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春の彼岸。
暖かい陽気に囲まれて、武蔵小金井駅に降り立った。昔は地上駅で一軒家みたいな駅舎は風情があって、近くにある踏切は「開かずの踏切」と揶揄されたが、高架化によってその汚名は返上された。しかし、踏切のあった場所の高架下に入ると、高架駅を支えている鉄骨の威圧感に圧倒される。余り、気分のよくない場所だ。
春の彼岸明けの3月24日。これが平成最後の墓参りとなる。
多磨霊園に近付くに連れて、車の量が多くなり、霊園の両脇には、「おはぎ」と書かれた紙が堂々と貼られて、客を呼んでいた。あれ、「ぼたもち」じゃなかったのか? ぼたもちもおはぎも似たような食べ物だから、混同している人が多いが、正式には春の彼岸は「ぼたもち」、秋の彼岸は「おはぎ」である。全く、違った知識を植え付けてどうする?
多磨霊園に入ると、日曜日と陽気が重なって、多くの墓参りがいた。子供が成長した家族連れもいて、今日まで墓参りの記憶を刻んでいた。
周辺の木々を見ると、まだ芽吹いていない感じで、冬の光景が続いていた。しかし、墓前に華やかな供花を供えると、一瞬にしてその墓に春の到来を告げるのだ。
芽吹いていない桜並木を歩きながら、ふと考えた。私も幼少期に、親戚と一緒にこの時期に墓参りに来たのかな? 墓参りの記憶は残っているが、流石に時期までは覚えていない。唯一の証人と言える老松も、既に切り株になっているから。責めて、私が結婚する時まで、持って欲しかったな……。
その途中で、白いたんぽぽを見付けた。黄色いたんぽぽを見慣れているので、余計珍しく感じ、此処でデジタルカメラを取り出して、1枚撮った。
また、早咲きの桜も見付けた。咲き具合は5分も行っていないが、芽吹いていない桜並木を通ったので、余計咲いている桜の存在が嬉しかった。就労移行支援事業での仕事も何とか持っているので、何かの祝福なのかな? 昨年は余りにも酷かったから、今年は是非とも「復興の年」にしたいな。
写真は多磨霊園で見付けた白いたんぽぽ。 |
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(2019年3月24日) 供物のキャラメルとチョコレート |
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線香に火を付けて、墓に向かった。墓の掃除を済ませ供花を手向けて、途中で買ってきたキャラメルとチョコレートを墓前に供えた。他の墓にはぼたもち(霊園の前にはおはぎと出ていたが、春の彼岸はぼたもちなので、ぼたもちで統一させて頂く)等を供えているが、どうも私は一般大衆と同じことをしたくないのだ。別に春の彼岸に手向けるものはぼたもちではなくてもいいじゃないか。父方の祖母は、平成7年2月に没したので、大正生まれ。この時期を重ねてみると、キャラメルもチョコレートも貴重品だった。特に戦後間もない時期は、この上ない宝物。だから、墓に手向けるには何ら文句は無いだろう。特に、戦時中や戦後まもなく亡くなった人に対して、最高の供物と言えるだろう。「ギブ・ミー・チョコレート」に応えるアメリカ兵ではないが。
買ったのは、父方の祖母の分だけど、これを多磨霊園に眠るその方に手向けて欲しい。ぼたもちよりチョコレートの方が、喜ぶだろう……。 |
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さて、川越に行くか……。丁度、この時期になると、枝垂れ桜が咲いているから、見に行きたいのだ。
何時も通り、枯れた供花を指定場所に捨てると、何時も通っている道に人集りがあった。
何かと見てみると、何と枝垂れ桜が咲いていたのだ。これは、気付かなかったなぁ。不意を突かれてしまい、枝垂れ桜に近付いた。墓参りに来た人達へのご褒美なのかな。なかなかの咲き具合だ。いいなぁ……。その周辺の枝垂れ桜も咲いていた。この辺に墓があるなんていいなぁ。純粋に春が感じられるのだからな。供花でも告げられるが、やはり、桜には敵わないな……。責めて、あの老松があった場所に、桜を植えてくれないかな。私が結婚した時には、いい具合に生長して、いい咲き具合を見せてくれるだろう……。でも、老松の隣は、風雨にさらされて土埃が被っている小さな墓石がある誰のか判らない墓があるから、私の一存では決められない。私の幼少時もこんな状態だったので、親類縁者は忘れているのか、断絶しているのか判らない。
