2018年3月30〜31日 花見を愛でる牛鍋

(2018年3月30日) 桜が待ち遠しい前書き

 年は久し振りに、花見をする為に遠出した。
 向かった先は、伊勢だ。伊勢神宮内宮近くを流れている五十鈴川で、いい桜並木が続いているというので、これから4月を迎えるということもあって、景気付けに向かおうとしたまでだ。猛威を奮っていた鬱が上手く沈静し、新しい仕事に難無く臨めるようにと。
 実は、過去に2回程、花見に伊勢を訪れているが、何処かしら欠けていた所があった。
 最初の2014年は、当時勤めていた会社が鬱で長期休暇して、結果退職ということになった。それでも、長期休暇していた1月〜4月の給料は、有給休暇で保証されていたのが救いだった。
 しかし、天気は最高で、鬱で鬱いでいた私の冬を吹き飛ばしてくれるかの如く、春の陽気だった。とにかく「鬱」の比重が邪魔だった。
 2回目の2016年は、「鬱」の比重は多少軽くなったが、伊勢にいた時は天気が余りよくなかった。雨は降らなかったが、花曇りの状態が続いていて、桜の色がその曇天に隠れてしまった。そして、私が伊勢を発つ時に合わせて、青空が見えてきたという憎たらしい結果付き。
 そして、3回目の今年は(2018年)、天気の方も気分の方も良好で、純粋に花見が娯しめそうだったので、久し振りの旅行となった。
 今回は、桜の時季ということで、「桜」が入った和歌を認めることにしたが、単に「桜」を入れただけでは、余りにも変化に乏しいので、極力春らしい言葉を入れることにした。過去の写真を広げてみると、燕と芽吹いて間もない楓を見付けた。
 これだけでは、どうも花見の旅にしては寂しいな。下手すると、単なる旅道楽に見えてしまうのが、どうも嫌だ。出掛ける最中に探すとするかな。
 今年は四十路突入ということもあって、ちょっと趣向を凝らした花見旅行をしてみた。さて、それはどんな趣向なのかは、ご覧になってのお楽しみ。
 今回は俳句・短歌を合わせて20作を創ったが、その中でも、私なりにお勧めする和歌を数作紹介したい。
 時季的に桜は終わったが、これを読んで、再び満開の桜を回想できれば、私としては最高の喜びである。

 未だ冬桜咲く日の夜明けかな

 朝の電車に乗る為に、4時半頃に家を出たのだが、妙な肌寒さに首を傾げた。道中に桜は咲いていたのだが、この早朝では外の気温は、季節について行けていないのか、まだ冬の装いをしている。今年は東京でも雪が降ったので、余計春の装いが恋しくなっているから、この肌寒さは余計沁みる。
 発の横浜線に乗り新横浜まで行き、早朝の新幹線に乗り、名古屋へ向かった。静岡到着後に、朝餉に買ったシュウマイを抓み始めた。
 名古屋に着いた途端、大きな安堵の溜息を一つ。去年の9月以来の名古屋だが、その時は景気付けに3年振りのビヤガーデンに立ち寄った。時期を見ると、開催時期がもうすぐ迫っている。折を見て、また行くとするか。栄の夜にジョッキを挿頭(かざ)したいものだ。
 閤通りにある地下街の行き付けの店で、軽くモーニングを抓んだ。ご存じの通り、飲み物の代金だけで、半分のトーストとゆで卵が付くサービスのことだ。最近は名古屋テイストのコーヒーショップが全国展開しているが、やはり、本場で味わうと何かが違う気がする。名古屋独特の雰囲気というか、発祥の地故の威厳というか……(因みに、モーニング発祥の地は尾張一宮だという説もある)。
 モーニングを抓んだ店の近くには、団体旅行会社の受付があって、行く旅に方々へ向かうツアーの旗が閃いていて、多くの参加者が立ち話をしながら、これから向かう場所への期待を話し合っている。
 正直言って、私はこの手の類いの旅行は、一番嫌いなのだ。時間や行程に縛られなければいけないし、多くの列を成して、ゾロゾロと観光名所を回ったり、決められた場所で食事を摂ったり、(一部だが)要らない土産物を買わされたりして、一番窮屈極まりないのだ。ツアーの参加者は大半は中高年だが、四十路間近の私でも参加するのは真平御免だ。幾ら大金を積まれても、参加費無料にしてもだ。
 私はその群を意図的に顔を背けて、モーニングを抓んだ。ゆで卵に振り掛けた食塩の塩っぱさが利いた。



(2018年3月30日) 名古屋駅での博打

 速「みえ」1号で、伊勢市へ向かった。しかし、肝心の指定券は取れず、乗れるか否かの博打を、早々名古屋で打つことになった。これから満開の桜を見に行くのだから、堂々と座れたらいいのだけど。できれば、進行方向の左側の窓側の席。此処からの眺望はとても面白く、デジタルカメラが休まる暇はない。
 出発20分前に向かったのだが、既に並んでいて、私は前から5番目に立たされた。座れる可能性は軽く見積もって80%程度だ。しかし、窓側の席となると、更に可能性は低くなる。この並びだと、50%かな……。参ったなぁ。いい席に座れなかったら、別に立ちんぼでもいいのだが、伊勢市までの約2時間の立ちんぼは、聊かきつい所がある。いい席に座れますように……。
 2両編成の快速「みえ」が到着した。私ははやる気持ちを抑えながら、乗車した。そして、左側の窓側の席が空いたので、即刻鞄を放り投げた。博打は勝ったのだ。
 私はその席に痩身を沈めて、安堵の溜息を漏らした。

