2021年11月6日 上田城の紅葉と別所温泉

(2021年11月6日) 別所温泉の紅葉狩りは始発列車で

 10ヶ月ぶりの旅は、長野の別所温泉だった。寅さん通なら『寅次郎純情詩集』のロケ地だと閃くが、私の場合、何度も計画を立てたものの、ご破算になってしまった。
 今回は、その都合が付けられたので、思い切って旅路に赴いた。丁度、別所温泉の紅葉が見頃と聞いたので。
 コロナワクチンを2回打ったし、今の感染状況を見ると落ち着いている。今冬にまた波が来ると予想されるので、旅に出られるのは今しかない!
 時45分の始発で、高麗川に向かった。夜明けに目覚めることが多くなってきた所為か、余り違和感は無かった。ただ、10ヶ月ぶりの旅だから、最後まで娯しんでやると意気込んでいた。
 時26分に高麗川に到着し、29分の列車で高崎に向かった。
 日の出が見られるように、進行方向右側に座った。
 越生に着いても、日の出は迎えられず。小川町でも寄居でも日の出が見られなかった。
 漸く、日の出を迎えられたのは、児玉到着前だった。日の出が現れたら、私のデジタルカメラの仕事が始まる。薄紫、山吹色、橙色と赤が濃くなっていき、現れた日の出は真っ白だった。日の出は今日も田園地帯に日光を四方八方に照らし、静かな暁鐘を鳴らす。
 八高線の面白い所は、電化区間と非電化区間の差が凄いことだろう。八王子〜高麗川はホームも屋根付きの所が多く、駅舎も新調している駅が多い。都市の郊外を走っている感じが強い。高麗川〜倉賀野は、ホームに屋根が無く、代わりに待合室がある駅が多い。駅も、簡素なものが多い。屋根がないホームでは、扉がある待合室は、何とも温かみが感じられる。これから寒くなっていくから、此処で暖を取る人が多いだろう。
 賀野に到着すると、貨物列車と高崎線が往来して、一気に上州の大都会高崎を彷彿させてくれる。倉賀野駅は貨物取扱があるので、運が良ければ電気機関車が停車していることが多い。しかし、どの位置に停車しているのかは、運次第。結局、私が撮れたのは、ズームを近付け過ぎた電気機関車だけ。
 悔しい舌打ちをしていると、お詫びとばかり、茶色の客車と貨物列車が出迎えてくれた。茶色の客車はイベント用の列車で、上越線や信越本線で使われる。貨物列車は、恐らく武蔵野線経由で鶴見か蘇我へ向かうのだろう……。



(2021年11月6日) バッテリー切れのデジタルカメラ

 時50分、高崎到着。此処で、8分の待ち合わせで、58分の横川行きに乗った。
 車内は空いていたが、此処で私は知らない内に、チョンボをしでかしてしまった。
 休日で紅葉狩りへ行くのに、8分の乗り継ぎ時間に執着してしまったのだ。これでは、都会の忙しい乗り換えと何ら変わりは無い。10ヶ月ぶりの旅だから、感覚が鈍ってしまった。直すには、必要最低限の感染予防策と、時間と金銭が要るな。
 う溜息を漏らしながら、丁度見えてきた妙義山と浅間山を撮っていたら、大ピンチに陥った!
 1つ目のバッテリーが切れそうになったからだ。幾ら何でも、早過ぎる。昨夜、完全に充電したのに、もうバッテリー切れか? 今年の私みたいだ。最初は元気満々だが、途中で気力のガス欠で、1週間まともに通所出来た週は、今年で何回あっただろうか?
 スペアのバッテリーを装着して、再度妙義山と浅間山を撮った。
 このデジタルカメラは購入してから8年も経っているので、バッテリーの老朽化も酷いし、ネットを見たらニューモデルが出ていて、違う型番のバッテリーになっていた。今まで、2個のバッテリーで乗り切っていたが、3個目が必要になってくるな。もし、バッテリーの在庫が無ければ、このデジタルカメラは終わりだ。
 いきなり、ピンチだな。何処かに、コンセントを貸してくれる場所を探すしかない。だけど、そのことを脳裏に過ぎらせていては、紅葉狩りが娯しめなくなるから、必死に怺えた。

