開催される「大須大道町人祭」開催日と重複することが多く、名古屋好きの私はそっちの方へ行ってしまっていたのだ。しかし、川越まつりの夜のひっかわせがどうも忘れられず、時間があればパンフレットを開いて、思いを募らせていた。(2013年)去年は大須のメイドカフェでそれを開いていたら、興味を持ったメイドから質問された。特に夜のひっかわせのページが気に入ったようだが、日時が重複していた点を指摘され、
「浮気しちゃダメよ!」と笑いながら窘められてしまった。まぁ、女性との浮気なら許されない筈だが、イベント云々で浮気しちゃダメと言われたら、立つ瀬が無いな。でも、時間を掛けてでも行く価値は充分にある。
 の川越まつりだが、今年(2014年)は大須大道町人祭の開催日が重複していないから、行ける目処が立ったのだ。その嬉しさを噛み締めながら、川越行きの電車に飛び乗った。途中、高麗川駅前でのイベントに立ち寄って、再び、川越行きの電車に乗って、川越から一つ手前の西川越で降りた。昔は改札が無く、駅舎も粗末だったが、今はICカード自動読み取り機や簡易的な窓口があるしっかりした駅になった。小さなロータリーを抜けると、交通量が少ない道路に出る。それを左折して市内へ向かう。
 道16号線を渡って、旭町3丁目に入った。此処も川越在住時よく行った場所だが、至る所で異なっていた。多くの人で賑わっていたスーパーが、見慣れないメーカーの食品が置いてあって、しかも、陳列棚が多く置かれている所為で通路が狭く、妙な湿っぽさや息苦しさが蔓延って(はびこって)いたり、店舗があった場所が駐車場や民家になっていたりしていた。酷い所では廃墟になっていた場所もあった。何気ない街並みだが、その街並みが知らず知らずの内に大きく様変わりしていることがよくある。そうなってしまったら、当時のことを思い出してしまい、胸が締め付けられる哀しさにぶつかってしまう。こういう時、カメラが「この時、こういう街並みだったのだ」と証言してくれるのだ(これに日付が加われば文句は無い)。何気無く撮っていても、それが良き証拠になることだってあるのだ。
 親戚の家があった場所に行ったが、今は余所様が入居している。数年前、ふとしたことで旭町3丁目に立ち寄ったのだが、既に何処かに引っ越していたので、凄くショックだった。近くのずっと住んでいる人に尋ねてみると、狭山の方へ引っ越したと言うことだったが、子供が居ないので寂しい引っ越しだったに違いない。
 桑畑が広がっていた道を抜けると、十字路にぶつかる。この十字路も懐かしい。電気屋にクリーニング屋、とんかつ屋にパン屋、居酒屋にカフェ、雀荘もあって賑やかだった。しかし、道路拡張で様変わりしていた。残っている店は電気屋にクリーニング屋にパン屋だけ。この小江戸川越の地位は、私の川越在住時から大きく飛躍したが、こういった街並みを下手に変えることは止めて貰いたい。しかし、そのままだと交通の動脈硬化を引き起こしてしまい、地位向上を妨げてしまう。どっちも譲れない話だ。時の流れの無常さを知って、気が滅入りそうだよ。