 桜惹く大勢達の列車曳く通勤光景を努めて忘れよ

 発時間までノンビリしていたら、私が乗った2両目は混雑してきた。今まで、指定席に乗っていた私から見れば、何とも不運な人だと思っていたが、よく見ると、立ちんぼでガイドブックを開いているのは極少数で、何だか通勤風景を彷彿させる。
 今は、旅路に痩身を委ねる時だ。下手に、日常風景を思い出すのではない。そう自責しながら、私は車窓に目をやった。出発まで後2分。
 天気が良く、桜が咲いているのに、通勤風景が入ってくるなんて忌々しい話だ。私は顔を外に向け、車窓からの景色を撮るのに夢中になっていた。
 時37分、快速「みえ」1号は、名古屋を発った。早速、太陽の眩しさが私の席に入ってきて、前後の席は忌々しそうにカーテンを引いた。でも、景色を撮りたい私は、眩しさを我慢してデジタルカメラを構えて、いいショットを狙っていた。右席の乗客、ホントにスミマセン。途中で通過した貨物列車のコンテナを撮ったが、牽引していたディーゼル車はズームの伸ばし過ぎで途中で切れていた。
 口に近い木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の大きさに改めて驚きながら、最初の停車駅桑名に着いた。目立って乗降客が往来した。指定席では見られない光景だな。今頃、指定席ではノンビリと伊勢志摩のガイドブックを見て、ノンビリと計画を立てているのだろうな。
 起こし前の田圃の向こうに工業地域の細長い煙突を眺め、石油を輸送するタンク車と貨物コンテナを撮りながら、四日市に着いた。此処でも、乗降客があった。これも、指定席では見られない。隣接している貨物ヤードでは、ディーゼル車がタンク車を牽引していた。
 四日市を発って、傍にある引込線脇に咲いている桜を上手く撮り、青々とした麦畑を撮っていると鈴鹿に着いた。此処でも、乗降客があった。私の右隣の客は此処で降りた。これも、指定席では見られない。鈴鹿駅は、伊勢鉄道の中でも大きな駅だが、長いホームの両端はアスファルトの綻びが目立つし、擁壁のコンクリートは塗装されているが、綻びまでは隠せなかった。
 勢鉄道の長閑(のどか)な田園地帯を抜け、倉庫を取り壊して新しく造られた住宅が目に入ると、津に着く。此処では、かなりの乗降客があった。津か……。周辺の桑名や松阪は相性が良いけど、この津だけは余り相性が良くない。人と同じ、都市にも相性があるのかな。都会の様相の津を眺めながら、そう呟いた。
 近鉄特急が左側からやってくると、松阪に着く。言わずと知れた松阪牛のお膝元だ。夕餉は此処にするか。此処でも、乗降客があった。
 この車両は伊勢志摩へ向かう行楽列車ではなく、名古屋近郊の都市へ向かう普通の列車になっていた。ずっと、指定席に座っていた私にとっては、異様な光景だった。

 写真は南四日市を出た側にある、引込線脇に咲いている桜。



(2018年3月30日) 外宮と猿田彦神社


 10時20分、伊勢市に到着。一気に、多くの客が吐き出された。満席だった指定席が此処で漸く空いた。この乗客が狙うのは、私と同様、五十鈴川の桜だろう。時季的にも、今がいい頃合いだし、いい天気だし、いいこと尽くめだ。この私も新しい職場に臨むのだから、気合いを入れて臨むとするか。
 新旧の店が混在している外宮参道を通り、外宮へ向かった。
 宮は常緑の盛に囲まれていて、早く五十鈴川の桜を見たい参詣者の脚は浮き足立っているように見えるが、若葉萌ゆる時季になると、至る所に目に鮮やかな若葉が生えたり、勾玉池では花菖蒲が咲いたりして、参詣者の目を娯しませている。今回は、時期尚早だから、咲いていなかった。
 外宮参詣後、バスで内宮に向かったが、滅茶苦茶混んでいた。やはり、目的は五十鈴川の桜だろう。となると、五十鈴川は相当賑わっているし、内宮も混んでいるに違いない。ICカードを握りながら、その混み具合を予想していた。この混み具合なら、あの快速「みえ」の指定席が売り切れるのも頷けるな。だがな、五十鈴川の桜の美味しい場所は、この私が取るからな。

 改めて引きし大吉昇運の千切れしお神籤悪縁消さるる

 スは猿田彦神社前に停車した。天照大神の道案内をした猿田彦を祀っている神社だが、降りたのは私を含めて数人。桜の時季になると、猿田彦神社は無視されるのかな?
 それでも、猿田彦神社は多くの参拝者で賑わっていた。御手洗(みたらし)の裏には柏手を打つと寄ってくる鯉が棲んでいる池があり、餌をやらなくても、柏手だけで充分に娯しめる。今回も餌を求めに、私の足下にドッと寄ったが、餌が売られていないので、何もできない。それでも、こんなに一杯鯉がいて、参拝者を見る度、口を開けている姿は愛嬌がある。
 処で中吉のお神籖を引いたが、内容は余り芳しい物ではなかったので、結んでおこうとしたら、途中で千切れてしまった。「切れる」ということで縁起が悪い気がしたので、再度引いたら大吉で、内容もいい方でホッとした。これで、あの千切れたお神籖の悪い卦が消えたらいいだろう。
 猿田彦神社にも、目立たない場所に枝垂れ桜があって、いい頃の散り際を見せていた。濃淡の桃色の桜は何とも、晴天に映えていた。ふと、桜吹雪を受けながら、一枚撮った。

 上は餌を求めて、口を開けている白い鯉。
 下は濃淡がくっきりと判るしだれ桜。



(2018年3月30日) 桜吹雪が奏でる春の夢




 田彦神社を出て、左側の交差点を渡ると、内宮参詣者用の駐車場が見えてくるが、此処でいきなり満開の桜のご挨拶を受けた。3度目の花見で、漸く理想の花見ができた気がするな。気分はいいし、天気もいい。
 となると、五十鈴川の桜も良い具合だ。確定したな。
 はやる気持ちを抑えて、おかげ通りを歩いて、御師の門の近くに咲いている桜を撮って、後ろを向いたら、細い道の向こうに満開の桜が私を呼んでいた。いい誘いだ。満開の桜に酔いしれるとしよう。
 その前に近くにある郵便局へ入って、風景印を押して貰った。内宮の参集殿で買える絵はがきに、慶事切手を貼って、その上に風景印を押して貰うのだ。今日は平成30年3月30日。ぞろ目ではないが、どこか縁起が良さそうな気がしたのだ。