 写真は信越本線で撮った妙義山と浅間山。



(2021年11月6日) 早朝の横川駅


 氷峠の麓にある横川駅は、かつて66.7‰(パーミル)の大勾配を走る馬力が強い電気機関車が往来していた鉄道ファンの聖地。無駄に長いホームがそれを物語っている。北陸新幹線開通で、横川〜軽井沢は廃止になったが、今でも復活の協議が続けられている。2駅の途中にあった熊ノ平駅まで復活させる話があるが、横川駅がある安中市は、「採算云々」で消極的らしい。今の日本は、何かに付けて「金」、「金」と拝金主義になっている。眼前の採算を取るか、将来に亘ってもたらされる利益を取るか。
 処、横川には、不動の名物がある。
 そう。「峠の釜めし」である。鶏肉、椎茸、竹の子、うずらの卵、栗、杏等が入っている旨い駅弁である。コロナ禍で老舗も閉店の憂き目に遭っているが、こういう所はもろに打撃を受けていてもおかしくない。無事だといいが……。
 早朝の横川は、国道18号線が通っていて、数台の車が往来しているだけだが、マスクを付けているから、眼鏡が曇って、周りがよく見えない。眼鏡を外せば、それなりに見えるが……。
 「峠の釜めし」が売られているおぎのやに到着したが、閉まっていた。営業時間を見ると、9時からだった。今の時間は7時50分近くを指していた。朝早く出発したので、時間の経過のズレが酷くなっている。もう、昼近くになったかと思ったら、まだ8時も過ぎていない。
 朝餉は、何処で摂るか?
 処横川は、北陸新幹線の開通で、信越本線の寸断の憂き目に遭ったが、めがね橋や旧熊ノ平駅へのハイキング客でも賑わっている。丁度、紅葉の時期だから、18号線を歩きながら、寸断されたままの信越本線に思いを馳せるのだろう。
 近くにある鉄道ぶんか村の右脇の線路は健在で、これがかつての信越本線だと伝えている。碓氷峠を往来していたEF63があった、此処では、教習を受けた人はなんと運転体験が出来るという、鉄道ファン冥利に尽きる場所である。EF63は廃線になった信越本線に停車しているが、再び碓氷峠を走る時を待っているのだ。
 軽井沢行きのバスの時間までまだあるので、周辺を歩くとするか。時間を見ると早い上に、20分しかない。これでは碓氷関所には行けないし、鉄道ぶんか村の開場時間にも間に合わない。
 酷いロスだな。と旧信越本線沿いを歩くと、早速紅葉を発見した。綺麗な紅と黄色の紅葉が、早朝の澄んだ青空に映えていた。「峠の釜めし」が買えなかったが、思い掛けない所で紅葉を見付けたので、穴埋めが出来た。
 これなら、これから向かう上田や別所温泉の紅葉も期待出来る。
 十九折りが延々と続く国道18号線の碓氷峠に、バスは走る。バスはハイキングに向かう人達でまあまあ混んでいた。コロナが幾分か収まったから、出掛けられるのは今しかないと思ったのだろう。荷物のリュックサックに、荷物の他に溜め込んでいた旅心も詰まっているのだろう。
 途中で道が岐れるが、国道18号線の旧道で、この道沿いに旧熊ノ平駅があるのだ。しかし、この旧道を走るバスは季節運行の1本のみ。幸いなのは、旧信越本線に沿った遊歩道が、旧熊ノ平駅まで整備されているのだ。とうげの湯というトロッコ列車の終着駅を降りて、ハイキングコースを進む。途中、壮大なめがね橋を渡って、この旧熊ノ平駅に向かうハイキングコースがあるのだ。時期的にも紅葉が映えるので、横川から碓氷関所、丸山変電所を抜けて、旧熊ノ平駅まで歩く手があったのか。しまった! でも、碓氷峠の紅葉と上田・別所温泉の紅葉の両得は宿泊を伴い、予算的に余裕が無いので、次回にするか? 秋を待つか、春の前に訪れるか。

 上はかつての殷賑を語る横川駅ホーム。
 下は偶然見付けた横川駅近くの紅葉。



(2021年11月6日) 紅葉に彩られる軽井沢



 氷峠を越えて、長野県に入ったバスは、軽井沢の瀟洒な街並みを走っていた。
 そこで、見事な紅葉のお出迎え!
 どれを撮っても、充分に絵になる紅葉だ。高級リゾート地として有名な軽井沢だが、紅葉が加わると益々風情が増す。こんなに綺麗な紅葉は、今年の紅葉の到来がまだである東京人にとって、最高の目の保養だ。
 私は車内から、軽井沢の紅葉を立て続けに撮った。どれか一つは当たっているだろう。
 スは軽井沢駅に到着した。そこでまたいい紅葉を見付けたよ。上田に向かう途中なのに、美味しい所を撮らせて頂きますよ。
 本当にいい赤だ。臙脂、紅、赤、朱色、どの赤が一番いいのか迷ってしまう。金銭の要らない贅沢、此処にあり!
 て、軽井沢駅に入って、此処で「峠の釜めし」を買うとするか。横川での仇を軽井沢で討とうではないか! と、時計を見たら8時45分で準備中。回転するのは1時間後の9時45分だが、準備が出来次第開店するそうである。
 何か、時間経過のズレが生じているな。普段、8時35分前後から活動している私にとっては、此処の8時45分は、正午の感覚になっている。何しろ、4時20分から行動しているから。一体、何が何やら……。
 8時になって、駅の観光案内所が開いた。此処で、コンセントを貸して貰えるのだろうか。スタッフに訊いてみると、スマートフォンの充電のみで、コンセントは拝辞しているそうだ(まぁ、他人様からコンセントを借りることは、他人様の電気料金を嵩上げしているようなものだし)。此処でも、バッテリー問題は解決しなかった。

