|
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。
何時もより、電車の走行音が自棄に響く。そして、涼しい風が空調が入っている車内に、ひっきりなしに外気が入ってくる。
窓が開いているからだ。
今冬に世界中で大流行したコロナウィルス対策の為だ。最初はアタフタオタオタしていたのだが、此処に来てから少々終息し、対策云々も練られている。
今日は6月20日。19日の深夜に移動制限が解除されたが、羽目を外す程、日本人は馬鹿ではない。3密空間(密集・密接・密閉)の電車で移動しているから、予防には人一倍、気を遣っているのだ。志村けんさん、岡江久美子さん等、多くの著名人が物故したので、他人事ではないと感じているのだ。
6月20日。梅雨の真っ只中だが、貴重な梅雨晴れに当たった。週間予報は季節の変わり目で、コロコロ変わって遠出する気を削いでしまう。でも、晴れ間が見えるのは夕方までなので、それまでに久し振りに日帰り旅を娯しみたい。
3密が似合う新宿に到着。何時も、工事云々で落ち着きを見せてくれない新宿駅だが、私は慣れた踵で、JR中央本線ホームへ向かった。まだ、移動制限解除が出ても、コロナウィルスを警戒してなのか、そんなに混雑はしていなかった。
中央線で神田に向かって、神田から上野へ向かった。
御徒町を発つと、車窓からよく会社帰りに立ち寄っていた上野アメ横が見えてきた。よく此処で買い物をしたし、何時も残業ばかりの工場で働いていた時は、よく行く場所でありながら、何度も行きたいと思っていた。摩利支天を祀っている日蓮宗の寺も行ったし、ハロプロのオフィシャルショップに立ち寄って、生写真を買ったな。しかし、年齢に因る嗜好の変化で、徐々に足は遠退き、最後に立ち寄った時は、何時だったかな? 中国人観光客が右往左往し、混雑に一層拍車が掛かったので、それが嫌で足が遠退いたのだ。
上野での思ひ出を脳裏に巡らせながら、不忍(しのばず)口改札を出て、右にある京成上野駅に入った。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 憧れ(?)の博物館動物園駅 |
|
|
各駅停車の京成津田沼行きに乗った。発車はすぐだった。
ガタンゴトン、ガタンゴトン……。此処も窓を開けているから走行音が、車内に響いた。おまけに京成上野駅は地下駅だから、走行音が自棄に響く。乗客はイライラしていそうだが、私が乗っている車両には、私一人だけ。地方のローカル線なのかな? 大都会東京で滅多に味わえない体験。前後を見ても、乗客は僅か。
私は、開いている窓に陣取って、デジタルカメラを取り出した。
京成上野と日暮里の間にあった博物館動物園駅のホームを撮りたいのだ。駅舎や存在の珍しさから、冬の一部時期に一般公開されているが、その時期とコロナウィルス流行と重なってしまいお流れ。仕方がないから、デジタルカメラの動画撮影で、上手く撮れないかなと狙っているのだ。
事前に動画撮影モードにして、ジッと待つ。
来ないな……。
結構、バッテリーを使うから、早い所来て欲しい所だ。そんな焦りを約45秒間抑えた。
すると、走行音が少し変わった。もうすぐなのか? 緊張が走る。車内で何回撮っても、失敗ばかりだからな。貴重な梅雨晴れを得て、旅しているからな。巧く撮らせてくれよ。
私の眼前に汚れた黄色い壁が現れた。そして、狭い空間と無造作に点っている蛍光灯に照らされた構内が出てきた。
間違いない。駅名標は撤去されているが、博物館動物園駅だ!
通過後、出来映えを確認した。クッキリとは映っていないが、汚れた黄色い壁に、蛍光灯に照らされた構内が確認できた。6〜7割成功といった所かな?