 晴天の桜吹雪を受けながら三色団子贅を成したり

 の細い道を歩くと、五十鈴川に着く。その前に、満開の桜の歓迎を受けた。
 その歓迎の桜を撮って、五十鈴川に降りると、多くの参詣者が満開の桜を愛でていた。
 早速、私のデジタルカメラは満開の桜を撮り始めた。まだ、デジタルカメラのメモリの残量も10000枚以上あるので、撮りたい放題だ。青空に映える満開の桜、レンズを最接近して撮った満開の桜、陽差しの下での満開の桜……。とにかく、美味しい所を狙って、シャッターを押す。一気に旅人からねずみ小僧かアルセーヌ・ルパンになった気がする。
 また、川沿いに簡素な出店があって、団子や地ビール等を売っていた。清冽な流れを湛えている五十鈴川と満開の桜を眺めながらの一服は、何とも贅沢だ。東京界隈ではこんな清冽な川に出会うには、山奥の秩父か奥多摩、水上や尾瀬等に行かなければいけないが、こんな下流でも清冽さを保っているとは。時間に追われている東京人よ、これを見て潤いの溜息を漏らし給え!
 速、その贅沢に与るとするか。私は三色団子2串を買って、満開の桜を愛でた。
 すると、もっと風情のある物に出くわした。
 桜吹雪だ。
 その桜吹雪をゆっくり仰ぎながら、三色団子を抓んだ。数片の桜の花弁が私の顔を横切った。何と、風情溢れる一時だろう。これで、ゆっくり清酒を啜ったら、花札の「花見で一杯(「桜の野点」と「菊に盃」で揃う役)」になるな、コリャ。
 それはともかく、三色団子に桜吹雪の陶酔とは、これもまた贅沢だ。1串120円の三色団子を抓んで、満開の桜を愛でる。(2串買ったので)たった240円で、風情溢れる贅沢が娯しめるなんて。至福の一時だ!

 乱れ酔ふ桜吹雪に徒に美麗な夢と悟りし勿かれ

 2串の三色団子を頂いて、暫く五十鈴川の辺に佇んでいた。
 桜吹雪はその間でも続いていて、陶酔の時間を長引かせてくれるが、桜の花が散っているから、桜吹雪が成り立っている。しかし、別の角度から見れば、華の盛りが徐々に失っていることにもなる。葉桜となると、余り注目されないから、咲いている今こそ華なのだ。桜吹雪は咲いている桜の最後の花道のような物なので、単に桜吹雪は、美麗な夢や一時と決め付けるのは、如何なものかと思う。
 先程、桜吹雪に陶酔しながら三色団子を抓んだが、そのことに乗じて闇雲に陶酔してしまうとは、随分無粋なことをしてしまった気がする。

 上は内宮参詣者専用駐車場脇に咲いている桜。
 中は五十鈴川のほとりに咲いている桜と清冽な流れの五十鈴川。
 下は「花より団子」の理? 三色団子で乾杯!



(2018年3月30日) 四十路の若者と牛鍋

 宮参詣後、昼餉を摂った。何を頂こうかとあちこち探したら、牛鍋を見付けた。1年振りの伊勢だ。奮発するか。しかも、快速「みえ」1号に座れた博打に勝ったご褒美として。
 そんな訳で、牛鍋の店へ入った。何時もは待たされるのだが、今回はスンナリと入れた。座敷の席に座り、牛鍋を頼んだ。別欄にすき焼きもあったが、これは2名様からの注文。しかも、1000円札数枚で頂ける代物ではない。これは、未来の婚約者と来た時に注文するか。今年は四十路突入だ。前進あるのみ(?)だ!
 家族連れを横目にして、よく冷えたノンアルコールビールをコップ半分まで呷った。爽快な炭酸が喉を走り、新鮮な冷気が痩身を貫通した。流石、子供の前ではできない一杯だな、コリャ。
 牛鍋が届いた。ちょっと昼餉を摂るので、失礼!
 明開化の味として有名な牛鍋。牛肉は伊勢界隈で飼育されている伊勢牛を使用している。その伊勢牛を柔らかく煮込んで、卵に絡めて頂く。すき焼きと同じ頂き方。肉の噛み応えに食欲が増進する。合間に、ノンアルコールビールを一啜り。そう言えば、ビールも文明開化の一員だった気がする。教科書で、牛鍋を抓みながらビールを注ぐ挿絵を見たことがあるが。
 この牛鍋とノンアルコールビールで、3000円でお釣りが来るのだ。東京だと、牛鍋だけでも3000円はするだろう。

 常備薬我が友なりし四十路かな我の心は二十歳の若

 れは食後に詠んだ短歌だが、「四十路」と「二十歳」と甚だしい差に苦笑する。仮に三十路突入して間もない頃の私だったら、随分遠い話ということで嘲笑してしまいそうだが、今となっては間もなく他人事ではないので、逆に黙ってしまうし、まだやり残したことが山程あるので、焦りすら憶えてしまう。
 心療内科から貰った常備薬を食後に服用した。四十路になると、あれこれ成人病に見舞われる時期だと聞いているので、この常備薬も私の友になりそうな気がする。でも、気持ちだけは二十歳の若者の如く若く、そしてしっかりしているつもりでいたい。そうすれば、念願の家庭を持つことも夢ではなくなるのだ!