 写真は軽井沢で撮った紅葉。どの赤がよいのか迷ってしまう。



(2021年11月6日) 軽井沢駅にて


 井沢駅隣にある旧軽井沢駅舎記念館に入った。此処では、横川から電気機関車に牽引された特急が往来していた場所だった。駅名標は横川が次の駅になっているが、此処で電気機関車連結に時間が掛かったので、このホームに降りて一服する人が多かったのだろう。
 北陸新幹線の開通で、その殷賑は過去の遺産になったが、駅舎は移築されて、碓氷峠を往来したEF63が横川同様、復活の時を待っているのだ。
 しかし、ホームは途中から改良されて、此処からしなの鉄道のホームと直結されていたのだ。つまり、この記念館は、しなの鉄道軽井沢駅の出入口の職も得ていたのだ。かつての中線が敷かれていた場所は、子供向けの公園になっていた。鉄道ファンにとっては、信越本線の残影を掻き消すようで、歯軋りしそうだ。
 でも、しなの鉄道の横川側のホームは、途中で柵で塞がれているが、ホームや屋根はそのままで、線路止めが置かれているだけなのが救いだ。
 信越本線横川〜軽井沢が廃止されてから24年経つが、何か策は無いか。しなの鉄道が新車両を導入しているのだから、金銭的余裕があるように見える。JRとしなの鉄道のコラボレーションで、復活させてもいいと思う。途中の旧熊ノ平駅も整備して、此処で軽井沢発のホームには安中市の名産品、横川発のホームには軽井沢町の名産品を売るスペースを設けたら、安中市も軽井沢町も多少潤うだろう。あの66.7‰(パーミル)に挑んだ先人の遺業を不意にしない為にも、横川〜軽井沢の復活を深く願うばかりだ。今のバスでは、九十九折りばかりの道を走るので、酔いが来そうだ。
 時32分の快速「軽井沢リゾート」号は全席指定なので、43分の長野行きに乗車することにした。軽井沢から上田に行くのに、運賃890円の他に1000円上乗せされるなんて馬鹿らしい。
 また、軽井沢駅を歩いていると、「峠の釜めし」を売る売店が開店した。まだ15分も早いが、此処で巧く横川での仇が取れそうだ。
 早速、「峠の釜めし」と「碓氷峠の力餅」を購入した。両方共、おぎのやで販売されているが、「碓氷峠の力餅」は初見参だ。「力餅」と出ているから、碓氷峠を通過する旅人に愛された名物なのだろう。大抵、餅系の銘菓は長旅や険しい峠越えをする旅人や商人にとって、腹持ちの良い食べ物だった。中身はあんころ餅で、ふと思い出す伊勢神宮。もう2年も参詣していないな。
 32分の快速「軽井沢リゾート」号を見送って、ホームのベンチで掻き込んだ。43分の列車に乗るから、40分まで平らげなければいけない。東京の忙しいサラリーマンではあるまいし、時間に追われた愚行をしでかしてしまった。出来れば、横川のおぎのやでノンビリ頂きたかったな。此処でも、ズレが生じているな、コリャ。次回、横川に向かう時があったら、時間を巧く調整して行きたいな。碓氷関所や旧熊ノ平駅を訪れて、昔日を偲ぶとするかな。

 上は横川〜軽井沢を駆け抜けた電気機関車EF63。
 下は横川駅名物、「峠の釜めし」。



(2021年11月6日) 上田駅の歓迎は真田幸村

 47分の長野行きのワンマン列車に、何とか間に合って、上田に向かった。
 元信越本線だったしなの鉄道に、ステンレス製の車両が浅間山の麓を走る。
 何処か都会的空間を持ち出して、その地にある独特の雰囲気が毀されていくようで不格好だ。浅間山の噴火は、そのことにお冠になって、噴火したのかな?
 その浅間山を回るかの如く、しなの鉄道は走り、上田に到着した。
 田幸村こと真田信繁ゆかりの地、上田。お城口から出ると、大坂夏の陣で奮闘した真田幸村の銅像が出迎えてくれる。鹿の角を用いた兜が勇ましいが、何度も徳川家康の陣に突撃する赤い甲冑の猛者は、徳川家康も恐れおののいたことだろう。
 真田家は、幸隆の時代に武田信玄に仕え、その後三男の昌幸が家督を継いだ。しかし、嫁の嫁ぎ元が引き金となって、兄弟は仲違いをしてしまった。長男信之は東軍に与したが、昌幸と次男幸村は西軍に与し、此処上田で徳川秀忠の軍勢を迎撃した。戦後昌幸は、高野山に流されて生涯を閉じた。所領を没収された幸村は、大坂冬の陣と夏の陣で、名誉挽回を狙い、大阪城の近くに真田丸という砦を築き、徳川軍を迎撃していた。此処で徳川軍は多大な損傷を受けたが、大砲による大坂城攻撃に切り替えた為、幸村は本陣を狙って出陣した。徳川軍に多くの損傷を与えたが、最後は鉄砲隊の露となった。
 そんな上田市だが、英雄に担ぎ上げているのは、真田幸村とは皮肉だ。兄の信之は真田家存続が図れたが、彼の功績は此処では殆ど感じられない。