写真は多磨霊園で偶然見付けた枝垂れ桜。 |
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(2019年3月24日) 小江戸川越で寄付した記念硬貨 |
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国分寺経由で本川越に到着した。
駅構内には、twitterで使う「#川越」と大きく出ているポスターが掲載されていて、此処小江戸川越が観光地として認知されて、嬉しさが込み上げた。小江戸川越の光景が色々撮られている中央に、JR、西武鉄道、東武鉄道のロゴがあった。ふと、『三国志』を彷彿させてくれる。此処川越は3会社3路線が集結している交通の要衝だが、小江戸川越を宣伝する熱は東京以上だ。パンダで客寄せを図っている上野動物園より魅力的だね。どうだろう、小江戸川越を舞台にした『川越三国志』を出版したら、売れそうな気がする。
西武鉄道は小江戸川越の宣伝に秩父同様、力を入れている路線だ。改札を抜けると、デパートがあるが、その右側に観光案内所があり、多くのパンフレットを用意している。しかも、蔵造りの街並みに近いということもあり、僅か4畳半程度の広さの観光案内所が忙しかった。
平成不況の中でも、観光客は右肩上がりに伸び、年間観光客700万人を超えたが、まだ鎌倉の3000万人に程遠い。目標は1000万人がいいだろう。まぁ、私が結婚する時には達成しているだろう。
だけど、最近はマナー違反の観光客がいて「観光公害」を引き起こしていると聞いている。此処川越も、本川越駅から連雀町までの道路を拡張したり、川越駅に繋がる商店街クレアモールを歩行者天国にしたりと対策を練ってはいるが、観光地と住宅地は背中合わせなので、最低限のマナーを弁えて観光して貰いたい。
駅を出て、バス乗り場に向かうと、駅前広場で露店が開かれていた。よく見ると、知的障害者が作ったパンや菓子が売られていた。障害者でもいい商品が作れるし、その代わりに非凡な才能を持ち、その才能を披露して、健常者の度肝を抜いたりしているのだ。この平成年間、障害者に対する人権や理解度は向上したが、今でも障害者に対する偏見は残ったままだ。
定期券を見ると、天皇御在位30年記念500円硬貨が出てきた。外側は淡い金色で、中は銀色のクラッド貨だ。発売日が丁度休みの日だったので、多めに手に入れたのだ。これも何かの縁だ。その施設の募金箱に、その500円記念硬貨を寄付することにした。
「天皇御在位30年記念500円硬貨ですが、ご活用下さい。」私はその記念硬貨を見せて、募金箱に入れた。職員と障害者が嬉しそうに礼をした。木の乾いた音が響いた。昼は過ぎているのに、そんなに集まっていないのかな? でも、底に落ちた500円が、何らかの活動に使われたり、使わずにそのまま飾ったりしてもいい。 |
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(2019年3月24日) 四十路の独身貴族の昼餉とお子様ランチ |
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ちょっとした善根を施して、バスに乗った。向かうのは郊外にあるレストラン。このレストランは面白い所に建てられていて、近くにある国道254号線が、川越市街と川越市郊外の境を成しているのだ。実際見てみると、その甚だしさに驚く。バス停がある所は、田畑が続く郊外で、後ろの国道を越えると、住宅地が犇めいている。何とも、面白い絵だが、観光都市川越から見れば、此処で観光地は終わりという標識に見える。
レストランに入って、窓側の席を案内された。丁度、ランチタイムだったので、お得なライスと味噌汁付きのハンバーグランチセットを注文した。肉質が良いボリューム満点のハンバーグとライスと味噌汁付きで、2000円でお釣りが来る。わざわざ高いものを注文しなくても、十分に贅沢が出来る。とはいっても、就労移行支援事業での賃金では、これが精一杯だから。レギュラーメニューを見ると、霜降りステーキ270グラムが6500円と出ていた。しかも、帰省の折に川越に来た時だ。思えば、こんな贅沢な物を頂いていたのだ。責めて、1回でもいいから、もう1回頂きたい物だ……。でも、復興の途中で無駄な散財は避けたい所なので、難しい話だ。食前の珈琲を啜った。苦みだけが妙に利いた。