 写真は注文した牛鍋(イメージ)。



(2018年3月30日) 下戸の「花見で一杯」

 五勺酒浮かれを殴る珈琲かな

 後の散歩におかげ通りを歩いた。此処おかげ通りには、伊勢神宮に奉納している清酒を売っている酒屋があって、多くの左党が参詣前はお浄めとして、参詣後は直会(なおらい 参詣後に頂く食事)として此処に立ち寄って、奉納している清酒を嗜んでいる。
 食後だから、そんなに酔いが来ることはないだろう。しかも、小江戸川越の小江戸蔵里で、清酒の試飲をしたことがあるから、多少飲める自信はある。折角の四十路を迎えるのだから、多少の変化を求めたいと、中に入った。快速「みえ」1号に座れた博打に勝ったご褒美として。
 しい木のカウンターでは、左党が旨そうに清酒を嗜んでいた。周辺には販売されている清酒や、陶器製の樽が置かれていて、風情満点。因みに製造場所は、生一本(きいっぽん)でお馴染みの神戸の灘だ。灘の生一本が伊勢で啜れるなんて……。
 店員に余り飲めない旨を伝えると、特別吟醸酒を勧めてくれた。5勺(約90ミリリットル)で250円。いい値段だ(10勺=1合 約180ミリリットル)。陶製のお猪口に零れそうになるまで注いでくれた。5勺より僅かに多い気がするが、まさに大サービスだ。僅かの塩を別の皿に添えて。
 5勺か……。無理しなければ、啜れそうだな。桜吹雪の中で飲んでいることを想定しよう。先程の「花見で一杯」が成立できるぞ。
 所が最初の一口が余り多かったのか、零れそうな部分を慌てて啜った為、軽い酔いが来てしまった。おまけに、カウンターも濡らしてしまった。明らかに、啜り慣れていない仕業だ。
 「味は?」って? あぁ、良い香りが程良く口中に広がって、スッと飲み易いな。でも、小江戸川越で啜った清酒よりは、香りやその広がりが弱いな。余り、清酒は嗜んでいないから、余り大それたことは言えないけど。
 辺のカウンターを見ていると、皆私より年上の中高年で、旨そうに1合の清酒を啜っていた。添えてある塩を舐めている姿はあるけど、啜り方が流暢だ。お伊勢詣りで清酒が啜れるなんて、思ってもみなかっただろう。表情が妙に明るかった。
 ……何か気不味いな。5勺の酒で、チビチビ啜っている姿は、どう映るのだろう。流暢に啜れない若造と嗤っているのか、酒が強くない癖に無理強いしている人と呆れているのか。そんなことはどうだっていい。四十路間近になって、変化を求めている元若者なのだから。(味覚を直す為の)和み水の湧き水を啜りながら呟いた。
 でも、最初の一口が失敗すると、軌道修正が余り利かない。清酒自体は旨いのだが、どうも、小江戸川越のようにスイスイとはいけない。かの有名な高品質の灘の生一本だぞ。東京ではおいそれと飲めない一品だぞ。と言い聞かせても、何故かスイスイといけない。和み水と食塩を交互に頂き、清酒を啜った。
 勺か……。結構あるな。小江戸蔵里で啜った時は、2〜3勺程度だったと思うが、5勺がこんなにあるとは。しかも、腹一杯牛鍋を頂いた訳ではないので、酔いがもう来てしまった。コリャ、不味いな。和み水を多めに啜って、清酒を一啜り。此処で、身体からの信号が来たぞ。下手に啜って、千鳥足になって反吐を吐いてしまったら、勝ちに奢った醜態をさらけ出しているようで、みっともなくなる。猪口を見たら、半分も残っている。和み水も後1口分しか残っていない。後一杯で引き上げるか。
 私は、身体からの信号を守りながら、清酒を啜った後、和み水をゆっくり啜った。何とか、足取りはいけそうな感じだぞ。私の「花見で一杯」は、こんな感じで終わった。

 写真は注文した5勺の酒(イメージ)。



(2018年3月30日) 酔い醒ましの珈琲と五十鈴川



 い醒ましに珈琲でも啜ろうかと、五十鈴川沿いのカフェに入った。店員に、「酔い醒ましに利く珈琲は?」と尋ねたら、此処で嗜んでいる深煎り珈琲が良いと勧められた。何という偶然だろう。
 掘り炬燵の五十鈴川沿いの席は満席だったので、五十鈴川が見えるカウンターになった。背伸びすれば、清冽な五十鈴川が見えるのだが、まずは冷水で酒を醒ますことを優先した。酔いを醒ますには、冷水がよく効くと聞いているから。
 そして、届いた深煎り珈琲にクリームを多めに入れて、ゆっくり啜った。ほろ苦さが、酔いが入った身体に利いた。紛れもなく大人の飲み物だな。先程の清酒にしろ。だけど、5勺の量を侮った罰だろうか、まだ若者の範疇にいるのか、珈琲独特の苦みや酸味が何時も以上に利いている感じがする。

 桜咲く川は澄みし翠色幼き燕の啼き声可愛や

 のカフェの近くには先程通った五十鈴川があり、清冽な流れを湛えている。見ると、川の色は透明な翠色だ。この色は何かゼリーか羊羹等の菓子類を思い出してしまう。その翠色に見取れていると、小さな燕がピューッと飛んできた。もう、燕の季節なのか。
 今度は、その燕に見取られながら、深煎り珈琲を啜った。時折、ピィーッと啼く姿が何とも可愛い。
 此処で一つ、思い出した。
 松阪駅には、ずっと同じ場所に燕の巣があって、数年ながら、私はその燕の成長を見届けてきた。
 ……そうだ。次の目的地は松阪にするか。丁度、酔いが醒めてきたし。深煎り珈琲は利くねぇ。
 冽な流れの五十鈴川沿いを歩きながら、スイスイ泳いでいる鯉を眺めたり、自信があった石蹴りで、見事ドボンをしでかしたり、いい具合に満開になっている桜を偶然見つけて、シャッターを押したりして、今までのお伊勢詣りとは違うお伊勢詣りを娯しんだ。
 この道を歩くと、赤福の裏手に出た。みんな旨そうに、あんこ餅を頬張っているな。そういえば、最初のお伊勢詣りの時は、ここに立ち寄って、あんこ餅を頂いて感動したな。あれから20年も経つのか……。あんこ餅の代わりに、清酒と深煎り珈琲で済ませてしまった私を、当時の私はどう見るのかな。