(2014年10月18日) 久し振りの川越まつりにうな重を


 くのバス停で、一気に川越駅に向かったが、途中で川越まつりの山車に出会った。提灯には「旭町三丁目」と出ていた。おぉ、湿っぽくなり掛けていた所に、明るい山車が出会したわぃ。この山車でも撮るかと、次のバス停で降りようとしたら、お生憎様、次のバス停まで信号待ちや山車を牽引する行列に対する徐行で、5〜6分待たされた。その間にも、ズンズンと山車は反対側に進んでいった。しかも、バス停を降りても、また信号待ちを食らい、その山車に出会えたのは、何と旭町3丁目付近で戻ってきてしまったのだ。でも、縁がある旭町3丁目の山車が最初のお出迎えとは、この川越まつりは期待できそうだぞ、コリャ。
 越駅東口に大きく聳える「アトレ川越」。クレアモールにある丸広百貨店の別館だが、地元客や観光客で賑わっている。しかも、東口から歩けば、アトレ2階の連絡通路に入れるので、観光がてらに買い物ができる構想になっている。よくできているねぇ。此処小江戸川越にはメジャーなデパートは無いが、こういった地域密着系の百貨店があれば、立派な観光名所になれるのだ。
 時間を見たら、13時近く。昼餉とするか。
 、アトレ川越に入った。何時もはクレアモールにある量・質共良好のラーメン屋で済ませるのだが、久し振りの川越まつりだ。奮発しよう!
 此処川越で六代続くうなぎ屋で鰻重を頼んだ。上鰻重外税2750円也。序でにノンアルコールビールも頼んだ。外税430円也。鰻の稚魚の不良で値が吊り上がっていることは目を瞑れるが、ノンアルコールビールの値段は何処彼処もまちまちなのが不満だ。430円か、これは高く感じるな。でも、鰻の旨さは此処はイケるな。鰻の身は外は程良い堅さで中はホクホクとして、殆ど脂っこさが無く、スイスイ頂ける。

 上は旭町3丁目の山車。
 下は昼餉にしたうな重。小江戸川越は鰻でも有名である。



(2014年10月18日) クレアモールでの川越まつり

 レアモール。新富町に縦に伸びる商店街で、新旧和洋折衷、様々な店が並んでいて、学校帰りの制服姿の高校生や家族連れ、中高年が気軽に行ける場所だ。昨今の商店街は衰退気味に報道されるが、此処クレアモールは川越駅と本川越駅に挟まれていることや、行程上、蔵造りの街に向かう道の一つに挙げられていること等、有利点が一杯あるので、往来が絶えない。
 普段は往来が多いクレアモール。多くの人が訪れる川越まつりの大混雑ときたら……。人、人、人……。アトレから見ただけでも、その凄さは計り知れない。しかも、片方に露店が出ていて、通路が狭くなっているので、混雑度はうなぎ登りだ。此処で辟易していては、川越まつりを存分に娯しめない。見給え。混雑していながらも、娯しそうではないか。
 此処クレアモールは、川越在住時の川越まつりに何度も通った。その時の露店の賑やかさは憶えている。クレアモールの左右に多くの露店が建ち並び、その露店を冷やかしながら歩くのが何とも面白かった。この頃は、川越まつりは毎年10月14日・15日の開催で、15日が川越市内の小中学校が短縮3時間授業になり、子供でも充分に娯しめるようにと図られていた。香具師(やし)のおじさんと冗談を言い合いながら福引きをしたり、普段は行けない場所を歩いたり、更には夜のクレアモールを歩きながら、子供にはまだ早過ぎる大人の空間を感じたりして、子供ながらの川越まつりを娯しんでいた。今のご時世は、夜に出歩く子供達に斜視が送られるが、この頃は夜を娯しむ科学や文化が限られていたのと、川越市のメインイベント川越まつりなので大目に見られていたのだ。本当に天国のような平和一色の祭だった。
 10年振りに立ち寄ったら、或る変化に気付いた。殆どの露店が右側に位置している。歩行者の安全を考慮して、市側から指導されたことだろうが、左側も構えている店が簡単な露店を開いたり、川越まつり限定のバーゲンセールを開催したりと、右側の露店と負ける気配は無い。だけど、当時を知る私には此処でも、時の流れの無常さをも知ることになってしまった。
 湿っぽくなるので、気分を変えよう。
 給え。たこ焼きやお好み焼き、チョコバナナやあんずあめ等のメジャーな食べ物から、ジャンボ串焼きに鶏の唐揚げ、喜多方名物ラーメンバーガー、東国原元宮崎県知事が一気にメジャーに押し上げた肉巻きおにぎり、厚木界隈で有名なシロコロホルモン焼きと地方色豊かな食べ物や、韓国名物トッポギ、トルコ料理ケバブサンドと国際色豊かな食べ物が混ざり合い、何とも華やかな露店になっている。この点を見れば、「嗚呼、華やかになったな」と頬が綻ぶ。しかも、関東三大祭と謳われている川越まつりだ。出店できて鼻高々の上、士気も高いことだろう。とは言うものの、或る程度作り置きして、ノンビリ客を待つ東京でもできる商売は頂けない。
 クレアモールを通る観光客は、時折その露店に足を止めて、飲食物を買っているけど、福引きの類いはやはり子供達に人気だね。品揃えも人気アイドルのポスターやゲームソフト、ゲーム機本体と、時流を捉えた物が殆ど。何せ、100円でゲーム機本体が当たるチャンスがあるからね。幾ら露店の遊びと雖も、当てようとする所は大人顔負けだ。くじの結果のリアクションも面白い。