この博物館動物園駅はその通り、国立博物館と上野動物園の最寄り駅として造られたが、ホームが4両分の長さしかなく、各駅停車しか停車しなかった。更に、上野動物園からやや離れているので、最寄り駅として機能しなかったので、1997年から休止になって、2004年に正式に廃止された。
狭い遊歩道しかなく、背の高い防波堤が威圧的に立っている隅田川、広い土手が広がっている荒川を渡ると、直に堀切菖蒲園に着く。
菖蒲の時期だから、立ち寄った。しかし、事前の調査では、下りの5〜6分と出ていたので、立ち寄るのはこの日しかない。 |
|
|
|
|
堀切菖蒲園駅は、商店街の一角にあり、臨海副都心の如くタワーマンションが一般大衆を蔑視している光景はない。
さて、此処から堀切菖蒲園に向かうのだが、ルートが2つあるのだ。商店街ルートと咲いている紫陽花を娯しむルートがある。紫陽花好きの私は、躊躇いなく後者を選んだ。丁度時期だから、良い紫陽花が咲いているだろう……。
とは言っても、いきなり紫陽花が出迎えている訳ではなく、堀切十二支神としょうぶ七福神が途中で出迎えてくれた。縁起が良いな。身内もコロナウィルスに罹っていないし、就労移行支援事業の通所も巧く行っているし、未来の花嫁も近い内に……、とは高望みだが、此処が東京とは思えない程、空が広く見えるのだ。都下の八王子の住宅街もそうだな。何処か都会の中の閑静な場所で、喧噪とは無縁な所……。そんな感じだな。
先ず、東京に憧れている地方の若者は、こんなものには目もくれないだろう。地元を「つまらない場所」と一言で忌避し、歌舞伎町や渋谷の華美な街並みに現を抜かし、気が付いたら天災や身内からの勘当、ホームレスに零落れてしまい、故郷に帰れなくなったと言うこともあるからな。仮に、そうなったとしたら、一言地元に「ゴメンナサイ」と謝るべきであろう。身内に知られることなく、生涯を閉じてしまうのは、最悪の親不孝だと言っていたからな。
上・中は堀切菖蒲園に向かう途中で見付けた堀切十二支神としょうぶ七福神。
下は堀切の住宅街。此処も東京なのだ。 |
|
|
|
|
それはさておき、紫陽花が咲いているルートを歩くと、眼前に紫陽花が咲いている小道に出た。右には桃色の紫陽花が、左には碧い萼紫陽花が出迎えてくれた。
これだよ! 満開の紫陽花が出迎えてくれる。外出自粛要請で溜まっていた鬱憤が一気に晴れた感じだよ。
朝露を求む紫陽花赤と青
赤、青、紫、萼紫陽花、星を鏤(ちりば)めたような新品種の紫陽花が、両脇を彩ってくれる。地元の人は、「紫陽花が咲いている時期だな」と思うが、余所者にとっては、堀切菖蒲園に向かう人達への一服の清涼剤を贈られた気分だ。昨日は雨が降っていて、朝露に濡れた紫陽花は良いショットになるからと期待していたが、この陽気で朝露は蒸発してしまったらしく、お気に入りの紫陽花を探すことにした。
青や紫の紫陽花は、濃淡がハッキリしているから、なかなかお気に入りが見付かり難い。私のお気に入りは、青が濃い紫陽花なのだが、なかなか見付からない。あったとしても、濃さが足りず「もう一声」と声を掛けたい色ばかり。でも、いい咲き具合だから、撮ってしまう。
綺麗な紫陽花が続くが、花言葉は余りよくない。
その青さから「冷淡」、「冷酷」、また咲き始めから満開になるまで色が異なっていく為、「移り気」とある。でも、嬉しいことに満開の時期が長いことから「辛抱強さ」という花言葉もある。また、どんな土壌でも咲いてしまうというからもある。私が結婚できるまでの辛抱強さも、この紫陽花からあやかりたいな。
……と思い、小道の最後まで来たら、碧い萼紫陽花が多く咲いていた。角度を変えると、萼紫陽花の雪崩に見える。いい絵になりそうだ。
そして、小道を抜けて、荒川の近くに来た。背の高い防波堤とその上の高架になっている首都高速が威圧的だが、視線を左に移すと、目的の堀切菖蒲園が見えてきた。
人の入りは下りの5〜6分だから混雑してなく、上手くソーシャルディスタンスが取れそうだ。
再度、マスクにハッカオイルを吹き掛けて、入口脇にあるエタノールで手を消毒して中に入った。
下りの5〜6分なので、どうなのかな?