 上は酔い醒ましの深煎り珈琲(イメージ)。
 中は五十鈴川のほとりで見付けたもう一つの満開の桜。
 下は橙色の鯉が泳いでいる清冽な五十鈴川。



(2018年3月30日) 城下町松阪へ……


 舎が重要文化財になっていて、皇族方もご利用になる駅、宇治山田駅に向かった。此処で、急行名古屋行きがあれば都合がいいのだが、先に到着したのは、プレミアム特急として首都圏でも話題の「しまかぜ」だった。一度は乗りたい「しまかぜ」だ。多くの客が、シャッターを切っていた。
 して来たのは、2両編成の各駅停車伊勢中川行き。列車の中は、普段利用している急行や特急とは全く違う、近隣へ向かうための列車で、時の流れが異様にゆっくりしていた。列車にも急行や快速云々があるが、種類が違うだけで、こんなに様相が違うとは。今朝の快速「みえ」1号と同じだ。
 明星で特急列車の通過待ち合わせをして、斎宮で綺麗に咲いている菜の花に見取られながら、松阪に着いた。
 阪。普段は宿泊場所や夕餉の場所に充てるのだが、意外にも此処は城下町の名残が見られる。とはいうものの、先述の通り、宿泊場所や夕餉の場所に充てる松阪の町並みを歩いたことは、片手で数える程度。時刻を見ると16時17分。
 駅近くの観光案内所に入り、観光案内を受けたが、今の時間で行けるのは松阪城跡だけという惨憺たる結果。此処松阪には、松阪商人の館、御城番屋敷と城下町の薫りが漂う史跡が残っているが、16時閉館という答えに、顔を手で覆った。ほんの十数分前だったのだ。この十数分で、喜怒哀楽の人間模様が描かれるのだ。面白いといえばそうだが、この場合は「哀」の方だな、コリャ。
 影の薄い駅前通を歩き、途中でよいほモールという通りに入る。此処には、「和田金」という大変有名な松阪牛の店があるのだ。建物もビルのようだが、これが全部和田金の店と思ったら立派で、銀座や有楽町等の都心の一等地に位置しても、何ら違和感は無い。駅前案内所で貰ったパンフレットを見てみると、いい具合の霜降り肉のすき焼きに、1頭から僅かしか取れないシャトーブリアンのステーキコースが出ていて、ほんの紙切れを3等分したパンフレットなのに、高級感が溢れている。コリャ、10000円札を数枚持って行かなくては、太刀打ちできないぞ。いや、一般大衆でも高嶺の花だろう。もしかしたら、政治家の接待で使われたりして……(失礼!)。
 しかし、シャトーブリアンは、駅の反対側にある京町1区という所で頂いたな。行き付けの焼き肉屋があって、此処でもシャトーブリアンを出しているのだ。なんと、5000円でお釣りが返って来るというお値打ち価格! 店前にあるコースをチラッと除いたが、15000円からと出ていたから、余計5000円で頂ける優越感は高まるのだ。例え、高級店で頂いても、焼き肉屋で頂いても、シャトーブリアンはシャトーブリアンなのだ。ざまぁ、見やがれ! ヘッヘッヘッ。
 笛を吹きながら、歩いて行くと、十字路があったが、その向こうは一気に雰囲気が変わってくる。今までの所は、伸び悩んでいる中京圏の地方都市だが、この十字路を渡ると城下町松阪の香りが漂い始める。地中化した電線に、アスファルト敷きではない道路。風雨に耐えて濃い色を見せている木造家屋。小江戸川越にもあるな、こういう町並み。
 阪商人の館が見えてきた。この辺は松阪商人が住んでいた場所で、実際の館は半分程度しか残っていないが、かなりの大きさだ。しかも、主は此処で茶の湯や和歌を嗜んで、江戸にある店は番頭任せだったのも、贅沢に花を添える。
 入口を見ると、やはり16時閉館時間だった。しかも、4月は30分延長と出ていた。今は3月30日。後2日で、30分延長になるのか。勿体ないことをしたなぁ。ゆっくり、空を仰いだ。
 阪商人の館を抜けると河原に出て、此処を左に進むと魚町に出る。此処も、城下町の薫りが色濃く残る場所だ。
 此処には、「牛銀」という和田金同様松阪牛を扱う店があって、店造りも木造の風格溢れる造りで、高級感を漂わせている。此処も10000円札を多く用意しないと太刀打ちできないし、政治家の接待にも使われそうだ(失礼!)。しかし、私は此処で夕餉を摂ったことがあるのだ。この店の隣に「洋食屋牛銀」があって、お値打ち価格で松阪牛が頂けるのだ。此処でカツ丼を頂いたのだが、カツは牛肉でデミグラスソースを掛けた松阪テイストだった。此処でも、ステーキが出されているが、10000円札を用意して、構えたいものだ。何時か、此処でステーキを頂くぞ。痩身で心身のバランスが崩れ掛けてはいるが、松阪でステーキを頂く位はできよう。こうやって、伊勢で花見に出掛けられている限りは。