(2021年11月6日) 城下町上田で出会ったレトロ



 野県を代表する銘菓で、時折都内の物産展で見掛ける寒天ゼリー。その本場が、上田にあるのだ。品名には『飴』と書かれているが、中身は寒天ゼリーだ。
 上田城に向かう緩い坂の途中の何ともレトロな建物が、本舗の飯島商店である。しかも、建物は登録有形文化財に指定されている。こういう城下町には、こういうレトロな建物が多い。
 さて、店内に入った。勿論、アルコール消毒をして。
 店内は、アンティークなオルガンや柱時計、レジスターも置かれているちょっとした博物館である。レジスターのキーを見ると、キーが1、2、3〜10、20、30と1刻みと10刻みになっている。つまり、20のキーを押せば、レジに20円が表示されるのだ。
 て、寒天ゼリーだが、アクリルケースに収められている寒天ゼリーは、まさに「食べられる宝石」の如く、キラキラ輝いていた。その煌びやかさに思わず手が伸びてしまいそうだ。頂いたことはないので、尚更だ。また、ショーケースに展示されている和紙で包んだ一品は、贈り物にピッタリだ。また、バラ売りもしてあるので、お好みで買える。林檎、葡萄、三宝柑、桃、梅、杏の6種類ある。先程のキラキラ輝く寒天ゼリーを見てしまったのか、物産展で買うよりも緊張感が走る。
 此処は予算があれば買うことにして、上田城へ向かった。

 上は登録有形文化財に指定されている飯島商店。
 中は店内にあるレジスター。



(2021年11月6日) 上田城の麗しき紅葉



 田城では紅葉の見頃に合わせて、イベントが開催されていた。昨年は、ワクチン接種が無かったり感染防止策が曖昧だったりして、中止になってしまったが、ワクチン接種が欧米を抜いて7割強を達成し、経口薬も承認中で、不足していた消毒用エタノールの供給もスムースになったので、開催出来た。
 しかし、感染が収まってはいないので、リバウンド防止に、出入口が各々設けられていた。イベント用と一般用と分かれていたが、特にイベント云々が目的ではないので、一般用に入った。
 ズバリ的中!
 田界隈の紅葉は、今が見頃。赤、紅、朱色等赤系に染まっている紅葉を見付けて、次々にシャッターを切った。丁度、碧空だから、余計紅葉が映えるのだ。どれが一番見栄えの良い紅葉なのかな? 八王子の始発で、此処に来たのだから、美味しい所は頂きますよ。
 上田城の紅葉は、鬱病再発を何度も繰り返し、進路も五里霧中の痩身の旅人を温かく迎えてくれたのだ。本当によかった。信州はもう紅葉で一杯だろう。そこに温泉と地酒があれば、コロナ前の殷賑が戻るのも夢ではない。
 東京はまだだろうけど、時期になると、四季の移ろいを求める都心の住民達が、手軽に行ける高尾山や奥多摩、陣馬高原にドヤドヤと詰め掛けるのだろう。都心の寿司詰め状態の通勤電車を、此処で再現しなくてもいいのだ。穴場は探さないのか?