 写真は露店が建ち並ぶ賑やかなまつりの一角。



(2014年10月18日) 大盛況の蓮馨寺



 馨寺は何度も行っている寺で、普段は観光客がチラホラと、脇にある太麺焼きそば屋や団子屋に立ち寄る程度だが、川越まつりの時は境内に所狭しと露店が建ち並び、鉄板焼きのモウモウとした煙や、射的のパツンと発するピストルの音が絶え間なく飛び交い、老若男女が行き交っていて大盛況である。
 蓮馨寺の境内は比較的広く、よく此処に小屋が建てられることが多い。10年前、希少価値が極めて高い見世物小屋があって、立ち寄った。大蛇の抜け殻や、頭が2頭ある動物の木乃伊(ミイラ)、瞬間移動の手品等、60代を超えたと思うお婆さん達が出していたのだが、その動きは老いた所が無く、巧みに人を引き寄せる口調も面白く、なかなか興味深かった。あれから10年、見世物小屋はもはや過去の娯楽になってしまったのだろうか。元気なお婆さんの、
「さぁさ、本当に珍しい『見世物小屋』ですよ。もう見る機会がないかも知れませんよ。」あの台詞が瞬時に蘇った。あの時は過ぎようとしていたけど、立ち寄ってよかったな。
 日の川越まつりで、建っている小屋はお化け屋敷。お化け屋敷の類いは何処其処の遊園地にあるから、人影は無いだろうと思うのだが、此処は小江戸川越。多くの人で賑わっていた。時折笑いに近い悲鳴が漏れていた。しかも、川越に高校が多くある点を見越し、「制服着用の高校生に限り、特別大サービス」と500円の入場料を400円に値引いていた。恐怖感を煽る効果音やハイテク機器を用いた小道具で、人の心理を恐怖に陥れるデジタルのお化け屋敷は多々あれど、此処は暗色や(血を連想させる)赤を用いて、見た目におぞましさを加えた手作りの小道具で恐怖心を突くアナログのお化け屋敷だな。デジタルに慣れている人には、刺激的なのだろう。別の角度から見ると、小江戸川越が観光都市として有名になった経緯も読める。
 人の波に揉まれながら、クレアモールを歩いたり山車を見たりして、少し休むことにした。脇の団子屋で一服。瓶入りサイダーを啜りながら、出来たての焼き団子を抓む。ウ〜ン、気が和らぐな。