 上は松阪商人の館。
 下は魚町界隈。



(2018年3月30日) 桜が乱舞する松阪城跡



 光案内所で勧められた松阪城跡に着いた。当初は松阪藩だったが、合併されて紀州藩になった。城郭は暴風雨で崩壊したが、紀州藩に合併されていたので、そのままになったというトリビアがある。
 着くと、城郭に桜が咲いていた。この時季、ライトアップされるという知らせもあり、雰囲気がある。しかし、ライトアップを待ち切れずに、城跡に入る人が意外に多かった。私も吸い込まれるかの如く、城跡に入った。
 跡には一杯桜の木が植えられていて、来訪者の目を娯しませているが、此処の場合は桜の木に対して、来訪者が十数人と少ないので、存分にその咲き具合を確かめられる。直接桜の枝を抓み、その咲き具合を観察したり、見晴らしのいい場所に咲いている桜の咲き具合に酔いしれながら、思い切り深呼吸したり、どの桜が一番なのかを必死に探し出したりして、各々の桜の娯しみ方をしている。
 それにしても、松阪城跡は意外と広く、至る所に桜が咲いていて、次々に私の旅足を掴んで、留まらせようとしている。ほら、またシャッターを押した。シャッターを押した場所の近くには藤棚があって、時季になると咲くという。
 は広い松阪城跡を眺めた。露店が3店あって、開いている露店は1店のみ。此処では注文に応じてクレープの生地を焼いていた。そして、ライトアップされると、あちこちでござを敷き、夜桜を娯しむ人達で賑わうだろう。すると、この露店もいい稼ぎ時だろう。でも、露天が僅か3店とは何といえばいいのだろうか。伸び悩んだ地方都市の現状といえばいいのか、桜の開花状況を見間違えたといえばいいのか?

 写真は松阪城跡で撮った桜。



(2018年3月30日) 松阪で牛鍋の贅沢


 て、時計を見たら17時を過ぎていた。時間的に夕餉の時間だ。松阪城跡を出た私は、独りでに駅前に向かっていた。行き付けの焼き肉屋に向かう為だ。
 だけど、私の踵(きびす)は妙に重かった。確かに、松阪のホルモン焼き肉は、東京人の私にとってはご馳走なのだが、どうも気が進まなかった。大好物の牛タンとシャトーブリアンを積まれても、どうも気が進まなかった。「四十路に入ったら、嗜好やら変わってくる」と言われた通りだが、だからといって、名古屋まで空腹を抱えていくのも、燃料が持ちそうにもないぞ。
 いほモールを歩くと、1軒の旅館があって、玄関脇に品書きが出ていた。
 そこに「牛鍋」・「すき焼き」と出ていた。しかも、料金はお手頃で、お一人様大歓迎と出ている。ホルモン焼き肉と比較したら、こっちの方が安上がりだろうが、私は無情に旅館の前を通り過ぎて、駅前に来た。焼き肉屋がある京町1区は、駅の右側にある踏切を越えればすぐだが、私の踵は自棄に重かった。牛タンとシャトーブリアンで、満足したことは2〜3度あったけど、何だか、ここに来てワンパターン化してつまらなくなってきている。
 さて、どうしよう。思案すること、1分弱。
 踵を返そう。
 と、先程の旅館に向かった。値段も手頃だし、何とか行けそうだ。此処にするか。
 館の格子戸を開けた。こぢんまりした木造旅館だ。玄関脇には「旅人宿」と書かれた木の板が飾られていたり、玄関にも花が生けられていたりして、上品さを醸し出している。
 暫く立っていると、60代の女将がさっと対応した。
 品書きを見せたが、今の時間帯は牛鍋かすき焼きの準備しか整っていないとのこと。とんでもない。私が頂きたいのは、牛鍋ですよ。しかも、牛鍋にも並と上があって、肉の質が違うということだ。さて、どっちにしよう。並なら、5000円札でお釣りが返ってきそうだが、女将さん曰く、「人気があるのは上の方です」。そうか。上にするか。せっかく、松阪に来たのだから、上品な松阪牛の牛鍋でも頂くか。昼は伊勢牛の牛鍋。夜は松阪牛の牛鍋。嗚呼、確かに嗜好は変わった気がするな……。
 注文は決まり、私は細長く、衝立がある和室に案内された。窓の向こうには旅館の一コマが見えた。今夜は誰が宿泊するのかな?
 ずは、ノンアルコールビールで、歩き疲れた痩身をいたわった。爽快な炭酸が痩身を貫通した。ノンアルコールビールとはいっても、一気飲みはできない。何しろ値段が書かれていないのが不安だからだ。
 鉢をゆっくり抓んで、いよいよ待望の牛鍋の登場だ。鍋一杯の霜降りがいい松阪牛が何とも贅沢だ。これで5000円ちょっとだから驚く。和田金や牛銀で頂くと、軽く10000円札1枚は宙に舞いそうだ。固形燃料に火を付けて、出来上がるのをひたすら待った。
 待ったはいいが、何ら変化が無い。此処で女中さん曰く。「下から上へ掻き回して下さい」。その通りやると、煮込んである部分の松阪牛が出てきた。牛鍋は具材と一緒に煮込むのが特徴で、こういう掻き回す作業も必要だそうだ。しらたき、豆腐、椎茸、春菊が出てきた。
 そして、煮込むこと10分前後。牛鍋の完成。見た所、松阪牛が偉そうに幅を利かせていて、高級感を醸し出しているが、地元松阪でも松阪牛は高いそうなので、味わって頂くとするか。それでは、頂きます!
 ウ〜ン、柔らかくて美味しい。しかも、牛肉独特の甘みもあるから、一層贅沢な気分に浸れるわぃ。啜るノンアルコールビールの上品な苦みにも、贅沢を感じた。