 写真は上田城址で撮った紅葉。



(2021年11月6日) 上田駅のイベント




 田駅に戻ると、行列があったので、最後尾に並んだ。
 実は上田駅を降りる時、「うえだ鉄道まつり」が開催を記念しての硬券を買った際、参加の可否を聞かれた。開催時間を見たら、余裕があったので、参加の旨を伝えたら、参加証明書を渡された。やはり、コロナのリバウンドに対し、細心の注意を払っている。あの東京五輪開催中の医療逼迫から勉強したのだろう。勉強しないのは、傲慢や驕慢に溺れている自民党議員や盆暗総理位だろう。
 処長野県には、東京同様私鉄が多くある。JR信越本線から分離したしなの鉄道、長野市から小布施・湯田中方面に向かっている長野鉄道、上田市と別所温泉を結んでいる上田電鉄、そして、松本と新島々を結んでいるアルピコ交通。その4社が上田駅に集い、関連商品を売っているのだ。
 開催は12時30分だが、その間にしなの鉄道の新車両とJRから譲渡された列車を撮りながら、時間になるのを待っていた。新車両が賄える余裕があれば、横川まで繋げて欲しい。そんな鉄道ファンの期待を抱きつつ、時間を迎えた。
 ずは、しなの鉄道のコーナー。此処では「鉄道むすめ」のイラストが描かれているファイルを買った。最近、地方の私鉄で見掛ける「鉄道むすめ」。地元の観光情報をアピールしたりしているが、流石に東京では見掛けないな。東京一極集中の傲りの歪みが生じている昨今、地方私鉄の危機意識が高いとも読み取れる。
 いて、長野電鉄コーナー。屋代から松代を経由して須坂を結んでいた屋代線が廃線になってしまい、残る路線は、長野市から湯田中を結ぶ長野線になってしまった。
 その長野電鉄が異様に混んでいた。開催時間前に中を覗いたが、硬券が一杯売られていたので、恐らくそれが目当てだろう。もう、地方でもお目に掛かることが少なくなった硬券。令和の世でも、記念品や特定の場所への往路切符と細々と生き存えているが、此処では当日の日付が入れられると言うことで、とにかく混んでいた。
 これは、チョンボだね。硬券コーナーと一般コーナーに分かれて、販売した方が効率が良いし、長野鉄道に鉄道ファンの駅員はいないのか、ファン心理が読めない感じが否めない。東京で開催されたら、怒号の一つ飛んでしまい兼ねない。心のゆとりが無く、時間に極めてせせこましい東京思考が脳裏を過ぎる。此処でも、「鉄道むすめ」のイラストが描かれているファイルを買った。
 田電鉄のコーナーに入ったが、「鉄道むすめ」のイラストが描かれているファイルがなかったので、諦めた。何処で売っているのかな? 別所温泉駅なのか?
 して、最後のアルピコ交通のコーナー。此処で、「鉄道むすめ」のイラストが描かれているファイルと絵はがき、記念乗車券を買った。
 そうだ! しなの鉄道にも、記念乗車券を売っていたが、上田駅に置かれている分は完売。小諸駅、戸倉駅、屋代駅にはあるそうだが、改札へ行って、「私の分を取り寄せてくれないか」という程、傲慢ではない。小諸駅と戸倉駅が近そうだが、改札で在庫の確認や確保出来たとしても、別所温泉に向かう行程が狂いそうだ。
 んな葛藤を抱えて、12時10分の別所温泉行きに、ギリギリセーフ! 精算は別所温泉駅で。しかし、上田くんだりで東京人の悪しき行動を、上田市民や観光客に見せるとは。「東京人が来たよ。やはり、時間に卑しいね。」そんな嘲笑が聞こえてきそうだ。私も、東京人の時間に対するせせこましさを赤裸々にした感じで、胸の痞えを憶えた。



(2021年11月6日) 塩田平を走る別所線


 田電鉄。上田と別所温泉を結ぶローカル線だが、かつては丸子町、真田、傍陽(そえひ)と上田市の方々と隣の青木村に路線を張り巡らせていたが、現存しているのは、この別所線のみとなってしまった。今年の災害で、一部区間が不通になってしまったが、上田市民の篤い支援を受けて、短期間で復旧。いや、凄いものだ!
 寅さんもこの列車に乗って、別所温泉に行ったのかな? 列車の形は違うけど、別所温泉で一服したかったのかな? 列車は稲刈りが終わった塩田平をトコトコ走っていた。
 塩田に到着。いきなり、立派な駅舎でエメラルドグリーンの塗装に驚いて、思わず一枚撮った。今までの駅が簡素だったので、余計印象的だった。もう、東京では見られない光景だな。あったとしても、スプレーで落書きされて、印象が悪くされるだろう。此処には、そんな落書きはない。此処に、上田市民の別所線への愛着が垣間見られる。
 もうそろそろ、別所温泉だ。何度も計画しておきながら、ご破算になってしまったが、漸く行ける目処が立った。
 別所温泉は『男はつらいよ』の『寅次郎純情詩集』のロケ地。ちょっとした聖地巡礼だが、一体、どんな温泉街なのか? 私が生まれる前にあった光景は健在だろうか?
 『寅次郎純情詩集』2021年版に出演する準備を整えて、別所温泉到着を待った。