 上2枚は露店が多く建ち並んでいる蓮馨寺境内。
 下は蓮馨寺にある団子屋の焼き団子。



(2014年10月18日) 脇道に秘宝あり


 馨寺を抜けて、蔵造りの街へ向かった。普段は通り抜け難そうに走っている自動車の脇に、多くの観光客が通っている通りだが、川越まつりの時は江戸時代と明治時代の風情が存分に堪能できる歩行者天国になっている。おまけにクレアモールで見掛けた露店も見当たらないので、幾分かは歩き易そうに感じるが、此処にも山車が繰り出されるので、山車が通る際は止まっている撮影者が大勢居るので歩き難い。だけど、電線の埋設で大空がすぐに広がっているので、鬱陶しさは余り感じられない。
 それでも、歩き難さを感じてしまったら、脇道を使う手がある。
 この私も脇道を使って、菓子屋横丁に向かったが、普段は通らない脇道を通ることで、初めて見る寺社や建物、隠れた名店等、新たな発見がある。また、(出身地で)存在自体は知っていても、行ったことがない所へ行けるのも、川越まつりの面白さがあるのだ。小江戸川越で1軒だけの映画館、細い路地で営む穴場的でシックなレストラン、錆びた箇所や塗装の色褪せで年期が感じられる運行本数が僅か1本だけのバス停、多くの参拝者で賑わっている川越氷川神社。小江戸川越にこんな場所があったとは……。単に観光地を巡るだけが、観光とは言えない。そう聞こえる。

 上は小江戸川越で唯一の映画館。
 下は運航本数が1本だけのバス停。



(2014年10月18日) 「小江戸川越」と「川越市郊外」の境界線




 越氷川神社。蔵造りの街から北に位置する神社(もともと、川越まつりは此処川越氷川神社の神幸祭だ)。近くにバス停があり、小江戸川越観光の一つを担っている。
 この川越氷川神社には、日本一大きい鳥居がデンと控えている。境内には、摩訶不思議な雰囲気の絵馬のトンネルがあったり、ご神木があったりしてノンビリできる。そして、神社の裏には桜が咲き乱れる新河岸川があり、少しの住宅地を抜けると国道254号線があり、その向こうはゆったりとした田園地帯がバッと広がっている。「小江戸川越」と「川越市郊外」との境界線をも為している。
 越氷川神社で軽く一服した後、その境界線を歩いた。住宅地を抜けて、国道254号線に出た。片側3車線の大道で、郊外なので交差点が余りなく、流動的に自動車が往来している。もう小江戸川越の名残は見られない。その大道を渡ると、休閑中の田圃が広がっていて、遠くに聳える建物が何とも長閑(のどか)に見える。でも、こんな所まで脚を伸ばし、「小江戸川越」と全く違う「川越市郊外」を感じる観光客はいるだろうか。
 道254号線を歩く元川越人。この国道沿いに大晦日、親戚と一緒に食事したレストランがあり、そこで早めの夕餉を摂ることにしたのだ。1箇月前、記憶のフィルムを脳裏で撮しながら、川越駅西口を出て、南側からそのレストランに向かったのだが、歩いて30分も掛かった所にあったのだ。徒歩30分はどうってことはなかったが、こんなに遠い所にあったとは思ってもみなかった。今度はその正反対北側から向かったが、それでも約30分掛かった。道は憶えていても、距離は遠かった。
 さて、此処で早めの夕餉を摂るとしよう。久し振りの川越まつりだから、奮発してステーキを頂いた。分厚く程良く柔らかいステーキは食欲増進だけではなく、夜の川越まつりを大いに娯しもうと意気込める。