写真は小道で見付けた紫陽花の数々。 |
|
|
|
|
荒川の堤防の上にある首都高速の高架橋と、周辺の2階建てがメインの住宅地とのギャップの狭間に、堀切菖蒲園がある。
下りの5〜6分で、行ける時期は今日しかない。
菖蒲園全体を見回すと、事前の調査通り満開ではないが、至る所で咲いていて、まだ間に合った印象だ。よかった!
堀切や散り際惜しむ下り五分
まずは、薄紫色と紫の筋が入った花菖蒲とご対面。
この時期になると、菖蒲(あやめ)も杜若(かきつばた)も終わって、花弁の中央が黄色の花菖蒲がメインになる。その黄色の補色になる青系の花菖蒲が多かった。青といっても、紫、赤紫、青紫、紺碧、薄紫と色々あるから、青系の色が好きな私は、7年前に買ったデジタルカメラのバッテリーを総動員し、お気に入りの花菖蒲を探した。そのデジタルカメラも黒に近い青。
花菖蒲には、それぞれ品種があって、よく見ると「霞の奥」、「都の巽」等、何だか花魁か大奥の女性の名前を彷彿させる。高嶺の花という感じだな。でも、下り5〜6分ながら、私が来るまで咲いて待ってくれたことに感謝したい。コロナウィルスの影響がなければ、満開の時期に来られたかも知れないが、混雑していて、前へ倣えの如くゾロゾロ歩きながらの観賞は嫌なので、今が適切なのかも。
この堀切菖蒲園は、菖蒲に似た品種鳶尾(いちはつ)や蓮等が植えられていて、一年中娯しめるが、来訪者の殆どは、僅かに咲いている蓮や黄色い百合には、殆ど目もくれず、咲いている花菖蒲ばかり愛でていた。移動制限解除で、大いに羽を伸ばしたい気力を発散させたい気持ちは判るが、余力があればこの黄色い百合にも気を留めて欲しい。
花菖蒲陰に黄色い百合の花愛でる気あらば百合をも愛でよ
デジタルカメラのシャッターが次々と切られるが、「これ」といった一枚は見付からないな。腕の善し悪しは別として、綺麗な花菖蒲があると言うことを証明するには、決め手に欠ける。はて、どうしようか……。
上の3枚は、下り5〜6分でも咲いていた花菖蒲(一部)。
下は脇に咲いていた黄色い百合。 |
|
|
|
|
梅雨晴れの暑さがジワジワときたので、木造の四阿で一服。木の色を見ると薄い黄土色で真新しさが残っている。
此処にもソーシャルディスタンスが設けられていて、必ずしも安全な状況ではないことを知らしめている感じだった。花菖蒲で得た夢心地を毀しかねないが、世界中で蔓延し死者も出ているから、軽率には扱えない。何時になったら、本当の移動制限解除になることやら……。
シャリシャリと爽やかな音でスイカ食む名残を惜しむ花菖蒲かな
近くの自販機で、アイスミルクティーを買って一服。ミルクティーの冷たい感触が咽喉や痩身を貫通した。梅雨晴れの暑さも相俟って、心地よい冷たさを再び求めて、もう一口啜る。
この木材は、何処から調達したのだろう……。拝金主義の東京だから、輸入物かと疑いたくなるが、東京には自然豊かな奥多摩があり、そこから伐採したものだろうな。
ミルクティーを啜りながら、四阿を見渡すと、戦前にあった菖蒲園の絵はがきの写真が飾られていて、かつての殷賑を伝えていた。菖蒲園も江戸時代から始まった公園で、浮世絵にも描かれているのだ。