 上は収穫を終えた塩田平。
 下はパステルカラーの中塩田駅。



(2021年11月6日) 心身満足の昼餉


 所温泉に到着した。その前の急勾配を登る様が凄かった。あの映画通りだった。‰(パーミル)にしたらどの位だろう? そして、ホーム後ろにある列車の引込線は、「丸窓電車」の愛称で親しまれた5250型が静態保存されていた。この列車に寅さんも乗ったのだろうか?
 列車から降りた。此処から昭和51年と令和3年の時の長さを感じ取った。
 駅の様相、広告の看板は変わっていなかったし、明らかに『寅次郎純情詩集』の世界そのものだ。一つ違うのは、「鉄道むすめ」の存在と当時の改札口が改装されていたことだろう。赤紫の袴と桃色の着物を着た女性車掌が「鉄道むすめ」だろうが、私は『寅次郎純情詩集』に出演出来る嬉しさが勝ってしまい、その存在に目もくれなかった。
 紅葉の時期&温泉&コロナ感染減少の三拍子で、駅は賑わっていた。此処から、北向観音に向かうのだろうか。丁度、北向観音の入口で、寅さんが旅芸人の一座と再会する所だが……。昼餉も摂っていないし、デジタルカメラのバッテリーの問題があるので、早速「鉄道むすめ」と話し合った。
 近くのそば屋を勧めてくれたので、行くことにした。此処で、バッテリー充電が出来ればいい。
 的のそば屋の暖簾を潜った。
「まだ、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。」明るい返答が来た。
「後、バッテリー充電に、コンセントをお借りしたいのですが。」
「どうぞどうぞ。そこにあるから使っていいよ。」やった! バッテリー問題は解決した。
 私はコンセントに近い席に座って、早速バッテリーを充電し始めた。
 この厚意をお返ししたい。いい一品を頼もう。「信州信濃の新そば」の通り、そばが目白押しだ。さて、何を頼もう。
 度昼下がりだったので、近隣住民達が昼から麦酒を飲みながらテレビを見ていた。ちょっとした社交場だ。勝手に麦酒を持ち出すのはマナー違反だが、コロナ感染が減少した時にささやかながら盛り上がりたい。その気持ちはよく判る。
 壁に掲げられている品書きを見て、大盛りそばともつ煮込みを注文した。大盛りざるそばがあったが、その差は刻み海苔の有無だけ。これだけで50円余計取られるのはちょっと癪だった。
 しかし、もつ煮込みが意外だった。
「もつ煮込みは大丈夫ですか?」東京のように小鉢で6〜7分入っている一品だろう。
「大丈夫ですけど、家のはね、皿に盛られていて量も多いんですけど、いいですか?」
「大丈夫ですよ。」空腹なので行けるだろう。
 麦酒を飲みながら談笑する客。その様をチラチラ見ていたら、もつ煮込みが運ばれてきた。東京のように小鉢ではなく、炒飯を盛るような浅めの皿に盛られていて、ボリューム満点! これで600円とは! 私は声を失った。量は東京の2倍近くはあるだろうし、値段も小鉢程度で500円が相場だが、東京価格に直したら900円は行くだろう。
 善光寺名物の七味唐辛子を付けて、一口頂いた。うん、よく味付けされている。歯応えのあるもつが食欲をそそる。
 間もなく、大盛りそばが運ばれた。程良く盛られたそばとカボチャと海老の天ぷら付きで700円。そばの量はもとより、天ぷら2品も付いてくるとは。東京で頂いたら、そばの量や海老の天ぷらが付いているから1000円は行くだろう。別所温泉で頂けば700円也! バッテリーの充電が出来て、お値打ち価格の食事が出来るなんて、まさに大金脈を見付けた心の弾み様だ。こんな風に心が弾んだことは、今年に入って熱海桜を見た以来だな。と、少々平麺になっているそばを啜った。こちらの方もなかなかどうして。
 軽井沢で時間に追われた朝餉を摂ったから、ゆっくり頂くとするか。それまでガンガン、バッテリーを充電していこう。
 それにしても、凄い量だな。私は大盛りそばと格闘しながら、そばの量の多さに目を見張った。東京では、こんな平麺の大盛りそばは、お目に掛かれないな。と、合間に緑茶を啜った。場所柄、静岡かな?
 連客なのだろう。勝手に麦酒を持ち出して、店主にその旨を伝えていた所、手を滑らせて麦酒瓶を割ってしまったのだ。痩身に冷や水が刺された。ばつ悪そうに佇んでいたが、店主が「構わん。清掃するから。」と収めた。このお代は取らないだろう。
 そして、地元客の気さくさに心が絆された。
「何処から来たんだ?」
「東京の八王子です。始発で来ました。」
「へぇ、始発から。何で、此処に来たんだ?」六十路のおじさんが旨そうに麦酒を啜りながら、質問した。
「確か、此処は寅さんのロケ地となったでしょう。」
「そうだったかな?」誰もが首を捻った。もう40年以上も前だ。記憶が朧気なのは仕方ない。
 私は、リュックから『寅次郎純情詩集』のパンフレットを広げて、説明した。此処で寅さんと旅芸人が再会したこと、寅さんが無銭飲食をしでかし捕まったこと、さくらが迷惑そうに別所温泉から去ったことを説明した。これらを総括して、どんな所なのかを説明した。
「それで、此処に来たのか?」
「はい、念願叶って!」
「『念願叶って』ってか。あの北向観音は行ってきたのか。」
「これから行くんです。確か、そこの入口で、寅さんと旅芸人一座と再会したんです。」
「ああ、そんな風に書かれているね。」別の六十路のおじさんが、パンフレットを目で辿りながら、麦酒を啜っていた。『寅次郎純情詩集』を見たことがあるのかな? もしかして、エキストラとして出演していたのでは?
 盛りそばと大盛りもつ煮を頂き、バッテリーを充電したら、もう3時近くになっていた。完全充電では無いが、これ位充電したら、夜まで持つだろう。しかも、食事は美味しく頂いて、気分も常連客との交流で温かくなった。
 よし、北向観音でいい紅葉を見付けるぞ!
 店主と常連客の見送りを受けて、店を発った。