 上2つは川越氷川神社の鳥居。木造で一番高い鳥居は下の方。
 中は摩訶不思議な絵馬のトンネル。
 下は国道254号線を越えた長閑な田園地帯。観光都市とは思えない。



(2014年10月18日) ひっかわせのお囃子に身を委ねて



 めの夕餉を摂り、バスで川越駅東口に戻ったら18時30分。名物のひっかわせが行われる時間まで後30分。間に合った。パンフレットでひっかわせの場所を確認して、クレアモールを歩いた。
 夜になって、人の流れが激しくなってきた。此処は元々人通りが激しい場所だと出ていたが、脇道でも相当混んでいるだろう。川越まつりの有名度の高さに嬉しさを覚える反面、余程脇道を熟知していなければ、スムースに進めないもどかしさもある。そのもどかしさとは裏腹に、クレアモールの店や露店はその客を誘い込んでいた。だけど、新宿や渋谷で見掛ける怪しい誘惑が漂う混雑とは全く違う。露店はもとより、此処に構えている店は、一気に「川越まつり限定」と謳ったバーゲンセールを開催し、観光客を呼び込もうと必死になっている姿が何とも面白いのだ。東京とは40キロ程の距離にあるが、(廉価の)川越価格で東京とは何ら変わりないものが買えるのだ。店に入った以上は余所者云々は関係なし。直に小江戸川越の商売振りを、肌で感じられる貴重な体験ができる。此処が小江戸川越の魅力。
 そんなクレアモールの混雑振りを話しながら、何とか本川越駅近くの交差点までやってきた。ひっかわせの会場となっているので、混雑振りは倍加。露店もさぞかし繁盛しているのかと思いきや、観光客の関心は殆どひっかわせを行う山車に傾いていて、露店はそのお零れを貰う脇役になっていた。それ程、川越まつりのひっかわせは魅力的なのだ。
 ひっかわせは4〜5箇所の主要交差点で催されているので、違う交差点に向かうにしても相当時間を考慮しなければ、美味しい所は取られている。私が来た時は、丁度始まる時間だったので、私は人の波を巧く潜り抜けながら、美味しい所を探した。できれば、人の頭が邪魔しない所が良いが……。デジタルカメラなので、夜のひっかわせ等は充分に撮れるが、自分でも納得行く所は、結局自分が拵えなければいけない。
 人のざわめきが際立ち始めた。左から山車がやってきた。いよいよひっかわせの始まりだ。
 々な彫刻が施された山車には多くの錦が飾られ、囃子や踊りを取る舞台が設けられていて、その周りには提灯の灯りが点されていて、脈絡と続く川越まつりの夜の華やかさに彩りを添えていた。単に山車の豪華絢爛さや囃子の巧みさだけではない。町毎に山車、囃子、踊りが異なっているとなれば、提灯の灯り一つでも、全く異なった雰囲気やこのひっかわせに懸ける思いの深さが読み取れる。「川越まつりのメインは、夜のひっかわせ」と謳えることに大いに頷ける。子供の時分は、単に夜店の多さに感動したり、くじ引きの結果に一喜一憂したり、夜でも自由に出歩ける空間に陶酔したりして、本当の川越まつりの夜を娯しむ事は無かったが、もう三十路に入ると、夜店はそっちのけで山車の豪華絢爛さやひっかわせの迫力に陶酔してしまう。此処まで来るには、或る程度の年齢を要するな。
 そして、山車の正面が向かい合い、観光客の感嘆が俄に(にわかに)沸き上がり、ひっかわせが始まった。
 なった囃子や踊りが小江戸川越の夜に乱舞する光景は、蔵造りの街並み、時の鐘等、江戸文化が程良く残っている小江戸川越の闇雲に時流に迎合しない力強さが感じられ、元川越人である私にとっては、横笛と鐘のテンポに思わず、川越在住時に知らぬうちに埋め込まれたDNAが興奮し、身体が動きそうになりそうだ。しかも、町毎に囃子や踊りが異なるので、ただ演奏するだけではなく、自分のペースを崩さずにひっかわせを行うのは至難の業。その至難の業を熟すことは、地元に対する愛着心が無ければ、為せ得ないことだ。小江戸川越の揺るぎないプライドが詰まっているのだ。横笛と鐘のテンポに身を委ねながら、そのプライドの片鱗を次々に撮っていく人が多くいること。この私も何枚か撮った。川越を離れてから初めて、小江戸川越の揺るぎないプライドが読み取れたからだ。