近隣の農民や幕府の高官等が、品種改良を進め、多くの種類を生み出した花菖蒲。しかし、太平洋戦争で菖蒲園は、食糧を確保する農地に転換された。この時代ならば、花菖蒲より蔬菜類だろう。啜ったミルクティーの冷たさがまた貫通した。
そして、戦後になって復活した菖蒲園は、此処堀切菖蒲園のみ。昭和35年に東京都が土地を買収して、昭和50年に開園したという意外と若い公園だ。
……あれ、昭和52年公開の『男はつらいよ 寅次郎と殿様』で、大洲でのマドンナとの会話で、「堀切菖蒲園」が出ているが、僅か2年で有名になるのかな? その頃は、あの夢の島公園も開園していないから、緑が消えてコンクリートのビルが乱立していた東京にとって、堀切菖蒲園の存在は、一際珍しかったのだろう。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 紫陽花との逢瀬は短く儚く |
|
|
紫陽花と逢瀬の梅雨晴れ花菖蒲
ミルクティーを干して、再び歩き始めた。
此処堀切菖蒲園でも、紫陽花が咲いていた。丁度、花菖蒲の正反対の所に、萼紫陽花が咲いていた。萼紫陽花と花菖蒲の逢瀬といった所かな?
萼紫陽花は枯れた色が出ていなくて、まだ見られるが、下り5〜6分の花菖蒲。逢瀬が出来る時は、段々短くなっている。
咲く時期が長い紫陽花は、色々な花との逢瀬が出来るから、ふと男女の恋愛を彷彿させてくれる。躑躅との逢瀬の次は菖蒲・杜若・花菖蒲。ちょっと気の早い朝顔が、紫陽花や花菖蒲と同じ紫色で、ご機嫌を伺っているが、結ばれることはない。季節が許してくれないのだ。陽春に咲いた躑躅は、梅雨に打たれて花ごと散っていき、花菖蒲も梅雨に耐えながらも花弁を一枚ずつ散らしていく。それを無言で見つめる紫陽花。「冷淡」、「冷酷」の花言葉は、此処からも来ている感じだ。紫陽花好きの私は、女性に対して割と冷淡なのかな?
萼紫陽花と花菖蒲の逢瀬を見つめていたら、「古稀の色」という品種を見付けた。古稀というのは70歳のことだが、私にはふと3月29日の深夜に物故した日本を代表し、海外でも高評価を得ていた唯一不二のコメディアン志村けんさんを彷彿させてしまった。彼の物故に落胆したのか、その花菖蒲は萎びていて、哀れだった。
上は堀切菖蒲園で見付けた萼紫陽花。
下は「古稀の色」という品種の花菖蒲。 |
|
|
|
|
多くの花菖蒲を撮って、堀切菖蒲園を出た。もう一回、入口脇のエタノールで消毒して、駅に戻った。消毒できる時は、しておかなくては。
微かな土地勘を駆使して、駅前に戻った。確か、駅は商店街の一角にあったし、建物の上を見れば、スーパーの看板が掲げられていることが多いので、目印になる。
途中で、行きで見た堀切十二支神を見付けた。此処まで来れば、こっちのものだ! 後は、通った道をまた通れば、駅に辿り着けるのだから。
時計を見たら、11時を過ぎていた。ちょっと早いが昼餉でも摂るか。
此処で、昨年9月に立ち寄ったラーメン屋に向かった。ラーメン屋と隣接している道の広さ等周辺の状況は把握しているので、その場に出ればすぐに見付けられる。これ、特技と言っていいのかな?