(2021年11月6日) 2021年の『寅次郎純情詩集』


 餉で、心身満たされた私は、地図を頼りに北向観音を目指した。
 地図を辿っていくと、寅さんがお世話になった警察署となった建物が見付かった。
 此処か……。旅芸人一座とどんちゃん騒ぎをした挙げ句、無銭飲食でお縄になって収容されていた所か。昔は、別所村役場だったが、別所温泉の歴史を伝える場所になっている。
 この建物を見ても、『寅次郎純情詩集』の一コマには入れそうもないな。
 と、後ろを振り向いたら……。
 向観音の入口があった。
 まさに此処だ! 此処で、寅さんと旅芸人一座と再会するのだ。
 此処から、私は『寅次郎純情詩集』2021年版の出演者となるのだ。
 まずは、寅さんと旅芸人一座がどんちゃん騒ぎした旅館となった店に入った。この周辺は歓楽街だったが、今でも土産物屋が軒を並べている。
 今は、イタリアンジェラートの店になっていて、旅館の雰囲気は殆ど無かった。昔は土産物屋だった。インテリアで黒く塗られてはいるが、輪郭が微かに昔の土産物屋の名前が出ていたし、外観の看板もそのままだった。
 は『寅次郎純情詩集』のパンフレットを見せて、撮影場所が此処だということを説明したら、店側の厚意により、中を見させて貰った。
 完全に旅館の雰囲気は消えて、イタリアンジェラートを頂く椅子席になっていた。確か、階段があった筈だが、それも無い。昭和51年と令和3年の時の長さに溜息が漏れた。何しろ、「北陸新幹線上田駅を実現させよう」という幕が張られていた時だ。
 今は、コロナ感染防止で閉鎖されているが、落ち着いたら旅館さながらの賑わいが戻ってくるだろう。この2階でどんちゃん騒ぎをして、寅さんが旅立つ旅芸人一座を見送った所だ。昨日思わぬ再会をして、夜はどんちゃん騒ぎで再会の嬉しさを爆発させて、そして朝早く旅立っていく旅芸人一座。一体、寅さんはどんな気持ちで見送ったのだろう。
 さぁ、イタリアンジェラートの店に入ったのだから、イタリアンジェラートでも頂くとするか。かなりの種類があって、あれこれ迷いそうだが、色彩的にパステルライトグリーンのマスカットとパステルブルーのチョコミントを選んだ。今、寅さんがひょっこりやってきて、この店に入ったら、どうなるのだろう? 「横文字の食い物は嫌いだよ。食いたかねぇや!」と吐き捨てた寅さんだ。近くにある「厄除けまんじゅう」の店に入って、空腹を満たしたのかも。
 マスクを外して、外で頂いた。マスカットの甘さに陶酔しながら、チョコミントを抓むとスッとした冷涼なミントに陶酔を破られる。「甘い夢は長く続かない」という戒めなのか? 2口目のマスカットを抓んで、もう一度甘さに陶酔する。何だか、チョコミントの冷涼な現実から逃げているようで、心地悪かった。
 でも、10ヶ月ぶりの旅だ。難しいことは考えずに、マスカットの甘さとチョコミントの冷涼さを両得しよう。