 上は露店が並び、混雑を極めているクレアモール。
 中は提灯の灯りや豪華絢爛な飾りが目を引く山車。
 下はひっかわせの一場面。



(2014年10月18日) コーヒーブレイクとひっかわせ



 て、本川越でのひっかわせはこれまでにして、別の所へ移動するか。本川越から連雀町に向かう道路は行き交う山車や、それを撮る観光客で混雑を極めているので、小江戸蔵里がある道へ進んだ。早く且つ安全に進むにはこういった脇道を通るのが良いのだが、小江戸蔵里は商業施設なので、此処も混雑していた。それでも、先程の道路と較べれば、多少歩き易いのだが。
 小江戸蔵里は勿論混雑していて、色取り取りの提灯を下げ、飲食物を販売していた。元酒蔵とは思えないな。その入口では、海外へも輸出されている小江戸川越の地ビール「COEDO」を販売していて、歩き疲れて休憩に立ち寄った観光客の喉を潤していた。此処にも、小江戸川越の揺るぎないプライドが読み取れるが、罷り間違って、単に市販のビールを売っていたら、斜視は避けられないな、コリャ。
 雀町の交差点に着くと、丁度ひっかわせが行われていた。此処でも、異なった囃子や踊りが見られるが、電線がどうも邪魔だな。至る所で、電線が埋設されている箇所があるが、川越まつりの山車が往来する以上、此処もする必要がありそうだな。
 正浪漫夢通りに入ると、此処も人通りが激しかった。時間を見ると19時39分で、もう閉店の時間を迎えているが、殆どの店が開いていて、観光客の来店を待っていた。こんなに人通りがあるのだから、多少延長して「華を添えようではないか」と聞こえる。上手く行けば、売り上げアップに繋がるので一石二鳥だ。
 その一角にある観光客で賑わっている珈琲ショップで一服。店内は満員で、空いているカウンター席に座るや否や、メイドの格好をした女性サーバが、表に札を下げに出た。「ただいま、満席です」。営業時間を見ると既に閉店時間が過ぎていたが、延長してもこうして満席御礼とは、店員の士気は格段に上がっているだろう。
 店内を見渡すと、川越まつりのパンフレットを開いて、あれこれ話し合っていた。時間を見ると、何処でひっかわせを見るか、詰めの作戦会議のようだ。このように川越まつりのようなメジャーな祭となると、しっかり作戦を立てなければ、美味しい所を逃してしまう虞が高いからだ。となると、元川越人の私も負けていられぬな。美味しい所はしっかり頂くぞ! 苦みと酸味のバランスが取れている旨い珈琲を啜りながら、詰めの作戦会議を開いた。
 は蔵造りの街並みの入口、仲町交差点だ。来てみると、本川越駅、連雀町の2〜3倍の人の波で溢れていた。全く身動きが取れない状況だ。此処でデマの一つが出れば、けが人続出必至。周りを見ると殆どが大人で、小さい子供が来たら危険極まりない。何らかの対策は立てたのか? でも、名物のひっかわせを見たい人がこんなに大勢いるとは、元川越人の私にとってはとても嬉しいことなのだが。
 提灯が点った豪華絢爛な山車で、囃子や踊りを繰り広げるひっかわせで、また川越人のDNAが昂ぶり始めた。どっちの囃子に乗ろうか、独りでに身体が動き出しそうになったが、本川越駅と場合とは違って、人の波に身を投じている最中に、身体を動かせる状況ではない。準備をしていたデジタルカメラで、次々にひっかわせの模様を撮るのが精一杯だった。撮る媒体はデジタルだが、ひっかわせで得られる興奮や川越まつりに懸ける市民の思いはアナログだ。特に、川越等の歴史ある町の祭は、脈絡と受け継がれるプライドを大切にしなければいけないので、尚更だ。

 上は川越まつり開催時の大正浪漫夢通り。
 中と下は仲町交差点でのひっかわせの一場面。



(2014年10月18日) 良き想ひ出は夜に創られる(蓮馨寺)