程良いしょっぱさが癖になる塩チャーシュー麺を啜って、駅に向かった。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 高砂駅で見付けた昭和時代の遺産 |
|
|
高架駅なのに、駅周辺は下町らしい小さな商店が並んでいる青砥を過ぎ、中川と新金貨物線を越えると、3路線に分岐する高砂駅に着く。
この高砂駅は地上駅だが、目的地の柴又へ向かうには、一旦改札を抜けて、金町線専用改札を抜けるという、完全分離の乗り換え。上野発着の京成線には、柴又帝釈天の広告があるというのに、路線では完全分離。しかも、乗り換えは30分以内にしないと、余計に料金を徴収されるから、たまったものではない。
僅か2駅の金町線に乗った。
梅雨晴れ。ムシムシした暑さではなく、多少動けば暑さが来る何処か心地よい暑さ。何処か懐かしさがあるな。クーラーが貴重品で、扇風機を回していた幼少時が懐かしい……。
幼少時の断片の邂逅に浸っていると、電車の天井に設置してある扇風機の風が当たった。車内は冷房が入っているが、扇風機も稼働している。都心では全く見られなくなったし、地方もステンレス製の列車を導入しているから、扇風機がある電車なんか、昭和時代の遺産になりつつある。
昭和時代の遺産は、平成時代でも続いていることがあるが、生活スタイルの変遷によって、次々と邪魔者扱いされて、廃棄されるのが大半だ。何気ない景色も、数年後には過去のものになることだってある。この扇風機は、仕様を見れば昭和時代の製作だが、35年経っても現役バリバリの姿に思わず敬服してしまう。
令和の世微かに残りし昭和かな電車の中の扇風機かな
扇風機の動画を撮るがてら、風に当たりながらふと思う。
かつてのポップアイドルが結婚して、子供を設けて母親になっているが、私だって四十路の前半だ。結婚できる資格があるし、可能性はあるのだ。待ってくれよ、未来の花嫁よ! その前に、就労に向けて心身を整えて、鬱病を沈静化させることが先決だな……。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 昭和の薫りに憧れる令和時代 |
|
|
立ちんぼが少々いる状態で、高砂を発った。
見てみると、金町に用があるとは思えない。昭和の薫りが色濃く残る柴又に用がありそうだ。都心が何処も彼処も似たり寄ったりの街並みでは、つまらないだろう。近くの青砥や立石も、「東京五輪」という大義名分で再開発されて、昭和の薫りが消え掛けていると聞くが、柴又はそのまま昭和の薫りを保ちつつ、平成、令和と続いているのだ。
そして、柴又到着。私の予想通り、大半の乗客が降りていった。私が生きていた昭和時代は10年近くだが、昭和時代を知らない平成世代もいた。それでも降りて、一様に帝釈天参道に向かうとは……。「寅さんの故郷」、「重要文化的景観」の他に、何かを惹き付けるものがあるのだろう。平成世代には珍しく、昭和世代には懐かしい空間が同居している小江戸川越に似た世界が広がっているのか?
東京の昭和求めし梅雨晴れの葛飾柴又宝箱かな
遠離る昭和求むる柴又の拾える面影あな貴重なり
写真は柴又駅構内と駅舎。何処か、気分がホッとする。 |
|
|
|
(2020年6月20日) おりつの悲しみが籠もった地蔵 |
|
|
柴又駅の駅前は、映画で見た小さな店は無くなっていて、綺麗に整地されていた。それでも、寅さんの銅像と妹さくらの銅像が、来訪者を出迎えてくれる。
そして、もう一人の女の子が、地蔵で迎えてくれる。右脇にある「おりつ地蔵」だ。
最近の児童虐待は、長い平成不況が招いた心の貧しさ等で、陰湿たるものだが、昭和初期でもあったのだ。
昭和7年に、養子に出されたおりつは実家に戻ったが、疎まれていた父親に虐待死され、証拠隠滅の為に家の下に埋められた。しかし、夜な夜な父親の夢におりつが現れ、良心の呵責に耐えきれなくなった父親は、自首し逮捕された。そして供述通り、おりつの遺体が見付かった。町内の人達は、愛情の欠片すら受けられず、殺されたおりつを弔う為に、この地蔵が造られたのだ。
私は、高砂駅で買ったチョコレートとキャラメルを地蔵に手向けた。昭和初期だから、この品は貴重品だから、おりつも喜んでくれるかなと思って。但し、父親には何もあげない。包装紙に付いている僅かな滓でも舐めておけ!