窓越しから見える国道254号線は絶え間なく、車の往来があった。見た所、運送関係のトラックが多くを占めていた。ウ~ム、此処で食事を摂ることは、到着時間等に縛られているドライバーには、余り縁が無さそうな気がする。あるとすれば、自分へのご褒美といった所だろうが、その日が何時なのか判らないのがもどかしい。
このレストランは、幼少時によく来た。此処の川越店では、大晦日に来た記憶がある。街中にある値段で勝負するファミレスとは違って、専用の牧場を持ち、品質重視のワンランク上のレストランである。値段もそこそこ張るので、中高生がおいそれと行ける場所ではない。単独で行くには、少し年を取らないとダメ、というのは生意気かな。2口目の珈琲を啜って苦笑した。
墓参りの後に、所沢にある此処と同じ系列のレストランで食事を摂って、親戚の家で遊んだものだ。ただ、14階建てのマンションの最上階で、そこからの景色に非常に怖い思いをしたことはよく憶えている。
3口目の珈琲を啜っていると、後ろから子供の声が降ってきた。「お子様ランチ」の台詞が、私の痩身に刺さった。
お子様ランチか……。子供にとっては、ご馳走そのものだよな。でも、私には殆ど縁が無かったな。1回頂いたきりで、その後はレギュラーメニューを頂いたな。考えてみれば、随分ませた子供だったな。何で、お子様ランチに縁が無かったのだろう……。お子様ランチの中身が気に入らなかったのか、「お子様」という表現に反感を覚えていたのか。
止めよう。今は難しい話をしている時間ではない。ハンバーグランチセットが届いたので、食事に没頭するか。
食事中でも、子供の声が飛んできて、何とも賑やかな食事に、思わず手が止まった。
もう、四十路の独身貴族だ。若いと言える範疇や結婚できる年齢が、ドンドン狭まっていく。私の親友も結婚したし、その親友とメールを交わしているが、「結婚は焦ってはダメだ」とアドバイスしている。しかも、世の中は経済力が男の価値を決めていると聞く。婚活パーティーでは必ず年収を書かれるし、これで、身分が決められたと言ってもいいだろう。まず私のような就労移行支援事業で働く男では見向きもされないだろう。もう暫く、独身貴族を謳歌していくか……。冷め掛かった珈琲が、妙に渋かった。
嗚呼、ダメだ。気分が滅入りそうになりそうだ。珈琲をもう1杯頼むか。バスの時間までまだあるし。
お代わりの珈琲を啜って、テーブルに凭れて指を組んだ。左手の薬指が妙に痩せ細って見えたし、血色も悪かった。「独身貴族」は「貴族」が入っているから響きはいいが、中身は結婚できない悔しさや焦りが詰まっている。この指が温かくなり、いい太さになるのは何時のことになるのやら……。
私は左手の薬指を気にしながら、私は珈琲を一気に呷った。今までにない強烈な苦さが口中を走った。これは独身貴族の味なのか?
写真は注文したハンバーグセット(イメージ)。 |
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バスで喜多院入口まで戻った。バスの表記は「Kitain-Iriguchi」だった。「Kitain-temple Ent.」の方がいいよ(「Ent.」は「Entrance」の略称)。闇雲に時代に迎合せず、観光地ズレしていない小江戸川越らしいが、理解できる外国人観光客はいるのかな?
交差点を渡って、路地に入った。住宅地に入った。
この住宅地の一角に、枝垂れ桜や紅葉が有名な中院がある。こんな住宅地に観光地があるとは。不思議に思うが、住宅地に滑り込んで観光するのだ。節度を守って観光して欲しい。
暦を見ると、丁度枝垂れ桜が咲いている時期と合っているから、上手く行けば満開の枝垂れ桜に出会える。今日は天気がいいし……。
と、思っていると、遠くから咲いている枝垂れ桜が見え始めた。間違いない! 満開だ! ハンバーグランチセットを頼んだ甲斐があったな!
中院の門を覗くと、十数人の観光客が写真を撮っていた。いよいよ、満開は確信に変わってきた。
そして、門を潜ると、右側に満開の枝垂れ桜が待っていた。私の踵が止まった。
……綺麗だ。昨年は療養に費やして、就労移行支援事業の仕事が始まったから、その感動は一入だった。一歩ずつだが、復興に向けて進んでいる。その応援の為に満開になって、出迎えていたのか! とにかく、嬉しかった。
そして、下の枯山水がいい絵を成している。これに枝垂れ桜を加えると、何かの光景に見える。ロールシャッハテストだ。さぁ、何を連想する?