(2021年11月6日) 北向観音と紅葉



 向観音。文字通り北に本尊が安置されていて、北に位置する長野の善光寺と一緒に参拝すると御利益があるそうだ。
 此処で、徳冨蘆花の『不如帰』が上演されていたのか。
 映画では、別所温泉駅に貼られていた広告に、開演場所が北向観音とあった。
 何処に、芝居小屋を建てたのか?
 を見ると、塩田平が開けていて、広場があった。映画で見た芝居小屋の広さを推測すると、此処かも知れない。「相棒」シリーズの杉下右京警部の株を借りて、断言した。
 いい所に芝居小屋を設けたね。映画だと、寅さんの如くフラット入ってしまいそうだ。寅さんは、一段高い特別席(?)で芝居を見、座長からの紹介で拍手を受けるシーンがあった。今、このような旅芸人一座はあるのだろうか?
 を見ると、鐘楼と何やら大木が立っていた。
 近付いてみると、「愛染かつら」のモデルとなった「縁結びの木」と説明書きがされてあった。つまり、この大木は桂なのだ。
 私は思わず吹き出した。「愛染かつら」とあったから、ウィッグ(鬘)かと思ったよ。全然、違っていたな。
 先ほどの広場の右側には、夫婦杉が立っていたから、最高の縁に恵まれそうだ! 将来に向けての米国株式投資を始めて半年足らずで、経済的余裕は無いが、この私が良縁に恵まれるように合掌した。序でに、「かつら」つながりで頭髪にも縁が欲しいな。
 向観音に参拝して、おみくじを引いたら、見事大吉を引いた。思わず、ガッツポーズ! 何度も行きたかった別所温泉だから、喜びは一入だ。
 このおみくじを見ながら、今年を顧みた。今年は、就労移行支援事業所にスムースに通所できなかったし、些細なことで家族との不和が生じて、妹から「何時出るの?」と脅迫される有様だ。自分の持ち家ではなく、中学校もろくすっぽ通わず、ニート紛いの妹に「何時出るの?」と言われる筋合いはない。
 でも、この大吉は奮起の大吉だろう。6月から始めた米国株式投資が順調に進んで、資産が殖えたり、昼餉の賑やかな店内と映画と変わりない街並みに出会えたのだから。

 写真は北向観音と「愛染かつら」のモデルとなった桂の木。



(2021年11月6日) 別所温泉の紅葉



 後に、安楽寺と常楽寺の紅葉を撮った。人通りは、北向観音よりも少ないが、見事な紅葉が出迎えてくれた。黄色から赤に変わる所が美的で、これで多くの文人墨客の好奇心や制作意欲を掻き立てのだろう。嗚呼、デジタルカメラで撮っても、凄くいい絵になる。
 安楽寺では、これから生きる指針となる言葉が書かれた紙が売られていたので買った。1枚100円也。
「強い心がないと生きていくのが難しい。しかし、温かい心が無いと幸せにはなれない。」
 額に入れて、自戒として飾っておくか。

 写真は安楽寺と常楽寺で撮った紅葉。



(2021年11月6日) 再会は何時になる?


 16時7分の列車を見送って、暫く別所温泉駅構内を撮影した。
 切符を買ったら、味気ない白紙に印刷されただけ。その下を見たら、上田→別所温泉の硬券(590円)の販売を行っているとあった。
 しまった! 硬券が買えるのか。普通の切符の交換はご遠慮でも、価値がある。
 しかも、窓口は16時で終わっていた。あの列車の前に窓口は閉まっていたのだ。
 はぁ、また別所温泉を旅するきっかけができちゃった。今度は、あの硬券や赤い袴を着ていた女性車掌も注目しなければいけない。例の紅い袴を来ていた女性車掌は、普段着で列車を待っていた。
 次の列車までまだあるから、駅近くにある丸窓列車でも見に行くか。
 態保存されている丸窓列車5250形式。映画では、引込線としてなっていて、此処で収穫したリンゴを輸送するホームがあった。今は、トラックで輸送されているが、単に別所線は上田と別所温泉を結ぶ鉄道ではなく、物資輸送も担っていた。
 勿論、コロナの影響で閉鎖されているが、中からは車内がよく見えた。肝心の丸窓も見えた。車内に入れなかった悔しさが晴れたが、寅さんもさくらさんもこの列車に乗って、別所温泉に来たのかな。さくらさんは無銭飲食をした寅さんを迎えに行く為に、寅さんは自由気ままな旅鴉。
 一番問題なのは、さくらさんはあの66.7‰(パーミル)の信越本線を使って、上田に来たのかという点だ。場所的にも、信越本線がしっくりくるし、映画の流れから見ても、寅さんが無銭飲食で逮捕されて、大至急別所温泉に向かうにしても、特急が走っていた信越本線経由が一番早く着くからである。また、寅さんが無事に宿代・宴会代を支払って、残りが500円札1枚になってしまった流れだったら、どうなっていたのだろう。トボトボ上田市街地まで歩いて、啖呵売でもしていたのかな?
 16時39分の列車で、別所温泉を発った。『寅次郎純情詩集』では、別所警察署の署員が、「今度はご家族ご同伴で、是非お出掛け下さい」と見送ってくれた。
 私は何時になるのだろう? あの横川の鉄道ぶんか村もご無沙汰だし、旧熊ノ平駅も撮りたいし、軽井沢の街並みを歩きたいし、そんな要望を取り入れたら、一泊旅行になりそうだ。差し詰め、宿泊地は上田になるだろう。
 でも、コロナ感染防止策もかなり順調に行っているし、この調子で行けば来年は平常に近い状態の日常に戻れそうな気がする。そう祈ろう。
 アディオス、別所温泉!





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