児童虐待事件で、無期懲役や死刑が採用されず、加害者有利の極甘司法に使っている日本の弁護士・裁判官は必ず訪れろ! そして、無期懲役や死刑が採用される日が来ますように!
写真は地元の人達が立てられたおりつ地蔵。児童虐待の悲劇を後世に伝えている。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 昭和時代はワンダーランド |
|
|
参道には、貴重な梅雨晴れを利用して、一稼ぎしたい露店が数軒あった。「寅さんの故郷 柴又」だから、稼ぎ時だろう。ある店も、最近見掛けるトッポギやケバブではなく、昔ながらのたこ焼きや七味唐辛子、かき氷の店だった。此処にも昭和の薫りがする。もしかしたら、寅さんのような啖呵売もあるのでは? 今にも、寅さんが額に汗して、啖呵売でもしそうな陽気だ。
「物の始まりが一ならば、国の始めは大和国。島の始まりが淡路島……。」目を瞑ると、聞こえてくるよ。何を売るのだろう……。
そんな中、昔懐かしい玩具や駄菓子を売っている店があり、涼むがてら中に入った。
中は意外と混んでいて、ソーシャルディスタンスが取れ難い。逆に言うと、昭和世代では懐かしい物が、平成世代には珍しく見えるのだ。
店内には、ピンボールやインベーダーゲーム、昔懐かしいブラウン管テレビがあり、まさに昭和時代が詰まったワンダーランド。インベーダーゲームでは、初老の男性が夢中になっていた。相当夢中になっていたのだろうね。縦1列の敵を連続で打ち落とす「名古屋打ち」も有名だった。このゲームが大流行して100円玉が不足したり、インベーダーゲームをテーブル代わりにしたゲーム喫茶も登場したりして、一世を風靡した。
売っている物も懐かしい物ばかり。ソースせんべいや粉ジュース、緑色が目立つ缶のドロップやサイコロキャラメル、瓶入りサイダー等、刺激的な物ばかりだ。
値段を見ると、缶のドロップが約300円もした。サイコロキャラメルも割高なので、財布の紐がきつくなってしまう。小江戸川越の菓子屋横丁に行ったら、割安で買えるのに。小江戸川越、柴又に限らず、こういった昭和の薫りで観光客を呼び寄せる観光地は、こういった懐かしい駄菓子や雰囲気を売り物にして、一儲けしたい店があるのも事実だ。昭和の薫りに平成の儲け主義を混ぜてはいけないよ!
写真は帝釈天参道の駅側の入口。たこ焼きの露店が、昭和の薫りを助長させてくれる。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 帝釈天参道を歩く観光客は出演者? |
|
|
東京で唯一の「重要文化的景観」の一部になっている帝釈天参道を歩く。しかし、電線が地中に埋められただけでも、こんなに空が広く感じられる。思わず立ち止まって、軽く深呼吸。これが、今朝乗り換えした雑踏の新宿と同じ東京都とは、俄に信じられない。「此処も東京だよ」と言っても、信じてくれる上京者は何人いるだろうか? 売る物だって、タピオカドリンクやシフォンケーキ等の流行物ではなく、昔ながらの草だんごや煎餅、葛餅や漬け物がメインだ。流行に迎合しないで、地元の名物を頑なに守り続けて、来訪者に珍しさと懐かしさを呈するのだ。
ただ帝釈天参道を歩くだけでも、「男はつらいよ」の出演者になれる。時代は、令和から一気に昭和に変わってしまう。スマートフォンを使っても、デジタルカメラを使っても、ほんの僅かの空間が令和だけで、昭和の薫りに包まれてしまう。
さて、この中に、寅さんは誰だろうか? 来訪者はみんな寅さんなのかな?