 牛鍋を昼餉夕餉に充てる贅狭間の時は桜愛でる贅

 日の行程は、贅を凝らしたものに相応しい。行程は何時ものお伊勢詣りと殆ど変わらないが、伊勢でも松阪でも満開の桜が出迎えてくれたのが嬉しかった。桜吹雪を受けながら三色団子を抓んだり、桜吹雪を連想しながら清酒を啜ったりして、贅を凝らした花見だった。しかも、昼餉は伊勢牛の牛鍋、そして夕餉は松阪牛の牛鍋という、これも贅を凝らした食事だった。牛鍋の贅沢の間は、満開の桜を眺めるという贅沢。今にしかできない贅沢だが、心身のバランスが崩れ掛けている痩身には、無言の励ましを受けているように感じる。

 夜桜や牛鍋浮かれる口三味線

 此処の旅館の温かいおもてなしを受けて、牛鍋を頂いた。旅館を出た時は、もう夜の帳が降りていて、松阪城跡の桜がライトアップされている時間だろう。今回は名古屋で宿を取っている為、夜桜を見ることはできないが、牛鍋を頂いた優越感からか、思わず小唄が出てしまいそうだ。京都先斗町(ぽんとちょう)が出ている「お座敷小唄」が出た。
 「お座敷小唄」の株を借りて、即興の歌を口遊んだ。

 高級店の牛鍋も
 旅館で出される牛鍋も
 特に変わりは あるじゃなし
 旨く食えたら 皆同じ

 上品さに欠けている小唄だこと。
 阪駅に着いた。此処で、私はあることを確認し始めた。
 燕の巣を探し始めた。確か、近鉄の窓口脇にあって、作り易い角の隅にある筈だ。2014年に見付けてから、ずっと同じ所に巣を作っているのだ。もしかしたら、此処から巣立った燕が松阪に戻って、新たに巣を作っているのかも知れないな。
 今回も見付けた。雛が3羽程いて、巣の近くを飛んでいた。また、この雛が大きくなって、松阪に戻って新たに巣を作るとなると、思わず、立ち止まって見てしまう。

 上は松阪牛の牛鍋(イメージ)。
 下は数年にも続いて、此処に作っている燕の巣。



(2018年3月30日) 名古屋行き急行からの手紙

 (近鉄)阪始発、急行名古屋行きに飛び乗った。クロスシートの席で、ノンビリ足が組める。JRとは違って駅が多い近鉄だから、急行に乗っても名古屋までは2時間位掛かる。困ったものだ。
 名古屋に着くまで、車窓からの夜景で詠んだ和歌で、手慰みする。

 夜桜と工業地域の照明を競い合わせる四日市かな

 鉄塩浜付近になると、四日市の工業地域からの照明が目立つようになり、ふと、シャッターを構えたくなる。しかし、電車に乗っている最中だから、まず美味しい一枚は撮れない。そして、付近の川の土手に植えられた桜がライトアップされていた。
 照明が点されている工業地域を愛でる工場ウォッチングが流行る中、此処の夜桜も対抗心を燃やしているかのようだった。

 塩浜や貨物遮る春の浜

 鉄塩浜駅で、特急通過待ち合わせの為に数分停車した。
 確か、この急行の数分後に特急列車があったのだが、もしかしてこれなのか。仮にそうだとしたら、塩浜で抜かれた悔しさはあるが、今回は余り予算が組めない状態なので、急行で向かった。これで1300円位の節約になる。
 それはともかく、此処近鉄塩浜駅は、JR塩浜貨物駅と隣接していて、ホームから貨物ヤードがよく見え、運が良ければ、石油等を輸送するタンク車に出会える。今回は、出会えるかと外に出たが、1台も停車していなかった。駅を発ってすぐのクリーム色の建物に、「JR塩浜駅」と書かれている。因みに、この線路を辿っていくと、近鉄海山道(みやまど)駅を掠めて、四日市駅に向かう。そんなに隣接しているのなら、支線と称して、旅客化すればいいのに。こんなに広いヤードがあるのだから、勿体ない。
 「塩浜」とあるから、如何にも海らしい名前なのだが、此処から四日市の海は見えない。まるで隣接している貨物ヤードに停車しているタンク車(貨物)が、遮っているかのようだ。



(2018年3月31日) 五条川の桜吹雪



 古屋で旅装を解いて、明日は名古屋近辺の桜の名所に出掛けることにした。この日は大須観音でイベントが開催されるのだが、昼からなので、それまでもう一度花見でもしようかなと思ったまでである。
 名古屋から北に位置する岩倉市。そこの五条川は、桜の名所として中京圏に知られている。
 り立ったのは、名鉄名古屋駅。路線図を見ると、全ての名鉄線が此処に集結し、豊橋や河和(こうわ)、岐阜に新鵜沼、中部国際空港等に向かったりするのだ。東京の新宿等はホームが多くあるから、行き先云々が判り易いのだが、此処名鉄名古屋駅は4番線まであるが、乗降ホームが分離しているので、実際乗り降りできるホームは2面しかない。「地方都市の私鉄」といって、東京思考でナメて掛かると、痛い目に遭いそうだぞ。
 そして、到着した急行新可児行き。電車は何と、あの草臥れた(くたびれた)真っ赤な電車だ。車両ナンバーの書体を見ると、かなり古くから使われていることが判る。私は名古屋は好きだが、この名鉄の赤い電車は余り好きではない。幾ら何でも野暮過ぎる。
 電車はかなりの混み具合。ハハァ、恐らく岩倉まで行き、五条川の桜を見に行く人達だな。この懸けに勝ったら、また奮発するか。