私の答えは、「滝とせせらぎ」だ。枝垂れ桜が滝で、枯山水がせせらぎという設定だ。
その滝の真下に入ると、満開の枝垂れ桜の滝が一気に私に降り注いでくる。朝晩は冷えるが、こうやって桜の滝を浴びると、春はもう間近に迫っていることが素直に認められる。ふと、遠い視線を送ってしまいそうだ。
この枝垂れ桜も冬の寒さで栄養を蓄えて、こうやって満開になったのだから、私でも出来るはずだ。半年以上の療養したから、心身のバランスは今の所は整っている。後は、この状態を持続させて、積み重なった課題を片付けるだけだ。クレジットのリボ払いが残っているが、何ら問題が無ければ、今秋には払い終わって、買ったパソコンが完全に私のものになるのだ。
しかし、シャッターが止まらない。枝垂れ桜のいいショットを狙って、すかさずシャッターを切る。周りが撮っているから、負けたくないのだ。一眼レフカメラで狙いを定めて撮っている人がいるし、こちらも高性能のデジタルカメラを持っているから尚更だ。
写真は中院の枝垂れ桜。手前の枯山水と合わせると、「滝とせせらぎ」に見えるはず(?)。
枝垂れ桜のシャワーが春の訪れを実感させる。 |
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廃仏毀釈の犠牲になった南院の遺構を撮って、喜多院へ向かった。途中に日本三大東照宮の一つ仙波東照宮を過ぎるが、この辺も住宅地で土産物屋はない。住宅地からいきなり観光地になる、気分の切り替えが難しい所だ。観光地と住宅地は背中合わせなのだ。
目の前に神社が見えて、右に曲がる道に着くと、左手に喜多院が待っている。その曲がり角の真ん中に神社があるが、東京赤坂にある日枝神社の本殿だ。川越にゆかりのある太田道灌が、此処から赤坂に分祀したのが始まりだ。「川越は江戸の母」というが、その証拠が至る所に見られる。そして、江戸(東京)で見られなくなった物が、小江戸川越でしっかり脈絡を保ち続けている。ユネスコ文化遺産に登録された川越まつりも、これから向かう喜多院もその遺産が詰まっているのだ。東京で見られなくなった物が、小江戸川越では極普通に見られる、観光客が増え続けている要因は此処にもありそうだ。
喜多院は小江戸川越観光ではメジャーな寺院で、境内は広く、桜や菊の時期には、多くの人で賑わう。また、喜多院には、「家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」が移築されている。更に、五百羅漢も有名で、自分に似ている羅漢像を見付けたら幸せが訪れるそうである。1回それに挑戦したが、なかなか見付からず、数多い羅漢像に圧倒された。よくも明治の廃仏毀釈にも戦災にも遭わなかったな。先述の南院だけが破壊されて、空襲も殆ど遭わなかった小江戸川越。物凄い幸運に恵まれたものだ。「家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」もそうだ。東京にあったら、昭和20年3月の東京大空襲に遭って、灰燼に帰していただろう。
それはともかく、境内には多くの観光客がいて、移築された「家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」、五百羅漢を見ていたりしていた。そして、脇の茶店では、駄菓子やおでんが売られていて、ショーケースには鄙びた土産物が並んでいた。丁度此処に、屋根を突き破っている桜があるが、まだ一輪も咲いていなかった。しかし、此処には中院同様枝垂れ桜がある。丁度、「家光公誕生の間」の入口にある。
その枝垂れ桜を見に来た観光客を狙って、露店が結構軒を並べていた。捌けは多少あったが、本番は境内の桜が満開になる時期だろう。近くには、ブルーシートが敷かれていて、桜の時期になると、此処にござを敷いて、花見をする人で何時もの倍以上に賑わうだろうな。
こうなれば、露店はいい稼ぎ時だ。大抵私が来る時は、何軒か露店があるが、桜の時期や川越まつりとなると、彼らの意気込みは並大抵の物ではない。昨年の渋谷のハロウィンは、参加者が暴徒化する虞で、地元は戦々恐々していたが、観光客が増え続けている小江戸川越では、体力の許す限りジャンジャン稼ごうではないか。そんな鼻息が聞こえてきそうだ。
さて、その枝垂れ桜だが、いい具合に咲いていた。多くの観光客がシャッターを切っていた。この中に中院の枝垂れ桜を見た人もいるだろう。
待ちに待っていた春の訪れ。その嬉しさを写真に収める。しかし、撮る時間が長いこと! 五百羅漢や「家光公誕生の間」より、枝垂れ桜なのかな……。
此処で、もう一度、ロールシャッハテスト。この枝垂れ桜を見て、何か連想する物は?
私の答えは、「羽を広げた恐竜のプテラノドン」だ。ほら、左右に広がっているのが羽で、上に飛び出ているのが頭だ。結構特徴的な枝垂れ桜だ。
そして、その枝垂れ桜の下に来て、桜の滝を浴びて、家路に就いた。
写真は喜多院の枝垂れ桜。「羽を広げた恐竜のプテラノドン」に見えるはず(?)。
枝垂れ桜と多宝塔。そして、枝垂れ桜のシャワー。 |
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