新作の「男はつらいよ お帰り寅さん」のポスターが貼られている場所があるが、観光客が欲しいのは、DVDで観た昭和の世界が詰まった「男はつらいよ」ではないだろうか。(チラッと見ただけだが)新小岩にある映画館では、昔の「男はつらいよ」の再上映が、行われているから。此処にも、珍しさと懐かしさが呈されるのだ。ひょっとしたら、寅さんを真似て、岩倉具視の500円札を持ってきた観光客がいるのかも。寅さんと500円札は、切っても切れないからね。500円硬貨ではダメだ。安っぽく感じるからだ。500円札ならば、それなりの箔があるからだ。あぁ、そんなことだったら500円札持ってくれば良かったかな?
コロナウィルスの影響で、閉店する老舗や普通の店が続く中、閉店している店は見た限り無かった。よかった……。安堵の笑みが出た。
写真は帝釈天参道。歩くだけでも、「男はつらいよ」の出演者になれる? |
|
|
|
(2020年6月20日) 「吉」のお神籖に二重のご縁を願って |
|
|
雰囲気とピッタリのかき氷の露店を過ぎると、帝釈天題経寺に到着した。山門とかき氷の露店が入るようにシャッターを押した。筒型の郵便ポストも入っていて、雰囲気的には昭和テイストと言ってもいいだろう。
山門を潜っても、「男はつらいよ」の出演者になれる。第1作の「男はつらいよ」で、20年振りに故郷へ帰って、庚申の祭に飛び入り参加して、みんなを驚かせている所で、此処で寅さんと御前様が再会し、その後おばちゃんと再会する流れ。
御前様はいらっしゃるかな? 仕事を放り出して、近所の子供達と遊んでいる源公はいるかな? ……と、「男はつらいよ」を見ている私には、つい二人の行方を追ってしまう。はて、何処にいるのだろう……。
そう目で追っていると、右隣にあるお神籖に目が止まった。梅雨晴れに出会えたし、堀切菖蒲園の花菖蒲が観られたし、持病の鬱病は今の所は沈静化しているし……。
番号が書かれている棒が入っている筒を無造作に掻き回して、逆さにして番号を見た。「五十」とあった。セルフサービスで該当の番号を探して、お神籖を取った。何だか、ドライな雰囲気だなぁ。昭和の人と人との心温まるコミュニケーションは、このお神籖には無いのか?
さて、結果は……。
「吉」だった。昨年9月は「大吉」を引いたので、それと較べたらちょっと落ちるが、凶を引くよりはいいだろう。願い事・病気・待ち人・売買等の7種の結果も良かった。
この後、本堂に入って、休むがてらご本尊に祈願した。此処は法華経(日蓮宗)の寺だから、特別祈願して貰っている夫婦への題目が聞こえてくる。
賽銭を投げようと、財布を空けたが、10円と100円ばかり目立つ。10円だと「遠縁(10は「とお」とも言うから)」になるから避けよと言われているので、5円玉が必要だ。
5円玉を探したら、運良くあったよ! これに20円を加えて、「二重のご縁」として賽銭に充てるのだ。
ジャラジャラジャラ……。3枚の小銭が、賽銭箱に巧く入った。そして、題目三唱。
本堂を出る途中に、コロナウィルス救済募金箱があったので、100円玉を入れた。たった100円と侮る勿かれ。この100円で救われる命があるかも知れないのだ。まぁ、通所している就労移行支援事業所が、4月初旬からコロナウィルスの影響で閉所していて、金銭的余裕は無いが、困った時はお互い様だ!
日本人よ! 助け合いの精神で善根を施して、コロナウィルスに立ち向かえ!