 の蔵造りの町と山車の見事なコントラストを撮った後、脇道に入ると、祭の雰囲気は一気に色褪せて、街灯が無造作に点っている日常の川越の夜が漂っていた。その差はおぞましい程で、日常の川越の夜の空間に立ち、山車が行き交う明るい通りを眺めていると、行きたい願望が強くなってしまう。祭の空間に長時間いた所為で、取り残された雰囲気に襲われた。取り残された悔しさを無視するかの如く、玄関だけボッと点っている寺が、何ともシュールな夜景だった。
 電灯だけが点っている脇道を歩いても人通りはあったが、私の目には日常の川越の夜の姿が垣間見られて、これもまた娯しかった。どんな夜を過ごしているのだろうか……。頻りに聞こえる祭の賑やかな声を聞きながら。
 の賑やかな声を聞きながら、夜の静かな脇道を歩くこと10分、蓮馨寺に辿り着いた。境内は露店の灯りで溢れていて、賑やかな声が飛び交っていたが、私はそのまま入ろうとはせず、暫く入口に立って賑やかな境内を眺めていた。街灯だけが点っていただけの冷たく寂しい夜から、露店の灯りや商いで大いに賑わっている明るい夜の甚だしい差に驚いたのだ。しかも、その差の狭間のど真ん中に立っているとなると、豪華絢爛な山車を見に来たのか、夜のひっかわせを見に来たのか、観光客が犇めく(ひしめく)露店が多く並ぶ通りを歩きに来たのか、夜の露店の怪しげな雰囲気に酔いしれに来たのか、いよいよ判別がし難くなる。
 昼にも訪れたが、夜は全く違うな。お化け屋敷から飛んでくる悲鳴に近い笑い声や、鉄板焼きのモウモウとした煙、射的のパツンと発するピストルの音は昼と同じだが、時間帯と言うこともあって、大人達が大半だった。しかし、そこには懐かしさを売る光景が見られ、此処でもデジタルカメラが動いた。景品を狙おうと射的に挑戦し、その腕前に笑ったり悔しがったりしている会社帰りの若者。幼い時は家族と一緒に来たのだろう、その思い出を繙き(ひもとき)ながら、今度は自分が親になって子供を連れている家族連れ。此処に来ると、誰でも良い思い出ができてしまうのだろう。そして、その残像を心に刻みながら、人生を歩むのだ。



(2014年10月18日) まつりの〆は突然に……

 21時を過ぎても、まだ人通りがあるクレアモールを歩きながら、川越駅に向かった。往路と同じ経由で八王子に帰る為だが、接続が悪く、急遽本川越から国分寺経由で帰ることにした。
 すると、いきなり本当の川越の夜に出会した。殆どの露店が店仕舞いを済ませていて、その所為か、通り行く人達が早歩きに見えた。家路に赴く姿だ。
 (今日の)越まつりは終わったのだ……。時計を見ると22時を過ぎていた。何の前触れも無く、いきなり終了を告げられたので、どう気持ちを整理すればいいのか判らなかった。明かりを落とした露店や、背を向けて家路に赴く観光客に問い掛けても解決しないだろう。本川越駅に着いて1枚撮ったが、昼の大混雑の様を見たので、仕舞っている露店の列が寂しく見えてしまった。
 西武新宿線に乗り込み、デジタルカメラで枚数を調べたら、200枚以上撮れていた。いや、今回は枚数の多さだけではない。最後まで川越まつりを娯しめたかどうかの話だ。夜のひっかわせは勿論、初めて通った道で見付けた穴場的存在、川越氷川神社で見付けた「小江戸川越」と「川越市郊外」の境、その境を歩いて夕餉を摂ったレストラン、そして、昼には見られなかった夜の小江戸川越の光景、そして、この目で確かめた祭の終わり。私としては、今までの川越まつりよりも存分に娯しめたと思う。





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