 観桜や日本人惹く電磁石

 (さこう)、上小田井(かみおたい)、西春と停車し、岩倉に停車した。
 私の予想通り、多くの乗客が此処で下車した。間違いないな。五条川の桜だろう。改札を抜けて、左右に出口があるが、一向に右側へ向かっていた。そして、階段の広い踊り場では、五条川の桜まつりのパンフレットを配布していた。
 確信した。私の懸けは勝った。
 して、岩倉駅を出たら、途中の店で軽く休憩しながら、五条川へ向かっていたが、大半は道なりに歩いていた。まるで、何かに惹かれるが如く。桜は日本人にとって、大変魅力的なものなのだろう。「電磁石」という科学的要素が含まれているが、道を迷わずにスッと進んでいく姿は、本当に電磁石に似ている。
 そして、神社を抜けると、メイン会場があって、そこでは桜が満開で、皆桜を愛でながら飲み食いしていた。
 の会場を抜けると、五条川があって、桜が満開だった。そして、その川に沿って露店が並んでいた。今は満開だから、いい稼ぎ時だろう。ジャンジャンお稼ぎなされ。こんなに満開だから、財布の紐が自然と緩んでいるだろう。
 此処で、五条川の満開の桜を愛でながら、詠んだ和歌を紹介しよう。

 観桜をそこそこにして漫ろ歩き露店冷やかす菜の花の群れ

 店が延々と続いていた五条川。中には、観桜をそこそこにして、露店の様子を窺う人もいるだろう。調理の腕を見せて気を惹かせている露店、ある程度作り置きして客を待っている露店、行列を成してもマイペースを崩さずに営んでいる露店等、色々ある。その露店の様を眺めている菜の花の群れが、春の訪れに花を添えている。

 鯉幟濯ぐ河原に群がる鯉桜餌にする五条川かな

 国橋に着くと、大勢の客が五条川に向いていた。何かと、僅かなスペースを確保して、覗いてみたら、名産品の鯉幟の「のんぼり洗い」という実演だった。簡単に言えば、染め上がった鯉幟を水にさらして、余分な染料や糊を洗い落とす作業である。
 鯉幟といえば、東京界隈だと埼玉の加須(かぞ)が有名だが、此処でも有名なのかな。
 そう思っていたら、多くの灰色の鯉が泳いでいた。此処で釣り糸を垂らしたら、大漁間違いなしといった所かな。そして、競い合うかの如く、桜吹雪の花びらを旨そうに飲み込んでいた。餌だと思っているのかな?
 桜並木は続いているが、時間を見たら、11時近くを指していた。戻るなら、今だな。とはいうものの、先程の勝ちの戦利品はどうしよう。と、見付けたのは大福を売る露店だった。此処でいいか。メロン、イチゴ、ブルーベリーの大福を2個ずつ買って、戦利品にしよう。

 上2枚は五条川の桜並木。
 下は群がる鯉。



(2018年3月31日) 娯しさ一杯の大須

 れから、名古屋市営地下鉄鶴舞線直通の名鉄で、大須観音へ向かったが、先述の通りイベントを開催しているので、とても賑やかだった。地元大須からメジャーデビューを果たしたOS☆Uのライブや、各々の店が無茶な売り物や売り方で客を惹き寄せるイベントが面白かった。
 まずは、熱気溢れるOS☆Uのライブを見て、大須観音でお神籖を引いた。中吉だった。久しぶりの大須から歓迎された気分だ。OS☆Uの歌声もいい具合に熱気を帯びているし。ライブが終わったら、境内にあるしだれ桜を撮った。此処大須には、桜はそんなに多くは無さそうだな。
 店街に入っていくと、至る所で、無茶な売り物や売り方で客を惹き寄せるイベントに参加していた。一番面白かったのは、税込み10800円の模造刀を、近くにある交番で振り回したら、10000円引きという逮捕覚悟の売り物だった。その他にも、開店15年経っているお好み焼き屋が、その知識を伝授するものだったり、ジャンクメモリの掴み取りを開催しているパソコンショップだったりして、結構無茶な方法が満載のイベントだった。東京でも、このようなイベントは考えられないだろう。
 やはり、大須は面白い。昨今、栄の経済沈下が謳われ、老舗百貨店も閉店するというニュースが入っている。昔は、栄が中心で、大須は時代に取り残された寂れた街並みだったが、今は逆転現象が起きている。都市の栄枯盛衰は判らないものだ。
 の後、行き付けの英国風メイドカフェに立ち寄り、川越土産を手渡した。東京に行きたがるメイドは多いけど、玉石混淆の物が溢れ、善悪の区別が曖昧で、誘惑が多過ぎる東京都心とは全く違う小江戸川越を、これを以て少し知って貰うと光栄だな。
 それにしても、英国風メイドカフェは結構落ち着くな。よくある「萌え萌えキュン」みたいな明るさが際立っていて、落ち着かせてくれないメイドカフェは好きではない。仮に、こういう店が小江戸川越に出店するとなると、私は元住民を代表して、真っ向から反対する。今いる英国風メイドカフェは、落ち着くから許容範囲だろう(私の見解)。

 写真は大須観音境内にある枝垂れ桜。



(2018年3月31日) きしめんと黄色い満月

 路の新幹線ホームで、新幹線を待っていたら、空腹に見舞われた。そこで、ホームにあるきしめんスタンドに入ったのだが、やはり、時間を稼ぐ新幹線は時間に追われているという副作用の所為なのか、急ぎ目に啜ったのがチョンボだった。在来線のきしめんスタンドならば、ノンビリ啜れるのだが、此処はコンコースの売店に入って、駅弁を買うべきだったな。旅慣れた旅人の思わぬチョンボだ。旅は時間に追われた時点で、旅ではなくなるからだ。お許しを請いたい。
 そんなチョンボを抱えて、帰路の新幹線に乗った。時刻は18時30分。夜の帳が降りる頃だ。
 と、夜景を見ると、満月が見えてきた。しかも、黄色い満月だ。どこか縁起がいい気がするな。黄色い満月に見送られて帰路に就くなんて。しかも、明日は4月だ。至る所で出発点を迎える月だ。願わくば、この痩身にもあの黄色い満月の如く、円満な日々を過ごさせてくれ給え。

 帰路送る黄色い満月新幹線明日から出逢いの卯月めでたや





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