上は昭和の薫りが詰まった令和の帝釈天。
下は帝釈天題経寺。此処も参拝するだけで、「男はつらいよ」の出演者? |
|
|
|
(2020年6月20日) 江戸川で感じた貴重な日常 |
|
|
題経寺を出て、江戸川へ向かう。題経寺の石製の柵には、寄進者の名前がズラズラ出ているが、著名人もいるので、探して欲しい。
此処でも観光客の姿がチラッと見掛けたが、向かう先は殆ど同じ。江戸川か、近くにある寅さん記念館だ。
しかし、昨年9月に矢切の渡しと寅さん記念館を訪れているので、今回はプラッと立ち寄るだけになるな。
その途中、満開の紫陽花に会った。紫陽花好きの私はシャッターを切ったが、その咲き具合が奇妙だった。
紫陽花は土壌のpHによって、花の色が違うと聞いている。酸性ならば青、アルカリ性ならば赤になるのだが、隣り合わせで赤と青が咲いているのだ。酸性とアルカリ性の濃度が同じ状態で合わさったら、中性になるはずだが。どうなっているのだ?
そして、江戸川の土手に登った。柴又公園だ。青々とした広い土手が一面に広がっていて、外出自粛要請から開放された一般市民が、マスクをしながらも梅雨晴れの一時を過ごしていた。
此処で、素早くマスクを取って、思い切り深呼吸をした。青々とした草の匂いが鼻に入ってきた。コロナウィルスで遠出ができず、花見も近場で済ませたからなのか、その匂いが本当に新鮮に感じられた。何気ない日常が過ごせる日々が、貴重に感じられる。
それにしても、綺麗に整地されているな。江戸川の向こうは千葉県松戸市だが、葛飾側は住宅地が迫っているのに対し、松戸側は閑静な田園地帯が広がっていた。大河を市境とする場所や大道を境に雰囲気が変わる場所があるが、甚だしい差に驚かされる。
青い江戸川を見て、ふと思った。昨年の台風19号は、大変だっただろう。多摩川が氾濫したし、江東区や江戸川区は、荒川と江戸川の氾濫に怯えていた。此処の土手も泥水に浸かってしまって、後始末は大変だっただろう……。 |
|
|
|
(2020年6月20日) 旅の続きはレモンスカッシュに託せ |
|
|
寅さん記念館に繋がるエレベーターがある休憩所で一服。周囲には、ツーリングや親子連れがいたが、まだ警戒しているらしく、混雑を避けて座っていた。
自動販売機で、レモンスカッシュを買って、一啜り。梅雨晴れの暑さが一瞬にして、消え去った。時折吹く川風も、ゆっくりと体温を下げていく……。
川風に吹かれながらも咽喉にレモンスカッシュ冷たさ伝わる
もう一度、レモンスカッシュを一啜り。そして、深い溜息を漏らした。
本当に久し振りだよ。東京の西の八王子から、東端の柴又を旅したので、遠出とは程遠いが、有意義な一日が送れた感じがする。今までは、近くの河原を歩いて、季節の花を撮ったりしただけだったから、余計八王子〜柴又の距離が長く感じる。
もう一度、レモンスカッシュを一啜り。
梅雨晴れの空に小さな燕が飛んできた。巣立って間もない感じだ。
そう言えば、松阪駅の一角に燕の巣があって、毎年営巣しているが、今年も見られそうにもないな。2年前の花見の時期が最後だから、余計見たくなる。
思えば、伊勢神宮と松阪城跡、岩倉市の五条川の満開の桜も、おかげ横丁と松阪で頂いた牛鍋、そして、名古屋大須のあの賑わいは、伊勢志摩と中京からの暫しの別れの印だったのだろう。
巣立ちして旅する水無月燕かな
もう一度、レモンスカッシュを一啜り。
此処での休憩が終わったら、帝釈天参道に戻って、草だんごを買って帰路に就くか。何処にも寄り道せず、まっすぐ帰ろう。せっかくの賃金を無駄にしたくないからだ。コロナウィルスは衛生面の見直しの他に、金銭の使い方を見直すきっかけになりそうだ。
レモンスカッシュの缶には、一口分しか残っていなかった。これを干したら、帰路に就くのか? 寂しさが広がった。
3ヶ月ぶりの旅は本当に娯しかったな。次に旅できる時は、何時になるのだろう……。
次の旅を期待しながら、私は最後のレモンスカッシュをゆっくり啜った。 |
|
|